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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

のびたインタビュー(ⅩⅩⅤ)-ヴェルトマイスターシャフト2006

 ノビタです。
 前回は、少し長くなりそうだったので、一度切ることにしました。では、再開します。

N: 日韓W杯の決勝トーナメントで日本がトルコに負けた翌日、教授室の大きなガラス窓に、スポーツ新聞に掲載されたジーコのコラム記事が拡大コピーされて張り出されていたのを覚えています。
A: ジーコのコメントにはハートが籠もっていた。日本の敗退を心底悔しがっていた。スカパーでコメンテータを務めていたベンゲルの発言がビジネスライクだったのとは対照的に、ジーコの発言には悔しさがにじんでいた。そして、ジーコはブラジルの格言を引いてトルシエの采配を批判するんだ。
N: 「勝っているチームのメンバーを触るな!」でしたね・・・
A: そう、そのとおり。まったく同感だった。トルコ戦から決勝トーナメントでしょ。負けたら終わりです。勝てなくても、負けてはいけない。前半は様子をみて、後半勝負だというのはだれだって考えることでね、前半は予選リーグと同じ先発メンバーで臨み、後半にアレックスや森島を投入して勝ちに行くというが定石だよね。
N: トルシェはアレックスを2トップの左で先発させて、どうもあわないと判断したら、後半開始から下げて元の2トップに戻しましたね。たしか、サイドバックの市川を途中投入してから引っ込めた記憶もあります。
A: まぁ、無茶苦茶な采配でしたよ。予選リーグで2点とった稲本には嫉妬を感じたのか、予選リーグの第3戦後半から使わなくなっちゃたしね。
N: ジーコは稲本の扱いについても怒っていました。
A: そういうジーコの発言を聞いて心を打たれ、次の監督はジーコしかない、とわたしも思ったものです。だから、ジーコを代表監督に抜擢した川淵の判断にも感激した。
N: そうなんですか!?
A: ジーコが監督になって1年ぐらいだったか、代表が勝てなくて、サポーターのイライラが募り、「ジーコ監督解任要求デモ」が各地で繰り広げられた時にも、わたしは、ジーコ擁護派だったんです。
N: えっ、それは驚きですね。先生は一貫してジーコ監督を批判し続けてきたものだと思っていました。
A: いや、もとは擁護派だったんだよ。少なくとも2年は様子をみてみないとわからない。様子をみて、どうにもこうにもフィットしないようなら、解任すればいい。就任1年での解任は早すぎると思っていました。
N: 日本代表が3バックか4バックかで揺れ動いた時期がありましたが、それについてはどう思われていたんでしょうか?
A: ジーコの理想はブラジル型の4-4-2でしょ。このシステムを実現するためには、強力な2ストッパーと攻守の能力を兼備したサイドバックが必要です。しかし、2ストッパーのうちの一人は宮本でマンマークに弱く、両サイドの守備も危険きわまりない。だから、3バックに移行せざるをえなかった。宮本をスウィーパーにして、中澤と田中誠をストッパーにしたのは正解と言えば正解だけれども、松田を控えにも呼ばないというのは、好き嫌いを選手選考の基準にしているとしか考えられなかった。3バックにしておくと、アレックスと加治を高い位置におけるので、とりあえず敵のサイドアタックに対する脅威は軽減する。
N: しかし、もっとも人材が豊富な中盤の選手の出番が減ってしまうわけですね。
A: そう。だから、いつまでたっても3バックか4バックかで揺れてしまったのよ。
N: 先生は、どうすべきとお考えでしたか?
A: W杯開催前から指摘していたように、宮本とアレックスをどうしても使いたいなら、3バックで行くしかないと思っていましたよ。オーストラリア戦を3-5-2で臨んだことは正解だと思っています。ところが、逆転負けを喫した結果、3バックを4バックに変えてしまった。わたしは、クロアチア戦に関しては3バックでいいと思っていましたね。まずは失点を少なくして、点をとるしか勝つ途はないんだから。
N: 結局、ジーコは4-4-2に戻しましたね。
A: 4バックにするならそれにふさわしい人材によって守備組織を編成しなおすべきなんだ。ジーコの持論は「勝っているチームのメンバーを触るな!」でしょ。ところが、ジーコは勝てないチームのメンバーも触らない。基本的に、かれの頭の中にはベストメンバーが決まっていて、3バックか4バックかで1~2名の入れ替えはあるものの、大きな入れ替えはない。ベストメンバーを90分間フルに起用するというのが、ジーコの基本方針で、この方針も予選リーグ敗退の原因の一つになってしまった。
N: ヒディングの戦略、采配とは対照的ですよね。
A: ヒディングは相手チームによって3バックと4バックを使いわけ、システムや相手によって先発メンバーを替えてくる。さらに、切札3枚のカードを次々と切ってくる。こういう最新の戦法を実践するためには、一人の選手が複数のポジションをこなせるようにしておかなければならない。たとえば中田浩の場合、ストッパーでも、サイドバックでも、ボランチでもこなせるわけで、こういう人材をピッチに送り込んでおくと、選手交替のバリエーションは増えるでしょうね。
N: 総括として、日本は弱くなったと結論づけてよいのでしょうか?
A: いや、日本が弱くなったというよりも、ジーコが選んだ選手によって編成された日本代表、すなわちジーコJAPANが弱かったというだけで、別の監督がまったく別の視点で代表チームを編成し、的確な采配をしていたら、日本とオーストラリアは立場が逆転していたかもしれない。「黄金世代」と呼ばれた選手たちが30歳直前の最盛期でしょ。ここで勝たなければ、いつ勝つのか、という時期だったと思います。4年後に関しては、ほんとうに頭が痛いね・・・・
N: ということは、責任はあくまでジーコにあるということですね。
A: ジーコとジーコを庇護し続けてきた川淵にあるということです。川淵は逃げられない。69歳という年齢を考えても、引き時は潔くしてもらいたい。 (続)


