Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

湯梨浜町尾崎家住宅の調査(Ⅰ)

 今日もとにかく暑かった。昨日は倉吉のアーケード街の調査をし、看板建築について知識を深めた。一日中アーケード街を中心に看板建築の分布を調べた為、その晩は目を閉じれば昼間見た建築たちが走馬灯のようによみがえった。
 おかげで今日の実測は眠いの一言だ。

20060822210009.jpg


 尾崎家の実測は私にとって今回で3回目となる。相変わらずこの茅葺民家のスケールには驚かされる。最も今日は土蔵や薪小屋などの実測がメインであり、母屋では座敷の展開図の作成をおこなった。
 展開図の作成はなかなか面白い。細部を観察し部屋の内部の立面をスケッチしていく展開図は、今までなんとなく雰囲気を楽しむだけであった座敷の造りを事細かく教えてくれる。改めて座敷の素晴らしさを感じさせられた。
 それにしても灼熱の土蔵の実測調査や日光降り注ぐ外観調査中に比べ、母屋の座敷では、展開図作成中に全く暑さを感じず、快適に調査できたのも茅屋根の良き特徴であろう。(環境デザイン学科2回生Y.O.=副部長=Mr.エアポート)

20060822210931.jpg

↑実測風景  ↓尾崎家には土蔵造の建物は何棟もあるが、「土蔵」と呼ばれているのはこの1棟のみ。オモヤに近いので、家具雑記、布団、タンスなどを納める。 
20060822210949.jpg



  1. 2006/08/22(火) 21:01:40|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

仮面の裏側 -倉吉の看板建築

20060821235720.jpg


 だから調査はやめられない。くだらない会議や委員会に引っ張りまわされている自分が馬鹿にみえてくる。
 今日は、看板建築にやられてしまった。

 6月に倉吉打吹アーケード商店街の調査が始まったとき、看板建築のあまりの多さに驚かされた。このアーケードを取っ払ってしまうと、とんでもない数の看板建築が露天にさらされ、町並みは崩壊すると思った。
 アーケードをとるべきではない。そう感じていたのは、おびただしい看板建築がアーケードと軌を一にして普及し、発展してきた建築物だったからである。

20060821235639.jpg

 わたしは誤解していた。
 看板建築とは、町家の軒を削り取って、コンクリート建築風のファサード、すなわち「看板」を創りあげたものだと思っていたのである。ところが、裏側にまわって、調べてみると、町家の軒はちゃんと残っている。建具だって昔の姿をとどめている。「看板」は軒に接して、その外側につくられた箱物であって、決して軒を削りとっていない。
 これなら、町家のファサードを簡単に復原できる。箱物を取り除くだけで、少なくとも2階は当初の構造と意匠が姿をあらわすのだから。1階だけを修景すればいい。2階については、修景も復原も必要ない。たいした費用はかからないし、修景マニュアル等によって古めかしい意匠をでっちあげる必要もない。下手な改造型町家より、看板建築のほうが、ずっと扱いやすいではないか。
 アーケード街の古い町並みは、仮面の裏側にただ隠されているにすぎないことを知った。アーケードの撤去を恐れる必要はない。その気になりさえすれば、隣接する重要伝統的建造物保存地区と同レベルの町並みに短時間で恢復可能だ。厚化粧を落として、堂々と露天の下に、素顔の美しさをさらせばよい。

20060821235710.jpg

 今日は、高校野球決勝戦の再試合があった。2軒めにおとずれた陶器屋さんは、気軽に調査に応じてくださった。が、ご主人はテレビにかじりついている。いつもインタビュー(調書取り)から始めるわたしは、それを諦め、F4とデジカメの写真撮影を優先させた。しかし、試合はそう簡単には終わらなかった。じつは、わたしも決勝がみたくて仕方なかったので、ご主人の背面に控えて、8回表から一緒にテレビをみさせていただくことにした。ご主人は苫小牧を応援していた。食堂の壁には大きなポスターが貼ってあった。奥様によれば、阪神と都はるみの熱狂的なファンなのだそうで、それとこれとは関係ないはずだが、とにかくご主人は苫小牧を応援していた。スコアは1-4で、苫小牧の劣勢は否めなかった。

20060821235701.jpg


  「あの、落ちるボールに手をだすだけぇなぁ。振らんかったらええのに、ほら、また振ってしまった。あれを振らんかったら、勝てるのに・・・」
 たしかに今日も、斉藤の縦におちるスライダーの切れ味は鋭かった。9回裏になって、ご主人は、
  「どうせ、3者凡退じゃ・・・」
と呆れた口調で諦観していたが、本心は違ったはずだ。
 すると、ノーアウトからツーランホームランがセンター・バックスクリーンに飛び込んだ。
   4-3
 点差は1点に縮まった。しかも、ノーアウトである。早実も青森山田のように、逆転される可能性は十分あった。
 しかし、斉藤はふんばった。並のピッチャーではない。それから一人のランナーも許さなかった。最後のバッターは、苫小牧のエース田中。
 斉藤は、田中のことを「田中」と呼び捨てにするそうだ。親近感をもっている証拠である。親近感をもった最高のライバルを仕留めて、斉藤と早実は日本一に輝いた。
 ご主人は呆然としていた。
 すぐにインタビューを始めるのはよくない、と判断し、わたしは再び2階にあがって、看板に隠された町家の軒と建具を細かく写真にとった。大正15年の高2階町家の2階は、数寄屋の匂いで満たされている。

20060821235649.jpg


 しばらくして、テレビの部屋に戻り、ゆっくりお話をうかがった。
 午前中に調査したカバン屋さんと同じく、老夫婦お二人の生活で、後を継ぐ者はいないという。どこもかしこも似たような状況に追い込まれている。後継者がいないということは、建物が存続の危機に直面しているということである。
 看板建築は仮面に隠された宝の山であり、その保存対策を早急に講ずる必要があることを痛感した一日だった。



  1. 2006/08/21(月) 23:59:27|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

倉吉打吹アーケード商店街の調査(Ⅴ)

20060822001318.jpg


 倉吉アーケード調査5日目。

 前回と同様にとにかく図面を作成していこう、という流れであった。ただ本日は本調査の間で何度も耳にした「看板建築」の分布図を目にすることができた。この分布図は、二回生茶道部の二人がアーケード街周辺一帯をまわってチェックしたものであるが、彼らが作成した看板建築分布地図には規則性があったので、アーケード街全体の町並みを意識する手がかりとなった。もちろん「美味しいものがある場所」を手がかりにアーケード街全体を意識していた今までの私のやり方も悪くはないと思う。
 先輩たちは次々に店舗をまわって多くの図面を作成していった。後輩たちは真っ赤に日焼けするまで看板建築のチェックを行っていた。私は道具をうまく使うことが出来ずに結局院生の方に助けてもらうしかなかった。本日はたくさん汗をかいた。冷や汗がでる場面も皆それなりにあったとは思うが、それだけ皆必死に取り組んでいるようにみえた。(書道部S)

20060822001327.jpg



[倉吉打吹アーケード商店街の調査(Ⅴ)]の続きを読む
  1. 2006/08/21(月) 23:55:28|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

チャックとケンボーのインターンシップ日記①

20060821222021.jpg


 朝6時。目覚まし時計より15分も早く目が覚めた。
今日は中国工業でのインターンシップ初日。お弁当と朝ごはんを同時進行で作り、出発予定時刻7時30分より30分も早く準備完了。めざましテレビの占いは5位。それなりに良い1日を送れそうである。
 大学ロータリーでけんぼーと待ち合わせ。乗り合わせてわずか10分とたたずに糸谷工場に到着。少々気合を入れすぎたようだ。門前にて15分ほど時間をつぶし、駐車場へと車を進めた。車を置き、事務所へ向かう僕らをまず工場長さんが出迎えてくれた。そして共に事務所内へ。そこで社長のHさんと面会し、本日の作業の説明を受け、ラジオ体操へ。空き地で従業員さんたちと軽く汗を流し、社長の言葉、工場長の作業内容確認の後、すぐさま今日の仕事へ。
 午前中の僕らの仕事は自動カンナ盤で椅子部材の加工。詳しくは割愛するが、機械が勝手にカンナがけするので、一人は材料を機械にかませ、もう一人が部材を整理する役をした。約1時間の昼休みを取った後、午後からは下地研磨をした。塗装された椅子をサンドペーパーで磨くのである。地味な作業である。しかし、椅子を綺麗に見せるためには必要不可欠なものである。休憩15分をはさんで約3時間、僕らは没頭した。
 ここで、本日の教訓→仕事と休憩は表裏一体。
 今日は二人とも蒸し暑い中、右も左もわからないままに一生懸命作業をした。そして思いっきり疲弊した。しかし、その疲れは良い休息を生み、良い休息は次の仕事への活力を生む。仕事が中途半端だと休憩まで中途半端になるのだと感じた一日であった。
 帰宅後飲んだ麦茶がうまかったのは言うまでもない。(チャック)

20060821222030.jpg

↑自動カンナ盤


[チャックとケンボーのインターンシップ日記①]の続きを読む
  1. 2006/08/21(月) 22:15:36|
  2. 研究室|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

草刈りと日の丸温泉

 8月11日の午後、京都駅についたとき、蒸し暑い、と体が感じた。
 夏の山陰は、たしかに暑いけれども、海風が吹いて一抹の爽やかさを感じさせる。それに比べると、近畿の蒸し暑さは絶望的だ。とくに、京都と奈良の暑さは、四神相応の盆地地形が災いして、世界有数の酷暑を実感させる。その灼熱の盆地のなかで、サッカーをしたのである。初日と2日めの症状は、熱中症の一歩手前だった。ロスタイムの5分間が無限の時間として体感され、2日めはひとり途中でグラウンドを去った。
 ところが、3日め(16日)から台風の影響で曇り始め、風も吹いて、2日めまでの灼熱の太陽がどこかに消えてしまった。おかげで、体はすこしずつ動きはじめたのだが、こんどは右足のふくらはぎが軽い肉離れ症状をおこして、足をひきずってプレーするしかなかった。
 今日も、近畿は曇っていた。しかし、昨夜のニュースによると、鳥取では36℃を記録したという。どうやら立場が逆転したようだ。
 昼すぎに奈良を出発した。ワゴンRで高速をひた走り、まずは社の父母を訪ねた。テレビをみると、高校野球の決勝、駒大苫小牧対早実の試合が始まっている。序盤、早実が優勢な試合運びを進めていたが、早くも3回、苫小牧はエースの田中を投入してきた。このタイミングはすばらしかった。あそこでピッチャーを変えていなかったら、おそらく早実は先制し、今日中に勝敗が決していただろう。

20060821215058.jpg

↑社町でみた二ツ眼の土蔵(円妙寺)。↓宿舎の裏庭に咲く百合の花。そして、蔦と笹。
20060821215116.jpg

 社の家をでてから「世界一美味しいラーメン」を食べるべく寿食堂に入った途端、8回表に苫小牧の選手がホームランを打った。3連覇濃厚と思わせる快音だった。それから再び高速にのった。車中でNHK第1ラジオにチューナーをあわせたのだが、ひどい雑音で、音声がよく聞き取れない。しかし、8回裏、早実は2塁打とエラー、そして特大の犠打で同点においついた。そこから、ラジオは鳴りっぱなしなのだが、音声は相変わらずよく聞こえない。しかし、放送は延々と続いていた。放送が終わらない、ということは勝敗が決しないことを意味する。車が用瀬に達するあたりで、ようやく放送が終わった。延長15回、1-1の同点で再試合。球史に残る決勝であった。田中と斉藤という二人のエースは、いずれも直球とスライダーを武器にしている点で松坂大輔とよく似ている。ただ、早実の斉藤のスライダーはフォークボールのように縦におちる。まれに本物のフォークボールも投げているようだ。そういうドロップ系のボールが、しばしば地面に落ちてバウンドする。捕手はこれをうまく体でとめていた。松坂がそうであるように、スライダー系の投手はフォークを使わないのが常識とされるのに、斉藤は二つの球種を使い分けているようにみえた。深夜のTVニュースでは、「明日は完封したい」と述べていた。端正なマスクをした、物静かな怪物である。

20060821215125.jpg

 田園町の宿舎に着いたら、午後5時をすぎていた。外は猛暑だ。近畿より暑いではないか。風もない。今日は、夕暮れどきに裏庭の草刈りをすることに決めていた。テグスを回転させて草を刈る電動草刈り機の新品を買っていて、その草刈り機を使うタイミングをねらっていたのだが、それは今日しかない、と判断していた。この機械の操作には握力が要る。蒸し暑い夕暮れどき、汗をたらたら流しながら、草を刈った。長袖、長すぼんで、タオルをクビに巻いていたのだが、数匹の蚊がわたしの顔面と耳を集中的にねらって襲いかかってきた。ひどい奴になると、ずぼんの上から足を刺しにくる。蚊取り線香を焚き、かゆみ止めの薬を顔と耳に塗って、草刈りを続けた。

20060821215107.jpg

 ものすごい汗をかいた。もちろん風呂に入りたいところだが、盆休みの前からガス湯沸かし器が壊れていて、明日、鳥ガスに来てもらうことになっている。だから、日の丸温泉にいった。そこで湯船につかろうとすると、知った顔に出くわした。
 中国工業のHさんであった。明日から、チャックとケンボーがインターンシップでお世話になる会社の社長さんである。じつは、鳥取西高の同級生。聞けば、毎日、日の丸温泉に通っているそうだ。しかも、平日は早朝6時に来て温泉につかり、それから出勤されるとのこと。チャックとケンボーは、早朝の日の丸温泉にもつきあったらよいのではないか。とりわけチャックは環境大学でも有数の早寝早起き学生として知られる。インターンシップでは、たしか、家具製造の原価を積算する作業を3人でこなすることになっていたはずだが、お風呂で積算の原理を学び、工場でそれを実践するのがよかろう。
 裸と裸の付き合いである。




