朝日新聞が「知究人」なるコラムでとりあげたいから取材させて欲しいと言ってきたので、もちろん承諾したのだが、今日はやはり大学に行かない日だと決めていたから、取材の場所として鳥取西高校の中庭を指名させていただいた。西高の中庭では、またしても発掘調査をやっていて、発掘関係者から見に来て欲しい、と言われていたこともあり、一石二鳥で頼まれ仕事を片づけてやろうという助平心が湧いたからである。さらに、西高はわたしの母校でもあり、取材の場として、そうおかしくもないだろうという配慮がなかったわけではない。
発掘現場では、近代の礎石建物跡や土管が出土していた。やはり鳥取一中時代の遺構であろう。それにしても、担当のYさんはよく謝る。べつに謝る理由も必要もないのに、「すいません」を連発されると、かえって不快になるものだ。これが、「ありがとう」なら気分も変わるだろうに。

朝日新聞のK記者はというと、こちらはまったく情報をおさえていない。
「大学はどちらをでられたんですか?」
「前職は?」
「どんな研究をされているんですか?」
「建築のどこに魅力を感じているんですか?」
大半の質問の答えはホームページに書いているのに、ホームページすら読んできていないことがばればれで、取材のプロとはとても思えないから、そう言ってさしあげた。取材の上手い記者に質問されると、気が付いたら、なんでもかんでもしゃべっている。
「これはオフレコだけどね・・・」
なんちゃって余計な情報をいっぱいブンヤに漏らしてしまうのだ。今日の情報だと、いったい何を書かれるのか不安になる。わたしでないわたしが紙面に登場しそうで怖い。
わたしでないわたし。
たわしでないわたし。ハマダバダ。
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- 2005/10/31(月) 19:00:31|
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今日は日曜日なのだが、教育懇談会が開催されるので、大学に行かなければならない。じつは、いま昼休みなので、ブログを書いている。教育懇談会とは、要するに、PTAのことである。学生の親御さんに面談して、成績票をおみせしながら、学業のことやら将来の就職のことを話し合うわけだ。自分たちが学生のころを思い出すと、大学にPTAなんて想像だにできないが、いまはどこの私学でも年に2回ほど懇談会を開いている。午後からまだ4人の親御さんと面談する。どこの親御さんも熱心だ。
親の心、子知らず、である。
- 2005/10/30(日) 12:42:12|
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今日は大学に行かない日だと決めている。大学に行くと、雑用やおしゃべりや通信連絡やネット遊びに時間を浪費するから、行かないと決めたら、絶対行かない日を定めておかないと、仕事は進まない。今日はS社原稿の版下を揃える作業をしていた。それで、宮本と利蔵に撮影させていた大社シンポジウム・エクスカーションのスライド等が必要になったのだが、大学に絶対行ってはいけない日なので、宮本に連絡して、スライド等をもってきてもらうことにした。もちろん、ただのパシリでは可哀想だから、昼飯をごちそうすることにした。どういうわけか、ホカノもついてきていて、田園町の「昇龍」で昼ご飯を食べた。
わたしは、中国生活が長かったので、あちこちの中華料理をたくさん食べてきたが、「昇龍」のそれはたいへん美味しい部類の日本型中華料理の一つである。おそらく鳥取県内の中華料理屋さんではナンバー1か、少なくともベスト3に入るだろう。関西に店を出しても、まず間違いなく成功するはずだ。わたしの場合、一人で夕食をたべに行くときは、ピータン(皮蛋)と焼餃子(鍋貼)をあてに紹興酒(花彫)のロックを飲み、担々麺で仕上げるのだが、じつはいちばん食べたいのはホイコーロー(回鍋肉)なのである。ここの回鍋肉は、パリパリとしたキャベツの食感が最高だから、食べたくて食べたくて仕方ないのだが、あまりに量が多いので、いつも控えてしまう。一人で食べると、ご飯3杯ぐらいおかわりしてしまうから、顎にたまった脂肪がさらにぶよぶよになってしまうだろう。だから、注文しないでおくのだ。
しかし、今日は宮本とホカノがいる。ホカノの大食いは世間に響きわたっているが、宮本も細身のわりによく食べる。ホイコーローと韮もやし炒めと牡蠣フライと餃子二人前とピータンとどんぶり飯3杯が、あっというまに胃袋に消えた。ちなみに若者たちは紹興酒を好まない。ピータンも好まない。よって、わたし一人が酔っぱらい、しばし昼寝にふけこんだ。
- 2005/10/29(土) 23:19:34|
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科学研究費申請の学内〆切が1週間後に迫ってきたので、ようやく動き出したら、まったく動けない。今年から申請のシステムが大変わりしていて、「電子申請」なるネット登録が採用されているではないか。まず、IDとパスワードを入力して、電子申請の画面に入っていかなきゃならないんだけれど、何回やっても入れないので、総務課のIさんに電話したところ、彼女は「入れました」というのだ。わたしは、やはり入れないので、電話で彼女と話しながら、入力していったところ、1(イチ)をl(エル)に読み違えていたことが判明した。で、入れました。
