奈良への帰途、播磨一宮の伊和神社に立ち寄った。この神社の前を通るたびに、叢林の規模に驚嘆していたのだが、境内に足を踏み入れるのは初めてのことである。昭和44年の調査に基づく境内の案内板によると、伊和神社境内地の面積は53,218㎡(16,098坪)に及び、目通り廻り60㎝以上の境内御神木は、杉563本(外周3m以上の大杉84本)、桧200本、榊326本、樫415本、その他1650本余りを数えるという。この叢林に囲まれて3棟の社殿が軒を連ねる。後ろ側の2棟は組物がいずれも尾垂木付きの二手先で、虹梁の絵様や木鼻からみて幕末か明治初期の建築であろうと思ったのだが、案外、擬古作の昭和建築だったりすることもあるので、いま一つ自信がない。社務所にて1枚50円の「由緒略記」を注文した勢いで、ご住職にいろいろ質問した。
「あの3棟は、前から絵馬殿、拝殿、本殿なんですか?」
「いや、拝殿、幣殿、本殿です。幣殿はもとは総神殿と言ったんですけど。」
「本殿の御祭神は大己貴神(オオムナチノカミ)ですね。オオムナチは出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名でしょ?」
「いや、オオムナチは国造りの神の総称でしょうね。本殿にオオムナチを祭っているんですが、総神殿(幣殿)には播磨国一縁16郡の神々と少彦名神(スクナヒコノカミ)と下照姫神(シタテルヒメノカミ)を祭っているんです。普段の祭りは幣殿でおこなうんです。ご本殿の御扉(みとびら)を開けるのは、61年目毎の甲子(きのえね)の年におこなう『三つ山祭』だけです。」
「3棟はいつ建てられたのですか?」
「坂本龍馬が脱藩したころでしてね、前の絵馬殿から建てて、一番後ろの本殿が竣工したのが安政5年(1858)の2月でした。」
気になったのは保存問題である。拝殿内部をはじめ、境内のあちこちに、「殿舎修造のため、浄財の御寄進をお願い致しております」という札が立ててあった。聞けば、播磨一宮でありながら、文化財建造物としての指定はなされていない。国や自治体から補助金がでないわけだから、「殿舎修造」はいきおい寄進に頼らざるをえないわけだ。ここにいう「修造」が屋根葺き替え程度の修理であるならば、たいした問題にはならないだろうが、本体そのものの改築に及ぶ場合、文化財としての価値を喪失させる可能性が生まれる。兵庫県のヘリテージ・マネージャー制度は、こういうケースに効力を発揮するのであろうか。

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- 2005/07/16(土) 23:32:11|
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