  1. 2006/08/20(日) 23:21:43|
  2. 研究室|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

ビアンキの矛盾

 盆休みも終わってしまった。奈良ですごす最後の夜、12時すぎから「ゆららの湯」に行った。
 この1週間、というか、月~金の5日間、毎昼、平城ナショナル・グラウンドに足を運び、サッカーをした。前にも述べたとおり、減量と体調を整えることが最大の目的であった。とくに初日と二日目が灼熱の暑さで、ふらふらになった。すさまじい発汗量で、ゲーム後の1時間以内に数本のペットボトル(冷たいお茶)を空にした。
 たった1~2日で、腹の肉が締まった。「お父さん、やばいよ」と言っていた息子が、「たしかに締まった」と言ってくれた。それで、予定よりも長く、5日間サッカーをしたのである。
 ところが、さきほど「ゆらら」の体重計にのってみたら、なんとリバウンドしている。腹の肉はたしかに締まったのだが、体重は減っていない。体調はよくなっている。おそらく血圧は下がっているし、肩こりもとれた。しかし、体重は減っていなかった。
 一つの原因は、夕食が好物のコロッケであったからだ。赤ワインが切れていたので、グラッパSassoaltoをロックにしてちびちび啜りながら、大量のコロッケを食べてしまった。体調が良いから食が進むのだ。

 ビアンキの矛盾と似ている。

 週に3~4回、ビアンキ(イタリア製の自転車)を漕いで、片道8㎞の通学路を往復すると、体調が良くなる。夏には、ものすごい汗をかく。その結果、お酒が欲しくなる。食もよく進む。運動をすることによって、体調がよくなり、食が進んで体重が減らないのだ。
 今日、鳥取に帰る。鳥取に帰ったら、やりたいことが二つある。明日から調査が連続するけれども、調査以外の楽しみもいずれお知らせしよう。
 8月の暑さを満喫したい。


  1. 2006/08/20(日) 03:03:54|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

倉吉打吹アーケード商店街の調査(Ⅳ)

 倉吉アーケード街調査、お盆を挟んでの4日め、院生1名、4年生3名、3年生2名の計6名が参加した。

 前回10日には伝統的町家の立面と矩計を実測したが、今回は主に改造型町家や看板建築の立面を略測した。昨夜、ニコンF4で広角撮影した各戸の正面写真をプリントアウトし、その写真に寸法を記入していったのである。また、今後作成する修景マニュアルの基本データとするために、デザイン・エレメントとなる伝統的建具についても実測した。このほか、豊田家住宅、淀瀬酒店、高田酒造、深谷家住宅の腕木を拓本にとった。倉吉の町家編年にとって、腕木の意匠は重要な判定要素である(浅川研究室編『倉吉の町家と町並み』八橋往来町並み研究会、2005)。この拓本はいわゆる「乾拓」であり、腕木に大判の半紙をあて、上からカーボンでこすると出来上がる。さらに一名は、玉川沿いの土蔵群をスケッチした。

2006_08180040.jpg

↑建物を採寸している様子
↓玉川沿いの風景をスケッチして切り取り中
2006_08180037.jpg


 昼食は赤瓦10号館、町家カフェ「和気」でとった。ここは、鳥取短期大学の学生が運営しており、スパゲッティやベーグルサンドが食べられる。

 これまでの調査日と比べれば、今日は暑くないと思ったがが、周囲のみなさんは「まとわり付くような暑さ」との感想で、大学に戻ってきたときには、ほとんどのメンバーがげんなりしていた。
 次回の調査は8月21日、いよいよ看板建築内部の実測をおこなう。その後も尾崎家調査と倉吉調査が以下のように連続する。

   21日(月) 倉吉アーケード街
   22日(火) 尾崎家住宅
   24日(木) 尾崎家住宅
   26日(土) 尾崎家住宅
   27日(日) 倉吉アーケード街       (N.Y.&とある大学院生)



  1. 2006/08/18(金) 22:21:36|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

献身的に守備をしろ!

20060818165401.jpg


 今日もまたフルゲームで惨敗した。1-6の惨敗である。
 今日、T室長は不参加で、古環境研究室の大学院生Hくんが
  「キーパーに入りましょうか?」
と問うてきたのだが、「いや、おれが入るよ」と言って、先発でゴールを守った。
 ただし、Hくんには「最終ラインにいて、前に上がらないように」と釘をさした。
 わたしがゴールを守ると点を取られる。最終ラインを統率できる人材がいなくなってしまうからだ。敵(緑チーム)のFWが数名、最終ラインの裏側に雪崩れこんでくる。キーパーだけでは防ぎようがない。
 0-1の段階で、Hくんは「変わりましょう」と言ってきた。お言葉に甘えた。
 そして、わたしは最終ラインに入り、昨日と同じく、ひょろひょろメガネくんと二人で2センターバックを組んだ。今日は昨日よりもましだった。なぜなら、一昨日、大活躍した河村Jr.が赤チームにいて、ボランチを務めてくれたからである。昨日のわたしは、ストッパー兼ボランチであったのに対し、今日はカバリング対応のストッパーに専従できる。しばらくして、赤チームは緑チームを押し込みはじめた。何度も決定的チャンスを演出したのだが、左サイドに陣取って動かない二人の「癌」が点をとり切れない。それでも、なんとか若手が1点をとって、1-1に追いついた。
 守備ラインは万全だった。ところが、ひょんなことから綻びが生じてしまった。
 わたしが守備ラインを下げながら守っていて、敵のスルーパスだったか、シュートがぼてぼてになり、GKのHくんがこれを難なくトラップして止めた。ここで、わたしはゴールを向いていたのだが、右サイドのディフェンダーに対して、もう少し下がるように指示した。そのとき左手をあげて右サイドに指示をだしたのだが、このサインをGKのHくんは、
  「わたし(浅川)によこせ!」
という合図としてうけとめたらしく、軽くインサイドでわたしにパスをしてきたのだ。ところが、わたしは左右のディフェンダーを上下させることに集中していたし、まさかキーパーがストッパーにサイドキックの緩いパスを出してくるとは思っていないから、これを敵のFWにあっさりインターセプトされ、ゴールを割られたのである。
 敵の攻撃中に、キーパーがセンターバックにパスすることなど、通常はありえない。しかし、ここでは決してHくんを責められない。かれの頭脳には、このチームの鬼将軍だったころのわたしの姿が焼きついているのだ。全盛期のわたしは、ドゥンガやラモスや柱谷のように、口うるさく、人を怒鳴る中心選手だった。味方の失策や怠慢に非常に厳しく、いつでも大きな声で指示をだしていた。みんなわたしを怖がっていた。だから、わたしが片手もしくは両手をあげると、だれもが、わたしにパスを出してきた。そのころの身振りと今日のサインが似ていたのだろう。
 1-2となったが、試合の主導権は赤が握っていた。しかし、大きな問題がここに積み残されていた。GKを務めてくれているHくんをフィールドに戻さなければならない。今日は、わたし以外、だれも「オレが入るよ」と言いだしそうになかった。だから、わたしが再びゴールを守った。
 ただし、Hくんには「最終ラインにいて、前に上がらないように」と再び釘をさした。 しかし、またしても最終ラインはばらばらになって機能しなくなった。再び、敵のFWが何度も雪崩れこんできた。そして、失点を繰り返した。なんとか最終ラインを修正しなければ、と思って、キーパーとスウィーパーの中間に位置取りしてみたが、そうするとゴールががら空きになるので、効果的とは言えなかった。
 今日のこの問題を解決するにはどうしたらいいのか。答えは簡単だ。前線にはりついて守備もせず、シュートも決められない、酒屋のM(60代)と寿司屋のS(40代)が、
  「オレが入るよ」
と言って、五分でも十分でもいいから、ゴールを守ってくれれば済むことなのだ。そうすれば、わたしは最終ラインに残り、巨漢のHくんを前線に配することができる。
 しかし、二人は、決してそれを実行しない。自分たちは、前線の左サイドに張り付いて動かない。守備は自分たちとは関係ない。おいしいボールが来たら、シュートすればいい。それだけのために昼休みのサッカーをしているのであって、だから、オシムはいらついてしまうのだ。オシムは守備をせず、動かない選手をどんどん切っていくらしい。噂では、巻も加治も遠藤も入れ替えで、アレックスもその候補に上がっているという。
 歳をとった功労者だから、好きなポジション取りをさせてやればいい、というのは誤りだ。歳をとったら引退すればいい。若くて活きのいい選手にいいポジションを与えてやるべきだ。引退したくないなら、献身的に守備をしろ!

  1. 2006/08/18(金) 16:33:34|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

だから、わたしは素晴らしい

20060817205110.jpg


 今日は赤チームと緑チームをいったり来たりした。まずいつもの赤チームでスタートし、今週2点目となるミドル・シュートを決めて2-1とリードしたところで、赤の数が多くなったものだから、ビブスを取って緑に変わった。スリランカ代表クリケットチームのユニフォームは青色だが、青は緑の範疇に属するとされ、ビブスをつける必要はない。緑チームは1点をあげて2-2に追いついた。このあたりで、こんどは緑チームの選手が続々とあらわれ、再びわたしは赤チームに戻ることになった。盆があけたからだろうか、その後も人数は続々と増えつづけ、とうとう10対10になってしまった。そこで、
  「キーパーあり!」
という大声が鳴り響いた。写真家のMr.モー(あの技術で、まだ監督を続けているみたいだ)の指示により、ミニ・ゲーム からフル・ゲームにルールがチェンジしたのだ。
 これは大変なことである。GKがゴールに貼りつくかわりに、ゴールの範囲は通常どおりとなり、ダイレクト・シュート以外のシュートも認められる。ドリブル・シュートが許されるわけだから、スィーパーはゴールに直帰するわけにはいかない。ドリブラーのマークをしながら、裏側の相手FWにも目を配る必要がある。要するに、ふつうのゲームがここで始まった。
 緑にはMr.モーという専属のGKがいるが、赤にはいない。だから、わたしが入ろうとしたところ、T室長が「オレが入るよ」と言われた。おかげで、わたしは最終ラインに残ることになった。しかし、フル・ゲームの最終ラインは大変なんだよ。さいわい眼鏡をかけてひょろりとしたフリーター君がストッパー専従で右横に残ってくれたから、わたしとかれとで2ストッパーを構成できたのだが、ボランチの位置で動いてくれる人材が一人もいない。よくみると、昨日、赤チームで守備に戻ってくれた連中は、今日は赤いビブスをつけていない。敵陣の中盤に陣取っているではないか。一方、赤には、自分のポジションを前線のある場所に固定して動かない年寄りと若者が何人かいる。だから、今日はストッパーとボランチの両役をこなさなければならなくなった。カンナバロとマケレレの両方の仕事ですよ、えらいこっちゃ。
 これはしんどい。もつはずがない。おまけに、途中から右足ふくらはぎの痛みが再発してしまい、右足ではインサイドしか蹴れなくなってしまった。体力も切れてきて、25分から35分までの10分間、3人目のゴールキーパーを務めた。セービングはまぁまぁで、ユニフォームが土だらけになってしまったが、右足の痛みがひどくてパントキックが前に飛ばない。へなへなのパントはタッチを割るか、敵のFWにわたるかのどちらかになってしまい、劣勢は変わらなかった(わたしがGKに入ったことで、ストッパーが1枚になってしまった)。結局、1-4の惨敗。

20060817205128.jpg

 惨敗の主因は、われわれ守備陣にあるのではない。さきほど述べたように、勝手に自分たちのポジションを前線に固定して、攻撃しかせず、守備意識のまったくない年寄り(および一部の若者)に重大な責任がある。
 自分がドリブルして、シュートすればいい。それがサッカーを「楽しむ」ことだと思い込み、昼休みのサッカーに参加している連中が、在職中から一番の「癌」だと思っていた。わたしが監督だったころは、こういう連中をよく叱った。グラウンドで怒鳴りあいになったこともしばしばある。ボール扱いが下手くそで、パスもトラップもまともにできない一方で、ドリブルとシュートに固執し、視野が狭く、いたずらに時間を浪費する傾向がこの一群の共通項としてみとめられる。そういう技術以前に、なにより「サッカーを知らない」ところに問題があるんだけれども、ただただサッカーが好きなばかりにグラウンドに集まってくるのである。まともなチームの監督なら、即刻クビにして、新しい選手に入れ替えてしまうだろう。
 昼休みのサッカーは、そういう趣旨のサッカーではない、とかれらは主張する。「みんなで楽しく!」というのが趣旨なんだそうだが、じつは楽しんでいるのは自分たちばかりで、GKやDFに入って裏方を支えている側の気持ちなど、さっぱりわかっていない。「みんなで楽しく」が、じつは「自分たちが楽しく」だという事実にさっぱり気づいていないのだ。
 わたしはすでにこのサッカー部の所属ではない。グラウンドに集まってくるフリーターたちと同じ立場でしかないわけだから、考えようによっては、守備を無視して前線に残っていたってかまわないのだが、わたしは守備の楽しみ方も知っている。守備が楽しいことは、「サッカーを知っている」人間なら必ずわかっている。言いたいことは単純なんだ。守備ができるかできないかは、技術や能力の問題ではない。ハートと頭の問題だということである。「おれが入るよ」と言ってGKに入ることのできる人物は素晴らしい。攻撃欲を抑えて、最終ラインでストッパーを務める人物も素晴らしい。要するに、わたしは素晴らしいのであって、前に残っているやつらは・・・これ以上言うのはやめておこう。