まぁ、〆切は4日です。それより先にS社原稿の版下を揃えなくてはいけない。それとですね・・・韓国に行くことになりました。11月7日~9日、忠清南道牙山(アサン)市で3世紀の建物が1棟分倒壊して出土したらしい。ほんとで1棟分なら、とんでもない発見である。
- 2005/10/28(金) 21:27:59|
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今日のプロジェクト研究2&4では、まず朝日放送と日本海テレビのビデオをみせた。みんな熱心にみていた。そのあと、みんなのスケッチをみる約束をしていたのだが、描いてきたのは1年の今城&嘉村だけ。彼女たちは廃紙を使って簾をつくるという。いいではないか。残りの11名、成果物なし。みんなFだな。落としてやる。
最後に、吉田の卒業制作「ステンドグラス・ランプ」について発表してもらった。ぼろくそに批評した。
「なんにもおもしろくない」
「廃材を使っているという実感がない」
「材料の組み合わせやデザインに奇抜さがない」
さらに、教師は調子にのって、エゴィステッィクな要求をあらわにした。
「スコットランドであつめてきた石を使ってほしい」
9月9日のブログで紹介しているオークニーとシェトランドの石である。平たくて、ラメが散りばめられている美しい石たちだ。作品のタイトルまで決めてしまった。
「スカラブレの石 -四季彩光-」
吉田は凹んでいたらしい。
- 2005/10/27(木) 17:55:27|
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午前9時から、学生センター会議室で卒業研究中間発表会がおこなわれた。ことしも浅川ゼミと澤ゼミの合同で、15組18名の発表を聞いた。トップバッターはノビタ。昨晩、石垣編年で脅しすぎたからだろうか、びびり体質らしく、最後に失速した。2番、ホカノ&ピエール。二人で池田家墓所を発表して、まぁまぁだったのだが、本番は論文を2本に分ける。どこで一線を引くか、難しいところ。3番、西河(2名)。よくやっているが、切れがない。目的に対する自覚がなく、いい結論をもってこれない。現状では、昨年の津村に軍配あり。4番、キム・ドク(別名タイガー戸口)。大社の修正図面を急がせているので、今日はこんなもんでしょう。清源寺裏の池庭の復原が鍵を握ることになりそう。5番、利蔵。論文っぽさが抜けない。要求していた図面も抜けてる。しっかりせい!6番、宮本、調査からわずかな期間で実測図面をよく仕上げている。あとは設計。必ずできるよ。7番、吉田。廃棄物利用の経験が活きていない。もっと奇抜な発想はないのか。あんな行灯じゃ駄目です。
澤研究室の学生諸君にお伝えします。論文の書き方を知りたい方は、当方のゼミ(火曜日4~6限/14講義室)でご発表ください。鍛えてあげますよ。
[卒業研究中間発表デスマッチ]の続きを読む
- 2005/10/26(水) 19:30:42|
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茶室から取材現場をツリーハウスに移してカメラがまわりはじめたころ、携帯電話がなった。じつは、午後3時半から田和山遺跡復原建物の打ち合わせを予定していたのだけれども、しばらくツリーハウスでの取材が続いたので、待機をお願いした。
4時前に4409演習室に上がると、今年度建設予定の掘立柱建物模型(1/10)がすでにテーブルの上に鎮座していた。この模型をもとに再検討を加えたのだが、これが結構大きな修正を導くことになった。
専門的に説明してみようかな。近接棟持柱と思われていた柱穴の遺構を細かく検討したところ、隅柱と隅柱をつなぐライン上にあることがわかったので、模型で採用している「折置組」(梁が下、桁が上)は不可能であり、「京呂組」(桁が下、梁が上)を採用せざるをえなくなった。この結果、継手仕口も大きく変更されることになったのである。これがわかる方は、そこそこプロですが、わからなくても仕方ありません。
松江市の藤井くんは、自らの言が大きな変更を招いたため、顔がひきつっていた。松江市教育委員会の上司のみなさん、今回の変更はわたしのせいではありませんよ。

- 2005/10/25(火) 23:58:54|
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本日、2時半過ぎに日本海テレビの方が来られました。明日が卒業研究の中間発表のため、浅川研究室では僕と西山君・北野さん、3年生は大城君・佐々木君・森川さん・吉村さんでもてなしをしました。あとから、1・2年生が来てくれました。この前のABCテレビが来られた時もそうでしたが、カメラを向けられているだけで緊張します。今回は茶室の中に皆が囲むように座っての撮影でしたので、前回よりは気が楽でした。茶室だけの取材だと思っていましたが、ツリーハウスも撮影したいとのことなので、移動しました。
久々にツリーハウスを訪れましたが、変わってない様に安心しました。茶室、ツリーハウス共々後輩達に受け継いで頂けたら幸いです。
すごくいい経験をさせて頂きましたが、明日の放送を見るのが恐いです。(ヨシダ)

[日本海テレビの「茶室」収録]の続きを読む
- 2005/10/25(火) 19:49:03|
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ガンマナイフは、1968年、スウェーデンのカロリンスカ大学脳神経外科に勤めるレクレル教授によって開発された。201個に及ぶ放射線のビームを病巣部のみに集中照射する治療法である。ガンマナイフから発射された放射線は、頭皮、骨、脳、血管、神経を突き抜けるが、それらに障害をもたらすことはほとんどなく、照射をうけた病巣のみが徐々に凝固し、壊死する。ガンマナイフ治療が最も効果を発揮する適応症は、脳腫瘍と脳動静脈奇形である。
