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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

東アジアサッカー選手権始まる

 「鳥取は日本でない」と思ったことがある。たしか3年ほど前、おそらくキリンカップの試合で、相手はメキシコだったはずである。詳細は抜きにして、要するに、日本代表の試合があるというから、夕方、車を飛ばして帰宅したのだが、どのチャンネルをまわしても、サッカーをやっていない。奈良に電話すると、ワイフは「いまやってるよ、6チャンネル!」というから、またしても、チャンネルをぐるぐるまわすのだが、やはり、結果は同じだった。
 こんなはずはない、と思った。この世の中に、自国代表のゲームがみられない地域があるなんて。よくよく考えてみると、鳥取ではニュース・ステーションをみることができない・・・・とすれば、答えは一つしかない。朝日放送(ABC)が試合の放映権をもっていて、鳥取には系列局がないから、試合がみれないのではないか。それでも、おかしい、と思った。なぜかというと、それは、その試合が日本代表の試合だからである。ものすごい視聴率を誇る日本代表の試合なのだから、チャンネル数の少ない地方では、他系列局がせめて深夜にでも放映するのがあたり前だろう。しかし、鳥取のどの局も、深夜に録画放映すらしない。
 あのとき「鳥取は日本じゃない」と心底思った。こんなところには長く住めない。住んではいけない、と心に秘めた?のであった。
 その翌年、大阪ABCのディレクターたちと一緒に中国を旅したとき、この問題について聞いてみた。
 「鳥取には、なぜおたくの系列局がないんですか?」
答えは簡単。
 「鳥取と島根に支局を設置しても、赤字になっちゃうんですよ」

 さて、今日から韓国で東アジア選手権が始まった。放映権をもっているのは、くだんの朝日放送である。コンフェデをフジ&TBSにさらわれたリベンジなのだろうが、世界水泳選手権と抱きあわせで、民放とは思えないほどスポーツばっかし流している(それにもうすぐ甲子園でしょ!?)。で、今日は、朝からいろいろ画策した。ノビタのほか、心あたりにケータイしまくり、なんとか録画の手配だけは完了させた。
 時は流れて、夕方6時半。大学の演習室にいるゼミ生たちに、
 「お~ぃ、だれかケーブルTVもってない?」
と聞いたら、桂木のアパートに住む岡野とピエールがしぶしぶ手をあげた。で、じゃんけんに負けたのは岡野。結果、岡野の部屋で東アジア選手権の初戦をみることになったのである。観戦者はあわせて7名。わたし以外、サッカーに興味のある者はゼロなので、退屈だろうから、食い物と飲み物をあてがった。
 さてさて、問題の北朝鮮戦だが、まともに論評する気にもならないほど凡庸な試合であった。要するに、中田と中村がいないジーコJAPANはこれほど弱い、という現実を素直に受け入れなければならない。まず第一にボランチと小笠原(トップ下)の距離が空きすぎている。これについては、宮本が自らディフェンス・ラインを押し上げ、もっと中盤に指示をださなければいけない。ブラジル戦のコメントでも触れたが、日本はもっと意識してコンパクトなゾーンに3ラインを形成しないと、今日の試合でみたように、ボランチと前線のあいだに大きなゾーンができ、敵の中盤がなだれ込んでくる。普段ならここに中田がいる。中田は敵の攻撃の芽を摘み取り、前線への縦のフィードをいつでも狙っているのだが、今日の日本は横パスをのらりくらり繋ぐばかりで、敵の守備陣形をまったく崩せなかった。小笠原も大黒も不調。中田・中村あっての存在でしかない、と酷評されても仕方ない試合であろう。
 勝ち続けている限り、メンバーを変えないというのがジーコの哲学だが、これでコンフェデ以降、1勝1分2敗の負け越し。メンバーを入れ替えるしかないのではありませんか!?

 
  1. 2005/07/31(日) 23:17:25|
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木造住宅推進協議会講演@妻木晩田遺跡

 昨日(30日)、鳥取県木造住宅推進協議会(木推協 http:/www.tottoriken-mokuzo.com/)西部支部の依頼により米子市の白鳳の里「淀江ゆめ温泉」大広間で、「古代建築の復元」と題する講演をおこなった。天気予報では雨のはずだったのに、空は晴々、気温は上昇、午後2時からの妻木晩田遺跡の視察を終えた段階で、すでに熱射病に近いグロッキー状態となってしまった。そのまま白鳳の里「淀江ゆめ温泉」で、ゆららぁ~の湯ぅ~、といきたいところだったのだが、そんな願いが叶うはずもなく、大山乳業の優品「かぼちゃアイス」を食して気力をふりしぼり、講演にのぞんだ。
 わたしと木推協との交流は、今年の3月5日からはじまった。中部支部長・倉恒さんの熱心なお誘いにより、倉吉で「歴史的建造物の修理」という短い講演させていただいたのである。このときは、古材をできる限り再利用する文化財建造物の修理についてしゃべったのだが、今回は、オーセンティシティやらラスキンやらなにやら持ち出して、むしろ建造物・遺跡の修復整備に関する理論的側面を強調する講演となった。
 言いたかったことは何かというと、要するに、遺跡のオーセンティシティは「遺跡」そのもの、あるいはそれをはぐくんだ「地形」、あるいは遺跡や地形が生み出した「景観」にあるから、大切にまもらなければならないのは遺跡と地形と景観である、それに対して、復元建物にはオーセンティシティがないので、まったく不要だとは言わないけれども、遺跡整備の主役に躍り出てはいけない、あくまで脇役に徹するものでなければならない、ということである。昨年度、わたしたちがイングランドにまで出かけて遺構露出展示の手法を視察し、覆屋の設計に取り組んできたのも、以上のような認識を背景にしているからである(『仮設構法による巨大露出展示空間の創造』2005)。
 米子の「がいな祭り」と日程が重なり、聴講者の数は多くなかったが、松江からは古建築に造詣が深い山村さん(中国ジェクト)、鳥取市河原町の林業試験場からは大平さんが来場された。じつを言うと、次の講演は日本木材学会中国・四国支部2005年度研究発表会の公開シンポジウム(9月9日@鳥取県民文化会館)で、その事務局を務める大平さんが予備視察に来られたのである。シンポジウムの詳細については、後日、ホームページとブログの両方で報告します。

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この素晴らしい景観をまもるためにも、復元建物の数を抑制する必要がある。
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  1. 2005/07/31(日) 15:51:43|
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河本家住宅報告書の刊行

 年度末に入稿しながら、じつに7回も校正をくりかえし、悪戦苦闘の連続だった『河本家住宅 -建造物調査報告書-』が、本日ようやく研究室に納品された。わずか100ページの報告書だが、研究室所属の1・2期生が総力を結集して、調査・分析・作図・編集にあたり、調査から刊行までまるまる1年を費やした。
 琴浦町の河本家住宅は、昭和47年度の緊急民家調査で発見された古民家で、昭和49年3月29日にオモヤとキャクマが県の保護文化財に指定された。その後、昭和53年の屋根替えの際、オモヤの屋根裏から貞享五年(1688)の棟札が発見されている。一般的傾向として、因幡の民家は年代が古いけれども素朴、伯耆の民家は年代がやや新しいが風雅、という対照性を看取できるのだが、河本家の場合、年代は17世紀に遡り、キャクマやハナレの座敷飾り・書院・欄間などの意匠も傑出したものである。また、今回の調査によって、オモヤ棟札以外に、11枚の棟札・祈祷札が発見され、キャクマ、ハナレ、土蔵等、大半の建造物の年代があきらかになった。歴史的学術性と芸術性を総合的に判断するならば、河本家の右に出る民家は県内にない、とわたしは思っている。
 先般、山陰中央新報にとりあげられた鳥取市倭文の旧加藤家住宅の場合、「県市指定レベル」の建造物と評価できるのに対して、県保護文化財の河本家住宅の主要建造物はあきらかに国指定重要文化財の価値を有している。未調査ながら、庭園の文化財価値も相当高く、屋敷の建造物・庭園全体の保全計画を早急に策定すべきであろう。
 わたしたちの報告書では、保存活用計画の叩き台もちゃんと示していて、その目玉は「B&B構想」なのだが、これについては、また別に報告させていただこうと思っている。

