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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

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大晦日にグラッパ -タイ王国仏教紀行Ⅴ

 というわけで、大晦日になってしまった。なにを隠そう、今日は、わたしの誕生日。ハッピー・バースデーに帰国である。だからどうってことははないのだが、ひとつだけいいことがあった。空港の免税品店で、グラッパを発見したのだ。グラッパというのは、ワインを醸造した葡萄の絞り滓(皮と種)を材料とする蒸留酒で、イタリアでは食後酒として愛飲されている。ワインの数だけグラッパも存在しうるから、その種類は無数に近い。色もさまざま、味もさまざま。日本の焼酎とよく似ている。ところが、日本でグラッパの飲めるイタリア料理店は限られている。わたしの近辺では、奈良市登美ヶ丘の「ら麦」のみ。この店には必ず5種類ばかりグラッパがおいてあり、食事とともに、どのグラッパを飲むのかが楽しみの一つだ。バンコク国際空港の免税品店でみつけたのは、ALEXANDERという銘柄の白いグラッパ。どんな味なのかはわからないが、グラッパそのものが日本では入手しがたいので、まとめて2本買っておいた。ちなみに、1本700バーツ(約2100円)。
 じつはフライトにも恵まれた。帰国はまたしてもTG便なのだが、マニラ経由ではなく、関空までわずか5時間で帰る直行便。機内の座席もいくぶんひろくて、くつろげる。こうしてブログの原稿を書く気にもなろうというものです。

 誕生日といえば、チェンマイの山寺で、生年月日を聞かれた。生まれた曜日が重要なのである。生まれた曜日によって、参拝する場所と対象が異なる。下の写真は、金曜日生まれの婦人が手前から6番目の仏像に対して、その前面の椀に油を三回すくって垂らしているところ。わたしは49年前の月曜日に生をうけたらしい。手前から2番目がわたしのスポット。

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 年末年始のバカンスを楽しもうと、大勢の日本人がタイに来ていた。この世の中のどこにも彼岸など存在しないが、旅をしているその一瞬にだけ彼岸があらわれる。しかし、それはあくまで一瞬のうたかたであり、旅が終われば、また苦難の日常世界が待っている。そういえば、富山市から依頼された原稿の〆切が今日ではないか。盆も正月もありゃしない。

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  1. 2005/12/31(土) 23:52:09|
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川の流れをみつめて -タイ王国仏教紀行Ⅳ

 目が覚めて、窓外に映るチャオプラヤ川の流れに目を奪われた。浮遊する植物の固まりが泥河の流れにのって下流に動いている。その水草は蓮であった。仏教の象徴であるロータスが、群れをなして流れて行く。諸行無常の蓮の華。ボブ・ディランのwatching the river flow 、美空ひばりの「川の流れのように」(紅白では天童よしみが唄うらしいね)、そして、『方丈記』のフレーズが頭に連鎖して浮かぶ。

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行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と住まいも、またかくの如し・・・・


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 バンコクは18世紀以降に開けた新しいタイ王国の首都であり、年代が新しい分だけ、いろいろな文化の要素が仏教施設に混入している。一つは中国文化、とくに民衆道教の影響が鮮明で、門前に歴代名士の石彫がおかれ、その近辺に石造の道観らしいホコラを配置する。また、陶磁器を意匠要素に取り入れている。とりわけ、暁の寺は小型の陶磁器を壁面の装飾タイルとしており、完形品だけでなく、割れた破片すら壁材とする。船で大量の陶磁器を運ぶさい、割れてしまった器の破片なのだそうである。もうひとつはヒンドゥー教の影響で、処々にヒンドゥー諸神の彫像が配される。暁の寺だけでなく、涅槃寺でも王の寺でも、状況は変わらない。
 できれば、中国の影響をみたくないと思った。華僑のおおい東南アジアの生活に中国の文化が浸透しているのは当然のことである。しかし、仏教寺院に中国の要素はふさわしくない。中国は世俗の国であり、権力の国である。仏教は南北朝時代に隆盛したが、その後は廃れ、俗化した宗教が権力と民衆を呑みこんだ。だから、インド仏教とは相容れない。
 治安のよい国土と穏やかな人柄。仏教に対する篤い信仰がもたらしたタイ王国の財産である。

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  1. 2005/12/30(金) 23:34:35|
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アユタヤ遺跡の暑い冬 -タイ王国仏教紀行Ⅲ

 やって来ました、4年ぶりのアユタヤです。

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 スコータイ王朝に続く、タイ第2の王朝がアユタヤで、その存続期間は西暦1350年から417年間に及んだ。4年前の夏休み、チョン助教授とわたしはタマサート大学のデン先生のご案内で、この世界遺産を訪問した。あのときは小雨が降っていた。今日は快晴。チェンマイの爽涼さはどこかに消えて、バンコク周辺には暑い冬が滞っている。アンコール・ワット(カンボジア)を模したワット・チャイを皮切りに、ワット・マハタート、ワット・プラン・サンシットなどの代表的寺院跡を再訪し、汗をかいた。ラテライトと赤煉瓦の構造物は、ときに大きく傾いているが、それを矯正することなく、あるがままに保存している。地盤の不同沈下がモニュメントを傾斜させているのはあきらかだから、日本人ならば、それを健全な状態に戻したくなる。アンコール遺跡群の日本隊は、アンコールワット西経蔵やプラサート・スープラの積石や煉瓦を解体して、地盤を作りなおし、煉瓦と石を積みなおす仕事をした。ヨーロッパ人は、こういう修復に批判的である。危険な状態にある石積みや煉瓦積みの構造物をそのまま固めて、傾いたまま現地保存する手法をとる。この場合、当然のことながら、崩れ落ちそうな高所の石や煉瓦を落下させない技術が重要であって、どうやっているのか知らないが、ヨーロッパの技師はそういうことが出来る。これについては、「スコットランドの寒い夏」でくどいほど述べたつもりである。

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 東南アジアのチャンディ系モニュメントの修復も、ほぼこれに従っているわけだが、日本だけが、それとは別の手法を実践しつつある。ベニス憲章に即して動く西欧と、木造建築修理の経験を通して動く日本。現状保存を重視する西欧と、解体→復元を尊重する日本。それはまた、倫理・哲学を尊重する気質と、それらを幻想だとはねのけて実務を最優先する職人気質との違いでもあるが、両者は矛盾しながらも、必ずどこかで照応しうるものだと信じたい

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(写真解説)上:ワット・チャイ、中・下:ワット・ブラシン・サンペット


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  1. 2005/12/29(木) 23:30:35|
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山寺の仏堂にて -タイ王国仏教紀行Ⅱ

 チェンマイの寺院を参拝してまわった。
 ワット・プラタート・ドイ・ステープは、おそらく「仏舎利塔寺」と和訳できるお寺で、山頂近くに境内を構える。仏舎利を埋納するパゴダ(日本人の目からみればストゥーパだが、タイ人の案内人はパゴダと英訳した。タイ語ではチェディ)を仏堂が四方から囲む平面で、飛鳥寺型の伽藍配置に近い。仏舎利=仏塔を仏堂=仏像が荘厳するマンダラ的な空間構成である。

