「縄文建築論(」の検索結果 6件中 1 - 6件表示
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カマクラ形住居の源流と進化 -縄文建築論(Ⅴ)
御所野の大型住居や中型住居は円錐形もしくは饅頭形ではなく、カマクラ形の構造をしている。このたび竣工した山田上ノ台遺跡の復元住居もおなじような構造と推定される(↑)。こういう構造・形態はいったい何を意味しているのであろうか。私見では、縄文草創期にみられる斜面の住居構造にヒントがあるように思われてなら
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回想「御所野の焼失住居」その2 -縄文建築論(Ⅳ)
いま自らの論文リストを再確認してみると、中型の実験復元住居の竣工(1997)から焼却(1999)にかけてのあいだに、御所野に係わる論文を5篇著している。 ①浅川・西山和宏「御所野遺跡で出土した縄文時代中期の焼失竪穴住居群」『奈良国立文化財研究所年報』1997-I:p.6-7 ②高田和徳・西山・浅
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ペパーミントにて
昨夜10時をまわってから、京都にいるタクオがメールで連絡してきた。所用が終わったので、これから会いに行っても良いか、という問い合わせだが、 「車か?」 「いや、電車です。」という。電車とはすなわち近鉄のことだが、西大寺もしくは高の原から京都方面への最終電車は11時15分前後だから、どう考えても
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回想「御所野の焼失住居」その1 -縄文建築論(Ⅲ)
御所野遺跡(岩手県一戸町)と出会ったのは、平成8年(1996)だから、今から10年前か。わたしは30代の終わり、高田館長(御所野縄文博物館)は40代の半ばであった。 御所野はわたしが本格的に縄文の集落遺跡整備に取り組んだ最初で最後の遺跡である。これ以上真剣にエネルギーを注いだ縄文の遺跡はこれまでな
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ケツンニ構造の屋根 -縄文建築論(Ⅱ)
縄文建築論(Ⅰ)で、円錐形テントが竪穴住居の原型であることをのべた。そこでは、円錐形テントの残影は、アイヌ住居のケツンニ構造や近世民家のサス構造にすらみとめることができるとも指摘した。 とりわけ重要なのがアイヌの三脚構造ケツンニである。アイヌ住居の小屋組には両方の妻側に三脚をふたつ立てる。この三脚
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円錐形テントと竪穴住居 -縄文建築論(Ⅰ)
狩猟採集民の住居として知られる円錐形テントと竪穴住居には、かなり明確な地理的分布の差異がみとめられ、それは双方の担い手の生業のあり方と密接に相関している。円錐形テントは北方ユーラシアおよび北米大陸の内陸山間地域で狩猟に従事した民族が普遍的に利用した住まいであり、一方、竪穴住居は環北太平洋域の沿岸お
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