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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

観ボスニア・ヘルツェゴビナ戦評

 左サイドをずっとやられていて、早くアレックスを替えないと決勝点を奪われる。そう心配しながらベンチの情報を気にしていた。わたしなら、とりあえずアレックスに替えて村井を投入するか、田中誠をいれて3バックに変更したであろう。
 ベンチでは小野が動き始めていて、稲本も呼ばれたらしい。そうこうしているうちに、またしても左サイドから攻められて、日本は2点めを奪われた。どうするつもりなのか、とみていたら、小野は小笠原、稲本は福西とダブルでの交替。試合前からの予定だったのだろうが、これは勝っているときの交替バージョンだ。この試合、福西はボランチとして効いていたので、替える必要はまったくない。おまけに小野までボランチに入って、中田英が前にポジションを移した。結果としてみれば、ボランチの2枚替えであり、守備にいっそうの混乱を引き起こした。あそこは福西を残し、まずはアレックスを下げて、左サイドに村井か中田浩を配するべきだった。どうしても稲本を使いたいなら、アレックスの位置で試してみるのも手だったように思う。ともかく福西は4バックラインの前に残しておく必要があった。ボランチの2枚替えによって、4バックラインは孤立し、前に後にずたずたに引き裂かれ、3点めがいつ入ってもおかしくない展開になってしまった。
 日本はアジアの3強であることは間違いないが、ヨーロッパに出るとこのザマだ。ヨーロッパのB級チームに叶わない。トリノ・オリンピックの実力がそのままサッカーにもあてはまる。なんどもくりかえすけれども、W杯で期待をもたせるチームに成長したいのならば、守備に力を入れるしかない。現状の4バックでは、オーストラリアも、クロアチアも抑えることはできないだろう。今日のボスニアがそうであったように、アレックスのいる左サイドを徹底的に攻めれば日本から2~3点をとるのは決して難しくない。
 わたしなら、左から中田浩、中澤、松田、田中誠と並べる。守備にあたっては、この4人に福西を加える5人が連携しあう。攻撃に転じて中田英が前にあがる時には、中田浩をボランチの位置にあげて3バック2ボランチの守備陣形にシフトする。守備の体系のなかでもう一つ気になるのは、ゴールキーパーである。2点めの失点は川口のキャッチング・ミスだ。川口はアジア杯以外で、それほどいい仕事をしていない。Jリーグの試合で、どのGKがいいプレーをしているのか、だれが運をもっているのかを見極める必要があるだろう。
 現状のゴールキーパーと4バックを維持する場合、ブラジル戦の前に予選ラウンド敗退が決まっているかもしれない。

 data: 国際テストマッチ 日本2-2ボスニア・ヘルツェゴビナ
      (得点 高原、中田英)
  1. 2006/02/28(火) 23:53:23|
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2月27日という日

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 「明後日2月27日は天気がくずれるでしょう…」 先週の土曜日、天気予報でそう述べるお天気アナウンサーをブラウン管越しに見ながら引越しの準備をしていた。使い古された炊飯器やオーブントースター、ポットなど、、、今回新たに住まいを変える家具・家電製品が数十点。どれもこれも、大学生活の3年間を共に乗り越えてきた戦友達だ。しかしながら、ブラウン管の中では信じがたいことを真顔で言っているし、どうやら引越し当日は「波乱の一日」になるかもしれない。と思いつつ引越しの準備を終えた。
 そして、当日(今日)朝起きていつものようにカーテンを開けると、眩いばかりの光が部屋全体を照らした。晴れている。正直、本当に驚いた!!よしっ!!!!!! 朝日を後光に、「俺は何てついている男なんだ」と勝手な思想をめぐらせ、引越しの手伝いをしていただけるSさんとY-さんが来るのを待った。数時間後Sさんが軽トラックに乗ってやって来た。それから2人で搬入作業・・・・・・・・・・・・・・・・・。あれ、何かおかしいぞ??と搬入作業を終えた俺とSさんが、足りない何かを思い出している。あっ、Y-さんがまだ来てない!! Y-さん少し遅刻しました。そんなこんなで、荷物を乗せたトラックで引越し先へ。引越し先である加藤家に到着すると、そこを管理されている方に挨拶をし、まずはお掃除。約10年近く誰も住んでないという民家の中を慎重に慎重に雑巾がけをしていく。

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みるみるうちに美しい姿を戻りもどしていく内観を目の当たりにし、非常に喜ぶ。一通り雑巾がけを終え、いよいよ我が戦友達を新たな住まいへと運び込む作業へ。それから約30分の間、行ったり来たりを繰り返しすべての荷物を加藤家住宅へ移動した。

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 これから1年間、この民家でお世話になる。学生自分がめったに経験するこのができない環境がここには用意されている。この機会をものにし日々精進せん。
 みなさん、これからも宜しくお願いします
(C.O)
  1. 2006/02/27(月) 23:39:59|
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道東の落日と光明

 常呂町史跡整備専門委員会の冒頭でいきなり激震が走った。谷教育長が挨拶のなかで、3月4日をもって「失職」することになりました、と切り出したからである。3月5日に1市3町の合併によって新北見市が誕生する前日、つまり常呂町という行政単位の消滅とともに職を辞し、どうやら郷里に帰るらしい。昨日の送別パーティで司会を務めていた人物が、今日になって辞意を公にしたわけで、みな耳を疑った。地元の関係者の誰一人、この決意を知らずにいたようだ。
 市町村合併の犠牲者が目の前でスピーチしている。本人は悩んだあげくの決断なのだろうが、結構サバサバしてみえる。問題は残された人たちだ。宇田川さんに続いて、谷教育長まで失うとは。新市体制のなかで文化財課が発足し、史跡常呂遺跡(トコロチャシ跡遺跡)の整備構想を具体化しようとしているなかで、いったいだれがこの事業を後押しするのだろうか。もっと根本的な次元に立ちかえるならば、少しく大袈裟だけれども、日本はどこに行こうとしているのだろうか、とさえ思わせる出来事に一同落胆の色を隠せなかった。
 道東における唯一の光は、知床の世界自然遺産登録かもしれない。大阪や東京からの飛行機は満杯、サロマ湖沿いのリゾート・ホテルも旅客で溢れている。常呂、紋別、標津、釧路などが力を合わせ、道東の遺跡と自然を世界複合遺産として登録すべく動きだすしかないのではないか。世界遺産嫌いのわたしですら、そこにしか救いを見いだせない一日であった。

  1. 2006/02/27(月) 21:58:11|
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常呂の祝宴

 どうも移動日に恵まれていない。奈良では、ただの雨だった。異変を知ったのは、南海電車ラピートβの中である。

  「強風により、関西空港へ渡るブリッヂを通過することができません。泉佐野で普通電車に乗り換え、りんくうタウンからは代行バスに乗ってください。」

というアナウンスが繰り返された。バスは橋を渡れるのに、列車が鉄橋をわたれないとはどうしたことか。列車が倒れやすいのか、それとも橋の防風装置に違いがあるのか。
 一時はどうなることか、と心配したが、出発時刻の30分まえにはチェックインできた。このような暴風雨のなかでも飛行機は飛ぶのである。着陸地は北海道の女満別(めまんべつ)空港、目的地は常呂(ところ)町である。
 前にも述べたことがあるけれども、わたしは15年前から常呂町の史跡整備委員を務めている。常呂は縄文・続縄文・擦文・オホーツク文化の遺跡が集中する町であり、広大な範囲が国の史跡に指定されているのだが、ここに東京大学文学部に付属する北海文化研究常呂実習施設が設けられていて、考古学の教授(もしくは助教授)1名と助手1名の常勤教官がわりあてられている。常呂町教育委員会と東大常呂実習施設の結びつきはきわめて強く、ほぼ一体となった発掘調査と整備をおこなってきたのである。

