無理をして大分までやってきた。公聴会のあと、学生を引き連れて鳥取駅の服部珈琲に行き、わたしだけ15分で席をたった。スーパーいなば、のぞみ、スーパーソニックと乗り継いで大分駅に着いたら11時半。小倉で、奈文研の岡村さんを発見し、おなじスーパーソニックの2号車に乗りこんだのだが、指定席は別だから、とくに話をすることもなく、大分駅に到着。なつかしい面々の出迎えに、二人して喜んだ。
それにしても、無理をしている。公聴会に遅刻するような体調で6時間もの移動をこなしているわけだから、身心脱落どころか、身心硬直。その影響は翌朝もろに出た。昨年11月の韓国がこうだった。最初から
「行くべきではない」
と思っていて、さんざん悩んだあげく、足を運んでみると、まっているのは奈落の底。大分でも、あやうく横尾遺跡の現場に降りることすらできない状況に追い込まれたが、なんとかかんとか最小限の責務を果たすことができた。横尾遺跡では、今回もまた縄文後期のドングリ貯蔵穴が山のようにみつかっていて、おまけにアカホヤ火山灰層の下にも縄文早期の遺構がひろがっている。ドングリ層の上には弥生時代の木材も堆積しているのだが、建築材なのかと問われても、さっぱり判定指標がみつからない。

そんな状態のまま帰途についた。動くべきではないときに動くとこういう目にあう。無理をしてはいけない。というか、自分の役割はすでに終わっていることを自覚した一日だった。
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- 2006/02/10(金) 21:23:14|
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