脳動静脈奇形とは、一部の人間がもって生まれた脳の内部の奇形である。細い動脈と静脈が絡み合って糸蒟蒻のような物体が脳の内部に形成されている。直径は3㎝前後。この血管奇形は、ときに脳内出血をひきおこし、また血管の膨張が神経を圧迫して、身体の一部に麻痺をもたらす。吹田の国立循環器病センターは、脳動静脈奇形の治療では日本有数の病院で、今日はここで半日過ごした。同僚の十倉教授が長年勤務された日本建築総合試験所が隣にあった。とても、天気がよく、病室からみる山並みが美しい。
もちろん、心配ご無用! わたしが脳動静脈奇形なのではなありません。ガンマナイフの放射治療は、わずか1~2時間の簡単な手術で、副作用などのリスクをともなわないわけではないが、ここは名医の腕を信じるほかなかろう。今日はこれぐらいで。
- 2005/10/24(月) 23:50:32|
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S社の仕事、ようやく本文を脱肛っ・・・、あれっ、・・・じゃなくて、脱稿した。80枚の予定が115枚まで膨らんでしまって、すこし圧縮をかける必要があるかもしれない。本文以外に図版選択、キャプション、参考文献が残っているから、しばらく気が抜けないけれど、とりあえず骨格はできあがった。ほっと一息して、ブログに向かったわけです。
ともかく忙しい。なんでこんなに忙しいのか、と思うほど忙しくて、原稿を書く時間を確保するのが大変だ。ひまなときには、いつでも書けると思うから、ついつい時間を浪費してしまうけれど、これだけ忙しいと、時間を確保してしばらく集中する以外にない。時間さえとれれば原稿は書ける。左手でも書ける。これが商売だからね・・・
- 2005/10/23(日) 23:18:08|
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石垣委員会のおこなわれた金曜日、19:50の最終便で東京に飛んだ。ホテルは上野駅にほど近い入谷で、ちょっとだけ外出して、ちょっとだけ遊んで、疲れたから原稿を書くこともなく、深夜番組をみながら眠ってしまった。で、今朝は予定どおりの時間に上野駅に行って「はやて」の指定券を買おうとしたのだが、満席。なんとか「MAXやまびこ」のチケットが買えたので、1時間遅れの12時50分ころ仙台に着いた。TM社の谷原さんと中村さん、仙台市の吉岡さんの出迎えで、さっそく山田上ノ台の現場へ。縄文中期住居3棟の復元工事は順調に進んでいた。
TM社は、賢明なことに、施工業者に一戸建設を使っていた。御所野の復元を手がけた一戸建設をまるごと仙台につれてきたのである。当然、仕事にそつはない。本日はサスの位置と本数の微調整をおこなった。監理側も施工側も、仕事がよくわかっている。わたしがいなくても、おそらく大丈夫だろう。
山田上ノ台は国や自治体が指定する「史跡」ではない。仙台市が史跡に指定することなく、市単費で整備を進める遺跡である。史跡指定するにこしたことはないのだけれど、指定されていないと聞くと、じつは少し気分が楽になる。文化財として史跡指定されている遺跡の復元建物では、こだわらなければならない要素が多すぎるから、どうしても神経を使う。この要素を多少減らしたとしても、処罰や批判の対象となるわけではないから、ついつい
「まぁ、史跡に指定されてるわけじゃありませんから」
という言葉が口から出てしまうのだが、「史跡に指定されているわけじゃありませんけど、ここはこだわったほうがいいですよ」という気持ちがないと、やっぱりいい仕事にはならないだろうな。

[山田上ノ台遺跡の復元工事]の続きを読む
- 2005/10/22(土) 23:02:48|
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ノビタです。
今日は、浅川先生が委員長を務める史跡鳥取城跡附太閤ヶ平天球丸石垣修復工事に関する検討委員会の第2回が午後一時より市役所であり、私も参加させていただきました。私はその委員会が始まる午前中に委員で橿原考古学研究所共同研究員の北垣先生と一緒に実際に見て歩き、石垣を見る際に注して見なければならない点などを直接指導していただきました。とても貴重な経験でした。ご指導いただきありがとうございました。
委員会の議事内容は、調査の成果についてと修復工事についてでした。調査での成果については、委員会数日前に見つかった岡山大学附属図書館所蔵の元和五年九月六日の日付がある因幡国鳥取城絵図が天球丸の変遷を知る上で重要な史料となったのではないでしょうか。
そして、修復工事については石垣を築くための様々な問題がありました。
そして今回の委員会で、私の卒論の新たな課題もでてきました。今後それを解決しなければならないと思いました。
[第2回史跡鳥取城跡附太閤ヶ平天球丸石垣修復工事に関する検討委員会]の続きを読む
- 2005/10/21(金) 23:44:22|
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リファーレンいなばに行きました.
まず, リファーレンいなばの館長さんのお話を聞いた後, 30分ほど館内 (3階だけだけど)を見学しました.ここには巨大な埋立地があり, 2004年まではプラスチック処理の施設がなかったためプラスチックは埋め立てていたそうです.
