Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

神無月の晦

 とうとう印画紙に印刷された本当の最終校正ゲラが宅配で届いた。いま電話校正を終えたところだが、一枚だけ航空写真に問題があって、編集部で検討してもらっている。だって、出雲大社が映っていないんだもの?? 
 いやはやブログ断筆宣言から二ヶ月あまり、正直、堪えましたね。歳です。
 新著が店頭に並ぶのは12月中旬というから、あと2週間足らずだ。松江方面の書店からは注文が殺到しているらしいが、東京で売れないとね、売れたとは言えません。そういえば、今日は神無月(かんなづき)の晦(つごもり)ではないか。文字どおり、神さまの居ないひと月だったわけだが、この一ヶ月、日本全国の神々は出雲に集結されていた。だから、出雲だけが神在月(かんありづき)で、どこの神社も祭り三昧。
 神在月に神さまたちの宿舎となるのが佐太神社である。美保神社は2棟の本殿が並列するが、佐太神社では本殿が3棟並ぶ。大社造の本殿が3棟並列する唯一の神社として知られる。
 今日、神々は故郷への帰途につく。また、来年!

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  1. 2005/11/30(水) 17:29:02|
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通柱・添束構法

 いま2年生P研の主要メンバーが来室して、吉田・大城とミーティングしている。2年生は、茶室にあがる裏山の道ばたに「腰掛け待合い」を作ることになっている。かれらは、先週、八東の八頭森林組合まで出かけ、杉丸太を23本もらって返ってきた。ところが、建物の基礎は「掘立柱」とすることになっている。杉は水に弱く、地中に埋める「掘立柱」の基礎には不向きだ。もとは栗の木を用いることになっていたのだが、廃材となった栗では長さが足りないという。そこで、わたしが助け船を出した。栗の添束を地中に打ち込み(杭柱)、礎石上に杉丸太の通柱をたてて栗と結びつけることを提案したのである。要するに、「通柱・添束」構法を採用するわけだ。添束は同時に大引を支える床束にもなる。日本人が弥生時代から用いてきた高床建築の構法である。
 あさってのプロ研では、仮組まで行こうと思う。


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  1. 2005/11/29(火) 19:51:01|
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美保神社の写真Ⅱ

 今日は晴れていて、ビアンキで出発したのだが、向かい風が強く往生した。最近、うちのビアンキはスピードが出にくく、今日はタイヤの空気をぱんぱんにしたのだが、やはりスピードは出なかった。体調がわるいから、自転車をこぐのはほんとしんどいのだけれど、血圧を下げるにはこういう運動が最適だと信じ、今日もまた自転車をこいだのです。
 ところで、月曜日になると、とたんにメールが増える。そのなかに、昨日お話した松江のF君の添付写真も含まれていた。下は美保神社本殿2棟を背面からみた写真です。ちなみに、こういう2棟並立の本殿は松江市美保関に4社残るのみ。社殿形式は「美保造」または「比翼大社造」という。

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  1. 2005/11/28(月) 17:07:21|
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デッドライン前日の週末 -美保神社の写真Ⅰ

 今日もまた新しい校正(3稿)の入ったB4版の封筒が家に届いた。編集者は、平日をとおして編集作業に没頭し、金曜日にその成果を投函する。その翌日、執筆者は分厚い封筒を受けとり、土日をつぶして校正に明け暮れることになる。ほんとか嘘か知らないが、明日がデッドラインなのだそうだ。それで、一所懸命、校正に励みました。じつは、昨夜からワイフと娘が来ていて、今日は服を買ったり、旅行計画を練ったり、いろいろ楽しもうと考えていたのだが、ワイフは荒廃した宿舎の清掃に忙しく、わたしは校正に忙殺され、娘はぐぅぐぅ寝るばかりで、さっぱり冴えない週末であった。

 問題は急募!していた美保神社の写真だが、松江市在住の山村さんに頼んだら、
  「あぁ、ネガありますよ。スキャンして送ります。」
とのことで、あっさりケリがついた。山村さんは日本の国宝を4×5の大型カメラで撮り歩いている古建築愛好家で、島根県内の重要文化財建造物もほとんど撮影しているらしい。おかげで、下の写真が入手できた。感謝、感激です。
 じつを言うと、昨日、山村さんには電話が通じなかった。石見銀山に行っていたからだ(あのあたりは「圏外」が多い)。そのあいだ、とても心配になったので、松江市教委のF君(本ブログでお馴染み)にも打診しておいたところ、F君は本日、細君との御デートを兼ねて美保神社に参拝し、写真を撮ってきたとのこと。いや、悪いことをしました・・・。

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  1. 2005/11/27(日) 20:47:00|
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美保神社の写真、急募!

 昨日、AMAZONから大量の書籍が届いた。いずれも「出雲」関係の図書である。注文したのは10月前半だったのに、校了間近になって、こんなにたくさんの本がやって来ちゃって、どうしようか思案にくれつつ眺めていたら、案の定、ある本のなかに「美保神社」の俯瞰写真を発見し、吉備津神社本殿の比翼入母屋造にも似た大社造本殿2棟並立の姿に目を奪われた。これを大社造本殿の代表例として納めなかったのはまずいと深く反省。せめて裏表紙ぐらいは飾れないものかと、深夜、編集部にメールを入れておいたのだが、今昼、箱根の社内旅行から戻った編集長のY女史より電話があった。彼女は、ケラケラ笑いながら、
  「センセ、もう表紙は入稿しちゃって、ちょっとご勘弁くださ~い」
と、ほんとケラケラ笑いながら、あっさりわたしの申し入れを拒絶するのである。
 なにせ、世の中に女ほど怖いものは存在しないから、こういう場合、楯ついてはいけません。引くときはひかないといけないのだが、こちらも、
  「社内旅行のために、わたしを急がせてたのね?」
などと、ねちねち話を続けていたら、
  「センセ、本文の白黒写真のどれかと差し替えるというのならなんとかなりますけど、・・・ただし図版番号が変わらないようにしていただきたいんですけど」
という妥協案を、またしてもケラケラ笑いながら、示すのである。
 もちろん、それに乗りました。自分の執筆が遅れたのを棚にあげて言わせていただくと、やっぱりですね、社内旅行などというものを、こういう切羽詰まった時期にやるのがよくないわけです。

