Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

鬼は外、仏は内に

かつて、正面に座っている女の子から
  「ねぇ、もう一杯いただいていいかしら?」
と訊ねられ、お金も権限もないノビタが、クールな顔をして
  「あぁ、いいですよ」
とキザな太い声で答えるのを、対面席から唖然として眺めていた。スナックの閉店は15分後に迫っているのに、ノビタは、信じられないぐらい落ち着いていて、余裕たっぷり。人のお金で遊ぶ術をよく知っている。そのノビタが
  「今日は、今日だけは、勘弁してください」
と言って断るのだ。
  「なぁ、これから飛鳥行って、MOM行って、それからササが捜してきたおもしろいバーがあるからさ、3軒ハシゴして3時か4時まで飲み明かそうぜ、なぁ、いつものとおりお金はぜんぶおれが払うからさ・・・」
と誘うにも拘わらず、煙たそうに怪訝な顔をして、短い首を頑として縦にふらない。

 なぜかというと、今日は卒業研究の〆切日なのです。どうあがいても間に合うはずもないのだけれども、わずか50%の達成率というホカノを筆頭に、一群の学生諸君は、演習室に閉じこもってユンケル三昧の日々を送ってきた。
 で、なんとか検閲を通過したのは、卒業設計組のキム、社長、利蔵の3名のみ。この3名にしたって、これから手直しをさんざんおこなわないと、まともな作品にレベル・アップしないのだが、Y.ジーコに至っては「屏風」の出来が悪いので、
  「側の2枚を作りなおせ!」
と指示したところ、むっとした顔をして、ずいぶん口ごたえしてくるから、
  「おまえの屏風は2枚が唐辛子をまぶした草加煎餅で、2枚がストロベリー・ケーキだから、一緒に食べるとまずいんだよ」、
と毒づいてやった。ちなみに、Y.ジーコは御菓子屋さんに就職するのです。我ながら、ひどい教師だと思う。

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 論文組は沈没寸前? こういう状態なので、節分の3日前なのに鬼が出て、出来のわるい学生どもに豆を撒いた。鬼は、どういうわけか、
  「鬼はぁ、そと!」
とわめきながら、ある部屋の扉にも豆を撒いていた。赤塚不二夫のニャロメ鬼は、自分とは質の違う鬼気を感じたのかもしれない。


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  1. 2006/01/31(火) 23:33:03|
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火と人と猫と - 演習3の成果

 デザイン演習3の成果を浅川研演習室前に展示しました。現状図面、新築図面、リフォーム図面とA1の紙に3枚にまとめました。住宅兼アトリエの設計です。大きなアトリエがほしいという要望により2階は全部アトリエです。そして、OBや学生などが手伝いや遊びにきたり、遅くなれば泊まっていけるように2段ベッドを2つ設けました。また小さなシャワー室もあるので、いざとなったら2階だけでも生活ができます。一階はくつろぎのスペースです。1階には囲炉裏、2階には囲炉裏カマドがありそれぞれが火処として場の中心として機能します。(森川・吉村・北野)

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断面図-リフォーム案

リフォーム案-CG

  1. 2006/01/30(月) 17:29:55|
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Song for You

 NHKのBS2で「高橋真梨子Song for You」という番組が4回放送されたのをご存じであろうか。1回めは昨年の一月に放映された。ニューヨークを舞台とした設定で、なにより驚いたのは「五番街のマリー」を英語でうたうシーンであった。これがとんでもなくカッコよくて、日本語の「五番街のマリー」とはちがう別の曲ではないか、と思わせるほど、新鮮に聞こえた。その結果、わたしはアマゾンで2枚のCDを注文することになる。それまで、高橋真梨子のファンであったという自覚も記憶もまったくないのだけれども。
 番組の4回目=最終回が放送されたのは、去る1月16日。2回めと3回めを見落としたので、ここはなんとか見なければと必死で予約録画の設定をしておいた。幸い、その日の夜は、番組の始まりすれすれに帰宅できたから、生の放送でもみたのだが、今日またその録画をみなおした。

 日本タレント名鑑によると、高橋真梨子は1949年3月6日生まれの魚座で、福岡出身。血液型はA型である。ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとして、1978年にデビューした。わたしより7歳も年上だが、画面に映るその姿はなんとも麗しい。『島耕作』に出てくる銀座のママさんみたいな感じなんだけれども、それは妖艶な美しさではなく、清潔な美しさであって、しかも、もちろん色気がないわけではない(ないはずがない)。驚いたことに、92年のニューヨーク公演、93年のロンドン公演、94年リレハンメル・オリンピックのNHKテーマ曲披露会と回想シーンが流れるのだが、十数年前と比べても、今のほうが何倍も綺麗にみえる。なにより笑顔がすばらしい。菩薩のような微笑みである。90年代前半の高橋真梨子に出会ったとしても、おそらくそう動揺することはないだろう(あるかもしれない)が、今の高橋真梨子と対面したら、たぶん心臓がバッコンドックンして、色紙を差し出す手が震えてしまうだろう。

 さて、卑近なところと比較するならば、自分がこれまで観察しえた女性の場合、30代のほうが40代よりも、そして、40代のほうが50代よりも美形であるのが一般的である。要するに、若いころのほうが美しかったという偏見をもっているから、ワイフにたいしても、ときに、
  「あのころは綺麗だったよなぁ・・・」
などと慨嘆し、その結果、
  「過去形なのね!?」
などと叱られ、すねられたことが何度かあった。おそらく世の亭主族は同じような経験をしてきたことでありましょう。
 しかるに、高橋真梨子は50代後半を迎えて、なぜあれほど容姿端麗なのだろうか。それは、彼女がタレントだからだ、と答えるのは簡単だ。かつて、高橋真梨子と同じ音声の名前を有する加賀●●子という大女優が、美貌の秘訣を聞かれて、
  「粉よ、粉・・・」
と毒づいていたのを覚えているが、粉だけで菩薩のような微笑みが得られるはずはない。化粧や髪型や服装は、間違いなく、女性の印象をいちじるしく変えてしまうけれども、それはときに「厚化粧」とか「勘違い」という悪しき結果を招きかねない。最近では、上智大学のセンセイから某大臣におなりになった方が、入閣記念撮影のさいにお召しになった青いドレスが物議を醸したとおりである。
 高橋真梨子が長い歳月をかけて獲得した容姿を、男のわたしが説明できるはずはないのだが、ただただ、
  「うまい具合に年を重ねてきたもんだなぁ」
と感嘆したしだいである。一言でいうならば、わたしは高橋真梨子に勇気づけられた。だから、録画までみてしまったのである。
 これからも、楽しいことがたくさんあるさ、・・・ハマダバダ

