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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

チャックの一人反省会

 今回の懇親会(BQ)は天気と英語の再履修に翻弄され、うまく回らなかった点が多々ありました。それらを端的に羅列・反省し、今後の茶室でのバーベキュー及び維持、管理に役立てたいと思います。

-基本情報-
5月26日(金)18:00~23:00 (曇り)
予算:約2万5千円
人数:お客様7名 他17名 計24名(のはず)


-問題点-
□食材の種類が豊富ではなかった → 各自に好みのものを聞き、可能な限りそろえる
□飲料が冷えていない → 大きな発泡スチロールに氷と水をいれ、冷やす(縁日風に)
□火力が弱い → 自分以外に火に強い人間が必要
□なんでも一人でやろうとして、結局疲れた → 協力体制を作っておく
□どこに何があるか自分ひとりしか知らない → 段ボール等に中身の名称を書く
□ゴミ箱がない → 事前に作り、設置しておく
□水がない(洗浄用) → 大きな桶を買って水を張っておく
□テーブル・椅子不足 → ブリコラージュ
□お手拭、雑巾がない → 用意する(買う)
□ホウキがない → 買う
□電気がない → 買うしかない
□木材不足 → もっとスタジオ前から頂いてきて、切っておく
□先生に手羽先をたくさん焼いて上げられなかった → 大量生産は火加減が難しい
□上げればきりがないですが、次回(たぶんプロ研の打ち上げ)はこれらを参考にすれば、よりよい環境下でのバーベキューができると思います。(茶室でも加藤家でも)

-片付け-
 当日にお客様にも片付けていただいたため、ほとんどすることはありません。次回からもこういった形で呼びかけていけば茶室の管理は楽になります。

 最後になりましたが、今回もごちそうさまでした。いろいろと不手際もあり、食材に関してはもう少し考えればよかったと反省しています。もしまたこのような機会があった場合は、もっと工夫したいと思います。それでは。(チャック)


  1. 2006/05/31(水) 12:47:53|
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のびたインタビュー(Ⅷ)-ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 昨日はクロアチア対イランの親善試合がおこなわれ、2-2で引き分けました。さっそく、教授にコメントしていただくことにしましょう。

N: 先生、連日のインタビューですいません。昨日のクロアチア対イラン戦はご覧になりましたか?
A: 観たよ。
N: どうでしたか?
A: ビデオに撮ったんだけどね、録画するほどの試合じゃなかった。
N: どういうことですか?
A: 日本におけるキリン・カップのような試合をクロアチアがホーム最後の試合でやったわけです。監督もチームもそうとう批判されてるだろうね。
N: クロアチアは強くないんですか?
A: 強くないことはないけど、ものすごく強いわけでもない。昨年、クロアチアはアルゼンチンに3-2で勝ったから、「かなり強い」というイメージを世界にアピールしたけれど、イタリアやオランダほどではない、ということがはっきりわかったね。98年フランス大会のクロアチア代表と比べれば、98年のほうがあきらかに上でしょうね。ボバン、スーケル、ヤルニ、プロシネツキ・・・大変なタレント揃いだった。
N: それじゃ、日本は勝てますか?
A: 勝てないことはないと思うよ。少なくとも、負けない試合はできるはずだ。もっとも、ディフェンスがしっかりしていたら、の話だけれども。ボスニアにも、ブルガリアにも2失点するようなディフェンスなんだから、いまの日本代表は。
N: いきつくところは、やはりディフェンスですか?
A: そのとおり。
N: クロアチアの攻撃の特徴を教えてください。
A: サイドアタックだね。とくに右サイドからの崩しが得意。日本戦では、アレックスの裏側を頻繁についてくるでしょう。昨日の試合でも、1点目は右ウィングバックのブラニエシュのセンタリングから、中央でプルシュがこぼれ球を蹴り込んだ。日本は、この対応に苦労するだろうね。
N: 日本はどうしたらいいのですか?
A: アレックスを控えにしたらいいのです。
N: ・・・・・
A: まぁ、最初からアレックスには守備を期待しないことだね。「おまえは前にいろ!」と指示しておいたほうがいいんじゃないかな。ディフェンスに戻って来られても、逆に混乱するだけだから、もう福西のカバーに期待するしかない。
N: それじゃ、ヒデも上がれませんね
A: 上がれない。アレックスを使うから、中田は上がれない。ディフェンス・ラインの前に残って、低い位置から縦のフィードに専念することになるでしょうね。上がれないのは、ジーコの所為です。
N: 共同通信によると、日本は紅白戦をしたんだけれど、中田・中村と宮本のあいだでディフェンス意識のずれがあったと報じていますね。
A: 中田や中村は、攻撃しているあいだはディフェンスラインを押し上げてほしい、と主張しているのに対して、宮本はそうそう高い位置取りはできない、と反論しているらしいね。
N: どちらが正しいのですか?
A; これはね、中学生でも知っていることですよ。自軍が攻撃中にボールを奪われたとするでしょ。そのときにディフェンス・ラインが低い位置にいると、中盤に大きなスペースができて、敵のカウンターをくらいやすいんだ。前線と最終ラインの間が開く状態を「アコーディオン」と言ってね。小中学生を指導するときでも、「アコーディオンになるな!」というのは当たり前なんだわ。中田はそれを言っているだけでしょ。
N: ラインを上げすぎて、裏を取られるのが怖いんでしょうね。
A: だからゴールキーパーがスィーパーの位置まで押し上げるんだよ。74年ドイツ大会のオランダのGKヨングブラッドがやり始めたプレーだけれど、今では少年サッカーにも普及している。
N: 坪井は、前線からプレスをかけてくれないと、ラインを上げにくい、と言っているようです。
A: まず、自軍が攻撃に転じて、ある程度キープできると判断したら、即座にラインを上げる必要がある。ラインを上げておけば、ボールを奪われても、プレスがかけやすい。自軍の攻撃が中途半端で、ルーズボールになりやすい場合は安易に押し上げてはいけない。
N: そのバランスですね。
A: 最終ラインを状況にあわせて上下させるのは宮本の仕事ですよ。とくにボランチの中田英に対して、「戻れ!、あたれ!」と大声で支持するのが宮本の役割。たとえ喧嘩になっても、指示を続けるしかない。
N: 元に戻りますが、日本はクロアチアに勝てないでしょうか?
A: 難しいね。2失点は覚悟しないといけないから、問題は2点以上取れるかどうか、だと思うのだけれど、残念ながら、厳しいと思います。ただ、今日のようなゲームをしているクロアチアにも不安材料がある。敵は3-5-2だから、1トップか3トップで臨むと混乱するかもしれんね。
N: ほかに何かニュースがあったら紹介してください。
A: 『日刊スポーツ』を読むと、28日付のイギリスの新聞に中田英のインタビューが掲載されたという。そこで、ジーコ批判ともとれる発言をしているらしい。
N: どういう批判なのですか?
A: 「日本代表のパス中心のプレーは長所であり弱点でもある。プレッシャーがかかってパス回しが不可能なときでもパスをつなごうとする。(華麗なパスサッカーで)個人としてのいいプレーをするのか、W杯で勝ち上がりたいのかを自問しなければならない」
N: ジーコ批判とも自己批判とも受け取れますね。
A: うまいね、おまえ。・・・腕を上げたね。
N: ブンヤですから。 (続)


  1. 2006/05/30(火) 00:42:23|
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のびたインタビュー(Ⅶ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 先週末は研究会には出席できませんでしたが、なんとか茶室での懇親会にかけつけることができました。バーべQ、美味しかったです。とくにチャックの焼く手羽先は、ホント、最高ですね。みなさん、ありがとうございました。

N: 先生、このまえはご馳走さまでした。
A: いや、すまんな、就職してもなおアッシーに使ってしまって・・・。最後は、おまえさん、機嫌悪かったよねぇ。
N: ・・・いえいえ、ただ眠たかっただけです。
A: 彼女に叱られたんじゃないの?
N: ・・・翌日、カバーしましたから。ところで、日本代表はとうとうドイツに旅立ちましたね。そろそろオーストラリア戦の対策を練らなければなりません。
A: 久しぶりに『サッカー・マガジン』を買ったのだけれど、評論家はみな4バックを主張しているね。ところが、今日の報道によると、ジーコは3バックで行くと公言しているらしい。わたしも3バックがよいと思う。
N: でも、オーストラリアは1トップもしくは3トップですよ。2トップなら3バックが守りやすいですが、1トップや3トップに対しては4バックのほうが適しているというのが常識ではありませんか?
A: 甘いね。オーストラリアはヒディングが韓国で採用したのと同じ3-4-3システムで挑んでくる。攻撃時には3トップだが、守備にまわると1トップを残し、3-6-1システムに変化するパターンだよ。問題は、この1トップになるビドゥカという大柄の選手。プレミアでも大活躍している。4バックだと、ビドゥカには中澤がマンツーマンでつかざるを得なくなる。ところが、ビドゥカが左右や後方に動いた場合、どうなるか? ディフェンス・ラインの中央には宮本がひとり残るだけ。ここに、オーストラリアが得意のロングボールを放り込んできたら、どうなるか。中盤の選手がなだれ込んで攻めてくるだろうけれども、センターで対応するのは宮本だけ。とても防げない。どうしても、もう1枚ストッパーをおいておかないと。
N: 宮本、中澤に加えるなら、田中誠ですか?
A: それがジーコの常識だろうね。ただ、考え方を変えて、坪井をビドゥカのマン・マークにあて、中沢を中央に残してセカンドボールを競わせるのも一手ではないか。わたしなら、スィーパーに田中誠をもってくる。田中はアトランタ五輪でブラジルを破った時のスィーパーなんだよ。カバリングは上手いし、宮本よりも背が高くて、ヘディングが強い。
N: 日本はやはり3-5-2で臨むのでしょうか?
A: もちろん、その可能性がきわめて高いけれども、3-4-3と3-5-2が激突する場合、3-4-3のほうが有利なように思うんだ。
N: なぜですか?
A: このシステムを考え出したクライフがはっきり言っているんだけどね、3-4-3とか4-3-3のシステムは、サイドの前後に2枚の選手を配することによって、両サイドを制圧するための陣形なんだ。サイドを制圧するチームがゲームも制する、という発想だよ。3-5-2の場合、サイドは1枚だから、やはりオーストラリアに分がある。
N: 日本はどう対応すべきでしょうか?
A: さきほど閃いたんだけれどね、日本も3-4-3で挑めばいいんじゃないだろうか。
N: オーストラリアと日本が対称形になるわけですね?
A: そのとおり。ヒディングはたまげると思うよ。おそらく、まったく予想していないでしょう。これで完全に裏をかける。
N: 具体的には、どういう選手起用になるのでしょうか?
A: ちょっと、絵を描いてみよう。

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N: えっ、中盤は1ボランチのダイヤモンド型ですか?
A: いや3ボランチに近い変形ダイヤモンドだよ。中央の福西を中心に中田浩、稲本がバランスをとりながらディフェンス・ラインを支えるんだ。この3人は身長も高いし、いざとなったら攻撃力もある。中澤、田中、坪井の3バックにも注目してほしい。みんな180cm以上のストッパーだよ。アレックス、宮本、加治の3人が消えると、ずいぶん強力な守備陣形が組めるんだな。これなら、ある程度の高さにも対抗できる。
N: アレックスは左ウィングですか?
A: ウィングとサイド・ハーフの中間のポジションだね。ともかくアレックスを後に置いてはいけない。そこから崩される。前にいると、そこそこ敵の脅威になるでしょう。敵のサイド・ハーフが上がりづらくなる。上がってきたら、中田浩でカバーすればいい。
N: ヒデは右ウィングを嫌がるのではありませんか? パルマ時代にこのポジションをやらされて、監督と確執したいやな経験がありますよ。
A: 中田英は中村とポジション・チェンジしながら、自由に動けばいい。稲本が内側に絞る場合、ヒデは下がって相手のサイドアタッカーを潰す役割もこなさないといけない。
N: 小野が消えてしまいましたね。
A: 初戦はどうしても負けられない。だから、中盤には守備力のある中田浩、福西、稲本を優先せざるをえないでしょう。この3人のうち疲れた者が小野と替わればいい。もし勝っている状態で後半の時間がすぎているとしたら、小野の投入は控えるべきでしょうね。
N: 大黒は?
A: 前半を引き分けで終えて、後半残り25分でアレックスに替えて大黒を投入し勝負に出る。これで勝てるかもしれない。そんな気がしてきた。いつもの3-5-2なら1-2の惜敗、4バックなら0-3で完敗するのではないか。 (続)


  1. 2006/05/29(月) 01:51:42|
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回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅲ)

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1トントラックに載せて
 2004年5月25日の朝、岡村とヤンマー(山本)とわたしの3人は鳥取市内で1トントラックのレンタカーを借り、米子に向けて出発した。3人乗りとは言うものの、座席は2席しかない。座席と座席の間はシート貼りにはなっているが、クッションが弱く、座ればたちまち尻が痛くなる。もちろんわたしが助手席を占領した。岡村とヤンマーが交替々々に運転し、交替々々に尻の痛い中央シートに座った。臀部に鈍痛を感じるものの、空は快晴。晴れた日の日本海は言語を絶するほど美しい。海と空が一つになった海岸線の景色を貫くように、車は快適に国道9号線を西に蛇行していった。
 米子に着いて昼食を取り、午後1時にM工務店を訪問した。取締役の松本さんとは、旧知の間柄である。取締役と言っても、じつのところ社員は松本さん一人であり、M社はもっぱら大手工務店の下請けを業としている。なぜわたしが松本さんと親しかったのかといえば、それは妻木晩田遺跡の復元事業に二人が係わっていたからである。砕いていえば、わたしは妻木晩田遺跡の洞ノ原地区に建設されている竪穴住居や高床倉庫の復元を指導し、松本さんはその施工に2年連続で携わってきた。そういう関係だったのである。