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 ここで老僧に供物を奉納した。托鉢に近い行為を仏堂のなかでおこなう儀式である。まずは、仏堂の中央に鎮座する仏像に跪拝する。礼拝は必ず3度くりかえす。跪まづいたまま、脇の椅子にお座りになる老僧のほうを向いて供物を捧げ、跪拝したまま説法を聞く。僧は説法後、木枝につけた聖水ナンモンを跪拝者の体にふりかける。これは跪拝者を浄め、祝福する意味がある。最後に、僧は跪拝者の手首に白い聖糸サイシンを結びつけて、その糸を鋏で切る。サイシンはサッカー選手がつけるミサンガに似ている。お守りの一種で、儀礼後、3日間ほど手首につけておくという。跪拝者が女子の場合、僧は女子からの供物を直接受けとれない。黄色い布を前に垂らし、女子は布の上に供物を置く。布に置かれた供物を僧は受け取る。サイシンもあらかじめ短く切っておき、地面に落とすだけ。女子は、自らサイシンを手首に巻く。僧は女性との接触を禁じられているのである。

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 チェンマイの山寺にいるあいだ、ずっと道元のことを考えていた。修行=座禅の場として、山林以上のところはない。寺院ではなく、山林こそが、身心脱落の境致にふさわしい場所であり、環境である。宗教組織の体制化にともなう伽藍の整備が、しばしば宗教の世俗化と頽廃を招く。言い換えるならば、建築はときに組織と人間を腐敗に導く。

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  1. 2005/12/28(水) 23:25:54|
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彼岸まで -タイ王国仏教紀行Ⅰ

 やって来ました、10年ぶりのチェンマイです。 仏教王国タイの古都。タイの中南部にアユタヤ王朝が栄えたころ、チェンマイにラーンナタイ王朝の都がおかれていた。鎌倉~室町時代のことである。ここ彼岸に至る過程は苦行の連続。午前五時半起床、関空発10時のフライトに乗るも、今日のTG(タイ航空)便はマニラ経由につき、バンコク着午後6時(タイ時間の4時)すぎ。乗り継ぎにも時間を要し、深夜11時半(同9時半)、ようやくチェンマイのホテルにチェックインした。機上時間だけみれば、ヨーロッパ便のほうがはるかに長いのだが、今日のTG便(とくに国際線!)の座席は狭く、つらかった。これもまた「只管打坐」と自らに言い聞かせながらも、臀部の痛みはしだいに増し、姿勢は崩れていくばかり。
 今日は、3度飛行機に昇降した。おかげで、3食とも機内食にあずかり、おなじTG便ながら、味覚の変化を実感した。ひとことで言うと、日本に近いほうがまずく、タイ国内便の機内食は美味しい。米粉で作った幅広の麺に海老をからめた酸っぱい冷麺に舌鼓。

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 チェンマイというと、1995年の1月12~15日に、“The Future of Asia's Past” という国際シンポジウムが開催され、わたしは‘Nara’ というテーマでスピーチをした。英語でスピーチするのは初めてだったから、カンニング・ペーパーを早口で棒読みしただけだったのだが、客席の反応は敏感で、嬉しい悲鳴をあげながら、質疑応答はめちゃくちゃになった。会議が長かったから、チェンマイの文化遺産に接する時間がほとんどなかった反面、16日のオプショナル・ツアーでス・サチャナナライとスコータイという二つの世界遺産を訪れ、感銘をうけた。そのときの記憶が、妻木晩田遺跡松尾頭地区の遺構展示館(覆屋)の設計案にも活かされている。

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 大変だったのは、そのあと。1995年1月17日、わたしは帰国の途についた。登場前からざわめいていたのだが、途中で着陸したマニラ空港ではそれが大騒ぎと化していた。阪神大震災が発生した、その日だったからである。情報は錯綜した。日本に戻れないのではないか。
 深夜、関空に着陸することができた。空港のスクリーンに、地震で燃えさかる神戸の風景が大映しになっていて、極楽から地獄への帰還であることが実感された。止まっていた南海電車と近畿電車も復旧し、奈良の自宅に戻ることができたのだが、神戸市垂水区の長兄と東灘区の次姉にはまったく連絡がとれない。それ以降、わたしがどのような救援活動をおこなったのか、時間に余裕のある方は、「倒れなかった姉の家」(『季刊民族学』73号、1995)をご一読ください。
  1. 2005/12/27(火) 23:19:52|
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八宝茶 babaocha を飲みながら

 接触事故のトラブルは決着がついた。朝から相手方と保険会社から電話がなり続け、1)相手方に全面的に非があり、2)保険会社が修理費用を負担する、ことで話はまとまった。これからは、保険会社とディーラーに事後処理を任せることになる。
 というわけで、わが愛車スィフトは年があけても、奈良にとどまることとなった。鳥取には、代車ではなく、ワイフの愛車ワゴンアールで帰ることになるだろう。スタッドレスを履いている代車なんて、奈良には存在しないからね。
 
 電話がじゃんじゃん鳴ったおかげで、午後1時に待ち合わせをしていた空間文化開発機構の真鍋社長を30分も待たせてしまった。空間文化開発機構は妻木晩田遺跡の基本設計を落札したばかりであり、さっそく復元建物に関する打ち合わせをおこなったのである。奈良ファミリー6階のラウンジで、「八宝茶」をすすりながら話し合った。じつは、この会社、ピエールの就職先であり、妻木晩田をかれが担当する可能性は高いから、今回の打ち合わせに参加してもらおうと思っていたのだが、二日前のブログに記したように、クリスマス・イブが壁となってたちはだかった。ピエールが同行していたら、事故には遭遇しなかったかもしれない。たぶん病院での見舞い時間を少なくしていたから、あの時間に名塩パークに駐車することはなかっただろう。
 
 さて、明日からタイに出張です。帰国は大晦日。ブログは大晦日に一挙掲載します。
 よいお年を!!

  1. 2005/12/26(月) 17:37:19|
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彼岸から

 今日はさっそくディーラーに足を運んで、車をチェックしてもらった。診断の結果は思いのほか重傷。1)バンパー外面の傷、だけでなく、2)相手の車がバンパーを押したために、バンパーの受けが曲がって、ヒビが入っており、バンパーを留めるピンが浮いている、との診断であった。したがって、少なくとも、バンパーを新品に替える必要があり、もしも、バンパーとリヤフェンダーをとめる鉄板が内部で曲がってしまっている場合、周辺部品の脱着と鈑金が必要になるという。
 ほんのかすり傷にしかみえなかった接触事故であり、だからこそ、まともに相談事もせず、名刺交換だけでパーキングを後にしたわけだが、車の接触とはかくもやっかいな事態になる。当然のことながら、修理の見積もり金額は安くはなく、今後の交渉を思うと気が重い。保険会社にも相談した。駐車場というのは、道路交通法の管轄外だから、事故証明がなくとも、保険会社は動いてくれるらしい。

 まぁ、愚痴っても仕方ない。雪のない世界に戻ってきた。ここが彼岸ならば、事故処理などという難題が降りかかるわけはないだろうに、また新しい作務を頂戴してしまった。

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  1. 2005/12/25(日) 20:35:23|
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クリスマス・ソングス

 命をかけて峠を越えた。
 雨と雪で凸凹の市街地を抜けると、河原町あたりで路面に雪が消え、安堵したのも束の間、用瀬から吹雪が始まり、智頭では路面圧雪、志戸坂峠は冷凍庫のようになっていて、生きた心地がしない。ストリート・スライダーズのロックンロールを大音量で鳴らして、神経を尖らせるしかなかった。峠の前後で、脱輪したトラック2台。横転とまではいかないが、崖面に車体をもたれかけた斜転状態であった。
 中国縦貫道は、佐用-山崎区間のみ時速50㎞制限。山崎をすぎると快晴になり、此岸から彼岸にたどりついたという実感にひたった。このあたりから、CDをダイアナ・クラールの『クリスマス・ソングス』に変えた。だって、今日はクリスマス・イブなんだから。クリスマス・イブだから、同行するはずだったピエールは鳥取に残ったのです。