20060817205524.jpg

 午後、近鉄電車に乗って京都に向かった。二条室町の歯医者さんに通うためだ。今日は少し時間に余裕があったので、二条室町周辺を歩いて町並みの写真をとった。倉吉アーケード調査のことを想いながら、看板建築や銭湯やばったり床几などを撮ってまわり、ユニオンという喫茶店に入って、この原稿を書いている。ユニオンも看板建築で、内部には町家の架構を残しながら、昭和を実感させる椅子やテーブル、ステレオなどの調度を残している。
 昭和はすでにレトロになってしまった。

20060817205600.jpg



[だから、わたしは素晴らしい]の続きを読む
  1. 2006/08/17(木) 20:49:22|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

のびたインタビュー -オシムらくは日本代表(Ⅱ)

 ノビタです。

 さきほどオシムJAPAN最初の公式戦が終わりました。アジア杯最終予選の対イエメン戦(ホーム)です。さっそく教授に電話してみましょう。

N: 先生、奈良でサッカー三昧のお盆休みのようですね。 また、右足をひきずってるそうですが、大丈夫ですか?
A: いや、昨日は気温が下がってよく動けたんだけど、右足のふくらはぎはあのザマです。
N: オシムJAPANの第2戦、公式戦初戦が終わりました。
A: おまえさん、鳥取にいてテレビみれたの?
N: いえ、ネットで経過を確認していただけです。
A: いや、関西はいいわ。気温は鳥取よりも2~3℃高くてかなわんが、日本代表の試合がちゃんとライブで放映されるんだからね。鳥取の最大の欠点は6チャン(朝日放送系列)が映らないことだよ。知事はさ、ANAの東京便が高すぎるからって、JALを呼んで競争させようとしているが、そんなことより、まずは6チャンをみられるようにしてもらいたいね。あれは、鳥取の汚点ですよ。
N: まずは今回の先発メンバーから。
A: まぁ、トリニダード・トバゴ戦が五輪代表だとすれば、イエメン戦でなんとか代表国内組ということころまで来たかな。
N: 国内組のベスト・メンバーと考えていいでしょうか?
A: 今野がケガしてるでしょ。鈴木啓太のポジションは今野がレギュラーだと思うね。あとは、小野と小笠原をどう扱うか?
N: 小笠原はメッシーナに移籍のようですが。
A: だとすれば、小野をほんとうに外すのか、コンディションの回復をまって復帰させるのか、どうか。
N: オシムは、トップ下のゲームメーカをおきませんね?
A: うん、4人のMFがほぼ平行関係にあって、あえてトップ下の動きをした選手をあげるとすれば、前半のアレックスだった。
N: アレックスの出来はいかがでしたか?
A: 実力を発揮しましたよ。
N: どういうことでしょうか?
A: いつもの悪い癖がいっぱいでたよ。判断が遅く、ボールタッチ数が多くなって、敵にボールを奪われる。アレックスは人を使う選手ではなくて、使われる選手だからね。ともかく、頭が良くないわ。後半は左サイドにはりついてしまったけれど。
N: それにしても、点の入らないゲームでした。
A: 今日のイエメンは、「パチンコ大作戦」でね、そう簡単に点はとれないよ。
N: なんですか、その「パチンコ大作戦」っていうのは?
A: パチンコのパをとったら??
N: えっ、・・・チ*コですか。
A: 阿呆か、おまえは、なんですぐ引っかかるの?
N: でも、米子にあるでしょ、パのネオンが消えてしまったパチンコ屋さん。
A: あっ、あれすごい目立つよね。2期生たちはバシバシ写真撮ってたな。
N: で、「パチンコ大作戦」って何なんですか!?
A: ゴール前に10人の選手を全員集めてしまうとさ、パチンコの釘のようになって、敵のボールはどこかの釘にひっかかる。
N: なるほど。こういう引いて守られる試合に対しては、どうすればいいんでしょうか?
A: 俊輔が欲しかったね。反則をいっぱいもらって、俊輔のFKかCKで決めてしまえばいい。
N: なるほど。やはり俊輔は外せない?
A: アジア・レベルでは、俊輔は相変わらず切札ですよ。しかし、今はセルティックの主力だから、なかなかアジア杯予選程度では戻れないだろうね。
N: だから、小野の存在が重要になってくるわけですね。
A: そう。小野より遠藤がいい、という意味がわからない。決定的な仕事ができるのは、小野であって、遠藤ではないよ。遠藤は福西と似て、スピードがないしね。はじめから佐藤勇人や羽生のほうがよかったんじゃないか。
N: いろいろ問題もありましたが、2-0の勝利でよかったですね。
A: そうだね、「パチンコ大作戦」の相手に2-0なら上々でしょう。1-0でもよかったよ、今回の展開ならば。勝点3がとれれば十分さ。
N: 1-0だとアウェーが心配になりませんか?
A: いや、アウェーで敵が攻めてくるほうが点がとりやすいんじゃないか。イエメン程度の相手なら、アウェーでも勝ちきってくれなければ話にならないわ。
N: そのほか気になった点はありますか?
A: トゥーリオの出来が素晴らしいでしょ。アレックスの比ではない。攻守にわたって獅子奮迅の活躍だよね。ジーコは、どうしてトゥーリオを選ばなかったのかって、つくづく考えさせられたよ。アテネでは、ジラルディーノと対しているのだよ。ドイツW杯のセンターバックが中澤とトゥーリオだったならば、ひょっとしたら、オーストラリア戦は引き分け、クロアチア戦は勝ててたんじゃないか。勝点が3~4変わっていたかもしれない。そんな風に思って、画面をみていたんだ。
N: 言い換えるならば、宮本は要らなかったということですね。
A: その通り。オシムも、「格好だけのキャプテンは要らない」と明言していたからね。あのコメントには溜飲が下がりました。
N: 国外組については、どうなっていくのでしょうか?
A: 松井は選ぶと言っているらしいね。中村も、いざとなったら、呼ぶ可能性が高いと思う。問題は稲本、中田浩、大黒の3人だ。この3人は十分使える。というか、レギュラー・クラスで使って欲しいね。
N: どんな使い方をすべきでしょうか?
A: 中田浩は左サイドバック、トリプル・ボランチに稲本・今野・阿部、大黒は切り札でいいんじゃないか。
N: 平山も気になりますね?
A: 機会があれば呼ぶんじゃないかな。巻と雌雄を決しないとね。大久保にも復調してもらいたいしね。田中達、大黒、佐藤らとレギュラーを争ってほしいよ。
N: あとはなんといっても、中澤ですね。代表引退を撤回してほしいですよね?
A: そうなんだ。いまの国内組に中澤と俊輔が加われば、ほぼ万全だよ。アジア杯3連覇は決して不可能じゃない。3連覇して、コンフェデに出場して欲しいよね。そして、コンフェデの本番では、海外組から何名か補強し、名実ともに最強のチームで臨んでほしい。[たぶん、続]




  1. 2006/08/17(木) 00:11:11|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

災い転じて福となす

20060816162422.jpg


 今日は12時半ぎりぎりに平城グラウンド入りしたので、ウォーミングアップができなかった。一昨日や昨日のような猛暑だと、ウォーミングアップだけでアゴがあげってしまうが、今日は台風前の曇り空で風も吹いている。それに、今日から赤のウィンドブレーカを脱ぐことにしたので、暑さを感じることなくキックオフを迎えたのだが、おかげでちょっとしたアクシデントに見舞われた。
 まず赤のビブスを着ようとするのだが、つけ方がやっかいきわまりなく、うろうろしていたら、先取点を奪われた。そこで、逆襲をかけようと、中盤まであがっていって、ハーフェイラインを越えたあたりで、ダイレクトのロングシュートを放ったら、これが入ってしまった。3日めにして初得点である。
 その後、まぐれあたりのようなシュートを決められ、1-2となった直後、右足のふくらはぎに異変を感じた。軽い肉離れのような症状で、以後、わたしは足をひきづりながら、プレーを続けることになった。ウォーミングアップをしなかった罰である。しかし、この「半故障」症状によって、わたしの色気は完全に消えてしまった。一昨日と同じく、専守防衛のスィーパーに徹する覚悟ができたのである。それに、今日の赤チームは守備の意識が高く、中盤の選手がよく戻ってくれた。この守備がじわじわと効いてきて、ボール支配率で緑チームを圧倒し、またたくまに逆転。5-2の圧勝であった。正直いうと、赤のFWがきちんとシュートを決めていれば7~8点取れていただろう。それぐらい、今日の赤は緑を押さえ込んでいた。
 災い転じて福となす。これは6月27日のイタリア対オーストラリア戦評で使った格言である。決勝トーナメントの1回戦、後半6分にマテラッツィが一発退場になり、イタリアは10人となって、ヒディング率いるオーストラリアの猛攻が続いた。しかし、10人になったことで、イタリアはチーム本来のカテナチオに立ち返り、「相手に攻めさせて、その隙を狙う」戦術の凄みが蘇った。オーストラリアはロスタイムにPKをくらって撃沈され、イタリアは8強戦以降も4-4-1-1というカテナチオ・システムを堅持していった。
 今日の、軽い肉離れは、わたしの中に潜む攻撃欲を沈静化させる役割を果たした。この結果、専守防衛スィーパー・システムの威力が蘇ったのである。もっとも、3点差がついていたので、ロスタイム終了間際、わたしは左サイドの、いわゆるデルピエロ・ゾーンに上がっていった。そこに横パスが流れてきたので、得意のインサイドキックから足を回転させインフロントに変えていく、俊輔FK型のロビング系シュートを狙った。しかし、バレーボールほどには曲がり落ちてくれない。
 2本めのシュートはバーをこえていった。

20060816162446.jpg

  1. 2006/08/16(水) 15:42:07|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

リベロに死す

 今日の赤緑戦は、0-3で完敗した。
 敗因は簡単。専守防衛のスィーパーからリベロへの脱皮をはかろうとしたことだ。
 この熱さで、2試合め。スィーパー専従であればこそ、30分間なんとか体力を維持できる。しかし、昨日のブログで、今日はリベロに挑戦すると宣言した。だから、ゲームが始まってまもなく、2度攻撃に参加し、敵のゴール前に駆け上がった後、全速力で自軍ゴール前に戻ってきた。この2回の往復運動で、今日のエネルギーは切れてしまった。
 それに、メンバーが昨日とは違った。昨日のフリーターたち[昼の赤緑戦には研究所の職員以外にたくさんのフリーターが集まってくる]は、スィーパーのカバーに戻ってくれたが、今日のフリーターは体力がなく、ゴール前まで戻ってこない。おまけに言うのだ。
   「下がりすぎじゃないですか?」
 わたしがゴール前まで下がるのでバイタルエリアを使われてしまう、というのである。どこかで聞いた論争だ。そう、先のW杯において、中田・中村はラインをあげてほしい、と要求しているのに、宮本はラインを下げたままゴール前にへばりついている。オーストラリア戦逆転負けの主因をここに求めることができよう。
 しかし、草サッカー、とりわけダイレクト・シュート方式のミニ・マッチでラインを高くあげてしまうと、ゴールと最終ラインのあいだに大きなスペースがあいてしまい、二人に走り込まれたら、間違いなく1点になる。わたしがゴールに直帰するのは、敵2名にボールをもたれても、1タッチでなければシュートできないので、そのあいだゴール前で時間を稼ぎ、自軍のメンバーが戻るのを待っているのだ。しかし、今日はほんとうにだれも戻ってこなかった。
 1失点目、わたし一人がゴール前で二人の敵を相手していた。にも拘わらず、そのすぐ前方にいるフリーターがカバーに戻ってこないから失点したのだ。その失点したフリーターが「ラインを下げすぎだ」というから、わたしは、
  「こんなに近くにいて、なぜフォローに来ないのか?」
と逆に問いつめた(しばらくして、古環境研究室のM室長が参戦され、ストッパーのポジションに就いてくださったので、状況は改善された)。
 今日は、ともかくゲーム開始早々攻撃に参加したのが響いた。ゴール前で敵のシュートをくいとめてクリアしても、そのボールがまたシューターに戻ってしまう。エネルギーが枯渇して、ボールが前に飛ばないのだ。終了5分前、前線にいる60すぎのお爺さま(Mさん)とポジションを入れ替えたが、前線にあがっても、クロスがまともにあがらない。あきらかなガス欠で、午後1時をすぎたロスタイムに一歩早く戦線離脱してしまった。

