朝六時、腹痛で目が醒めた。キース・ジャレットじゃなくて、ジャック・ディジョネットでもなくて、そうそう、激しいゲーリー・ピーコックに襲われて、8時までに6度、雪隠と床を往来した。水のようなそれである。
今日は、市内旧町村文化財建造物に関する調査を3班に分けておこなうことになっており、わたしには用瀬町の三角山(みすみやま)山頂の神社が割りあてられていた。要するに、急峻な山径をトレッキングしなければならないのだけれども、こういう状態での登山は非常にきびしい。へなへなの体で、なんとか用瀬の集合場所にたどり着き、まずはみんなの昼弁当を用意しなければならないので、コンビニに入ったのだが、朝からなにも食べていないので、どうしようかと周辺に相談したら、山岳部で鍛えた新任のY助手は、
「ミルキーがいいですよ。これなら血糖値が上がります」
との一言。鋭い指摘であった。ミルキーが今日のわたしの生命線である。
ミルキーはママの味です!

三角山は、もとは御栖山(みすみやま)と言って、猿田彦降臨の霊山とされ、弥山のようにそびえ立つ山の頂に巨巌があふれかえり、その隙間に三角山神社本殿が建っている。千鳥破風付入母屋造の本体に軒唐破風をつけた「宮殿(くうでん)」型の本殿だが、向拝が前方に1柱間分のびていてひろい浜床を覆っている。建立は弘化二年(1845)。装飾はきわめて派手で、いったい社殿のなかに何匹の動物がいるのだろうかと思うほど、多種多様な彫刻でにぎわっている。わけても注目すべきは、揚羽蝶。ご存じのとおり、鳥取藩主池田家の家紋である。鬼板、扉、はては籠堂の釜までが揚羽蝶の家紋で彩られ、しかもそれぞれの蝶の意匠が少しずつ異なっている。池田家が、この霊山を崇敬していたことを如実に示す印章である。全体に風蝕と劣化、菌類の付着が進んでいるが、建築そのものは見事な出来映えであり、旧用瀬町指定文化財だけのことはある。市町村合併後、自動的に市指定文化財となったが、その名に恥じぬ名建築と評価してよいだろう。

三角山神社の場合、建築単体としてのみの評価では片手落ちである。猿田彦神話に直結する巨巌や山嶺を含めて総合的な文化財的評価をくだすべきであり、思うに、三角山全体を県指定の「名勝」としてもなんらおかしくない。紅葉の山径は、言葉では表現できないほど美しく、眺望景観も素晴らしい。山径はあまりに険しく、体力を消耗している身には辛いことこの上なかったが、これまた修行、あるいは修験の道であり、汗をかいたおかげで、体調は回復していった。いったん山頂に登ってしまうと、下山するのがもったいなくなる。鳥取も捨てたものではない。
下山後、佐治町余戸の「辻堂」に3班が集結した。茅葺きの辻堂で、年代が判定し難い建築であった。それからうどんの千代志まで移動して、3班の成果を披露しあった。三角山本殿のほか、笹尾神社薬師堂、林泉寺山門の絵様拓本がそろった。
ようやく研究は最終段階に踏みいったのである。
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- 2005/11/23(水) 23:43:20|
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