 というわけで、いま美保神社の写真を手配しているところ。読者のみなさんで、「持っている」という方、至急ご連絡ください。デッドラインは来週前半。その写真が掲載された場合、新著を1冊贈呈させていただきます!
  1. 2005/11/26(土) 17:05:47|
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「異世界の調和」

 22日の夜、Y助手のもとへ初任給が入ったということで、我々浅川研のメンバーが動いた。そう!!皆で、食べに行ったのである。場所は、浅川先生行きつけの居酒屋。そこは、一階はカウンター、二階は座敷となっていて非常に落ち着きある雰囲気をかもし出していた。今回なぜこの居酒屋にお世話になったかというと、浅川研には奇妙な体質を持った人間が一人いるからでる 彼、”大○ろ”は動物性のたんぱく質を口に入れることが出来ない(@_@;)つまり、肉や魚が食べられない体質なのである。食べると、約3日は眠り続けるらしい。恐ろしい。 しかも、彼の体は非常にもろく、歩くだけでぶっ倒れる……。っというのは全くの嘘で、彼の体はいたって健康p(^o^)qである。というか、むしろ最強である。その体は医者も保障済みで、医者に行き採血するたびに、「こんなキレイな血液は見たことがない、体もいたって健康!!」と太鼓判を押されるそうである。
 そんな大○ろ”のいと勝手なりける体”をうまく対処していただいたのが今回の居酒屋である。この居酒屋は、食べ物に関して非常に融通が利き、大○ろでも食することの出来る特製鍋を作ってくれた。そして、その特製鍋を大○ろと共に堪能したのが、浅川先生と吉田に~やんである(ちなみに、その他のメンバーはカニなどがふんだんに入った鍋を食していた)。特製鍋には、白菜・春菊をはじめとした青野菜や、シメジ・まいたけ・エリンギなのどきのこ類。と、まさに”野菜ONLY鍋”である。じつに魅力的な鍋である。その鍋を食べつつ、浅川先生はこうおっしゃった「野菜鍋を食べてる我々3人と、他のメンバーは全く違う世界にいるようだ。」と。しかし、その二つの世界が調和した空間はじつに楽しいものだった。この会を設けていただいた方、及び、特製野菜鍋を作っていただいた居酒屋に感謝したい。 (ちあき)
  1. 2005/11/25(金) 20:20:09|
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茶室でマッコリ

 今日は、プロジェクト研究2&4で、ようやく腰掛け待合いの測量に着手した。2年生は5名が八東町の工務店に廃材をもらいに行っていて、残りのメンバーと1年有志が現場で作業した。作業後、茶室で韓国土産三昧の宴席。明太子と烏賊とチャンジャのキムチ仕立てをアテにマッコリを飲んだ。白飯も炊いてきていて、韓国海苔を巻いて食べた。サムゲタンのパックもあったのだが、茶室で作ることはできなかった。学生たちはマッコリを飲まない。マッコリを愛するのは2名の教員以外では4年のキム・ドク(別名タイガー戸口)ぐらいであって、1・2年はチューハイばかり飲んでいた。キムと言えば、前にもブログに記したように、「マッコリでモッコリ」のキムである。
 じつは、午前中、韓国でお世話になった李先生からメールが入っていて、わたしはその文面に涙していた。その理由は、だれにもわからないだろうが、李先生の器に胸を打たれたからである。なんとか恩返しをしなければならない。

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  1. 2005/11/24(木) 22:14:29|
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三角山の揚羽蝶 -紅葉の修験道トレッキング

 朝六時、腹痛で目が醒めた。キース・ジャレットじゃなくて、ジャック・ディジョネットでもなくて、そうそう、激しいゲーリー・ピーコックに襲われて、8時までに6度、雪隠と床を往来した。水のようなそれである。
 今日は、市内旧町村文化財建造物に関する調査を3班に分けておこなうことになっており、わたしには用瀬町の三角山(みすみやま)山頂の神社が割りあてられていた。要するに、急峻な山径をトレッキングしなければならないのだけれども、こういう状態での登山は非常にきびしい。へなへなの体で、なんとか用瀬の集合場所にたどり着き、まずはみんなの昼弁当を用意しなければならないので、コンビニに入ったのだが、朝からなにも食べていないので、どうしようかと周辺に相談したら、山岳部で鍛えた新任のY助手は、
 「ミルキーがいいですよ。これなら血糖値が上がります」
との一言。鋭い指摘であった。ミルキーが今日のわたしの生命線である。
 ミルキーはママの味です!

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 三角山は、もとは御栖山(みすみやま)と言って、猿田彦降臨の霊山とされ、弥山のようにそびえ立つ山の頂に巨巌があふれかえり、その隙間に三角山神社本殿が建っている。千鳥破風付入母屋造の本体に軒唐破風をつけた「宮殿(くうでん)」型の本殿だが、向拝が前方に1柱間分のびていてひろい浜床を覆っている。建立は弘化二年(1845)。装飾はきわめて派手で、いったい社殿のなかに何匹の動物がいるのだろうかと思うほど、多種多様な彫刻でにぎわっている。わけても注目すべきは、揚羽蝶。ご存じのとおり、鳥取藩主池田家の家紋である。鬼板、扉、はては籠堂の釜までが揚羽蝶の家紋で彩られ、しかもそれぞれの蝶の意匠が少しずつ異なっている。池田家が、この霊山を崇敬していたことを如実に示す印章である。全体に風蝕と劣化、菌類の付着が進んでいるが、建築そのものは見事な出来映えであり、旧用瀬町指定文化財だけのことはある。市町村合併後、自動的に市指定文化財となったが、その名に恥じぬ名建築と評価してよいだろう。