20060816162659.jpg


 それから古巣の研究室を訪ねた。部屋は真っ暗だったが、
  「ニィハオ!」
と言って部屋に入ったら、若い女の声がする。
  「フー・アー・ユー?」
と2度訊ねたのだが、部屋の奥にいる女たちは、笑っているだけで返事をしない。仕方がないから、近くによって訊ねなおしたら、「バイトです」とのこと。
 わたしは製図室のソファに移動し、ワイフが作ってくれていたフローズン麦茶を飲み干した。無印「茉莉花茶」のペットボトルに麦茶を入れて凍らせただけのものだが、もちろんこんな水量で発汗水分が補えるはずもなく、冷蔵庫を勝手にあけて、麦茶を氷の残ったペットボトルに注ぎ込んでは飲み、注ぎ込んでは飲みの繰り返し。そうこうしているうちに、研究室の後輩にあたるA君が埋文センターのキンタクンテを連れて帰ってきた。
  「まぁ、座れ、麦茶を飲もう!」
と言って3人で雑談に興じた。アルコールは一滴も入っていないのに、体はふらふらだから、麦茶がビールのように体にしみ込み、われながら酔っぱらいのような態度と会話に終始してしまった。
 それから、みずほ銀行に行って、「放置車両」確認にともなう罰金15,000円を振り込んだ。じつは昨日、郵便局に行ったのだが、郵便局では振り込めないようになっている。まったくけしからん。どうして、警察に対する罰金の振り込みが、一部の銀行や信用金庫の指定制度になっているのか。日本でいちばん利用しやすい郵便局から振り込めないのはどうしたことか。改めて、先に解体・再編すべきは、腐った警視庁と全国の県警であり、郵便局ではなかったと痛感した。



 
  1. 2006/08/15(火) 17:00:08|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:1|
  4. コメント:1

回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(ⅩⅠ)

20060813144354.jpg


森の倒木と梨畑の小屋 
 7月13日の倭文日誌を読んでみてほしい。盆休みで鳥取に戻った岡村とタクオが加藤家住宅を訪問している。居住者のOくんは、朝からそわそわして、二人の先輩の訪問を待っていたらしい。かれが書いたブログ記事を引用すると、
 「O先輩[註:岡村のこと]には居住者Oが2年生の時に大変お世話になった。この人に出会ったからこそ浅川研究室に入ることを決意したし、大工という職の虜になることができた。今の居住者OがここにいるのもO先輩のおかげである。(略) T先輩[註:タクオのこと]およびO先輩の現状を色々聴かせてもらった後、居住者Oのやりたい事などを約1時間くらい話した。そのやり取りの中で思ったのだが、やはり居住者Oは大工という職に憧れている。T先輩、O先輩の話を聴けば聴くほどその思いが膨らむ。」

20060813144423.jpg


 加藤家の居住者O君は、2004年度後期に「大工よ、屋根の梁を高く上げよ! -廃材でつくる茶室-」プロジェクトに参加した3期生(当時2年)である。当時から澄んだ眼をした印象的な学生であった。かれが3年になって、うちのゼミを選んでくれたことを本当に嬉しく思っている。しかし、敢えて苦言を呈しておくならば、今の4年生(すなわち3期生)は1・2期生ほど鍛えられていない。実力がともなっていない。まず、調査をほとんど経験していない。調査に誘っても、集まりがよくない。先日3日続いた倉吉の調査に4年次の男子学生は一人も姿をあらわさなかった。女子学生は皆勤であったけれども、ある一名が丈の短いパンツにサンダルをひっかけてあらわれ、唖然とさせられた。
  「うちのゼミもここまで落ちたか・・・」
そう思って、服装に関する注意をした。ああいう服装をみていると、調査に対する姿勢がよくわかる。あの日は一日中、カランコロンというサンダルの音が耳についてしかたなかった。やっぱり先生は女子に甘い、自分たちだったら「帰れ!」と怒鳴られて、JRに乗せられるところだと、ホカノら男子学生は不満に思っていることだろう。
 1・2期生と3期生の違いがどこにあるのか、といえば、それは主体性である。1・2期生は自主的に動いた。調査も分析も設計も、放っておいても、どんどん進めていった。今は違う。わたしが尻を叩かない限り、プロジェクトは正しい方向に進まない。かりに主体性をもって仕事を進めてくれたとしても、途中で大直しが必要になるだろう。だから、とても不安になっている。今年の3つの大きなプロジェクト、すなわち加藤家の修復、尾崎家の調査と報告書作成、倉吉アーケード街の調査と修景計画をうまく片づけられるのだろうか。最終的には、全部わたしとホカノのところに尻ぬぐいがまわってくるのではないか、と。しかし、教師としては信じるしかない。3期生の奮起と大化けを信じるしかないのだ。

20060814145238.jpg


 2004年9月30日、とうとう「廃材でつくる茶室」プロジェクトがスタートした。この日は、プロジェクト研究2&4の初日で、まずは1・2年生の自己紹介、そして岡村の紹介を教室内でおこない、続いてツリーハウスを全員で見学し、最後に「茶室」の建設予定地を視察した。1・2年生たちは、みな驚いていた。クラブハウス背面の建設予定地とされる裏山の内側には倒木が溢れている。だれがこれだけおびただしい樹木を伐り倒したのか。ひょっとすると、この仕業は環境大学開学時の開発行為と関係しているのかもしれない。だとすれば、環境を唱う大学にあるまじき自然破壊ということになるが、確信をもってそう言えるわけでもなく、そうでなければよいと祈っている。
 この日までに岡村は、建設予定地の縄張りを終えていた。縄張りしたエリアの内外、あるいはまた、山裾から縄張りエリアに至るアクセス予定地にも、おびただしい倒木が転がっている。そこで、わたしはプロジェクトに参加した1・2年生に説明した。
  「茶室を建設するためには、敷地の整備から始めなければならない。そのためには、まずこの倒木を森の外に出してしまう必要がある。」

20060814145223.jpg


 その翌週にあたる10月7日から、敷地の整備が始まった。記録を読むと、1・2年生15名、3年生3名、4年生4名が「土木作業」に従事した。活気があった。女子学生は小さな倒木を次々とクラブハウスの近くまで運びだし、男子学生は大きな倒木を運びやすいサイズにノコギリで切り落としていった。3・4年生は通路や階段などのアクセス作りに励んだ。
 岡村にとって、倒木運びを中心とする「敷地整備」は、時間稼ぎとしての役割をもつものでもあった。上に3期生の経験不足や主体性の乏しさを非難したが、じつは岡村も夏休みにはもやもやとした人生を送っていて、敷地の選定と縄張りこそ済ませていたけれども、茶室の具体的イメージを固められないままでいたのである。わたしは、岡村に対して、しばしば、
  「準備不足だ、スタートが遅すぎる」
という批判の言葉を発していた。膨大な倒木運びに費やす時間を利用して、岡村は一刻も早く「茶室」のエスキスを煮詰めて、基本設計を固めなければならなかった。
 しかし、その作業が目に見えて進んでいったわけではない。

20060814145732.jpg


 10月16日午前11時、岡村は田園町の宿舎にあらわれた。これから二人で、奈良・京都をめざす。岡村は心傳庵の就職内定を得るため、わたしは家族の元に戻るための西行であった。ただし、佐治を経由することにした。妻の実家に届け物をするためだが、じつは義父が作った梨畑の小屋を岡村にみせたかったのである。それは梨畑のど真ん中にある出作り小屋で、昭和40年代に義父が自力で建設した。ここに寝泊まりはしない。休憩するための小屋で、屋内には土間が1畳、奥にタタミが2畳敷いてある。こういう小屋は、岡村の「茶室」設計に刺激を与えるに違いない、とわたしは睨んでいた。茶室の起源については諸説あるけれども、ひとつの源流に「草庵」があることは間違いない。鴨長明の「方丈」に代表されるように、中世の知識人たちは戦乱の世を逃れ、山里に草庵をかまえた。それは農村の民家を縮小し、内部に小粋な空間を取り込んだものであったに違いなく、だとすれば、鳥取の山村にたつ梨小屋と一脈通ずるところだってあるはずだろう。
 岡村は梨小屋を夢中になって観察していた。基礎の作り方、梁のかけ方、壁の作り方、それらはプロの仕事ではないけれども、学生たちが自力で建設する「茶室」のレベルと近似するものであった。結果としてみても、この「梨小屋」と「茶室」の相関性はけっして小さいものではなかったと言える。

20060814145821.jpg

 佐治から志戸坂峠を抜けて、高速に乗り、大和西大寺の駅で岡村を降ろした。岡村は修行中に滞在した先輩のアパートに泊めてもらうという。翌日、ヤンマーとタクオもバスで上洛。そして、18日、3人と高の原駅で合流し、平城宮ナショナル・グラウンドに向かった。まずはサッカーである。わたしが長いあいだキャプテンを務めていた平城サイトスのホームグラウンドで、昼休みの紅白戦に参加したのだ。3人は環境大学サッカー部の主要メンバーであり、わたしはその監督を務めていた。そのとき3人は、はじめてわたしがプレーするのをみたのであった。
 それから、第一次大極殿の現場事務所に移動した。注文していたヤリガンナとチョウナが完成したというので、それを受け取りにいったのである。そこで、鈴木嘉吉先生(わたしが新人時代の奈文研所長)と遭遇し、ただただ平身低頭するほかなかった。
  「こんなにペコペコしている浅川さんを見たことがありませんよ。」
とまわりから冷やかされた。鈴木先生に3名を紹介したところ、こんな若者が数寄屋大工や建具師のような職人になってくれるとは、とてもありがたい、いいことだ、というお誉めの言葉を頂戴した。
 大極殿の建設現場では、たくさんの宮大工が工事に携わっている。その大工集団を組織する会社の社長とも旧知だったので、岡村を宮大工として雇ってくれる可能性はないものか、直接打診してみた。その答えは、こうである。
  「どんなに遅くても二十歳まで。だから高専までが、新卒として宮大工に採用する限界です。できれば高卒までの子がありがたい。大卒では遅すぎるんですわ。」(続)

20060814145838.jpg

[回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(ⅩⅠ)]の続きを読む
  1. 2006/08/15(火) 00:40:37|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

一人だけのカテナチオ

 今日は、2年ぶりぐらいだろうか、平城宮跡ナショナル・グラウンドに行って、昼休みの紅白戦(じつは赤緑戦)に参戦した。奈文研には、平城と藤原の両発掘調査部にサッカー部があって[今年度からの組織改編で「平城」と「藤原」は「都城発掘調査部」として統合されたようだが]、それぞれ毎日、昼休みに紅白戦をしている。
 ものすごく暑い一日だった。恐ろしいほどの熱射を感じながらも、なにより減量が目的なのだから、長ずぼんのジャージに赤いウィンドブレーカーといういでたちでプレーした。すでにウォーミング・アップ(三角パス)の段階で、アゴがあがっていた。それほど暑かった。この日はお盆休みで人が少なく、5人対6人のゲームで、キーパーはなし。シュートはダイレクト(1タッチ)のみ。ゴールを3分割した中央の狭いブロックのみが「ミニゴール」として扱われ、ここにダイレクト・シュートが決まれば1点と認定される。
 このシステムを考え出したのは、かくいうわたしだ。
 わたしは青いスリランカ代表クリケットチームのユニフォームの上に真っ赤なウィンドブレーカーを身につけていたので、今日は「赤」チーム。「赤」は5人で、「緑」よりも一人少なかった。
 動けないのは分かっていたから、スィーパーのポジションに陣取った。はじめに少し色気が出てしまい、攻撃参加を試みたら、カウンターをくらって、あっさり1点先取された。以後、専守防衛のスィーパーと自覚して、ゴールとハーフェイ・ラインのあいだを行ったり来たり。
 なにせ、ほかのメンバーは守備をしない。攻撃することしか頭にない連中ばかりで、めったにハーフェイ・ラインから後ろに戻ってこないのだ。
 わたしは、こういう草サッカーにおけるスィーパーのコツを知っている。敵がボールをカットしたら、基本的にゴール前に直帰する。直帰しながら、自軍の中盤にいる選手に「戻れ!」と指示し、適当な位置に配しておけば、十中八九、相手は自滅する。
 草サッカーのコツは、相手の自滅を待つことだ。こういう猛暑の日はとくにそうで、みんなフラフラだから、ろくなキックもトラップもできない。ダイレクト・シュートが打てないようにしておけば、早晩、相手はミスを犯して自滅する。
 「赤」チームは4人が攻め、わたし一人が専守防衛のスィーパーとしてゴールに蓋をした。一人だけのカテナチオだ。ところが、「緑」チームには、わたしのような専守防衛のスィーパーがいない。みんな、こちらのゴールに向かって攻めてくるのだが、守備の意識が希薄なので、カウンターが仕掛けやすい。敵は攻めてくるが、どこかでかれらは自滅し、ボールを奪われる。そこから縦にボールをフィードすれば、敵の守備はがら空きだから、簡単に点が入る。事実、われわれは4点連取して、今日の赤緑戦を制した。4-1の圧勝である。
 手前ミソながら、「赤」チームの勝因は守備専従のスィーパーがいたことだ。おそらく、だれもこの事実に気づいていないだろう。裏返せば、わたし以外の10人はみんな「攻めたがり」で、守備の意識を欠いている。今日は、専守防衛のスィーパーに徹したが、明日はそれをリベロのレベルにまで高めたい。攻撃にも参加し、自軍のシュートで展開を終わらせて、その瞬間ダッシュでゴール前に戻ってくる。
 それにしても、この暑さはなんだろう。運動量の少ない守備専従のスィーパーでさえ、30分でふらふらになった。発汗量は尋常でなく、サウナの比ではない。スリランカ代表クリケット・チームのユニフォームはベチョベチョで、その水分は赤いウィンドブレーカーにまで染みわたっている。試合後、ペットボトルのお茶やスポーツドリンクを4本ばかり続けて飲んだ。わずか30分のゲームで、それだけの水分が体外に出てしまったのだ。
 リベロをやったら、グラウンドで倒れるかもしれない。