 滝野社インターで高速を降り、入院している父を見舞った。ずいぶん元気になっている。熱も血圧も脈拍も正常なのだが、3週間の入院によって足腰が弱くなり、一人では歩けなくなってしまった。このまま帰宅しても「寝たきり老人」だから、今はリハビリに励んでいる。看病の母は、武内神社の「長寿延命」絵馬をベッドの手すりに吊してくれた。
 社病院をでて、再び高速にのったのだが、ここでトラブル発生。名塩パークで駐車していた車を動かそうとしていると、後ろから大柄の男性が近づいてきた。
  「今、当たりませんでした?」
  「えっ、わたしの車があなたの体に当たったの??」
  「いや、わたしの車がこの車の後ろをかすったんですよ」
体にはなんの振動も感じなかったから、
  「えっ、そんなことないでしょっ?」
と答えたら、親切にも、その男性は、
  「ここ」
と指さした。みれば、たしかに、左後隅のボディにかすかな傷が付いている。
  「あ~ぁっ」
と思わず叫んでしまった。
 わたしの車は駐車のラインからはみ出していないので、かりに微動していたとしても、こちらに責はない。あきらかに、相手の前方不注意だから、
  「前方不注意ですよね?」
と確認したら、
  「そうです」
とかれは答えた。その人物があまりに誠実だったもので、名刺交換しただけで分かれたのだが、もうちょっとキチンと処理しなきゃいけなかったのではないか、と少し反省している。

 そうこうしているうちに、携帯電話がじゃんじゃんなり始めた。たまたま吹田から大渋滞に巻き込まれて車がまったく動かなくなったので、電話しなおすと、訃報である。しかも、学生の訃報だ。93歳の父は元気になり、20歳の学生が生命を失った。しばらくして、今度は同僚のご令室の訃報まで舞い込んだ。諸行無常のクリスマス・イブ。
 これから弔電を打つ。
 
 謹んでお二人のご冥福をお祈り申し上げます。
  1. 2005/12/24(土) 20:08:47|
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仮組 -田和山遺跡の大型掘立柱建物

 今日は田和山遺跡(松江市)に復元される大型掘立柱建物の仮組検査の予定を入れていた。とはいうものの、なにぶんこの大雪で、JR山陰線が動くかどうかさえもわからない。午前10時、松江市の藤井くんに連絡をとると、向こうは雨だという。昨日1時間近い遅れがあったJRも、今日はほぼ定刻に動いているというから、さぼりは許されなくなった。そこで、昨夜の忘年会をただ一人欠席したノビタに「迎えにきてくれませんか」と丁重に電話して圧力をかけ、鳥取駅までのタクシー代を節約した。
 松江に着くと、雪がない。路肩にうっすら積もっているだけ。雨があがって、晴れ間がみえている。おなじ山陰で、どうしてこうも違うのかと、全市カマクラ状態の鳥取市民は嘆いたのであった。

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 田和山の大型掘立柱建物の仮組は、大きな倉庫にすっぽりと納まっていた。いや、よく出来ている。この建物の「売り」は何かというと、棟の反りである。一昨年、名和町の茶畑第1遺跡の大型建物を復元するさい、桁行方向の両端の柱間が長いことを確認して、遠く池上曽根遺跡をふりかえれば、やはり両側の端間が長くなっている。そういえば、田和山も端間が長い。これはどうしたことかと考えあぐねていたところ、日本列島考古速報展に陳列されていた浜松市の家形土器(もちろん弥生時代)の棟が反っているのをみて、ひょっとしたら、これかもしれないと直感?したのであった。要するに、大型建物の場合、桁行方向に長いので、棟木が一材では足りない。一材とするのは中央部分だけで、両側の端間部分では棟木を継ぎ足し、加えてそれをわずかにそり上げたのではないか、という推定である。まったくいい加減な推定なのかもしれないが、こういうちょっとした匙加減で、建物の外観に迫力が増す。おそらく棟を反らせた大型掘立柱建物の復元は、田和山がはじめてだろう。

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↑↓クリの樹皮をむく道具。北欧では、これが鉋になる。削り屑は200袋にもなって廃棄するというから、おいおいいけませんよ、復元建物の燻蒸に使いましょうよ、要らないなら環境大学でいただきますよ、とコメントしておいた。

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 チェックは微細な部分をのぞけばほぼ問題なく終わった。そのあと、近くにあった武内神社・平濱八幡宮に参拝した。武内神社は長寿延命の御利益があると聞けば、93歳の父が入院する身としては足を運ばないわけにはいかない。この二つの神社の本殿は流造であった。平濱八幡宮は三間社で、武内神社は一間社。流造は日本でいちばん数のおおい神社本殿の形式だが、出雲でみると、驚いてしまう。なぜ、大社造でないのか、その理由を知りたくなるのである。八幡様のせいだろうか。

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  1. 2005/12/23(金) 21:48:16|
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忘年会

12月22日
ゼミ生と先生方で、コンペの打ち上げ兼忘年会を開催しました。
場所は「ほたる」という、居酒屋でした。
ゼミ生、1年生、先生方と、みなさん、大いに楽しんでいたようで・・・。
雪の中、みなさんお疲れ様でした。
来年も、元気にいきましょう。

最後になりましたが、遅くなり申し訳ありません。
いろいろとトラブルがありまして・・・
西山

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  1. 2005/12/23(金) 15:11:06|
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『都市保全計画』を読んで

 大学院の授業「地域保全論」で、西村幸夫さんの『都市保全計画』(東京大学出版会、2004)を輪読している。前期は大学院生とわたしの4人だけだったが、後期からはチョン助教授、山田助手のほか、県教委の松本さん、市立歴史博物館の佐々木さんも加わって、結構にぎやかな講読会になってきた。
 昨夜は、大学院の馬場さんが中国の保全計画について紹介した。話題の中心は「歴史文化名城」。ここにいう「城」とは、都市を意味する。「歴史文化名城」に指定された都市は、地上と地下のすべての文化財に配慮しつつ、都市の将来像を築いていくべきものだと唱っているのだが、はたして実態はというと、猛烈な開発によって民家・町並み・近代建築・遺跡等が破壊され続けている。北京や上海がその代表だ。わたしがはじめて中国の地に降り立ち、2年間の留学生活をはじめた1982年、新しい文物保護法とともに「歴史文化名城」の制度は出発した。いまでは104の都市が国の「歴史文化名城」に指定されている。しかし、中国の文化環境の保全がよい方向に向かっているとは決して言えないだろう。共産主義の国でありながら、資本主義の道を邁進する中国にとって、なにより優先されるのは経済開発であって、「環境」も「景観」も「文化財」も二の次扱いされている。
 それとまったく反対の様相を示すのがイギリスである。こちらは、前回と前々回の2度にわけて、大学院の細谷君が紹介してくれた。イギリスは、資本主義の国であるにもかかわらず、共産主義のようにして国家が土地を買いあさり、国土の景観と文化遺産をまもろうとしている。イギリスのどの田舎町を訪れても美しいのは、国民の民度が高いだけでなく、行政の管理と規律が行き届いているからであることが、この本を読んでよく分かった。昨年と今年、イギリスを訪れて抱いていた印象の背景にあるものが少しだけ理解できたように思う。
 イギリスと言えば、チョン先生と佐々木さんの博識ぶりに驚かされた。お二人とも、なんでこんなによく知ってるの、というほど、イギリスの都市計画・保全計画にくわしい。まぁ、チョン先生は都市計画の専門家だから、知識があっても不思議ではないのだが、佐々木さんは日本近世史の専門家だから、どこでどうなって、こういう知識を大量に仕入れられたのか、いちどじっくり教えていただきたいものである。

