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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

東華菜館とカルシウムハウス

 5月1日の夜、この3月に卒業してコンビニ業界に就職したゼミOBの西垣くんからメールが入った。
  「仕事の合間に失礼します。京都の旅行時に話していたCハウスなのですが、仕事の都合で5月5日の夜になってしまいましたが、先生のご都合が良ければ行きませんか?今回は、西垣・藤井兄・宮本がご接待をさせていただきたいと思っています。」
 Cハウスとは「カルシウムハウス」という京都の有名なショーパブのこと。ニューハーフ・ショーパブの老舗である。

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 話は2月21日の夜に遡る。3年対象の特別講義(修学旅行)に参加していた4年の西垣、藤井、岡野とわたしはその夜の仕上げに四条畷通の「一銭洋食」で、お好み焼きを食べていた。藤井兄が、まだ遊び足りないという顔をしているので、すぐ近くに「カルシウムハウスがあるよ」という話をしたら、かれはずいぶん乗り気で、他のメンバーも「行って行けないことはない」というぐらいの反応だったのだが、正直なところ、わたし自身が疲労と浪費に悩んでいて、今回はやめておこうという決断を下した。
 藤井兄は残念そうだったが、
  「先生、初任給が入ったら、ぼくと西垣くんで先生をカルシウムハウスに招待しますよ!」
と提案したのであった。そういう気持ちをもっていてくれるだけで十分嬉しかった。初任給と言っても、たいした額ではなかろうし、若いかれらに迷惑をかけてはいけない、と思っていたのだが、1日にメールがあり、もちろん断る理由など微塵もなく、即答で快諾した。おまけに、加茂町に住む宮本は車で京都まで送り迎えしてくれるという。宮本の車は、5日の午後6時前、カルシウムハウスの前にある市営駐車場に到着した。西垣と藤井は四条大橋の上で待っていた。さて、どこで夕ごはんを食べようか。
 四条大橋の真ん中からまわりをみまわすと、「東華菜館」のビルが目にとまった。「東華菜館」は北京料理の老舗で、ビルは煉瓦造の様式建築。近づいてみると、賀茂川に桟敷を突き出してビヤ・ホールにしている。ちょっと値段は高いが、人の奢りだから気にもせず、
  「ここは美味いぞ」
と提案すると、3人はためらうこともなく、わたしの提言にしたがった。

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 賀茂川の風は心地よく、東華菜館の北京料理はなつかしい味がした。とくにお薦めは、蒸餃子。水餃子も焼餃子もあるが、いちばん北京らしいのは蒸餃子で、分厚い皮のうまさに感激する。食事は1時間足らずで終わった。まだ7時である。ちょうどカルシウムハウスの開店時間になったのだが、こんなに早い時間からニューハーフ・パブに行く馬鹿もいないだろうと、しばらく付近を徘徊したのだけれども、
  「いま行くほうが客が少なくて、ホステスさんたちがたくさん相手してくれるんじゃないか?」
と思い直し、カルシウムハウスに直行した。たしかに店は開いていたが、ホステスさんたちは控え室にたむろしていた。彼女?たちは、あきらかに早出の客に驚いていた。われわれの企みどおり、最初は4人のホステスさん(オカマ3人とオナベ一人)が対面して接客してくれた。しかし、時間がたつにつれ、客は加速度的に増え続け、対面するホステスの数は3人、2人、1人と減っていった。
 カルシウムハウスが、なぜ京都で有名なのかというと、それはこのバーを1982年に始めた梶子ママの巧みな話術(陽気な毒づき)によるところが大きい。しかも、梶子ママはホモセクシャルではない。女装しているニューハーフではあるけれども、妻も子もある職業ニューハーフで、その半生を描いた漫画が出版されている。テレビやラジオなどマスコミでも引っ張りだこの半ばタレントに近い人物としてよく知られている。
 梶子ママは9時ころ重役出勤してきた。9時半ころから、ショーがあるというので一同楽しみにしていたのだが、しばらくその気配もなく、われわれは時間を潰していった。じつは途中からメンバーは5人になった。4月の半ばから左官として働きはじめた綿野が途中から合流したのだ。綿野は高尾の現場から、直接カルシウムハウスに駆けつけた。同じ北原ゼミだった藤井兄が声をかけたのだが、聞けば、綿野は現金を30円しかもっていないという。まだ2週間しか働いていないので、初任給を手にしていないのである。
 ショーはいつまでたっても始まらなかった。そのうち、まずわたしが眠ってしまった。高野山の疲れが抜けていない。ついで綿野もうとうとし始めた。左官仕事の疲れに体が負け始めているのだ。しばらくして、ようやく梶子ママがマイクをとり、ショーのプレリュードとなるトークを始めた。われわれのグループがすでに3時間以上粘っていること、しかも二人がぐぅぐぅ眠ってしまったことをネタにされてしまった。
 「あんたら、ニューハーフのお店で口あけて眠むっとったら、チ*#ンぶちこまれるでぇ!」
といった毒づきである。
 しばらくして、西垣が携帯を操作しはじめた。そして、
 「芦屋(の寮)に帰るには、もう店を出ないと間に合いません!」
という。これは大変、ということで、ショーが始まる直前にチェックを済ませて店を出た。といいながら、今日もまた一銭洋食を仕上げにきっちりたいらげ、大急ぎで宮本の車に乗り、JR京都まで西垣と藤井兄を送り届けた。
 綿野だけはひとり四条で分かれ、阪急電車で高槻の実家に帰っていった。現金は30円しかないが、運賃カードだけはもっている。お金を使うのは煙草だけ。昼飯は母親手作りの弁当、口にする飲料は冷水タンクの水だけだという。

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  1. 2006/05/06(土) 01:31:31|
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asa

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