20060816162823.jpg

↑ウォーミングアップ風景

  1. 2006/08/14(月) 23:24:37|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

FC2アクセス解析7月編

 盆休みになって、ブログへのアクセスががた落ちした。日本全国津々浦々までインターネットが普及・浸透している時代になったようで、じつは自宅においてネットにアクセスできない日本人は決して少なくない。かくいうわたしにしても、鳥取の下宿では、電話もネットも通じない(だから、原稿がよく進む)。ブログへのアクセスも土・日は必ず大きく減るし、夏休みになって学生が拡散してから、あきらかにアクセス数は漸減している。
 しかし、7月のアクセス数はすごかった。7月10日でワールドカップは終わってしまったから、6月を上回ることはない、と思っていたのだが、ジダン問題や加藤家住宅での活動報告が全国的に注目されたからだろうか、本ブログへのアクセス総数は7,300件を超えたのである。
 以下、6月と比べながら、7月のユニークアクセス(UA)とトータルアクセス(TA)の数を示す。

  7月  UA総数=2,817件(1日平均=91件)  
      TA総数=7,322件(1日平均=236件)
  6月  UA総数=2,577件(1日平均=86件)
      TA総数=6,522件(1日平均=217件)

 Yahooなどの検索エンジンを使って、このブログにアクセスした7月の総数は880件で、6月の884件に対してほぼ横這いの状態にある。7月サーチワードのベスト5は、
   1位 「浅川研」 5.9%
   2位 「けんびき」 3.29%
   3位 「リファーレンいなば」 2.72%
   4位 「鳥取西高」 2.61%
   5位 「兼松江商」 1.81%
となっていて、7月17日に示した「ジダン」は6位から7位(1.59%)に下がり、「ジダン/マテラッツィ」系の検索語全体としてみても月間では比率を下げた。注目すべきは、前月から2位を継承した「けんびき」である。この方言は、あれから何度も本ブログに登場したが、よほど方言学の専門家に重宝されているようで、いずれどこかの学術誌に、このサイトからの引用が事例として掲載されるかもしれない(すでに掲載されている可能性が高いか?)。3位の「リファーレンいなば」はY.ジーコ(2期生の吉田くん)がステンドグラス作りに通った鳥取市の廃棄物処理施設である。

 検索エンジンによるアクセスは全国からひろく確認できるが、7月の県別アクセスを6月と対照しつつ、ベスト10を示してみよう。( )内が6月の順位を示す
  1 位 鳥取県25.27% (鳥取県24.7%)
  2 位 大阪府13.04% (大阪府10.73%)
  3 位 兵庫県10.05% (兵庫県10.29%)
  4 位 島根県 9.51% (京都府9.41%)
  5 位 京都府 9.37% (島根県7.35%)
  6 位 東京都 5.43% (東京都6.76%)
  7 位 滋賀県 5.29% (千葉県5.88%)
  8 位 愛知県 5.29% (愛知県5.44%)
  9 位 千葉県 2.98% (滋賀県4.41%)
  10位 宮城県 1.76% (神奈川県2.2%)
 
 はじめに述べたように、8月になってからアクセス数は翳りをみせはじめており、現在のところ、1日平均では、UA=79件、TA=181件となっている。ワールドカップ熱が完全に引いてしまったこととともに、夏休みになって学生が大学から消えてしまったことが大きく影響しているように思われる。
 これからどうするかって、べつに梃子入れなどするつもりはない。本年6~7月のアクセスが異常だったということで、たぶんアクセス数に関する報告をすることも当分ないだろう。

  1. 2006/08/14(月) 01:15:03|
  2. 研究室|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅹ)

大工よ、屋根の梁を高く上げよ!
 2004年の夏休みは何をしていたのだろうか。
 個人的には初のイングランド遺跡踏査が最大の楽しみだったが、研究室としては、河本家(琴浦町)の調査に力を入れていた。調査は6月末から始まっていたが、夏休みはまず8月4日・5日と泊まりがけで実測をおこなっている(米子泊)。当時は2期生が3年次で、前期からホワイト・ストーン問題に揺れていた。岡村は、その最大の被害者の一人であった。「研ぎすまされた悪臭」を感じなかったのは、どういうわけか、タクオとわたしだけ。岡村は最も敏感な一人で、嗅覚が視覚にまで影響し、ホワイト・ストーンという存在に恐怖を覚えていたようだ。しかし、これも前期末にはなんとか解決の目途がたち、夏休みに入ると、4年次および3年次のゼミ生によっていきなり河本家の調査に入ったのだった。京田辺での1ヶ月の修行を終えて帰ってきたばかりの岡村も調査に参加したのだが、研究室の新参者であるにも拘わらず、岡村はタクオやヤンマーらの同級生と変わらない力量を示し、黙々と展開図や建具図のスケッチと採寸をこなしていった。河本家は数寄屋風の意匠にすぐれた古民家であり、とりわけ座敷飾りはきわだって秀でている。こういう調査は、もちろん茶室の設計・制作のための基礎訓練となる。

20060813151200.jpg


 ちなみに、この年の夏にはアテネ・オリンピックが開かれている。日本は次々とメダルを獲得し、最後の野球で転んだ以外は、おそらくロサンゼルス五輪以来のほくほく感を国民全体が満喫していた。なお、オリンピックの直前にはサッカーのアジア杯が中国で開催され、反日暴動の逆風を切り裂くように、日本は逆転につぐ逆転で決勝に進出し、その決勝でも、地元中国を3-1で下して優勝している。ところが、期待されたオリンピックの山本JAPAN(五輪代表)は、開会式前日の初戦でパラグアイに4失点をくらい、あえなく沈没してしまった。このときの一般的評価は、山本JAPANのほうがジーコJAPANよりも高かったのだが、結果は逆であった。それは、前にも述べたように、相手のレベルが違ったから。ただそれだけの理由による。アジア杯の相手はヨルダン、バーレーン、中国であり、五輪代表の相手はパラグアイ、ガーナ、イタリアであった。一次リーグで惨敗した山本監督は、その後発言権を失い、ジーコ政権への入閣(コーチ就任)すら拒否されてしまう。ここに、ドイツW杯惨敗の伏線を認めることができるのではないか。かりに五輪代表が一次リーグを突破して、山本JAPANの力を無視できなくなっていたとしたら、ジーコJAPANの編成は多少なりとも変化していたかもしれない。

20060813144445.jpg


 イングランドから帰国した直後の9月12日、わたしはAO入試の面接を担当していた。その仕事を終えてから、岡村とともに、クラブハウス背面の裏山に入り、「茶室」の敷地をみてまわった。ツリーハウスを建てた山羊小屋背面の裏山は校有地と私有地が入り交じって斜面が多く、敷地としては非常に使いにくい状態であったのに対し、クラブハウス背面の裏山は一面が校有地であり、平坦面が少なからず分布している。だから、このあたりを敷地にしようと考えたのだが、よく全体をみると、倒木の数がすさまじい。だれがやったのか知らないが、チェーン・ソーで大量の樹木を伐り倒しており、その倒木を地面に放置している。繰り返すけれども、この倒木の量が尋常ではない。ここに「茶室」を建てるからには、まずこの倒木を運搬処理することからはじめなければならない。その事実を、この日の視察で確認できた。
 岡村には、この日の前から、決意のほどを確かめる質問を何度か浴びせていた。
  「ほんとうに廃材で茶室を作るのか? 軽い気持ちならやめたほうがいい。女の尻を追っかけている場合ではない。おまえがほんとうに茶室をつくる気があるのなら、おれは後期1・2年のプロジェクト研究2&4を茶室建設をテーマに募集する。このプロジェクト研究を引っ張るのはおまえだ。人に使われる立場ではなく、人を使う立場で行動しなければならない。それができるか? できないというのならば、おれは別のプロジェクトを立ち上げる」
 岡村は答えるに逡巡したが、しばらく時間をおいて、「やります」と宣言した。
 これは、わたしにとっても、ちょっとした賭けであった。ツリーハウスのような素朴な建物ならいざしらず、茶室ともなれば、設計・加工・組立のすべてが本格的な仕事に近くなる。デザイン能力も要求されるし、施工能力も要求される。そして、岡村が最も苦手とするリーダーシップも発揮しなければならない。一方、わたしはと言えば、純粋な研究者であって、大工仕事などまともにやったこともない。岡村が1・2年生を仕切って、さらにそれをわたしが統率するという体制を維持し続けなければ、この仕事は頓挫してしまう。おまけに、気候は秋から冬へ向かう。茶室の仕上がりは、極寒の2月頃になるだろう。はたしてこのプロジェクトは、ほんとうに実現可能なのだろうか。

20060813144434.jpg


 しかし、後期の開講は差し迫っていた。学務課から、プロジェクト研究2&4のテーマとシラバスを早く提出するよう、繰り返し催促されるようにもなっていた。わたしが粘りに粘り、考えに考えぬいて、学務課に提示したテーマを以下に示そう。

  ・大工よ、屋根の梁を高く上げよ! -廃材でつくる「茶室」-

 たまたま、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』を村上春樹が新訳したという情報を得たもので、アマゾンの「和書」で検索してみたら、サリンジャーに『大工よ、屋根の梁を高く上げよ!』という中編小説があることを知った。こりゃかっこいい。サリンジャーの小説のタイトルからぱくるのも悪くない、と思って、プロ研の題目に拝借したところ、予想どおりの効果があった。ツリーハウスほどではないけれど、またしてもたくさんの学生から応募があり、岡村率いる大プロジェクトの幕が切って落とされたのであった。(続)

[回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅹ)]の続きを読む
  1. 2006/08/13(日) 04:50:01|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅸ)

京田辺「心傳庵」での修行
 昨夜、午後7時10分着の電車で、岡村は大和西大寺駅にやってきた。あらかじめ南口を出るように指示しておいた。階段を下りてきた岡村は、「お久しぶりです」と挨拶したが、わたしには久しぶりという実感が湧かなかった。たしかに、このまえ会ったのは3月末にさかのぼるけれども、それ以後も虎丘庵などの問題でなんども電話して長話をしていたし、回想「廃材でつくる茶室」シリーズにいくたびも登場してもらっていたから、卒業後一年を過ぎても、なお身近な存在として実感し続けている。
 岡村は溌剌としていた。卒業後、面会するのは3度めだが、こんなに明るい岡村に接したのははじめてだ。愚痴らしい愚痴はまったくなく、「仕事が楽しいです」とはっきり言い切った。こんなところで公開してはいけないかもしれないが、岡村の月給は手取り数万円である。1期生のなかで、こんな安月給で働いている卒業生はまずいないであろう。しかし、岡村は数寄屋大工の見習い丁稚奉公だ。数寄屋大工の見習い丁稚奉公の2年目なのだから、この給料は妥当なものだとわたしは思う。棟梁のご自宅に住み込みで3食付き、保険と税金も棟梁が全額負担、それに、と岡村は付け加える。
  「お小遣いが出るんですよ。おかみさんとお寺さんが、ときどき若い衆に服でも買ってこいよ、って言って。これが結構いい額でして。それに、夏と冬にはちゃんとボーナスも出るんです」
 その科白を聞いて、タクオの顔が頭に浮かんだ。「またこの夏もボーナスが出ませんでした」とこぼしていた顔である。ちなみに、うちの長女が働くデザイン事務所にもボーナスはない。

20060813140225.jpg


 2年前の7月24日、ツリーハウスの打ち上げ を終えた2日後だった。わたしは京田辺の「数寄屋研究所 心傳庵」に、研修中の岡村を訪ねた。奈良の自宅から一休寺までは車で20分ほどで着く。岡村は、あの日も門前まで迎えにきてくれた。まずは木下棟梁にご挨拶して長話になり、夕方、食事に出ようということになったのだが、岡村はどうしてもアパートに来てほしい、といってきかない。岡村は、職場の先輩が借りていた2DKのアパートに同居させてもらっていた。同じアパートには、東南アジア系の出稼ぎ女性たちも住んでいるようだった。水商売をする女たちのタコ部屋であり、岡村の生活も飯場暮らしに近いものだった。岡村がなぜわたしをアパートに案内したのか、その理由については語れない。当時の岡村が抱いていた不安のあらわれであったと述べるのが限界である。
 それから、二人で近鉄電車に乗って大和西大寺に移動した。
 西大寺はもちろんわたしの島だ。14年間、ここで働き、ここで遊んだ。だから行きつけの店が多いか、と言えばそうでもない。正直なところ、いい店はあまりない。弥生町のほうがまだマシだと書けば、だいたい察しがつくであろう。それでも行きつけの店はもちろんある。西大寺の北口を降りて、まずは「きんしゃい、きんしゃい」という居酒屋に向かったのだが、その居酒屋は消えていた。呆然とした。ひょっとしたら、わたしは数少ない収入源であったのかもしれない。仕方がないから、南口の国見小路にまわった。ミニ開発の2階建てテナント建物に挟み込まれた細道を小降りのアーケードで覆った飲屋街で、ここに「エリントン」という行きつけのジャズ喫茶がある。まず、エリントンの隣に新装開店していた韓国料理の店に入った。
 結構おいしい創作料理の店であった。ここで、マッコリと焼酎を飲みながら、話を聞いた。愚痴が多かった。この職場にお世話になるべきかどうか、悩んでいる。
  「毎日、カンナの歯ばかり研いでいます」
 あたりまえのことだと思うのだが、おそらく、見知らぬ人間関係の中で神経をすり減らしていたのだろう。韓国料理のあとは、エリントンに移動。最終電車のぎりぎりまで酒を飲み、話をした。このとき、岡村はすっかりママに気に入られてしまった。ママは本気で岡村の就職先について思案しはじめ、後日、鳥取にまで「こんな話があるよ」と電話をしてきた。