 昨夜は、今年最後の輪読会だったので、大学院生室にて、ささやかながら忘年会を開いた。ワイン2本と北海道で買ってきた鮭冬葉にチーズ。クリスマス・プレゼントは、至文堂の『出雲大社』でした。
 では、来年。トップバッターは松本さんです。


   [『都市保全計画』を読んで]の続きを読む
  1. 2005/12/22(木) 14:08:05|
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はじめてのコンペ

16日の深夜、コンペを提出しに郵便局に走りました。
その週は、ほとんど学校に滞在しました。
授業を受け終わり、研究室に帰るとほとんどが椅子の上で睡眠中。初めて学校で椅子をベッド代わりに寝ました。中には床で寝袋に包まっている人も…。
お風呂のために家に帰り、家から出たくない、という欲望を抑えつつ学校に戻りコンペの作業に戻りました。
1年生、4年生の先輩方にも手伝ってもらい完成させることが出来ました。本当にありがとうごさいました!!!!
もりかわでした。


あいそめ

客間

模型写真

  1. 2005/12/21(水) 13:46:50|
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雪作務

 禅の教えでは、日々の生活すべてが修行であるから、「雑役」などいう行為は存在せず、座禅や読経のほか、食事の準備も洗濯も掃除も就寝もみな修行であって、これを「作務(さむ)」と呼ぶ。
 先週おとずれた永平寺では、冬の雪かきが大変なようで、「雪作務(ゆきざむ)」という修行名が与えられている。昨夜の雪かきは、我ながら「雪作務」というにふさわしいものであった。大学から田園町に戻ると、宿舎の前の道路は除雪車のおかげできれいになっているのだが、その反面、路肩に高さ50㎝以上も雪が積み上がっていて、車が駐車場に入れない。深夜1時のことである。固くなった雪のかたまりを、ショベルで黙々とかき分けるのに、半時間を費やした。自転車に乗れないで運動不足に悩む身としては、「雪作務」に感謝しなければならないだろう。
 まさに、日日是修行。

 今日は雨が降っている。雨が雪を溶かしてくれればいいが、深夜になると、凍結の恐れがある。
  1. 2005/12/20(火) 13:26:32|
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ホーム・デンティスト

 先週の月曜日、ちょっとした悪さをしでかしたものだから、罰があたって、歯の詰物が取れてしまった。製図室に差し入れしていたミルキーに手をだしてしまい、くちゃくちゃ噛んでいたら、上の歯の詰物がミルキーにくっついてしまったのである。
 で、今日は京都の川口歯科まで治療に行った。なんで、京都の歯医者さんなのか、というと、学生時代からずっとお世話になっているからである。その学生時代、大学の近くのI歯科に通ったところ、治療がものすごく荒っぽくて激痛が走り、以来、歯医者という存在に恐怖心が宿ってしまったのだが、姉が『壮快』という健康雑誌の別冊に「全国で評判の良い歯医者600」のリストが掲載されていることを教えてくれた。血眼になって京都市内の歯医者を捜したところ、わずか3軒しか「評判の良い歯医者」が載っていない。その3軒のなかで、最も大学に近かったのが、二条室町西入ルの川口歯科であった。いや、川口先生は評判どおりの名医です。もう25年ぐらい、お世話になっているから、わたしにとって川口先生は、まさにホーム・デンティストなのです。
 じつは、二条室町に通うもう一つの理由がある。地下鉄で下車する御池の脇のビルに美味い蕎麦屋があるからだ。ここの蕎麦屋は、辛み大根のおろし蕎麦が有名で、その辛さたるや尋常ではない。極辛のカレーを食べるときと同様、冷水を横において、それをおかわりしながら、おろし蕎麦をすする。顔の半分が麻痺するほど辛いのだけれども、杉本彩が言うように、刺激のない人生なんてつまらないから、刺激のある食べ物は美味しいのである。食後、胃腸の全体がタカジアスターゼに洗い清められた感触に包まれる。体の中の汚物をすべてお掃除してくれたような食後感がたまらないから、今日もまた治療後に食べようと決めていたのだが、治療の途中で方針転換を決めた。
 治療があっさり終わったため、間に合わないであろうと思われていた夕方5時のスーパー白兎に間に合うだろうと判断し、タクシーの運転手をせかしたら、ほんとうに間に合ってしまった。いつものスーパー白兎で、大雪にも拘わらず、わずか10分遅れで郡家駅に着いた。辛み大根のおろし蕎麦をあきらめたことで、2時間はやく鳥取に戻ってくることができたのである。
  1. 2005/12/19(月) 22:22:09|
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Illumination from Our Feet

Arranging our shoes neatly,
we bring harmony to our minds,
when our minds are harmonious,
we arrange shoes neatly.
If we arrange shoes neatly when we take them off,
our minds won't be disturbed when we put them on.
If someone leaves shoes in disarray,
let us silently set them to order.
Such an act surely will bring harmony
to the minds of people around the world.

 -from WHO IS DOGEN ZENJI?
  1. 2005/12/18(日) 20:45:21|
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丘珠の雪

 札幌市内に丘珠(おかだま)という空港があることを知る人は少ないだろう。千歳は、札幌市外にある国際空港で、丘珠は道内に飛ぶ飛行機の発着地である。
 早朝7時半の丘珠では、しんしんと雪が降っていた。滑走路には除雪車がみえる。8時半発の標津行だけでなく、函館、釧路、稚内、女満別、すべての便が待機状態で、気候調査の結果を待っている。チェックイン・カウンターによると、
 「標津ではなく、丘珠の除雪と気候調査のため」
だという。標津の担当者に電話で確認したところ、たしかに向こうでは雪が降っていない。

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 8時20分、すべての便がフライト可能であることがアナウンスされた。ただ、稚内の便だけは、
 「千歳、もしくは旭川空港に着陸する可能性があることをご了承ください」
との補足説明があり、かすかなどよめきとともに、嘆息と失笑が交差した。
 標津に向かうプロペラ機はおよそ1時間近い遅れで、丘珠空港を離陸した。そして、40分ほどで根室中標津空港に無事着陸。

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10時すぎから、平成17年度第2回「史跡標津遺跡群、天然記念物標津湿原整備委員会」が始まった。わたしともう一人の委員が丘珠で足止めをくっているだけだから、委員会はすでに始まっているだろうと思っていたのだが、陸路の委員にも遅れがあったらしく、開始を遅らせることにしたようだ。
 上記のとおり、この整備委員会は遺跡だけでなく、湿原の整備を包括しており、委員には農学系、生態系、環境学系の専門家が含まれており、環境と景観の問題に重きが置かれる。素晴らしいことだ。ゼロエミッションの思想が整備の根本にあって、二次林などを伐採して植生を復元するが、伐採した木材は復元建物やビジター・センターに使うことがほぼ合意された。おもしろかったのはバイオ・トイレで、移動式トイレの貯糞ボックスに大鋸屑(オガクズ)をまぜて大便と攪拌すると、まったく臭わない鹿の糞のような堆肥に生まれ変わる。ただし、尿を混ぜてはいけない。富士山に設置するトイレのコンペに勝利した作品のうちの一つであって、すでに北海道ではひろい範囲に普及しているという。製造元は正和電工。
 遺跡整備では、トイレの配管による遺構の破損がいつでも問題化するから、バイオ・トイレはまさに救世主といえる。妻木晩田にも導入したらいいだろう