リファーレンイナバでは時々フリーマーケットを開催します. 次回は 11月27日日曜日です.ガラス細工が面白そうでした. ガラス細工のペンダントなども売ってありました.ペットボトルから作られた服, 布団などの展示もありました.
プラスチックごみを巨大なクレーンでつかみあげているところがありました. つかみあげては落としていました.
皆で館長さんに御礼を言い, 帰りました.
帰る途中にコンビニエンスストアにより, 皆が先生に何か買ってもらいました.先生はお金を払い忘れていましたが, 何とかなったようです.
皆それぞれに買ってもらったものを手に取り海岸へ集まりミーティングをしました.
寒かったです.僕はじゃんけんに負けたのでこれを書いています.
リファーレンいなば
(財)鳥取県東部環境管理公社
〒689-0201 鳥取県鳥取市伏野2220
http://www.rifaren.or.jp
■開館時間 / 午前10時から午後4時
□休館日 / 毎週月曜日、平成17年12月29日(木)から平成18年1月3日(火)
■入館料 / 月曜日が祝日の場合は翌日が休館日
デザイン科一年 Y.A a.k.a. oek
http://www.geocities.jp/oek2004/ ウェブサイトにも来てね.
- 2005/10/20(木) 23:43:06|
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朝、実験棟を冷やかすと、北原研究室の若い衆がうようよいて、新しい実験材料の制作に精を出していた。で、藤井兄が言うのです。
「先生、今朝テレビに出てましたよ!」
「えっ、鳥取で朝日放送映るの??」
「ケーブル・テレビですよ」
「あれ、朝の5時半だろ? 起きてたん??」
「いや、ビデオです。ビデオ、持ってきましたよん」
というわけで、「おはようコールABC」放映の直後にビデオが手に入ってしまった。深夜に帰宅し、ゆっくり録画を見させていただいた。
放映時間は2分半と聞いていたが、3分半から4分近く流れたように思う。とくに印象深かったのは、岡村が牽引した昨年の建設工事が回想シーンで流れたところ。赤松が撮影したビデオがようやく華ひらいた。正直、じ~んときました。
ちょっと気になったのは、最後のところかな。
「学生さんはとっても純情で・・・・先生も素敵で・・・」ときて、スタジオでは一斉に笑いがおきた。なんなんだ、あれは。
ちなみに吉田は、自宅でちゃんと録画していて、朝、ビデオをみたとのこと。
「目線が怪しかったぜ」
と冷やかしたら、
「もう最低です」
と言って、しょげていた。ハマダバダ。
[「おはようコールABC」で茶室放映!]の続きを読む
- 2005/10/19(水) 23:25:58|
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文化庁が主催する「平成17年度 伝統的建造物群保護行政研修会(基礎コース)」が開催されます。舞台はまたしても、倉吉。
日時: 11月9日(水)~11日(金)
会場: 倉吉交流プラザ
11月9日(水) 14:00~ 受付 倉吉交流プラザ
14:20~14:40 開講式・ガイダンス
苅谷勇雅参事官
14:40~15:40 文化財保護の理念と伝建制度の概要
苅谷勇雅講師
15:50~17:20 集落・町並みの調査法
文化庁伝統的建造物群部門
17:30~19:00 保存計画と整備計画
文化庁伝統的建造物群部門
11月10日(木) 9:00~10:30 特別講義Ⅰ「都市史・民家史特論」
柴田いずみ(滋賀県立大学)
10:40~12:10 特別講義Ⅱ「町並み保存論」
浅川滋男(鳥取環境大学)
12:20~19:20 実地研修
文化庁伝統的建造物群部門他
11月11日(金) 9:00~10:00 事例研究
研修生
10:00~11:00 実地研修 講評会
伝統的建造物群部門他
11:10~12:10 保護行政の実務
寺本栄二講師
12:20~12:40 修了式
寺本栄二専門官
事務局: 西山和宏
文化庁文化財部参事官(建造物担当)付
伝統的建造物群部門
Tel:03-5253-4111(内線2794)
Fax:03-6734-3823
- 2005/10/18(火) 18:26:35|
- 講演・研究会|
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昨日は午後からホテルに引きこもって、まずは昼寝し、それからS社の原稿を書いた。周辺には、最後の20枚を仕上げると豪語していたのだが、結局15枚でストップ。体がもたない。
一夜あけて、今日も快晴。車を飛ばし、琴浦町に向かった。11時に河本家で、秋の公開と報告書刊行に関する記者発表をおこなうことになっていて、10分前に到着してキャクマで休んでいると、琴浦町教委のKさんが寄ってきて言うのです。
「今日は何人ぐらい記者さんが来られるんでしょうかな?」
「・・・・・・・・」