20060813140234.jpg


 じつは昨晩も、同じ韓国料理→エリントンのコースで飲もう、と思っていたのだが、韓国料理屋は貸し切りで閉め出されてしまった。仕方がないから、近くの居酒屋に入ったのだが、韓国料理に対する愛惜の念がやまず、その居酒屋でチゲ鍋とニンニク丸焼きを注文した。おかげで、エリントンに移動しても、ママはあまり近寄ってこない。二人から発せられた昨晩のニンニク臭はそうとう強烈なものであったろう。
 それにしても、岡村は溌剌としていた。修行中からこの春まで、会えば必ず愚痴めいた発言がみられたのに昨日はそれがまったくない。むしろ、研究室の後輩をスカウトしたくて仕方ないようだった。岡村は、今晩、盆休みのためバスで帰省したはずだが、明日か明後日、加藤家にO城くんを訪ねることにもなった。
  「あのイロリ、すごいですね! とくに鳥取城の石が・・・・」
 岡村は毎日かかさずこのブログをみていて、研究室の情報をしっかりおさえている。7月のアクセス総数が7000件を超えたことを教えてやったら、目を見開いて驚愕していた。(続)

  1. 2006/08/12(土) 23:34:05|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

のびたインタビュー -オシムらくは日本代表(Ⅰ)

 ノビタです。

 今日は先生のほうから、お電話が入りました。

N: 先生、いまどちらですか?
A: 奈良に戻ってきたよ。
N: えっ、昨日は倉吉で、今日はもう奈良なんですか。
A: お中元、いま届きました。クール宅急便<『いかの王様』お刺身用白いか>、どうもありがとうございます。
N: いえいえ、いつもお世話になってばかりですから。ところで、オシム監督のデビュー戦ですが、見られましたか?
A: いま、前半の途中まで録画をみて、ストップしたところさ。
N: 鳥取では見られなかったのですか?
A: うん。だって、また朝日放送系列だもの。鳥取では映らないじゃないの。
N: ホカノくんちで、ケーブルTVが映るじゃないですか?
A: 倉吉調査の二日目の夜にさ、ホカノに頼んだんだよ。代表戦、見せてくれって。
N: 断ったんですか、かれは?
A: いや、黙っている。日本人の場合、黙っているというのは、たいてい「同意していない」というサインだよね。
N: サイレント・ランゲェジ(沈黙の言語)ってやつですね。どの授業だったか、先生に教わった記憶があります。
A: 『沈黙の言語』はエドワード・T・ホールが1980年代にあらわした名著ですよ。欧米人からみると、寡黙に徹する日本人は全員が能面をつけているように映るらしいんだな。要するに、日本人は自分の気持ちを言葉で表さない。イエス、ノーをはっきり示さない。かれらにとって、言語表現をしないということは、意志を示さないことと同義なんだが、しかし、文化人類学者のホールは気づくんだな。日本人は身振りや目線など言語以外の行動によって、自らの意志・意見を表明している。言葉にならない、別のサインによって、イエスかノーかを表し、相手方もその身体言語を読み取って行動している。これが「沈黙の言語」さ。
N: 先生は、はっきりモノを言われますね。
A: だから、日本人じゃないんだ、きっと。会議の席でも、反対だと思ったら、わたしははっきり「反対」だと主張する。他の先生方は、たとえ反対でもなかなか「反対だ」とは言われないんだけれども、かれらの表情や身振りに「反対」という意志が暗示されている。
N: その場合、議長の力量が問われますね?
A: そうなんだ。たとえ、言葉による応酬がなくとも、「反対」が優勢だという空気が読める議長と、そうでない議長がいる。また、「反対」だと明言しないことを悪用して、勝手に「賛成」だったという議事録をでっちあげる議長もいる。
N: 日本人は奥ゆかしいですね。
A: その奥ゆかしさを理解できないで、悪用しようという輩はやっかいだよ。
N: 先生は、ホカノ君の「ノー」を感じ取ったわけですね。
A: そうさ、あの、もじもじしている姿をみれば、自分ちに戻りたくないのがよくわかったよ。
N: それは残念でしたね。で、録画でみられて、どうなんですか、オシムJAPANは?
A: 最初、13名のメンバーが発表されたとき、アレックスがDF登録されていて目を疑ったけどね。アレックスを4バックの左サイドで使うのはジーコ以外ありえない、と思っていたからね。J1、J2の監督を全員集めて、アレックスを左サイドバックで使う監督がいるかどうか、いちど確かめたらいい。たぶん、一人もいないよ。
N: アレックスは左サイドハーフで先発し、2得点の大活躍でした。
A: 本来の位置に戻って、いきいきプレーしていたね。後ろに駒野が控えているんだから、気持ちよく動けるよ。もともと攻撃の選手で、場合によっては1トップのCFに使う手だってあるんだから。アレックスからは守備を免除してやるのがいい。
N: 新制日本代表をどう思われましたか?
A: 日本代表というよりも、五輪代表って感じだよな、あのメンバーでは。オシムが指導すれば、イエメン程度が相手なら勝てるだろうけれど、ほんとうの強い代表にそのまま移行するかと言えば、ありえないだろうね。2年後に残っているのはトゥーリオぐらいじゃないかな。
N: 「走るサッカー」については?
A: どんどん走ってください。たしかに、ジーコJAPANに比べればよく走っているようにもみえたけど、フランス代表の運動量なんか尋常じゃないぞ。そのレベルまでいかないとね。みんなヴィエラぐらい走らないといかん。リッピ監督時代のユベントスぐらい全員が走らないといかんよ。
N: どうして、途中で録画をストップしちゃったんですか?
A: つまらないからさ。結果がわかっているからかもしれないが、画面に吸い込まれて行く感じがしない。ワイフも同じ意見でね。
N: やっぱりライブでみないと駄目ですね。
A: それだけじゃないね。ドイツW杯のイタリア代表やフランス代表の試合は、なんどみてもおもしろいからね。だから、やっぱり、いまの日本代表はその程度だっていうことですよ。
N: トリニダード・トバゴはどの程度のチームだとお考えでしょうか?
A: ドワイト・ヨークが率いたW杯のチームとはまったく違う別のチームだね。J2レベルじゃないのかな。
N: 相手が弱かったんですね。
A: 日本の良い面もでたけれど、相手が弱かったのも間違いないね。
N: それでは、ゆっくり『いかの王様』を味わってください。
A: それがさ、これから大和西大寺で岡村と落ち合うことになっているんだ。岡村は12日に帰省するというので、また入れ違いになるから一杯やろう、ということになってしまってね。
N: じゃぁ、『いかの王様』はどうなるんですか?
A: ワイフと子供たちがいただきますよ。昨日、倉吉の高田酒造で生酒を仕入れてきたから、奥様はご機嫌ですよ。ほんとにどうもありがとう! [たぶん、続]



  1. 2006/08/11(金) 17:55:33|
  2. サッカー|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

倉吉打吹アーケード商店街の調査(Ⅲ)

 倉吉アーケード調査3日目、8月10日の話です。この日は予定していた調査日程の最終日となります。なので、これから盆休み期間に入り、調査の再開は18日になります。

 人員は先生を含めて、院生1名、4年生3名、3年生3名の計8名が参加しました。この日の予定は、総仕上げとして連続立面図のデータ取りに当て、①写真撮影、②アーケード街の中で代表的町家の詳細な立面と矩計の実測、③建物の間口幅の実測としていました。

 連続立面図は、基本的に写真から書き起こす方法のとるため、写真撮影と間口幅を抑えれば、CADを使い、撮影した写真を調整しながら作図していけるのではなかろうかと、考えて準備しておりましたが、少し浅はかだったようです。先生には、建築を学ぶ者としては、高さが必要だと、また、準備していた方法よりも理解しやすく、効率の良い方法があると指摘されました。やはり、私自身の詰めの甘さが露呈してしまいました。

 高田酒造(国有形登録文化財)など3件の詳細な立面と矩計の実測をしています。学生は実測に丸1日を掛け、私に至っては、頭をかきむしりながら矩計に悪戦苦闘していましたが、先生に至っては、アーケード街中の写真を撮り終えてから矩計を実測し始めたにもかかわらず、学生たちより早く書き上げられ、ただただ感服いたしました。

 ということでして、調査風景を撮影し損ねてしまいのせる画像がありません。盆明け始めての調査は、腕木の拓本を採取などをする予定です。(とある大学院生)

FL020031.jpg

高田酒造の軒先部分

FL020036.jpg

深谷家住宅の軒先部分
  1. 2006/08/10(木) 23:40:07|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

実測に震える手

 すこし腕がふるえた。久しぶりにサッカーの試合に出るようなものなんだ。
  「自分は通用するんだろうか?」
そういう気持ちで、ボールに触る。時間がたつにつれ、勘が戻ってきて、いいプレーができる場合もあれば、時間とともに体力を消耗し、何もできなくなることだってある。
 今日は実測をした。自ら実測したのだ。久しぶりのことである。奈良にいたころは、明けても暮れても実測ばかり。建造物か遺跡か、どちらかを実測していた。どちらの調査でも、身につけている作業着は同じだった。その作業着は、いまも大切に保管している。というよりも、いまでもしばしば調査にもって行く。
 倉吉アーケード街調査の3日め。わたしは、F4でアナログの連続写真を撮っていった。午後から時間が空いたので、淀瀬家の矩計(かなばかり)を採ることにしたのだ。自分で実測するのは、いつ以来であろうか。国内ではたぶん2002年、おなじ倉吉の小川酒造本宅の矩計を採って以来のような気がする。海外では、2003年のカンボジア・トンレサップ湖での家船・筏住居を実測したのが最後かも。
 こうして、わたしが自ら実測するのは、今年の4年生諸君のレベルが1・2期生のレベルに達していないことに一因があることを知ってほしい。でも、楽しかった。ほんとに、楽しくて、熱中してしまった。今日は、ひとつだけこだわりをもった。それは3色ボールペンを使わないこと。鉛筆だけの矩計図を採るのが目標で、これがまた楽しかった。不安な気持ちで臨んだゲームで、思いの外いいプレーができたときの心境に似ている。点が取れたのではなくて、いいゲームメークができたときの喜びに近い。



  1. 2006/08/10(木) 19:56:51|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

倉吉打吹アーケード商店街の調査(Ⅱ)

倉吉2日目。

 倉吉にて某T研のメンバーと鉢合わせしてしまいました。知っている顔があってビックリしました。某T研も倉吉の調査に来ていたみたいです。

 今日はデーターベースの残りを仕上げました。午前中にデータベースのヒアリングを予定していました。12時頃にデーターベースのヒアリングを終え、豊田家に行くとだいたいの作業を終えた人が集まっていました。ちょうどひと段落ということで、お昼休憩に入りました。

 昨日は蕎麦だったので、今日はアーケードの中にある洋食屋さんに入りました。とてもおいしいオムライスを食べました。

 その後作業再開。聞き取りを開始しました。二手にわかれ、南側、北側を一つ一つ訪ねました。午前、午後とも、暑かったです。背中に汗が流れ落ちるのが分かりました。首にタオルを巻き、汗を拭きながら皆頑張っていました。聞き取りで涼しい店内に入るととても元気になることが出来ました。

アーケード街で質問に答えてくださった方々、ありがとうございました。(4回生M.K.卒論担当)

DSC00853.jpg

  1. 2006/08/09(水) 21:25:45|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

天球丸下層の発掘調査現場から

20060809203749.jpg


 猛暑の一日。ビアンキは爽快だ。しかし、鳥取城は暑かった。
 暴風雨のような教授会のあと、市の係長になった佐々木さんがお迎えに来てくださった。現場用の軽バンで。奈良の職場では、毎日のように運転していた。今日の軽バンは四輪駆動で、西高から上月さんのプレハブまでの坂道を、ぐいぐい上がっていったのには驚いた(下りのほうが怖かったが)。
 じつは、昨日、お茶とカステラをいただいた倉吉の高田酒造で、冷酒セットを仕入れていた。上月さんのお土産にしようと買ってきたのだが、今日は暑すぎたからなのか、鳥取城には来られていなかった。残念。現場につくと、中山さんが居た。上淀廃寺以来、十数年ぶりに発掘現場にでた中山さんは真っ黒に日焼けしていた。考古学者らしい風貌ではないか。
 で、天球丸下層石垣の発掘調査について、ご説明を受けた。まぁ、だいたいのことは分かる。裏栗石の入れ方や土の積み方、たまに見つかる大きな穴。でも、詳しいことはわからない。前から述べているように、城跡も石垣も苦手だ。一つ興味をそそられたのは遺物である。五輪塔の破片が裏栗石のあいだに詰まっている。昨年までも修復工事にともない遺物がみつかっていて、もちろんその遺物は残っているのだが、出土地点がわからない。しかし、今年からは、本格的な調査に着手しており、茶碗や五輪塔の破片から天球丸下層石垣の成立年代を推定できるかもしれない。
 「上層=光仲期/下層=光政期」というノビタ説(卒論を『国史跡「鳥取藩主池田家墓所」の整備に関する実践的研究(1)』に附論として圧縮収録)が、発掘調査にともなう遺物の年代によって裏付けされるのか、覆されるのか。大変興味深いところである。

