Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

地鶏無用

20161119あさ



 秋田県大館市の名物は比内地鶏。稲庭うどんによくあうし、蕎麦とも相性が抜群だ。そして今年もまた、比内町の片貝家ノ下遺跡で「奇跡の発見」があいついだ(LABLOG 2G参照)。ところで、わたしは本当に大館まで足を運んで遺跡を観察したのだろうか。じつは、出張のふりをして現地研究者から情報を得ているだけではないか?
 今年度の後期から、出張後の「証拠品」の持ち帰りに厳しい規制が設けられ、9月の教授会で通達された。さらに、出張前には事務局からメールで確認事項が連絡されてきた。以下、引用しておく。
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 出張へ行かれた証拠として、
  ①飛行機の場合…搭乗券の半券 プラス下記のもの
  ②用務地(この場合「大館市」)でのコンビニ等で購入されたレシート等
    …レシートに大館市(店名や住所)と日付がある必要があります。
  ③地鶏写真…大館市と書いてあるもの(電柱標識等)+ご自身が写っている
   必要があります。
 ①+②、かあるいは①+③か、必要となりますので、よろしくお願いいたします。
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161115_秋田さきがけsam



 帰学後、まず秋田の知人から送信されてきた新聞記事(↑)をメールとともに事務局に転送した。
 これはバツ。「証拠品とは認められない」そうです。新聞に日にちが入っていないから、という主張。しかしながら、転送したメールにはオリジナルメールの日付データ(11月15日)が入っているし、新聞記事を読むと、13日に現場公開があり、●●教授がかくかくしかしじかコメントした、と書いてある(14日は休刊日であり、15日に報道された)。これが証拠にならない、というのはイヤガラセでしかない、と個人的には思っている。次に下の写真を送信した。


1013大館01doc



 これもバツである。どこの発掘現場なのか分からないからね。結果、バツ2となって、吉川某孔と並んでしまった。それは冗談として、③の「地鶏写真」とは無茶な要求ではありませんかね。みんなスマホをもっているわけじゃない。わたしたちのように、ガラケーと一眼レフで生きている人間は、どうやって自撮りすればよいのか、方法を教えていただきたいものだ。地鶏棒なんて何の役にも立たないのだから。地鶏不可能な輩は、どなたかに撮影を頼むしかない。理由を説明して撮影をお願いし、笑われた。いちばん上のVサインしているスナップは、知人が撮影した最初の1枚である。これは駄目だね。現場が映らなきゃ意味ないので、撮り直していただいた。まわりにいる研究者たちもみな笑っていた。国立の研究所は私たちより公費出張に厳しいのだが、地鶏要求などされてはいないと後輩は言った。
 取り直したのが上↑の写真である。繰り返すけれども、これでは❌なんです。ちなみに、提出はしなかったが、下左の写真はどうだろう? ニプロの工場が映っている。


1013大館03web 1013大館03竪穴+平屋のパネルニプロ



 左が当日の写真で、右のサムネイルは秋田県埋蔵文化財センターの展示パネル写真である。右にも左にもニプロが映っている。きっと、これでもバツだと言うだろう。しかしながら、「③地鶏写真…大館市と書いてあるもの(電柱標識等)+ご自身が写っている必要があります」という指示に対して忠実に応えるのは不可能だと思われる。まず時間におされている。人の車に乗せていただいているばかりか、同乗者もいる。いったいどこの電柱に「大館市」と書いてあるのだろうか。往きは現場公開に間に合わせるため急いでいるし、帰りは夕暮れで電柱の文字などまともにみえるはずがない。
 ②も面倒くさい。山中のへんぴな場所にある遺跡なので、周辺にコンビニもお店もない。同乗者は大館能代空港をめざしていた。大館能代空港は北秋田市にある。だから、コンビニをみつけたとしても、大館市に所在するとは限らないのだ。今回の場合、途中で立ち寄ったローソンは大館市内にあったから良かったものの、いつもの癖で領収書を捨ててしまいそうになった。

 結果としていうならば、現場公開の冊子とコンビニ・レシートが良しと判断され、わたしは大館市に出張したと認定された。しかしながら、13日付けの現場資料にしても、レシートにしても、レターパックで郵送してもらえば、15日までに大学に確実に届いただろう。

 わたしは本当に大館に出張したのだろうか。秋田魁新報の記事は親しい記者が嘘を書いたのかもしれないね。


20161113片貝現説資料01表 20161113片貝現説資料02裏

  1. 2016/11/22(火) 03:14:10|
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ハイランドパーク

 広島がガンバを4-1で下したゲームが録画で流れている。すでに酔っていた。得手とは言えない畳座敷の宴会で、日常では口にしないアサヒ・スーパードライを何杯も飲んだ。宴席が終わり、ひとり流れて隠れ家に落ち着いたのだが、頭が痛く、水割を飲む気になれない。レモン水を2杯おかわりした。一時間半ばかりそこで過ごし、「頭が痛くて、体調が悪い」ことを口実に店をでた。階段を下りてマークローザに跨ろうとした瞬間、ハニーキッチンの閉店を告げられた。しばらく門前で話を聞いた。
 マークローザで野良猫のように街をうろつく。そのまま帰宅する気になれなくて、馴染みのドアをあけ、大画面の前に腰掛けた。客は二人だけ。もう一人の女性客は、ガイナーレの不甲斐なさを嘆いている。
  「華のある選手がいない。試合がつまらない・・・」