  1. 2006/01/28(土) 19:19:54|
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タイタニックのように 

 小学生のころ、親が結構きびしくて、金曜夜8時から放映されていた「日本プロレス」中継をみせてもらえなかった。プロレスの全盛期である。そうこうしているうちに、力道山が創設した日本プロレスは崩壊し、馬場は全日本プロレス、猪木は新日本プロレスをたちあげた。新日本プロレスの創設は中学校2年のときだった。テレビと言えば、NHKと日本海しかないころだから、NET(今の朝日テレビ)系の新日本プロレスが放映されるはずもなく・・・、というのは真っ赤な嘘で、日曜の午後2時ころから2~3週間遅れの放送が始まり、わたしは毎週必ず新日本プロレス中継にかじりつくようになっていた。
 猪木については、いろいろ悪口を聞く昨今ではあるけれども、あのころの輝きたるや神々しいばかりで、対ジョニーパワーズ、対ストロング小林(後のストロング金剛)、対キム・イル(別名大木金太郎)、そして数々の異種格闘技戦などに固唾をのみ、我を忘れ、わたしはのめり込んでいった。それが八百長だろうが、芝居だろうが、エンタテイメントだろうが、別にどうでもいい。あれだけ観衆を惹きつける芝居ができるなら、それだけでその人物はたいしたものだ。それほど猪木は輝いていた。
 わたし自身ふりかえるに、ギターとサッカー以外で、あれほど夢中になってしまったものはほかにはなかった。当然のことながら、週間ゴング、週間プロレス、週刊ファイト、大阪スポーツなどの雑誌や新聞を読みあさった。本屋での立ち読みが多かったと言いたいところだが、じつは結構お金をつぎこんでいて、週刊ファイトという新聞を近鉄電車でひろげるわたしを「恥ずかしい」とたしなめ、嘆く知人もいた。
 しかし、いつごろからだろうか、雑誌を買わなくなった。たしか、ノアと新日本が対抗戦をやっていたころまではたまに買っていて、つい先日、ベッドの下にころがっている週刊プロレスを発見した。G1の決勝で、天山広吉が秋山準を破って優勝したときだから、2年半ぐらい前だろうか。そのころはまだ、無性にプロレスの試合をみたくなる自分がたまにいて、深夜番組でプロレスに出くわすとほくそ笑んで夜更かししていたものだ。

 昨秋、長州力が新日本プロレスの現場監督に復帰した。猪木をさんざん批判して新日本をやめた長州が、なぜ新日本の責任者に復帰するのか、不思議に思ったものだが、まもなくその謎は氷解した。猪木は自らが所有する新日本プロレスの持ち株をすべて、株式会社ユークスに売却してしまったのである。自分はもう新日本を手放すが、現場の責任者たりうる人材は長州しかない、というのが猪木の判断だったのであろう。
 猪木の株売却は、事実上、プロレスの終焉を意味する。すでに十分「プロレスは終わって」おり、だからこそ、わたしのようなフリークが雑誌を買わなくなってしまったわけだが、プロレスの伝道者が自らステージをおりてしまった事実に驚きを禁じ得なかった。残された者、とりわけ若手レスラーに未来はあるのだろうか。

 昨夜、コンビニで『新日本プロレス「崩壊」の真相』という雑誌をみつけた。『別冊宝島』1260号(880円)である。本を開くまでもなく、表紙をみて、この本を買うことにした。2年半ぶりに買うプロレス関係の雑誌である。じつにおもしろい。猪木がいかに悪人であるのかがよくわかる。長州が激怒するのは当たり前だ。ところが、その長州にしても、若手から猛反発を買っており、その嫌われ方は契約更改の障壁にまでなっていて、離脱者続出、新日本の体制を揺さぶっている。
 しかし、そんなことはどうでもいい。問題は栄枯盛衰に隠れた現実の怖さである。別冊宝島編集部は、この特集号の序で次のように警鐘を鳴らしている。

  黄金時代の新日本プロレスは、自らの「逆境」を想像できなくなっていた。
  船底に穴が開いても、楽曲の演奏が続けられた「タイタニック号」のごとく、
  現実から目をそらし続けてしまったのである。

 厳しい現実に目をそらし続ける人びとは、わたしのまわりにも少なくない。転覆は近いのに。

 
  1. 2006/01/27(金) 19:39:14|
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金剛と道元

 昨夕、鳥取空港でハマダバダの一方とばったり。仙台出張のため、今晩は東京で1泊するという。浜松町で一杯つきあってもらった。
  「どこに泊まるの?」
  「五反田です」
 じつはわたしも、以前は五反田のホテルを定宿としていたのだが、福島市教委に所属するある助平から、
  「センセィ、五反田はデリヘル充実してるんでしょ?」
と訊ねられたのを契機に宿を移した。当時はなんにも知らなかった。デリヘルとは何ぞや。しばらくして、デリヘルがデリバリー・ヘルス(出張ヘルス)の略であることを知った。要するに、五反田は「風俗」先進地の一つとして、東京以外でもひろく認知されていることがわかったので、最近は上野方面のビジネスホテルに待避している。
 だから、ハマダバダの一方に訊ねたのである。
   「五反田って、デリヘル充実してるんだってねぇ?」
   「えっ、そうなんですか?」
 知って知らないふりをしても、人間、顔にあらわれるものである。よくよく考えてみれば、かれの奥さんはおなかが大きく、
   「嫁が妊娠中、男はいちばん浮気しやすいんだよな?」
   「あっ、そうらしいですね・・・」

