「梅田萱峯」の検索結果 5件中 1 - 5件表示
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考古遺跡発掘調査担当職員に対する古建築講座
鳥取県が主催する2006年度「課題対応スキル向上事業」として、「考古遺跡発掘調査担当職員に対する古建築講座」がおこなわれ、その講師を担当する。この講座の研修目的は、「遺跡から出土する建築部材や焼失住居等の調査に必要な建築学的知識を習得し、研究成果を高めるための能力を養うこと」である。鳥取県では、弥
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土屋根住居 -3つの焼け方
県埋蔵文化財センターの高尾・大川両君が、琴浦町の梅田萱峯遺跡Ⅰ区SI3・SI6、箆津乳母ヶ谷第2遺跡SI5・SI6の分析図を携えて来室。昨年春から取り組んできた焼失竪穴住居調査の成果を検討するためである。どちらもこちらも年度末で、二人は報告書原稿の執筆に追われている。小一時間ばかり説明をうけたが、
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妻木晩田遺跡大型掘立柱建物模型の搬入
梅田萱峯遺跡・箆津乳母ヶ谷遺跡・坂長下屋敷遺跡の見学では、焼失した竪穴住居跡等を見学させていただきました。その中に炭化材が多く残っている物もあり、茅の炭化したものだと思われるものも見ることができました。はっきりと形があり、茅だとわかるものを見るのは(むしろ、発掘中の焼失住居をみるのも)初めてだった
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伯耆の遺跡漫遊
再び県埋蔵文化財センターの依頼により、琴浦町の弥生建物跡を視察してきた。梅田萱峯遺跡の焼失竪穴住居(中期後半)は通常とは異なる焼け方をしている。一般的には、壁に近くなればなるほど炭化材の残りはよいのだが、この焼失住居では炭化材が中央部分に集中し、壁際ではほとんど残っていない(写真上)。焼土塊も少な
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箆津乳母ヶ谷第2遺跡の焼失住居跡
県埋蔵文化財センターの依頼により、琴浦町の箆津(のつ)乳母ヶ谷第2遺跡焼失住居(弥生後期)を視察した。中央に赤焼土の固まりが堆積し、周辺に炭化材や炭化茅が散在している。調査担当の大川君は、この竪穴住居跡が2時期あるというので、その根拠を問うたところ、いちおう説明はしてくれるのだが、土層断面の観察、平
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