 飲物を決めかねたので、つまみから注文した。ブルーチーズとマーマレード。これにクラッカーがついている。このアテだと、アルコールだな。食後酒と言えば、シングルモルトか。「ハイランド・パーク」の12年を薦められた。スコッチでハイランドというのだから、ブリテン島スコットランドの高地「ハイランド」のことだと店主も客も思っていたが、後で調べてみたところ、そうではないようである。ハイランドパークは、なんと、オークニー島の地酒であり、「北の巨人」と崇敬されている。12年は安価で手に入る。中級の焼酎クラスだ。18年でも伊佐美ぐらいの値段で買える。飲みやすいシングルモルトの代表作で、ロックもわるくないようだ。飲みやすいのが玉にキズという批評もあるかもしれない。

 ちょうどそのとき、ケルト音楽が流れていた。哀愁をおびたケルトではなく、賑やかなお祭り騒ぎのケルトで、なるほどこういう音楽がアメリカに渡ってブルーグラスになったのだろうと思ったものである。最近届いたライ・クーダー『プル・アップ・サム・ダスト・アンド・シット・ダウン』の雰囲気にも似ている。クーダーが少しマイナー調になると、明るいケルトに早変わりするような・・・ただ、クーダーに上等なスコッチはあわない。土の匂いがぷんぷんする(安物の)バーボンに限る。

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  1. 2012/04/14(土) 23:16:50|
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マサラチャイ

 インドから買ってきた上級の紅茶葉はみるみる少なくなっていくが、茶葉がなくなったわけではない。ムンバイのスーパーで仕入れた庶民向けの茶葉はまだ山のようにある。そして、マサラも2箱ある。
 マサラとは何か。ガラムマサラのことであります。では、ガラムマサラとは何か。シナモン、クローブ、ナツメグ、カルダモン、胡椒、クミン、ベイリーフなどの香辛料を磨って調合したミックススパイスです。「ガラム」とは「熱い」という意味。だから、ガラムマサラとは「熱い香辛料」ということでしょうね。インドでは1日5回ほどマサラチャイを飲んでました。
 ここでマサラ・チャイのレシピをお教えしましょうか。

  1)まず鍋の底に少しだけ水を貼って、茶葉を放り込み、そのままぐつぐつ煮る。茶葉は多めにして、濃いぃ濃いぃ茶を煮出します。
  2)適当な、いい加減なところで、牛乳をどばっと注ぐ。まぁ、少なくとも、1リットルパックの半分以上は奉納しましょう。贅を尽くさねばね。ホットミルクのなかで、紅茶のエキスを抽出しているぐらいの感じがいい。それをとろとろ煮込む。とろ火でゆっくり煮込み、ふつふつと緩~く沸騰させ続け、茶葉のエキスが牛乳に出尽くしてしまうぐらいにする。
  3)ここにインド人は、砂糖を大量に放り込みます。あんなにたくさん入れるのは熱帯の茶摘み労働などで失われた水分と栄養分を補給するためです。まともな肉体労働をしない日本人には甘すぎる。小さじ1杯で十分でしょう。まったくのノンシュガーより、ほんの少しだけ砂糖を混ぜるほうが、味に丸みがでます。
  4)そして、最後にガラムマサラを適量ふりかける。これで、完璧なマサラ・チャイの出来上がり。
  5)暖めたミルクポットの口に茶濾しを嵌めて、鍋のチャイを茶葉を濾しながらポットに移しましょう。あとはポットからカップに注ぐだけ。

 香辛料と言えばハーブですが、この週末、ついにハーブの苗を仕入れましたよ。ミント2種、レモンバウム、バジル3苗、フェンネル(茴香)2苗、パセリ、イタリアンパセリの11株を鉢に植えました。
 今年の「茴香」シリーズもお楽しみに!



最近、このアルバム(Take 10)ばかり聴いてます。ポール・デズモンドのアルトもクールですが、ジム・ホールのギターがすごい。ほぼ同時に「スモーキン@ハーフノート(ウェス&ケリー)」も届いたんですが、ウェスのギターはちと耳障りなんだ・・・デズモンドやマリガンやアート・ファーマーのバックを務めるホールは神がかってる。この世のものとは思えません。
  1. 2012/04/10(火) 23:45:30|
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サテンドール(ⅩⅠ)