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 工務店の廃材置場に着くと、廃棄物予備軍の一部に妻木晩田復元建物の余材も含まれていた。垂木となるはずであった栗の棒材が数本散らばっている。栗は堅くて湿気に強い木材であり、使い勝手のある美味しい材料だ。ほかにも、いろんな材が廃棄直前の状態で山積みされていた。波形ビニール板、トタン、木目調鉄板、樋、棟覆など、なんでもある。もちろん放置されて久しいので、材はみな汚れていて、悪臭を放つものさえ含まれていた。しかし、この廃材がわれわれにとっては宝物であった。工務店の廃材置場はまさに「宝の山」であり、われわれは血相を変えて、廃材をトラックに積み込んでいった。2ヶ所の廃材置き場をめぐり、1トントラックに積める限界まで廃材を積んでシートを被せ、ロープで縛った。
 帰学後しばらくして、岡村は集めた廃材の整理にとりかかった。まずは汚くて、臭い廃材の洗浄である。実験棟の横の水場で、岡村はひとり黙々と古材を洗い続けた(まれに下級生も手伝っていたが、ほとんどの仕事は岡村が片づけた)。つぎに岡村は廃材の「部材シート」を作りはじめた。「大工になりたい」という職人気質からは想像し難いけれども、岡村には研究者的な資質を覗わせる側面もあった。ランダムな要素を網羅的に整理し、配列しなおす作業は一種のタイポロジーであり、自分に与えられた条件の全体像を把握するには必要不可欠の途である。岡村は、わたしの指示をうけない状態で、その作業に移行していった。「部材シート」には、各廃材の名称・分類、樹種、寸法などが書き込まれ、デジカメで撮影された写真が貼り付けられていった。ちなみに、このデータ整理に用いたソフトはイラストレータである。

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 一方、「Tree House に挑戦!」プロジェクトのほうも、裏山の敷地選定、建物のエスキス、材料とする竹や雑木の伐採を経て、5月下旬からいよいよ着工を迎えようとしていた。ツリーハウスの建設プロジェクトの背景が「大人になれない子どもたち」の心をくすぐる好奇心にあることはすでに述べたとおりだが、技術的にみた場合、それはあきらかに「廃材でつくる茶室」の前哨戦として位置づけうる。
 まず、ツリーハウスの建設においても、もちろんのことだが、
  「材料を買ってはならない」
ことを大原則とした。建材として利用できる材料は、廃材もしくは裏山に自生する竹や雑木に限る。そして、もうひとつ、
  「木材や樹木の接合に釘・ボルトなどの金物を使ってはならない」
という規律を徹底することに決めた。以上の2点が、ツリーハウス建設における鉄則であり、だれもこの禁を犯せない。
 この背景には、アメリカ人のツリーハウス建設に対する失望の念が絡んでいた。アメリカで出版されているどんな指南書を読んでも、樹木と建材の接合にあたって、必ず生木にボルトをねじ込むように指示している。伐採・乾燥され、加工された木材相互の接合ならいざしらず、大地に根を下ろし生命を育む樹木にボルトをねじ込んで心に傷みを感じないのは、その主体がアメリカ人だからなのだろうか。それは、アメリカ人の国民性を示すものなのだろうか。草木虫魚すべてに精霊が宿るというアニミズム、生きとし生けるものみな慈悲をもって接せよという仏陀の教え、そういうアジア的精神世界の中で生まれ育ってきたわたしには、生木にボルトを打ち込むことなどとてもできない。
 さて、金物を一切使わずにツリーハウスを組み上げる方法としては、まず第一に横材をうけるに足る股木をもつ樹木が密集している場所を選ぶことが肝要である。しかし、裏山をいくら歩きまわっても、それほど条件の良い場所は存在しない。なぜならば、かりに太径木が密集していたとしても、股木の高さはまちまちであり、横木を水平に通すことが容易ではないからだ。そこで、頼りになるのは「縄結び」しかないことに、ようやく気づくのだが、木材と樹木を縄結びで緊結する方法ははたしてあるのだろうか。かりにあったとしても、その方法をどうやって学べばよいのだろうか。しだいに、うっすらと金物に対する憧憬が頭をかすめるようになり、しかしながら、決してそれに身を委ねてはならないという心の揺れにとまどう自分がいて、この先どのように学生を指導しようかと悩んでいた矢先、救世主があらわれた。それは、ほかならぬプロジェクト研究のメンバーであった情報システム学科の一年生。大工の父親をもつという女子学生であった。 (続)

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  1. 2006/05/28(日) 01:34:42|
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仁風閣を映す

 昨夜、松江から講演会にかけつけて下さった山村カメラマンは、当初、ホテルに宿泊を予定されていたが、我が家に泊まっていただくことにした。山村さんは、周防国阿弥陀寺近くの生まれで、重源に深く傾倒している。阿弥陀寺は重源が東大寺復興のため各地に造営した別所の一つ。重源上人坐像とともにミニチュアの鉄塔(鉄製の宝塔)でよく知られている。山村さんもわたしも、先の「大勧進 重源」展ではじめてこの鉄塔をみた。
  「大きかったですねぇ・・・」
というのが、両者に共通する感想であった。「盃彩亭」の前に腰掛けて、お酒を酌み交わしながらの会話である。
 山村さんは、わたしより20歳も年上の大先輩で、建築学科の卒業生ではないのだけれども、十数年前から、突然、重源に興味をいだき、その関心は古建築全般にひろがっていった。いまでは大型カメラを持ち歩き、全国の国宝・重文建造物を撮影し続けている。

 我が田園町の宿舎は、この春、卒業生たちの宿舎になっていた。卒業式の日は、謝恩会のあと、数名の学生がやってきて、WBC決勝の録画をみながら炬燵を囲んでごろ寝した。その後、わたしと某大学院生とのスリランカ出張のあいだも、わが家の鍵はピエールに預けていて、下宿を引き払った卒業生が28日ころまで寝泊まりしていたらしい。家は2階建てで畳部屋は4室あるけれども、2階はアトリエと化していて、客人が眠るほどのスペースはないから、宿泊者は1階の炬燵で寝ることになっている。
 山村さんは20歳も年上の大先輩であるのだけれども、我が家におけるこの掟に従っていただいた。炬燵を少しずらして、座布団を3枚敷き、上に厚めのシーツを被せて敷布団とし、あとは掛布団にくるまり、枕に頭をのせる。まったくひどい扱いだとお思いでしょうが、単身赴任のチョンガー生活とはこういうものでございます。

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 今朝は9時から二人で仁風閣に出かけた。仁風閣は明治40年、鳥取藩主の末裔にあたる池田仲博侯爵が宮内省匠頭であった片山東熊に設計を依頼して建築した迎賓館である。竣工まもなく、皇太子(後の大正天皇)の山陰地方行幸の御在所として使われた。片山東熊は赤坂離宮や京都国立博物館の設計で知られた当代随一の宮廷建築家で、現代で言えば、丹下健三のような人物である。仁風閣はフレンチ・ルネッサンス様式を基調とし、バロック風の軒飾りをもつ白亜の木造擬洋風建築。鳥取出身で片山の後輩にあたる橋本平蔵が現場監理にあたった。
 子どものころ、仁風閣は科学博物館に転用されていた。社会見学で訪問した際、大きなオオサンショウウオが水槽展示されていたことだけをよく覚えている。建物は、古ぼけてみすぼらしく、小学生の目に映った。それが、昭和48年に重要文化財の指定を受け、翌年から3年かけて解体修理をおこない、昭和51年から新装した姿を公開している。記憶を辿れば、公開の年にわたしは成人している。これはワイフと知り合った年でもあって、とすれば、デートコースとしてたまに利用していた仁風閣は修復直後の状態だったことになる。

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 山村カメラマンは、仁風閣で撮影に没頭していた。わたしはゆったりとした時間をすごした。2階の謁見所にある椅子に腰掛け、しばし窓外にうつる宝隆院庭園を眺めていたのである。この庭園は、十二代藩主慶徳が夭逝した先代藩主慶栄の未亡人を慰めるために造営したものという。庭があるからには、もちろん宝隆院の屋敷もあったはずだが、その屋敷の跡地に仁風閣が建設されたことになる。
 しばらして、庭に足を運び、池のまわりを彷徨っていると、築山の上で一人のご老人がスケッチをしていた。
  「ひょっとして、浅川先生じゃありませんか・・・?」
 その方は鳥取市の文化財保護審議委員会で年に2度ばかり顔をあわせる美術担当の老大家であった。どういうわけか、わたしの母のことをよく知っている。即座に築山に上って挨拶し、厚かましいとは思いながら、スケッチブックをみせていただいた。やはり、絶好の場所で絵を描いていらっしゃる。庭と仁風閣と城跡が一つの画面に納まる見事なアングル。上の写真はそこから撮影したものである。その中に山村カメラマンが映っているが、山村さんはおそらく建物単体に照準をあわせているのであろう。わたしたち二人は、仁風閣の背面を主役とする久松山の風景を切り取っていた。
 老大家は言う。
  「季節が少し遅くなって、緑が多くなりすぎました。建物の全体がみえなくてね。冬に来て、もっとスケッチしておくんでした。」
  「そんな、冬にここでスケッチされてたら、身体がもたないしょ?」
  「いや、冬がいいんですよ、冬の仁風閣はすごいんです。辛いったって、大山に比べたらずっと楽ですからね・・・」
 というわけで、下に冬の仁風閣を掲載することにした。仁風閣内部の展示パネルを映してトリミングしたものである。

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[仁風閣を映す]の続きを読む
  1. 2006/05/27(土) 23:56:43|
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縄文の森の手羽先

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 午前10時頃、家の外にでると、曇空からポツリと雨粒が落ちてきた。急ぎ、携帯のネットで天気予報を確認したところ、今日は「曇後雨」で降水確率は12-18時:60%、18-24時:60%となっている。昨日の予報では「曇」で40%→40%だったのに、降水確率が20%上がり、実際に午前中から小雨が降り始めた。ただちにチャックに電話し、雨の場合は、バーベQの会場を実験棟脇の吹きさらしの屋根の下に変更することで合意した。
 午後1時半から妻木晩田事務所の新しいスタッフが挨拶にきて、打ち合わせをした。基本設計の2年目で正念場を迎えるということを何度かブログでも書いてきたが、いったいぜんたい、この年度の重要性を何人が自覚しているのか。ここではっきり書いておく。
 わたしがうるさく言う以外にない。これしか妻木晩田の整備を成功に導く途はない、と勝手に決めた。悪いけど、すでに決心を固めたので、関係者ご一同、わたしのブログには随時ご注意いただきたい。

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 午後3時から31講義室で、某助手の博士学位請求論文講演会。とは言っても、これは浅川研究室の3・4年ゼミ(プロジェクト研究5&7)を学内外に公開したものである。ゼミ生12名以外に、学内教員3名、学外者11名の参加があった。学位論文は南インド、スリランカの植民地都市と都市住居に関する研究で、さすが20倍以上の倍率を勝ち抜いて本学助手のポストに着任し、その4ヶ月後、公約どおり学位を取得しただけのことはある。建築学会全体をみわたしても、同年代ではぬきんでた能力をもつ若手研究者の一人であるのは間違いない。しかし、誉めてばかりもいられない。
 会場では、来客のほぼ全員にコメントを求めた。みな紳士的で穏やかなコメントであった。厳しかったのは、わたし一人。
   「時間軸が消えている」
 何度も南アジアに赴いて住宅を調査しているのに、画面にあらわれるのは住宅の「間取り」ばかり。要するに、平面のタイポロジーをやっているだけか、という印象がぬぐえない。この分析枠では、おおきな飛躍は望めないだろう。フィールドに出て、実在の居住建築物を体験しつつ調査しているのだから、その対象を如何に総合的に理解できるかが鍵を握る。そのためには構造・構法・細部・装飾など住居の全体に目を配らなければならない。そうすることによって、建築物の年代観も(相対的ではるかもしれないけれど)みえてくるだろう。こうして時間軸を視野に納めながら、住宅と社会的な変動との関係をみきわめていただきたいものである。
 ついでにもう一言。講演を聴きにきてくださっているお客様は色とりどり。本学の学生・教員もいれば、建築家、考古学者、民族学専攻の大学院生などバラエティに富んでいる。こういう方々に、自分の専門領域をできるだけ分かりやすく、短い時間で講述する工夫が欲しかった。ここまで書くと、おまえの若い頃はどうだったんだ?という皮肉を頂戴しそうだから、釈明しておくと、もちろん発表が上手かったわけではない。指導教官からは、いつもこう叱られていた。
  「アサガワッ、『人みて法説け』、言うやろ!」

