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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

アマヤ・レイクの楼閣に想う

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 今回のスリランカ仏教遺跡視察旅行の際に宿泊したホテルのなかで、最も居心地のよかったのがダンブラのアマヤ・レイク・クラブ。その名のとおり、アマヤ湖畔のリゾート地にあり、自然に囲まれたバンガロー形式のホテルである。
 24日の夜、このホテルに着いてチェックインする際、ロビーの階段でいきなり三角頭の毒蛇とニアミスし、ひやひやさせられたが、翌朝のレストランでは、リスや野鳥が足下まで近づいて餌を求めてくるなど、身近に自然を満喫できる癒し系のホテルであった。
 そのレストランの横に、大きな高床の楼閣が建っている。二日めの夜、笛の音が聞こえてくるので、どこで吹いているのろうか、と思ってあたりをみわたすと、暗闇の楼閣に人影がみえた。
 この楼閣に触発されてしまった。復元について、考えさせられたのである。弥生時代に出てくる梁間1間×桁行2間の建物跡については、まず間違いなく、稲を収納する高床倉庫として復元する。しかし、アマヤ・レイク・クラブの建物にみるように、手前の1間分を低くして、奥の1間分を高くする2段型楼閣に復元できないことはない。まず、こうすることによって、梯子の使いかたが楽になる。短い梯子を2段にわけて使えばよいからだ。次に、構造が安定する。1間×2間の平面全体を高層楼閣にすると、全体がひょろ長くなって倒れやすいのは目にみえているが、一方を低くして高層部分の控え柱のように機能させることによって、高層部分の安定感は増す。
 弥生時代の楼閣については、かつて復元を要請された経験もあるのだが、柱穴に残る柱痕跡があまりに細いので、ありえないと判断していた。ところが、青谷上寺地遺跡出土の建築材を精査すると、長さ7m以上の柱材が出土している。それは手すりと大引のための貫穴を備えており、高層建築の柱材としか考えられない。柱径も20㎝あまりと、さほど大きくないのである。これを思うと、たとえば名和町茶畑第1遺跡の環濠近くでみつかった1間×2間の掘立柱建物(平面の全体は正方形に近い)は、いわゆる「楼観」であっても不思議ではなく、その構造はひょっとしたら、アマヤ・レイク・クラブの高床建物のようなものだったのではないか、という想像を掻き立てられたのであった。
 県内弥生研究者のご意見を頂戴したい。

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  1. 2006/04/02(日) 13:27:13|
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asa

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