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  1. 2005/07/29(金) 23:35:36|
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杉苔のはなし

ご存知の方もおられるかと思いますが「杉苔(スギゴケ)」という植物があります。日本庭園でもよく使われる、スギの若苗のような形をした苔です。
 さて、この杉苔ですが、現在、完成を間近に控えた茶室(盃彩亭)周辺にあるものです。この杉苔はつい先日この場所に移植したばかりのものなのです。すでにブログで紹介もされていますが、今月、24日に研究室の学生五名と浅川先生とで、市内倭文(しとり)の旧加藤家住宅に植栽の移植作業をお手伝いに行きました。移植に伴い庭の一部の地面を掘る際、既に生えていた杉苔を削り取ることとなりました。旧加藤家では、この杉苔が表の庭を埋めるように生えており、庭全体の雰囲気をつくりあげています。しかし、最近は天候が悪いせいか、近接する山で行われている道路工事に伴う影響なのか元気を無くしているようにも思えます。
 その日、削り取らなくてはならなかった部分の杉苔は、その中でも活き活きとした杉苔の残っている場所だったため、このまま削り取るのもしのびなく、よろしければわけて頂けないでしょうかとお聞きしたところ、管理をされているKさんより、快く譲り受けることができました。今思うと、突然のお願いに少し欲張りすぎたかとも思いますが、そんななか、貴重な杉苔を譲ってくださったKさんには一同、本当に感謝しています。
 さて、茶室では、1・2年の学生が、プロジェクト研究「ダンボール大作戦」に関連して、構造実験の講義で使用され廃棄予定であったコンクリートの試験体を用いて「蹲踞(つくばい)」を制作し茶室に置いてくれていたため、その周囲に今回頂いた杉苔を移植することとなりました。杉苔を貼るには、排水の良好な砂質の土がよいと聞き、近くの川に砂を拝借しに出かけ、茶室周辺の土と混ぜて使用しています。頂いた杉苔を移植・定着させる作業は、茶室を建設中だった学生にも手伝ってもらいながら蜩(ヒグラシ)が鳴く山中、スコップを片手におこないました。欲を言えば、この杉苔が茶室周辺に広がっていけばいいのですが、これから水遣りをしながら、じっくりとその成長を見守っていければと思います。[ぴえーる]
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  1. 2005/07/29(金) 18:26:25|
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「盃彩亭」公開の一日

 茶室の公開は午後1時からと決めていたのだが、マスコミ各社にはそれが伝達されていなかったらしく、早朝からTV局2社の取材をうけた。TSKとBSSである。嶋田くんとわたしがカメラにむかってコメントしたのだが、カメラマンさん曰く、「報道されるかどうかは、今日のニュースしだいでして、最後の最後までわかりません」とのこと。

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 午後からは、たくさんの先生と学生諸君にご来場いただいた。教員だけで8名いらっしゃったのだが、こんなプロジェクト研究の発表会をはじめて経験した。おもしろかったのは、AI先生とKM先生で、ひととおり「廃材建築」について紹介したあと、抹茶をふるまう際に、
 「あっ、そのお茶も廃材ですよ」
と言ったら、腰が引けてしまって、しばらく飲もうとしない。しかし、お二人とも勇気をふりしぼって、一気飲みされた。このほか生山のお百姓さんからスイカの差し入れがあり、吉田にステンドグラスの指導をした松田先生も、若葉台在住のご友人と一緒にいらっしゃって、「素晴らしい出来だ」とのお褒めの言葉を頂戴した。
 さて、本日のお点前は、簀子縁に陣取る北野さんで、そのお茶を十倉研の北川さんと菅本さん経由で、お客さまにおわたしした。やはり女性が抹茶を振る舞うと華があっていいですね。これで、浴衣姿だったりしたら、言うことありませんが・・・。
 午後には大手新聞社3紙の取材をうけた。産経、朝日、毎日の記者さんは、みんな汗だくになって茶室に入り、お茶を飲んだり、撮影したり。明日、ちゃんと記事になればよいが。
 18時26分、某所からメールが入った。
  「今テレビ見ましたよー!」
 わたしは返信した。
  「いま、学生とバーベキューです」

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  1. 2005/07/28(木) 23:17:50|
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「盃彩亭」の竣工

 3日ほど外まわりの仕事をしているあいだ、大学に残った4年生たちは「廃材でつくる茶室」の内装・外装仕上げに精をだしていた。本日、茶室を訪れ、ステンドグラスのおさまった側窓をみて、わたしは息を呑んだ。いや、すばらしい出来映えである。結果のだせなかった吉田が、ようやく結果をだした。城間さんのサポートなしにはなしえなかったことだが、それにしても、凄いことである。土間と畳間境の欄間も完成した。2枚のブリキの廃材の間に、焼き入れした割竹を挿入したもので、ブリキには板をはめこみ、上板の表側には「看脚下」、下板の裏側には「盃彩亭」という書を城間さんがしたためた。前者は有名な禅問答の常套句、後者はこの茶室の号である。なぜ、茶室の名前が「盃彩亭」になったのかを説明すると、時間がかかりすぎるので、とりあえず秘密としておこう。要するに、いくつもの掛詞の重ねあわせなんですが。

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  1. 2005/07/27(水) 21:54:14|
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新聞報道のホントとウソ -旧加藤家住宅の場合

 山陰中央新報に旧加藤家住宅(倭文)の記事が掲載された。こういう記事をみると、いつもドキリとする。記者は、生まれもって、物事を大げさに書きたがる人種だから。今回の見出しをみると、
 「江戸中期の古民家残存」
とある。これは正しい。つぎに、
 「鳥取に鳥取藩御殿医居宅」
とある。これも正しい。問題はつぎの
 「国文化財に匹敵」
である。この「国文化財」というのは、ちょっと迷惑な表現だ。大半の読者は「国指定の重要文化財」と勘違いしてしまうではないか。本文を読むと、「国の有形登録文化財」と書いてある。「国指定の重要文化財」と「国の有形登録文化財」はまったく異なる質の文化財であって、前者は選びに選ばれた優品であるのに対して、後者は築後50年を経た建造物で、その所有者が保存の意欲をもっている場合、ほとんど無条件に登録の対象となる。わたしの正確なコメントは、
 「旧加藤家住宅は県市の指定文化財レベルの建造物であるが、登録文化財にするのもよい」
というものであった。それが見出しでは、「国文化財に匹敵」となるのだから、まぁ、びっくりしてしまう。この記事を書いた記者さんはベテランで、非常に信頼のおける方なのだが、この人物をもってしても、こういう大げさな表現になってしまうのだから、いわんやその他大勢をや、と言ったところか。もっとも見出しについては、いつも「デスク」という魔物が介在して修正・誇張してしまうのが新聞の常であり、まぁ、これも困ったものである。
 さて、わたしが旧加藤家住宅について強調しておきたいことは、以下の3点に収斂する。
 1)旧市内730件の歴史的建造物を悉皆的に調査した結果、とくに価値が高いと判断された建造物である。
 2)年代を確定する棟札は残っていないが、家伝・当初の間取り・規模・木柄・材料の風蝕や傷み具合などを総合的に判断して、建立年代が18世紀にさかのぼるものと推定した。
 3)鳥取藩御殿医の家系が住み続けた住宅である。
じつは記事のなかに、もうひとつ間違いを発見した。最後のほうのわたしのコメントで、「・・・・次は調査範囲を旧町村部まで広げて約二千件を調べたい」とあるが、「二千件」ではなく、「千二百件」が正しい。
 