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 そのリーダー的存在であった宇田川洋教授がこのたび退官されることになり、今夜、その送別会が開催された。後任の助教授には、常呂実習施設の助手から常呂町教育委員会の主幹に転じていた熊木俊朗くんが着任することになり、この送別会は熊木助教授の就任祝賀会でもあった。町内から60名あまりの参加者があり、祝宴はおおいに盛り上がった。わたしの出番などないだろうと思っていたのだが、遠来の客ということで、最後のほうでスピーチを求められた。

  「今日こうして遠くからやってきた目的はですね、この会場に来れば、マリリンさんや林さんや小野寺さんとお目にかかることができるのではないか、ひょっとしたら、サインをいただけるのではないか、そういう淡い期待を抱いてきたからで、じつは宇田川さんも熊木さんもどうでもいいんですけど・・・」

 いうまでもなく、カーリング女子のメンバーのことである。彼女たちは「チーム青森」を名乗っているが、それは青森県が国体開催のためにスポンサーになっているだけのことであり、上の3名はみな常呂生まれ。小学生のころから、常呂のリンクでカーリングの腕を磨いてきた。彼女たちは28日に帰国し、青森に直行。日本選手権の試合をこなしてからでないと、常呂町には戻ってこないらしい。幸運なことに、スキップを務めた小野寺さんのお父さんが会場にいらっしゃっていて、名刺交換することができた。小野寺俊幸さんの役職は「常呂町農業協同組合代表理事組合長」である。

 スピーチは続く。

  「宇田川先生にはお酒を教えられまして、かの『夜の城』では野球拳を3回ぐらいやったことがあるんです。わたし、結構強くて、よく勝つんですが、あと1枚というところで勝っても、相手が脱がない・・・ところで、熊木くんは酒を飲まないでしょ。酒を飲むとすぐに寝てしまう。それにしても、こんな目出度い日にぎっくり腰とは、どういうわけでしょうかね。おまけに奥さんまでぎっくり腰だってんだから、ったく、何やってんのっか・・・」
 
 その熊木くんがじつは大変な遺産を町に残した。この3月1日から北見市と合併するのだが、新北見市の教育委員会には、なんと「文化財課」が設けられるという。「文化課」とは別の、独立した「文化財課」が新設されるというのだから、驚きである。熊木くんは在職2年のあいだ、谷教育長や武田参事とともに、「文化財課」の設置に尽力してきたわけで、これはたいした業績である。
 行政と大学等研究機関の人事交流は重要だと思う。文化財に限らず、行政の感覚をもった大学の教員が増えてほしいものだ。お殿様では済まされない世の中になっているのだから。

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  1. 2006/02/26(日) 23:26:06|
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親不孝の♂♀

 某報告書を作成するため、そのベースとなる西河(♂♀)の卒業論文全文を校閲した。いやいや、ノビタが天才に思えました。これだけ疲れた体で、この修正はほんときつい。ノビタは親孝行だ。ノビタは勉強している。
 いったい何を考えているのだろう、と思うのだ。建物を調査に行って、わたしが必死で調書をとる。その調書に書いている内容をまとめれば、ちょっとしたレポートにはなるはずなのだが、調書を無視して、どうして建造物の特徴を表現できるというのか。わたしの調書の文字が汚くて読めないからなのかもしれないが、まず、調書の文字を入力することから始めればよいのだ。調書に書かれた文章をランダムに入力して、それを配列しなおせば、ちゃんとしたレポートになる。それぐらいのことができなくて、どうして社会人としてやっていけるのか?
 みんなよく頑張った。ほかの研究室は人影もないのに、うちの研究室だけが毎晩演習室に寝泊まりして論文や作品を仕上げていった。そのプロセスには、ほんとに感心した。こういう学生しか、うちの研究室ではやっていけない。だから人気は落ちていく。
 そういうことを思えば、全員評価してあげないといけないのだが、プロセスだけが評価される時代はもう終わりつつある。なぜなら、君たちはまもなく社会人になるからだ。社会人になれば、結果が求められる。今回の卒論・卒計をみていると、プロセスのまま成果があらわれている一群とプロセスが成果となって結実していない一群に分けられる。
 世間の評価は厳しいのですよ。





  1. 2006/02/25(土) 23:29:00|
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アスリートの艶

 昨夜は午前3時に帰宅し、炬燵に入ってフィギュア・スケートを見始めた。でも、なかなか日本人は出てこない。そうこうしているうちに炬燵のなかで眠ってしまい、気がついたら最終演技者のスルツカヤが滑りおわったところだった。スルツカヤは失敗していた。得点はのびない。そして、荒川静香を歓喜が包む。
 いつも、この反対の光景を目にしてきたから、まるで夢のような、嘘のような金メダルにもみえたが、荒川自ら「信じられない」を連発していた。
 ただ、おそらく日本人の多くは、メダルを取るなら荒川だろう、と予感していたはずだ。2年前の世界チャンピオンで、ルール改正による不調が長引いていたが、最終選考会の滑りをみても、運動能力ならば浅田真央の次、スケーティングだけなら荒川が一番だと感じていた。村主のスケーティングもしなやかで艶やかで、ぞくっとするところがあるけれども、アスリートとしての能力が浅田や荒川に及ばない。アスリートと言えば、スルツカヤが断トツだろうが、あそこまで行くと「女らしさ」が消えてしまうから難しい。それにしても、スルツカヤはなぜいつものパンタロンではなく、スカートにしたのだろうか。あれだけふとくて筋肉質の太腿をみせられると、男は萎えてしまう、ということを彼女は知るべきであった。
 要するに、荒川はアスリートとしての能力と女らしい艶のバランスが上位グループの中では最高であり、しかもミスが少なかったから勝利したのである。できれば、荒川にも村主にも引退してほしくない。15歳をすぎた浅田との対決を、多くの国民が待ち望んでいる。
  1. 2006/02/24(金) 16:50:41|
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茶室のパンフ、再び

 皆さんお忘れだと思いますが、茶室のパンフレットをこの前から再編集しています。夏休みから始まったこの作業も卒制の関係で、断念していましたが、発表が何とか終わったので再開する事になりました。
 今回はコルビュジエの「小さな家」をモチーフにする事になり、1ページにつき写真1枚程度と決まりました。サイズもB6(128×182)で今までの報告書とはひと味違った感じになりそうです、多分。今月中には何とか形に仕上げますので、ノビタさん、お忙しいと思いますが、引継ぎの方お願いします。一緒に頑張りましょう!(Y.ジーコ)

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  1. 2006/02/23(木) 22:30:27|
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虹の彼方に -修学旅行Ⅲ