町教委も保存会も、記者クラブに連絡していないのである。記者クラブに連絡するのは、わたしの仕事だと思っているのだ。
そんなバナナ。報告書の刊行主体は町教委であり、公開の主体は保存会である。なんで、わたしが事務局の連絡業務をやらなければならないのか。ほとんど絶望に近い心理状態に陥ったが、鳥取のO記者に電話し、倉吉市政記者クラブの電話番号を聞きだして連絡をとり、予定より2時間おくれの記者発表をおこなうことになった。さいわい、4社が取材に来てくれた。各社、24日の公開までには記事にしてくれるとのこと。良かった、よかった。
妻木晩田遺跡事務所との打ち合わせは1時間遅れの午後2時からとなった。会場は引き続き、河本家のキャクマである。妻木晩田の基本設計はブラックホールにはまりこんでいきそうな気配がする。どこかで軌道修正が必要だろう。
午後3時半からは、河本家の近くで発掘調査を続ける大川くんと高尾くんの現場をみせてもらった。さんざん悩み続けていた大川くんの顔が晴々としている。春から問題となっていた火災住居跡が3時期分の建て替えであることが判明し、どうやら一件落着したようだ。良かった、よかった。
- 2005/10/17(月) 18:37:57|
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わたしは何も特別なスピーチしたわけではない。日常的に学生たちに講義したり、市民に対して講演している内容を、ただ繰り返ししゃべっただけなのに、昨夜の高田酒造酒蔵での懇親会や清水庵の2次会では、
「はっきりとモノをおっしゃる」
「ずけずけと意見をいう」
「あれは問題提起なのですか?」
などのコメントを頂戴した。いつものことではあるのだけれども、わたしからすれば、日本の意識の低さを感じさせられる瞬間で、正直がっくりくる。
今回の講義では、はじめに文化庁の熊本さんが、「文化財としてのオーセンティシティを保つ修景とは<復原的修景>である」ことを強調されたのに対して、わたしは「復原によって材料のオーセンティシティが失われる」ことをたくさんの事例から示した。セメント瓦や錆びたトタンや鄙びた瓦やアルミサッシでさえ、オーセンティックな存在であり、それらを活かした修景が不可能ではないことを述べたのである。復原という行為によって、多くのオーセンティックな材料が失われ、地球環境を破綻に導くおびただしい廃棄物が生まれる。
二日目は実地研修であった。5軒長屋から大店会、オークランドを経由して、伝統建築フェアの会場へ。生田さんの解説が素晴らしかった。伝統建築フェアの会場は、2年前の火災で焼失した一画で、タクオ&ヤンマーが3年後期に再生計画に取り組んだ場所。ケチをつけてはいけないけれど、これでいいのだろうか。重伝建地区の復興はまだ先のようである。

[実地研修の日 -町並み保存研修会in倉吉(Ⅱ)]の続きを読む
- 2005/10/16(日) 23:31:02|
- 講演・研究会|
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町並み保存研修会in倉吉に、土曜日に参加させて頂きました。初めてこういう研修会に参加させて頂きました。会場に一歩入ると、今まで感じたことのない雰囲気で驚き、緊張してしまいました。研修会の内容は難しかったです。シロアリの話など勉強になりました。

その後、高田酒造醸造蔵で行われた交流会に参加しました。
会場に入るまでの細い道に蝋燭がともされておりとても綺麗でした。細い道を抜ければ大きな空間の蔵へ着きました。蔵に着くまでは狭い道だったので思ったより大きな蔵の空間に着いたときは驚きました。交流会も終盤にさしかかれば、周りは赤い顔ばかりでした。
12時手前に鳥取に到着しました。
岡野さん車ありがとうございました!!
初めての体験が多く疲れた一日でしたが、とても勉強になりました。もっと勉強しなくてはと改めて思いました。またこういう機会があれば参加していきたいです。
森川でした。
- 2005/10/15(土) 19:36:01|
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ノビタです。
今日は鳥取城の石垣の写真を撮影してきました。以前から個人的な趣味で何度か石垣の撮影をしてきましたが
今回は少し事情があります。
重大な仕事を任されました。
なんと鳥取城の石垣の変遷を纏めることになりました。
午前九時半に市役所で鳥取市歴史博物館の佐々木さんと鳥取市教育委員会の山田さんと話し合いその後から撮影を開始しました。
撮影開始前より雨が降り始め、雨の中での撮影となりましたが改めて気付く事が多い撮影でした。
今回は山上ノ丸にまで撮影の範囲が及ばず山下ノ丸だけになってしまいました。山上ノ丸撮影は次回に持ち越しです。
編年は、隅石の発達度や形状から石垣を類別し、それらがいつの時代のものなのか他の城とも比較していこうかと思います。

写真は太鼓御門跡。切り込みハギはおそらくここだけはないのでしょうか?