  1. 2005/12/17(土) 20:56:34|
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デュポンのシート

 昨夜、鳥取空港を離れる時点から天候が心配だった。2泊3日で、北海道の標津(しべつ)に向かうことになっているのだが、過去2回、標津には嫌われている。一度は東京から、一度は千歳からフライトしようとしたのだが、吹雪で空港管制が飛行を許してくれなかったのである。だから、鳥取空港でのチェック・イン時に、
 「2日後の北海道の天気はどうなんでしょうか?」
と訊ねておいのだが、ボーディングのさいにANAの地上係員に呼びとめられて、ネットの気象データをわたされた。いや、綺麗な女性に親切にしていただくと嬉しいものです。ちなみに、スチュワーデスさんに聞いたところ、地上係員のことは「グランド・ホステス」というのだそうです! 「豪華grandなホステス」じゃないよ。「地上groundのホステス」ですからね、もちろん。
 話を天候に戻すと、結果は最悪。北海道東南部の土曜日は「暴風雪」との予報である。
 一夜あけて仙台駅に着くと、TM社の谷原さんと中村さんの出迎えをうけた。最初の一言が、
 「明日は、この冬最大の寒波だそうですよ」
 「・・・・・・・」

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 仙台にやってきた理由は、山田上ノ台遺跡の竣工検査。秋から建設に着手した縄文中期の竪穴住居3棟はすでに土に覆われていた。いや、見事な出来映えです。S社の原稿に追いまくられて、ほとんど指導らしい指導ができなかったなかで、よくここまで仕上げてくれたものだと感服した。問題はこれからのメインテナンスで、日々の燻蒸が欠かせない。なにより注目しているのは、デュポン社の防水シート。田和山(松江)でも、土屋根の下地に防水シートを使って、雨漏りはきっちり防いでいるのだが、内部に湿気がこもる傾向がみとめられる。対して、デュポン社の防水シートは通気性があることを「売り」にしており、内部の湿気を抜きながら雨漏りを防ぐ機能性を期待しているのだが、はたして効果は如何に?

 夕方5時の便で、仙台から札幌に飛んだ。札幌の気温はマイナス5℃。寒いことは寒いが、雪はちらほら程度で、積雪はほとんどない。ラジオやテレビのニュースによると、明日は本州の日本海側で大雪だが、北海道は日曜日以降に荒れ模様となるらしい。すこしだけ予報がずれてきたので、かすかな期待を抱きながら、ジンギスカンの店にくりだした。
 タクシーの運転手に、
  「おいしいジンギスカンの店まで連れてってください」
と頼んだら、送り届けられたのは、すすきののはずれにある「おふくろ」(たしかこの名前だったと思うが、間違っているかも?)という店であった。壁には、綾小路きみまろとかカルーセル麻紀の写真やサインがべたべた貼ってある。
  「カルーセルさんは、札幌においでになったら、必ず寄ってくださるんですよ」
とのこと。

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たしかにおいしかった。ラム肉2人前、ラム舌1人前、野菜盛り合わせ1人前、きのこ1人前を、ジンギスカン・ワイン片手にぺろりとたいらげた。テレビではスケートのワールド・グランプリをやっていて、織田信長の子孫がショート・プログラムを滑っている。浅田真央までもう少し、というところで店をでた。あとで聞いたら、スルツカヤをおさえて1位だったというから、恐るべき15歳である。是非、オリンピックの出場をみとめて欲しいものだ

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  1. 2005/12/16(金) 23:32:40|
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新刊! 『世界住居誌』

 今日もまた新刊書が届いた。『世界住居誌』というタイトルの本で、世界のヴァナキュラー建築を網羅しているから、全十巻といきたいところだが、わずか1冊におさまっている。学生向けの、コンパクトで、便利な本である。執筆依頼が届いたのは、たしか2年ぐらい前のことで、「コラム」を書いてもらいたいという。見開き2ページ分のコラムで、なんでまたこんな仕事がくるのだろうと不思議に思ったものだが、ちょうどそのころ「家船」に関する研究をしていたから、トンレサップ湖の水上居住について気楽に書かせていただいた。ところが、届いた本をめくると、住居の各項目も見開き2ページしかないことがわかった。これでは、コラムと一般部との区別がないに等しいんじゃないでしょうかね。かいかぶりかもしれないが、わたしにコラムを依頼したのは、たぶん、書評を書かせたくなかったからではないのか、なんて勘ぐったりしているんですが・・・。
 編者は布野修司さん。滋賀県立大学の教授で、京大時代には、本学新任の山田助手の指導教官でもあった。聞けば、山田助手も5項目ばかり分担執筆しているという。
 いま飛行機の上でこの原稿を書いているので、表紙の写真を載せられない。だれか学生がスキャンしてくれないものか(本は4410にあるぞ!)、とも思うのだが、4年生は卒業研究に忙殺され、3年生はコンペの〆切を明日に控えていて、いつものようにこきつかうわけにはいかない。月曜日の夜には大学に戻るので、それから自分でスキャンするしかありませんね。

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書籍data:[編集]布野修司 [出版]昭和堂
     [書名]『世界住居誌』 [発行日]2005年12月20日
     [定価]3,000円(著者割引あります)
*購入に関するお問い合わせは、
e-mail: matsui@showado-kyoto.jp
Tel(075)761-8818 Fax(075)706-8878

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  1. 2005/12/15(木) 20:22:47|
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新刊! 『日本の考古学』上・下巻

 奈文研に在籍した最後の年だから、5年前のことである。2004年に開催されるドイツでの日本考古学展の準備がはじまっていた。図録論文集用の原稿を早く書いてほしい、という依頼が日本全国の考古関係者を駆けめぐっていたのである。この展覧会を仕切っていたのは、当時、国立歴史民俗博物館(歴博)の館長であった佐原真さん。佐原さんは奈文研の埋蔵文化財センター長から歴博の副館長に転じた大考古学者で、かつてわたしと同じ平城ニュータウンに住んでいたから、ときどき深夜のコンビニで出くわしたりしたものだ。
 奈文研を辞める直前、わたしは、この図録のために「竪穴住居の構造」と「宮城の建築」という短い論文を二篇書き上げた。出来の悪い文章で、佐原さんからときに修正の指示がきたりしたが、そうこうしているうちに、佐原さんは膵臓癌で急逝された。以後、ぷっつり音沙汰なし。正直なところ、
 「おれの原稿はボツだろな・・・?」
と思いはじめていた。
 ドイツ語がすらすら読めるわけではないけれど、いちおう大学の教養課程で2年間勉強した経験もあり、せめて一度ぐらいはドイツ語のゲラに目をとおしてみたい、とも思っていたのだが、なにせ一度も連絡がない。ナシのつぶてである。だから、
 「やっぱり、おれの原稿はボツだわな・・・」
と思いこむようになっていた。
 2004年になって、ドイツで展覧会が開幕、鳥取からは、骨を貸し出していた青谷上寺地遺跡関係者が訪独すると聞かされても、
 「あの展覧会さ、おれ、論文2本書いたんだけど、たぶんボツだわ・・・」
と答えるしかなかった。実際、その図録用の論文集は、いつまでたっても、手元にとどかなかったのである。 