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  1. 2005/07/27(水) 21:23:53|
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妻木晩田遺跡大型掘立柱建物模型の搬入

 梅田萱峯遺跡・箆津乳母ヶ谷遺跡・坂長下屋敷遺跡の見学では、焼失した竪穴住居跡等を見学させていただきました。その中に炭化材が多く残っている物もあり、茅の炭化したものだと思われるものも見ることができました。はっきりと形があり、茅だとわかるものを見るのは(むしろ、発掘中の焼失住居をみるのも)初めてだったので大変参考になりました。また坂長下屋敷遺跡では、数箇所に柱根と思われる痕跡が、発掘経験のない自分でも見分けがつくくらい見事にくっきりと土層に出ていて驚きました。もし自分が掘ってこれらのような物が出てきたらやっぱり嬉しいものなんでしょうね。
 遺跡見学を終えて、すでに午後6時前になっていたが、妻木晩田遺跡現地事務所へ行き、松尾頭地区の大型掘立柱建物MGSB41模型の搬入をしました。私がプロジェクト研究6で製作した24本柱の二面庇付掘立柱建物の1/20模型です。こちらの事務所には昨年、インターンシップで、2週間という短い期間でしたが大変お世話になり、加えてこの模型はなかなか思うように作業が進まず時間のかかった作品だったので、引渡しの際は感慨も一入でした。願わくば、目立ちすぎず、隠れすぎないところに展示していただければ・・・と思います。[利蔵]

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  1. 2005/07/26(火) 20:49:51|
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伯耆の遺跡漫遊

 再び県埋蔵文化財センターの依頼により、琴浦町の弥生建物跡を視察してきた。梅田萱峯遺跡の焼失竪穴住居(中期後半)は通常とは異なる焼け方をしている。一般的には、壁に近くなればなるほど炭化材の残りはよいのだが、この焼失住居では炭化材が中央部分に集中し、壁際ではほとんど残っていない(写真上)。焼土塊も少なく、おそらく全体が生焼けの状態で、垂木尻に近いほうの材は焼けないまま倒壊し、腐朽したのではないだろうか。一方、箆津(のつ)乳母ヶ谷第2遺跡の焼失竪穴住居(後期)は、これとまったく対照的で中央部分に分厚い焼土層が堆積するが、炭化材は少なく、壁の近辺に炭化材と炭化茅が集中している。こちらは焼け方が猛烈に激しく、垂木尻近くまで火がまわったようで、垂木尻直下の土まで硬化していた(写真中)。先日、問題となった1時期か2時期かという問題については、大川くんの主張するように2時期であることはほぼ確定したが、重複関係は非常に複雑で、断面調査を慎重におこないながら掘り下げを進めるように指示した。

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 琴浦から伯耆町に車を走らせ、今度は坂長下屋敷遺跡で奈良時代後半の掘立柱建物跡をみせていただいた。南北棟と東西棟が近接しつつL字形に配置されているが、堀形が大きい割に柱痕跡は15~18㎝と小さい(写真下)。一部に根腐れした柱を据え付けなおしたであろうと思われる痕跡も確認できた。この遺構がどのような用途の建物なのかを担当者たちは質問してきたが、
 「遺構だけで機能を判定することはできない」
と答えた。遺物が極端に少なく、とりわけ建物の機能を裏付けるような墨書土器や木簡は1点も出土していないのだから、安易な解釈は導けない。ただ、遺物が極端に少ないということは、生活の匂いがないということだから、居住施設説にとっては不利に働くだろう。いずれにしても、あまり過大な評価を下すべきではないし、それを期待してもいけないだろう。

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  1. 2005/07/26(火) 20:38:26|
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旧佐治村指定建造物の調査

 先週の下見調査に引き続き、本日、佐治町の旧村指定文化財(現・市指定文化財)建造物の第2次調査をおこなってきた。加瀬木の笹尾神社薬師堂を浅川、阿部、大城、奥田、高山の林泉寺山門を宮本、西垣、河田、森川、吉村が調査した。笹尾神社の境内には、本殿・拝殿・お籠もり堂のほか、江波から移築された福善寺の薬師堂と鐘楼が建っている。薬師堂は3間四方の密教系仏堂で、安政二年(1855)の改築(移築?)とされる伝承を残す。向拝や内陣の絵様をみると、幕末よりも古い様式を示しており、建築年代は18世紀にさかのぼるであろう。よくみると、内陣の来迎壁に棟札類が3枚打ち付けられており、これを裏返すことになれば、おそらく再建の年代を確定できるので、後日、棟札調査をおこないましょう、と氏子総代の一人、木村さんにお願いした。
 鐘楼は年代を示す絵様や彫刻がまったくないので、いつの建立なのかは不明だが、材が薬師堂と同じケヤキで風蝕の度合いも近似している。薬師堂と一括して移築されてきた可能性が高いように思われた。拝殿・本殿もなかなかの作品。おそらく幕末~明治初の建立で、本殿は千鳥破風・唐破風付き入母屋造の軒下に禅宗様の三手先を配する宮殿(くうでん)型。覆屋のなかにあって、保存状況も悪くない。

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 さて、学生と一緒に調査に行くと、結局、わたしがいちばんこきつかわれる。こきつかっているのは誰かというと、結局、わたしなのだから、これはどうしようもない。とくに3年生の演習は絶望的で、実測のスピードは遅く、間違いも多く、計り漏れも少なくないのだが、それを細かく指導しているだけの余裕がない。1ヶ所で調書を3~4枚取り、デジカメとF4で写真を撮影しまくり、合間を縫って学生の図面をチェックしていると、いつしか頭も体もふらふらしてくる。そんな折り、「お腹が痛い」と言い出す学生まであらわれた。フィールドワークの慣例に従い、
  「森のなかに行って、野糞で済ませろ」
という指令を下したところ、
  「そんなこと、したくありません」
と反論するので、
  「いったいわたしが平城宮跡で何度やったか、西安の高速道路の側溝ですらやってことがあるんだぞ」
と説得をくりかえすも、敵もなかなか頑固で譲らず、仕方がないから、自動車に乗せて近所の診療所のトイレまで連れていき、帰りの車内で正露丸をのませた。

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 そうこうしているうちに、午後5時になった。4時間の調査成果は、平面図2枚、断面図1枚、屋根伏図1枚。林泉寺に移動すると、宮本グループはまだ鐘楼門(山門)を計っている。こちらは女子学生軍団で、宮本はせっせと彼女たちを指導しているが、西垣の書いた調書は真っ白けで、そのブランクを埋めたのは、もちろんわたしである。この山門は梵鐘鋳造の元禄初年(1688)と同時期の建立と推定されている。積極的な根拠は乏しいけれども、虹梁の絵様は丸みを帯びて古式を示し、2階の火頭窓は幅広で中世的な匂いもする。指定の2年前にあたる昭和51年には、村大工により解体修理がなされており、このとき小屋裏に筋交状の補強材が加えられた。ところが、その上に「棟札」と墨書された箱が打ち付けてある。薬師堂とあわせて、林泉寺でも棟札調査をおこなわせていただきたい旨、ご住職にお願いした。
 帰路は、高山から津野、津無に上がって、河原町の神馬(かんば)にでた。このあたりの風景がとても好きだから、夕暮に車を走らせたかったのである。
 夏の佐治は美しい。

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  1. 2005/07/25(月) 21:44:57|
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主人口完成!