 なかなか美味しい中華レストランで広東料理を食べ、紹興酒のデキャンタを2本あけた。浜松町から上野と五反田に向かって別れたのは9時半ころだった。それからの二人がどうなったのか、だれも知らない。

 なんていう冗談はさておき、酒席での話題は妻木晩田に集中した。どうもよからぬ噂がひろまり始めていて、その風聞がこちらの耳元にまで届いていることにかれは驚いていた。
   「みんな禅でも学べばいいんだ」
   「そうですね」
   「永平寺で修行するか?」
   「あっ、でも、むかし妻木晩田にいたストロング金剛、あの住職も曹洞宗だから、永平寺で修行したはずですよ・・・」
 おもわず絶句した。住職の身でありながら、外車を3台乗り回し、酒池肉林におぼれていたあの金剛が永平寺で修行したなんて。
 道元の叡智も金剛には通じない。



 
  1. 2006/01/26(木) 21:46:08|
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今後の班編成

西山です。

昨日のゼミで決定した新しい班と、今後の活動内容です。

A班:池田家墓所…岡野・坂本・木村・藤井・森川

 この班は、池田家墓所に関する報告書を作成することが、メインです。


B班:デジタル・マッピング…西垣・河田・宮本・北野・吉村

 「知の財産」の報告書を仕上げ、その後は尾崎家の調査研究がメインになります。


C茶室&リサイクル…吉田・大城・佐々木・西山・野際

 茶室の維持管理、「廃材でつくる茶室」のパンフレットを作成することがメインです。

以上。
  1. 2006/01/25(水) 10:30:14|
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下之郷遺跡58次調査に関するコメント

 先週訪れた滋賀県守山市の下之郷遺跡第58次調査区に関する記者発表が、本日午前10時よりおこわれることになり、守山市教育委員会よりコメントを依頼されたので、さきほど送信した。その全文を転載する。

 1)建物A~Fの6棟はいずれも長大な建物であるが、柱穴は小さく、梁間は3.6m前後と長いので、高床建物ではなく、平地土間式の建物であった可能性が高い。山陰の弥生集落でみられる「長棟建物」に似ている。
 2)各建物には何時期かの建て替えが認められる。1棟ずつの時期的な変遷をあきらかにし、柱間寸法等を確定しないと、建築的な特色を把握できない。現状の遺構図のみでは、入口の位置や壁材などを推定するのは不可能である。
 3)建物は3つの方位に分類されるが、それは時期差として認識してよいであろう。遺構の重複等からみて、建物A・B→建物C・D→建物E・Fという変遷は妥当な解釈と思われる。そうしてみると、調査区においては、1時期に1棟もしくは2棟の建物しか存在していなかったことになる。
 4)大型の掘立柱建物とはいっても、その性格を祭祀や生産に特化できるわけではない。下之郷遺跡では竪穴住居が1棟もみつかっておらず、円形平面の平地住居も検出数は少ない。したがって、今回みつかった「長棟建物」にも「居住」の機能が包含されていた可能性を否定できない。居住性能をもち、さらに生産や祭祀にも使われた建物だったのかもしれないが、現状では、機能比定は困難と言わざるをえない。
 5)現在は範囲確認調査の段階であり、いまだ情報が錯綜としている。下之郷遺跡がきわめて重要な弥生時代の環濠集落であることはいうまでもないが、拙速で過大な評価は控えるべきと思われる。

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  1. 2006/01/24(火) 00:00:34|
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雇いのステンレスピン -池田家墓所玉垣の修復

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 池田家墓所の修理現場を訪問した。清源寺跡の前にプレハブが建っていて、これから接合する玉垣の柱や笠石を並べており、参道沿いの露天の現場では光仲墓玉垣の石材を整理中であった。また、墓域にあがると、金三郎墓をビニールハウスが覆っていた。ビニールハウスは平面が5.5×5.0m。金三郎墓修復のための素屋根で、経費は13万円と極安値である。光仲墓のほうは、玉垣をとりのぞかれたまま、墓碑を風雪にさらしているが、白銀にくるまれたその姿は、いつもよりも神々しい。

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 今日、プレハブを訪問すると、ちょうど金三郎墓玉垣の石柱接合のための「穿孔」を始めるところであった。設計では、接合部に雇いのステンレスピンを用いて、断裂した上下の材の密着を強化することになっており、ピンを挿入するための孔を穿つ工程が必要なのである。しかし、金三郎墓は昨年修復した澄古墓よりもわずかに小さい規模の墓で、初代光仲墓に比べればはるかに小振りである。澄古墓の場合、石材が凝灰岩系の南田石(のうだいし)ではなく、花崗岩であるため、雇いピンはいっさい用いなかった。対馬宗主墓も規模の小さな墓が多いらしいが、接合には雇いピンを使っている。ただし、玉垣石柱の1辺は約15㎝と太く、ピンは径9㎜、長さ10㎝という小さなものである。光仲墓玉垣の石柱も一辺約15㎝だが、設計図で予定されているピンは径12㎜、長さ20㎝とやや大きい。以上のような先行事例を参考とするならば、金三郎墓程度の規模の玉垣では、石柱の破損状況がよほどひどくないかぎり、雇いピンは不要か、もしくは小振りのものでよいように思われる。
 ただし、空中に浮いて水平に並ぶ笠石には繋ぎのピンは必要であろう。とはいえ、金三郎墓笠石の場合、光仲墓のそれに比べればはるかに小さいから、ピンを2本も使う必要はない。小さめのピンが1本で十分ではないだろうか(光仲墓の笠石でも1本でよいという意見すらある)。
 雇いのステンレスピンが材の接合性を高めるのならば、ピンを入れておくにこしたことはない、とのご批判を頂戴しそうだが、ピンを挿入することによって、当初の石材に亀裂が発生する可能性があり、文化財価値を保護するためには、ケース・バイ・ケースで慎重に対応しなければならない。現場で石材を観察しながら、以上のような感想をもったので、保存会の事務局に報告したところ、基本的に合意いただいたので、おそらく以上の方針で修復が進むことになりそうだ。

