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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

マクタン通信(Ⅱ)

01インストムロス01教会01


イントラムノス

 時間が前後してしまうが、24日、マニラまでもどって1泊した。
 マニラ空港に迎えにきたガイドは、日系2世の女性だった。日本語が非常に上手い。旅行社の正職員で、ユニフォームらしき赤いポロシャツを着ている。年齢は、おそらくわたしとあまり変わらないだろう。フィリピンの首都は健全だと思った。
 ホテルに移動するバスのなかで、どんな寝室を希望するか訊かれた。ツインでも、ダブルでも、セミダブルでも、なんでもご用意できますが、と彼女は問う。いや、一人旅ですから、どんな部屋でもかまいません、と答えた。これは伏線ともいうべき問答である。
 とても豪華なホテルにチェックインし、あてがわれた部屋は17階のダブルだった。昨日までのツインのコテージとは雲泥の差がある。そこで、女性ガイドは真剣な眼差しに変わった。

   「置屋のようなところがあるんです」

 まさか、と思った。そういう場所があることは知っている。しかし、女性のガイドからこの種のお誘いをうけるとは思いもよらなかったのである。

  「あなたは女性ですから、日本の男が置屋に行って妓を買う手助け
   をするのは嫌なんじゃないですか?」
  「いえ、これは仕事ですから。うちの会社では、若い女子社員も
   そういう仕事をちゃんとしています。」

 力強い言いようであった。「仕事」という言葉から分かるように、置屋に入る代金の何パーセントかが旅行社に流れる仕組みになっているのは間違いないだろう。代金は置屋に1万円、妓のチップに5千円だという。

01インストムロス01教会02周辺


 じつは、後日詳報することになるけれども、マクタン島のファクトリーでギターを購入してしまい、すっかり懐が寒くなっていた。

   「すっからかんなんですよ・・・からっぽ、です」
   「なにが、からっぽなんですか?」
   「財布がですよ・・・」

 置屋の件は丁重にお断りした。ガイドは、瞬時、不機嫌な顔になった。例外的な日本人だと思ったにちがいない。
 『地球の歩き方』に、この手のことで、とんでもない被害を受けた例がいくつも出ている。やっかいなことに、ヤクザと警察ができているというのだ。これはガイドも認めた。妓を部屋に連れて帰り、ことに及ぼうとした瞬間、警察官が部屋に入ってきて、買春防止法をふりかざし、20万ペソを請求されたと書いてある。これは極端な例かもしれないが、最後の最後に余計なことをして、マクタン・ビーチの想い出を台無しにしたくない。 

 しばらくシエスタをして、夕方からイントラムノス(後出)をめざした。
 ホテルを出るとき、何名かの白髪の日本人が小柄のフィリピン女性を連れてミニバスから降りてきた。みな堂々とホテルに入ってゆく。なるほど、これか。置屋帰りの殿様たちというわけだ。伽をする女性と、夕食から朝食まで時間をともにするのである。わたしが2時間ばかり前の誘いに同意していたら、この一行と同じバスに乗っていたのかもしれない。ちょっぴり羨ましいと思う一方で、移動方向が真反対である自分に満足を覚えていた。

01インストムロス01教会02路地

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  1. 2011/03/26(土) 23:37:05|
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上海里弄(Ⅲ)

02新天地03路地01


新天地

 「豫園」から三輪タクシーに乗って、淮海中路の「新天地」をめざした。運転手は32歳の若い男だった。「仕事がないんだ」と愚痴をこぼしている。もともと政治経済に興味があり、東日本大地震のこともやけに詳しく知っている。会話は民主党の政治にまで及んだ。

   「民主党の政府はどんなもんだい?」
   「自民党が駄目なことは国民の多くが分かっていて、政権交代がなされたん
    だけれども、民主党もやはり駄目だった。だれもかれもが足の引っ張り合い
    ばかりして、重要事項がなにも決まらないんだ・・・」

 今回の大地震が日本の政治を蘇生させる契機になってほしい、とわたしは話した。震災復興は、与党も野党もなく、挙国一致で取り組まなければならない。大震災復興への取り組みをモデルにして、他の諸問題も同様の手法で解決していってほしいのである。与野党も派閥もなく、適材適所に有能な人材を配し、山積する課題に取り組み、克服していくしかない。これは「大連立」の発想に近いものだ。まかりまちがえば、共産党一党独裁に近い政権になりかねないが、いまドン底にある日本の政治経済を立て直すには、それ以外にないのではないか・・・

02新天地02


・・・などと話しているうちに、三輪車は「新天地」に着いた。そこはフランス租界の「里弄」地区を再開発した、文字通りの新天地である。解放後、租界の里弄住宅群は中国人の居住区になった。里弄住宅は外観上、「石庫門」と呼ばれる石造の門に象徴され、その住宅形式をまた「石庫門」と呼ぶ。「石庫門」という愛称のフランス式長屋住宅が路地のまわりにびっしり軒を連ねていたわけだ。1983年、同済大学の中国人学生に招待されて、石庫門式の里弄住宅で昼食をごちそうになったことがある。狭い都市住宅ではあったが、センスのよい内装の意匠に心を奪われた。

02新天地01泉01

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  1. 2011/03/16(水) 23:55:55|
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上海里弄(Ⅱ)