行程: 万福寺伽藍・松隠堂(修理現場)→平等院鳳凰堂→宇治上神社・宇治神社

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 昨夜はお酒を控えたので、体調は上向き加減で、天候も晴朗。まず黄檗宗の総本山、万福寺を訪れた。黄檗山万福寺は福建省にある臨済宗の正統たる禅院であり、隠元和尚はその住持を務めていたが、3年間という期限付きで長崎の崇福寺に招聘された。まもなく上京し、江戸にも上って、帰国しようとしたところ、幕府から引き留められて宇治に境内地を賜り、そこに建設した寺もまた黄檗山万福寺と名付けた。だから、中国と日本に同じ僧を住持とする同名の寺が存在するのである。
 黄檗はすでに地名にもなっていて、京大の合宿所とグラウンドがあるところ。学生時代、F.C.ゼクストンというチームに属していたわたしは、毎秋2泊3日で合宿に来るのを楽しみにしていた。たしか、一人一泊800円だったと記憶する。黄檗宗万福寺の伽藍が、もうひとつ懐かしい匂いがするのは、大学院時代に上海に留学しており、近隣の江蘇・浙江省でたくさんの禅寺に参拝した経験による。禅寺の大半はけばけばしい明・清時代の様式であったが、隠元和尚が黄檗宗を伝えたのが明末清初だから、江南禅寺の芳香がたちこめているのは当然のことである。だから、江南で過ごした青春の日々を思いおこすわけだ。しかし、建築の様式や技術を完全に直写できるはずはなく、万福寺は江南禅寺そのものではない。まず彩色が大人しい。そして、木作の細部が繊細だ。建設工事には福建省から中国人の工匠を呼び寄せたというが、建具などの「小木作」は日本人の工匠が受け持ったはずだ。中国の工匠がどうあがいてもなしえない繊細な細部を万福寺は備えている。これは日本の工匠にしかできない技だとわたしは思う。

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 万福寺では、修理中の松隠堂を見学させていただいた。松隠堂は隠元和尚の隠居間を起源とするが、現在は開山堂に附属する客殿である。今日の解説は、府教委の浅井さん。昨日の大徳寺玉林院は檜皮葺を桟瓦葺に改めたものを旧状に復原しようとして苦労されていたが、こちらはこけら葺を桟瓦葺に改めたものを元に戻そうとしている。似たような屋根修理であるにも拘わらず、松隠堂に大きな問題はない。こけら葺が下地となって瓦に覆われていたからで、小屋組の負荷を考えても、こういう場合の復原はそう悪くないかもしれない。ただし、桟瓦が大量の廃棄物になる点が気になるところだが。

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 松隠堂の平面は六間取りの方丈タイプで、臨済系の方丈とよく似ているが、室中に板張りがなく、前後の間仕切りを後側にずらすところに特徴がある。これは、ホカノが卒論として取り組んだ黄檗宗清源寺跡の指図とよく似ている。ホカノにとって、玉林院と松隠堂の修理現場は、これ以上ない参照資料となったのではないか。

 万福寺から平等院へ移動した。良いものはよい。凄いものはすごい。平等院の伽藍と庭園をみれば、だれだってそう思う。平安貴族があこがれた極楽の世界である。貴族や庶民のような世俗の人々を「救った」のは阿弥陀浄土の思想であった。極楽など、どこにも存在するはずはないのに、死ねば極楽に行けると教えられ、それを信じて南無阿弥陀仏を念じ続ける。これは絶対的他者を信望するキリスト教とも共通する他界観念だが、仏教の本質は「空」であって、死んで極楽浄土に行けるなどと仏陀が唱えたはずはなかろう。
 生も死もない。みな空だから、恐れる必要などないのだよ、と般若心経は説く。そういう世界観をあらわしたのが禅の石庭、とりわけ白砂の庭であり、池の上に楼閣を浮かべて極楽だという浄土信仰の庭とは対極をなすものである。平等院の伽藍と庭園は虹のようなものだ。実体はないのに七色に輝く幻想の極楽浄土。実体はないのである。

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  1. 2006/02/22(水) 21:33:30|
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秘密の御殿 -修学旅行Ⅱ

行程: 近江坂本(日吉大社、西教寺、里坊等重伝建地区)→大徳寺玉林院(修理現場)・大仙院・龍源院→仁和寺

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 カーリング大敗の余韻を引きづりながら、バスは京から近江へ向かった。坂本はいつものとおりの清々しさで我々を迎えてくれた。ただ、鶴喜蕎麦が改修中で、町家のなかに入れなかった。でも、奥のハナレでちゃんとお蕎麦を食べることができ、学生たちもご満悦でした。ところで、よく知られているように、西教寺の客殿は伏見城の遺構であることが唯一実証されている建物で、意図したわけではないのに、行程上、大徳寺の伏線としての役割を果たしてくれた。

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 昼食後、再び峠を越えて京に戻り、大徳寺の塔頭を訪ねた。まず玉林院の修理現場で、府教委の能島さんからくわしい説明をうけた。屋根の復原、廊下の復原にずいぶん苦労されていて、ちょっと無理しているな、というのが正直な印象なんだが、これは「復原」という操作そのものに由来する矛盾であって、無理をせずに「現状保存」に近い修復に徹すればあらゆる煩悩が雲散霧消する。そう思いながらも、担当の技師さんにそんな偉そうなことが言えるはずもなく、工事の成功を祈るばかりであった。

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 大徳寺では、3月まで前田家ゆかりの芳春院が特別公開されていて、どうしようかと迷ったのだが、能島さんにもアドバイスをうけて、予定通り大仙院と龍源院を参拝した。いずれも見事な枯山水の庭で知られるが、石は煩悩をあらわし、石の数が多いほうが上流で煩悩の多さをあらわしている、という。その夜、先斗町や四条河原町の居酒屋やビルの群れ、着飾って厚化粧した都会の女性をみるたびに、大仙院の石庭を思いだし、それらすべてが石のように思われてならなかった。石のない白砂の庭こそが煩悩のない「智慧の海」だとすれば、都会の対極にある鳥取はその世界に近いものではないか、とも思ってしまう。
  「鳥取なんて、なんにもないところだ」
という悪口をよく耳にするが、何もないことを満足する自分に目覚めれば、そこに幸福が生まれる。そのようなことを考えながら、都市の石庭を眺めていた。

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 大仙院の庭園と建築は日本を代表する傑作であることは疑いなく、秀吉、利休、沢庵、武蔵らとの係わりも興味を引く。ところが、塔頭の経営体制、というか、率直にいうならば、ご住職の俗化は目を覆うばかりだ。商業主義にかぶれた禅僧の姿には、ただ呆れるほかない。僧と仏寺の根本に、いまいちど立ち返ってきただきたいと切に願う。
 ところで、ここだけの話として聞いてほしいのだけれども、最後に訪れた仁和寺は今日の旅程のなかでは「おまけ」として用意していたものであった。大徳寺で時間を使いすぎた場合、カットしようと思っていたのである。また、拝観料無料というのがありがたい。ただ、「御殿」の一画はだけが有料で、
  「御殿の建築は明治・大正のものだけれども、お庭はすばらしく美しいので、希望者は拝観料を払ってみてください」
と学生に伝達しておいた。ところが、この御殿が凄かった。前にみているから、この庭の魅力は充々承知していたのだが、夕方になって、曇り空から太陽が顔を出し、庭に西陽が深い陰翳を落として、そこにこれまでみたことのない光景がひろがっているではないか。自腹を切って御殿に入場した学生・教員はわずか8名だったが、みんなニコニコしている。西陽で暖たまった広縁があまりに気持ちよいので、靴下を脱いで木肌の感触を楽しむ学生もいる。御殿の外で眺める五重塔や仁王門が、借景となってまったく別の顔をみせる姿に、庭の魔力を思い知らされた。
 集合場所の仁王門に戻ると、たむろしている学生の中で、わずか8名だけが共通の笑みを浮かべていて、
  「生まれてきてよかったな・・・」
  「500円得したような気分ですね・・・」
などとつぶやいているのだが、あまりにありがたすぎて幸せすぎて、口にだしては罰があたるような直感がはたらき、8名だけに共有できる秘密にしようとテレパシーで伝達しあい、みな沈黙の世界に戻っていった。