茶室の主人口をどうするかずっと検討中だったが、ついに太鼓襖にする事に決まった。作業に取り組むも、白い紙をどうするかという問題が浮上。結局、浅川先生の案で模型材料で余ったスチレンボードを貼ることになった。しかし、もともと余った材だったので継ぎ接ぎだらけで見た目が良くなかった。そこで、以前頂いた和紙を貼ることになったのだが、これがなかなか見た目もよく、ついに念願の主人口が完成した。[吉田]

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  1. 2005/07/24(日) 23:39:09|
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旧加藤家住宅での支援活動

 快晴の日曜日、市内倭文(しとり)の旧加藤家住宅で、ちょっとした力仕事があったものだから、研究室の6名で支援活動をおこなってきた。支援活動は調査・研究活動と同等の比重があり、両者は相互補完的な役割を担うべきなんだ、と、常々わたしは学生たちに言っている。従来、フィールドワークを前提とする研究領域(民俗学・人類学・考古学・建築史等)にあっては、「調査する側」がほとんど一方的に「調査される側」を情報源としてデータを搾取し、論文や報告書を著すことによって、自らの地位を向上させてきた。このままでは、「調査される側」にほとんど何の恩恵もない。だからこそ、「調査する側」から「調査される側」への支援活動が重要な意味をもつ。たとえば、4月の河本家住宅(琴浦町)の場合、民家公開に先立つ屋敷地の清掃に参加させていただき、今回の旧加藤家では植栽の移植を研究室メンバーがおこなった。こういう支援活動によって、「調査する側」と「調査される側」に融和がうまれ、「地域密着」と呼ぶにふさわしい研究拠点が現場に形成される。わたしは、勝手ながら、こういう関係を築きあげた研究対象家屋等を、フィールド・サイトと呼ぶことにしている。
 さて、倭文の旧加藤家住宅は、昨年度の委託研究「鳥取市歴史的建造物等のデジタル処理による目録・地図作成」によって、旧市内に所在する約700件の歴史的建造物を調査するなかで発見された希有の建築遺産である。今は空き家となっているが、鳥取藩御殿医の旧居であり、その建築年代は18世紀にさかのぼる。外観は茅が葺き下ろされ、トタン葺きに変わったため、多少味気ない感も否めないが、オクノマ(座敷)から縁を通してみる池庭の風情は絶品である。鳥取藩御殿医の旧居という由緒に加え、建築年代の古さ、座敷や庭の芸術性を総合的に判断するならば、県市クラスの指定文化財、あるいは国の有形登録文化財となっても、なんら不自然ではなく、所有者・管理者の方も文化財としての指定・登録を強く願っている。
 浅川研究室では、昨年度までに数度の調査をおこない、このたびその調査成果と再生計画を公刊した(『GPS&デジタルカメラによる鳥取市の文化財建造物MAP作り 付録:旧鳥取藩御殿医住宅の再生計画 Reversible Rehabilitation 』2005)。空き家を管理するKさんは、この報告書の刊行をいたく喜ばれ、このたびも追加で10冊お渡しした。保存の意欲、ますます高揚の一途にあるその一方で、不同沈下による軸部の傾斜やトタン屋根の雨漏りが深刻化している。県市の担当部局による適切な行政措置の遂行を切に願う次第である。
 下は、お昼弁当とおやつを頂戴しているシーン。ケヤキ板の縁に腰掛け、庭と借景を望みながらいただくお弁当の味は最高である。これ以上の贅沢はない。昔はみんな、こういう空間をもっていたのに、いまはそれを失って、失った空間の大切さに気づかなくなっている。残る晩年、なんとかそれを取り戻したい。

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  1. 2005/07/24(日) 23:16:18|
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茶室の記事、再び

 この週末は奈良に帰らないことにした。ただただ、忙しいからである。もともと自炊というか、料理が大好きなのだけれど、最近は自炊する気にもならない。それほど時間が足りないのであって、また今日も外食。土曜夜市の準備をしている若桜街道の「あづま蕎麦」まで自転車にのっていって、いつもの釜揚げを注文した。そこで、昨日の新聞をみせてもらうと、きっちり茶室の記事がでている。すでに3月の段階で、3紙が「廃材でつくる茶室」を取りあげてくれた。このときは、1期生の岡村が数寄屋大工修行のために上洛する直前で、ニュース・バリューが高かったようだ。しかし、その段階では茶室は竣工しておらず、春から内装工事を進めてきたのだが、それもようやく完成の目途がたった。今回の記事では、まだ茶室中心の叙述がなされていて、ステンドグラスなどの建具は脇役扱いだが、こんどマスコミに登場する際には、必ずや「廃材でつくるステンドグラス」が主役に躍り出るだろう。各社、準備お願いします。
 大学に新聞をもって帰り、スタジオでステンドグラスのハンダ付けをしている吉田にみせると、たいそう喜んだ。写真に映っているのは西山と利蔵だが、実名入りのコメントが掲載されているのは吉田である。
 なお、茶室を含むステンドグラスや行灯などについては、以下の日程で公開する。会場は、環境大学クラブハウスの中庭と裏山。

  7月28日(木)13:00~16:00 プロジェクト研究「ダンボール大作戦」発表会
  8月6日(土)13:00~16:00 オープンキャンパス公開(含ツリーハウス)

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  1. 2005/07/23(土) 15:34:47|
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最終講義を終えて

 今朝はもっと早く出勤しようと思っていたのに、目覚めたら、あらっ、という時間で、3限の「地域生活文化論」の最終講義になんとかすべりこんだ。最終講義といっても、ただの最終講義ではありません。4年生(2期生)に対するわたしの最終講義であって、今日のテーマは「日本民家の座標」。「地域生活文化論」では、中国漢族の民家を皮切りに、周辺地域の少数民族住居等をスパイラルを描くをように観てまわり、最後に日本にたどりつくという設定で、今日がその最終回。世界史的といえば大げさだが、アジア史的な視点から日本民家の位置づけを語ろうという目論見があるものだから、いつもより長くしゃべってしまい、学生のレポート時間が短くなった。でも、まぁ、許してください。いちおう、わたしの最終講義、そして君たちの最終レポートなんだから。
 自分でいうのも何なんだけれど、この講義は結構人気があって、「浅川先生の講義ではいちばんおもしろかった」と授業評価に書いてくれた学生もいる。4年の展開科目であるにも拘わらず、履修登録者総数90名、就職活動が頻繁なこの時期に、常時60名以上の出席があり、今日は70名の学生がわたしの最終講義を聞いてくれた。いや、感激しています。2期生のみなさん、ほんとに、ありがとう。
 さて、この講義が終わるころ、携帯のブザーが鳴った。S紙のO記者が、すでに教授室の前で待っているという。何を隠そう、今朝、遅刻しそうになったのは、昨晩、この人と飲み過ぎてしまったから。途中から某国営放送のデスクまで加わって、新装開店のお店に入り、またしても、飲んではしゃいだのであります。今日、Oさんが来学したのは「ダンボール大作戦」の取材のため。修復建築スタジオでステンド・グラス、クラブハウス前でダンボールハウスと楽器、茶室で太鼓襖作りをじっくり取材していただいた。
 これが終わると、こんどは夕方から大学院の授業。西村幸夫氏の大著『都市保全計画』(東京大学出版会、2004)を3人の大学院生と読んできて、1学期が今日でおしまい。本文819ページ中やっと245ページまで達した。年度末までに完読できるだろうか。じつは3人の大学院生のうち、田中成一君(1期生)が7月末をもって本大学院を退学し、地元鹿野の工務店に就職することになった。その工務店は鹿野の町並み保全事業とも深く関わっているとのことで、「頑張ってほしい」と激励した。鹿野はおもしろい城下町だ。県内有数の城下町である。規模はともかく、その景観の質に鳥取は脱帽せざるをえない。鳥取の町並みには、すでに城下町の残り香すら失せている。

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  1. 2005/07/22(金) 00:03:36|
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旧町村文化財建造物の下見調査