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  1. 2006/01/23(月) 16:33:57|
  2. 史跡|
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青谷の豆腐

 昨日、青谷在住の事務職員と一緒に倉庫番していたからなのかもしれないが、急に青谷の豆腐が食べたくなって、青谷上寺地遺跡展示館の隣にある「ようこそ館」まで車を飛ばした。木綿豆腐、こんにゃく、蕪菁のように太い大根と田楽味噌を買った。すべて手作りである。週末を田園町ですごすのは久しぶりのことで、自炊するのはさらに久しぶりだ。自炊と言ってもメニューは簡単。湯豆腐と田楽(こんにゃく&大根)である。手作りの豆腐はふわっとして柔らかく、ほのかな甘みがある。湯豆腐にしても美味しいし、田楽味噌で食べても旨い。
 というわけで、お腹はいっぱいになったが、カロリーは低く、体にやさしい栄養分は満載であり、なんだか体が軽くなったような気がしてきた。考えてみれば、澱粉と油・肉が含まれていない。ただ、お酒だけは飲んでしまう。焼酎も日本酒も切れていたが、バンコクの免税品店で買ったシェリー樽仕込みのバーボンをちびりちびり。豆腐や田楽にあうかといえば、そうでもないけれども、アルコールなしでは食卓が淋しい。悲しいさがである。
 そうこうしているうちに、吹雪になってきた。天気予報によれば、木曜日あたりまで雪マークが続いている。年末ほどは降らないだろうが、水曜日には東京に飛ぶので、欠航だけは勘弁していただきたい。

  1. 2006/01/22(日) 23:14:38|
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倉庫番(Ⅰ)

 センター入試1日め。全国的に注目を集める初の英語リスニング試験がおこなわれた。すでに共同通信などが報道してきたように、リスニング試験のためのマニュアルは分厚く、内容は複雑で、トラブルの発生が事前に予想されていた。インターネットで更新されている毎日新聞の報道によると(1月21日21時44分現在)、全国235会場で計383人以上がトラブルを申し出たり、再テストなどの措置を受けたという。おそらく、被害の実数はこの数をはるかに上まわるであろう。環境大学の状況については、入試広報課が公開するはずだから発言を控えるが、仕事が終わったら午後8時をすぎていた。ちなみに、わたしに与えられたのは「倉庫長」という役割。その任務についても説明しないでおく。 [倉庫番(Ⅰ)]の続きを読む
  1. 2006/01/21(土) 22:04:42|
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想定外の遺構 -松尾頭の知恵

 今朝、妻木晩田遺跡松尾頭(まつおがしら)地区の発掘調査現場を視察した。
 この現場は出土した遺構を露出展示する覆屋(おおいや)を建設するための予定地で、近隣の発掘区と同様、さまざまな遺構が姿をあらわすであろうと期待されていたのだが、結果はやや期待はずれ。1000㎡を越える大きなトレンチ内で姿をあらわしたのは、竪穴住居2棟と高床倉庫(1×2間)1棟のみであった。

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 史跡整備の対象となる遺跡では、しばしばこういう事態が発生する。平城宮跡でもそうだった。埋蔵文化財センター関係の仮設建物を建設する事前調査を実施したところ、地下から桁行21間もある朝堂風の礎石建物がでてきて、所員一同驚愕。あわてて地上に遺構表示をした記憶がある。
 このように、苦労して練り上げた基本構想(マスタープラン)にあわせて、事前発掘調査の計画を考え遂行するのだが、掘ってみると、そこには何もなかったり、とんでもない遺構が出たりして、想定外の調査成果に右往左往することが珍しくない。しかし、私見を述べるならば、右往左往する必要などないのである。何がでてくるかわからないから、発掘調査するのであって、予想どおりの遺構がかならず姿をあらわすのならば、もとより発掘調査の必要などないではないか。
 要するに、地下に埋もれた文化財を対象とする整備は、調査成果によって、刻々と計画の変更を迫られる。それは、あたりまえのことなのである。この場合、基本計画に固執するのは得策ではない。予算やスケジュールを斟酌しつつ、なにが最善の途なのか、関係者全員で知恵を絞るほかないであろう。いくらでも知恵はお貸しできる。しかし、わたしの知恵を押しつけるつもりもない。事務局には、知恵をまとめる場の設定をお願いしたい。



  1. 2006/01/20(金) 15:40:25|
  2. 史跡|
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ミニゴール完成! -プロジェクト研究発表会Ⅲ

 夕方になって、ようやく組立式ミニゴールの片割れが完成した。あわやF判定と思われていたグループだけに、喜びも一入というか、正直、安堵した(もう半分残っているが)。制作はデザイン学科1年生の林&福井くん。やや重くて、構造が不安定だが、継手仕口は凝っている。補助は吹野&藤田くん。福井、藤田は鳥取ブラジルというチームのMFで、プレミアリーグ談義に華が咲いた。
 今年の夏も、昨年のように、夕暮れの人影のない駐車場で、学生たちとミニ・サッカーができればいいが・・・

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  1. 2006/01/19(木) 18:17:36|
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茶会再び -プロジェクト研究発表会Ⅱ