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  1. 2006/02/21(火) 23:44:06|
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構造の意匠化 -修学旅行Ⅰ

行程: 鳥取環境大学→播磨浄土寺→神戸市北野重伝建地区→竹中大工道具館

 修学旅行(特別講義)出発の朝、テレビで天気予報をみていると、今日の降水確率は瀬戸内・太平洋側のほうが高くなっている。大学では小雨だったが、用瀬あたりで雪になり、智頭から幻想的な銀世界。それが普通なら大原あたりで消えてしまうのだが、今日は佐用まで続いていて、中国縦貫道は新見-福崎間が通行止め。バスは播但道-山陽道経由のおおまわりで、小野市の浄土寺にたどりついた。浄土寺浄土堂(国宝)はかの俊上房重源の遺作として名高い大仏様の傑作。大仏様の源流といえる寺院は中国に存在しないというのが、建築史学の常識だが、その技術はあきらかに福建系統のものであり、きわめて中国的な建築空間をそこにみることができる。学生たちには、次のように説明した。
  「いま中国的という表現を使ったけれども、どこが中国的かというと、構造を意匠化するところでね、いま君たちが目にしている部材は、どの部材もすべて構造的な意味をもっているのだけど、その部材をデザインしてみせているのだよ。構造の力強さが美しさになっている。それに対して、日本建築は構造材を隠そうという意図がありありとみえる。天井や野小屋の内側に構造材を隠して、みえなくしてしまうんだな」

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 浄土寺で行程はすでに半時間近く遅れていたが、神戸に抜ける高速の渋滞も強烈で、北野の重伝建地区に到着したら、その遅れは1時間以上になっていた。おまけに、外は雨で寒く、大半のグループは洋館めぐりどころではなく、レストランでの昼食に時間を費やしたことだろう。午後3時半から竹中大工道具館を訪問。今日は休館日なのだが、無理を言ってあけていただき、西山研究員の懇切丁寧な説明をうけた。学生も熱心に、大工道具の話に耳を傾けていた。

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 夕方、四条大宮のホテルに着くと、もうすっかり疲れていたが、カーリングのイタリア戦の中継をやっていたので、学生諸君と一緒にテレビにかじりついた。最後の最後まで勝負のわからなかったスウェーデン戦と同じ展開になったが、イタリアのスキップがセンターを外してくれて、日本は4勝4敗の5分にもちこんだ。その後、酔っぱらって眠ってしまったが、眼が醒めたら、こんどはスイス戦をやっていた。日本は不調だった。4点を2回も取られて完敗したが、日本のピークはスウェーデン戦ではなかったか、と素人ながら思う次第。今回のオリンピックで、いちばん楽しませてくれたのは、まぎれもなくカーリングだった。心から感謝したい。

  1. 2006/02/20(月) 23:08:16|
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愛しのマリリン

 昨日は夕食後、深い眠りについてしまい、真夜中に眼がさめて、しばらく某申請書の修正をしていた。細かい予算の書き直しを終えて、ソファでくつろいでいると、テレビ画面には相変わらずトリノ・オリンピックの映像が映っていて、もう絶対みない、と決めていたのだが、またみてしまった。
 なぜ、もう絶対みないと決めたのかと言えば、スピード・スケートの500m男女を二日続けてライブでみていて、最後の一組までメダル・チャンスがあったのを、連夜うっちゃりで負け続けてしまったからである。それからも、原稿執筆の片手間に、例のパラシュート女子の3位決定戦を横目で盗み見していたのだが、まさかの転倒でまたしてもメダルは懐からすりぬけていった。長野の貯金をソルトレークで使い果たした哀れな代表選手の姿をみていると、この流れはひょっとしたら、野球のWBCやドイツのワールドカップまで影響するのではないか、という懸念すら抱くようになって、昨日のフィンランド戦をみていても、やはり日本はドイツの予選で敗れるだろうな、とあらためて不吉な予感を強めていたのである。
 ところが、カーリングがカナダに勝ったという情報が入ってきて、世界チャンピオンのスウェーデンとこれから戦うのだという。いや、息を飲んだ2時間半であった。延長11回最後の1投まで勝負の行方はわからなかった。スウェーデンのスキップを務めるノルベリというおばさん選手の冷静で卓越した技術が、日本がはりめぐらした蜘蛛の糸のような防御ラインを突破し勝利をおさめたけれども、そこいらの選手なら、あんなにうまくハウス(円)のど真ん中にストーンをおさめることなんてできるはずはない。
 じつは、わたくし、十数年前から北海道常呂町の史跡整備委員を務めており、10年ぐらい前にカーリング場に連れていかれて、試しに5回ぐらいストーンを投げてみたのだが、ボーリングよりもはるかに難しくて、あっさりリンクから上がってしまった。しかし、このスポーツの醍醐味は、技術よりなにより知的策略にある。「氷上のチェス」と譬えられるだけのことはたしかにあって、選手団と解説者の判断が異なることも珍しくない。ちょっとした捨て石が、最後のどんでん返しにつながったりすることもあるから、むしろ「氷上の囲碁」という譬喩のほうがふさわしいかもしれない。スウェーデン戦の最後にしたって、日本は防御に入ったが、ハウスの真ん中ちょい上あたりに最後の一投をもって行く手はあったわけだ。しかし、それにしても、おもしろいスポーツだ。ただただつまらないと思っていたトリノ・オリンピックが、カーリングのおかげで楽しくなってしまった。
 ちなみに、わたくし、今月26~27日に委員会が開かれるので常呂町まで行ってきます。日本代表の目黒萌絵、本橋麻里、林弓枝、小野寺歩の4名は、たぶん常呂で出会ってたとしても、リンク上の稟とした表情は消えて、ごく普通のおねぇちゃんなんだろうけれど、やっぱりサインしてもらっちゃうだろうねぇ。
 「あっ、マリリンさん、サインしていただけませんか、お願いします!」
なんちゃって・・・



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  1. 2006/02/19(日) 23:20:17|
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Kの時代(Ⅱ)

「軽トラで帰るんですよ、雪が降ったら無理ですけど・・・」
 数日前に、そういって実家に帰ったものの、事前にしっかり説明をしておくべきだったかもしれません。実家の軽トラは、私が物心つく以前から使用しているものなのです。シートはスーパーハクトと同じくらい直角で、速度が80㌔を越えると同時に、車内には警告音が鳴り響きます。実家では、軽トラは田んぼとの往復に使用していただけでして、
 快適性までは保証できません!!
             御了承ください。
 軽トラでの長距離運転でしたが、久し振りの軽トラをそれなりに楽しんでいた私とは違い、どうやら先生はクタクタのようでした。長時間の移動お疲れ様でした。