  
  1. 2006/06/25(日) 18:06:57|
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のびたインタビュー(ⅩⅩⅣ)-ヴェルトマイスターシャフト2004

 ノビタです。
 決勝トーナメントが始まりました。ドイツはスウェーデンに圧勝、アルゼンチンは延長で辛くもメキシコを下しました。準々決勝では、早くもドイツとアルゼンチンが激突します。一方、日本では、帰国した川淵会長が記者会見の場で、次期代表監督をオシム氏(ジェフ千葉)だと公言してしまい、ストイコビッチが入閣するのでは、などとまことしやかな報道が紙面を飾っています。

N: 先生、次期監督はオシムだそうですよ!
A: あれはいけない。早計です。人事を内定段階で公表するなんて、組織の長としてはありえないことだよ。川淵も呆けたとしか言いようがない。サッカー協会は、きっちり川淵に責任を取らせるべきだ。
N: 意図的ではないか、という噂もありますが・・・
A: だとしたら、さらに始末が悪い。人間は権力をもつと、必ず体制化し堕落する。自分の権力基盤を守るために、秘密裏に何事かを画策し、体制が自分に有利に動くようにしていくんだ。そして、まわりの多くは、「辞めてほしい」と思っているのに、権力にしがみつく。本人は「裸の王様」になっていることにまったく気づいていない。また、「裸の王様」だと指摘されても、耳を貸そうとしない。川淵はまず、ジーコの4年間を総括すべきであって、次の4年間のことを口にすべきではない。
N: 過去の4年間の過ちを隠蔽するために、わざとオシムの新監督就任を漏らしたのかもしれませんね。ところで今日は日曜日ですが、何をされているんですか?
A: 2週間ぶりに奈良に戻ってきて、昨夜BS1で放送された「W杯日本1次リーグの戦い」の録画をみているんだ。
N: そうですか。インタビューは前回の続きということでいいでしょうか?
A: いいよ。鹿島時代のジーコだろっ?
N: そうです。鹿島の総監督としてのジーコについては、どうみていらっしゃいましたか?
A: 自分は監督を引き受けずに、エドゥーなどのファミリーを監督にして成績を下げてしまったような失態はあるけれども、ジョルジーニョ、レオナルドらをチームに呼んで鹿島の黄金時代を築いてくれた。とても感謝しているね。とくに、わたしはジョルジーニョという選手がお気に入りでね。鹿島が長居スタジアムに来ると、必ず観に行ったものだよ。ジョルジーニョはアメリカW杯のベスト11で、当時は世界最高の右サイドバックと言われた選手なんだが、鹿島では右のボランチを担当した。当時、磐田にドゥンガがいてボランチをやっていたんだけど、ジョルジーニョとドゥンガに力量の差はない、というか、総合力ではジョルジーニョが上ではないか、と思っていたよ。わたしは、ジョルジーニョがJリーグ史上最高の選手だと思っています。
N: ジーコやストイコビッチではなく、ジョルジーニョですか?