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 某助手が発表しているあいだ、わたしはブラインドの外に垣間みえる雨模様を気にしていた。雨は上がりつつあり、ヤフーの予報も18-24時の降水確率が40%に下がっていた。懇親会は予定どおり、裏山の「盃彩亭」(廃材でつくる茶室)の周辺でおこなうことになった。はじめて茶室を訪問するお客様は、まず裏山の自然に驚かされる。大学のキャンパスとはまったく異なる世界がそこに展開しているからだ。考古学者が参加していたので、
  「弥生の植生はこういう感じなんだろ、照葉樹が群生している森・・・?」
と訊いたところ、
  「いや、縄文後期がこうなんです」
と鳥取大学の某講師は言う。
  「えっ、そうなん。落葉広葉樹と照葉樹が混ざっているイメージ??」
  「そうです。その混合林が縄文後期で、弥生になると、山の開発が進んで、杉や赤松などの2次林がにょきにょき生まれてくる・・・」

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 それから深夜までバーベQは続いた。縄文後期の森に囲まれた茶室周辺の空間は、夕暮れ時も美しいが、陽が落ちて炉の火に照らされる姿もまた幻想的だ。
 肉も魚も野菜もお酒も、たくさん準備してあった。茶室周辺の森は、食材の味をも変質させる。この美味しさを、もっと大勢の方々と共有したい、と思うのだが、裏方で宴会を仕切ったチャックは言う。
  「センセイ、人数が多すぎますよ・・・」
 宴会を支える裏方は大変だったのだ。チャックや某大学院生をはじめとする学生諸君には、ここで改めて感謝の気持ちをあらわしたい。
 ちなみに、チャックが自作のカマドで焼く手羽先の味は、昨年と同様、最高だった。骨付き肉の旨さを堪能できる。

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[縄文の森の手羽先]の続きを読む
  1. 2006/05/26(金) 23:59:57|
  2. 講演・研究会|
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セルフビルダーしとるわぁ

 今日は茶室関係のことを先輩達と古材バンク班で行いました。茶室の外をバーベキューしやすいようにしました。僕は廃材で椅子を作ることになりました。僕達は良い形の椅子の座るところを見つけました。しかし、良い椅子の足が見つからなくて、しかたないから自分達で道具を使って作りました。そのとき僕は生まれて初めてノミを使ったので、
  「セルフビルダーしとるわぁ」
と思いました。先輩たちは茶室の邪魔な枝を切ったりして茶室の景観をキレイにしたり、バーベキュー用のテーブルを作ったりしました。そして、茶室にイスやテーブルを置くと快適なバーベキューするところが完成しました。劇的なリフォームができてよかったと思いました。(環境政策学科2年Y.T.)



  1. 2006/05/25(木) 23:31:53|
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あした天気になぁれ

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 ヤフーの天気予報によれば、明日午後の鳥取県東部は降水確率が40%となっている。なんとか降らないでほしい。明日は午後3時から31講義室で某助手の博士論文講演会が開かれる。問題はそのあとの懇親会で、今日はチャックを中心にその準備に奔走した。懇親会の会場は裏山の「茶室」だが、二畳間の内部は展示空間でしかない。たぶん20名ぐらいの参加者があるだろうから、茶室の中で懇親会を催すのは不可能である。いつもそうなのだけれど、茶室まわりのスペースをバーベQ会場にすることにした。ここに即興的にではあるが、ベンチやテーブルを設えた。この仕事を、プロジェクト研究1&3の「古材バンク班」がうけもった。廃材でつくる椅子やテーブルである。ごらんのとおり、なかなか快適な屋外空間ができあがった。
 もうひとつの仕事は、茶室のアプローチとなる山道の脇に繁茂する樹木の枝打ちで、枝打ちされた材はそのまま腰掛け待合いの屋根材に変身した。

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 4409演習室では、模型製作班と情報発信班が作業を進めた。いま、古材バンク班のT君と模型製作班のYさんが送ってくるブロクの文章を待っているところ。二人とも急ぎなさい。こういう文章は鮮度が大事なんだから。

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  1. 2006/05/25(木) 23:28:11|
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床下にもぐる女たち(Ⅱ)

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 先週に引き続き、加藤家の床下探索を行いました。先週のことをふまえ、今日は防塵対策はバッチリでした。しかし、天気がよかったため、先週よりも埃の量が半端じゃなかったです。でも、かび臭さは減っていました。今日は、先週測り切れなかったところを重視して、床下にもぐりました。床下にもぐって約1時間後、みんなで縁側に座って休憩を取りました。肉体労働の後のお菓子は最高です、おいしかったです。最後に残ったチョコは、二人で残らず食べちゃいました。お菓子を下さったY先輩、ありがとうございました。一瞬で消えちゃいました、すいません。その後再び調査に取り掛かりましたが、休憩時間が長かったせいか、すぐに終了の時間になりました。でも、Y先生はかなり粘り、結局30分以上長引きました。来週も、この調査はまだまだ続きます。早く終わらせられるようスキルアップしたいです。(環境デザイン学科2年部長&環境政策学科1年米眉)

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  1. 2006/05/25(木) 21:29:01|
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回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅱ)

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ツリーハウスに挑戦!
 鳥取環境大学には、「プロジェクト研究」(略称プロ研/P研)という演習科目がある。1・2年(P1-P4)は3学科合同による学際的研究、3・4年(P5-P7)は専門科目によるゼミ形式の演習科目となっていて、わたしの場合、たいていP1-P4は1・2年合同とし、3・4年生に協力してもらうようにしている。
 岡村が移籍してきた2004年度の前期、わたしは、P1&P3の合同テーマを「Tree House に挑戦!」と題して学生を募集した。なぜツリーハウスなのかと言えば、2003年度末にたまたまツリーハウスの本を手にしたところ、アメリカで屋敷内別荘として大流行していることを知ったからである。もちろん、ツリーハウスにはいくつもの想い出がある。
 まずは小学生のころ。学校近くの空き地に埴えていた大きな広葉樹に「秘密の隠れ家」を仲間たちと作った。その隠れ家には、火起こしの炉もあって、近くの駄菓子屋で買ってきたスルメを焼いて食べて喜んでいたところ、どこかの生徒が教師に通報したらしく、われら一味は、
  「火遊びをしている」
という罪状で職員室に一同整列させられ、教員全員を前にして懺悔を強制された。一部の教員は、うすら笑いを浮かべていた。それは嘲笑ではなく、頬笑みのようにみえた。いま思うに、教員たちも、「秘密の隠れ家」としてのツリーハウスの魅力を理解していたのではないか。だれだって、自分の心の中にピーターパンが住んでいる。「大人になれない」子どもの象徴としてのピーターパンとかれを慕う子どもたち。かれらの仲間意識は「火」によって、いっそう強くなる。そういうことを知りながら、教員たちは腕白坊主数名を叱らざるを得なかったのであろう。
 大学院時代に「民族建築学」の研究分野に没頭していたころ、インドネシアやメラネシアの少数民族社会にツリーハウスがあることを知った。しかし、それは日常の「住居」ではなく、見張り小屋か戦時の砦のように機能する建物であることも、民族誌を調べればすぐに分かった。こういう民族例を参照するならば、『韓非子』や『礼記』や『博物誌』などの中国古典に頻出する「巣」という建築スタイルもまた、樹上住居ではなく、高床住居の暗喩であろうという推定が成り立つ。
 そのような学問上の興味はさておき、1990年代の初め、ケヴィン・コスナーの主演する映画『ロビンフッド』が公開され、わたしはそれをビデオでみた。『フィールド・オブ・ドリームズ』や『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』ほどの傑作ではなかったが、『ロビンフッド』もなかなか楽しい娯楽映画で、とくに森の中に築いたツリーハウスの集落が、悪代官の兵が放つ火箭(ひや)を受けて炎上するシーンには迫力があった。ピーターパンが「大人になれない」子どものシンボルなら、ロビンフッドは悪代官に立ち向かう黄門様のような「正義の味方」のヒーローだ。兵火をもたない農民たちを率いて革命を先導する英雄がロビンフッドであり、その一揆集団の住まいが、-嘘かホントか知らないけれども-森の中のツリーハウスだったのである。
 ピーターパンとロビンフッド。この二人の名前だけで、十分に胸が高鳴る。大人から子どもまで、だれだってツリーハウスを作りたいはずだ。だから、
  「Tree House に挑戦! -ロビンフッドの住まいをめざして」
というプロジェクトを企画したのであった。狙いどおり、すさまじい数の学生がこの罠にひっかかった。1学年で50名前後の学生がこのプロジェクトを1位指名してきたように記憶する。ただし、教員に学生の選択権はない。学務課が無作為抽出の抽選により、1年生7名(環境政策学科3名・環境デザイン学科3名・情報システム学科2名)、2年生9名(環境政策学科3名・環境デザイン学科2名・情報システム学科1名)の学生を選抜した。以上16名の学生を指導する立場で、浅川研究室の4年生であった細谷幸希、岡村、タクオ、赤松が参加し、さらに建設敷地となった裏山に詳しい環境政策学科4年生の矢野智之(動物行動学専攻)がこれに加わった。
 まずは矢野の案内で、裏山を歩きまわり、条件のよい場所を探した。おもしろいことに、ある畑の脇の樹木の上にツリーハウスの廃屋を発見した(↑上の写真)。物置のようにして使われた小屋だったのかもしれないが、子どものころの「秘密の隠れ家」を思い出して、ほくそ笑んでしまった。(続)

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  1. 2006/05/24(水) 02:07:16|
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池田家墓所保存会理事会での発表

 卒業論文を提出し終えたある日、論文と設計の成果を池田家墓所保存会理事会で発表してみないかというお誘いを受けました。その頃は、実現するなどとは思ってもいなかったのですが、5月23日の午前中から、ぴえーるととホカノ君の卒業論文とキム・ドク(別名:タイガー戸口)の卒業設計についての発表をさせていただきました。
 残念ながら、キム・ドク(別名:タイガー戸口)は参加する事ができませんでしたが、池田家墓所保存会の理事長である片山知事が出席する中での緊張した発表となりました。
 それぞれの発表はピエール、ホカノが15分程度のプレゼンテーション、キム・ドクは事前に作成した9分の動画を流す形式を取らさせていただきました。内容は、卒業研究公聴会や池田家墓所修復整備検討会とほぼ同一です。
 理事会への出席に際しては、浅川教授、ホカノ君のお二人には深夜の来鳥時に迎えにきてもらったうえ、寝床まで提供してもらい本当にありがとうございました。また、本日は卒業論文に関連して、多くの方からのご助力を頂いていたことを改めて感じられた日となりました。(ぴえーる)

 理事会での発表の場を設けていただき、ありがとうございます。よい発表をと心がけましたが、自身でもプレゼンの仕方が不甲斐なく、うまく伝わらなかったのではないかと感じております。最後に、ご静聴いただいた理事会の皆様かたにはふかくお礼申しあげます。(ホカノ)

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↑わたしたちは、「本格復元」などまったく訴えていない。木造建築の復元研究については、池田家墓所の全体像を解明するための基礎的研究であることを某大学院生がくりかえし述べたにも拘わらず、こういう見出しがついてしまうのは残念である。池田家墓所は基本的に現状保存の方針であり、石造建造物に関してのみ復原的修復を試みる。詳細はまもなく刊行される報告書を参照いただきたい。

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↑5月27日付けの読売新聞の記事です。
[池田家墓所保存会理事会での発表]の続きを読む
  1. 2006/05/23(火) 16:52:29|
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のびたインタビュー(Ⅵ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 先週末、先生から突然電話がかかってきて、たっぷり絞られてしまいました。急ぎの報告書の出張校正をされていたようで、わたしの卒業論文の参考文献などで「訳がわからん!」を繰り返され、大変ご機嫌斜めだったので、今回のインタビューはびびりっぱなしです。