追伸
 世界一美味しいラーメンご馳走様でした。(ぴえーる。)
 
  1. 2006/02/19(日) 22:04:29|
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観フィンランド戦評

 冬季オリンピックのノルディック競技やアイス・ホッケーでもあるまいし、なんで今頃フィンランドなのか、と思うのだが、テレビの解説者は「仮想クロアチア」なんだという。クロアチアがこの程度のチームなら、予選リーグ1勝は固いところだが、もちろんそんなに甘いはずがない。放り込みを繰り返す前半は、トリノ・オリンピックの日本勢を思わせるお寒い内容であった。後半は修正して、ツータッチまでのパス・サッカーに戻ったが、小野の切れがもう一つ足りない。久保はもう少し体重がほしいな。欧米人に比べると、線が細くみえる。
 今日の収穫は、左サイドの村井ではないか。トラップが上手く、攻守の切り替えも適切で、アレックスに比べると、はるかに安定感があった。右サイドの加治はサイド・アタックはいいのだけれど、守備にどうしても不安が残る。後半、変わって入った駒野は加治と遜色ない出来。Wカップの本番は、予選リーグといえども、トーナメントに近い戦いの連続である。つまり、なんとか負けないで、少なくとも勝点1を担保にしながら勝点3を取りに行くのが常識的な戦略だ。とすれば、デフェンス・ラインの強化が必至となる。なんども指摘したように、アレックスと加治の裏、宮本の1対1、ここを修正しないと、アメリカ戦の悪夢を繰り返すことになるだろう。
 中田英、小野、福西、中田浩、稲本など守備的MFとして先発クラスの人材が少なくないのだから、ディフェンス・ラインへのコンバートを試してみる必要があるのではないだろうか。

 data: キリンカップ親善試合  日本2-0フィンランド
     得点: 久保、小笠原

  1. 2006/02/18(土) 23:17:05|
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ロンドンの「雪の夜」

 長女が某アートスクールに通っていて、今日の夕方の便で修学旅行に旅立つ。ロンドン、パリにひと月滞在するのだが、まずウェッジウッド・ワークショップで卒業制作を仕上げ、25日~3月4日までポートベロ・マーケットで卒業展を開催する。卒展終了後、パリに移動し、1週間ほど研修があって、ロンドンに戻り、ヒースローから帰国する。いま母親がぴったり付き添って、荷造りをしている。スーツケースとマルチ・コンセントはわたしが貸すことにした。
 娘の卒業制作は『雪の夜』という童話本だそうで、いちおう英語に訳したらしい。彼女はまったくその作品をわたしに見せない。
  「だって、まだ完成してないんだもの・・・」
ちなみに娘の就職先はグラフィック系のデザイン事務所で、広告やパンフレット作成が業務となるらしい。正式な内定をいただいたのは、今月の7日であった。もう駄目だと思っていたが、こんな時期でも、まだ就職先がみつかるものなんだな。柄でもないが、親としては、ほっとした。子どものころから絵と漫画が大好きで、高校では某芸大をめざしてデッサンを学んだが、最終選考で失敗。結局、芸術短期大学から今のアートスクールに進んだ。一貫してアートを続けるという彼女の姿勢に、ずいぶん不安を覚えた。就職活動をしないまま、フリーターで漫画を描くと言った2年前には彼女を叱ったこともある。しかし、彼女は彼女の夢にみあう仕事をみつけたのだから、彼女の意志と行動は結果としてみれば、正しかったのだ。いつごろからか忘れたけれども、就職についてとやかく言うのは一切やめた。おそらく、住吉大社近くのアパートに一人住まいをするようになってからだろう。彼女は自分の人生を生きるだけ。親がこだわりをもっても仕方がない。
 母親と二人で出発準備を進める溌剌とした姿をみていると、ほんとに良かったと思う。
 
 さてさて、環境大学の卒業研究展は、前にもお知らせしたように、3月1日~5日、県民文化会館で開催される。環境大学のなかで、卒業研究展を開催するのは環境デザイン学科のみ。ほかに公聴会もあるから、デザイン学科学生の負担は他学科にくらべてはるかに大きい。卒業研究展をどこか外国でやってやると言えば、学生たちのモチベーションもあがるかもしれないが、「英語」の一言に怯えてしまうかな。 
  1. 2006/02/17(金) 05:03:57|
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Kの時代(Ⅰ)

  「軽トラをとりに帰るんですよ」
とピエールは言う。昨夜24時をまわって、モスバーガーで雑談していたときのことである。引っ越し用に実家からもってくるのだという。前にも紹介したように、ピエールと社長は中学校以来の同窓で、京都府相楽郡加茂町に住み、ともに木津高校野球部に在籍した。わたしの住む平城ニュータウンと加茂町は近接しているから、
  「じゃぁ、乗せてよ」
と頼んで、今日、奈良まで戻ってきた。ピエールの愛車は、走行距離10万㎞をこえた中古の軽自動車。驚いたことが一つある。奈良のガソリン・スタンドで給油したところ、わずか11リットルしか消費していない。265㎞の距離を11リットルだから、リッター25㎞も走っているではないか。軽自動車の時代である。
  1. 2006/02/16(木) 23:41:42|
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卒業研究展のお知らせ

 鳥取環境大学環境デザイン学科卒業研究展(第2期生)を来たる3月1日~5日、県民文化会館のフリースペースで開催致します。みなさまのご来場をお待ちしております。

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  1. 2006/02/15(水) 00:28:22|
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悟りの義理チョコ

 というわけで、めでたく義理チョコ、2ついただきました。いまを去ること四年前だったかな??、11個のチョコレートをもらって驚喜乱舞したわたしは、船底に穴のあいたタイタニックになっていることにも気づかず、社交ダンスを踊り続けていた。以来、ツキはがた落ち、奈落の底に沈んでいったのだが、あるときハンニャハラミツの海底で悟りを開いたのでした。
 そもそもバレンタインの矛盾とは何か。まずもって、男はチョコレートを好まない。嫁や娘や女子大生がチョコをくれたとしても、ほとんど手にせず口にも入れず、みんな女どもがたいらげるのだが、その1ヶ月後にはクッキーやらキャンディーやら、ときにはパンティ付きのマシュマロやらを必ずお返ししなければならないのだから、これはギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・アンド・ギブの関係なのであって、要するに「搾取」の構図にほかならず、世間における男女関係の縮図が映し出されている。この事実を、はるか昔、ハンニャハラミツの海底でわたしは悟ったのである。
 ところで、困ったことに、今日の義理チョコは歯に沁みた。だって、昨日、歯の治療をしたばかりなんだから、白いゴムが詰まった虫歯の周辺で、沁みるではないか、痛いではないか。さっそく歯磨きをしないと、銀を詰める穴がひろがって、また型を取りなおすはめになるではないか。もう削られるのはたくさんだ。
 それにしても、日本国憲法はなかなか変わらないな。チョコレートをくれた女性に対して、受け取った男性は何をしてもよい、という憲法追加条項案については、これまで多くの国民が審議を要求してきたにも拘わらず、自民党は9条の改正ばかりに拘泥し、物事の本質から目をそらし続けている。憲法が無理なら、鳥取県の条例でもいいんだけどね。