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 三角山神社の場合、建築単体としてのみの評価では片手落ちである。猿田彦神話に直結する巨巌や山嶺を含めて総合的な文化財的評価をくだすべきであり、思うに、三角山全体を県指定の「名勝」としてもなんらおかしくない。紅葉の山径は、言葉では表現できないほど美しく、眺望景観も素晴らしい。山径はあまりに険しく、体力を消耗している身には辛いことこの上なかったが、これまた修行、あるいは修験の道であり、汗をかいたおかげで、体調は回復していった。いったん山頂に登ってしまうと、下山するのがもったいなくなる。鳥取も捨てたものではない。

 下山後、佐治町余戸の「辻堂」に3班が集結した。茅葺きの辻堂で、年代が判定し難い建築であった。それからうどんの千代志まで移動して、3班の成果を披露しあった。三角山本殿のほか、笹尾神社薬師堂、林泉寺山門の絵様拓本がそろった。
 ようやく研究は最終段階に踏みいったのである。

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  1. 2005/11/23(水) 23:43:20|
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木造建築士の想い出

 忙しい大学生活が再開した。今日は、2限(10:40~)から2コマ、環境デザイン演習2で、基礎伏図・床伏図・小屋伏図の課題をチェックし、矩計(かなばかり)図の課題説明をした。伏図と言えば、3年前、木造建築士の資格試験を受験する際に、速攻で描く訓練をした、懐かしい想い出がある。難しいのは、軒桁や小屋梁の成が柱間寸法によって細かく変化するところだが、もちろん1年生には、そんなことまで教えない。
 いまかれらは、大引、根太、火打梁、筋交、小屋梁、母屋、垂木などの基礎語彙を覚えるだけで精一杯のようだ。
 4限(14:40~)からは3/4年生のゼミ。今日は、お城オタクのノビタを絞りあげた以外は、意外と早く進み、まもなく、後期初のゼミ・コンパに移動します。会場は「飛鳥」の2階。メニューは定番の寄せ鍋だが、3年男子に若干1名ベジタリアンがいるので、野菜&キノコ鍋も用意してもらうことにした。わたしもその鍋の席に座ろうと思う。ダイエットです。

  1. 2005/11/22(火) 17:44:48|
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ギタリストを撃て!

 久しぶりにホームドクターを訪れて問診を受け、常備薬をたくさんいただいた。血圧があがっている。仕事に対するやる気、というか持続力が失せているのは、血圧のせいなのかもしれない。でも、昨夜、キャプションの解説原稿は脱稿し、S社に送信した。よって、残るは校正のみとなった。
 夕方の5時すぎのスーパーはくとに乗った。先週もおなじ列車にのって、郡家に迎えに来てくれと頼んだら寝過ごしてしまった話を、たしかブログに書いたはずだが(書いていないみたいだな・・・)、今日は30分前に目がさめた。そして、いま水曜日の調査計画を練っている。3班にわけて、三角山神社、笹尾神社薬師堂&辻堂(余戸)、林泉寺山門を攻めることになりそうだ。問題は木村大のコンサートで、なんと開始は午後2時。聴きに行きたいという学生が若干名いるのだが、どうかな、間に合うだろうか。
  1. 2005/11/21(月) 21:54:24|
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グラビア・キャプション

 昨日は病院から奈良の自宅に帰って、睡眠不足を補うためソファで昼寝をしていたのだが、S社の容赦ない催促の電話で起こされた。口絵(カラー・グラビア)の構成とキャプション原稿の催促である。
 土曜日なのに、担当のY女史は編集室に出勤していて、わたしが鳥取ではなく奈良にいることもちゃんと知っていて、口絵構成(白い部分が多いぞ!)を宅配で送りつけており、頃合いを見計らって電話してきたのだ。
 やり手ですねぇ・・・

 というわけで、今日は口絵の解説原稿を書き始めたのだが、いつものように進まない。原稿というのは、不思議なもので、調子がのってくると、山下洋輔のドシャメシャ・ピアノのようにキーボードを叩きまくっているのだけれども、だめなときはだめだ。今日は駄目です。
 依然、疲れがとれていない。S社の本文原稿と版下を無理矢理そろえて韓国にわたり、久しぶりに持病の発作がでて帰国し、倉吉で講演してから、大阪で入試面接をして、テレビ出演してからガンマナイフの付き添いをしてきたわけだからね。疲弊しないわけがありません。
 今週は勤労感謝の日に調査が入りそうだ。同じ日の夕方に、木村大のコンサートがあるのだけれど、だれか一緒に行ってくんないかなぁ。
  1. 2005/11/20(日) 23:00:00|
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西高東低の気圧配置

 補助ベッドの眠りから醒めて、病室の窓外をみると、からっと晴れ上がっている。鳥取では、4日前からずっと雨が降り続き、気温も下がった。3日前、とうとう灯油を買い込み、石油ファンヒーターに点火してしまった。中国山脈は初冠雪。これから約3ヶ月間、どんよりとした空の下で生活しなければならない。こういう冬の気候が、「因幡根性」と呼ばれる湿っぽい気質を作りあげたという説があって、両者の因果関係を実証するのは難しいだろうが、そう思っている県民は少なくないであろう。
 正直、憂鬱である。まず、自転車に乗れない。したがって、体調が悪化する。蟹や子持ち鰈がうまくなるから、焼酎のお湯割りを飲み過ぎる。やはり体調が悪化し、体重が増える。あごの肉の垂みがさらにひどくなる。車はアイスバーンでスリップする。
 ところが、近畿に戻ってくると、快晴。気温は下がるが、車に乗っていると、日差しの熱伝導で車内は結構暖かい。すべては西高東低の気圧配置がなす仕業だ。
 山陰の冬を楽しむには、どうしたらよいだろうか。