20060809203758.jpg

  1. 2006/08/09(水) 20:30:11|
  2. 史跡|
  3. トラックバック:1|
  4. コメント:0

一休寺虎丘庵年輪年代報道に対する異議

 この記事は、盆休みに書こうと思っていた。というか、書いていいものかどうか迷っていて、何度も奈文研埋蔵文化財センターの古環境研究室と連絡を取り合っていた。奈文研のスタンスはいつも禁欲的で、今回もまた公表に慎重な姿勢をとっている。年輪年代データの数が3点と少なく、しかもその3材はいずれも辺材(シラタ)を残していない。心材(アカミ)だけの木材の年輪を調べても、その伐採年代を知る手がかりにならないことは、考古学・歴史学の専門家ならだれだって知っていよう。

 ことの発端は一休さんである。一休さんは応永元年(1394)、後小松天皇の皇子として正月元旦に生まれたという。6歳にして、早くも京都安国寺に出家得度した。トンチの一休さんは、この安国寺小僧時代の寓話である。実際に「一休」の号を授けられたのは応永25年(1418)のこと、千菊丸と呼ばれた皇子は25歳になっていた。
 戦乱の世であった。40代半ばから、一休宗純禅師は京の各所に庵を営んだが、しばしば居所を変えている。康正2年(1456)、とうとう京の町を逃れ、京田辺市薪にある酬恩庵に移られた。以後、晩年の四半世紀を酬恩庵に寓している。問題は、応仁の乱(1467~77)前後に、京の東山から移築されたという書院「虎丘庵」である。慈照寺(銀閣寺)東求堂を彷彿とさせる趣味のよい小振りの書院だ。
 岡村が働く「数寄屋研究所 心傳庵」の木下孝一棟梁は、一休寺(酬恩庵)のホームアーキテクトと呼ぶべき存在で、虎丘庵に人一倍の愛着を抱いておられる。岡村が大学4年次に一ヶ月修行させていただいた際、わたしは心傳庵に木下棟梁を訪ねた。2004年7月24日のことである。そのとき2時間以上お話しさせていただいたのだが、大半の話題は虎丘庵の年代に終始した。棟梁は、府教委や文化庁の技師、あるいは建築史学者の眼は節穴だと言われた。江戸時代中~後期の作とされる虎丘庵を、一休禅師ご存命時の建築だと信じて疑っていない。
 もちろん、わたしに意見を求められたのだが、江戸時代に大改修があったかもしれないけれども、移築当初の部材や様式を一部に残す可能性なきにしもあらず、という曖昧な返答しかできなかった。その後、何度お目にかかっても、同じお話をされるので、わたしは遂に奈文研の古環境研究室に連絡をとった。
 そして、2006年3月23日。古環境研究室による年輪測定調査がおこなわれた。わたしは、この日スリランカに旅立ったので、調査には参加できなかったが、1100万画素のデジタル一眼レフカメラで、床柱、仏間の脇柱、南桁、東桁の4点(いずれもヒノキ材)を撮影したという。去る8月4日、古環境研究室は一休寺を訪れ、木下棟梁に調査成果を説明した。わたしも同席するはずだったのだが、3年生のガイダンスがあり、またしても参加できなかった。わたしが加わっていれば、こんなことにはならなかったと悔やんでいる。
 さて、年輪年代測定の結果は以下のとおり。年代は最外層年輪年代を示す。
  1)床柱(1472年/心材) 2)仏間の脇柱(1552年/心材)
  3)南桁(1482年/心材) 4)東桁(不明)
 このように、標準変動グラフとの対照によって得られた最外層年輪年代は、いずれも心材(アカミ)の部分であり、辺材(シラタ)はまったく残っていない。こういう場合、常識的には、最もあたらしい仏間脇柱の年代、すなわち1552年以降に虎丘庵が建設されたという解釈が成り立つ。したがって、現在の虎丘庵は一休禅師逝去後の建物である可能性が高いことになる。ただし、移築当初の建物を部分的に残しながら、1552年以降に改修をおこなった可能性も否定できない。要するに、上の3点の年輪データだけでは、虎丘庵の建築年代について結論めいた発言はできないのである。
 だから、奈文研は慎重な姿勢を崩さなかった。今後1~2年をかけて、さらに多くの部材の年輪を測定し、もう少しデータが集成された段階で、データを公開する予定であった。ところが、8月7日に情勢が一変する。古環境研究室からのメールの一部を引用しておこう。
  「ついさきほど、京都新聞の記者から早速取材の電話がかかってまいりまして、どうも(略)年輪年代測定の話が新聞記者に流れてしまったようです。こうなってしまった以上は、三点の年代値が新聞を通して流れ出すのももう時間の問題かと思います。」
 だから、年輪年代の問題が記事になる前に、わたし(=浅川)がブログにデータを掲載し、コメントを書いてくれたほうがありがたい、という要請がそのメールに追記してあった。思わず眼を疑ったが、8日は倉吉で調査もあり、すぐには原稿にできないけれど、どうしたものか、と思案しつつ帰学したところ、はたして「虎丘庵のことが、今朝の京都新聞に掲載されました」という新しいメールが入っていた。
 「当方からは、記者発表や情報リークはしておりませんし、問い合わせに対するコメントも一切、出しておりません。(略)本来ならば、年輪年代調査の結果の公表については、今回の年輪年代調査の発起者である浅川さんや実際に調査に当たった我々、さらには一休寺さんや木下棟梁など関係者全員の意に沿うような形で、しかるべき手続を踏まえて・・・と、思っておりました。」

 京都新聞の記事は、下記のwebsiteで閲覧できる。

  http://www.kyoto-np.co.jp/index_kan.php      
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006080800046&genre=J1&area=K20

 その記事には、「木下さんの調査に伴い、奈良文化財研究所埋蔵文化財センター年代学研究室が今年、一部のヒノキ材の年輪年代測定を行った結果、床柱は1472年、仏間の脇柱は1552年と分かった」とある。あきらかに年輪年代学を悪用した所見である。心材の最外層年代を伐採年代とする初歩的な認識のミスだが、これでは、今回の調査によって虎丘庵の建築年代が一休禅師の時代に遡ることがあきらかになったことになってしまうではないか。
 わたしは木下棟梁と奈文研古環境研究室のあいだに入って、この仕事を推進する役割を務めてきた。古環境研究室は一休寺の建築全体に視野をひろげた年輪測定をおこないたいという希望をもっていて、それが虎丘庵の年代解明にも貢献することはあきらかだから、今後の展開を楽しみにしていたのだが、いきなり勇み足の報道がなされ、正直、呆然としている。
 なにより古環境研究室の皆様に大変なご迷惑をおかけしたことを、衷心よりお詫び申し上げます。



  1. 2006/08/08(火) 23:59:05|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

倉吉打吹アーケード商店街の調査(Ⅰ)

 今日は院生1人、4年生3人、3年生1人の5人で倉吉の白壁土蔵群のすぐ近くにある打吹アーケード商店街へ調査に向かいました(浅川ゼミとしては珍しく、男子が1名しかいません)。今、卒業研究の基礎調査のために商店街に並ぶ建物一軒一軒をデータベース化する作業をしています。今日は保全度、景観貢献度、建物の用途、建築様式、建築物の外観・形態について調査しました。

アーケード街調査中


倉吉アーケード街に到着し、2組に分かれて調査開始。建物総数の約半分を終えたところで、お昼にになり、近くのお蕎麦屋さんへ行きました。お蕎麦はとってもおいしかったです。食べ終えると、お店の人が今日は暑い中お疲れ様と飴をくださり、その優しさがありがたいものでした。そして、調査再開。アーケード街の北面・南面にある建物、約40棟を調査し終え、そこで先生と落ち合いました。

高田酒造さんにて


 アーケード街を歩いていると、こんどは高田酒造の奥様に呼び止められました。「お疲れさま」と声をかけられ、お茶とお菓子をご馳走になりました。造酒屋本宅の店内に招かれ、一同驚きました。内部には大きな梁が飛び、天窓から光が差しこんでいます。伝統的な日本建築の室内空間がとてもきれいで心が癒されました。
 最後に、「サダルチョーク」という玉川沿いの喫茶店で、調査したすべてのデータをチェックしあいました。とくに「保存度」と「景観貢献度」は個人個人の主観差がどうしても出てしまいます。これを、みんなで議論しながら、先生にチェックしていただきました。
 今日は暑く、調査は大変でしたが、商店街の人達の優しさがありがたい一日となりました。(4回生Y.A.卒計担当)



  1. 2006/08/08(火) 23:38:38|
  2. 建築|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

加藤家住宅のホームページ: フィールドサイト第1号

 ご紹介が遅れてしまったけれど、先月25日の第2回マスコミ公開&発表会にあわせて、加藤家住宅専用のホームページ

   http//katohkejutaku.web.fc2.com/

をたちあげている。ホカノが指導し、前期プロジェクト研究1&3の「情報発信班」が制作したものだ。「情報発信班」に配属された男子2名は、米子出身の同級生(小学校以来)で、一人は情報システム学科、もう一人は環境政策学科であった。一人が情報システム学科だということで、WEBには強いだろうと判断したのが、じつはまずかった。かれはシステム学科2年生であるにも拘わらず、WEB制作の経験がなく、片方の政策学科2年生に至っては、モノづくりがしたくて「古民家のリサイクル」班を選んだのに、なんでWEBを作らなきゃなんないの、とブログに訴えてきた。
 それからホカノは苦しんだ。先生に叱られ、下級生から突き上げられ、女子からはシカトされ、得意の「困った、困った、どうしよう」というポーズの連続であったが、それでも、なんとか25日の発表会に間に合わせたのだから、たいしたものだと誉めてあげたい。ただし、米子出身の2年男子2名の満足度が低かったのは残念きわまりない。古材バンク班の不満度に比べれば、少しはマシだったのかもしれないが、希望通りの活動をさせてあげられなかったことについては、ひらにお詫びするしかありません。
 加藤家住宅のホームページは、昨年、キム・ドク(別名タイガー戸口)が一人で作った研究室のホームページほど凝っているわけではないけれど、必要な情報をきちんと納めている。これから、さらに改善・更新していきたい。

 注目すべきは、居住者O城くんのブログ「倭文(しとり)日記」

   http://blog59.fc2.com/shitorinisshi/

である。これから、かれが体験する「居住」と「修復」の記録がここに刻まれる。どんなに短い文章でもいいから、毎日書いてほしい。毎日、書くから日記なんだよ。2行でも3行でもいいから、ともかく書いて眠りについてほしい。塵も積もれば山となる。このブログの積み重ねが、居住者の卒業研究の源泉となるだろう。読者の皆様からのコメントをお待ちしております。

 このホームページを立ち上げたことによって、加藤家は浅川研究室の「分室」的な存在となった。調査研究活動の拠点を大学=研究室におくのではなく、調査地におく初めての試みである。調査地に拠点を設け、そこから情報を発信し、公開する。わたしは、こういう調査拠点をフィールド・サイトと呼んでいる。加藤家住宅は、浅川研究室のフィールド・サイト第1号になった。今後、2号、3号と増やしていければいいが、それを実現するためには、OBたちとの連携が不可欠となるであろう。

 なお、加藤家住宅に対するご質問、ご意見については、下記のメールメールアドレスでも受け付けております。

   katoh_info@yahoo.co.jp

 



 
 
 
  1. 2006/08/08(火) 03:37:39|
  2. 研究室|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

放置車両監視制度と水道工事

 「駐車違反」と大書されたシールを貼り付けた封筒を手にもって、食事(昼食)に出ようと玄関を開けたら、たまげてしまった。朝から前の道路で機械の音ががたごと煩かったのだが、水道配管工事をこの2~3週間ずっとやっていて、拙宅の駐車場前に溝状の大きな穴がざっくり開いている。もちろん駐車場に止めている車を外に出すことはできない。

EIHsh0113.jpg

 ごく最近、わたしは「放置車両監視制度」に引っかかって、じつに1万5千円もの大金を鳥取県警に納付しなければならなくなった。この「駐車違反」についても、水道配管工事が少なからず影響していた。一週間ほど前、拙宅の玄関前に自家用車をとめて、「放置車両」であることを監視員に確認された。なぜ、わたしが門前に短時間駐車したのかというと、銀行とローソンに寄って帰宅したところ、門前および駐車場一帯でアスファルトのカッティング準備が進められており、さらには駐車場の対面にあるお宅の前に大きなRV車が駐車されていたからである。駐車場に車を入れるのは骨が折れるな、接触事故でも起こしかねないから、車は玄関前に仮止めしておこう。そのとき、そう判断した。
 家に入って、明星ラーメン「チャルメラ」を作った。イチローの試合をテレビでみながら、「チャルメラ」を味わった。やっぱり「チャルメラ」はラーメンの古典的傑作だと感嘆しつつ、イチローをみていたのである。そして家を出たら、車の窓に「放置車両確認標章」が貼ってあった。
 ただちに鳥取県警に電話して、事情を説明した。しかし、なんとも愛想のない、というか冷血動物のような返事しかかえってこなかった。
  「どんな理由であれ、不法駐車をしたことに間違いありませんからね。」
 わたしはゴールド免許についても聞いてみた。この「放置車両確認標章」による処罰の対象になると、ゴールド免許は剥奪になるのかどうか。すると、その返答は、
  「罰金を払えば、ポイントは減らしませんので。」

EIJsh0115.jpg

 その翌日、今度は若桜街道の凹み駐車スペースに車をとめて、近くの食堂に入った。しばらくすると、おかみさんの顔色が変わり、「どこに車を止められました?」と聞いてきたので、「前の駐車スペースですよ」と答えたら、「あきません、あきません、あそこに止めても、いまは駐車違反になってシールを貼られるんです。このまえ、あるお客さんが18000円も罰金を徴収されました」という。もちろん、急いで車を動かした。若桜街道の駐車スペースは、いったい何のためにあるのだろうか。できれば、知事か市長にお答えいただきたい。