N: 校正ではご面倒をおかけしまして、申し訳ありませんでした。
A: ・・・・・
N: 先週はサッカーの試合、ご覧になりましたか?
A: WOWOWでジダンのラスト・ゲームを観たよ。リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリード対セビリア。それとBS1で、マラドーナの大会と言われた1986年メキシコW杯の特集もやっていたね。何度も観た映像なのに、またしてもマラドーナの美技に見惚れてしまった。
N: ジダン、どうでしたか?
A: 本当に辞めるんかね、って感じだねぇ。全盛期に比べたらコンディションは落ちているけれど、まだ3~4年はやれそうだ。たぶん、どこかで復活するでしょう。
N: 試合はどうでしたか?
A: セビリアのホームなんだけど、はじめにレアルがベッカムの2点でリードするんだ。ところが、そこからセビリアが4点連取して逆転。後半の終盤にジダンが1点とって、結局レアルは3-4で敗れてしまい、ジダンのラストマッチを飾れなかった。セビリアは今期UEFAカップで優勝したんだけど、この試合に勝ち、オサスナがバレンシアに負けると、来期はチャンピオンズ・リーグの出場権を得るというので気合いが入っていたね。結局、オサスナが勝って、CL出場は果たせなかったけど。
N: 4-3の試合ですか。ノーガードの打ち合い?
A: サッカーはね、3-2の試合がいちばん面白いっていわれてるんだ。4-3は、ちょっと締まりがないっていうか、ディフェンスがだらしない、という印象をもってしまう。
N: たしか昨期も、レアルはセビリアに0-4で大敗しましたよね。
A: そうなんだ。銀河系軍団と呼ばれたチームも、マケレレを放出したあたりからおかしくなった。ディフェンス・ラインはもちろんだけど、ボランチがいかに重要な存在か、よくわかるね。
N: レアルはなぜタイトルに縁がないのでしょうか?
A: 巨人やヤンキースが優勝できないのと同じでしょ。いくら攻撃的なスター選手ばかり揃えても、完全に強いチームにはならないということですよ。4番バッターばかりごろごろいても、勝率は上がらない。
N: その点、WBCの日本代表はいいチームでしたね。
A: ほんとうに素晴らしかった。王監督の選手選考はじつに適格でした。松井、井口、城島が居なかったけれども、かれらが加わっていたとしても、勝っていたかどうかわからんもんね。1番には1番、2番には2番に適した人材が必要で、ランナーが出たら進塁打を確実に打てる選手がトーナメントでは重要な位置を占める。WBCは野球の原点を教えてくれたね、それは高校野球だと思うんだけど。高校野球こそがスモールベースボールだもの。
N: とすれば、サッカーの日本代表にだってチャンスはあるんじゃないですか。山椒は小粒でぴりりと辛い・・・
A: いや、野球とサッカーでは歴史の深さが違う。日本のプロサッカーは、Jリーグ発足後まだ13年しか経っていない。プロ野球は数十年の歴史がある。重みがありますよ。日本のプロ野球はね、組み合わせ方によれば、王JAPANとほぼ同等の力をもつ選抜チームを、あと1~2チームは作れますよ。それだけ選手層が厚い。それに、最近の野球選手は、体格的にもアメリカの選手にひけをとらなくなってきている。
N: 日本のサッカー選手はやはり世界に通用しないでしょうか?
A: レアル対セビリアの試合をみていて、やはりレベルが違うと思ったね。中田レベルの選手が、レアルやセビリアのレギュラーでやれるか、と言えば、やはり駄目でしょ。中村だって、スコットランド・リーグだから10番もらって先発しているけど、スペインやイタリアのビッグ・クラブに移籍したら、間違いなく補欠ですね。
N: 何が違うのでしょうか?
A: たとえば中村の場合、技術的にはワールドクラスなんだけれど、体格と運動能力がどうしても劣っている。野球で言えば、松井とまではいかないまでも、井口ぐらいの体格と運動能力が欲しいね。イチローの場合、細身だけれど、あの足の速さは異常だものね。
N: ということは、日本代表は欧米のチームには敵わないことになりますね。
A: いや、だから監督の存在が重要になるんですよ。個々の技術や体力では欧米に敵わない。しかし、欧米の選手が嫌がるのは日本人の俊敏性です。その俊敏性を最大限活かすことのできる「組織」を作り上げる監督が必要とされている。
N: ジーコでは駄目でしょうか?
A: ジーコはブラジルのセレソンを日本代表のモデルにしている。いつまで経っても、サッカーの理想像として、82年の黄金のカルテットに囚われている。個々の高い能力をもった選手をポンと集合させれば、夢のようなサッカーができると思ったら大間違いですね。あれが許されるのはブラジルだけ。
N: どういう監督が日本代表にふさわしいのでしょうか?
A: だれが、とは明言できないけれど、参考となる監督は二人いる。一人は2002年日韓W杯のヒディング(蘭)、もう一人は2004年ユーロのレーハーゲル(独)。両者の基本戦術はまったく異なるけれども、共通しているのは、組織力の強いチームを短期間で作る能力をもっていることだよ。じっさい、2002年の韓国代表、2004年のギリシア代表は、とくに個人的能力の高い選手の集合体ではなかった。個々の能力はそれほど高くなくても、一定の規律をもった「組織」があり、卓越した「戦術」「戦略」が浸透していれば、世界の4強、あるいはヨーロッパ・チャンピオンになれることを二人の監督は証明してみせた。そして、こういうタイプの監督は、必ず「相手チームの分析能力」にも長けている。じっさい、ヒディングは「日本代表を丸裸にする」と豪語しているよね。
N: ジーコ監督は相手チームを分析しないのでしょうか?
A: 分析しないことはないだろうけれど、かれの常套句は「自分たちのサッカーをすれば勝てる」だよね。アジア杯では、それでも通用するかもしれないけれど、W杯で「自分たちのサッカーができる」とほんとうに思っているとしたら、とんでもないことだよ。相手の長所を消さない限り、自分たちのサッカーはできないし、相手は自分たちの長所を消しに来るんだからね。
N: ジーコはブラジルに対しても、真っ向勝負を挑むでしょうね。
A: 狂気の沙汰だね。日本はブラジルと10回戦って1回勝てるかどうか、の実力でしょ。アトランタ五輪で西野が率いる日本(23歳以下代表)がブラジルに勝てたのも、西野がブラジルを分析し尽くして、ああいう守備的な戦術しかないと判断した結果うまれた奇跡なんだから。たとえつまらないサッカーだと批判されようと、結果として勝点3を奪うことが肝要であって、最悪でも勝点1を確保するような試合運びを期待したい。まぁ、ありえないでしょうが。 (続)

 
  1. 2006/05/22(月) 02:27:52|
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婦中埋蔵文化財資料館に展示された利蔵の模型(Ⅱ)

 富山市教育委員会より研究室宛に、郵便物が届いており、中には新聞記事の切り抜きが添付されていました。

 その記事は、2006年5月9日付けの富山新聞に掲載されたもので、富山市婦中埋蔵文化財資料館にて竪穴住居の復元模型の展示が始められたことを報じていました。さて、もうご存知の方がいるかとは思いますが、この復元模型は2期卒業生、利蔵が制作したものです。(某大学院生)


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  1. 2006/05/21(日) 01:39:47|
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新歓コンパ@そば切り「たかや」

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 いままで研究室の椅子に横たわり、ぐうぐう寝ていた。学生たちは拙宅に近いカラオケ店で熱唱し続けているはずだ。自分も参加しようと思っていたのだが、体が言うことを聞かなかった。
 今日は「新歓コンパ」。ゼミに入ってきた3年生を歓迎するための宴会である。会場は、そば切り「たかや」。4月6日のブログでお伝えしたとおり、「たかや」は古郡家のJA農業倉庫を改装した蕎麦屋で、木造建築のリニューアル例としては面白く、蕎麦は新潟のへぎそばに似た清涼感のある絶品であり、なんとかこのお店で「新歓コンパ」ができないものかと思っていた。
 実際、そうしたい、と学生の前でつぶやいた記憶がある。ところが、問題は営業時間であった。そばきり「たかや」の営業時間は午前11時半~午後3時に限られているのである。ところが、GW前から3年生のtomatoさんが、ひょっとしたら「たかや」でコンパができるかもしれない、と口走るようになった。友人のTさんを介してご主人に重ねて依頼したところ、いちどは断られたにも拘わらず、「たかや」でのコンパは実現にむけて動きはじめた。ひとつのネックはバイトの方が夕方居なくなることだったのだが、これはtomatoさん自身が対応することになり、われわれが中国工業を見学しているころから、tomatoさんは「たかや」の厨房で準備を進めていた。

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 夕方8時前からコンパはスタートした。前菜となる冷菜各種から始まり、蕎麦を使った冷たいスパゲッティや暖かい蕎麦寿司などを経て、最後には何杯もざる蕎麦のお代わりをした。そして、デザートは「そば饅頭」。教員・学生全員が厨房に入り、蕎麦粉を丸めて餡をくるみ、きな粉をかけて食べた。
 たいへん美味しかった。そして、酔っぱらってしまい、研究室で大イビキをかいた次第。

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 そば切り「たかや」 
 〒689-1125 鳥取市古郡家105
 【旧JA跡_NPOくらしのお手伝いよねさと内】
                  ℡ 057-53-4078
  営業時間/午前11時半~午後3時 火曜定休
[新歓コンパ@そば切り「たかや」]の続きを読む
  1. 2006/05/20(土) 01:33:13|
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チャックのインターンシップ紀行(Ⅰ)

 今日、自分のインターンシップ先になる(なってほしい)予定の中国工業株式会社の本社糸谷工場を先生ほか3名で訪問した。インターンシップ前の顔見せを兼ねてである。「君のインターンシップ先にとても良いところがある」と、先生から言われたのが約1ヵ月前。それから先生に何度か先方に連絡を取っていただき、日程を調整後、訪問が実現した。じつはこの日のために2回も下見に行ってしまった。1回目は所在地の確認。2回目は道のりの再確認である。中にも入らず門前にて一人、訪問する日を思っていた。
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ウッドファクトリーは平成九年度の間伐材等利用技術開発促進補助事業。
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 余談ではあるが、この会社の社長のHさんとA教授は高校の同級生。そのおかげと言ってはなんだが、このことを聞いたとき、友人や縁というのはやはり大事にしなければと思った。
 大学から約15分のところにある工場に着いたのが15時。事務所に通された見学メンバーは、社長のHさんから直接パンフレット等で会社の説明を受けた後、間伐材等利用技術開発促進事業によって建てられたウッドファクトリーから順に工場内を見せてもらうことになった。入り口をくぐると、新築の家に入った時のような木の香りが鼻をくすぐった。工場内は大型の機械が並び、中では2名が材を加工していた。自分はうなる回転のこぎりにビビッてしまい、こんなことでインターンシップを乗り切れるのか不安になった。

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↑↓ブリケット(おがくずを固めた燃料)とそれを製作する機械。
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 次に大型乾燥機。チラッと覗かせてもらったが、乾燥される木々の水蒸気で愛用のメガネが曇ってしまった。そこを離れ、次はブリケットというおがくず(細かい木切れ)を固めた燃料を見せてもらった。2400万円するという機械から出されるその燃料はタダでいただけるそうである。そのことを聞いたときの先生の目はまさに狩人であったことは言うまでもない。インターンシップ以外でもお騒がせすることは確実であろう。
 その後、実際の製作現場を見せてもらった。加工→ニス塗り→布張りといった工程で作られていく椅子。黙々と静かに磨かれていく木材。「あぁ、ものづくりの場所だ。」と、当たり前のようなことを感じてしまった。
 将来の職に対する意識が高まった訪問でした。
 最後に、社長のHさんには出張と出張の忙しい合間に丁寧に案内して頂き、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。(チャック)

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↑中学校の学生机

  1. 2006/05/19(金) 19:14:47|
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床下にもぐる女たち(Ⅰ) -加藤家修復のための基礎調査

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 今日は加藤家の床下と小屋組の調査を、3班に分かれて行いました。私たちは床下を調査しました。まずは、畳を上げて板をはがしました。しかし、これが大変。釘は深く埋まっていて、Y先生に教わったとおりに抜こうとしても、なかなか抜けません。ようやくコツをつかんで板をはがして、床下の調査に取り掛かっていると、もう一方の班は悪戦苦闘中でした。なんと、釘の頭が吹っ飛んで、そこから先に手が付けられないのです。「ここは協力するべきだ!」と部長の責任感に火がつきました。まずは、床下にもぐって匍匐前進。現場にたどり着き、上にいるヒラが場所を指示、床下の部長が降り注ぐ埃の中懸命にかなづちを振ります。しかし、とれないのです。何度やっても駄目だったため、隣の板をはがしにかかると、簡単に取れました。ようやく作業を再開し、部長とヒラの二人が床下にもぐり、調査を行いました。見えない埃を大量に吸い込みながら、匍匐前進で全身土まみれになりながら、時には先生方のカメラのフラッシュを浴びながら、何とか調査を終えました。ちなみに、A先生からは、
  「もう嫁にはいけないな」
とのコメントを頂きました。来週以降もこの作業をするので、埃対策を万全にして、望みたいと思います。(環境デザイン学科2年部長I.A.&ヒラK.A.でした)

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↑根太・大引等の材はすべて新しく、平成11年に差し替えられたものであった。床下は乾燥していて、湿っぽくない。

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↑レベル調査  ↓架構調査
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  1. 2006/05/18(木) 22:44:58|
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回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅰ) 