2012西谷アイ01


パン工房 アイ

 智頭町西谷にパン屋さんがあって、そこの食パンがものすごく美味しいのよ、と教えていただいたのは、昨年の晩秋だったであろうか。アイという名のパン工房で、経営者は神戸からのIターンだというから、触覚がびくびく動いた。
 大雪の冬があけて、ようやく西谷を訪れようとした日、津野ではまた雪が降った。高速(鳥取道)にのらないまま国道53号を南下するのは、いったいいつ以来のことだろう。懐かしい風景の連続に心は躍ったが、あきらかに車量は少なくなっている。活力の衰微を感じないといえば嘘になるだろう。智頭の桜土手に提灯は吊されているけれども、まだ花は開いていない。山肌を彩っているのは梅と三椏である。春はまだ遠かった。
 志戸坂峠の入口にあたる山郷あたりで右に折れる道があり、道路標識はその先に「西谷」があることを告げている。鳥取道開通以前、その標識をなんどみたか分からない。しかし、西谷の谷筋に踏み入ることはなかった。アイという名のパン工房があり、そのパン屋さんの主が神戸からのIターンで、しかも、ジャズ・カフェを併設しているという情報を得ていなければ、ぼくの人生に西谷との接触は生まれなかったかもしれない。

2012西谷アイ04


 南行する国道53号から右に折れて西谷に向かうと、それまでとは違う空気を感じた。風景に差があるだけでなく、過疎の山間地であるにも拘わらず、なにがしらのパワーが運転席に押し寄せてくるような気がした。まもなく石垣を伴う棚田が車道の左右にひろがり始める。「伝えたいふるさと鳥取の景観」百景(2000年)に「新田の石積み畦畔」が選定されていることを後で知った。
 新田は西谷の字名である。わたしの故郷の河原町にも新田がある。西郷地区のいちばん奥地にあり、そこから中学校に通う同級生がいて、苗字を覚えていないけれども、みんなから「新田」という愛称で呼ばれていた。新田は谷筋の最も奥地にあり、その生徒は毎朝4時に起きて、中学校に通うのだと聞いた。奥地にあるから歴史が古いわけではない。新田とは「新たな開墾地」を意味する。周辺の農村より歴史は浅いのである。西谷新田には「新田開拓三百二十周年記念碑」が立っている。参勤交替路であった上方往来沿いの街道集落をのぞく大半の集落は中世起源の農村だが、新田の成立は正保年間(1645年頃)という。


2012西谷アイ10渓流

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  1. 2012/04/08(日) 23:15:26|
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あなうらめしや(Ⅶ)

2012ほんぜん05


本 善

 龍穴と天岩戸の参拝を終えたぼくたちは、宇田松山に向かった。まる一年前に訪れた、あの小路の食堂で夕ご飯を食べたくなったのである。というよりも、この日の夕飯はあの大衆食堂にしようとはなから決めていた。
 今年もまた、夕暮れに松山町に着いた。重伝建の町は、少しだけ修景事業が進んでいる。修景部分は白木のままで、古材との対比が目立った。こういう手法があっても全然わるくはない。そしてまた今年も、「奈良一」で瓜と西瓜の奈良漬けを買った。日田で仕入れた小鹿田焼の壺に入れたい。茶漬けをすするのだ。

2012ほんぜん06


 その後また、ぼくたちは満法寺にぬける小路をめざした。そこに大衆食堂「本善」がある。小路に入って不安になった。本善に灯りがついていない。しかし、扉は開いている。中は暗かった。「ごめんください」と何度か呼びかけると、しばらくしておじいさんがあらわれた。まもなくおばあさんの声もした。コンクリートブロックのインテリアはもちろん健在だ。カーティス・フラーの穏やかなトロンボーンが聴こえてきそうな、やわらかい昭和の空間をコンクリートブロックの障壁が貫く。その不釣り合いな調和のなかに身をおいていると、前衛的なエリック・ドルフィのバスクラリネットがギャア、ギィと唸る。そんな幻聴を捉えたのは、おそらくぼくの三半規管だけだろうが・・・アナログTVのスイッチが入り、ストーブに火が点く。天井の蛍光灯にあかりが灯り、準備万端。ぼくたちは、チキンライスとたまご丼と中華ソバを注文した。10分ばかり待つ。どういうわけか、オムライスと玉丼がでてきた。

  「えっ、オムライス、言わはったでしょ?」
  「いえ、チキンライスだったんですけど・・・でも、かまいませんよ」


2012ほんぜん02


 オムライスも、玉丼も美味しい。横に坐ったおじいさんに質問を投げかける。おじいさんは超然としている。82歳で、すでに50年以上食堂をやっていて、本善は矢野家の屋号で、息子たちは後を継いでくるかどうかさっぱり分からん、と言われた。そうこうしているうちに、中華ソバをおばあさんがもってきた。小さなお椀2杯に分けてくれている。こちらも旨い。上下の写真にメニューが映っているけれども、読めないでしょうね。定番料理ばかりですが、お値段は500~600円のものばかり。こういう大衆食堂が減ってしまったでしょう・・・・ぜひ松山町に来て、本善でお食事を楽しんでください。
 今日はインテリアをどがどかアップしておきます。看板娘(おばあさん)の写真が撮れなかったのが残念でした・・・


2012ほんぜん04

2012ほんぜん03

2012ほんぜん01

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  1. 2012/03/29(木) 23:59:19|
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