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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

チャックとケンボーのインターンシップ日記⑨

 早いもので今日でもう9日目。自分は早起きで有名らしいが、正直朝はもっと寝ていたいのが本音である。ただ習慣は恐ろしく、1週間6時起きを繰り返すと眠くてもそれ以上眠れやしない。一度でいいからしてみたい。起きてめざましの生活から起きたらいいともの生活。10位のラッキーアイテムが積み木だったので、今日は木材を積んでみようと思う。
 午前中、朝から大不調のケンボーを事務所に残し、自分は工場内で計測をおこなった。わからないことを聞く度に親切に教えてくださる従業員に感謝しながら、走り回っていた。ちなみにケンボーは止まらないくしゃみ・鼻水と戦いながらバラバラのデータを集計していた。
 午後も同じくケンボーと別々に動き、計測と集計とで半日を過ごした。

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↑手書き ↓さらば、木津カウンター
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 ここで今日の教訓→今日は特にない。あえて言うなら教訓は無理してひねり出すものではないことが教訓である。(チャック)



  1. 2006/08/31(木) 23:59:40|
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めざせ、ハロン湾!(Ⅱ)

 というわけで、5日ぶりに鳥取に戻ってきた。今日は、いつもより1本早いスーパーはくと9号に乗った。京都発14:51。曇り空で、暑さは峠をすぎた感もある。乗車前、いつもと同じフルーツ&ベジタブルジュースのスタンドバーに入り、いつもと同じカシス&黒酢のミックスジュースを注文した。

 京都駅に移動する近鉄急行の車内から、マイケル・クライトンの『恐怖の存在』を読み始め、JR特急をまつ待合いの椅子に腰掛けてカシス&黒酢ジュースを飲みながら読み続け、スーパーはくと9号の自由席(2号車)でその上巻を読み終えた。大富豪ジョージ・モートンは環境保護団体NERFの祝賀パーティでマティニに泥酔し、モンテーニュの格言「くわしく知られていないことほど、固く信じられている」を引用しながら、NERFに対する資金援助打ち切りの演説をおこない、そのままフェラーリを運転して、海岸の崖に突っ込んで行方不明となってしまった(私註:かれは間違いなく生きている)。代わって登場してきたのが、MIT危機分析センター所長のジョン・ケナー教授。かれはモートンの自宅で、ある暗号を入手し、その解読から南極に飛んだ。そこでは、環境テロリストの3名が氷山を爆破しようと企んでいたのだが、それをなんとか阻止する・・・・という派手なストーリーの連続に息を呑む。
 すでに述べたように、この本の前提は「二酸化炭素排出に伴う地球温暖化」への懐疑であり、いまでは知識人のあいだで常識化している地球温暖化現象の科学的根拠がいかに乏しいのかを、各所でデータを示しながら、繰り返し説いている。それを講釈するのがジョン・ケナーであり、ケナーに反論し質問し続けるのがノートンの顧問弁護士ピーター・エヴァンズであって、両者の問答がこのフィクションの下地をなす。と同時に、それはクライトンが本書で主張したい核心的部分であるから、ケナーはクライトンの化身にほかならない。

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 下巻はベトナム調査旅行にとっておこう、と思う。上巻はさっさとワイフにわたしてしまおう。彼女は最近、友人から譲り受けた小説を読んでいる。その小説は、マイケル・クライトンの『タイムライン』であった。どうやらテレポーテーションに関するSFらしい。不思議なもので、たまに奈良の自宅に帰って、読んでいる小説を夫婦で見せ合うと、どちらもクライトンの作品だったのである。さっそく彼女に「地球温暖化に関する懐疑」について述べたところ、矢継ぎ早に反論された。
  「だって、佐治はあんなに暑くなかったもの!」
クーラーはもちろんのこと、扇風機だって要らなかった佐治の実家に戻ると、ものすごく暑かった、というのが彼女の論拠であり、それ以外にも、ピーター・エヴァンズと同じ通説をいくつも並べてみせた。わたしはケナーでもクライトンでもないから、ワイフを論駁するだけの科学的な証拠を示せるわけではない。だから、『恐怖の存在』を読んでもらうしかないと思うのだ(もちろん、わたしはこの本の内容を全面的に信奉しているわけではない)。

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 午後6時前に特急は郡家駅に着いた。しばらくすると、今日のインターンシップ活動を終えたチャックが赤い車で迎えにあらわれた。今晩は、9月2日に先発で渡越するC助教授と打ち合わせができる最後の一日だったので、チャックにも参加してもらうことにしたのである。調査道具や服装・カバン、旅程などについて、ひとしきり話をした。ハロン湾における水上集落は位置を固定していない。その集住形態を如何に図化するのかが、調査の大きなテーマとなる。クライトンの影響ではないけれども、ひとつ思い浮かんだのはGPSで、「歴史的建造物のデジタルマッピング」で大活躍したGPS付デジカメをもっていくことにした。今回のベトナム調査は、GPS付デジカメをはじめて海外で使う機会となりそうだ。ホカノ=某大学院生によると、海外での座標表示には、スーパーマップルやカシミールとは別のソフトが必要だそうだが、そのソフトでどんなことができるのか、今から楽しみだ。チャックはあとでホカノ先輩にその操作法を教わっていた。
 明日は、もう一人参加する学生(O君2号)と3人でカメラ類と実測用具を揃える。わたしたちの出発日は4日。C助教授と再会するのは、7日午前のハノイである。