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  1. 2005/11/19(土) 14:13:09|
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「ごじきん」の周辺

 早朝、と言っても午前9時だけれど、女子大生(3年ゼミ生)の訪問をうけた。じつは、わたしが住んでいる田園町の職員宿舎をリフォームする課題を出していて、その補足調査にやってきたのだ。拙宅は、昭和40年代に建設された木造+一部RC造の2階建テラスハウスである。エスコートしてきたのはホカノ。前にも述べたように、ホカノはこんなことにかかずらわっている余裕はないはずなんだけれども、人がいいのか、女子に弱いからなのか知らないが、家の内外を採寸し始めた。わたしは朝風呂につかった。そして外出し、無印良品の店を冷やかしてから隣の茶店でブランチをとり、大学まで足をのばしメールチェックをした。宿舎に戻ったときには、すでに人影はなかった。
 雨のなか、宿舎とおなじ田園町にある日本海テレビまで歩いて行った。たしかに「ほたる」の向こうに背の高いビルがあって、こういう大きなビルがあることを4年半も気づかずにいたのである。亀山ディレクターの挨拶をうけて、担当の福谷アナ、杉田アナと打ち合わせした。杉田さんは、福浜さんと一緒に茶室に取材に来た経験があるから、茶室のことはよくわかっている。二時半から収録。一発でOKをいただいた。

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  1. 2005/11/18(金) 23:50:22|
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産官学連携フェスティバル2005


 産官学連携フェスティバル2005が鳥取大学において開催されました。鳥取県内の様々な分野の研究者による、口頭発表ならびにポスター発表があり、研究情報の交換がなされました。また、この研究発表は、鳥取県環境学術研究費の成果発表も兼ねており、環境大の先生方が多く展示・発表されました。
 浅川研究室は、教育・社会・生活系の分野において、「妻木晩田遺跡における遺構露出展示と覆屋の設計」をポスター発表として展示し、パンフレットの配布もおこないました。浅川先生は必修の授業と演習が3コマもあったので、共同研究員であった鳥大の高田講師と学生2名で説明係を担当しました。先生は午後4時半前に到着しました。

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 会場は、1階から6階まで情報・機械、社会、環境、医学などの分野に分かれて展示がなされ、?(キム・ドクには理解できない)研究や興味を惹かれる研究もありました。一つの分野に偏ることなく触れてみる事で、別の分野の研究が、他の分野の研究に応用可能であるということを発見できると感じました。また、鳥取ならではの研究が多くなされおり、まさに地域密着研究と言えるのではないでしょうか。  キムドク(別名:タイガー戸口)

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  1. 2005/11/17(木) 20:56:05|
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A邸調査

先週,A教授のお宅に伺い実測調査を行いました。
A教授が不在の中、6人で調査しました。
そして、今日あるコンペに参加することが決定しました。
メンバーは佐々木、吉村、森川の三人です。一ヶ月後が締め切りなので、頑張って三人でやって行きたいと思います。
  1. 2005/11/15(火) 18:30:30|
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樗谿神社唐門の写真測量

 以前も、研究室の学生皆で見学に来たことがあるのですが、鳥取市上町に、樗谿(おうちだに)神社という鳥取藩主池田家ゆかりの神社があります。この神社は、初代藩主 池田光仲が徳川家康を祀るために、慶安3年(1650)、日光東照宮から分霊して創建したもので、本殿を始め唐門・拝殿・幣殿が、昭和27年7月19日に重要文化財の指定を受けています。日光東照宮の権現造とは異なり、本殿と拝殿を繋ぐ「石の間」と呼ばれる部分がなく、代わりに幣殿を拝殿の裏側に突出させている。また、本殿を池田家墓所の玉垣と同様に、石造の玉垣で囲っています。

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 樗谿神社の唐門を史跡 鳥取藩主池田家墓所整備事業で行う、初代藩主 池田光仲墓玉垣の門扉復元に用いる資料として、実測調査させていただくこととなりました。しかし、樗谿神社唐門は、重要文化財の指定を受けており、日頃行っているような、コンベックスを直に当てての実測ができないため、市内で写真測量を行っている企業に写真測量をしていただくこととなりました。調査は、午前9時から始まり、唐門表側の調査は予想以上に順調に進み、研究室から調査に同行したホカノ、キム・ドク(別名:タイガー戸口)、ピエールの三人も、側面の調査(勿論、重要文化財を傷つけないよう、いつも以上に注意をして)を行いました。そのため昼頃には、ほとんどの調査が終わりました。

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 樗谿神社唐門の扉には、三つ葉葵の紋が彫りこまれており、たくさんの金具を使用した豪華な造りとなっています。扉の裏面も玉垣の外側から確認したところ、同様の造りになっているようでした。今回の調査で、光仲墓を始めとした門扉復元のための重要な資料を得ることができ、本当に良かったと思います。  (ぴえーる)
  1. 2005/11/14(月) 17:15:48|
  2. 史跡|
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推薦入試終了

 推薦入試の二日目。朝は近鉄難波から地下鉄四つ橋線に乗りかえて肥後橋で下車。歩いて試験会場入りした。今日も、受験者の欠席なし。無事、面接を終えた。帰りは東梅田まで歩いて、谷町線、中央線で生駒まで戻り、近鉄に乗りかえて帰宅した。
 大阪から直接帰鳥すると、時間のロスが少なくなるけれども、やはり奈良の自宅に帰りたくなる。長女も大阪の下宿から戻ってくるらしい。長女は大阪の住吉大社近くに一人住まいをはじめて半年になる。家賃は3万円弱。親は学費以外の支援をしていない。家賃は鳥取よりずっと安いから、バイトをすればなんとか生活できるようだ。
 長女が帰ってくると、高一の長男は上機嫌だ。
 「生活、大丈夫なんか、おまえ」
とため口を叩きながら、姉と雑談するのがとても楽しいらしい。

 こういう日はたいてい一家をあげて「ゆららの湯」に行くのだが、今日は疲れてしまって、夕食後、「行列のできる法律相談所」も観ずに、ぐうぐう寝てしまった。韓国で買ってきたイカムンチョと切り干し大根のキムチがあまりにうまいので、焼酎の水割りが進んでしまい、結果、リビングのソファで大鼾をかいてしまったのである。
 いつものことだが、疲れている。それだけのことさ。

 
  1. 2005/11/13(日) 18:31:40|
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「ごじきん」の生出演?