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大工になりたかった男
  「廃材でつくる茶室」というテーマをはじめて公の場で口にしたのは、2003年の学期末であった。1期生が3年次に進学するにあたって、各学生は一つのゼミ(研究室)を選択しなければならない。そのゼミ紹介のガイダンスが開かれた際、学生たちに向けて「廃材でつくる茶室」をプロジェクトとして進める準備があることを示唆した。しかし、このときはまだ構想の段階にすぎなかった。
 それから1年を経て、1期生が4年次、2期生が3年次に進学するあたりから、「廃材でつくる茶室」の構想が具体化に向けて動きはじめる。と同時に、一人の学生が、4年次になってわたしに指導を求めてきた。学科の規則としては、3年後期から4年にかけての1年半、卒業研究に向けての一体化した教育をおこなうため、学生のゼミ(研究室)移動を認めていない。ところが、このころから、一部の学生には指向性の変化があらわれる。岡村浩道も、それまではインテリアやデザインに対する興味を漠然ともっていたのだが、3年後期の終盤あたりから、日本建築の魅力に取り憑かれ、ついには友人たちに、
  「宮大工になりたい」
とまで口ばしるようになっていた。
 岡村は鳥取環境大学のサッカー部に所属する有能なストッパーでもあった。わたしは、そのサッカー部の顧問を務めており、ゼミにはタクオ(清水拓生/MF)、ヤンマー(山本豊/MF)、マッツン(赤松大輔/GK)という3名のサッカー部員を抱えていた。いずれも岡村と同期の1期生である。この3名が、しばしば岡村の情報を内々に知らせてきた。
  「オカム(岡村の愛称)がうちのゼミに来たい、って言ってるんですよ。大工になりたい、っていう気持ちがどんどん強くなっているみたいです。」 
 わたしは黙っていた。自ら動くことはできなかったのである。くりかえすけれども、3年後期以降における学生のゼミ変更は認められていない。だから、たとえば、わたしのほうから、
  「うちのゼミに来いよ!」
とは、口が割けても言えない。誘ってはいけないのである。
 しかし、本人がどのような課題を卒業研究とするのかは自由である。その研究課題のテーマを指導する教育者として、わたしが最もふさわしいと判断される場合、わたしにはその学生を指導する義務が生じる。ゼミは変われなくとも、わたしが岡村を実質的に指導することは不可能ではない。一方、 岡村はすでに「大工になる」という決心と、「廃材でつくる茶室」を卒業研究のテーマとする決意を固めていた。4年次になってまもなく、岡村はわたしの研究室にあらわれ、自分の思いを告白した。
  「タクオやヤンマーから聞いていたよ・・・」
とわたしは答えた。わたしは喜んで岡村を指導しよう。指導したいと思っている。ただし、いま所属するゼミの先生に対して、わたしのほうから「岡村を指導したい」と頼むことはしない。自分の指導教員に対しても、自ら説明して欲しい、と岡村に告げた。しばらくして、岡村の所属するゼミの教員がわたしの部屋にあらわれた。
  「岡村をあずかってください、お願いします」
と依頼された。こうして、岡村と「廃材でつくる茶室」が一つのフォーカスの中に収まったのである。 (続)

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  1. 2006/05/17(水) 01:11:51|
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のびたインタビュー(Ⅴ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 15日、とうとうヴェルトマイスターシャフトのメンバー23人が発表されました。激戦のFW陣では、久保がはずれ、巻がすべり込むというサプライズがおきました。この選考について、A先生に聞いてみました。

N: 久保が落選しましたね。
A: コンディションが悪かったからね。スコットランド戦でも消えてしまっていて、久保と柳沢の両方を選ぶのは疑問だとコメントしておいたでしょ。
N: 柳沢はどうなんでしょうか?
A: 可愛いんでしょ、ジーコは。監督がジーコでなければ、柳沢は選ばれていなかっただろうね。
N: 選手選考について、総括するとどうなりますか?
A: まずアテネ五輪世代に冷たかったことですね。残ったのは駒野だけですか。平山、大久保、今野、松井のうち2名ぐらいは選考してほしかったね。ドイツの次のW杯のことを考えても、経験を積ませておきたかった。
N: ほかには?
A: だから、松田を選ばなかったことですよ。松田に関しては、「干した」という表現が適切かと思うね。
N: トルシェJAPANとジーコJAPANの23名を比べてどう思いますか。
A: トルシェはひどい人物だったよね、監督としてはありえない人物だとは思う。対して、ジーコは経歴は素晴らしいし、人格者であると思います。しかし、二つのチームを比べると、トルシェJAPANのほうが強かった、と言わざるをえないかな。
N: どう違うのですか?
A: ポジションやシステムを比べてみればいい。
N: ではまずゴールキーパーから。
A: トルシェは楢崎、ジーコは川口。4年前の楢崎のほうが今の川口よりは上ですよ。わたしの位置づけでは、川口は代表の第3キーパーなんだけどね。
N: つぎにディフェンス。
A: トルシェは例のフラット3ですよね。フラット3の最大の問題点は、オフサイド・トラップをかけすぎて裏をとられるところですが、それを控えればいいわけでして、W杯初戦のレギュラーは、左から中田浩、森岡、松田でした。安定感がありますよ。一方、ジーコはどうやら4バックを選択しそうでして、左からアレックス、中澤、宮本、加治でしょ。なんども言うけれど、この4人では守れない。アレックスのサイドを集中して攻めれば、中澤が引き寄せられて、そこからクロスを上げられ、宮本とFWの1対1になってお終い。厳しいですよ、ボランチがよほど守備的でないと・・・
N: 中盤はどうですか。
A: トルシェはボランチに稲本と戸田を並列させていた。二人とも守備能力が高い。稲本は攻撃好きだけれど、そのカバーは右ウィングバックの明神がうけもっていた。明神の守備能力も高かった。今回のボランチは、一方が福西で、他方が中田もしくは小野。やはり守備能力に不安が残る。中田は攻撃の基点になるけれども、前に上がりたがるので、その裏を突かれやすい。アレックスや加治のカバーもシステム化できていない。トップ下は前回が中田、今回が中村でほぼ同等。トルシェが賢かったのは、ウィングバックの使い方で、小野を先発させ、後半途中でアレックスに替えた。これは妥当な戦法です。ジーコの場合、4バックだろうが3バックだろうが、アレックスの先発。ここに矛盾が集中していることに気づいていない。4バックの場合は中田浩、3バックでは小野を先発させ、後半途中からアレックスに交替させて攻撃に出るのがいいと思うのね。なぜかといえば、先取点を取られたくないから。
N: 最後にトップです。
A: 高原が初出場だけれど、前回も今回もFWは弱いよね。FWで点が取れそうなイメージが湧かない。取れるとしたら、途中交替から大黒のゲット。何度も言ってきたけれども、1トップで先発させて、後半途中から大黒を投入し勝負に出る。要するに、アレックスと大黒は切札としてとっておくのです。
N: トルシェの失敗は?
A: 中村を23人のメンバーから外したこと、フラット3で極端なオフサイド・トラップにこだわったこと、トルコ戦で大きくメンバーを変えてしまったことでしょう。
N: ジーコはトルシェの成績を上まわれるでしょうか?
A: 難しいね。ワールドカップはそんなに甘くない。わたしは予選リーグ敗退とみています。最悪の場合、2敗1分の勝点1で終わるのではないか、と予想しているんだ。そして、F組を突破するのはブラジルとオーストラリアだろう、とも。(続)
  1. 2006/05/16(火) 01:40:07|
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妙見三重塔と出雲大社

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 戦国時代の動乱期、出雲大社の境内は仏教寺院の色合いを強めていた。いつのころからか、浮浪山鰐淵寺との関係が緊密化して神仏習合が進み、尼子や毛利の戦国大名も大社の仏教化を加速させていった。そのクライマックスは、豊臣秀頼を願主とする慶長度の遷宮造替とされる。このとき本殿から宇豆柱(独立棟持柱)が失われ、本殿は出組の組物をもつ疑似仏寺様式に姿を変えてしまう。しかし、仏教による大社支配はまもなく終焉を迎えた。
 続く寛文度の遷宮造替では、「唯一神道」を標榜する廃仏化が境内全域で進行し、本殿も周辺諸社と近似する素朴な大社造に復古する。このとき境内に建てられていた三重塔が但馬の名草神社に移築された。これは近世出雲大社史における常識の一つであり、わたしも拙著(『出雲大社』)において、そのように記述した。ところが、厳密に言うならば、それは誤りのようである。
 但馬の工務店で働くタクオが5月4日に送信してきたメールと写真が、三重塔に対して抱いていた誤解を改めるきっかけとなった。まずはメールの原文を引用しておこう。

  「PS: 先週、妙見三重塔を見てきました。出雲大社の柱にも使われた
   という、大径木の妙見杉に囲まれ、ひっそりと厳かに佇んでおりました。」
 
 ここにいう「妙見三重塔」がいわゆる「名草神社三重塔」に相当するものであろうことは、なんとなく想像できる。『名草神社三重塔と出雲大社』(八鹿町教育委員会、1997)をひもとくと、山田宗之氏は「名草神社は中世から近世には妙見宮といって、肥後八代妙見・下総相馬妙見とならんで但馬妙見として日本三大妙見の一つに数えられています」と述べており、この理解は『町史』や観光パンフレット等の記載とも一致する。但馬妙見宮が名草神社になったとすれば、「大社の三重塔が名草神社に移築された」と叙述することに大きな問題はない。

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 ところがネットで検索したところ、「妙見宮=名草神社」を俗説として痛烈に批判するサイトを発見した。執筆者がよくわからないのだが、とくに以下の2つのサイトに先鋭的な批判を展開している。

 1)「名草神社」を巡る「俗説」批判
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken44_4.htm
 2)妙見三重塔、寛文の移転(移築)
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken42.htm

 著者によれば、「帝釈寺日光院妙見宮」「延喜式神名帳に記載のある名草神社(式内社名草神社)」「現在の名草神社(明治創建名草神社)」は全く別のものであるという。その根拠は以下のとおり。
 ○「延喜式神名帳」の「名草神社」には祭神・鎮座地の記載はないため、祭神・鎮座地は不明とするほかない。鎮座地が石原山<妙見山>であった可能性もないわけではないが、「延喜式神名帳」以降の消息も全く不明で、早い時期に廃絶したものと思われる。
 ○寺伝によると、帝釈寺は飛鳥期の創建とするが、定かではない。しかし、中近世には多くの文献などが残されていて、帝釈寺妙見宮及び妙見信仰は隆盛であった。
 ○豊岡県などの文献(布告など)によると、現在の名草神社は明治の神仏分離及びその後の国家神道の体系化によって、帝釈寺境内を包含して新しく創出された神社である。

 「鰐淵寺文書」によると、大永八年(1528)、尼子氏によって、出雲大社(杵築大社)の三重塔は境内に竣工する。それが寛文四年(1664)になって解体され、但馬の香住経由で帝釈寺日光院に運ばれて再建された。興味深いことに、妙見山には昔から塔があったらしく、老僧の言によると、天正年間頃に焼失したという(佐草自清「御造営日記」)。サイトの著者はこれを羽柴秀吉の兵火と関連づけている。大社から移築した三重塔は焼けた塔の復興を企図したものであった可能性が高いわけで、それはあくまで帝釈寺という密教寺院の境内において再建されたとみなさければならないであろう。
 詳細な検証を試みたわけではないけれども、きわめて説得力のある解釈だと思われる。尼子が建立した大社の三重塔は、名草神社ではなく、妙見山帝釈寺日光院に移築されたものであり、だからこそ「妙見三重塔」と今も呼ばれているのだろう。

  1. 2006/05/15(月) 04:16:52|
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のびたインタビュー(Ⅳ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。
 
 キリンカップの第2戦、スコットランド戦が終わりました。結果は0-0の引き分け。日本は3ヶ国中、最下位という成績に終わり、W杯に不安を残してしまいました。

N: 昨晩のスコットランド戦はご覧になったんですか?
A: あぁ、ビデオでみたよ。
N: ビデオですか、なんか、やる気を感じませんね。
A: いまの日本代表は、ライブで見るには値しないチームです。
N: スコットランド戦の結果をどうとらえていますか?
A: だから、実力でしょ、実力。
N: 結構、攻めてましたよね、日本は?
A: ありゃ、攻めさせられたんだよ。
N: 攻めさせられた?
A: そう、典型的なアウェーの試合運び。
N: スコットランドは2日前、ブルガリア相手に4-1で大勝してましたから、日本には2点取られても優勝できたわけです。だから、そんな頑なに守る必要もなかったように思いますが。
A: 疲れていたんだよ。中1日で試合して、体力を消耗しているから、省エネで最善の結果をもたらす方策を選んだんだ。さすが、ヨーロッパでユーロやW杯の予選を戦っている国だと感心したね。したたかです。
N: スコットランドは、どういうふうに守ろうとしたのですか?
A: 5バック3ボランチって感じかな。ディフェンダーがパチンコの釘みたいにたくさんいて、どこにもスペースがない。いまの日本では崩せないね。
N: とくに気になった点はありましたか?
A: 久保が消えていた。久保は、アジアレベルでは突出した高さをもつフォワードだけれど、ヨーロッパ相手になると小さくみえる。コンディションそのものもよくないし、ドイツに連れていく価値があるのか、疑問に思ったよ。たぶん高原も通用しないだろうけれど、ドイツで揉まれている分だけ、久保よりましだろうね。ともかく、高さでは通用しない。要するに、クロスは効果がない。小野や小笠原のようなスキルのある中盤が細かくパスを回して、バックの裏にすりぬけるしかないんだけれど、今日のフォワードはそこまでの動きができなかった。
N: だれだったら、点が取れそうですか?
A: ワールドカップで点をとるイメージがするのは、・・・大黒だね、大黒だけです。
N: ほかに点を取る方法はないのでしょうか?
A: 俊輔のフリーキック。これは大きい。日韓W杯では、この切札を、トルシエはあえて捨てたんだからね、自殺行為だった。4年前、俊輔がいれば、トルコ戦で同点に追いついていたかもしれない。
N: 結局、点を取れそうな選手は、大黒と俊輔ということですか? ほかにいませんかね。
A: 俊輔のプレースキックから福西や中澤のヘディングシュートというパターンもあるんだけれど、やはり高さでは欧米に敵わない、と思う。
N: まもなくW杯登録メンバーが発表されますが、先生がFWを5人選ぶとしたら、だれですか?
A: 高原、西澤、平山、大久保、大黒。
N: ジーコはどう選ぶでしょうか?
A: 高原、久保、柳沢、大黒、玉田ってとこでしょうか。久保と柳沢は故障あがりだから、選ぶとしても、どちらか一人にしてほしいね。
N: スコットランド戦で収穫はなかったのでしょうか?
A: ブルガリア戦と同じで、小野の復調がはっきりと目にみえてきたね。フェイエノールト時代のコンディションに戻りつつある。
N: 俊輔やヒデとのコンビネーションが楽しみですね。
A: そのとおりなんだけれど、両刃の剣でね。小野が好調だと、中盤を4人にしたくなる。その結果、ジーコは4バックで試合に臨む可能性が高くなる。そうなると、大量失点の危険性も大きくなる。小野を中盤に加える場合、ディフェンスは3バックのままとして、2トップを1トップに替えるべきだよ。
N: 今日の4バックは安定していたじゃないですか?
A: 相手が攻めてこないんだから、安定もへちまもないさ。スコットランドは点を取る気がなかったんだから。(続)

 data: 5月13日 キリンカップ第2戦(埼玉スタジアム)
     日本 0-0 スコットランド

  1. 2006/05/14(日) 02:47:48|
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2005年度「知の財産」研究報告書の刊行