 茶室のほうでは、1年女子が抹茶をふるまった。1年生は茶室にかかわる道具も製作したので、ここに紹介しておく。国谷&安藤くんはLANケーブルの廃材で菓子器と一輪差しをつくった。今城&嘉村さんの暖簾は、広告紙と飯粒糊をつかって、玉を1440個も連ねた力作。今回は待合いの前に飾って、トン汁会に華を添えた。

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  1. 2006/01/19(木) 17:13:16|
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トン汁50杯 -プロジェクト研究発表会Ⅰ

 プロジェクト研究2&4の発表会。昨夜、2年生は某家に集合し、トン汁を仕込んでいた。朝10時から炉に火入れするが、なかなか火が安定しない。しかし、茶室では1年女子が抹茶の準備をしていて、お客さまにはとりあえず茶室に上がっていただいた。何日かぶりに雪が降り、山道はどろどろで、お客が来るのかどうか、心配されたが、蓋をあければ大にぎわい。ハイヒールやらブーツをどろどろにして山にあがってくれた女子大生のみなさん、くりかえしますが、これはわたしの所為ではなく、雪の所為なのです。
 というわけで、準備しておいた紙皿50枚がぜんぶなくなり、最後は抹茶椀を洗浄してトン汁を賄った。雪のちらつく山の中で食べるトン汁の味は最高!お抹茶も作法を学生に教わりながら、美味しくいただいた。

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↑神戸市垂水のMさんからいただいた風炉

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  1. 2006/01/19(木) 16:45:24|
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「腰掛け待合い」発表会のお知らせ

 2005年度後期のプロジェクト研究2&4(1・2年生)でとりくんできた「廃棄物で何をつくるか -リサイクルとアートの接点」の発表会を19日10時よりおこないます。
 2年生が茶室にあがる山道の脇につくった「腰掛け待合い」が発表会場です。腰掛け待合いは、昨日のブログに掲載しています。1年生の作品「暖簾」「菓子器」なども、腰掛け待合いで展示されます。豚汁、抹茶のサービスもありますので、ふるってご参加ください。

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  1. 2006/01/18(水) 12:07:15|
  2. リサイクル|
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「腰掛け待合い」の仕上げ -皆の力Ⅱ

 ゼミの3・4年生には、茶室の修理だけでなく、「腰掛け待合い」の仕上げもしてもらった。ビニール波板の屋根ではあまりに無粋なので、竹葉葺きとし、側壁に編物を垂らし、床に板を敷いて風炉をおいた。これで数寄屋っぽくなるだろうと期待したのだが、いまのところゲリラの隠れ家みたいだな。竹葉の色が変われば、少しは小粋になるだろうか。
 4年生は卒業研究でふらふら状態状態だが、たまに息抜きで体を動かしたほうがいいし、こういう活動を続けないと、茶室も待合いも維持していけないだろう。みんな結構楽しそうだった。あしたのプロ研公開は、ここが会場となる。
 
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[「腰掛け待合い」の仕上げ -皆の力Ⅱ]の続きを読む
  1. 2006/01/17(火) 23:35:54|
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皆の力

 以前ブログにも書かれていましたが、茶室の土間上面のトタン屋根の竹垂木が積雪で折れていたので、浅川研総出で修復作業を行いました。茶室は山の中にあるので、積雪もすごく、先週行った時には膝まで雪が埋まってしまう程でした。作業は他に雪かきと火おこし、腰掛け待合の笹葺きを皆で分担して行ったのですが、予定より早く終わる事が出来ました。
 茶室の屋根工事は大城棟梁を中心に行いましたが、なかなか手際がよく、茶室を安心して任せられると思いました。今日から茶室の責任者は大城棟梁に譲ります。屋根工事はトタン屋根を剥がし、竹垂木も取り除き午前中加工した板材を打ち付け、再度トタン屋根を被せました。
 屋根工事が無事終わったのも、皆様のお陰です。卒研の〆切間近でお忙しい時期に本当に有難うございました。今後、茶室の維持を引き継いでいって頂ければ幸いです。  (ヨシダ)
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  1. 2006/01/17(火) 22:39:33|
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カイヤン再見 -琵琶湖博物館にて

 ほんとうのことを言うと、昨日はお寺に行きたかった。線香や蝋燭やお経を買いそろえたいと思っていて、滋賀には社寺が多いから、この望みは叶えられるだろうと期待していたのだが、下之郷遺跡を視察後、担当の川畑さんに、
  「琵琶湖博物館に行ってみませんか?」
と誘われた。そういえば、琵琶湖博物館には行ったことがないので、この申し出にしたがうことにした。

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 1階は「水族」の展示、2階は琵琶湖に係わる生活文化の展示である。ところで、「水族」とは何ぞや。中国は貴州省に「水(スイ)族」なるタイ系少数民族がいるが、もちろん琵琶湖博物館にスイ族関係の展示があるわけではない。「水族」とは水族館の水族であり、要するに、琵琶湖の水棲動物を水槽に泳がして展示しているわけだ。これは結構おもしろい。琵琶湖にはじつに多様な魚がいるものだ。さらに興味深いのは、世界各地の淡水湖の魚まで水槽に泳がしている。そのなかに、カンボジアのトンレサップ湖も含まれていた。そこで、あの大ナマズモドキに再会したのである。トンレサップの水上レストランで養殖されていた獰猛な魚で、小魚を水槽に放り込むと波しぶきをあげて餌を奪いあう肉食魚だ。水槽の上からのぞくと、その体つきはナマズにしかみえない。ところが、水槽から釣り上げて魚体を横たえると、スズキのようなみてくれをしている。トンレサップの水上レストランで、この魚に8ドルも払い、唐揚げにして食べさせてもらった。結構うまかったが、味だけで比較すれば、日野川の大ナマズに軍配を上げよう。
 トンレサップのナマズモドキが琵琶湖博物館の水槽のなかで泳いでいる。解説のパネルをみると、カイヤンと書いてあった。やはりナマズの仲間らしい。