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  1. 2006/02/14(火) 18:34:23|
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一休さんの虎丘庵

 目覚めると平熱に下がっていたのだが、とりあえず医者に行って薬をどっさりいただいた。帰宅すると、岡村からの電話。神奈川の茶室移築現場から戻ってきた岡村は、一休寺虎丘庵(京都府指定文化財)の解体修理に携わっている。京都の文化財保護審議委員は、この建物を江戸中期と認定しているのだが、岡村の師匠(K棟梁)は一休和尚の時期のものだと確信しており、ともかく見てほしい、と請われていて、その催促の電話だったのだ。普段なら、
  「あぁ、いいよ」
と二つ返事でこたえるところだが、なにぶん体調は最悪に近く、自ら
  「無理をしてはいけない」
と言い聞かせている状態だから、即答はできなかった。ワイフと相談し、車で送ってもらうことにして、「30分だけ」という条件で見学させていただくことになった。

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 なかなか素晴らしい書院である。東求堂同人斎を彷彿とさせる小振りの書院であり、チョンナ削りの痕跡も床下に散見される。檜の柱材も古くみえる。しかし、だからといって、虎丘庵の建築年代が中世に遡ると断言できるわけではない。
  「仕事の出来がいいとか悪いとか、様式がどうのこうのと言っても科学的年代測定にかけると、その年代観が誤っていることがままあるのですよ。肉眼視だけで、材の産地や年代を断定するのは危険です」
と棟梁を諭しつつ、わたしは奈文研の古環境研究室に電話をかけた。あいにくM室長は不在だったので、O研究員に要件だけ伝言した。この、ど忙しい年度末に、奈文研が動いてくれる保証はまったくないのだけれども、虎丘庵の年代に固執する棟梁を納得させる科学的データを示しうるのは、いまのところ、年輪年代しかないだろう。
 それから御池の歯医者まで北上。奥歯の詰め物が2ヶ所も抜けていて、今日はさんざん削られた。深さはあまり変わらないのに、一方の奥歯はびんびん神経にひびき、もう一方はまったく痛くない。おなじ人間の歯でも神経の達するレベルが違うのだということを、自らの痛みをもって知ることができた。
 で、いまは「そば倉」で辛み大根のおろし蕎麦を食べている。昨年12月19日のブログでお知らせしたとおり、ここの辛み大根は顔面が麻痺するほど辛いのだが、今日の辛み大根はそれほどでもなかった。同じ辛み大根でも、季節によって辛みが違うことを自らの触覚をもって知ることができたのである。

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  1. 2006/02/13(月) 23:57:07|
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けんびき

 昨夜から「しんどいな」と思っていたのだけれど、今日は目覚めたら発熱。体温は38.8度まで上がっている。風邪でもインフルエンザでもない。鳥取弁でいうところの「けんびき」である。
 さいわい食欲はある。胃腸にも異常はない。だから、点滴の必要はたぶんないだろうが、とりあえず明日は医者に行くしかないな。
  1. 2006/02/12(日) 20:19:24|
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卒論組のふんばり

 伊丹からバスの時刻をチェックすると、1時間近くも待ち時間があったので、梅田に出ることにした。久しぶりに馴染みのバール(立ち飲み居酒屋)を冷やかしたら、ブラックニッカのハイボールがあまりにも美味いので、おかわりして3杯も飲んでしまった。いや、大阪はいい。
 奈良に帰宅しても、ほろ酔いが引いているはずもなく、ソファでぐうぐう鼾をかいて爆睡。目覚めてメールチェックしたら、卒論組の梗概データが届いていた。こいつは大変だと、眠い目をこすり、明け方まで原稿のチェックをした。驚いたことに、ホカノの梗概が出色の出来映えで、それをメールで伝えたのだが、わたしに誉められるという経験がほとんどないから、ホカノはさぞかし気味が悪かったことだろう。ところで、どうでもいいことなんだけれども、明け方まで論文を読んだおかげで、トリノ・オリンピックの開会式をライブでみることができた、というのは真っ赤な嘘で、視線はパソコンに釘付けだから、TVの音声だけを聞いていたのだが、最後の真っ赤なフェラーリが氷上をくるくる回転するシーンだけは画面に視線を奪われてしまった。
 夕方になって、学生たちの修正梗概データがまたどっと送信されてきた。〆切直前の攻防である。それにしても、みんな熱心だ。ねばり強い。こういう忙しさは大歓迎である。たとえ自分の論文が書けなくとも、自分の時間がなくなっても、熱心な学生の論文指導は苦にならない。教育とは偉大な仕事である。

  1. 2006/02/11(土) 22:02:53|
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さよなら大分

 無理をして大分までやってきた。公聴会のあと、学生を引き連れて鳥取駅の服部珈琲に行き、わたしだけ15分で席をたった。スーパーいなば、のぞみ、スーパーソニックと乗り継いで大分駅に着いたら11時半。小倉で、奈文研の岡村さんを発見し、おなじスーパーソニックの2号車に乗りこんだのだが、指定席は別だから、とくに話をすることもなく、大分駅に到着。なつかしい面々の出迎えに、二人して喜んだ。
 それにしても、無理をしている。公聴会に遅刻するような体調で6時間もの移動をこなしているわけだから、身心脱落どころか、身心硬直。その影響は翌朝もろに出た。昨年11月の韓国がこうだった。最初から
  「行くべきではない」
と思っていて、さんざん悩んだあげく、足を運んでみると、まっているのは奈落の底。大分でも、あやうく横尾遺跡の現場に降りることすらできない状況に追い込まれたが、なんとかかんとか最小限の責務を果たすことができた。横尾遺跡では、今回もまた縄文後期のドングリ貯蔵穴が山のようにみつかっていて、おまけにアカホヤ火山灰層の下にも縄文早期の遺構がひろがっている。ドングリ層の上には弥生時代の木材も堆積しているのだが、建築材なのかと問われても、さっぱり判定指標がみつからない。

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 そんな状態のまま帰途についた。動くべきではないときに動くとこういう目にあう。無理をしてはいけない。というか、自分の役割はすでに終わっていることを自覚した一日だった。


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  1. 2006/02/10(金) 21:23:14|
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着信38件 -公聴会の朝

 目覚めたら9時をすぎていた。利蔵が寝室に入ってこなかったら、あと2~3時間は眠り三四郎でありました。
 顔がひきつった。だって、今日は卒業研究公聴会なんだから。相方の澤先生を、また待たせてしまうことになった。自分に腹が立つ。就寝前に目覚まし時計はちゃんと8時にセットしていたし、深夜、学校を出る際、徹夜する学生たちにも8時にモーニングコールを頼んでおいたのに、目が醒めなかった。
 携帯電話をあけると、「着信38件」とある。
 
 疲れていたのは間違いない。しかし、それは言い訳にならない。深夜、床について『般若心経』の概説書(じつは絵本)を読みながら、すーっと眠りについた。人間も動物も植物も道具も感情も思想も言葉も、なにもかもが大海にあらわれては消える「波」のようなものだ、というお話を読みながら、わたしはそのままハンニャハラミツの大海に沈んでいったのである。その海底から娑婆に引き上げてくれたのは利蔵であった。

