砂丘をあちこち歩きまわって廃棄物を集めてきた1・2年生は、その素材のパッチワークで「鯨」を製作した(写真上)。これが鯨にみえるかどうかは、みる側の感性によるであろう。かりにわたしの評価が高くないとしても、マルセル・デュシャンなら絶賛するかもしれない・・・・、ので一方的な評価は慎もう。楽器班は平島が友人から貰い受けたギターのペグをはずして、空き缶ベースに付けなおそうとしている。じつは先週、リファーレンで買ってきた500円のクラシック・ギターのペグを平島がはずそうとしたので、まだ使える楽器の部品をはずすのはよくない、とアドバイスした。そのギターは4409演習室に置かれたままなのだが、音の鳴りが日々よくなっていく。いちばん喜んでいるのは、わたし。バーデン・パウエル気取りで「黒いオルフェ」や「イパネマの娘」を深夜の演習室で奏でては気分転換している。一方、豊岡はパーカッション作り。「ちんどんや」みたいに愉快な複合打楽器の誕生を願うばかりだ。

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- 2005/06/23(木) 20:20:11|
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ブラジルのGKはジダではなく、マルコスだった。もちろん、だから日本が勝てなかったわけではない。試合の入り方が悪すぎた。ゆったりとしてグラウンドをひろく使うブラジルのペースに誘いこまれ、中田英も福西もアレックスも加治も攻めあがってしまい、網にかかって逆襲速攻。日本のゴール前には2ストッパーしかいない。前半、2失点で済んだのは奇跡というほかない。やはりジーコの用兵と戦略に問題がある。ギリシア戦でうまくいったから、同じメンバー、同じシステムでブラジルに挑むというのは無茶な話だ。ブラジルを相手に、ワンタッチかツータッチでパスをつなぐサッカーが出来れば、日本は世界を制するだろう。そうではなくて、ブラジルにワンタッチかツータッチでパスをつなぐサッカーをやらせないようにしなければならないのに、日本のラインはだらだら間延びして、前線でも中盤でもまったくプレスをかけようとしない。何度も繰り返しになるけれども、コンパクトなゾーンの中で3人がかりのプレスをかけるようなサッカーを90分続けないと、ブラジルやアルゼンチンやオランダには勝てない。
しかしながら、大黒様には、またしても脱帽。中村も素晴らしかったが、大黒の得点感覚は本物だ。DFラインの裏へすり抜ける動きも絶妙だし、なんと言っても嗅覚がするどい。そして、切り返しの角度が深い。要するに、ボールを奪われにくい懐の深さだ。
さて、ジーコの選手交替だが、問題は最後の鈴木投入。あの相手、あの時間に鈴木が点をとれると本気で思っているのだろうか。稲本をボランチに入れて、福西をトップに上げ、数分間でもいいからパワープレーを仕掛けるべきではなかったか。
下は、わたしが予想(希望)するW杯本番の先発メンバー。(大黒)としているのは、大黒を後半の切り札にとっておきたいから。監督は・・・・・・
data: 日本2-2ブラジル@コンフェデ杯予選
- 2005/06/23(木) 16:00:43|
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平成16~17年度の科学研究費基盤研究C「大社造の起源と変容に関する歴史考古学的研究」(研究代表者・浅川滋男)により、昨年11月4・5日に鳥取環境大学で第1回シンポジウムを開催した。昨年のテーマは「山陰地方における弥生~古墳時代の掘立柱建物跡」であった。今年度は島根県古代文化センターとの共催で、第2回シンポジウムを開催することになった。内容は神社の成立から歴史時代掘立柱建物の変遷、大社境内遺跡出土本殿跡の復元など盛りだくさんで、日程は9月20~21日の二日間、会場は松江市の「タウンプラザしまね」を予定している。昨年と同様、クローズド形式のセッションで、参加者はオブザーバーを含めて30名程度にとどめたい。オブザーバーは昨年度の発表者を優先するが、希望者は早めにご連絡を! シンポジウムについては、浅川研究室のホームページhttp://misc.kankyo-u.ac.jp/~asax/asalab.htmの「お知らせ」の項も参照ください。
- 2005/06/23(木) 02:04:10|
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天気があまり良くなかったので、残念ながら大山の写真は撮影できなかったのですが、自分もデジカメを使い庭からのいい写真が撮れたので、いくつか載せておきます。季節を感じることのできる庭なので多くの方に見てもらえればと思います。
また、河本家のホームページhttp://hp1.tcbnet.ne.jp/~kawa-393/も開設されたということで、早速お気に入りに登録しようと思っています。(ぴえーる)

- 2005/06/23(木) 01:16:21|
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琴浦町の箆津といえば、昨年調査した河本家住宅のあるところで、今日は少しだけグラビア用の写真を撮り直した。今の学生はデジカメには慣れ親しんでいるけれど、1眼レフはさっぱり駄目だから、ニコンF4を持ち込んで自ら撮影することにしたのである。1台だけでは不安なので、一眼レフの高解像度デジカメも併用した。で、学生たちに言ったんです。「あんなにたくさん撮影して、なんでグラビアに使える写真が少ないのか、というとな、建築に対する愛着というか、建築の理解というか、そういう根本的な素養が足りないから、なにをどうアピールすべきかわからない中途半端な写真ばかりになるんだ!」
こういう偉そうなこと言ってると、ろくなことがない。ばっちり撮ったはずのF4に露出のずれを発見。発掘現場から河本家に引き返し、15枚ほど撮影しなおした。河本家のご主人と奥様には、またしてもご迷惑をおかけいたしました。余談ながら、鳥取とポジ・フィルムの相性はきわめて悪い。今晩出したポジ・フィルムの現像ができあがるのは、来週の火曜日だというのだから。奈良に持って帰ったほうが早く仕上がる??
- 2005/06/23(木) 00:46:38|
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県埋蔵文化財センターの依頼により、琴浦町の箆津(のつ)乳母ヶ谷第2遺跡焼失住居(弥生後期)を視察した。中央に赤焼土の固まりが堆積し、周辺に炭化材や炭化茅が散在している。調査担当の大川君は、この竪穴住居跡が2時期あるというので、その根拠を問うたところ、いちおう説明はしてくれるのだが、土層断面の観察、平面検出とも中途半端なので、わたしは自らガリをもって土を削ってみた。残念ながら、平面・断面とも分層はあいまいで、現状では1時期の可能性も十分あると言わざるをえない。学生たち[岡野・坂本]にもガリの作業を手伝ってもらった。土の違いなどさっぱりわからないという。まぁ、あたりまえさ! このあと近接する梅田萱峯(かやうね)遺跡の焼失住居(弥生中期)もみせてもらった。こちらはあきらかに1時期の円形住居。大きめの炭化材が中央に残っており、主柱穴との位置関係が気になるところである。今後の調査の進展に期待したい。
- 2005/06/23(木) 00:31:23|
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