- 2005/10/14(金) 23:09:13|
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プロジェクト研究2&4「廃棄物で何を作るか -リサイクルとアートの接点」の演習中に、大阪朝日放送の取材をうけた。取材の依頼があったのは、夏休みのことだった。朝日新聞鳥取版の記事をみた「おはようコールABC」のディレクター丹波和幸さんが、「廃材でつくる茶室」を番組でとりあげたいとのことで、調整を進めていたら、こんな季節になってしまった。取材をうけたのは、わたしと吉田と、じゃんけんで負けた西河(男)。吉田はなんども噛んでしまい、NGの連発。対して、西河(男)はすらすら流ちょうに受け答えしていた。客観的にみて、吉田がボツではないだろうか。フフフ・・・
レポーターの塩崎綾さんが、とっても美人で(下の写真よりずっと綺麗でした)、わたしは冷静を装っているのに、4年の男子のふぬけたるや、どうしようもなく、カメラの後ろ側に陣取って、鼻の下をのばしていた。とくにひどかったのはノビタと宮本・・・・
放送は10月19日(水)05:20スタートで、05:45頃から2分30秒ほど流れるとのこと。


ちなみに抹茶をたててくれたのは、1年茶道部の今城さん。嘉村さんも挑戦したのだけれど、キタノさんに手直しされていたなぁ。嘉村さんは佐賀から来たフル-ト奏者で、大学に吹奏楽部が結成されたらしく、入ろうかどうか悩んでいた。ただし、フルートをまだ買っていないとのこと(高いんだそうです)。わたしも、フレディ・グリーンばりのMr.リズムとなってギターを担当しようかなんてったら、キタノさんもドラムを担当したいんだそうだ。
みんなでやろう、フルバンド!
[朝日放送「おはようコールABC」]の続きを読む
- 2005/10/13(木) 21:48:57|
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さきほどまで、椎名誠さんの講演を11講義室で聞いていた。「異文化から再発見する日本」というテーマで、内容はもちろん環境問題と深く関わるのだが、根本にあるのは文化人類学的な視点であった。本学および鳥取県の環境関連部局には、本日の椎名さんが話されたような「文化からみた環境」という視点が欠落している。文化の中にこそエコロジーが潜んでいる、ということを、わたしやI川講師(政策学科)は口を酸っぱくして主張しているのだけれども、学内外に理解者が少ないのが現状であって、本日の講演はその点でたいへんありがたいものであった。
そもそも、なぜ椎名さんが来学されているのかというと、第2回全国高校生環境論文TUESカップ論文発表会の表彰式をうけて「特別講演」をおこなわれたものである。ちなみに高校生諸君の論文もみな素晴らしく、とりわけ最優秀賞の管野宏和くん(愛媛大学農学部附属農業高校)の論文は、実家での農業実体験に基づくオリジナリティの高い作品で、審査の段階からわたしも注目していた。ボカシという微生物肥料による土壌回復が作物を蘇生させ、昆虫や小魚などを呼び戻したことを菅野くんは熱く語ってくれた。
ところで、「なんだ、おまえ、断筆宣言してたんじゃないのか?」と思われるだろうから弁解しておくと、昨日ヘビーな会議があったため、S社の原稿が55枚のところで数日間ストップしてしまったもので、ちょっとひと休みして、またこれから続きを書きます。だから、またしばらくブログには登場しません。
学生諸君、穴を埋め続けてくださいな。
- 2005/10/09(日) 16:29:36|
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本日、2回目の尾崎家住宅の実測調査をおこなってきました。
参加者は岡野、北野、西河(コンビ名)、キム・ドク(別名タイガー戸口)、ピエール、トシゾー(雨男)、西山、ミヤモト、ヨシダと鳥取環境大学の今後をになう1年生ホープ(1名)、「かえってきたよ」拓生先輩の計12名です。この度はスケジュールの都合があり、浅川先生は不参加でしたが、県教委の濱さんに立ち会っていただきました。
本日の最重要課題は、主屋の平面・断面の採寸です。過日お借りした図面を複写し、それをもとに整合性を確認しながら、採寸していく予定でした。しかし、月日がすぎると変わるものです。そのため、複写をなぞりながら、新たに描き直しているようで時間が掛かった模様です。これと併行して、主屋書院と仏間書院の欄間の拓本を採取しました。浅川研究室の場合、墨を用いる湿拓ではなく、カーボンインクを使う乾拓を得意としています。この調査で、二つの欄間の図柄比較が可能になり、今後は制作年代の違い等を検討する予定です。また、第1回調査で未完部分(長屋門・屋根伏図)の寸法の記入などをおこないました。
今日は、1日がかりの調査でみなさま本当におつかれさまでした。浅川研のみなさまには感謝しております。拓生先輩も休日ながらサポートしていただきありがとうございました。とても助かりました。
「拓生先輩、とても輝いてましたよ。」
岡野、北野、西河の西、ミヤモトより
- 2005/10/08(土) 23:03:22|
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県産材活用協議会(県産材の需要拡大を目的とした県・木材業者・工務店・森林組合ほかで組織している会)の主催で表記の講演会がおこなわれます。
1.日時 10月20日(木)10:30~12:00
2.講演者: 浅川滋男(鳥取環境大学)
3.講演題目: 「歴史的建造物の保存と修復」
4.会場: 鳥取県森林組合連合会
5.事務局 鳥取県森連・岸本由登さん
℡0857-28-0121 Fax0857-28-1235