 さてさて、なぜ今日、わたしは鳥取県警より送られてきた封筒を手にしていたのかというと、「弁明書」の提出期限が今月14日となっていたので、昼食を食べながら、その文面を考えようと思っていたからだ。ところが、おもてに出ると、駐車場の前に配水管を埋設する大きな溝状の穴が開いていて、車が出せない。まず、作業員に文句を言った。しかし、「わしはバイトだけぇ知らん」としか答えない。責任者は食事に行っていなかったが、ただちに帰ってこさせるよう作業員に依頼した。業者の責任者はまもなく戻ってきた。かれは困惑していたが、水道局に電話し始めた。わたしは県警に電話して、放置車両の係員に来ていただくことにした。水道局の責任者にも同じ依頼をした。
 先に来たのは警察であった。二人の警官がパトカーに乗ってやってきた。ともかく状況をみてくれ、こんな具合で工事を続けられ、駐車場の前にも大きなRV車が止まっていて、仕方なく玄関前に駐車したら、こういう罰金処分の対象となった。あまりにひどい処分ではないか、とかれらに問うた。そうすると、船越という年配の警官が答えた。
  「まず第一に、こういう水道工事は県警の所轄ではなく、水道局の所轄であって、自分たちには関係ない」
  「どんな理由があれ、違法駐車をしたという事実は事実だ」
  「いかに短時間とはいえ、車を止めたまま家に入ってラーメンを作るなどということをしちゃいけんですよ!」

EILsh0117.jpg

 若い岩垣という警官は、いくぶんやさしげに事をおさめようとする配慮がみられたが、リーダー格の船越という警官は「違反は違反」「規則は規則」という80年代中国を彷彿とさせるウルトラ官僚主義に徹し続けた。まさに冷血動物であり、その顔貌と態度は旧国鉄職員を思わせる。昔の駐在さんは、こんなことはなかった。町民と顔なじみで、親近感があったではないか。
 小泉首相は間違いを犯している。わたしたちは、郵便局に行ってこんなに不快な思いをすることはない。郵便局を民営化するよりも先に、腐った警視庁と全国の県警を解体・再編する必要があったのではないか。ともかく、県警はむちゃくちゃだ。かつて、修復建築スタジオにパソコン泥棒が入った際、いちど指紋採取に来ただけで、まともな捜査を全然してくれない。何度頼んでも、「指紋の結果が出てから」としか答えない。そのうち滋賀県で犯人が逮捕されたのだが、大学当局に通報するだけで、わたしには一切連絡がなかった。そこで、県警に電話したところ、
  「今日の日本海新聞に出ていたでしょ?」
と答えるのであった。わたしは鳥取で新聞を取っていない。しかるに、県警はすべての鳥取県民は日本海新聞を読んでいると思い込んでいたのである。
 こういう経験が鬱積しているので、交通課の二人の警官に対して、ネットで日記を書いているんだが、今日の事件とやりとりを公開するにあたって、「実名を出してもいいか」と問うたら、かれらはかまわないと答えた。だから、実名なのです、2名の警官については。

EIIsh0114.jpg


 その後、水道局の担当課長と主任があらわれた。かれらは打って変わって、頭(こうべ)を垂れ、ただちに自分たちの過ちを認めた。
  「この大きな穴の問題は、全面的に水道局に非があります。」
という陳謝を課長は繰り返し、主任も業者を強く指導して帰っていった。
 じつは、パトカーが来るまえに、業者は鉄板をわたして、駐車場前の大穴を塞ごうとしたのだが、わたしが止めさせた。県警および水道局に、配管工事の現状をみせたかったのである。県警交通課2名がさっさと帰った後、水道局の主任の指導で、駐車場と道路をつなぐ2枚の鉄板が渡され、わたしはようやく外出することができた。
 1時間20分もの時間を浪費してしまった。

  1. 2006/08/07(月) 22:45:34|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

襖百枚

EIDsh0109.jpg


 昼の12時、2階の襖があいた。そこに女性があらわれ、目が覚めた。なんてことだろう。ひょっとしたら、また今日は調査日で、三代目チャックがスカートを穿いて女装し、寝ぼけたわたしを起こしにきたのかとも思ったのだが、その女性はワイフであった。彼女は2日前から佐治の実家に帰省していたのだ。その目的は、各地に嫁いだ3人姉妹の同窓会であり、2日間キャンキャンおしゃべりしまくったらしい。そのついでに、我が家にも立ち寄ってくれたという次第。昨夜まで、来るのか来ないのか連絡もなかったので、突然の訪問に、正直、驚いた。

EIFsh0111.jpg

 どこで昼食をとろうかしばし悩んだのだが、蕎麦切り「たかや」に行くことにした。ところが、お店は満員御礼。待ち時間がもったいないので、はじめに加藤家に彼女を連れていった。外観は何度もみせていたのだが、内部に入るのははじめて。場合によっては、わたしたち夫婦がこの古民家に住むことになるかもしれない。
  「保存なんかしたって、住むモンなんぞおるですけえな?」
という某役人の揶揄が今も内耳の奥に残っているが、そんな皮肉には関係なく、わたしは自分が幼少のころに住んでいた六間取りの和風住宅を懐かしく思っている。ワイフは、もちろん、わたしほど民家や和風住宅に対する愛着が強いわけではない。しかし、彼女も田舎育ちだから、
  「昔の佐治の家を思い出すね」
という感想であった。

EIGsh0112.jpg

 ところで、学生やわたしなどの「特殊な」人物に限らず、一般の方々に住んでいただこうと思うなら、水まわりの整備をきちんとしなければならない。とくに、居住者のO城くんは、自力で一刻も早く、「五右衛門風呂」を修理し使用したいという願望をもっているのだが、わたしとしては、「五右衛門風呂」を後期プロジェクト研究のテーマとしてとっておきたい、という思惑もあって、いまどうしようか検討中。というわけで、今日は、五右衛門風呂を細かく観察した。たしかに傷みが激しい。これを、ジャッキアップによる基礎修理の段階で解体修理できないものか、と思うのだが、さてどうだろうか? 専門家の意見をよく伺わないといけない。
 半時間ほどして、蕎麦切り「たかや」に戻った。お客は減っていて、のんびり「もりそば」と「つけとろろ」、そして、そば湯を堪能した。

EIEsh0110.jpg

 そうこうしているうちに、タクオから電話が入った。自分が担当している社寺現場の古材をもってきてくれたそうで、岡村収集古材置き場に仮置きしてもらうよう頼んだ。さらにタクオは言う。
  「襖は要りませんか?」
しかも、
  「百枚の襖が余っているんです。」
 襖は欲しいけれども、「百枚」と言われると、さすがに逡巡する。現実問題として、百枚の襖を保管するには、六畳間分の容積が必要なのだという。じつは後期にむけて、古材収納庫の計画を進めようとはしているのだが、襖だけで六畳分と言われても、そんなに大きな仮小屋は造れない。しかし、加藤家の修復に襖は必要であり、将来的には卒業研究でも「襖絵」を扱おうと思っている。というわけで、百枚すべてとはいかないが、良質のものを20枚ほどいただければ、というのが偽らざる心境である。この気持ちをタクオは理解してくれた。

EICsh0108.jpg

 今日も暑かった。もう少し若かったら、夕暮れの海に行って、夫婦で少し泳いでみるところだが、そういう気持ちが萎えている。そもそも、ワイフは水着をもって来ていない。もう少し若ければ、水着ぐらい新しいのを買ってやるんだけれど、そういう欲が湧かない年齢になってしまった。だから、海沿いの9号線をドライブして、近くの足湯につかり、露天風呂に入ってきた。自転車に乗れなかった代わりに、サウナにも入った。体重計にのると、すこしだけ体重が減っていた。

  1. 2006/08/06(日) 23:31:33|
  2. リサイクル|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

チャックの一人反省会 PartⅢ in オープンキャンパス

 8月5日は真夏日であった。そのうだるような暑さの中、茶室には22名の来客があった。それぞれがどのような感想を持ったかはわからないが、山道を登ってきた甲斐があったという顔をしてくれていたかと思う。かくいう自分は暑さにやられた顔をしていたかと思う。
 失礼しました。

 今回、問題点はただひとつ。自分の下準備不足に尽きると考えている。というか、今回の自分のオープンキャンパスに対するモチベーションに問題があった。やる気がそこまで起こらなかったと言ったらわかりやすいだろうか。主な原因としては、
 ①前回の幹事から日があまり経っていない。
 ②担当が茶室の掃除と軽い打ち上げの買出しのみと勘違いしていた点。
である。他にいくつかあるが、割愛する。

 改善点としては、当日の人員と道具、流れの把握。予想される諸問題の解決法(トラブルシューティング)を考えておくぐらいであろうか。正直このあたりは基礎中の基礎であり、今ここで語られるべきものではない。ただ、モチベーションの低下はこういった基礎的活動をも鈍らせる。すべては自分の不徳のなすところである。
 もうじき21になる。もう少し行動に責任を持たねば、後輩に示しがつかないと考える20歳であった。

 前日の掃除や当日の接待での協力、ありがとうございました。特に飛び入りで接待してくれた1,2年生や茶道部の部長さん、お世話になりました。お礼がお菓子だけでごめんね。また何かあったらよろしくお願いします。では。

  1. 2006/08/06(日) 08:06:24|
  2. リサイクル|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

縄文の森のカンポン

20060805215038.jpg


 というわけで、オープンキャンパス初日。午前10時から「進学相談コーナー」に某助教授と陣取って、高校生諸君の対応に追われた。午後になると、ミニ授業をはじめとする各種イベントが催されたので、客足はいくぶん遠のいたが、昨年の初日より3名多かったとのこと。昨年、わたしは「さしがね」のミニ講義が満員御礼、茶室公開も30名以上の来客でにぎわったものだから、かなりな手応えを感じていたのだが、「進学相談コーナー」に訪れる高校生が少なく、その後の受験者数を不安視させていた。今回はわずかながら回復傾向を確認できた。

20060805220642.jpg

 一方、「廃材でつくる茶室」のほうは、昨年は午前10時からの公開であったが、今年は午後からとしたため、訪問客の総数は減ったが、それでも、22名のお客さまを接待した。わたしの土下座が奏効し、ゼミの女子学生はほぼ勢揃いしてくれたのだが、♂の代表茶道部副部長ヨリ君の着物姿に圧倒されてしまった。聞けば、部長も浴衣で茶を点ててくれたとのこと(下の女性は部長ではありません)。
 みなさん、ありがとうございました。

20060805220658.jpg


 公開終了後、簡単な打ち上げをおこなった。先月25日の加藤家打ち上げで残っていたビールを冷やしておいて、喉をうるおしたのである。アテは骨付きチキンの網焼き。もちろんコックはチャックである。「進学相談コーナー」を担当していた某助教授は、ぎっくり腰で下半身不随に近い状態であったにも拘わらず、打ち上げに参加してくれた。そして、茶室の内部と周辺をじろじろ観察し、
  「まるでカンポンだね、これで鶏が2~3羽走りまわっていたら、カンポンそのものだよ」
という。カンポンというのは、マレー語で「農村」のこと。岡村の傑作「盃彩亭」は、東南アジア農村のバラック民家だというわけだ。まぁ、そういう批評も受け入れましょう。
 ところで、わたしはふだんビールを飲まない。もっぱら焼酎のロックばかりなんだが、今日は暑くて、缶ビールを3缶もあけてしまった。すると、突然、強烈な睡魔が襲ってきた。
 ただちに、茶室に入り、爆睡状態に陥った。
 しばらくして、
  「先生、センセー・・・・」
という呼び声が聞こえた。わたしは自分がどこにいるのかわからなかった。
 すでに日は暮れていて、まわりにはtomatoちゃんとホカノしか残っていなかい。わたしはほろ酔い加減のまま、tomatoちゃんの照らす懐中電灯だけを頼りに山を下りていった。
 「チャックの一人反省会(Ⅲ)」を期待している。

20060805220706.jpg


[縄文の森のカンポン]の続きを読む
  1. 2006/08/05(土) 22:05:46|
  2. リサイクル|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

オープンキャンパスのご案内

 2006年8月5日・6日の両日、鳥取環境大学にてオープンキャンパスが催されます。ぜひ、キャンパスにご来場ください。

以下、環境デザイン学科の催事です。
※プロ研・デザイン演習など作品展示
5日 13:00~16:00 「廃材でつくる茶室」公開 クラブハウス裏山 山中

0pencampus2006s.jpg

縄文の森と蝉時雨の中でのお抹茶はいかがでしょうか。浅川研究室のメンバーがおもてなしをさせていただきます。
5・6日 終日 環境デザイン演習作品展示 情報メディアセンター
5・6日 終日 CAD・CG演習作品スライドショー 情報メディアセンター
5・6日 終日 プロジェクト研究パネル・模型展示 情報メディアセンター

※研究室公開
5日 13:00~16:00 木俣研究室  4階4409
5日 13:00~16:00 東樋口研究室 4階4411
5日 14:00~16:00 中村研究室  4階4417
6日 13:00~16:00 渡辺研究室  4階4401

  1. 2006/08/05(土) 00:52:37|
  2. 研究室|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
前のページ 次のページ

asa

07 | 2006/08 | 09
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search