 このたび、『市町村合併にともなう文化財の地域問題-鳥取市歴史的建造物のデジタル・マッピングを中心に-』が刊行されました。これは昨年刊行した『鳥取市歴史的建造物調査研究-鳥取市歴史的建造物等のデジタル処理による目録・地図作成-』の成果を継承し、発展させたものです。

 ちなみに『鳥取市歴史的建造物調査研究』は一期卒業生、Tムラ先輩の卒業論文を基にしています。当時の鳥取市は、市町村合併前でしたが、調査対象物件数は民家・社寺あわせて約700件にのぼりました。これら対象物件のひとつひとつを巡り、GPS 端末を用いて位置座標の取得とデジカメで撮影し、それらのデータを用いて電子地図に読み込みます。この作業により、この電子地図上で撮影写真を閲覧することが可能で、歴史的建造物の位置検索が容易にできます。

 さて、『市町村合併にともなう文化財の地域問題』は、合併後の鳥取市全体を調査対象としています。その数は民家・社寺あわせて1176件を調査し、収録しています。巻末にデータディスクを添付しており、報告書とあわせて活用していただければ幸いです。
 このほか、旧町村指定文化財3件、旧加藤家住宅移築土蔵と2期卒業生、宮本君の卒業研究である湯梨浜町尾崎家住宅の保全再生計画を掲載しています。
 この報告書の成果が鳥取市、鳥取県における建造物の登録や指定の基礎となることを願っています。(某大学院生)

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  1. 2006/05/13(土) 01:01:30|
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風化する長城

 連休前、東京新聞特報部から電話で取材を受けた。
  「ご存じだとは思いますが、世界遺産の万里の長城が風化などで消失していってまして・・・」
と切り出され、あぁそうなんですか、と答えてしまった。某大学院生やら某助教授は、このことをよく知っていたのだが、取材される本人が何も知らなかったのである。鳥取にいると、チョンガーなので、家に新聞を取っていない。新聞を読むのはもっぱら蕎麦屋や喫茶店においてであり、あとはテレビをみるか、ネットのニュースをクリックする程度なものだから、このありさまなのである。
 それにしても、なぜ、わたしが取材の対象になるのだろうか。不思議に思って問うたところ、ネットで「中国」と「遺跡」(あるいは「文化遺産」)をクロス検索したら、わたしの名前が出てきたのだそうだ。取材には、ぺらぺら答えてしまった。奈文研時代にはマスコミからの問い合わせが煩わしく、中田かイチローのごとき無愛想な応対しかしなかったものだが、最近は取材が減ってしまい、結構饒舌になる自分に呆れてしまう。結果、長城はさておき、雲南省の世界遺産「麗江」の町並みの捏造について長話をしたら、下のようなコメントが掲載され、本日、7日付けの新聞が大学に郵送されてきた。
 中国は世界遺産の大好きな国だが、文化財保護に対する意識が高いかといえば、まったく低い。下の記事によれば、農民たちは長城の日干煉瓦を建材として持ち帰っている。漢長安城桂宮の発掘調査では、調査トレンチのエッヂに大量の大便がとぐろを巻いていたこともある。
 中国人はただ「世界遺産」というお墨付きだけを愛していて、オリンピックやW杯の誘致とおなじレベルの仕事だという認識のもと、その登録事業にがむしゃらに取り組んでいる。それは国威の発露であり、「中華思想」表現の一形態のように思われてならない。

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  1. 2006/05/12(金) 01:17:49|
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杉苔の絨毯

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 連休があけて、加藤家の庭は花盛り、白や薄紫や赤いサツキ、黄色い菖蒲が池畔を彩る。また、杉苔はあたかも絨毯のように庭の全体にひろがり、みずみずしい緑の織り糸に露を滴らせている。その姿は芝生にも似ているが、芝生には杉苔のような濡れた艶やかさがない。日本人の心性に訴えるのは、あきらかに杉苔のほうである。

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 加藤家の庭に繁茂する杉苔をみていて、不思議に思った。苔は樹陰に生育する。陽光のあたらない湿っぽい場所が、かれらの生存に適した環境だからだ。ところが、加藤家では、陽光がふりそそぐ庭の中心部に杉苔がパウンドのような厚みをもってひろがっている。
  「水位が高いんですね、とすれば、家の基礎が心配になります」
と指摘したのは、某助手であった。
 まことに適格な示唆であった。庭に面する南田石(福部産の凝灰岩切石)が近年著しく破損しているのも、水位の高さという理由で説明できなくはないだろう。水位の変化を誘因したものは何か。ひょっとしたら、裏山で進む姫鳥線(高速道路)の工事と関係するのかもしれないが、もちろん、そういう理解を裏付ける科学的根拠があるわけでもない。

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 午前中、加藤家に木造住宅推進協議会(木推協)の重鎮をお迎えした。「ローコストによる古民家修復」の意義を切々と訴えたところ、深くご理解いただき、まずは加藤家主屋に顕著な不同沈下の修正について貴重なコメントを頂戴した。さらに、今後は、住宅全体の修復&リフォームに対してプロジェクト・チームを結成すべきという合意にほぼ達した。鳥取環境大学浅川研究室と木推協による共同のプロジェクトが本日をもって胎動することになったとすれば、ちょっとした記念日として後世に語り継がれるかもしれない。

 午後はP1&P3(1・2年)に3・4年の3名を加えた測定班が民家内で実測に励んだ。じつは、この日、4年の某移籍選手がデビューした。岡村、ノビタに続く移籍組で、毎年一人必ずあらわれるからおもしろい。いずれじっくり紹介したい。

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  1. 2006/05/11(木) 23:50:53|
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「榎欅草堂」を訪ねて -古民家探訪Ⅳ

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 今日は初めての1、2、3、4年生合同でのプロジェクト研究を行いました。加藤家の修復については、以下のA・B・C・D・E班に分かれて活動を行うことになりました。

 A:古材バンク班(古材の収集と整理)
 B:イロリ班(イロリ・自在鉤・火棚の復原)
 C:測定班(柱傾斜、床レベル、伏図・断面図等の実測と修復のための基本設計)
 D:模型制作班(加藤家主屋1/30模型の制作)
 E:情報発信班(加藤家ホームページの制作)

 わたしはA・B・E班の総勢25人余りと旧八東町の保木本家住宅の見学へ行きました。C班は加藤家、D班は大学の演習室で活動しました。 
 保木本家裏手の駐車場に降りると、見えてきたのが大きな榎(エノキ)。保木本家は別名「榎欅草堂」ともいい、正面にケヤキ(欅)の巨木、背面にエノキ(榎)を配しているのです。エノキの大きさに感動しながら、塀をこえ内部へ入っていきます。この家は長く空き家でしたが、4年ほど前から環境大学の1期生ゴルゴさんがハナレに住むようになりました。しかし、ゴルゴさんは最近大阪で修行中でして、今日はご不在でした。みたところ、屋敷や庭は少々廃墟化しているようです。壁につたがはえ茂りうっそうとした雰囲気。主屋は芽葺。幕末から戦前にかけて築かれた建築と庭園の複合遺産です。主屋内部には囲炉裏があります。火を起こし囲炉裏を囲んでの保木本家住宅の説明をわたしが担当しました。それが終わると、庭園の探索です。庭はまったく手入れがされていなく、緑を掻き分け奥に進んでいきます。ただ、手入れしたらすごくきれいな庭になるにちがいないのでもったいないです。見学が終わると、各班に分かれて活動し、終了しました。(環境デザイン学科4回生Y.A.)

大きな榎

保木本家住宅の平面・配置図

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  1. 2006/05/11(木) 18:50:17|
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のびたインタビュー(Ⅲ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 昨晩は、某大学院生宅でキリンカップの日本対ブルガリア戦を観戦しました。わたしが某院生宅に到着したのはハーフタイムでしたから、後半しかみていません。ところが、先生は酔っぱらって眠ってしまいました。

N: 先生、ぐうぐう眠ってましたね。
A: あっ、アラックが効いたのよ・・・
N: アラックて何ですか?
A: スリランカの焼酎。
N: 美味しいんですか?
A: ブランデーのような味がするんだ。スリランカでは毎晩飲んでたよ。
N: イビキ、うるさかったですよ。
A: 連休疲れ、ブログ疲れです。
N: ブログ疲れ??
A: 2期生が卒業して、わたしの代わりに書いてくれる学生が減ったから、毎日わたしが書かんといかんのでね。
N: えっ、こうしてぼくが書いているじゃないですか。
A: ・・・・・
N: それに、眠っちゃったら、ゲームみれないじゃないですか!?
A: それがさ、高野山で経験した結縁灌頂のおかげでさ、眠っていても心は開いているんだ。このごろ、眠っても自分のイビキが聞こえるしね、眠っていても心眼がサッカーをとらえているんだ。大日如来が放つ光線は、物体の裏側まで照らして陰影をつくらない。これを「遍照」というんだ。すべてはお見通しさ。
N: ???・・・では、まずゲームの総括から御願いします。
A: 実力でしょ、あれが日本代表の実力ですよ。ボスニア戦が海外組を含めた実力、ブルガリア戦は国内組の実力です。
N: 何が悪かったのでしょうか?
A: 何が良い悪いもない、開始1分に先取点を取られ、終了1分前に決勝点を奪われる。チームとしては最低だね。監督更迭でもおかしくない内容だよ。
N: 監督更迭ですか?
A: そう。そうするしか、チームを立て直せない。あたらしい監督が守備の組織を根本的に改めるしかない。
N: 間に合いますか?
A: Jリーグの監督ならできるんじゃないか。オシム、岡田、西野、この3人ならジーコよりまともな守備組織が作れるでしょう。
N: 現実的にはありえませんね。
A: まぁ、ありえない。
N: 昨日の場合、どこに問題があったのでしょうか?
A: いちばん問題化しているのは、中澤だね。中澤はJリーグでも不調で自信を失っている。聞くところによれば、カウンセリングを受けているというじゃないか。昨日の失点の1点めでも、マンツーマンにとまどっていた。あそこは、なんとしてでも横パスを出させてはいけないところなのに。
N: また、左サイドをやられましたね?
A: 先発の村井が高いポジション取りをした裏をつかれたわけだ。3バックなんだから、中澤がもっとガチガチの対応をして、宮本がそのカバーにまわるしかなかったね。
N: 3バックでも失点しましたね?
A: そう、ホームの3バックで、左サイドを破られて失点した。アウェーで4バックだとどうなるか、考えるだけで恐ろしい・・・
N: 川口はどうですか、最後の失点?
A: やっぱりですね、世界クラスのキーパーは、チラベルとかカーンとかレーマンは、K1やプライドのような格闘技をやってもおかしくないごつい体格をしている。日本代表の守備のセンター線は、宮本も川口も小さい。高さに苦労する、というか、ばんばん点を取られそうな予感がする。
N: フォーワードの生き残りに注目が集まっていますが。
A: 昨日出場した3名は、たぶん落選だろうね。
N: 玉田が好調のようにみえましたが・・・
A: いや、玉田は中途半端な選手だと思う。ああいうドリブラーはアジアでは通用しても、欧米相手には厳しい。ロナウジーニョじゃあるまいし、何人ものディフェンダーを置き去りにするようなドリブルができる選手じゃないよ。それにね、シュートがポストに嫌われている。いくら惜しいシュートを打っても、入らないものは入らない。玉田がW杯で得点するシーンが想像できない。
N: FWはだれが選ばれるのでしょうか?
A: 高原、久保、大黒は間違いないでしょ。柳沢はケガから復調していないので、外されても仕方ないはずだが、たぶんジーコははずさない。
N: 鹿島だから?
A: そのとおり。
N: もう一人選ぶとしたら、誰になるでしょうか?
A: わたしなら、大久保だけどね。でも、ジーコは選ばない。
N: なぜでしょうか?
A: 生意気で態度が悪いから。松田もきっとそうだよ。フランス大会でセレソンからロマーリオを外したのも、おなじ理由だと思うね。そういう選手を調教するのが、監督の仕事なんだけどさ。
N: ほかに候補者は??
A: 次世代の代表につなぐ意味では、平山を選ぶべきだと思うね。
N: 選ばれるでしょうか?
A: 難しい。これまで一度も選ばれてないでしょ。
N: 昨日の試合に出たFWで、敢えて選ぶとすれば?
A: わたしなら、佐藤を選ぶ。相手のチームが嫌がる選手でないと意味がないわけ。欧米の大柄のディフェンダーたちは、おそらく高原も久保もそう怖くはないだろうけれど、たぶん大久保、大黒、佐藤タイプのFWは嫌なんじゃないかな。
N: どうしてでしょうか?
A: 目線の下に頭があるでしょ。気が付いたら、脇の下をすり抜けて、裏を取られるっていう感じかな。
N: ラリアット喰らわそうとして、ぶんまわした腕が頭の上で空回り?
A: 上手いね、おまえ。
N: ブンヤですから。
A: 営業っていう噂を聞いたぞ・・・
N: ・・・・・、昨日の試合でなにか収穫がありましたでしょうか?
A: 小野が復調してたよね。切り返しのフェイクとか、ノールック・パスとか。昨日のメンバーの中で欧州水準にいるのは、やはり小野だけだと思った。
N: あれだけイビキをかいて爆睡していたのに、よくそれだけ記憶に残ってますねえ。
A: いや、あとでニュースを見ただけだよ。(続) 

  data: キリンカップ第1戦(5月9日@長居スタジアム)
    日本1-2ブルガリア
  1. 2006/05/10(水) 16:55:49|
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黄色い星屑