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  1. 2006/01/16(月) 01:58:01|
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下之郷遺跡 -滋賀の大環濠集落

 滋賀県守山市の下之郷遺跡を視察した。下之郷遺跡は弥生中期の大環濠集落で、時期・規模とも大阪府池上曽根遺跡とほぼ同じ。3重(もしくはそれ以上)の環濠に囲まれた領域では竪穴住居が一棟もみつかっておらず、大型の掘立柱建物が方形区画に隔てられて林立しており、弥生集落論に波紋を投げかけている。
 池上曽根遺跡の整備にかかわったおかげで、近畿の弥生集落論がきわめて「危ない」状況にあることを、わたしは知っている。「都市」「王国」「巨大神殿」など、物質文化だけで容易に認定できるはずのない性格や用途を当たり前のように断定し、日本の都市化=国家形成が弥生時代にまで遡ると大勢の考古学者(とくに現場技師)が唱えて納得している。こういう状況を憂えていたのだが、山陰に引きこもってからは、正直言ってどうでもよくなった、というか、できるかぎり係わらないに限る、と諦観した。近畿の危なさに比べれば、山陰の弥生集落論は、妻木晩田を中心として実直な調査研究が積み重ねられており、保存運動時の加熱報道から軌道修正に成功していて、いまのところ、安心してみていられる。

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 下之郷遺跡の場合でも、いくつか問題を発見した。まず旧地表面の復元が頭から消えている。水田直下で遺構面が検出されるとはいえ、弥生時代の生活面がどれほど削平されているかは不明であり、竪穴住居は皆無だとしても、低湿地集落に卓越する登呂型の平地式伏屋住居が存在した可能性は十分考えられる。また、大型掘立柱建物が林立するとはいっても、本日みた限りでは、柱穴はえらく小さい。いまだ断割調査をしていないので、柱穴の深さや柱痕跡の径は不明だが、この小さな柱穴では高床建物に復元するのは難しいであろう。山陰でいうところの長棟建物と推定される遺構が少なくないような気がする。大型「神殿」などという大それた施設ではなく、居住性能をもつ建物のようにもみえた。
 とにもかくにも、池上曽根のようになってはいけない。もちろん吉野ヶ里のようであってもならない。はじめに「弥生都市」があり、「国家」があり、「巨大神殿」がある。そのイメージにあわせて、遺構を解釈する。これは科学としての考古学の姿では決してない。下之郷には、身の丈にあった復元、地に足のついた整備を進めていただきたいものである。

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  1. 2006/01/15(日) 20:33:26|
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仏壇をつくるⅡ

 3年生の女子に、田園町住宅の改修をデザイン演習の課題として出している。先のコンペは新築案で、今回はリフォーム案である。前回と今回で施主の心情変化があったとすれば、永平寺訪問を契機とする禅への興味であり、それはタイの仏寺紀行でも続いていて、とうとう田園町住宅の出窓に「仏龕(ぶつがん)」を作らしめる結果を招いた。デザイン演習に従事する学生諸君に対しても、リフォーム住宅に仏龕を作ってほしいとの依頼を発したところである。

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 昨夕、奈良の自宅に帰ってきた。じつは、タイで小さな仏像をもう1体買っていて、奈良に残しておいた。その仏像は田園町とおなじスコータイ様式のもので、スケールもほとんど変わらない。ただし、田園町はブロンズの贋物、奈良はさらに安物の木彫である。こういうインチキの木彫仏像ではあるが、それでもなお、座禅する姿は凛として美しく、表情は穏やかで、みる人を安らかにする。というわけで、今日は奈良のリビングルームに仏壇をこしらえた。鐘や木魚など、小道具が足らないけれども、まぁ、ぼちぼち揃えよう。

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  1. 2006/01/14(土) 21:03:58|
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温風器の風に吹かれて

 深夜12時をすぎて帰宅するべく実験棟横の駐車場に歩を進めていると、トントンカンカン、大工仕事の音が聞こえてくる。その音は、実験棟と修復建築スタジオのあいだから響いてくるので、冷やかしに覗いてみると、吉田と大城が金槌と鑿で木材を加工している。吉田が卒業制作とする屏風の框を二人で加工しているのだ。建具といえども、ホゾやシャクリの仕口を避けて通れない。
 大陸からの寒気は和らいでいるが、それでも深夜の屋外仕事は寒くてつらい。温風器や焚き火で暖をとりながら、建具を作る二人をみていると、昨年の岡村を思いだす。吉田はいつも岡村に叱られていたが、いまはその吉田が卒業制作に精を出している。
 おもしろい作品になることを願うばかり。

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  1. 2006/01/13(金) 18:55:38|
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雪に折れた茶室の庇

 プロジェクト研究2&4「廃棄物で何をつくるか -リサイクルとアートの接点-」が再開し、しかも今日が最終授業となった。大雪のため12月22日が休講になったのだが、プロジェクト研究は自主的な演習だから補講はなく、そのまま最終講義に雪崩こんでしまったのである。1年生は暖簾と菓子受けがほぼ完成。フットサルのミニゴールは作品の片鱗もなく、限りなくF判定に近い状況であることがあきらかになった。2年生の「腰掛け待合い」は、なんとか建築らしき姿にみえてきた。大雪のなか、よく頑張ったと思う。来週の発表会にむけて、最後の仕上げを怠らないでほしい。

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 問題は茶室である。積雪で、坪ノ内(土間)上面のトタン屋根が垂木ごとへし折れており、土間に雪が溜まっている。これは大変だと、とりあえず吉田を現場に呼び寄せ、他の4年生を集結しようとしたのだが、卒業研究のため、みな夜行性になっており、だれも居ない(ピエールとホカノは池田家墓所に行っていたことがブログでわかった)。結果、吉田と二人で修理に悪戦苦闘。問題はトタン屋根を支える竹垂木が弱くて折れてしまっていることで、とりあえず板材を2枚ほど垂木状に差し込んでたわみを防ぐことにした。これからも雪は降るだろうから、半解体修理しておいたほうがいいかもしれない。来週火曜日のゼミでやろうかな、修理と雪作務・・・