- 2005/10/07(金) 10:47:15|
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本日、P2・P4「廃棄物で何を作るか-リサイクルとアートの接点-」の第2回目で、ツリーハウスと茶室を訪問しました。総勢16名。茶室に着くなり、先生に、また、叱られてしまいました。何故かというと、蹲踞(つくばい)の緑葉が枯れてしまっていたからです。茶室において蹲踞とは、躙口に入る前に身体を清めるための神聖な装置でして、つい先日写真撮影をおこなったもので、安心していたのですが、その色はババ色に変色しており、自分に不甲斐なさを感じました。結局、1・2年生に新しい緑葉を飾って頂きました。
閑話休題by the way、下の写真は先日、尾崎家住宅の実測調査をおこなった帰りに倉吉の喫茶店「珈蔵」で室内を写したものです。決して岡野くんを写したのではありません。岡野くんの後ろのステンドグラスに注目してください。マッキントッシュ風の間仕切りですが、ぼくもこのように実用性の高い作品を作りたい、と思いました。とはいっても、ぼくは調査をさぼったので、この写真は先生が撮影してくださったものです。
すべては吉田のために。ハナダバダ。(ヨシダ)
- 2005/10/06(木) 20:01:20|
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本日、尾崎家住宅の実測調査をおこなってきました。
先日のブログで掲載したとおり、尾崎家住宅は自分の卒業研究のテーマで、ようやく実測調査に至りました。参加者は浅川先生のほか、岡野・西河(2名)、キム・ドク(別名タイガー戸口)、ピエールとわたしの7名で、本来は7・8日でおこなう調査だったのですが、スケジュールの都合などで急遽本日、調査をおこなうことになりました。実は、本日の調査は昨晩に決定したことで、本当に急なことにもかかわらず、5名も調査に参加していただいたことを、誠に感謝しております。
尾崎家には、昭和4年にハナレ、ブツマを改装する際の実測図と設計図が数枚残っていました。当時、設計を担当されたのは早稲田大学教授であった吉田享二氏。吉田氏は東大卒業後、ドイツに留学し、帰国後学界の重鎮となり、日本建築学会長も務めた建築家です。ご当主の「父の兄」にあたるそうです。実測調査におおいに活用できそうであったので、貴重な図面をお借りして、鳥取市内の複写事務所でコピーすることになりました。この図面を活用するため、予定していた調査工程を変更することになりました。土蔵は来年度以降にまわし、今年度は、オモヤ、ブツマ、長屋門に限ることにしたのです。

長屋門の調査風景
土曜日の調査では、浅川研究室の4年生全員に参加してもらう予定なのですが、卒論・卒制で忙しい中の参加とあって、とても恐縮しております。尾崎さんにはお騒がせしているにもかかわらず、色々なお気遣いをしていただき感謝申し上げます。
土曜日もよろしくお願いいたします。(ミヤモト)
- 2005/10/05(水) 23:35:46|
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1 テーマ 伝統的建造物等の修理・修景技術の向上と技術継承の実践
2 開催趣旨 「伝統的建造物群保存地区」(以下伝建)保存制度が誕生して30年経過した今日、この制度が歴史的集落や町並みの保存にとどまらず、地域の個性ある「まちづくり」を進める有効的な手法として認識され深化してきている。また、各地で歴史的建造物が再評価され、それを核とした「まちづくり」が活発化している。
これら各伝建内の建造物や歴史的建造物は、それぞれ保存修理・修景事業が進められ活用が図られているが、伝統的な建築技術を用いる場が少なくなってきた現在、幾つかの問題点を抱えていると言わざるお得ない。このような問題点は、各地区で修理・修景事業をおこなっておられる建築士や大工・左官等の技能者の方々の努力により解決が図られている。しかし、情報交換の場も少なく各自の技術的能力や経験に負っているのが現状ある。また、市町村等の担当者も保存修理の知識を持ち研鑽しなければ、充分な対応をとることができないのではなかろうか。
以上のような状況から、各伝建地区における技術者及び行政担当者を対象に、日本の伝統建築に関する研修会を開催し、町並みを構成する建造物や歴史的建造物の保存技術の向上に資する。
3 主催 全国伝統的建造物群保存地区協議会・倉吉市・倉吉市教育委員会
4 後援 文化庁・鳥取県・鳥取県教育委員会・伝統建築フェア実行委員会・中四国伝建協加盟市町村(予定)
5 会場・倉吉市老人福祉センター大会議室(倉吉市葵町717-3)
・飛龍閣(倉吉市仲ノ町 打吹公園内)
・倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区
6 対象 各伝建地区行政担当者・県内行政担当者・建築士・技術者・伝建地区住民 一般・学生等
7 日程 10月15日(土)
13:00~ 受付
13:30~13:45 開会行事
13:45~14:30 [講義Ⅰ]
「伝建制度と修理・修景事業」
講師 文化庁参事官付主任調査官 熊本達哉 氏
14:30~15:15 [講義Ⅱ]
「文化財の修理と活用」
講師 鳥取環境大学 教授 浅川滋男 氏
15:15~15:25 休憩
15:25~15:55 [事例報告Ⅰ]
「打吹玉川地区の修理事業と課題」
報告者 堂計画室 代表 生田昭夫 氏
15:55~16:25 「事例報告Ⅱ」
「大森銀山地区の修理事業と課題」
報告者 大田市
16:25~16:40 休息(会場移動)
16:40~18:30 「質疑討論・情報交換」