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 ところが、ある日、出版社から依頼が舞い込んだ。ドイツで開催された「曙光の時代-連続と変革」展の論文集を日本語訳して出版するから、掲載をご許可いただきたいという内容であった。
 オドロキ、モモノキ、である。
 どうやら、ボツになったと思いこんでいた短編二篇はドイツ語の論集に掲載されているらしい。いまだに、その独語論集を手にしていないので、どんな本なのか知らないが、青谷上寺地遺跡の関係者は、たしかにその論文集をドイツから買い帰っており、論集のなかにASAKAWAのイニシャルをみつけている。
 執筆依頼をいただいたのが、ちょうど昨年の今ごろで、このたびようやく上・下二巻に分かれた大著が刊行され、本日、大学にて落掌した。わたしを通せば、著者割引(×0.8)が可能なので、山陰の考古学者の方でご注文があれば承ります。

 書籍data:[監修]佐原真+ヴェルナー・シュタインハウス
      [編集]奈良文化財研究所 [出版]学生社
      [書名]『日本の考古学』上・下 [発行日]2005年12月25日
      [定価]上・下巻とも、11,000円
 お問い合わせは、学生社編集部 児玉有平さんへ
  TEL 03-3857-3035 FAX 03-3857-3037
  Mail  y-kodama@gakusei.co.jp



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  1. 2005/12/14(水) 17:41:05|
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雪かきとコンペ

 目覚めたら、大雪。
 空は晴れているが、道路や庭には30㎝以上の積雪があって、当然のことながら、雪かきが必要だ。戸口の前の雪を左右に散らし、駐車場の前をかきわけ、車の天井に積もった雪を振り落とし、ようやく出発の運びとなった。おなじ田園町の職員宿舎に住むJ倉先生は、あまりの積雪に雪かきを断念し、バスを乗り継いで大学までやってきたという。乗り継ぎがうまくいかないから、1時間半もかかったとのこと。学生の足も、自然、大学から遠のく。さぼりたい気持ちを、雪が助長してしまうのだ。

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 とはいうものの、現在、当研究室では、3年生が某コンペの〆切にむけて奮闘中であり、今日のゼミは卒業研究に忙しい4年が3年を手伝うことにした。だって、〆切は16日なんだから。もう3日しか時間がない。といいつつ、昨夜、立面の変更を強制したのは、いつものごとく、我儘で横暴なA先生なんだけれどね。

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  1. 2005/12/13(火) 16:47:20|
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郡家(こうげ)駅の駐車場Ⅰ

 今日は大雪との予報を聞いていたので、昨夜、大急ぎで鳥取に戻ってきた。じつは、また身内に入院患者を抱えていて、兵庫県社町まで見舞いに行ったのだが、社町からJR佐用駅まで1時間足らずだったので、車で佐用まで送ってもらった。氷点下2度の佐用駅から「スーパーいなば」にのると、郡家駅までわずか45分。郡家で下車すると、システム学科の某助教授とばったり出くわした。
 「ここからどうして大学まで戻るんですか?」
と訊ねたところ、
 「郡家駅で予約すると、無料で予約者専用駐車場を使えることになったんですよ。」
とのこと。控え室に貼ってあったチラシを読むと、郡家と倉吉で、このシステムが始まったらしい。厳格なゲートを設けて、学生や教員の駐車制限をするどこかの大学とはえらい違いだ。卒業研究を前にして、雪の降る日々、学生たちはどのような手段で通学するのだろうか。
 さて、わたしはと言えば、いつものとおり、愛車を貸与している西河(♂)が郡家駅まで迎えにきてくれた。かれが卒業すると、わたしもまた予約者専用駐車場の利用者となるだろう。
 というわけで、今日は晴れたり降ったりで、昼間はたいしたことなかったのだけれども、夜になって、しんしん雪が降り積もりはじめている。
  1. 2005/12/12(月) 21:43:38|
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ヒディングのオーストラリア

 北陸出張のあいだに、ワールドカップの組み合わせが決まったらしく、マスコミが騒ぎ始めている。こういうニュースに敏感なのがノビタで、富山のホテルで朝食をとっているあたりから、
 「オーストラリアの監督はヒディングでして・・・」
なんて話をはじめていた。まともなトラップもできないくせに、表相的な話題にはじつに鋭敏だから、たしかにブンヤには向いているのだろうな。
 そういえば、オーストラリアの監督はヒディングであった。ヒディングはなぜ韓国の監督に戻らなかったのか。ひとつは、大陸間プレーオフに興味があったのではないか。オーストラリアの潜在力は、レコバのいるウルグアイにひけをとらないと判断し、おそらく自分の采配が勝敗を分けるだろうと見越したような気がする。PSVとの兼任でもいい、という気楽な条件提示に惹かれたのかもしれない。
 いずれにしても、やっかいな監督を敵にまわしたものだ。ヒディングのようなタイプの監督は、信念をもったチーム作りをしてくるだけでなく、相手チームを丸裸にする分析能力を身につけている。ジーコが作りあげた日本代表の欠点を、ヒディングは短い時間で見抜いてしまうだろう。1対1に弱い宮本、まともなディフェンスの出来ないアレックスと加治、攻撃に参加したがる中田英・・・いくらでもねらい目はある。両サイドの裏。DFとボランチのあいだにできるスペース。
 強いストッパータイプのDFを4人並べてほしい。中田英とコンビを組むボランチも守備的なストッパータイプがよいだろう。いいサッカーをして、惜しくも敗れ、悔しいけれども暖かく、「感動をありがとう」という声援を送るようなオチはもうたくさんだ。ファンタスティッックなフットボールでなくてもいいから、きっちり勝ってもらいたい。そのためには、メンバーを入れ替える必要があり、ことによっては、今からでも監督を交替させるべきかもしれない。
 ただ、ジーコが監督をしているメリットはある。予選リーグで最後にあたるブラジルは、さきに2勝してしまった場合、昨年のコンフェデと同様、日本戦を捨てる可能性が十分ある。ことによっては、負けてくれるかもしれない。
 「ジーコに恥かかしちゃいけないぜ」
という暗黙の了解のもとに。

 で、ドイツに行くのか、と最近よく訊かれるようになってきた。わたしは行かない。それは、いまの日本代表が応援にあたいしないチームだからだ。わたしは、予選リーグ敗退とみている。
 また、ヒディングにやられるのではないだろうか。F組はブラジルとオーストラリアが決勝トーナメントに進むのではないか。


  1. 2005/12/11(日) 02:12:24|
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穴太積の石垣 -近江坂本「里坊」の町並み-

ノビタです。

 富山からの帰路、滋賀県大津市の坂本にある延暦寺里坊を訪れました。近江坂本を訪れた目的は、里坊一帯に築かれている穴太積の石垣を、卒論の参考に見ておきたかったからです。自然石を巧みに配して築かれた独特の石垣が、坂本の町なか随所に残っているのです。延暦寺里坊は、比叡山延暦寺の僧達が里坊に住居を構え、妻帯し生活したのが始まりとされており、その街並みは重伝建地区に選定されています。
 富山を朝九時ごろに出発し、途中永平寺に立ち寄り、坂本に着いたのは午後三時過ぎでした。天候は、滋賀までは往路と変わらず雨模様でしたが、坂本では快晴。鳥取の11月頃の気候で、紅葉がとても美しかったです。
 まず訪れたのは、日吉(ひよし)大社です。日吉大社は西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮から成ります。西本宮と東本宮は日吉(ひえ)造という独特の様式で、正面から見ると入母屋造なのですが、背面を見ると、庇が切れていてスガル破風のようになっています。両本殿は国宝に指定されています。それ以外の宮も重要文化財に指定されています。初めて見る日吉造の神社本殿に感激しました。もちろん日吉大社の随所にも穴太積が使用されていました。
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次に向かったのが西教寺です。西教寺は天台眞盛宗の総本山で、創建は聖徳太子と伝えられ、文明十八年(1486)に復興されました。西教寺の客殿は伏見城より移築されたもので、桃山様式をよく現しており、重要文化財に指定されています。西教寺にも穴太積の石垣が使用されています。