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  1. 2006/01/12(木) 22:20:57|
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池田家安全祈願祭

 寒中お見舞い申し上げます。(ぴえーる)
 12日は、朝から今年度の整備事業を控えて池田家墓所で「安全祈願祭」が行われていたため、ホカノ君と共に見に行ってきました。安全祈願祭には、池田家の菩提寺である興禅寺のご住職を始め、池田家墓所に関わる多くの方が来られていました。
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 ご住職が唱えるお経の内容は私にはよく聞き取れなかったのですが、すっかり雪に覆われた墓所に黄檗宗のお経が響くと、見慣れたと思っていた墓所の姿もひと味違って見えました。例年より早く雪が降り各地で雪による被害が出ています。私は、鳥取に来るまで雪の怖さをほとんど知らなかったのですが、最近その怖さを少し体験したこともあり、用心しています。池田家墓所で整備事業を行われる方にも安全に作業を進めて頂ければと思います。
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  1. 2006/01/12(木) 19:25:47|
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謎の紋様痕跡

 夕方から大学院のゼミ(『都市保全計画』輪読会)があり、県教委の松本さんに「都市保全に関する国際的な協調」の部分をご発表いただいた。ICOM、ICCROM、ICOMOSなどお馴染みの国際的な組織が次々に登場し、その成立の経緯を知ることができた。授業後、松本さんと市博の佐々木さんに米谷家板倉の扉をみていただいた。絵図等をみると、池田家墓所の門扉に使われる意匠は揚羽蝶か三葉葵に限られているのだが、墓所の廟所を移築してきた板倉の扉に残る意匠痕跡はそれらとまったく異なっている。お二人にみせても、その紋様痕跡が何なのか、わからなかった。扉が後補であるという意見や、紋様が反転しているという意見や、扉が背面のものではないかという意見などが飛び交ったが、結局、答えはでてこない。さて、担当のホカノとピエールがどう処理するか、見物です。
 もしこの紋様について、心あたりのある方がおられましたら、是非ともご一報ください。

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 大学院の授業は今日で終わりだが、最後の最後に特別メニューを用意しています。今月15日にD論提出を控える山田助手に、その学位請求論文「南アジアにおけるオランダ植民都市(コロンボ、コーチン、ナガパトナム)の形成と変容に関する比較研究」について発表していただこうと思っています。詳細な日程・会場については、近いうちに公表いたします(たぶん1月末~2月初)。ゼミの枠をこえて、一般公開としますので、学生諸君はもちろん、建築学・歴史学・考古学・文化財関係者等のご来場をお待ち申し上げます。

  1. 2006/01/11(水) 22:23:36|
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栃餅善哉

 とうとう授業が始まった。2~3限が環境デザイン演習2(1年)、4~5限がプロジェクト研究6&7(3・4年ゼミ)である。3・4年ゼミのあとは「新年会」といきたいところだが、教師は懐が寒く、4年生は卒研に忙殺されているので、とても飲み会なんていう余裕はない。そこで、善哉を作ることにした。一昨日、津野を訪問した際、お餅をいただいていて、そこに栃餅がたくさん含まれていたので、善哉がいいと思ったのだ。鳥取県は雑煮を善哉にすることでよく知られているが、関西出身の我が家はすまし汁に水菜の雑煮であり、あんな甘ったるい善哉雑煮など、ずっと蔑視していた。
 ただし、氷ノ山のスキー場で食べた栃餅善哉の美味さが忘れられない。苦みばしった栃餅の味と甘い小豆汁のバランスがなんとも絶妙だ。この喜びを学生と分かち合いたいと思い、昨晩、キタノさんと西河さん(♀)に買い出しを頼んでおいた。栃餅善哉の評判は上々だった。栃餅は磯辺焼きにしてもうまい。海苔ともよくあうのだ。一方、かのグラッパは学生諸君に評判が悪かった。紹興酒とか、ピータンとか、グラッパとか、トムヤンクンとか、わたしが好む食材を若者は嫌う。たぶん、わたしの舌は国境を越えてしまっているのだろう。
 保守的なのは、学生たちのほうなのである。

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  1. 2006/01/10(火) 21:48:13|
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仏龕をつくる

 バンコクのジム・トンプソン邸近くに骨董屋が2軒あって、その骨董屋はじつは骨董の贋物ばかり売っているのだが、そこでスコータイ時代の仏像のミニチュアを購入した。もちろん、贋物なのだけれども、なかなか穏やかでいい顔をしているので、思わず手が伸びてしまった。田園町の宿舎に戻って、新聞紙をひろげると、ひび割れも破損もせず、その仏像はたおやかな姿をたもっている。考えてみれば、中国や東南アジアで買い集めた仏教関係の小道具が結構たまってきたので、ひとつ、このスコータイの仏像レプリカを中心に仏壇を作ってみようと思うに至った。こういうことをしてみたい歳になったのである。
 とはいうものの、なかなか、よい場所がみあたらない。棚という棚は本や小物で散らかっている。さんざん考えたあげく、2階の出窓を仏壇にすることにした。障子とサッシ窓のあいだに、結構おおきな棚ができている。いつもは寒いから障子をほとんど開けないが、今日はワイフが大掃除をしているので、出窓に気づいたのである。この出窓がなかなかいい。内側からみると、仏龕のようだ。そこにベトナムで仕入れたランチェオン・マットを敷いて、仏像をマットの中心においた。まわりの小物はなんでもある。カエルの木魚(タイ)、燭台(カンボジア)、鐘(タイ、雲南)、香炉(西安)、アプサラの呼鈴(カンボジア)などなど。仏教に限らず、ヒンドゥー教や東巴教の道具も含まれているが、まぁいいではないか、と思いつつ、ヒンドゥーのリンガ(男根)とヨニ(女陰)だけは流石に排除した。
 香を焚くと、その煙が仏像に絡みつき、なんとも言えない崇高な雰囲気を醸しだす。自分は座禅ができないから、香を纏いつつ座禅する仏像をぼっと眺めるだけ。これで、そこそこ平穏な気持ちになるから不思議である。「仏」は自分の外に居るわけではなく、自分の心の中にちゃんと住んでいて、その仏心を引き出すために僧は修行に励むわけだが、自分ではとてもそんな修行はできない。つまり、身心脱落や悟りの境致にとうてい達するはずはないから、あきらめて仏像を眺めるのみ。とうぶんこれで十分だと思っている。