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 五月になると、御所野はタンポポで埋め尽くされる。町には桜が満開、遺跡にはタンポポが花盛りだ。センター施設の前にひろがる芝張りの広場だけ、芝の成長が遅くて緑色は薄いが、その周辺では完全に緑を取り戻している。雑草の生命力は強い。雑草の中にタンポポは咲いている。緑の夜空に咲く黄色い星屑のようだ。

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 タンポポの漢字名は「蒲公英」という。蒲公英(ほこうえい)とは、なんとも堅苦しく、馴染みの薄い呼び名だが、どうやら漢方薬としてのタンポポの名称でもあるようだ。厳密に言うと、タンポポの根を乾燥させた生薬が蒲公英であって、健胃・利尿に効がある。蒲公英は中国語ではタンポポそのものの呼称でもあるのだが、日本の場合、草としてのタンポポを「蒲公草」と呼び分けることもあった。
 和名「たんぽぽ」の語源については諸説あるようだが、一説に「たんぽ」は湯たんぽの「たんぽ」と同義で、種子の冠毛が丸く集まる姿を「たんぽ」に見立て、「たんぽ穂」と呼んだのが始まりともいう。「たんぽぽ」の語感は可愛らしく、愛嬌があって、たとえば「たんぽぽのような少女」と表現すれば、田舎臭いけれども、純で明るくて、まんまるな瞳をもった女の娘をイメージさせるだろう。

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 御所野の土屋根焼却実験跡の脇には、ヤエザクラとヤマザクラも咲いていた。サクラはバラ科であり、ヤエザクラ(八重桜)はたしかにバラを連想させる改良品種の傑作ではある。一方、ヤマザクラは野生種であって、中国では「野櫻」とも「山櫻」ともいう。ヤマザクラの素朴な美しさは日本人の美意識をくすぐるけれども、驚いたことに、御所野の焼失住居跡で出土した炭化材のうち2例がヤマザクラに比定されている。縄文人は、すでにヤマザクラの美を知っていたのである。
 ヤマザクラももちろんバラ科だが、バラにはみえない。西日本ではヤマツツジも咲き乱れている。それは、わたしが最も好きな花だ。ヤマツツジはもちろんツツジ科であって、バラではない。バラの対極にあるのが、ヤマツツジだとわたしは勝手に思っている。
 「酒とバラの日々」という有名なバラードをご存じであろう。このバラとは、都会の夜に似合う厚化粧した女性のこと。ヤマツツジには、その真逆の美しさがあって、山の中で見惚れているうちに、根株ごと抜いて家に持ち帰りたくなる。いちど真剣にヤマツツジを自宅の庭に移植しようとした経験もあるのだが、庭に植えたヤマツツジは、山でみる端麗な容姿が霞んでみえた。山に咲くヤマツツジが稟として美しい。

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[黄色い星屑]の続きを読む
  1. 2006/05/09(火) 02:13:42|
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のびたインタビュー(Ⅱ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 前回は日本代表の守備組織について、かなり辛口のコメントを頂戴しました。宮本やアレックスのファンが聞いたら憤慨しそうな内容でしたが、A教授を支持する意見もしばしば耳にします。
 今回は中盤と前線について、お話をうかがおうと思っています。

N: 前回の復習になりますが、守備の組織については、結論としてどういうシステムがふさわしいのでしょうか?
A: だから、ジーコが監督という前提が揺るがないからには、4バックよりも3バックのほうが安定感があって、間違いなく失点は少なくなるでしょうね。宮本をスウィーパー、アレックスは高い位置のウィングバックにしておけば、かれらの欠点があまり露呈しない。
N: その場合、チーム全体のシステムとしては、3-5-2になるのでしょうか?
A: そうでしょうね。ジーコは2トップが好きだから、現実的にはそうなる可能性が高い。しかし、前回のべたように、このシステムでは中盤の有能な選手の多くがベンチを暖めることになります。
N: どうすべきだとお考えですか?
A: 理想は4-5-1(4-2-3-1)だと思うのですが、ジーコのもとでは3-6-1(3-2-2-2-1)ということになるでしょうか?
N: 1トップですか?
A: そう、1トップ。日本にはディフェンスだけでなく、フォワードにも良い選手が少ない。中盤に良い選手が多いのだから、中盤を厚くするのは当然のことでしょう。もちろん、功罪両面はあるわけですが。
N: では、功罪の「功」のほうからご説明ください。
A: 3-5-2だと、中盤の選手は中田、中村、福西の3人しか使えないけれども、3-6-1にすれば、もう一人使えるでしょ。小野か小笠原か稲本あたり。また、中盤を厚くすることによって、中盤を支配できる。日本らしい早い球回しで相手にボールを捕られにくい状況を作り出せます。そして、敵のゲームメーカたちにプレッシャーをかけ続けることができます。中盤を6人にすることによって、チーム全体の守備力を高めうるわけです。W杯は、まず「負けないチーム」「失点しないチーム」をめざすべきでしてね、自分たちが勝点3をとれなくても、相手にも勝点3をとらせないようにしないと。それには、前線から最終ラインまで一体になった組織的な守備が必要です。
N: 逆に、功罪の「罪」のほうは?
A: 1トップだと前線でクサビになる選手が一人だけ。前線で「溜め」が作りにくくなります。
N: その欠点は補えるのですか?
A: モデルとして考えられるのは、全盛期のセレッソ。トップに西澤、トップ下の1.5列で森島が前後左右に動きまわる。2000年のアジア杯、ベネチアから戻ってきた名波が大活躍して、「ニュー名波」の大会といわれた中東でのアジア杯では、左のボランチに名波、左のウィングバックに中村俊輔が入って、二人のパス交換から、どちらかが西澤にクロスをあわせる。そのこぼれ球を森島が狙う。おもしろいように点がとれた大会でした。
N: いまの日本代表の場合、だれが西澤や森島の役を務めるのでしょうか?
A: 1トップの場合、ジーコは久保か高原を使うでしょうね。久保はまだ完全に復調してません。やはりドイツで揉まれている高原でしょうかね。じつは昨年の後半から、西澤の調子がものすごくいいんですよ。代表に復帰しても、なんらおかしくない。森島も現役ですが、残念ながら全盛期の切れはなくなっています。森島に代わる人材も思い当たらない。中村、小笠原、中田、小野・・・みんなパスを出すタイプで、レシーバーではない。
N: ではどうしたらいいのでしょうか?
A: まず中盤に配された選手は、どの選手も機をみて前線に駆け上がる癖をつけることでしょうね。もちろん攻守のバランスを保ちながらですが。だれかが前でボールを受けるんだというスタイルを完成させれば、相手のディフェンスは混乱するでしょうね。ウジ虫が湧くように、次々と中盤の選手が前に抜け出ていく。相手は、「もぐら叩き」で対応するしかない。
N: うまく行くでしょうか?
A: じつは秘かに稲本に白羽の矢を立てているのです。
N: ジーコが、ですか?
A: いんや、わたしが(笑)。日本では稲本=ボランチのイメージが強いけれども、イングランドでの稲本はトップ下とかシャドウをこなしてますからね。後から前に上がって点をとる力は十分ある。日韓W杯での2得点が証明しています。それと、フィジカルに強くて、守備能力が高いでしょ。だから、敵の陣営の深い位置で、ストッパーやボランチに対してプレッシャーをかけ続ける役割を課す。ジョホールバルでの北澤のような役割ですよ。
N: 森島とはちょっとタイプが違う感じがしますね。
A: もっと森島的に行くならば、大黒か大久保をこの位置で使う手もありますね。ただ、ジーコは大久保を選ばないだろうし、大黒は切り札としてとっておきたい。ジーコが1トップ2シャドウを選択する場合、カタール戦と同じく、中村と小笠原で挑む可能性が高いと思います。
N: 小笠原はどう評価されますか?
A: 宮本と同じで、アジアでは通用するだろうけど、欧米相手にどうだろうか、疑問に思っています。小野が好調なら、小笠原より格上なんだけれど、なにぶん小野自身、「好調時の40%の出来」と告白している状況だから・・・
N: 中田英のポジションはやはりボランチなんですか、3-6-1なら前で使う手もあるでは?
A: 中田と中村をツーシャドウとして前におくのは良くない。今大会、もっとも相手にマークされるのは俊輔でしょ、たぶん間違いない。初戦のオーストラリア戦から、ヒディングは中村を潰しにくるでしょうね。自分が敵方の監督だとしても、そうしますからね。中田を前においておくと、中村と同じ目にあってしまう。今大会、中村には悪いけど、敵の標的として犠牲になってもらいましょう(笑)。中村を囮にしながら、中田が低い位置からラストパスを通すんですよ。そのラストパスを受けるのは、たぶん大黒であろうと予測してます。中田はああいう動きだしの早いフォワードが大好きだから。波長が合っている。
N: ジーコはオーストラリア戦をどういう布陣で臨むでしょうか?
A: たぶん3-5-2でしょう。GK川口。3バックが左から中澤、宮本、田中誠。ボランチに中田英と福西。ウィングバックがアレックスと加治。トップ下が中村。ツートップは高原と久保でしょう。1トップの場合、久保が小笠原に変わる。このメンバーでも、そこそこの戦いができるかもしれませんが・・・・
N: 先生が監督なら、どう変わりますか?
A: 4-2-3-1。GK土肥。4バックが左から中田浩、中澤、松田、田中誠。ボランチに中田英と福西。トップ下が中村で、サイドハーフは左が小野、右が大久保。1トップ高原で行きます。大黒は後半途中から大久保に替えて投入。ここでヒデから大黒へのラストパスが通るんです。(続)

   
  1. 2006/05/08(月) 10:34:49|
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御所野から山田上ノ台へ

 御所野(岩手県一戸町)の桜は満開だった。今年の4月は寒かったそうで、花が開きはじめたのが、5月3日あたりからだったという。

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 今回、1年ぶりで御所野を再訪した目的は二つある。一つは昨年修理した大型竪穴住居の状況視察、もう一つは今年度復元する掘立柱建物の設計指導である。後者については、すでに3棟の建物をストーンサークル周辺に建てているので、それに倣えばよいのだが、問題は前者のほうである。
 6日に修復された住居をみて、正直なところ、面食らった。御所野では小型、中型の復元住居は内部の部材が真っ黒に燻蒸されて腐蝕の兆候をまったくみせていないのだが、大型の場合、容積が大きすぎて、煙の量が足りないらしく、部材は茶褐色に色づいてはいるけれども、炭素でコーティングされるほどには至っていない。また、屋根に被せた土の量が設計図よりもはるかに多く、垂木や木舞がその重圧に耐えきれなくなって折れてしまい、湿気の多い屋根土から水漏れがして、部材の腐蝕を促してしまった。今回それに対する処理として、
  1)とくに腐蝕の激しい桁から下の部分は垂木を隙間無く並べて、その上に樹皮を被せず直接赤土を被せた(樹皮が足りなかった)。
  2)桁から上については、垂木の上に樹皮を被せるのみ。
  3)雨仕舞のため、上側の樹皮を裾側の土屋根に被せるようにした。
 この結果、下にみるような外観に姿を変えてしまったのである。

20060507221807.jpg

 高田館長に対して、以下の問題があると指摘した。
  a)屋根土の量を減らすことは必要なのだけれども、かりにこういう屋根構造であったとしたら、竪穴の中心部分が焼けて部材・焼土がほとんどない状況が確認されるはずだが、御所野西区の焼失住居では、炭化部材も焼土も竪穴の一面に残っている。
  b)周辺の復元住居との景観的不調和が生まれている。
  c)屋根土の下の垂木は箱状に並べているが、こういう出土例も確認できていない。
  d)土屋根に復元する住居においては、土と木材・樹皮が直接接しているところから腐蝕が進む。これを回避するためには、土と木材・樹皮のあいだに防水シートを敷くしかない。山田上ノ台で用いたデュポンのシートが通気性も排水性もあって有効であろう。
  e)屋根土の上に樹皮がかぶるのは不自然であり、あくまで樹皮下地の上に屋根土を被しているようにみせなければならない。その場合、たしかに雨仕舞が問題となるが、露出する樹皮は二重にして、その間に防水シートを隠すしかない。

