暑い暑い午後、3・4年とN研のノビタを引き連れて国史跡「鳥取藩池田家墓所」へ。現地では、4年のピエールが昨年までの経過を報告し、続いて県教委の濱田くんに補足説明していただいた。
池田家墓所は、鳥取藩の歴代藩主11代とその夫人、分家にあたる西館・東館の人びとや重臣の一部を集合埋葬する点で、全国でも珍しい大名の墓所であり、昨年度から「平成の大修理」と銘打つ修復整備事業が始まっている。とくに問題化しているのは、墓碑を囲む玉石垣と門の劣化・倒壊。昨年度、修復事業の対象とされた初代光仲墓と澄古(3代藩主養弟)墓を例にとると、前者の玉石垣は昭和49~50年の構造補強により自立しているのだけれども、鉄筋・鉄骨・セメントによる補強部分で石材を破損させており、後者に至っては玉石垣がすでに倒壊して、柱材は横積みになっていた。このように、石造の玉垣は構造がきわめて不安定なので、従前の修復手法を適用しても倒壊を繰り返すばかりであり、なんらかの構造補強を施すしかない。ところが、補強の手法が不適切な場合、それが古材を劣化させる主因となる。したがって、玉石垣と門の健全な修復と構造補強の手法を確立することが急務となっている。
浅川研究室では、昨年11月、光仲墓の緊急測量調査をおこなって立面図と断面図を作成し、破損・亀裂の状況を記録化・分析する「部材カルテ」作りを始めている。赤松大輔の卒論が、この中間報告となった。その後、小型の澄古墓のみ試験的な組み直しがなされ、光仲墓は構造補強の基本方針が固まりつつあるのだが、経費不足のため、きちんとした構造実験ができないのが悩みの種・・・
今年度は光仲墓玉石垣の修復のほか、金三郎央章(東2代仲央二男)墓と清弥(初代藩主七男)墓の玉石垣を解体する。研究室としてはこれらを立体測量し、玉垣変形を3次元的に把握するのが当面の目標で、これについては東大生産研池内研究室に協力を要請することになりそうだ。

~西山の感想~
ジメジメした梅雨の晴れ間の中、研究室のみんなで池田家墓所にいきました。県教委の方や、地元の池田家墓所に詳しい方や、坂本さんの説明をうけました。本当に暑い中、みなさんご苦労様でした。みんなと池田家墓所に行くのは、去年の赤松先輩の卒論の手伝いに1回か2回行っただけで、久しぶりでした。(個人的には何度かあったなぁ・・・)池田家墓所に行く度に、空気がいいなぁと思う。そして、卒業した先輩のことを思い出す・・・。その後、元池田家墓所玉垣の前にあった廟所建築が、近くの集落に移築されているということで、管理人の沖さんの案内で見に行きました。・・・が、垣根の鍵が開かなかったため、表側を見ることができず・・・残念でした。機会があれば、見てみたいものです。
- 2005/06/24(金) 18:42:20|
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