A: ジーコやストイコビッチは守備をしない、攻撃専門のゲームメーカーでしょ。こういう選手はファンタジスタではあるけれども、チームの心臓ではない。心臓はボランチですよ。ジョルジーニョがその代表でね、守備にまわればストッパーとして敵の攻撃を阻止し、中盤の低い位置でゲームを組み立て、ときに決定的なスルーパスを前線に通し、最終的には自ら点を取りにいく。ジョルジーニョの場合、サイドに開けば、得意のクロスが正確無比な軌道を描いてゴール前に飛んでいく。まさにゲームの全体を統率する能力が要求されるポジションなんだね。だから、ジョルジーニョを最高の選手だと評価するのですよ。
N: あのころは、レベルの高い外国人選手がうようよいましたね。
A: そうなんだ。Jリーグの日本人選手たちは、ジョルジーニョやドゥンガやサンパイオやらストイコビッチ、あるいは全盛期のエンボマなどの力を毎週感じながら試合をしていた。いまのJリーグはレベルが上がっているようで、下がってしまった。
N: 鹿島と磐田の凋落が象徴的ですよね。
A: あのころの鹿島対磐田の試合は、日本のレベルではなかったね。ヨーロッパに出しても、決して恥ずかしくはなかった。いまはそういう試合がなくなっている。
N: 3バックが主流のJリーグで、鹿島だけは一貫してブラジル型の4バックを堅持してきましたね。
A: 全盛期のアントラーズの4バックは、左から相馬、奥野、秋田、名良橋と並べていた。二つの特徴があると思うんだ。まず、中央2枚のストッパーが強いこと、そして両サイドバックには攻撃力があって、サイドアタックに長けていることだね。しかも、両サイドバックは4バック・システムにおけるサイドバックの専門家で、守備能力も高く、サイドアタッカーとしての力も兼備していたことだよ。
N: カフーとロベルト・カルロスがまさにそうですよね。
A: カフー&ロベカルにしても、相馬&名良橋にしても、攻撃力があって積極的に飛び出していくんだけれども、かれらがあがって空いたスペースをボランチがカバーする組織が完成している。
N: もちろん鹿島やブラジルのシステムは日本代表のチーム作りにも反映してますよね。
A: アレックスを4バックの左サイドバックとして固定したのは、ロベカルや相馬の役割を期待したものなんだろうけれど、相馬と違ってアレックスは4バックのサイドを専門的に務めてきた人材じゃないからね。サイドアタックの専門家ではあっても、サイドの守備については素人なわけだから、日本の守備網における大穴になってしまったわけです。
N: トルシェはシステムを優先して、選手を「強制」的に組織の枠にあてはめた。一方、ジーコは選手に「自由」を与え、かれらの「自立」を尊重した、とよく対比されますが、じつはジーコも自分のイメージする組織の枠に選手を「強制」化したといえなくもありませんね。
A: そうなんだ。ブラジル戦大敗の後、ジーコは「ああいうブラジルのようなチームを作りたかったが、できなかった」と告白している。しかし、ブラジルの4バックは、繰り返すけれども、守備能力が高い。日本の場合、これも繰り返しになるけれども、アレックス、中澤、宮本、加治と並ぶ4バックの守備力はあまりにお粗末なものだった。(続)
  1. 2006/06/25(日) 16:44:15|
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