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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

投入堂にのぼる

 日曜日、三徳山三佛寺に行きました。六月に入って、梅雨入りしたはずなのに、この日は良い天気で絶好の山登り日和でした。三徳山は投入堂が有名です。本日はお粥をいただき、投入堂まで上って、河本家に行く予定です。
 朝9時30分に学校集合で三徳山へ。三徳山までの道のりはとてつもない山道とカーブ・・・。車がキューと悲鳴を上げていました。
 11時からの法要に参加し、その後お粥をいただきました。食事の作法があり、それをお坊さんから教えていただきました。音をたててはいけない、食べることに集中する、話をしてはいけない、食べることがこんなに大変だとは思いもしませんでした。食事の前に皆でお祈り。漢字ばかりで、フリガナを一生懸命遅れないように読みましたが、途中からついていけなくなり目で追うだけになっていました。最後に「いただきます」とは言えました。これだけ食事の前にお祈りをし、食べ物について考えたのは初めてです。やはり食べ物はなくてはならないもので、それに感謝するのは大切なことだと学びました。音をたてずに食事をする、食器の音をたてずにどう食器をお膳にのせるか・・・。何回か周りからカチッっという音が聞こえてきました。私も何回か音をたててしまいました。難しい!! そんなこんなで気がついたらもうほとんどの方が食事を終わられており後は学生のみという状態に。お坊さんに気を使っていただいたみたいで先に食後のお祈りをしてもらいました。そんなこんなでしたが、食事はとってもおいしかったです。
 食事の後は山登り。初めてここを上りました。登山の道が道じゃない!! 木の幹をつかみ足場を見つけてよじ登るという感じでした。文殊堂で一休み。景色がよく、緑がいっぱい、全てが下のほうに見え、座って眺めていると本当に気持ちが良かったです。どんどん上へとのぼり、最後の投入堂。投入堂は修理中のため周りが囲まれておりあまりよく見ることが出来ませんでした。しかし、すごい場所に建物が建ってあることに驚きました。本当に崖のなかに建ってり、どうやって建てたのか不思議に思いました。
 帰り道は一回滑ると際限なくすべり落ちそうな感じでした。足腰もお疲れ気味で滑ってお尻をつく人がちらほら見られました。A教授も滑られたのを見てしまいました。一同が下山終了し、けが人、行方不明者が出なかったことに安心して三徳山を後にしました。
 その後は河本家へ。河本家を見学し、鳥取に帰宅しました。
 夜はサッカーを見てから、ぐっすり眠ることが出来ました。翌日に筋肉痛がきて一安心。
 モリでした。

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↑文殊堂にて。(クリックすると写真が大きくなります)
  1. 2006/06/18(日) 23:56:20|
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三佛寺の護摩祈願法会と粥の会

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 三徳山三佛寺では、毎月18 日に護摩祈願を修法しており、法会のあと、輪光院で粥のもてなしがある。記憶では、鳥取環境大学が開学した2001年の12月18日、倉吉の建築家、生田さんのお誘いで粥の昼食会に参加し、蕎麦粥をいただいたのが最初で最後の経験であった。以来、月が変わるたびに、18日が何曜日なのかを気にしていたのだが、たいてい授業や委員会や実家帰省などとスケジュールが重なってしまい、まる5年間再訪を果たせなかった。
 今日は6月18日。日曜日である。平常ならば、奈良の実家に帰って家族と過ごしているはずだが、土曜日にオープンキャンパスがあって、今週は鳥取にとどまることにした。そこで、ゼミの学生たちに法会と粥と登山の参加を呼びかけてみた。正直言って、それほど多くの学生は集まらないだろうと思っていたのだが、蓋をあけると参加者は12名を数えた。さすが鳥取県唯一の国宝建造物。国宝と粥の魅力に心が揺さぶられたようだ。

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 午前11時、本堂で護摩祈願の法会がはじまった。途中から、般若心経の読誦が繰り返され、心地よい合唱の反復によって、次第に気持ちが穏やかになっていく自分を感じていた。じつはワールドカップ観戦のおかげで体調は最悪、おまけに二日酔い状態で早起きしたためイライラが募っていた。あきらかに仏性を獣性が凌駕していたのだが、目を閉じて般若心経を聞いているだけで、獣性が下降線を描いていくのを自覚できるのだから不思議だ。
 ところで、法要後のご住職のお話によると、開山1300年祭にあわせて、本堂の蔵王権現の年輪年代測定をしたところ、11世紀初頭の伐採年代が出たとのことである。本堂は江戸時代、投入堂は西暦1100年ころの建築と推定されており、蔵王権現のほうが投入堂よりも古い年代を示しているのだが、すでにいくつかの建築部材も同様の傾向を示しており、2002年度に投入堂の前身建物に係わる調査を指導したことがある。投入堂のたつ凝灰岩の崖面に残る200以上の柱穴風痕跡を調べあげたのだが、前身建物の柱穴痕跡と推定される大きめの柱穴群はみつからなかった。したがって、投入堂の前身建物が存在したとすれば、それは現投入堂とほぼ同位置に建てられていた可能性が高いであろう。

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 また、本堂に所蔵される2台の御輿(室町時代)の修復も終わっていた。わたしは、その姿をみて、「高御座(たかみくら)」だと思った。造形も色彩も軒の蕨手も、天皇玉座である高御座のミニチュア版であると素直に感じ入ったのである。ただし、平面は八角形ではなく、六角形を呈している。これを差異とみるのは容易だが、むしろ「八角円堂」「六角円堂」という用語が示すように、八角形や六角形はいずれも「円」の代替概念にほかならない。中国や日本のような木造建築の文化圏で、スツゥーパに代表されるインド系円形平面建築を表現しようとする場合、正多角形に変換せざるをえないのである。要するに、概念的には「八角」も「六角」も「円」の省略形であって、両者の差異性よりも共通性のほうに重きを置くべきことが分かるであろう。

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 粥の会では、生田さんと再会した。今日の粥には海草が入っていた。たぶん昆布だと思う。粥のほかに精進料理2皿と沢庵2切がついている。わたしも生田さんも食べるのは早い。しかし、学生たちは遅かった。助手もまた同じで、何を考えながら食べているのだろうと思うほどのんびり食事を続けている。わたしはとても恥ずかしかった。食事というものは一心不乱におこなうべきだ、という仏法の教えに反しているからだ。最前列にお座りになっている仏僧が、その教えを説き、素早く食事を終えているにも拘わらず、学生や助手はいつまで待っても食べている。これが現代人なのである。

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 食後、ただちに峯入りした。入山経験がある学生はケンボーひとり。登山に要する時間は30分程度だが、毎年数名の遭難者がでるという急峻な山道にみな驚き、這うようにして山を登っていった。文殊堂で一休み。この縁からのぞむ山並みは絶景である。しかし、水切り勾配のついた縁板に座るだけで恐ろしくなる。そういえば、高所恐怖症のチャックが今日は不参加だった。チャックが来ていたら、山道の途中で動けなくなっていただろう。


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 ところで、三仏寺では平成16年度から主要建造物の修理が始まっており、一昨年度に地蔵堂、昨年度に文殊堂の修理は終わっているのだが、今年度は投入堂と納経堂が修理の対象で、肝心要の平安仏教建築は鉄パイプの足場に覆われていた。しかし、これもまた一興。なんとか機会をみつけて、学生たちを足場の中に連れて入りたいものである。

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  1. 2006/06/18(日) 21:28:08|
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