☆第一分科会(行政・町並み等担当者)@飛龍閣
アドバイザー 文化庁 熊本主任調査官
☆第二分科会(技術者関係)@倉吉老人センター大会議室
アドバイザー 鳥取環境大学 浅川教授
19:00~21:00 意見交換会(交流会)
高田酒造醸造蔵(参加費4,000円)倉吉市西仲町2633
10月16日(日)
9:00 倉吉観光駐車場集合
※自家用車は市役所駐車場をご利用ください。
9:05~11:00 打吹玉川伝建保存地区修理現場見学
倉吉大店会建物(修理現場視察)
伝統建築フェア会場(意見交換等)
11:00~11:15 倉吉老人福祉センター大会議室へ、休憩
11:15~11:45 「質疑討論・情報交換」
アドバイザー 文化庁 熊本主任調査官
鳥取環境大学 浅川教授
11:45~12:00 閉会行事
○ 保存技術研修会のまとめ - 文化庁
○ 閉会あいさつ
12:00 二日目終了
オプション
12:15~13:15 昼食(希望者1人1,000円)
13:15~15:30 三徳山三仏寺(三朝町)見学
(交通費入山料で一人1,500円)
※登山に適した服装をお願いします
16:00 倉吉市役所及び倉吉駅で解散
7 参加費 一日目の意見交換会(交流会)及び二日目のオプション以外は無料
8 宿泊 各自でお申し込みください
9 事務局 〒682‐8611 倉吉市葵町722番地
倉吉市教育委員会文化財課
担当 眞田・森下・松之舎
Tel:0858-22-4419 Fax:0858-22-2303
10 参加予定数 行政関係30人、技術関係40人、住民・学生等30人 合計約100人
- 2005/10/04(火) 18:01:09|
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先週金曜日、旧加藤家住宅の管理人Kさんから連絡をいただきました。「南面の石垣が破損している」とのことで、今後の対応策に苦慮されているご様子でした。そこで、私とノビタくんとで実況検分をおこなうはこびとなりました。
現在、旧加藤家住宅(倭文地区)の裏山では、高速道路「姫鳥線」の建設が急ピッチでおこなわれています。それに伴い、南面石垣沿いに普通乗用車1台分の幅の道路があり、これを4m幅に拡幅して、その「姫鳥線」への接続道としての機能も持たせるようです。その工事の一端として、すでに隣接する住宅の付属屋が取り壊されていました。その工事の煽りをうけてか、南面石垣をになう石材2つが欠損していました。
以前から似たような事例があったためか、石垣が崩壊し、土が剥き出している箇所があります。今後、接触などから保護をするために、石垣から30cm離し、腰の高さまでのコンクリート壁を設け、接触を拒もうという提案がでてきてはいるようですが、Kさんはこの案は使いたくないと仰りました。
今回、我々は、南面石垣の連続写真を撮影しました。これにより、今後に事が起きれば比較できる資料となります。また、前回までの写真との比較をし、今日までにどのくらい変化しているのかを調べていきます。これをもとに対応策を考案する予定です。[岡野]

加藤家住宅敷地南面の状況

割れた石材
- 2005/10/03(月) 22:28:44|
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ノビタです。
この写真は、合成でもやらせでもありません。本当なんです。
1日にホカノくんと旧加藤家の南面石垣の写真撮影を終え、鳥取市役所駅南庁舎1階のレストランで昼食をとった後、対翠閣前の交差点差し掛かりました。すると、アスファルトの上に布団が車線の一つをふさぐように落ちていました。もうビックリです。
明らかに交通の妨げになっていたので見過ごすわけにもいかず、近くのコンビニに車を停めると、交通量が少ない瞬間を見計らって歩道に引き上げました。
さて、どうしよう
風が強かったので、近所から飛んできたものではないかと推測し、現場に一番近い食堂に聞いてみましたが違いました。それではどこから…と、思い辺りを見渡したのですが、一体どこから飛んできたのか皆目見当がつきません。そこで、困り果てた僕達は近くの交番へこの布団を拾得物として届ける事にしました。
交番に入り、
「あの~、布団拾ったんですが…」と言うと、
「布団!?どこでぇな?」とお巡りさん。
布団のような大きな拾得物は初めてだったらしく多少困惑されていました。お巡りさん曰く引越しの車から落ちたのでは、ということでした。
拾得物届を書き写真現像に向かう途中、僕の頭の中では、古くから誰もが言っている、あの名ギャグでいっぱいだったのは言うまでもありません。
一刻も早く持ち主が現われる事を祈ります。
- 2005/10/02(日) 18:55:09|
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2004年度後期から2005年度前期までのプロジェクト研究「廃材でつくる茶室」の経過を16ページの冊子として綴ります。掲載内容は、2004年度の岡村先輩がおこなってきた棟上・外装などと、2005年度から私が引き継がせてもらった内装をまとめたものになります。また2004年度前期のプロジェクト研究「ツリーハウス」のコラムも掲載します。
冊子化にあたり、この1年間の作業を振り返っていますが、改めて大勢の方に協力して頂いたからこそ茶室は出来上がったのだと思いました。皆様には本当に感謝しています。
冊子に載せる写真で、インパクトのあるものがないので、F4と高解像度デジカメの両方で、宮本君と写真を撮ってきました。(ヨシダ)
- 2005/10/01(土) 00:02:04|
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