火曜日の日課は校正だ。年度末に入稿した3冊の報告書のうち、2冊は先週刊行したのだが、『河本家住宅』だけは5校に及んで未だ校了に至らない。本文の直しも多かったが、グラビアや図版の差し替えが尋常ではなかった。富士印刷の西上さんには、頭があがりません。下は最後になってグラビアにすべりこんだ矢部勇さんの水彩画(昭和23年)。河本家のご主人によると、矢部勇さんは明治36年、赤碕の生まれで、阪急百貨店図案課に勤務していたが、父の死亡により赤碕の祖父母をたよって戦中、赤崎に帰郷した。昭和27年、50歳で赤碕にて没す。赤崎にあっては、赤碕の風景をたくさん描いたというが、遺族すらその絵を目にすることはなかった。それが数年前、河本家の蔵で発見された。輪ゴムで丸められた状態であったが、いまは河本家により額装されている。
伯耆街道の拡幅によって取り壊された供部屋や塀を描く貴重な画像資料である。
- 2005/07/05(火) 19:58:01|
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