 昨日は研修会終了後、西河(男)と社長を引き連れて、土蔵蕎麦→サダルチョークをはしごし、倉吉駅まで送ってもらって、午後1時すぎのスーパー白兎に乗り込んだ。大阪駅に着いてプラットフォームをみわたしたら、予想通り、うようよ環境大学のスタッフがいる。今日の推薦入試の会場設営のため移動してきた連中と同じ列車に乗っていたわけで、なにぶん善人なものだから、物陰に隠れてふけてしまえばいいものを、手をふって皆に合流し、会場設営に加わった。
 で、本日は推薦入試。おかげさまで、欠席者なし。遠隔地からの受験者も多く、順調な滑り出しと言えるでしょう。
 明日の集合時間は11時と遅いから、ホテルを1日早くチェックアウトし、奈良の自宅に帰ってきた。5日続けてのホテル住まいから、ようやく解放されたことが素直にうれしい。
 ところで、日本海テレビの茶室放映は、結構評判が良かったらしく、日本テレビも興味を示し、同局系列のNNN24という衛星放送で再放送されたとのこと。それで、こんどは同じ日本海テレビが毎週金曜日午後5時から生放送している1時間番組「ごじきん」にゲスト生出演してほしいとの依頼が届いた。今週の金曜日(18日)は、午後3時~6時まで日本海テレビのスタジオで拘束されるらしい。
 ところが、ある予定を思い出した。17~19日はガンマナイフではないか。いったいどうしたらいいのだろうか。
  1. 2005/11/12(土) 23:41:09|
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伝統的建造物群保護行政研修会(基礎コース) in 倉吉(Ⅱ)

 本日は最終日。メインは実地研修の講評会。昨日の午後におこなわれた実地研修の課題を発表し講評するもので、参加者の方々が5つの班に別れ、順に発表されました。課題は倉吉市の伝統的建造物郡保存地区に関して、重伝建に指定されている区域・その周辺区域の保存計画を策定するもので
 1.保存地区の保存に関する基本計画(保存地区の範囲の設定・保存の基本方針・防災対策など
 2.保存物件の特定(伝統的建造物・環境物件の特定基準、棟数、件数など)
 3.保存地区内における保存整備計画
 4.助成措置
 5.保存地区の保存に必要な管理施設、設備及び環境の整備計画
といった内容に沿って考察するもので、昨晩遅くまで課題に取り組んでいたようです。

 このような研修会は知恵を分かちあうには何よりも良い機会なのではないかでしょうか。伝統的建造物を保存するという難題な課題にとってはこのような意見を交換しあうというのは、必要不可欠なことなのかもしれません。

 このような場で聴講できたことは浅川先生のおかげで、とてもよい経験をしたと思っています。
(ミヤモト)

  1. 2005/11/11(金) 16:00:25|
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伝統的建造物群保護行政研修会(基礎コース) in 倉吉(Ⅰ)

 昨夕、仁川から岡山に飛んだ。岡山空港には岡山出身のキム・ドク(別名タイガー戸口)と社長さんが迎えに来てくれた。そこから、岡山道→中国縦貫道→米子道を経由して湯原インターで地道に降り、峠をこえて倉吉入りしたら9時半。仁川空港のカフェ、飛行機の中、そして深夜のホテルで、今日の講演用パワーポイントを作り続けていた。
 昨日9日から、文化庁の伝建部門が倉吉に民族移動してきている。伝統的建造物群保護行政研修会(基礎コース)を開催するためである。参事の苅谷さんは京大西川研の先輩、主任の熊本さんは京大の1年後輩、調査官の西山くんは奈文研でわたしの部下であった熊のような男である。今日は二日め。まず、滋賀県立大学の柴田先生が「まちづくり」について講演され、つぎにわたしが「町並み保存論」について講演した。メインとしたのは、いつものごとく、authenticとoriginalの問題である。復原によって、
 1)「材料のオ-センティシティ」が失われる
 2)大量の廃棄物が発生する
ことになるから、町並み保存にあっても、できるだけ現状の立面を利用した小規模の修景によって、景観の質を向上させるよう努めるべきではないか。また、町家等の歴史建造物が点在する地区については、重伝建地区とは異なる町並み保存の施策を文化財保護法に導入するべき時期に来ているのではないか、とも述べた。出席者とのあいだで有意義な議論ができたと思っている。

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 講演が終わり、柴田先生が環境大学を見学したいとのことなので、社長の車で大学までお送りし、キャンパスをキムが案内した。茶室にいたく感心されていたとのこと。
 わたしはといえば、授業、演習があって、さらに夕方6時から学長との「将来構想WG」。これが終わったら9時。西河(男)に貸していたスィフトにのって(運転は西河)、田園町経由、倉吉に戻ったら11時。ホテルのロビーで西山にばったり会うと、
 「まだ課題をやってるんですよ」
という。研修者が5班にわかれ、倉吉の町を歩きまわって、「重伝建地区」を定め、その保存施策を提示するという課題である。
 その作業部屋にいくと、コップに泡盛がどんどん注がれていくので、ぐびぐび飲んで、一人わいわい騒いでしまった。
 すいませんでした。
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  1. 2005/11/10(木) 23:44:48|
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壱岐・対馬を行くⅢ