 今年度採択された「知の財産」プロジェクトとの係わりで、鳥取市に合併される以前の町村指定文化財建造物を対象に調査をおこうことになり、その下見をおこなってきました。市役所文化財室の山田さんのご案内で、研究室からキム、西垣、宮本、河田が参加し、旧佐治村の笹尾神社薬師堂(写真上)と林泉寺鐘楼門(写真下)、旧用瀬町の東井神社、三角山神社を視察しました。三角山には浅川ゼミのメンバーだけで登りました(山田さんは仕事の関係で帰庁)。一度めの実測は佐治村の2棟が対象となり、3年生の演習(プロジェクト研究5)をかねての調査になります。下見にこられない3年生にどういった物件を実測するのかを知ってもらうため、簡単な調書をとり、写真を撮影しました。私は、今まで一人で調書を書いたことなどなく、浅川先生がいない状況での作業も初めてで、きちんとした記録が書けたのかとても不安でした。また、下見を続けていて、浅川先生の指示がなければあまり動けない自分がいることに気付き、まだまだ勉強が不十分な物だという事がわかりました。これからは、進んで自分から勉強をし、少しでも建築について詳しくなれるように精進しようと思います。
 最後になりましたが、下見に付き合っていただいた皆様、ご協力ありがとうございました。[西垣]

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  1. 2005/07/20(水) 21:45:06|
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回転流し笹うどん

 梅雨があけて、連休も終わり、猛暑のなか、車を走らせた。河本家の報告書が先週校了したので、今日はあせる必要もない、と出発時間をいつもより2時間遅らせたのが、間違いだった。ひむろ蕎麦に着いたら、17:08。すでに駐車場の入口に縄が垂らされている。蕎麦が売り切れてしまったのだろうか。
 そのまま車を走らせ、久しぶりに戸倉峠の流し素麺を食べることにした。例のプラスチック製容器の回転流し素麺である。しかし、今日は素麺ではなく、笹うどんを容器に流し込んだ。笹うどんは道の駅「波賀」でも、ざるうどんにしてくれるのだが、キュウリの千切りをトッピングするところが最悪で、戸倉峠の流し笹うどんに遠く及ばない。そもそも、キュウリは人類の食材ではなく、コオロギやキリギリスの食い物でしかないのだけれども、千歩譲って人類の食材であるとしても、うどんとの相性は決してよくない。だから、ざるうどんの上にキュウリの千切りをのせるのをやめなさい!
 それにしても、この流し素麺の容器、ちゃちでしょ。じつに子どもっぽい仕掛けなのだが、否、子どもっぽい仕掛けであるからこそ、たまには食べてみたくなるのです。
 それからまた屋外のデッキにでて、今日は「伊和のかき餅」をおやつにしつつ「七色の亜茶」を飲んだ。なんだか知らないが、妙に心が落ち着く。ひぐらしの蝉時雨を聞きながら、目の前に映る夕暮れの山並みをみているだけで、癒されてしまうから不思議だ。

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  1. 2005/07/19(火) 21:14:38|
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マスコミ初登場の大社本殿CG

 某新聞社に就職内定しているノビタが、その地方新聞の文化欄に出雲大社巨大本殿の復元パースが出ている、とメールで奈良に知らせてきた。下に、その記事を転載する。これは、ノビタが務める予定の地方新聞の記事ではなく、共同通信社の配信記事であることを、もちろん、わたしは知っている。6月の初め、共同通信松江支社のTZ記者が、報告書に掲載されているわたしの復原パースを使わせてくれないか、と依頼してきたのだが、正直、どうしようかと悩んだ。まず第1に、わたしの復元案は古代出雲歴史博物館(平成19年開館)に展示する1/50スケール模型のために現在進行形で変化しつつあって、古いバージョンを世間の目にさらすことがためらわれた。しかも、その古いバージョンでさえ、これまでマスコミに公開しておらず、今回が初登場になる。まぁ、突っぱねてサービス不足と思われるのも癪だから、いちおう出典明記の条件で了承した。下の記事では、CGを担当したキム・ドク(別名タイガー戸口)の原図を、新聞社のデザイナーが漫画チックに編集している。
 新聞記事に掲載されたことは、可もなく不可もない、と言ったところだろうが、記事の内容がいただけない。3本柱が出土した5年前ならいざしらず、正直、まだこんなレベルの記事を書いているのか、と呆れ果ててしまった。あのころはわたしも総高16丈(48m)説の可能性なきにしもあらず、と思っていたが、実際に復元設計に取り組んでみると、総高36~42mぐらいで限度というのが偽らざる本心である。これより低かったという人もいれば、やはり48mだったという人もごく少数いるから、諸説の代表選手を集めて9月20~21日にシンポジウムを開催する(7月12日のブログ参照)。まだ、オブザーバーに余裕があるので、松江在住のTZ記者もシンポジウムに参加し、いま一度記事を書き直されるがよかろう。

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  1. 2005/07/19(火) 19:52:41|
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妻木晩田遺跡をめぐる講演会(7月30日)

 鳥取県木造住宅推進協議会の依頼により、7月30日(土)に今年度最初の講演会をおこなうことになりました。演題は「古代建築の復元」。当日、午後2時より妻木晩田遺跡を視察し、午後4時から白鳳の里「淀江ゆめ温泉」大広間にて講演します。問い合わせ先は、鳥取県木造住宅推進協議会技術研究委員の小田原勤さん(有限会社小田原工務店)まで。
 Tel:0859-33-1036 Fax:0859-33-1387 Email:home.no1.odahara@gol.com
  1. 2005/07/18(月) 11:00:57|
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廃棄物で何をつくるか -後期のプロジェクト研究2&4について

 鳥取環境大学1・2年生のみなさん、前期の「ダンボール大作戦」に続く後期のプロジェクト研究(浅川ゼミ)は

  「廃棄物で何をつくるか -リサイクルとアートの接点-」

です。昨年度前期の「ツリーハウス(樹上住居)」、後期の「茶室」、現在進行中の「ダンボールハウス」「カマド」「行灯(あんどん)」「ステンドグラス」「楽器」、そして即興性の高いコラージュ・アートの「スパイダー・フォーミュラー」や「鯨」など、いろんな実験をしてきました。それらの作品については、このブログをめくっていただければ、たくさん紹介しています。とくに茶室とツリーハウスについては、研究室ホームページ http://misc.kankyo-u.ac.jp/~asax/index.html も参照してください。学生の自由な発想で、自由に作品を製作し、リサイクルの可能性を模索しましょう。1・2年生合同で木曜4限に演習をおこないます。

  1. 2005/07/18(月) 04:39:57|
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旧加藤家住宅 再訪

 3年後期にオカノヤスユキ君と共にプロジェクト研究6/環境デザイン演習4で取り組んだ倭文の旧加藤家住宅の再生計画(浅川研究室HPの「浅川研:1. 中山間地域の活性化と民家集落の再生」を参照)の成果物『GPS&デジカメによる鳥取市の文化財建造物MAP作り -附録 Reversible Rehabilitation: 旧加藤家住宅の再生プロジェクト』を空家を管理されているKさんにお届けした。このため、約8ヶ月ぶりに旧加藤家住宅を訪問したのだが、Kさんによると、家屋の傷みが進んでいるとのことだったので、調査(写真撮影)も兼ねておこなった。旧加藤家住宅は2003年の調査ですでに一部の柱が3度以上傾斜しており、緊急の解体を要するレベルだったので、現状がどうなっているか心配だった。柱の傾斜が進んでいるかは、はっきりとは分からなかったが、シロアリ・雨漏りなど色々問題が生じていた。
 旧加藤家住宅は現在、文化財指定はされていないが、文化財的価値が高いので、もとの状態に戻せる Reversible Rehabilitation という再生計画を試みた。Kさんはこのパンフレットにいたく感激され、後日、浅川教授に丁寧なお電話をかけてこられたという。大学や行政が支援するかたちで、旧加藤家の実現がなされることを切に望みます。(ミヤモト★マサタカ)

旧加藤家住宅 内観

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  1. 2005/07/17(日) 22:07:35|
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勝てない女子バレーをめぐって