 発表はみな素晴らしかった、とまでは言えないけれども、これまでの苦労がよくわかった。論文組は聴衆が少なくて残念だったが、制作組は2~4年、大学院生らに囲まれ、とても幸福なひとときを過ごせたね。といいつつ、学生の発表を聞いている教師の方は、心臓がバッコンドッコンするほどいらついていたんだけれど、なにぶん遅刻した後遺症もあって、本日の鬼教師は比較的おとなしかったと自認している。あえて注目された学生をあげると、キムのアニメーション、利蔵の復元住居、Y.ジーコの屏風(大幅修正バージョン)である。社長の「尾崎家住宅保全再生計画」については、
  「何がやりたいのかわからん」
と酷評する講師もいたが、それはプレゼンテーションがおとなしすぎるからで、社長の卒業設計が非常に深いものであることをわたしはよく知っている。古民家の再生計画というのは、こういう風にやるのですよ。柱をぶち抜き、カロッツェリア(自動車整備工場)に再生転用だとわめいていた学生諸君は、タクオや社長の仕事を見習うことだ。
 来年度は民家に立ち返る。タクオも社長もいないけれど、必ずや後輩たちが研究を前進させてくれるだろう。



 
  1. 2006/02/09(木) 19:58:57|
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土屋根住居 -3つの焼け方

 県埋蔵文化財センターの高尾・大川両君が、琴浦町の梅田萱峯遺跡Ⅰ区SI3・SI6、箆津乳母ヶ谷第2遺跡SI5・SI6の分析図を携えて来室。昨年春から取り組んできた焼失竪穴住居調査の成果を検討するためである。どちらもこちらも年度末で、二人は報告書原稿の執筆に追われている。小一時間ばかり説明をうけたが、遺構解釈に大きな問題はなく、このまま執筆が順調に進むことを祈るばかりである。
 その後、演習室に置いてある富山市打出遺跡SI01の模型をみてもらった。利蔵の卒業制作である。模型そのものよりも、その下に張ってある遺構図をみて、二人は驚いていた。炭化材の残り方がすさまじいからである。梅田萱峯では焼け方が弱くて、周堤近くの部材は炭化せずに朽ちており、焼土も少ない。対して、箆津乳母ヶ谷では焼土はひろい範囲にひろがっているが、焼け方が激しすぎて炭化材の量は少ない。ところが、周堤上に炭化材と茅を残している。周堤に炭化材を残す焼失住居跡は全国的にみても稀少であり、火の勢いが垂木尻にまで及んだことを示している。打出の場合、周堤そのものが削平されているけれど、炭化材は中央部分をのぞいてまんべんなく残存している。高尾くん曰く
  「適度な焼け方ですね・・・」
同じ茅葺き下地の土屋根住居であるとはいえ、焼け方によって出土状況はがらりと変わってしまうものだ。考古屋はその焼け方を隈なく注視し、建築屋はそこから復元の情報を読み取る。どちらも楽しい仕事である。

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  1. 2006/02/08(水) 22:41:05|
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農林業の未来 -退任記念講演から

 今年度をもって退任される中川教授と村嶌副学長の記念講演会が開催された。中川先生の演題は「農業・環境論序説」、村嶌先生の演題は「いなばでの研究の旅 森と環境」であった。お二人とも、環境大学の開学時、いや、それ以前から大学の方向を定める舵取りをなされてきた先達である。昨年の加藤学長、野田副学長、山口教授、田中教授に続き、今年もまた、このような大先輩を失うわけで、まことに淋しい限りである。
 お二人の講演のなかで、とくに耳に残ったフレーズを一つずつ紹介しておきたい。

  いまや世界は人口を奪い合う時代になっている(村嶌先生)

  地方自治体運営のキーワードは、いまや「市場原理」ではなく、
  「環境」・「文化」・「農村」であると考える(中川先生)

  1. 2006/02/07(火) 23:30:31|
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公聴会の練習

 朝10時から卒業研究公聴会の練習をした。午前は、キム、社長、Y.ジーコ、ノビタの順。キムと社長は声が小さく、発表の印象に影響しそうだが、出来は悪くない。ここまでは機嫌が悪くなかったのだけれど、ジーコの「屏風」で切れてしまい、その不機嫌さがノビタの「鳥取城」にまで影響してしまった。ジーコに悪気がないのはよくわかっている。昨年の赤松のような大悪党であるはずがない。しかし、それでも、わたしのメンタル・バランスを崩してしまう力がジーコにはあるらしい。学生を叱ると、「あぁ、いけない・・・」と瞬時に反省してしまうから、その結果、「昼飯、食べに行こう!」となり、また今日も散財してしまった。
 午後は、ピエール、ホカノ、西河(♂♀)。ピエールは順調だが、ホカノで崩れ、西河で不安は増大した。公聴会まであと3日。梗概とパネルとパワーポイント。
 頼りになるのは、ユンケルばかりなり。

  1. 2006/02/06(月) 16:38:44|
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ノビタを締める訳

 一般入試Aは無事終了し、スーパーいなばに飛び乗って、学生たちの卒論に目をとおした。最後に残った卒論はノビタの「鳥取城石垣に関する史的考察」で、読めば読むほど血圧があがり、途中でノビタ自身にメールを発した。ノビタはわたしに対する殺意をもって、こういう論文を書いているのかもしれない。こういう書きまわしをすれば、A先生の血圧はどんどん上がり、脳梗塞か心筋梗塞であの世行きさ、ナンマイダァ、ハマダバダァ・・・
 そうこうしていると、窓外の景色は銀世界に一変している。神様はなんと不平等を与えたもうか。岡山の快晴と山陰の大雪。すると、こんどはタクオからのメールが入った。どうやら朝から大学にいるようで、
  「鳥取駅まで迎えにいきますよ」
と聞いてくるから、
  「いや、入試広報課が郡家駅まで迎えに来てくれるんだ」
と返事を打ち、午後4時半に演習室で落ち合うことにした。大学に戻ってからは、卒業生を一人ずつ呼び寄せ、提出物に関するコメントをはじめた。ちょうどノビタの卒論に対してお説教しているころ、タクオがあらわれた。
  「センセィ、ノビタ君には厳しいですね!?」
と夕飯を食べながらタクオは言う。
  「いや、あいつはわかっているはずだ。ほかの4年生は研究室の活動にずいぶん振りまわされて、調査や作図や整理に追われてきたのだけれど、ノビタには自由に鳥取城石垣の研究をやらせてきたんだ。にもかかわらず、このザマはどうしたことか。あいつはいちばん飲み歩きにもつきあってくれて、逆に言えば、いちばん甘やかしてきたから、最後の最後は締めなきゃいけない・・・」

 ノビタは4月から新聞記者になる。文筆がかれの仕事になるのである。論理的でおもしろい文章を書くにはどうしたらいいのか。あと何年たったら、そのツボに気づくだろうか。

  1. 2006/02/05(日) 23:16:28|
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もう一つの池田家墓所 -曹源禅寺