 15時25分発、郷ノ浦港(壱岐)経由、博多港行きフェリーに飛び乗り、壱岐へと向かいます。まったくもってべたなぎの対馬海峡を航行しており、ひとまず安心です。何せ、対馬ではアップダウンの激しい道のため、車酔いに陥った次第です。17時25分、無事に郷ノ浦港に着き、交通手段を探しましたが、タクシーが無難であったのはいうまでもありません。宿泊先は湯本の「国民宿舎 壱岐島荘」です。壱岐北西部で、歴とした温泉が湧いています。翌朝、宿舎側のご好意で、「一箇所だけ送り届けてあげます。」とのことで、お言葉に甘えて、壱岐風土記の丘に送り届けてもらうことにした。ちなみに、ここも『離島の建築』に紹介されています。

 壱岐風土記の丘は、壱岐市勝本町布気触にあり、おおよそ壱岐中央部北側にあたります。湯本からは車で15分といったところでしょうか。ここには古墳と城跡、百姓武家の建物を移築・復元しています。オモヤ、インキョ、ホンマヤ、ウシノマヤと復元されている建物が4棟あり、そこに同様な形式で建てられた管理棟で古民家園が構成されています。すべて寄せ棟造麦藁葺きの建物で、屋根勾配が若干きつく感じます。また、棟飾りが特徴的で、掘立て柱建物の棟飾りを連想させます。
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壱岐風土記の丘 古民家園


 「原の辻遺跡を訪問したら?整備中です。」と昨晩に先生より電子メールが届きました。事前に午後の予定を組んでおらず、原の辻(はるのつじ)遺跡に足を運ぶことと相成りました。原の辻遺跡は多重環濠集落で、湿地帯の遺跡でもあります。そのため、根太とおもわれる部材1本が検出されています。また、石積み土手が検出されており、船着場跡とされています。遺跡周辺は田園が周囲を巡り、丘陵と赤い流線形屋根の展示館があります。展示館は遺跡調査事務所を兼ねており、建物規模は妻木晩田遺跡の展示室兼遺跡調査事務所を大きく凌ぎますが、売店はありません。展示館前面の広場には建物高床式倉庫、草葺きの平地式竪穴住居が復元されていますが、少し疑問符でてくる箇所があります。展示館から道を隔てた南東に、丘陵部があり、遊歩道、休憩所があり、遺跡を360度見渡せます。
 現在、整備事業よりは休耕期の合間に石積み土手、水路を把握するため、試掘を急いでいるようです。ですから、田んぼのあちこちに縦幅3m×横幅6m×深さ3mくらいの試掘溝をあちこちで見ることができます。これについては近々、発表があるそうです。
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原の辻遺跡 展示館

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原の辻遺跡 船着き場跡の屋外模型

 壱岐・対馬訪問はこれにて終了を迎えました。これから、約半日をかけて鳥取へと戻りました。訪れた場所は少ないかもしれませんが、対馬藩主宗家墓所、原の辻遺跡においてご丁寧に説明していただき、充実した情報をいただきました。この場をかりて、感謝申し上げます。(ホカノ・ピエール)



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  1. 2005/11/10(木) 19:56:25|
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牙山市外岩村の古民家集落 -忠清南道紀行Ⅲ

 考古学者は、わたしが先史建築の専門家だと勘違いしているところがあって、それ以外にどれほどの分野にどれほどの業績があるのかを、よく知らないでいる。たしかに先史建築は自分以外に専門家が一人しかいないから、たくさん仕事がまわってくるのだけれども、もうこのたぐいの仕事はきっぱり辞めてしまおうと思うこともしばしばある。
 さてさて、早くも帰国日。収蔵庫のなかで、水浸けの建築部材をみるのは、もういいと思った。牙山(アサン)市に外岩(ウェアム)村という古い集落がある。無理を言って、その村に連れて行っていただいた。韓国の農村集落は、セマウル運動のために、古民家景観を喪失しているが、まれに「民族村」と呼ばれる保存集落があって、外岩村では、復元=再建に精を出していた。
 こういう村を訪れても、考古学者は退屈なのだろうと思う。まことに申し訳ない。わたしたちは農村集落にいるほうが楽しい。もっと時間が欲しかった。

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  1. 2005/11/09(水) 23:21:02|
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壱岐・対馬を行くⅡ

 対馬にて二日目となったこの日は、少しですが時間に余裕ができたので、先日から借りていたレンタカーにて、対馬西南岸の厳原町椎根にある石屋根倉庫を見学に行きました。石屋根倉庫は、大学の講義でも紹介されたことがあり、その独特の外観から、対馬にいった際には、ぜひ拝見したいと思っていたものでした。石屋根に用いる石には、対馬で採れる堆積岩(板状に剥離する粘板岩や砂岩、頁岩)が用いられ、瓦が普及しなかった藩政末期まで、住居は茅葺きか板葺きだったが、倉には板状の石を用いることが流行していたそうです。昭和57年頃から瓦に葺き替えられ、現在は、瓦葺きのものの方が多いのですが、それ以前には、石屋根であったと言われています。

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 厳原町椎根には、石屋根の倉庫が最も顕著に残っていて、身舎部分の四隅を25㎝前後の角柱、他の柱は約45㎝×12㎝の平柱が使われている石屋根の倉庫群には、見るからに重厚感がありました。石屋根の倉庫は、家(住居)とは離れて群を成して建っているのが対馬の古いしきたりらしく、現在もその様子はうかがえました。倉庫内部は三室に分かれ、衣類、穀物、什器などを収納しており、住居から離すのは、防火対策のためであるという。

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 対馬では、「石」という素材が多くの個所で使われており、島内を探索している間も、たくさんの石垣を発見しました。それでも、かつてあった多くの石垣は、道幅が広がるという理由からコンクリート壁に取って代わられているようです。それでも、本当に多くの石垣があり、驚きました。「石」を用いることは、対馬の歴史において、重要な文化なのだと感じました。  (ホカノ・ぴえーる)



  1. 2005/11/09(水) 17:17:04|
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葛梅里遺跡の建築部材 -忠清南道紀行Ⅱ