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 最期に訪れたのが、滋賀院門跡です。滋賀院門跡は慈眼大師(じげんだいし)が後陽成(ごようぜい)上皇から下賜された歴代天皇受戒の寺だった法勝寺を移築したことに始まります。ここにも穴太積石垣が使用され、とくに正門側の石垣は白壁と相俟ってとても美しかったです。

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 今回、坂本の延暦寺里坊を訪れ本当の穴太石垣を直に見ることができて、本当に良かったと思います。今後、卒論を書く上で非常に参考になると思います。また、建築物も素晴らしく、お城オタクと呼ばれている僕でさえ感動しました。過密なスケジュールのなか、立ち寄っていただきありがとうございました。(ノビタ)


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  1. 2005/12/10(土) 23:07:46|
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打出の居住地 -焼けた弥生住居の復元

 私の卒業制作である打出(うちいで)遺跡住居跡の復元模型を車に積んで、先生、ノビタ君と私の3名で富山市まで行ってきました。途中、敦賀あたりで雪による速度規制に引っかかり、道路走行時間は約8時間。鳥取発が午前7時、富山着が午後3時でして、先生はぐったりきていましたね。前日の夜に鳥取を出て、どこか泊まってから、2泊3日で行けばよかったかなと思いました。
 打出遺跡で弥生時代終末期の焼失住居跡が発見されたのは、昨年夏のことでした。さっそく、先生が足を運ばれて調査を指導し、今年度は報告書の作成にあたり、浅川研究室が復元模型の制作を担当することになったのです。卒業論文の中間発表会から何度も模型を作りなおしましたが、なかなか先生のお気にめさず、とても苦しみました。最近、ようやくお許しをいただき、発掘調査を担当された小黒さんのコメントをいただこうということで、富山市埋蔵文化財センターを訪問することになったのです。検討の結果、旧地表面と周堤の高さ、幅などに変更が加わることとなりました。さらに、入口も平入から妻入に変えることになりました。
 本来ならば、もっと模型が作りこんである状態で持っていき、図面も揃えて、検討しなければならなかったのですが、私の不手際のために作業が遅れてしまい、かなり中途半端な状態での打ち合わせとなってしまいました。富山市埋蔵文化財センターの方々には、大変ご迷惑をおかけした事をお詫びいたします。
 12月末の締め切りまで、自分の持てる力のすべてを注ぎ込んで製作に集中したいと思います。まずは早急に設計図を完成させるようにと、先生からは指示されています。(利蔵)

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↓炭化茅の付着した打出の半裁垂木(資料館)。松江市の田和山遺跡では、半裁丸太の平坦面に横方向の茅が付着していたが、打出遺跡では丸まった面に横・縦2方向の茅が付着していた。倒壊にともなう反転現象とはみなし難い。
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  1. 2005/12/09(金) 22:49:36|
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新刊! 日本の美術№476『出雲大社』  

 お待せしました。至文堂「日本の美術」シリーズの通巻476号として、浅川著『出雲大社』(定価1,571円)が出版されました。構成は以下のとおり。

 序
 杵築の大社
 大社造の神社本殿
 出雲大社境内遺跡と本殿遺構の復元
 大社造の起源と変容
 特別寄稿(西山和宏)
  「出雲大社の建造物と指図」

 担当編集長の山田光代さんには、この場を借りて深く御礼申し上げます。電話の向こうの、あの高笑いから遠ざかると思うと、少し寂しい気もしますね。ありがとうございました。


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 購入のお問い合わせは、
  至文堂: 〒162-0812 新宿区西五軒町4-2
    ℡(営業)03-3268-2441
    e-mail: nichi-bi@palette.plala.or.jp
  

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  1. 2005/12/08(木) 22:02:14|
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卒業写真

 卒業アルバム用の写真を4409演習室で撮影した。晴れたら茶室で、とも思ったのだが、あいにく天気はぐずついたままだし、昨年の卒業生も茶室でだったから、演習室での撮影に変更した次第。学生にはあらかじめジャンケンさせて、いつものようにブログ担当を決めた。岡野との決勝で敗れ、ノビタとのプレーオフにも敗北したピエールが、またしてもブログを書くことになったのだが、写真部から派遣されてきた撮影係の女史2名以外で、デジカメをもってきていたのはわたしと利蔵のみ・・・
 ごらんのとおり、賑やかであります。みんないわく因縁つきの品々を手にしている。

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 自分のことを振りかえると、大学の卒業アルバムというのは残っていない。というか、そういうモノを作ってもらった記憶がない。対して、高校の卒業アルバムは、いまでも、ちゃんと本棚の片隅に保存してある。これはワイフも同じだ。ユーミンの名曲「卒業写真」は、高校の卒業アルバムに映る片想いの人へのメッセージであって、ちょうど大学に入学した直後に流行ったから、田舎者で、純情な新入生のハートに響いた。のちに、ハイ・ファイ・セットのカバーのほうが売れてしまったが。

↓カメラウーマン2名
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  1. 2005/12/07(水) 20:06:02|
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山村カメラマンから -美保神社の諸手船神事

 昨夕のスーパーはくとは、わずか8分しか遅れなかった。雪が降らなくても、20分遅れぐらいは日常茶飯事で、降雪の日なら1時間以上の遅れを覚悟しなければならない。単線ディーゼル車の悲哀である。その列車が、降雪にも拘わらず、10分足らずの遅れであったのは、雪がべちゃべちゃだったからである。
 郡家(こうげ)駅に降り立つと、路肩に雪が残っていたけれども、空から落ちてくるのは、限りなく雨に近いみぞれであった。気温が下がっていないから、みぞれが降るわけで、体感温度としては、奈良のほうが底冷えして寒かったように思う。愛車をあずけていた西河(♂)のおかげで、スウィフトはスタッドレス・タイヤに履き替えられていたのだが、路面に積雪や凍結面はなく、「全学休講」の一夜に覚悟を決めて帰鳥した身としては、いささか拍子抜け・・・

 さてさて、松江の山村カメラマンから、以下のような礼状がメールで届いた。ほんとはブログに侵入したかった、と書いてあるから、転載してもかまわないだろう。では、ご自慢の写真とともに。
----------------------
(略)3日は美保神社を撮り直し、「諸手船神事」も撮り、夕方三朝温泉での稲門建築会に参加しました。この会の幹事は、浅川研ともご縁のある生田氏で、翌日の三仏寺投入堂の撮影行にも生田氏が同行してくれることになり、大変助かった次第です。投入堂は来年から改修に入るので、大正時代改修の現在の姿を撮影できるのは、翌日から雪になったこともあり、本当に最後のチャンスでした。生田氏には撮影機材の一部を持ってもらい、現場では助手をつとめてもらうなど、体力の衰えを感じる老カメラマンにとっては大きな支えとなりました。
 添付する写真のうち投入堂は4×5ですが、あとは35mm一眼レフで撮りました。美保神社本殿裏側も4×5で撮ってありますので、また資料として必要なときはお役に立てるようにしておきます。(本当はBulogに進入しようかと思ったのですが、やり方が分からなかったので普通メールにしました)

↓美保神社「諸手船神事」
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↓三仏寺投入堂
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  1. 2005/12/06(火) 20:07:31|
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岡村の現場 -奈良町の茶室解体