 女子バレーが勝てない。オリンピックの頃に比べると、TV映りのよい選手をそろえているのだけれども、チームが強くなっているとは言えないようだ。そういえば、ウィンブルドンでもシャラポアが勝てなかった。やはり、プロレスや大相撲のようには行かない。とくにプロレスの場合、トーナメントというよりも、興行すなわちエンタテイメントとしての側面が重視されるので、勝つべきエースはきっちり勝ち、大穴の超新星が優勝したりしないと、お客は興奮してくれない。かりにテニスに興行主がいると仮定した場合、その興行主にとってみれば、シャラポアを負かしたビーナス・ウィリアムスは犯罪的な選手でしかないであろう。なぜならば、全世界10億人ぐらいの男性が、決勝でセンターコートに立つシャラポアの姿を期待していたのだから。実際、ダベンポートとビーナスの決勝には華がなかった。ウィンブルドン史上最長の決勝戦で、まれにみる熱戦であったことは事実だが、TVの視聴率は高くなかったはずである。
 サッカーの場合、ホーム・チームが圧倒的に強い。これは「八百長」ではない。サッカーではホーム&アウェーの2試合合計でトーナメントを争うので、アウェーの試合で引き分けを狙い、ホームでは勝点3の勝利をめざす。なぜ、ホーム・チームが強いのかと言えば、それはサポーターの力によるところが大きい。北朝鮮におけるイラン戦、アジア杯における日本戦などは、このサポーターの力が「圧力」や「暴力」にシフトアップしたケースである。コンフェデを例にとるならば、日本は2大会連続で予選敗退しているが、4年前の日本開催トーナメントでは、きっちり決勝に進出した(決勝ではフランスに0-1で惜敗)。チームの実力が向上していなければありえない成績ではあるけれども、ホームの磁場という条件を抜きにしてはなしえなかった成果であるとも言えるだろう。
 女子バレーの場合、アテネ五輪の最終予選を日本で開催し、圧倒的な強さをみせた。たしか、ロシアに1敗しただけの1位通過だったと記憶する。この点はコンフェデにおけるサッカーの状況とよく似ている。ところが、以後の日本は負けっ放し。アテネでの惨敗ぶりは、日本国民をおおいに落胆させた。今回のワールド・グランプリ決勝にしても、ホームでの開催にも拘わらず、現段階では、まだ1勝しかしていない。1年前にはホームで勝てたのに、今は勝てない。あのとき、何故あれほど勝てたのだろうか? 要するに、あれは興行だったのではないか、と勘ぐりたくなるほど、今の日本は負けすぎているのだ。
 こうなると避けてとおれないが、柳本監督の進退問題である。たしかに柳本監督は、日本女子を何大会かぶりにオリンピックに出場させた。しかし、オリンピック本戦を含め、その前後のトーナメントで好成績をまったくおさめていない。サッカーの監督ならば、「更迭」の対象となってもおかしくない状況にかれは置かれている。TV視聴者は、柳本監督を「日本を再生させた名監督」だと錯覚しているのではないだろうか。よく考えてみれば、柳本は大松でもなく、山田でもなく、セリンジャーでもない。わたしが主張しておきたいことは、ただ一つ。バレーやラグビーも、そろそろ外国人監督の雇用を検討すべきときではないか、ということである。オフトやトルシエやジーコが最適の選択であったかと言えば必ずしもそうではないだろうが、外国人監督の継続的な登用により、日本サッカーは着実に世界レベルに近づいている。バレーやラグビーやバスケットも、そういう時代に踏み込んでいかざるをえないのではないか。

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  1. 2005/07/17(日) 14:55:13|
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播磨一宮とオオクニヌシ

 奈良への帰途、播磨一宮の伊和神社に立ち寄った。この神社の前を通るたびに、叢林の規模に驚嘆していたのだが、境内に足を踏み入れるのは初めてのことである。昭和44年の調査に基づく境内の案内板によると、伊和神社境内地の面積は53,218㎡(16,098坪)に及び、目通り廻り60㎝以上の境内御神木は、杉563本(外周3m以上の大杉84本)、桧200本、榊326本、樫415本、その他1650本余りを数えるという。この叢林に囲まれて3棟の社殿が軒を連ねる。後ろ側の2棟は組物がいずれも尾垂木付きの二手先で、虹梁の絵様や木鼻からみて幕末か明治初期の建築であろうと思ったのだが、案外、擬古作の昭和建築だったりすることもあるので、いま一つ自信がない。社務所にて1枚50円の「由緒略記」を注文した勢いで、ご住職にいろいろ質問した。
 「あの3棟は、前から絵馬殿、拝殿、本殿なんですか?」
 「いや、拝殿、幣殿、本殿です。幣殿はもとは総神殿と言ったんですけど。」
 「本殿の御祭神は大己貴神(オオムナチノカミ)ですね。オオムナチは出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名でしょ?」
 「いや、オオムナチは国造りの神の総称でしょうね。本殿にオオムナチを祭っているんですが、総神殿(幣殿)には播磨国一縁16郡の神々と少彦名神(スクナヒコノカミ)と下照姫神(シタテルヒメノカミ)を祭っているんです。普段の祭りは幣殿でおこなうんです。ご本殿の御扉(みとびら)を開けるのは、61年目毎の甲子(きのえね)の年におこなう『三つ山祭』だけです。」
 「3棟はいつ建てられたのですか?」
 「坂本龍馬が脱藩したころでしてね、前の絵馬殿から建てて、一番後ろの本殿が竣工したのが安政5年(1858)の2月でした。」
 気になったのは保存問題である。拝殿内部をはじめ、境内のあちこちに、「殿舎修造のため、浄財の御寄進をお願い致しております」という札が立ててあった。聞けば、播磨一宮でありながら、文化財建造物としての指定はなされていない。国や自治体から補助金がでないわけだから、「殿舎修造」はいきおい寄進に頼らざるをえないわけだ。ここにいう「修造」が屋根葺き替え程度の修理であるならば、たいした問題にはならないだろうが、本体そのものの改築に及ぶ場合、文化財としての価値を喪失させる可能性が生まれる。兵庫県のヘリテージ・マネージャー制度は、こういうケースに効力を発揮するのであろうか。

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  1. 2005/07/16(土) 23:32:11|
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「モダン都市」展と樗谿神社

 鳥取市歴史博物館の特別展示「写真でみるモダン都市」を3・4年ゼミで見学した。城跡の視察でいつもお世話になっている佐々木さん(館員)に、ここでも懇切丁寧な説明をしていただいた。皇太子ご成婚を記念して大正15年に刊行された写真集『因幡の栞』から、鹿野街道、智頭街道、若桜街道、川端通りの建築物を抜粋してとりあげた展示で、80年前の鳥取にはかくもおもしろい近代和風建築や擬洋風建築や町家があったことに驚かされた。このような宝の山のような建築物が、いかにして鳥取市街地から消えてしまったのか。災害だけでは、おそらく説明がつかないはずであり、それ以外のプロセスについて調べてみたくなった。
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 企画展見学後、学生たちには自由に展示をみる時間を与えたのだが、わたしと西垣だけは市の山田さんと打ち合わせした。県の「知の財産」事業で採択された研究「市町村合併にともなう文化財の地域問題」の手始めに、旧町村文化財指定の建造物を調査しようとしており、まず候補に上がっているのが佐治町の笹尾神社薬師堂。来週前半、4年生有志と山田さんで用瀬町と佐治町の旧町村指定建造物4ヶ所を下見し、下旬になってから3年生中心に実測調査をおこなうことになりそうだ。
 博物館の常設展を堪能したあと、雨のなか、樗谿(おうちだに)神社に向かった。今日の資料準備とプレゼンは、4年の河田さん。昨日、下見に来たらしく、夜はバーベQ大会にも参加せず、ずっと資料を作っていた。雨が降っていたので、河田さんは唐門の軒下で発表し、他の学生は幣殿の軒下でそれを聴いた。さて、「因幡東照宮」ともよばれる樗谿神社ではあるが、河田さんの資料を読むと、上のほうに「権現造(ごんげんづくり)」と明記しているにも拘わらず、下のほうでは「権現造とは多少異なっている」とも書いていることに気づいた。
  「結局どうなんだ?」
と問うたところ、
  「権現造だが、多少異なっている」
と彼女は答えた。まぁ、これでも間違いとは言えない。しかし、わたしは、
  「権現造ではない」
と説明した。本殿と拝殿が別の区画にあって、石の間(相の間)はなく、その代わりに幣殿を拝殿の裏側に突出させているだけだから、お義理で権現造に似せようとした社殿という感が否めない。
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 樗谿神社は、慶安3年(1650)、鳥取藩の初代藩主・池田光仲によって創建された。昨年、池田家墓所で、玉石垣・門の実測をしたのが光仲の墓であり、神社の本殿も南田石の玉石垣で囲まれている。そして、唐門には創建当初の板の門扉が残っている。光仲墓の門扉もこのように派手なものだったのか、もっと素朴なものだったのかわからないが、かりに門扉を復原するとなれば、樗谿神社唐門がまず最初に参照すべき例である。ところで、不思議なことに、本殿の玉石垣はあまり劣化していない。墓所とおなじ材料、同じ構造なのに倒れもせず、傷みもせず、どんなマジックを使っているのかと思案にくれるのだが、柱材を頻繁に差し替えているのだろうか。
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  1. 2005/07/15(金) 20:31:37|
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韓国大学生、茶室に来訪

