鳥取の夜は涼しいから、サッシを開けて網戸だけ閉め、扇風機をまわしていれば、結構すごしやすい。だから、夜更かししてしまうのだが、明け方になると、猛暑の熱気で目が覚める。結果、睡眠不足で体調が芳しくない。研究者というのは、一般的に夜行性動物で、午前中に活動することが少ないのだが、今朝は9時から池田家墓所で光仲墓の石造唐破風を鉄骨から取り外す作業をするという。研究室からはピエールを派遣しておいたこともあり、わたしも顔をだしてみることにした。
昨日のご機嫌斜めが原因で、10時すぎに現場に到着しても、誰ひとりとして歓迎する気配もなく、し~~んとした殺気があたりを支配した。まぁ、そんなことはどうでもよいのだが、驚いたことに、ごらんのとおり、唐破風がまっぷたつに割れている。まっぷたつに割れていることが、本日の作業によってあきらかになったのである。割れ目の部分をみると、グスグスのセメントを裏込めにして、表面側をモルタルで化粧している。したがって、唐破風は昭和49年修理の段階で、すでに完全に断裂しており、それをセメントとモルタルで接着しながら、下側から鉄骨で支えたということになる。
これは大事件である。とんでもない大事件だ。長さ3メートル近い唐破風は一塊の石材だという前提で、工事を発注しているわけだから、これがほぼ中心部分において断裂しているとなると、発注の仕様そのものを変えなければならない。なにより、どうしたらこれほど大きな石材をくっつけて当初に近い姿に復原できるのか。玉石垣の柱や笠石なら重さもしれているが、唐破風全体の重さは尋常ではない。接着技術もそうだが、構造力学的な対処がさらに困難になった。光仲墓築造当初の建材であることはほぼ間違いなく、単体としての文化財価値が高いので、安易な修理に流れてはいけない。
とりあえず、実測・観察しかない、と判断した。家で眠っている宮本を呼び出し、ピエールとともに1/10の実測図を作成してもらうことにしたのである。わたしはデジカメとF4を使って、断裂部分の写真を撮影した。期末試験の補助監督の仕事が入っていたので、わたしだけ昼に現場を去った。あまりの猛暑に、残された二人が熱射病になるのではないか、という不安にかられながら。

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- 2005/08/04(木) 15:26:15|
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