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  1. 2006/01/09(月) 21:30:12|
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津野の雪

 昨夜、ノビタと西河(♂)があいついでメールをくれた。鳥取県積雪情報観測システム「とっとり雪みちNavi」http://www.infosakyu.ne.jp/sekisetsu/というサイトがあって、パソコンだけでなく、携帯からもアクセスできるようになっているという。積雪情報とともに、定点カメラが撮影した峠の写真を刻々と映しているのだ。画面に映る志戸坂峠は真っ白、積雪量は7日深夜で95㎝を越えていた。
 8日の朝、このサイトを覗くと、画面に車の轍がはっきりみえた。轍の部分だけ路面が露出しているのである。西粟倉荘のアワクランドにも電話してみたところ、スタッドレスを履いているなら通行に問題はないだろう、とのこと。あとは陽の高くなるのをまつだけだ。
 志戸坂峠を越えたのは午後2時ころで、路面に雪は消えていた。除雪と融雪装置のおかげであろう。じつにスムーズにワゴンRは峠を越え、智頭もすぎ、用瀬に至ってから、橋を左折した。佐治町津野のワイフの実家へと年始に向かったのである。

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 ここから事態は急変した。森坪から加瀬木あたりまで、道路は圧雪状態。先が思いやられたが、加瀬木から津野に上がる農免道路はきれいに除雪されていた。アストロパークや林泉寺があるからなのかもしれないが、除雪車が優先して雪かきしてくれたのであろう。また、道路の各所に融雪装置を設けている。ただし、田畑や集落を覆う積雪量は尋常でない。ビニールハウスの頭がわずかに顔をだしている程度だから、たぶん150㎝前後。若桜や智頭では200~300㎝も積もった山間部があると報道されているが、津野も相当なもので、集落に入ると、どの家の男たちも屋根にのぼって雪おろしをしている。

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 夕方、田園町の宿舎にもどった。クリスマスのころに比べると、雪はあきらかに少なくなっている。雪かきもたいして苦にならない。奈良から買ってきた水撒き用のホースを風呂の蛇口に取り付けて、摂氏40度の湯を噴射したら効果があった。これは結構使えそうだ。


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  1. 2006/01/08(日) 20:48:02|
  2. 地域支援|
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打出の脱稿

 利蔵が卒業制作としている富山市打出遺跡の焼失竪穴住居SI01復元模型の報告書原稿をわたしが担当していて、つい今しがた脱稿し、担当のO黒さんに送信した。まだラフだけれど、ともかく帰鳥の前に形だけでも仕上げることができて、ホッとしている。少しだけグラッパを飲んで眠ることにしよう。
 下は利蔵の図面を修正したエスキス風の画。どんな模型が仕上がることやら?

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  1. 2006/01/07(土) 03:55:18|
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出雲大社本殿模型の最終検収

 年初の初仕事。京都の株式会社「さんけい」で、出雲大社境内遺跡出土大型本殿の復元模型(1/50)の最終検収に立ち会った。いや、苦労しましたね。なんども、なんども、設計変更をして、ようやくここまで辿りついた。CAD&CGの王者キム・ドク(別名タイガー戸口)がいたからこそなしえた仕事です。

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 昨秋のシンポジウム直後、すでに茅葺き屋根の大半が完成していたにも拘わらず、檜皮葺きへの変更をお願いして、「さんけい」さんを困らせた。島根県古代文化センターの錦田さんと丹青社の榛沢さんには、こころよく変更に応じてくださり、感謝の念にたえません。

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 拙著『出雲大社』に記したように、古代~中世の大社本殿は「天皇の御舎(みあらか)のごとく」、丹塗りで檜皮葺きであることを重要な要素とした。それは内裏の建築を意識したものだったからであろう。ひとつだけ心残りだったのは、飾り金物を金箔にしたこと。『延享造営傳』によると、金物には「煮黒目」の塗装を施していた。時代は遡るが、黒のほうが渋くて良かったのではないか、と今は思っている。

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  1. 2006/01/06(金) 17:31:55|
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雪国からの帰還

 次女が鳥取から戻ってきた。2泊3日でワイフの実家に年始に行っていたのだが、帰宅後の開口一番、
 「すごい雪だった・・・」
その実家は佐治町津野にある。かの林泉寺のさらに山手で、おそらく鳥取県東部でも有数の豪雪地帯であろう。昨夜の新雪が尋常ではなかったらしい。
 「どれくらい雪が積もっていたの?」
と訊くと、次女は、
 「これくらい」
と言って、手を肩よりも高く持ち上げた。
 バスにのって志戸坂峠を越えたのだが、雪の量は津野のほうが多かったという。天気予報によれば、まだまだ寒気が続くらしい。授業の始まる10日(火)ころには、少しぐらいおさまっていてほしいものだ。
 たぶん8日に移動する。今日、スィフトをディーラーに渡したので、やはりワゴンアールで鳥取に向かうことになった。津野にも上がる予定だが、軽自動車で大丈夫だろうか。


  1. 2006/01/05(木) 19:54:18|
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