 今日(7日)は御所野縄文博物館で簡単な打ち合わせをした後、高田さんと二人で二戸駅から仙台をめざした。昨年、高田さんには、わたしに代わって、山田上ノ台遺跡復元住居の原寸検査を担当してもらったことがある。今回は、二人で復元建物を見ようということになったのである。

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 山田上ノ台遺跡は、「仙台市縄文の森広場」として開館を7月に控えている。お馴染み吉岡さんとこのたび所長に就任された太田さんのお二人にご案内いただいた。御所野から山田上ノ台に場所を移すと、やはり「復元建物も進化している」と感じてしまう。御所野の成功と失敗を叩き台にして、復元建物の構造・外観・木割が修正され、目にみえない部分に強力な防水・防湿の配慮が隠されている。本日最高の驚きは、竣工したガイダンス施設からみた復元建物の景観であった。借景がみごとだ。新興住宅地に囲まれた遺跡であるにも拘わらず、ガイダンス施設の2階からみた復元ゾーンの背景にだけ林がめぐり、その遠方に熊野三山の高舘山(たかだてやま)が翳み望める。あまりに気分がいいので、この眺望スペースで、4人はテーブルに座って缶コーヒーを飲んだ。

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 富山の北代もそうだったが、整備前の山田上ノ台は宅地の中にある殺風景な空き地にすぎなかった。それが、こういう気持ちのよい景観ゾーンに変貌を遂げる。復元建物が市街地景観の質の向上に一役買っているとすれば、復元建物にはかすかなりとも存在意義をみとめうるのではないか。そう思い始めている。おそらく、田和山の大型掘立柱建物が契機になった。大型掘立柱建物の竣工後、田和山と宍道湖の景観が一変した。あきらかに景観の質が向上したのである。今回もまた、それと近い感触をおぼえた。
 「仙台市縄文の森広場」が近隣住民に愛される緑地になることを願っている。

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  1. 2006/05/07(日) 21:29:43|
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東華菜館とカルシウムハウス

 5月1日の夜、この3月に卒業してコンビニ業界に就職したゼミOBの西垣くんからメールが入った。
  「仕事の合間に失礼します。京都の旅行時に話していたCハウスなのですが、仕事の都合で5月5日の夜になってしまいましたが、先生のご都合が良ければ行きませんか?今回は、西垣・藤井兄・宮本がご接待をさせていただきたいと思っています。」
 Cハウスとは「カルシウムハウス」という京都の有名なショーパブのこと。ニューハーフ・ショーパブの老舗である。

20060506023845.jpg


 話は2月21日の夜に遡る。3年対象の特別講義(修学旅行)に参加していた4年の西垣、藤井、岡野とわたしはその夜の仕上げに四条畷通の「一銭洋食」で、お好み焼きを食べていた。藤井兄が、まだ遊び足りないという顔をしているので、すぐ近くに「カルシウムハウスがあるよ」という話をしたら、かれはずいぶん乗り気で、他のメンバーも「行って行けないことはない」というぐらいの反応だったのだが、正直なところ、わたし自身が疲労と浪費に悩んでいて、今回はやめておこうという決断を下した。
 藤井兄は残念そうだったが、
  「先生、初任給が入ったら、ぼくと西垣くんで先生をカルシウムハウスに招待しますよ!」
と提案したのであった。そういう気持ちをもっていてくれるだけで十分嬉しかった。初任給と言っても、たいした額ではなかろうし、若いかれらに迷惑をかけてはいけない、と思っていたのだが、1日にメールがあり、もちろん断る理由など微塵もなく、即答で快諾した。おまけに、加茂町に住む宮本は車で京都まで送り迎えしてくれるという。宮本の車は、5日の午後6時前、カルシウムハウスの前にある市営駐車場に到着した。西垣と藤井は四条大橋の上で待っていた。さて、どこで夕ごはんを食べようか。
 四条大橋の真ん中からまわりをみまわすと、「東華菜館」のビルが目にとまった。「東華菜館」は北京料理の老舗で、ビルは煉瓦造の様式建築。近づいてみると、賀茂川に桟敷を突き出してビヤ・ホールにしている。ちょっと値段は高いが、人の奢りだから気にもせず、
  「ここは美味いぞ」
と提案すると、3人はためらうこともなく、わたしの提言にしたがった。

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 賀茂川の風は心地よく、東華菜館の北京料理はなつかしい味がした。とくにお薦めは、蒸餃子。水餃子も焼餃子もあるが、いちばん北京らしいのは蒸餃子で、分厚い皮のうまさに感激する。食事は1時間足らずで終わった。まだ7時である。ちょうどカルシウムハウスの開店時間になったのだが、こんなに早い時間からニューハーフ・パブに行く馬鹿もいないだろうと、しばらく付近を徘徊したのだけれども、
  「いま行くほうが客が少なくて、ホステスさんたちがたくさん相手してくれるんじゃないか?」
と思い直し、カルシウムハウスに直行した。たしかに店は開いていたが、ホステスさんたちは控え室にたむろしていた。彼女?たちは、あきらかに早出の客に驚いていた。われわれの企みどおり、最初は4人のホステスさん(オカマ3人とオナベ一人)が対面して接客してくれた。しかし、時間がたつにつれ、客は加速度的に増え続け、対面するホステスの数は3人、2人、1人と減っていった。
 カルシウムハウスが、なぜ京都で有名なのかというと、それはこのバーを1982年に始めた梶子ママの巧みな話術(陽気な毒づき)によるところが大きい。しかも、梶子ママはホモセクシャルではない。女装しているニューハーフではあるけれども、妻も子もある職業ニューハーフで、その半生を描いた漫画が出版されている。テレビやラジオなどマスコミでも引っ張りだこの半ばタレントに近い人物としてよく知られている。
 梶子ママは9時ころ重役出勤してきた。9時半ころから、ショーがあるというので一同楽しみにしていたのだが、しばらくその気配もなく、われわれは時間を潰していった。じつは途中からメンバーは5人になった。4月の半ばから左官として働きはじめた綿野が途中から合流したのだ。綿野は高尾の現場から、直接カルシウムハウスに駆けつけた。同じ北原ゼミだった藤井兄が声をかけたのだが、聞けば、綿野は現金を30円しかもっていないという。まだ2週間しか働いていないので、初任給を手にしていないのである。
 ショーはいつまでたっても始まらなかった。そのうち、まずわたしが眠ってしまった。高野山の疲れが抜けていない。ついで綿野もうとうとし始めた。左官仕事の疲れに体が負け始めているのだ。しばらくして、ようやく梶子ママがマイクをとり、ショーのプレリュードとなるトークを始めた。われわれのグループがすでに3時間以上粘っていること、しかも二人がぐぅぐぅ眠ってしまったことをネタにされてしまった。
 「あんたら、ニューハーフのお店で口あけて眠むっとったら、チ*#ンぶちこまれるでぇ!」
といった毒づきである。
 しばらくして、西垣が携帯を操作しはじめた。そして、
 「芦屋(の寮)に帰るには、もう店を出ないと間に合いません!」
という。これは大変、ということで、ショーが始まる直前にチェックを済ませて店を出た。といいながら、今日もまた一銭洋食を仕上げにきっちりたいらげ、大急ぎで宮本の車に乗り、JR京都まで西垣と藤井兄を送り届けた。
 綿野だけはひとり四条で分かれ、阪急電車で高槻の実家に帰っていった。現金は30円しかないが、運賃カードだけはもっている。お金を使うのは煙草だけ。昼飯は母親手作りの弁当、口にする飲料は冷水タンクの水だけだという。

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  1. 2006/05/06(土) 01:31:31|
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のびたインタビュー(Ⅰ) -ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。

 ご無沙汰しています。地元N紙に就職し、はや1ヶ月がすぎました。まだ研修中の身ですが、はやくも記者魂が疼いております。なんといっても、ドイツのワールドカップが近づいて来ましたからね。まだ新聞記事は書かせてもらえませんので、このブログをお借りして、恩師でもある鬼コーチのA教授に展望をうかがうシリーズを企画しました。

N: 5月2日にキリンカップのメンバーが発表されましたね。国外組の招集はなく、国内組だけで固められています。なにかサプライズはありましたか?
A: ないでしょ、まったくない。
N: サプライズがあるとしたら、誰だったのでしょうか?
A: そりゃ、松田(横浜Fマリノス)でしょ。松田をメンバーに含めるかどうか、だれもが注目していたはずです。
N: なぜ松田なんですか?
A: だって、ディフェンスがひどいじゃないの。とくに4バックのジーコJAPANはみていられない。アレックス(三都主)、中澤、宮本、加治の4人ですよ。高校生のチームでも点がとれそうじゃない??
N: どうして、あの4バックはあんなに点をとられるのでしょうか?
A: 敵はアレックスのサイドを徹底的についてくる。アレックスは守備能力が低いからオロオロして振りまわされるだけ。どうしても中澤がアレックスのカバーにまわらざるをえなくなる。そうなると、ゴール前のストッパーは宮本一人でしょ。宮本は背も低い(176㎝)し、1対1にも弱い。相手に強力なストライカーがいれば、もうそこでほとんどお終いですよ。
N: どうしたらよいのでしょうか?
A: アレックスと宮本が失点の元凶なのだけれども、この二人をどうしても使いたいのなら、3バックのシステムに固定するしかないでしょうね。アレックスは中盤のウィングバックとして高い位置におき、宮本はスウィーパーとしてカバリングに専念させる。持ち味を活かすとしたら、それしかないですよ。
N: それですべて解決するのですか?
A: いや、3バックと両サイドのウィングバックで5名必要だから、前の人数が減ってしまう。日本はフォワードもディフェンスも駄目だけれど、ご存じのように、中盤にはいい選手が多い。ジーコも、スキルをもった中盤の選手が大好きで、中村、中田、小野、稲本、小笠原、中田浩、福西をできるだけたくさん使いたいわけです。だから、4バックにして守備要員を減らそうとしているのだけれども、3バックと4バックを流動的にとらえているので、アレックス、中澤、宮本、加治の4人でディフェンスラインを組むことになるんです。
N: どうしてアレックスにこだわるのでしょうか?
A: たぶんセレソンとフラメンゴで同僚だった左サイドバックのジュニオールのイメージにとらわれているんでしょう。ジュニオールはジーコも顔負けのテクニシャンでしてね、頭もいい。しかし、そのジュニオールでさえ、82年のスペインW杯では前に上がりすぎてしまった。イタリア戦では、リベロだったオスカーの制止を振り切って何度も攻撃に参加した。その裏をついたのが、パウロ・ロッシでね。結果はロッシのハット・トリックで、イタリアが勝ったんですよ。
N: アレックスにジュニオールの役は期待できませんか?
A: 無理でしょうね。アレックスは、所属チームでも4バックのサイドをやったことがない。あれは攻撃の選手ですね。ワンパターンのサイドアタッカーですよ。
N: アレックスはどう使うべきなんでしょうか?
A: 3バック・システムなら、ウィング・バックとして先発させてもいいけれど、わたしなら後半の途中から投入しますね。ここぞ、というときの切り札としてとっておく。
N: 宮本はどうなんですか?
A: アジアでは通用するでしょうけど、欧米に通用するとは思えない。そもそも、宮本はストッパーではない。リベロでもない。かれはスウィーパーです。だから、3バックならそこそこ機能するでしょう。ただ、ワールドカップのような真剣勝負では、なにより1対1の強さが求められます。
N: 結局、どうしたらよいのでしょうか?
A: ジーコを監督としておくのならば、つまり現実的には、先に言ったように3バックにして、アレックスは高い位置、宮本はスウィーパーに固定するしかないでしょう。
N: その場合、中盤はどうなるのですか?
A: ボランチに中田英と福西、トップ下に中村でしょうね。
N: なんだか、淋しいですね。あれだけ有能な中盤の選手が多いのに。
A: 攻撃のコマが少ないだけでなく、中田が前に出にくいんですよ。両サイドがアレックスと加治だから、攻撃参加した中田英のスペースをカバーできない。
N: 最善の解決策は?
A: 前から言っているように、ストッパータイプのディフェンダーを4人並列させることでしょうね。たとえば、左から中田浩、中澤、松田、田中誠としておけば、3バックにも4バックにも対応できます。敵が1トップもしくは3トップなら、4バックで対応する。敵が2トップなら、中田浩をウィングバックかボランチの位置に上げてしまえばいい。中田英が攻撃参加するときには、中田浩がそのスペースを埋めるように決めておけばいいわけです。
N: 宮本ではなくて、松田がいい理由は何なんですか?
A: 身体能力ですよ。背が高い(183㎝)し、1対1に強い。マリノスで中澤とのコンビも阿吽の域に達している。このまえのガンバ戦では、ジーコがみている前で4失点してしまったけれど、潜在的な守備力では、やはり中澤&松田が最強でしょう。
N: 茂庭と坪井はどうでしょうか?
A: 経験不足の感が否めませんよね。むしろトルシェJAPANで左のストッパーを務めた中田浩のほうが安定感がある。ワールドカップを経験しているんだから。
N: 5月15日にサプライズはおきないでしょうか?
A: トルシェのときの秋田が滑り込みだったんですね。ああいう奇跡を信じるしかない・・・(続)


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