 高麗大学校がこの夏まで発掘調査をおこなっていた忠清南道牙山市の葛梅里遺跡は、原三国~漢城百済Ⅰ期(3世紀)の低湿地遺跡で、折れ曲がる水路の周辺で多数の平地住居跡と高床倉庫跡がみつかっている。そして、水路の中のたまりのような凹み部分から大量の木材が出土した。その部材を今日は一日中、考古環境研究所の収蔵庫で調査し続けた。青谷上寺地遺跡の建築材と比べると、継手仕口が少なく、平地住居の材を矢板に転用したものが多いと思われる。ただし、垂木やかんぬき扉など、高床倉庫の材も含まれている。この材の分析を担当しているのが、日本から来ている庄田さんで、まずは目録(インベントリー)作りを薦めておいた。おなじ仕事を、青谷では茶谷さんが進めているので、両機関が交流すればよいと思った。

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 夕方5時になって、その庄田さんから、講演をやってくれないかと依頼された。もちろんパソコンを持ち歩いているので、青谷と妻木晩田の講演データはいっぱい詰まっている。7時から、李先生と学生20名ほどを前にして、「山陰地方の弥生時代建築」と題する短い講演をおこなった。質問をたくさんいただいて、ここまではハッピーでした。

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 その後、朝鮮人参のような薬物?入りマッコリに酩酊し、トランス状態に陥った。何も覚えていない・・・
  1. 2005/11/08(火) 22:49:32|
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壱岐・対馬を行くⅠ

 長崎県の北部に位置する対馬で整備事業が進められている対馬藩主宗家墓所に、鳥取藩主池田家墓所と同じ凝灰岩で造られたものがあるという話を聞き、宗家墓所で実施された技法が、鳥取藩主池田家墓所の整備でも役立つのではないかと、以前より対馬訪問計画を練っていました。その計画が11月8日(火)ついに実現しました。
 長距離バスの揺れに耐え、福岡に到着したホカノとピエールは、福岡空港発の飛行機に乗り、対馬の地を踏んだ。

飛行時間は約30分。搭乗までの待ち時間の方が長いくらいだった。

 対馬市教育委員会厳原事務所では、生涯学習班のOさんが史跡 対馬藩主宗家墓での整備事業について、丁寧にご説明してくださった。今回、鳥取県文化財課の方の助力もあり、整備事業についての説明をしていただけ、とても勉強になりました。
 対馬藩主宗家墓所では、玉垣倒壊に至る経緯のほとんどが台風によるものらしく、整備が行われた真常院殿(28代)藩主墓玉垣でも、平成15年の台風により、折れた周辺樹木の枝が、玉垣が倒壊を招いたということでした。用意していただいた簡単な図面を見ながら、整備事業の説明を受けた後、実際に宗家墓所がある菩提寺「万松院」へと向かった。宗家墓所は、歴代の藩主19代から32代までの墓石がならぶ場所で、昭和60年2月18日に国史跡の指定を受けています。その規模もさることながら、「百雁木(ひゃくがんき)」と呼ばれる123段の大石段は印象深く、苔生した周囲の石垣にも歴史を感じさせる雰囲気がありました。また、史跡内には、幹囲が最大7m、樹高は35mにもなる大杉が、その存在感を主張していました。台風の被害で倒壊した真常院殿(28代)藩主墓玉垣は、すでに整備を終えており、静かにそこに立っていました。

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 周囲には、大杉の他にもたくさんの大木があり、台風により、この枝が折れるとはとても思えないくらいでした。整備された玉垣は、近くで見ると何箇所か繋ぎ目のようなものが確認できました。倒壊により、2材に分断した柱や笠石もあり、修復の際には分断した石材を接合する作業が行われたそうです。石材の接着には、エポキシ系の接着剤を用いる他に、石材内部にステンレスピンを挿入することで、より強固な接合をしていました。宗家墓所玉垣には花崗岩が用いられており、池田家墓所の玉垣とは石材が異なるのですが、非常によく似た構造をしており、補強の方法が参考となるだけでなく、玉垣の他にも、石垣塀・燈篭の修復を行っているため、多くの点で勉強となり、対馬市教育委員会の々を始め、多くの方に感謝しています。今回、訪問した宗家墓所での修復技法を参考として、鳥取藩主池田家墓所に合った修復を考えていければと思います。

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 また、対馬には、今回紹介した対馬藩主宗家墓所の他にも、石積みの防火壁や金石城跡といった文化財が密集しています。そして、新鮮な海の幸も多く、ぜひもう一度訪問してみたい場所でした。  (ホカノ・ぴえーる)
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  1. 2005/11/08(火) 21:15:19|
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高麗大学校考古環境研究所 -忠清南道紀行Ⅰ

 早朝5時半起床。仁川空港に着いたら昼前。リムジンに乗って忠清南道清州へ。そこから庄田さんという留学生の車に乗り換えて、午後4時、ようやく鳥致院にある高麗大学校考古環境研究所に辿り着いた。
 どうですか、日本の考古学関係のみなさん、「考古環境研究所」って響きがいいでしょ!?
 昨年までは「埋蔵文化財研究所」という組織名だったのだけれども、施設の改修とあわせて「考古環境研究所」に改名したのだという。この改組を実践したのが、李弘鐘(Lee Hong Jong)教授である。李教授はわたしと同年代で、若い頃は九州大学に留学し、板付遺跡の発掘調査に携わった。日本語はもちろん大変流暢。ちなみに、高麗大学は延世大学と並ぶ韓国私学の名門で、日本の早慶とよく比較される。大学の本部はソウルにあり、鳥致院の校舎は分校である。
 今回の訪韓は、奈文研の先輩にあたる工楽さん(元埋蔵文化財センター長)のお誘いによる。工楽さんは青谷上寺地遺跡の発掘直後から調査指導を続けており、今年からは一緒に青谷出土の建築材(約6000点)の整理指導も担当している。今夏、三重の研究会で工楽さんが李教授から「3世紀の建築部材が大量に出ている」という情報を得たそうで、まもなく「専門家を連れて行く」ということで話がまとまり、わたしに白羽の矢がたったという次第である。
 問題の遺跡は、牙山市にある葛梅里遺跡。青谷上寺地を彷彿とさせる低湿地遺跡で、蛇行する水路からおびただしい数の木器・木材が出土し、そのなかに多くの建築部材が含まれていたのである。今日は時間がないので、収蔵庫の水槽に浸かっている木材をざっと見させていただいた。あとは遺構図をみて、登呂型の平地住居がたくさん建っていた可能性を指摘しておいた。

