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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅷ)

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リユースからブリコラージュへ
 ビニール板も棟覆い鉄板も、もともと屋根材として生産され、使用された材料である。屋根については、随所に古代的・伝統的な技法を駆使したものの、元の材料を同じ用途として再利用したにすぎない。それはリサイクルというよりもリユースに近い行為であった。
 ツリーハウスに屋根がかかり、すでに構造は確立した。ところが、残された細部において、リユースからリサイクルへの劇的な変化がおきる。それは、もっと大仰に言えば、ブリコラージュへの脱皮であった。ブリコラージュとは、人類学構造主義の大家レヴィ・ストロースが提唱した有名な概念である。未開社会において、ビンやカンなどの廃棄物が本来の用途とは別の目的に使用されることがしばしばおきる。人類学者は、これをブリコラージュと呼んだのだが、そういう現象は現代社会でも、ホームレスの生活品や知的障害者の芸術作品などにしばしばみられ、2005年の春に国立民族学博物館でおおがかりなブリコラージュ展が催されたことは記憶に新しい。

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 ツリーハウスにおけるブリコラージュの代表は、壁である。それは壁というよりも、「壁代(かべしろ)」か「蔀(しとみ)」のような建具であった。平安時代の貴族住宅、いわゆる「寝殿造」においては、固定式な建具は非常に少なく、御簾、屏風 几帳 、蔀、壁代など大半の建具は可動式であった。それは衣装におけるアクセサリーのようなものであり、その場の都合にしたがって、どの建具を採用し、それをどのように配置するのかが決まった。その建具の配置によって空間の質が変わり、それは家主の美的センスをあらわすものとされた。ちなみに、これら家具の総称を「調度」といい、それを作法に従って整えることを「室礼(しつらい)」という。「室礼」とは、文字通り、部屋のマナーを意味する。
 「壁代」の材料となったのは、旧農協の米袋3枚であった。身近な道具でいえば、それは暖簾に近いもので、米袋の上端に水平方向の竹を通して3枚の袋をつないだだけである。その竹の端部を前後の梁に架ければ、それで壁代になるのだが、風が吹くと揺れが激しいので、米袋の下端にも竹をとおして錘の役目を担わせた。こうすると、暖簾というよりも掛け軸の構造に近くなる。掛け軸が巻物になるように、われらが壁代も、下側の軸となる竹に袋を巻きつけていけば、するすると軒先まで巻きあがる。壁代を巻き上げれば、壁はなくなって建物の四周は開放される。問題は巻き上げた竹軸の留め方だが、それにはM工務店に廃棄されていた樋の受け材を転用した。

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 つぎに竈と炉である。はじめは屋外炉としての竈を道沿いに一つ設けるだけの予定だった。この竈の製作は、岡崎さんと石井さんという二人の2年生に任せていた。材料は廃棄された桟瓦であり、それを積み上げるだけなのだが、瓦の接着と被覆に粘土を使うため、彼女たちは山裾で穴を掘り、地山面の粘土を採取してきた。床下にも炉を作った。建物内部および周辺の虫除けとして機能すると判断したからである。これには構造力学研究室が廃棄した実験用のセメント・テストピースを円形に並べた。細谷が短時間でさっさと作り上げた。

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 建物の隣には縄梯子もとりつけた。建物にあがる梯子ではなく、建物から樹木の梢近くまで昇るための梯子であり、日常的には何の用もなさないが、公開日には子どもたちに大人気の遊び道具に変身する。縄梯子の製作は矢野がうけもった。矢野はかつて裏山で縄梯子を作った経験があり、今も別の場所にそれは残っている。そういう経験をもとに、長くて高い縄梯子を矢野は作りあげた。ただし、危険性を回避するため、縄については、新しくて強いロープを購入したと記憶する。

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 2004年7月22日、プロジェクト研究の発表会がおこなわれた。ツリーハウスの公開は、午後からだったが、公開の直前まで学生たちは仕上げに追われていた。最後の仕事は妻壁であった。妻壁には、竹を伐採して枝打ちした笹付きの枝をたくさん残していて、それを垂直に葺いていった。そうこうしているうちに、続々と来訪者やマスコミがツリーハウスに押しかけてきた。訪問者にはお茶のほかに、竹串に刺した焼きマシュマロをふるまった。もちろん、瓦と粘土で作り上げた竈で焼いたマシュマロである。なかなか美味しい。サッカー部の主将であった田中聡も、アカペラのグループを引き連れてやって来た。かれらはしゃんしゃん祭りのために練習していた歌を2曲披露してくれた。テレビ局のカメラはそれをきっちり捉えていて、夕方のニュースには、ツリーハウスの前で熱唱するアカペラ・グループの姿が映し出された。

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 夕暮れになって訪問客も居なくなり、 いよいよ打ち上げの宴会に移行しようとしていた。しかし、その前に儀式が必要だった。棟札を取り付ける必要があったのである。棟札は習字に自信があるという2年の立川が準備していた。長5角形に裁断したベニヤ板の表面に「奉上無棟ツリーハウス」と大書して竣工の日付を記し、背面にはプロジェクトに関わったメンバー全員の氏名を列記した。午後6時半、1年と2年のプロジェクト・リーダー、風間と河津が棟札を棟木に吊した。その瞬間、ツリーハウスのまわりにいたプロジェクト研究のメンバーおよび関係者一同から
  「ウオーッ」
という歓声が沸き起こった。2004年度前期のプロジェクト研究1&3「ツリーハウスに挑戦!」は大成功を納めたのである。
 宴会は深夜まで続いた。石井さんをはじめとする女子学生が、いろいろな食材を用意してくれていた。竹で飯盒を作り、米を蒸した。竈の網の上に竹飯盒をのせておけば、竹の香りがしみこんだ美味しいご飯が炊ける。米には手製のインディアン・カレーをかけた。網では、もちろん肉や野菜も焼いた。お酒も美味しかった。焼酎にクマザサをつけた笹酒がふるまわれた。強い酒ではあったが、笹の匂いとエキスがアルコールの毒素を中和しているような味がした。
 建物がバンブーハウスなら、食物はバンブーフレイバーだった。あとはよく覚えていない。  (続)

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  1. 2006/06/14(水) 01:54:49|
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