ツリーハウスに挑戦! 鳥取環境大学には、「プロジェクト研究」(略称プロ研/P研)という演習科目がある。1・2年(P1-P4)は3学科合同による学際的研究、3・4年(P5-P7)は専門科目によるゼミ形式の演習科目となっていて、わたしの場合、たいていP1-P4は1・2年合同とし、3・4年生に協力してもらうようにしている。
岡村が移籍してきた2004年度の前期、わたしは、P1&P3の合同テーマを「Tree House に挑戦!」と題して学生を募集した。なぜツリーハウスなのかと言えば、2003年度末にたまたまツリーハウスの本を手にしたところ、アメリカで屋敷内別荘として大流行していることを知ったからである。もちろん、ツリーハウスにはいくつもの想い出がある。
まずは小学生のころ。学校近くの空き地に埴えていた大きな広葉樹に「秘密の隠れ家」を仲間たちと作った。その隠れ家には、火起こしの炉もあって、近くの駄菓子屋で買ってきたスルメを焼いて食べて喜んでいたところ、どこかの生徒が教師に通報したらしく、われら一味は、
「火遊びをしている」
という罪状で職員室に一同整列させられ、教員全員を前にして懺悔を強制された。一部の教員は、うすら笑いを浮かべていた。それは嘲笑ではなく、頬笑みのようにみえた。いま思うに、教員たちも、「秘密の隠れ家」としてのツリーハウスの魅力を理解していたのではないか。だれだって、自分の心の中にピーターパンが住んでいる。「大人になれない」子どもの象徴としてのピーターパンとかれを慕う子どもたち。かれらの仲間意識は「火」によって、いっそう強くなる。そういうことを知りながら、教員たちは腕白坊主数名を叱らざるを得なかったのであろう。
大学院時代に「民族建築学」の研究分野に没頭していたころ、インドネシアやメラネシアの少数民族社会にツリーハウスがあることを知った。しかし、それは日常の「住居」ではなく、見張り小屋か戦時の砦のように機能する建物であることも、民族誌を調べればすぐに分かった。こういう民族例を参照するならば、『韓非子』や『礼記』や『博物誌』などの中国古典に頻出する「巣」という建築スタイルもまた、樹上住居ではなく、高床住居の暗喩であろうという推定が成り立つ。
そのような学問上の興味はさておき、1990年代の初め、ケヴィン・コスナーの主演する映画『ロビンフッド』が公開され、わたしはそれをビデオでみた。『フィールド・オブ・ドリームズ』や『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』ほどの傑作ではなかったが、『ロビンフッド』もなかなか楽しい娯楽映画で、とくに森の中に築いたツリーハウスの集落が、悪代官の兵が放つ火箭(ひや)を受けて炎上するシーンには迫力があった。ピーターパンが「大人になれない」子どものシンボルなら、ロビンフッドは悪代官に立ち向かう黄門様のような「正義の味方」のヒーローだ。兵火をもたない農民たちを率いて革命を先導する英雄がロビンフッドであり、その一揆集団の住まいが、-嘘かホントか知らないけれども-森の中のツリーハウスだったのである。
ピーターパンとロビンフッド。この二人の名前だけで、十分に胸が高鳴る。大人から子どもまで、だれだってツリーハウスを作りたいはずだ。だから、
「Tree House に挑戦! -ロビンフッドの住まいをめざして」
というプロジェクトを企画したのであった。狙いどおり、すさまじい数の学生がこの罠にひっかかった。1学年で50名前後の学生がこのプロジェクトを1位指名してきたように記憶する。ただし、教員に学生の選択権はない。学務課が無作為抽出の抽選により、1年生7名(環境政策学科3名・環境デザイン学科3名・情報システム学科2名)、2年生9名(環境政策学科3名・環境デザイン学科2名・情報システム学科1名)の学生を選抜した。以上16名の学生を指導する立場で、浅川研究室の4年生であった細谷幸希、岡村、タクオ、赤松が参加し、さらに建設敷地となった裏山に詳しい環境政策学科4年生の矢野智之(動物行動学専攻)がこれに加わった。
まずは矢野の案内で、裏山を歩きまわり、条件のよい場所を探した。おもしろいことに、ある畑の脇の樹木の上にツリーハウスの廃屋を発見した(↑上の写真)。物置のようにして使われた小屋だったのかもしれないが、子どものころの「秘密の隠れ家」を思い出して、ほくそ笑んでしまった。
(続)
- 2006/05/24(水) 02:07:16|
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