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 夜は爆弾酒の洗礼を浴びた。別名タイタニック。ビールグラスの中にウイスキーグラスをいれて、ビールグラスのエッジから少しずつビールを注ぐ。すると、中のウィスキーグラスが、船のように、ゆっくりと浮かび上がってくる。浮いたグラスにスコッチを注いでいくと、まもなく船は沈没。ビールにスコッチが溶け込んで、きついカクテルになるのだが、これを一気のみするのが韓国のならわしだ。
 かつて10年ほど前、慶州で爆弾酒を何杯も飲まされ、急性アルコール中毒になって、のたうちまわった経験がある。だから、今回はほとんど飲まなかった。奈文研の先輩のほうは、ぐいっと一飲み。記憶を失った。


  1. 2005/11/07(月) 22:02:51|
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棒ゲラ

 昨夜、奈良に戻ったら、S社から棒読みのゲラが届いていた。一通り読んで校正してから、もう一度読み直そうとして眠くなった。今朝、2度めの修正を加えた。われながら面白い原稿だと思うのだけれども、一般受けするかどうかはわからないし、おそらくライバルたちからは批判的なリアクションがあるだろう。
 宅配でゲラを送り、それから散髪に行って、こんどは10日の文化庁研修(倉吉伝建)の発表資料を作った。いま投函してきたところ。
 荷造りはこれから。明日は6時起床で、関空経由、ソウルへ飛ぶ。
 
 鳥取では、風雲、急を告げている。心配この上ない。
  1. 2005/11/06(日) 22:32:38|
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第三回尾崎家住宅調査

 本日、尾崎家住宅の調査をおこなってきました。参加者は、宮本、北野、森川、吉村、岡野、坂本、猛者の7名です。
 過去2回の調査により、図面はだいたい仕上がってきていますが、不具合な点が何箇所かあります。今回はこれまでの不足分を補う調査です。そのため、今日までに仕上げた図面に不足箇所に印した図面を持参しています。これに詳細な寸法を記入していきます。今回の調査で、主屋、佛間、長屋門の図面は完璧なはずです。
 今回は新たに、ハナレ2階の平面を採寸しています。こちらは、三年生コンビが担当しました。実測調査は2回目で、平面を実測するのは初めてでしたが、よい野帳を書いてくれました。三年生の演習での実測も上手くいくと思います。[宮本と岡野]
  1. 2005/11/05(土) 21:07:14|
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「茶」への道のり ~垂水での出会い~

 茶道に必要なキーワード。茶室と茶道具と心意気…。しかし、鳥取環境大学には大切なキーワードの一つが欠けていた。それは、お茶を点てる時に使用する茶道具だった。そこで今回「チーム御釜団」をレペゼンし、団長の吉田・補佐の大城・運転手の佐々木、3名で茶道具を求め旅に出ることになった。というのも、以前ABCテレビさんの放送を見た方が、使わなくなった茶道具を譲ってくださるという朗報を頂いたのがキッカケとなり、今回、兵庫県・垂水までの旅が決行された。
 7時半に大学を出発したが、渋滞にひっかかってしまい垂水に着いたのが昼前になってしまった。更に図々しく、紅茶とお菓子まで呼ばれてしまい、迷惑をかけっぱなしだった。茶室道具は炉や釜、茶碗等10人乗りの車がいっぱいになる程、沢山頂いた。本当に有難うございます。また、ABCテレビさんのおかげでこういった素晴らしい出会いができ、感謝しています。(吉田・大城)

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あと、段ボール3箱分頂きました。
  1. 2005/11/04(金) 21:32:16|
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間抜けな一日

 忙しい人間は間抜けになるものだ。午後1時からの授業、パワーポイントを開こうとしたら、講義05のファイルのなかに2005パワーポイント05が入っていない。授業は始まっているのに、今日のために必死で修正した講義資料がないのだから、いったいどうなったものかと思案にくれて、仕方がないから「2005」で検索エンジンをふかしてみたが、なかなか出てこない。やっぱり仕方ないから、教授室に外付けハードを取りに帰ったのだが、部屋の鍵を講義室においていて中に入れない。で、また、仕方ないから、講義室に戻ったら、検索エンジンが完了していて、くだんの2005パワーポイント05は講義04のファイルに納まっていることが判明した。というわけで、軽く10分以上ロスしてしまった。BRD形式の授業をするわたしにとって、10分のロスは大きい。
 続く4限はプロジェクト研究2&4「廃棄物で何を作るか-リサイクルとアートの接点-」。2年生はあいもかわらず何にもしていないので、「全員Fだっ!」と恫喝??した。1年生は比較的順調、安藤&国谷は無線化にともなう廃棄LANケーブルで編物を作るという。林&福井はミニ・サッカー・ゴール。今城&嘉村は反故紙で暖簾を作るのだが、その接着剤を学生食堂のご飯のあまりをもらって糊にするのだという。いいではないか。吉田の卒業制作も、大城くんの助言でかなりおもしろい作品に変貌してきた。
 6時から大学院の授業。3時間の長丁場のあと、「まねき」でAS美ちゃんのお薦め定食を食べて、家に帰ったら11時になっていた。
 科研の〆切は明日です。なんで、こないに分量が多いのだろうか。
  1. 2005/11/03(木) 23:02:44|
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