 「韓国ハンリム大学生ホームステイ事業」の一環で日本にホームステイをしていた韓国大学生(10人)とフィンランドの高校生(1人)の方々が環境大学との交流会で大学を訪れる事になりました。そして、学務課とスタッフの話し合いで茶室を案内する事になり、案内役をさせて頂きました。話がきた時はかなり不安でしたが、皆さんは主に日本学科の方で多少は日本語を話せると知り安心しました。そして当日、天気は生憎の雨でしたが、茶室に興味をもってくれ、茶室を触ったり色々眺めていました。交流会の一面に参加でき、とても貴重な経験ができました。[吉田]

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  1. 2005/07/15(金) 20:15:01|
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カマドおこしのバーベQ

 昨晩の買い出しの際、バーベQ用の金網を買うのか買わないのか、で議論が分かれた。修復建築スタジオの周辺には金網がいくつか転がっているので、使えないことはないのだが、みんな錆びている。だから、学生たちは新しい金網を買いたそうなんだけれど、リサイクルをテーマとしている研究室が古い金網を捨ててどうするんだ、とわたしは主張し、結局、金属のタワシを2つ買って帰ったのであった。で、今朝11時から、岡野は金属タワシで錆びた金網3枚を磨き続けたという。じつにきれいな金網が再生された。
 さて、昨日のブログで「極上の牛肉を食べよう」と書いたのは真っ赤な嘘で、今日の買い出しでは牛肉は2パックだけ。豚肉、ホルモン、焼鳥、ウィンナー、魚、厚揚げ豆腐、野菜という安上がりバージョンに徹した。だって、懐が寒いんだもん。それにしても、みんな良く食べる。買い出しを2回追加した。いちばん食べて飲んだのは藤井兄。「バイトがあるから」と言いながら、いつまでたっても立ち去ろうとしない。
 先週完成したカマドに1・2年、バーベQ用コンロに4年が陣取り、わたしはその両方で肉と魚と野菜を食べたが、小さなカマドのほうが火の加減がよく、おいしいと思った。よくよく考えれば、再来週が発表会だから、また同じような打ち上げをやらなければならない。で、また、やります。最後まで付きあった学生には、おいしいご褒美があったりして。ふふふ。

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  1. 2005/07/15(金) 01:33:01|
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ダンボール大作戦 その5

 1・2年の「ダンボール大作戦」も、残り2週間で発表会。切羽つまって来て、明暗が分かれた。順調だったのは後藤さんの行灯。同級生の近見さんに手伝ってもらって、茶室の土間に灯が点った。蹲踞(つくばい)は石工仕事を始めたが、穴の開け方が浅く、なかなか手水鉢らしくならない。ダンボールハウスは、屋根のかけ方で思考が止まった。アイデア係の河島さんが休んだのが響いたようだ。最悪は楽器班。平島が、空き缶ベースの音が鳴らないと呻きはじめた。これは、最初から不安視されていたことで、「なにをいまさら」と思うのだが、ともかく平島はこのままでは演奏できないという。
  「どんな曲、弾くのよ?」
  「オーバー・ザ・レインボウ・・・・」
  「だれがリード?」
  「先生です」
  「じゃ、スコアもってこいよ」
  「えっ、そんなもんないです」
  「あのな、コード進行だけでもわからんか?」
  「ネットで調べてみます・・・でも、ベースが鳴りません」
  「いつも、どんなベース弾いているの?」
  「パンクです」
  「そいじゃ、もうパーカッション扱いするか、ベースも」
なんて打ち合わせをしているところに、鳥取県教育委員会文化課の中原さんが小林課長をつれて挨拶に来られた。これまで3年以上も文化課長を務められた三田さんが7月11日付けで文化観光局長にご栄転され、代わりに小林さんが文化課長に異動となった。研究室の仕事にいちばん関係深い行政部局の課長さんです。鳥取西高の後輩らしい。中原さんと小林さんを、さっそく茶室にご案内。茶室では4年生が欄間作りとバーベキューの準備に精をだしていた。(以下、次項)

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  1. 2005/07/15(金) 01:16:27|
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吉田のアトリエ

 吉田が猛烈に頑張っている。修復建築スタジオは、いまやかれのアトリエと化した。廃棄物をリサイクルするステンドグラスでは、青と緑と茶色と透明の4色しか使えないのが難点と言えば、難点である。今回のだまし絵の場合、ピンクっぽい部分が茶色になってきつく映り、とても心配したが、作者の城間さんは、「この色をイメージして下絵を描いた」のだという。結局、魚の目玉だけ廃棄物ではない赤のガラスを使うことになったが、他はビール瓶やウィスキーの瓶や一升瓶の廃物利用を徹底している。
 明日は、茶室のカマドでバーベキューをすることになっていて、さきほどまでノビタと岡野と西垣をつれて買い出しに行っていた。極上の牛肉を食べようと思っているのに、こういう日に限って、吉田は就職活動で鳥取から消えてしまう。

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  1. 2005/07/13(水) 20:59:01|
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池田家墓所の古石材の採取 -構造実験へむけて

 昨年から「平成の大修理」に取り組んでいる国史跡・池田家墓所。主に、墓を取り囲む玉石垣の修復が問題になっている。大多数の玉石垣が南田石(のうだいし;福部町南田産の凝灰角礫岩)であり、加工は容易だが脆く、風雨にさらされ劣化していく。また、玉石垣の構造自体が弱いので、地震等により倒壊をくりかえしている。一部の玉石垣では、倒壊後に鉄筋等によって修復しているが、補強箇所が石材の破損を誘発している。今後の修理にあたって、同じ轍を踏まないように石材の強度を知る必要がある。強度を知るためには、科学的な破壊試験が必要であり、圧縮、引張、曲げなどの特性を知るために、それぞれ異なる方法で試験をおこなうことになる。
 どのような試験になるかは未定だが、少なくとも南田石の新材、古材と花崗岩の試験をおこなう必要があるだろう。事前の準備として、墓所地に散在している一部の古石材を大学に持ち込むべきと判断した。これについては、池田家墓所保存会の了承を得ており、管理人の沖さんに立ち会っていただいた。昨日(7月12日)、大学側からは岡野・木村のほか藤井兄(北原研究室)が墓所を訪れ、沖さんのアドバイスにより、米子(3代藩主長女)墓の背面(地図上の赤丸)に集積している石材の中から2材を持ち出すことになった。ここに集積された石材は、墓所内に散乱・放置されていたものばかりである。引き取った石材は、ともに150mm角、長さ約500mmである。コンクリートの強度試験に用いるテストピースの規格の倍の長さを選んだ。無論、材を取り出す際に、写真を撮影している。元の状態に戻せるようにするためである。
 鳥取環境大学に持ち帰り、北原教授(建築構造)に石材をお見せしながら意見をうかがった。試験の実施は可能とのことだが、
①石本来が持つ強度を把握し、試験可能な供試体として整える必要がある。
②特に、石材の試験機に接する面を平らにしなくてはならない。
③圧縮よりは強度の低い曲げ試験から始めたい。
④石材だけでなく、補強を施した材全体についても試験をすれば有意義なデータを得られるだろう。
⑤コンクリートの試験に用いる方法から模索していただける。
とのことだが、トンネルや岩盤などの土木の観点からも専門家から意見を聞くのも良いのではないか、とのアドバイスをいただいた。北原教授のご意見を踏まえた上で、浅川教授の意見を伺い、これから試験方法を詰めていくこととなる。[岡野]