 一般入試Aの監督で岡山まで来ている。月照寺の反省から、今日は曹源寺を訪れた。

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 曹源寺は、三代岡山藩主池田綱政が元禄十一年(1698)に、高祖父信輝と父光政[鳥取藩初代藩主、光仲と御国替]の菩提を弔い、自らの冥福を祈るために建立した菩提寺である。山号を護国山といい、絶外和尚を迎えて開山した臨済宗妙心寺派の禅寺で、十一面観音を本尊とする。岡山駅からタクシーにのって、運転手のおじさんに曹源寺のことをいろいろ訊ねるのだが、ほとんど何も知らない。ただ、
  「あぁ、あの寺は外人の坊さんが多いんですよ・・・」
という。訪れてみると、拝観者はほとんどいなくて、静閑な七堂伽藍を満喫できる。そして、人影のない境内を忙しそうに横切る修行僧たちは、たしかにみな外国人ばかりであった。境内を去る直前、一人の修行僧に質問すると、
  「・・・・??」
どうやら日本語が分からないらしく、仕方がないから、英語で
  「なぜ、この寺で修行しているんですか?」
と訊くと、
  「日本で外国人が禅の修行を出来るのはここだけなんですよ」
とのこと。あとで聞きたいことがあって曹源寺に電話したのだが、電話にでたのはやはり外国人で日本語が話せない。日本語が出来なくても、座禅の修行はできるのだろうが、仏典を読まないわけにもいかないだろうし、いささか不思議に思った。

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 仏殿背面の山の斜面に、池田家の墓所が築かれている。三代綱政から十二代章政までの歴代藩主や近親者の墓が斜面の高低差を利用して、階段状に配されるさまは景観的にも見事であり、国の史跡に指定されている。こちらの池田家墓所では、まずブロックを築地塀で画し、その中の墓碑を玉垣で画している。玉垣はもちろん石造だが、隅柱・門柱以外の柱は、古代建築の連子子のように45℃振って菱状に並べる。石材を新しくしているが、斜めの控え柱を多用している。門扉は、連子とX字(タスキ桟)の組み合わせ。X字の装飾は廟門だけでなく、仏殿脇の廊下や勝手口にも使われており、おそらく「矢来」の記号と思われる。「矢来」の語源は「遣らひ」であり、要するに「入っては駄目」という標示ではないだろうか。岡山藩池田家と松江藩松平家の廟門がそろって「矢来」の表現を採用しており、鳥取藩池田家墓所の場合も、『岩美郡史』掲載の古写真(明治四十五年頃)に「縦連子+矢来」の意匠パターンが採用されている。これまでは、樗谷神社の唐門や三角山神社本殿の門扉を参考に復元を進めてきたけれども、揚羽蝶家紋と格狭間の組み合わせは廟門には派手すぎるようで、むしろ廟所建物に採用すべきかもしれない(ピエール君、卒論の修正を急ぎたまえ!)。

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↑↓宗政公(宝暦14年没)の廟門扉とその絵様
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↓仏殿脇廊下の門扉
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 もう一つ、米谷家板倉の門扉の謎の紋様については、ピエールが興禅寺のご住職から「雲板」との類似性を指摘されているのだが、曹源寺でも開山堂や仏殿脇廊下の扉や手水鉢に類似の曲線紋様を確認できる。宝珠のようにもみえるし、座禅を組むときの法界定印にも似ており、禅宗の世界における安寧の象徴のようにも思われる。とすれば、菩提=悟りの表現なのかもしれない(まったく自信はないけれども)。

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↑↓開山堂門扉の意匠
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↓墓所の手水鉢(天気は良いのに氷がはっていた)
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↓庫裡の行灯
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  1. 2006/02/04(土) 23:03:25|
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月照寺の衝撃 -松平家御廟所

 田和山を降りてから、少し時間があったので、月照寺を訪れた。
 まこと「不覚」の一言。ただの菩提寺だと思っていたのである。ところがどっこい、月照寺は松江藩松平家の御廟所であった。池田家墓所の調査研究を2年も続けてきて、こんな身近に最高の参照資料があることを気づかずにいたのだから。

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 時間がなかったので、見学できたのは七代不昧公御廟と初代直政公御廟のみ。いずれも廟門をよく残し、門扉の復元に挑戦中のホカノ、ピエールにとってこれほど重要な類例もないであろう。不昧公廟門(上)の扉は、上に桐の家紋を2点、下にX字状の紋様(タスキ桟)を4点配する。直政公の玉垣(下)では、当初は石材としていた貫を板材に変えてクサビを打ち込んでいる。池田家墓所でも、貫材をクリ材に代える手があるかもしれない。クリは強度もあって腐りにくく、石材を破損させる危険性が少ない。景観的にも違和感がなく、試してみる価値があるだろう。

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 浄土宗の本堂はすでに残っていないが、その礎石跡はみごとに整備され、境内の景観に融け込んでいる。このあたりは、キムの卒業設計とも係わるところである。まったく、指導教員として、許されない見落としであった。霊廟と仏教と茶室と書院と枯山水と遺跡。それがみごとに融和した複合遺産であり、国史跡に指定されている。

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  1. 2006/02/03(金) 23:45:27|
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逆葺と茅厚 -田和山遺跡の大型掘立柱建物

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 また寒い冬が戻ってきた。とはいえ、松江では吹雪いてはいるけれども、積雪はまったくない。ここが鳥取とは決定的に違うところだ。しかし、それにしても寒いではないか。田和山の工事現場に上ると、平地よりも体感温度が2~3℃下がって、零下であるのは間違いない。
 大型掘立柱建物は茅葺きが1週間以内に終わるところまできていた。おおむね順調なのだが、茅の葺き厚だけが気になった。厚さが40~50㎝もあって、東南アジア等でみられる逆葺(さかぶき)に比べると、倍ぐらい厚くなっていて本葺と変わらない。理由はすぐに分かった。壁にたてかけてある茅をみると、われわれの身長より高いほどであり、このように長い葺材に対して、屋中(木舞)の間隔が短すぎるから、葺き足がものすごく長くなり、葺き重ねの茅束数も増える。屋中の間隔を現状の1.5~1.7倍程度にすれば、葺き重ねの茅を2束ほど減らせるので、茅厚は30~35㎝におさえらえるだろう。来年度以降は、職人が用いる茅の長さの情報を得てから、屋中の間隔を決めることにしなければいけない。

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↓棟の反りが確認できる。棟を仕上げていないので、屋根がややむくんでみえる。
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 ところで、同行した藤井くんと飯塚係長によると、田和山の隣に建設された松江市立病院が、今年度の島根県景観大賞を受賞したという。キャッチフレーズは「田和山遺跡と共存する景観デザイン」だそうである。もとは、田和山の丘陵に病院は建設される予定であり、それがものすごい保存運動によって建設予定地を変更された経緯があるから、これはまことに目出度いことというほかない。ここだけの話だけれども、田和山遺跡もこの賞に応募したらしいのだが、みごと落選したとのこと。田和山の場合、まだ整備は完了していないから、現状で受賞するのもおかしな話であり、復元建物やガイダンス施設が整った2~3年先に捲土重来を果たしたいところだ。
 そのときのキャッチフレーズは、もちろん「松江市立病院と共存する田和山遺跡」がいいだろう。

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[逆葺と茅厚 -田和山遺跡の大型掘立柱建物]の続きを読む
  1. 2006/02/03(金) 23:02:56|
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『出雲大社』の報道

 至文堂「日本の美術」の山田編集長からメールで連絡があり、山陰中央新報に拙著『出雲大社』の記事が掲載されたことを知った。売れ行きがのびることを祈るばかりです。

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  1. 2006/02/02(木) 17:24:20|
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