01よえん01


豫園のスタバ

 豫園商城は上海の中華街だ。中国内にあるのだから、どこだって中華街だと反論されそうだが、上海は中国にあって中国ではなかった魔都である。それは租界のためのメガロポリスであり、都市の意匠は欧風にほぼ塗り尽くされていた。バンド(外灘公園)に「犬と中国人、入るべからず」という立札があったことはよく知られていよう。中国人を排除する植民地都市のなかの狭小なエリアに中華街が存在したのだ。昨日も述べたように、そこは近代以前の老城(old town)であった。ここにいう「城」とは、城壁に囲まれた「まち」のことである。その「まち」は租界都市に埋め込まれた土着的な異端のエリアであり続けた。いまは城壁を失っているが、地割にその痕跡をはっきり読み取れる。

 この中華街、気分転換にはわるくない。が、なにぶん人が多すぎる。店も多すぎる。土産物の趣味が良いとも言えない。小龍包の老舗として知られる「南翔饅頭店」には長蛇の列ができていて、とてもその隊列に参加する気になれない。方池を挟んで右岸にあるスターバックスも人でいっぱい。なんとか橋をわたって、池の真ん中にある「湖心亭」まで行き、ソフトクリームで一休みした。そのソフトクリームは「ほうじ茶ソフト」。日本の製品である。
 
01よえん02スタバ


 スターバックスのことを北京語で「星巴克(シンバーカ)」という。「星」がスターの意訳であるのは言うまでもなかろう。巴克は北京語の発音で「バーカ」だが、広東語では「バックス」に近い音声に変わる。西洋の文化は、なんでも香港経由で大陸に入ってくるので、まず香港で英語の音声に近い広東語の漢字名称が与えられ、それが大陸標準語にもなってしまうのである。たとえば、「麦当労」は広東語では「マクドナルド」に近い音声だが、北京では「マイダンラオ」と読まれる。なんのことだか分からない。
 それにしても、日本人なら絶対に「バーカ」などという名前はつけないだろう。店名が「馬鹿」なんて洒落にもならないではないか。じつは、中国人も「バカ」という日本語を良く知っている。極悪非道の帝国主義日本軍を象徴する二つの言葉がある。「ミシミシ(飯飯)」と「バカヤロウ」だ。かつて日中戦争回顧の映画においては、日本人役の俳優が必ず「ミシミシ、バカヤロウ」という科白を口にした。当然のことながら、それらは共産党による大衆教育のための映画なわけだから、老若男女を問わず、すべての中国人が「ミシミシ」と「バカ(ヤロウ)」を脳の奥底まですり込まれてしまっている。
 だから、わたしは思う。スタバは中国名を変えたほうがいい、と。

01よえん03

 
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  1. 2011/03/15(火) 23:43:35|
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上海里弄(Ⅰ)

01中国地震報道01


中国の大地震報道

 さきほど上海出張から帰国した。
 
 またか、と思った。1995年1月17日、あの呪わしい阪神淡路大震災の日、タイでの国際シンポジウムを終えたわたしはバンコク空港を飛びたち機上で大地震発生の情報に接し、一時着陸したマニラ空港で燃えさかる神戸の街の映像をみた。2001年9月11日はマレーシアのホテルにいた。やはり帰国の日だった。アメリカ同時多発テロ事件勃発の一日である。「これは戦争だ」というブッシュの宣言に、暗黒の未来を予感した瞬間でもあった。
 そして、2011年3月11日。わたしの乗るCA922便は午後1時40分に関空を飛びたち、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生したという午後2時46分ごろ、中国製の淡泊な赤ワインを飲みながら機内でランチをとっていた。もちろん地震のことなど知るよしもない。上海の浦東空港に着陸したのは中国時間の3時(日本時間の4時)前。1時間ばかりで入国手続きを終え、噂のリニアモーターカー(磁浮列車)に乗った。上海を最後に訪れたのは2002年秋まで遡るので、2005年開通の「磁浮」に乗るのは初めての体験だった。最高時速431㎞。龍陽路駅までの乗車時間はわずか7分である。そこからタクシーでホテルに向かい、チェックインして小一時間休息をとった。ここでテレビを点けていたら、もう少し早い対応ができたかもしれない。

 今回の上海行は私費出張だが、研究の目的は「里弄」の視察と決めていた。租界都市上海に特有な路地を「弄(ノン)」と言い、路地を軸としてまとまった小地区を「里弄(リーノン)」と言う。すでに日が暮れていたが、わたしは豫園商城をめざすことにした。豫園(よえん)は上海一帯が租界都市になる以前から街があった「上海老城」の中心的位置を占める庭園で、その修復を同済大学時代の指導教官、故陳従周先生が担当した。豫園のまわりに迷路のように小路がめぐり、その両側にびっしりと店舗が軒を連ねる。厳密にいうならば、これらは「里弄」ではないけれども、路地であるのは間違いない。豫園商城に着いたら、まずは懐かしい「上海老飯店」で上海料理を食べ、それから路地の商店街をぐるぐるまわろうと決めていた。
 豫園をめざすタクシーの車内で、運転手が突然話題を変えた。

  「オウッ、リーベン・デ・ダーディチェン・タァイ・リ~ハイッ・・・アッ!」

 えっ、リーベン・デ・ダーディチェン(日本的大地震)? 

  「日本で地震があったの?」
  「なぁんだ、なんにも知らんのかい。東京で大地震さ。マグニチュード8.9だ」


01中国地震報道02

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  1. 2011/03/14(月) 23:45:45|
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