 11月23日の深夜、岡村からメールが入った。
  「いま、奈良女子大近くの濱田邸の現場です!」

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 岡村というのは、昨年の今ごろ「廃材でつくる茶室」の棟梁を務めた1期生で、今は京田辺で数寄屋大工の見習修行をしている。今日は現場を見学がてら、昼食をともにしようということで、奈良女子大学の正門前で待ち合わせた。9ヶ月ぶりの再会である。現場は正門から歩いて2分のところにある濱田邸の敷地内。茶室を移築するための解体現場で、今日は、木下棟梁がおいでになっており、いろいろお話をうかがった。
 この茶室は昭和38年に枚方の大原邸に建設したもので、平成11年に現在の濱田邸の敷地に移築。このたびは、神奈川県伊勢原市のお寺に再移築することになった。解体工程はあと1週間あまり、それから神奈川での組み立てのため、岡村はしばらく関西を離れる。

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 昼食は「まむし丼」を食べた。まむしとは、蝮ではなく、鰻である。岡村は「8キロも太りました」という。住み込み修業で、給料は5万円だから、さぞやひもじい思いをしているのではないか、と心配していたのだが、棟梁と日々ともにする食事は豪勢なようで、体重は増える一方。但馬のタクオのガリガリ振りとは対照的だ。
 二人の兄弟子には、
  「いつでも殴っていいですよ、お願いします!」
と頼んでおいた。

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 帰宅すると、鳥取が豪雪防風で、授業が全休との知らせが届いている。今日中に帰鳥できるかどうか、不安だ。
  1. 2005/12/05(月) 14:25:52|
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中国ハムと白菜のくたくた煮

 北九州では雪が降っている。近畿も雨模様で、一日中、家にいた。もうS社のゲラに追われることはない。べつに暇なわけではないけれども、少しだけ気持ちに余裕ができてきたから、ひさしぶりに料理でもやるべぇか。
 というわけで、「中国火腿(ハム)と白菜のくたくた煮」を作った。中国ハムというのは、要するに、豚肉の塩漬けである。日本(というか、わたしの居住範囲)では、質の良い中国ハムを入手し難いので、訪中するたびに、たんまり買い込んでくる。その訪中はといえば、2003年夏に大阪朝日放送のクルーズに参加したのが最後だから、もう2年以上すぎているのだが、かの中国ハムは冷蔵庫の片隅に少しだけ残っていた。表面に白いものが吹き出ているので、ワイフは、
 「カビじゃないの?」
と言うのだが、おっそろしい量の塩に浸かったハムが腐るなんてことはありえないので、
 「塩が表面に吹き出しているだけだよ」
と答えたら、
 「じゃぁ、舐めてみなさいよ」
と彼女は言う。そうは言われても、高血圧に悩む身体に塩分は最悪(というか、食中毒はもうたくさん)だから、
 「君のほうが丈夫な身体なんだから、舐めてみたら?」
と逆提案したら、彼女は
 「そうね・・・」
と答えて、ぺろっと舐め、
 「塩だわ」
との分析結果を示した。

 レシピは簡単です。まず、ニンニクと生姜を低温で炒め、さらにタマネギを加えてから、細かくした中国ハムを混ぜて高温で炒める。ここに紹興酒をどばっと惜しげもなく注ぎ込む。アルコールがとぶまでグツグツ煮立てて、胡椒と鷹の爪で味を整え、あとはぶつ切りにした白菜を鍋がパンパンになるまで詰め込んで、クタクタ煮るだけ。干し椎茸を混ぜると、さらにおいしくなる。
 この料理は、とてもお酒にあいます。紹興酒もいいし、焼酎もいい。白ワインなんか、案外、相性が良かったりしてね。どういうわけか息子の大好物で、夕食時に4杯おかわりしてくれた。そして、さきほどまた、夜食に1杯たいらげてしまった。
 明日になれば、もっと美味しくなるよ。

 
 
  1. 2005/12/04(日) 20:55:51|
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サクラ散る@長居スタジアム

 朝刊に目をとおし、ほとんど衝動的に長居スタジアム行きを決めた。今日はJリーグの最終節。首位にたつのはセレッソ大阪で、勝てば優勝だということを思い出し、これまでいくたびも名勝負をみせてもらった長居に足を運ぼうと決心したのだ。
 スタジアムに着いて、係員に
 「チケット発売所はどこですか?」
とたずねたところ、
 「本日の当日券は完売しております」
との返事にしばし茫然としたが、うろうろしていると、親切なおじさんが近寄ってきて、チケット2枚をお譲りいただいた。いつも愛用しているバックスタンドのSB席である。ごらんのように、スタジアムは超満員。入場者数は、43,900人であった。これまでいくども長居スタジアムに足を運んだけれども、満員の観衆をみたのは日本代表の試合だけである。セレッソ単独の試合では、エンボマがガンバにいたころの大阪ダービーで満員に近かったことがあるが、当日券がないほどではなかった。印象に残っているのは、横浜フリューゲルスが消滅した98年の天皇杯準決勝。サンパイオと山口素弘がダブルボランチを組んでいたころで、それまで20連勝していた鹿島アントラーズに1-0で辛勝した。そのときの観衆が2万人。

20051204014227.jpg


 セレッソは大観衆と川上主審を味方につけ、終始優位な試合運びを進めながら、終了間際の後半44分、FC東京の今野に同点弾を決められ、優勝を逃した。2-2の引き分け。あの、ドーハの悲劇のビデオを巻き戻してみているような試合であった。
 セレッソのホームゲームで、4万を超える大観衆。だれがどうみても大阪有利の試合展開だが、サッカーの質と応援は、あきらかに東京が上まわっていた。東京は4-2-3-1の攻撃的システム。サイドの前後に2枚の選手を配して両サイドを制圧した。3-4-2-1の大阪は、サイドが1枚だから、どうしても東京に数的優位を作られる。また、東京はダイレクト・パスを中心とする球離れの早いパス・サッカーをみせたのに対し、大阪はだらだらとしたドリブルが多く、アーリークロスからCFの西澤にあわせるだけ。

 セレッソはあと2分だけ辛抱すれば、Jリーグを制覇できた。なぜ、守り切れなかったのか。それは、守りに入ったからである。終盤、DFラインを下げて、馬鹿蹴りのクリアを繰り返すだけ。むしろキープ力のある選手を投入し、敵陣のコーナーフラッグ近くでキープを続けるべきだった。この点、森島を交替させた小林監督の采配には疑問が残る。いつもの試合で、終盤に森島を交替させるパターンが定着しているとしても、今日は特別な試合であり、老練でキープ力のある森島を最後までフィールドに残しておくべきだった。「勝ちたい」という強い意志をもっている選手が、こういう試合には絶対必要だ。ドーハで中山を下げたオフトと、長居で森島を下げた小林がだぶってみえる。

20051204014242.jpg


 敗因はもうひとつ。サポーターの弱さだ。数は4万人も集まっているのに、応援に迫力がない。東京に対するブーイングがなく、シュートをはずしたセレッソの選手に対する批判もない。わずか2千人ばかりの東京サポーターは
 「やばいぞ、やばいぞ、セレッソ!」
 「負けるぞ、負けるぞ、セレッソ!」
と挑発を繰り返している。数は少ないが、迫力でセレッソ・サポーターをあきらかに圧倒した。大袈裟に評価してさしあげるとすれば、サルフの会戦において、明帝国十万の兵を蹂躙した女真一万の騎馬軍団を彷彿とさせる応援であった。
 
20051204014216.jpg


 data:2005年Jリーグ最終節
     セレッソ大阪 2-2 FC東京
     (得点)大阪:西澤2 東京:鈴木、今野

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  1. 2005/12/03(土) 23:06:59|
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