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  1. 2005/07/13(水) 00:24:12|
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大阪のバール

 98年のフランスW杯では、幽霊チケット問題で日本全体が震撼した。わたしも、被害者の一人だった。東急観光のツアーに参加し、バルセロナ経由でトゥールーズに乗り込んで、日本対アルゼンチン戦のチケット抽選会に臨んだのだが、もののみごとに敗北。河岸の大きなスクリーンで、日本のW杯初試合を観戦したのであった。で、今回、フランスはどうでもいい。問題はバルセロナである。
 バルセロナはシエスタ(昼寝)とバール(Bar)の都市(まち)である。バールというのは居酒屋だが、まず椅子はない。みんな立ったままカウンターで酒を飲み、お惣菜を食べる。仕事を終えたスペイン人たちは少なくとも3~5軒のバールをまわって、ようやく深夜のディナーを迎える。わたしもまた5軒のバールをはしごし、さんざん美味しい前菜を食べて酔っぱらった後、地中海に臨むレストランで海鮮料理を味わった。ワインもカバもサングリアもシェリーも、ともかくなんでもかんでも美味いから、飲み過ぎてしまって、最後は道路に顔を埋めて眠ってしまい、ひんしゅくの嵐。以来、バルセロナは忘れがたい都市になった。
 じつは、大阪にもバールがある。経営者は「バールって何?」と知らんぷりするかもしれないが、わたしのタイポロジーでは、まぎれもなく、バールである。要するに、立ち呑みの居酒屋なのだが、これがまた、たまらない。大阪経由で鳥取に帰るときの楽しみは、立ち呑み居酒屋のはしごだ。スーパーはくとや高速バスを待つ短い時間に、少なくとも2軒はまわりたい。最近の店は酒や料理の品揃えが豊富だ。まさに居酒屋の縮小版。写真上の店がこの典型なのだが、この店に入ると、まずブラックニッカのハイボールを注文する。これが200円。あまりに美味いので、家に帰って、ブラックニッカに炭酸水を混ぜてみたのだけれども、どうしてもこの店の味にならない。不思議だと思う。この前の記録では、ハイボールのほかに、そら豆、ジャコおろし、冷や奴を頼んで、総額1050円。それから串カツ屋に寄った(写真下)。こちらは古典的な立ち呑み居酒屋で、カウンターに、お客さん共用のキャベツの箱とソースの箱をおいているのだが、そこに厳格なルールがある。
  「串カツにソースを浸すのは一度だけ。」
一度、口に含んだカツは二度とソースに浸せない、という規則であって、衛生上、きわめて合理的だから、文句をいう客はいない。ただ、はじめての客は、どうしても、ソースを浸けすぎる。この前の記録では、焼酎の水割に串カツ7~8本で1040円だったから、「安いねぇ」と呟いたら、となりで飲んでいたおっちゃん曰く、
  「高い、たかいて! チューハイ300円を150円にせぇ、言うとんのや。」
とのご意見でした。
 

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  1. 2005/07/12(火) 22:59:28|
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第2回大社造シンポジウム

miscサーバー不調につき、研究室ホームページの更新ができない状態になっていますので、ここに第2回大社造シンポジウムの詳細を公開いたします。わずかですが、オブザーバーに余裕がありますので、希望者はasax*kankyo-u.ac.jpまでご連絡ください。

◆鳥取環境大学(浅川科研費)・島根県古代文化センター共催

1.日 時   2005年9月20日(火)~21日(水)
2.会 場  タウンプラザしまね 6階大会議室
      (島根県市町村振興センター ℡0852-28-4850)
       〒690-0087 松江市殿町8番地3(県博南向かい)
3.参加者   討論者+オブザーバー =約30名前後  
4.発表者、内容、シンポ、日程、次第(以下、敬称略。題目はすべて仮題)
  ◎総合司会進行、コーディネーター 浅川滋男・松本岩雄 


9月20日(火)

 09:00 開会挨拶: 松本岩雄(島根県古代文化センター)
     趣旨説明: 浅川滋男(鳥取環境大学) 

Session01 大社の創建と大社造の成立をめぐって
 09:10-09:40 錦田 剛志(島根県古代文化センター)
   「『神社』の成立をめぐる研究視座」
09:40-10:10 林 一馬(長崎総合科学大学)
   「記紀にみる神社の創立伝承と出雲の特殊性」
10:10-10:40 松尾 充晶(島根県埋蔵文化財センター)
   「古代における出雲大社境内遺跡とその周辺」
 10:40-10:55 Coffee Break
 10:55-11:55 Comment & Discussion

Session02 考古学からみた山陰の掘立柱建物跡
12:55-13:25 高田 健一(鳥取大学)
総論Ⅰ「古墳時代までの9本柱遺構」
13:25-13:50 岩橋 孝典(島根県古代文化センター)
総論Ⅱ「島根県の古墳時代末~鎌倉時代の掘立柱建物跡集成」
13:50-14:15 中原 斉(鳥取県教育委員会)
  総論Ⅲ「鳥取県の古墳時代末~鎌倉時代の掘立柱建物跡集成」
14:15-14:30 Coffee Break
14:30-14:50 椿 真治(島根県埋蔵文化財センター)
   各論Ⅰ「渋山池遺跡」  
14:50-15:10 熱田 貴保(島根県埋蔵文化財センター)
   各論Ⅱ「三田谷Ⅰ遺跡」
15:10-15:30 宍道 年弘(斐川町教育委員会)
   各論Ⅲ「杉沢Ⅲ遺跡」
15:30-16:00 今岡 一三・松尾 充晶(島根県埋蔵文化財センター)
各論Ⅳ「青木遺跡」
16:00-16:15 Coffee Break
16:15-17:15 Comment & Discussion


9月21日(水)

Session03 出雲大社境内遺跡出土本殿遺構の復元
09:00-09:20 石原 聡(出雲市教育委員会) 
    出雲大社境内遺跡Ⅰ「大型本殿跡の建築的基礎情報」
09:20-09:45 藤澤 彰(芝浦工業大学)「復元案A」
09:45-10:10 浅川 滋男(鳥取環境大学)「復元案B」
10:10-10:35 三浦 正幸(広島大学)「復元案C」
 10:35-10:50 Coffee Break
10:50-11:50 Comment & Discussion


Session04 中近世の杵築大社造営をめぐって
 12:50-13:10 石原 聡(大社町教育委員会)
出雲大社境内遺跡Ⅱ「室町~江戸時代の遺構変遷」
13:10-13:40 目次 謙一(島根県古代文化センター)
  「文献にみる中近世の遷宮と造替」
13:40-14:10 西山 和宏(文化庁建造物課)
   「延享造営録と出雲大社本殿」
14:10-15:00 Comment & Discussion
 15:00-15:20

Session04 総合討論

17:00 閉会挨拶(松本岩雄)
17:15 全日程終了 解散

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