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  1. 2006/08/31(木) 22:19:03|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記⑧

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 本日の順位は12星座中の12位。最下位である。しかも危うく「チャックのインターンシップ日記」になるところだった。占いは時に的確である。
 午前中は木津カウンター最終仕上げのフラットクリアー塗装の時間計測と下地研磨、穿孔機による椅子部材の加工、さらには面取り、ほぞ取りなど多岐にわたり時間計測をした。機械の名前や作業の名前、内容など、従業員さんに尋ねる度に作業の手を止めて親切に教えてくださる。ただでさえ工場内をちょこまかとして迷惑をかけているというのに、ありがたいことである。
 午後も多岐にわたる時間計測。ただ、ケンボーは別命によりウッドファクトリーにて印鑑の研磨をこつこつとこなしていた。次々と加工されていく木材は徐々に椅子の部材としての役割を与えられていく。少しだけだが、人の一生に似ている気がした。


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↑研磨の途中 ↓木津カウンター完成
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 ここで今日の教訓→0コンマ5の誤差を許さない、しつこさ。たった一つの穴を開ける作業だけなのに、何回も何回も長さを計り、機械を微調整し誤差を直していく。素人目にはどう見たって同じなのに、従業員さんたちにはまったく違って見えるようだ。良い意味でのしつこさがある。自分もしつこい仕事をしたいものだ。(チャック)


  1. 2006/08/30(水) 19:16:14|
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春日造の神社本殿

 盆明けから猛烈にスパートして動いてきたが、中日の休日を奈良ですごしている。山陰から東北をずっと列車でまわってきて、昨夕、京都駅に着いた時には、やはり「熱い」と思った。山陰も東北も、決して暑くないことはなかったが、やはり本場の熱さは違う。
 京都まで、たぶん15時間ばかり列車に乗った。そのあいだの楽しみは、鞄の片隅にしのばせておいたマイケル・クライトンの『恐怖の存在』なのだけれども、まだ上巻の200ページばかりしか読み進んでいない。おもしろい小説であるのはたしかだが、体が休息を要求しているので、読書は睡魔の誘発剤となってしまうのだ。
 ともかく、ジョージ・モートンの動きがおかしい。環境問題に関心を抱き、環境保護団体NERFに巨額の寄付をし続けてきた大富豪が、その寄付を中止するよう顧問弁護士のピーター・エヴァンズに指示し、それを実行してしまった。どうやら「二酸化炭素による地球温暖化」に疑問を抱きはじめたようで、世界中のあちこちを一人で動きまわっている。じつは、わたしも今晩、ちょっと地下に潜って活動しようと思っている。床下どころか、地下に潜らざるをえなくなった理由が何なのか。もちろん今は言えない。いずれあきらかになるだろう。

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 昼間は大極殿事務所から奈文研をまわって昨年度の報告書(池田家墓所知の財産・倉吉の町家と町並み)を配り、最後に西大寺フォトでベトナム調査用のフィルムを買いそろえた(鳥取ではポジ・フィルムが入手しにくい)。そろそろベトナム調査の準備を進めなければならないのである。帰りに、歌姫町の添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)に立ち寄った。ひょっとしたら、とち葺きこけら葺きの建物が境内にあるのではないか。そういう淡い期待は、あっさり裏切られた。初詣では瓦葺き拝殿の前までしか行かないので、今日は小高い丘陵を上り、本殿を側面と背面からはじめて眺めた。

  檜皮葺きの春日造。

 そりゃ、そうだろう。ここは奈良で、添御縣坐神社は式内社だ。大和における神社本殿の正統性をよく示している。しかも、小振りの春日造であるところが憎たらしい。御輿を起源とする春日造本殿成立の仮説を訴求するかのような姿にみとれた。個人的な見解をのべるならば、日本でもっとも広域的に分布する本殿様式、すなわち流造と春日造はいずれも古代住宅の平面に由来するものであろう。身舎(もや)の妻側に一面庇をつけたものが春日造、平側に一面庇をつけたものが流造であり、その構造を縮小し、土台上に建てて可動の神殿としたのではないか。

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 くりかえすけれども、屋根は檜皮葺きであった。軒付は厚い。棟には瓦葺の箱棟をのせて、獅子口で両端をふさぐ。様式はとても正統的で古めかしく、あるいは中世の建物かとも思われたが、そうであるならば重要文化財のはずだから、近世に下るのは間違いない。帰宅して調べたところ、宝暦5年(1755)の造替で、明治25年と大正4年にも修理されているとのこと。
 春日大社本殿よりも古く、円成寺春日堂・白山堂ほど仏寺化していない典型的な小社であり、学生の教育には最適の春日造神社本殿であった。講義用パワーポイントに加えようと思っている。

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  1. 2006/08/30(水) 18:27:24|
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国有形登録文化財の官報告示 -旧加藤家住宅主屋

 国の有形登録文化財に内定していた旧加藤家住宅主屋の官報告示が8月24日付けで正式になされました。ちかいうちに、登録文化財の標示板が届くはずです。
 以上は、米子の出張でいつも「ホテル松本」を利用する県教委の松本さんから連絡があった情報です。
 一昨日、お伝えしたとおり、加藤家では地盤調査を終え、まもなく曳き家の見積もりに臨みます。一方、HOWTEC(日本住宅・木材技術センター)との正式契約もまもなく交わされます。鉄板葺き屋根の設計を急がなければなりません。


  1. 2006/08/30(水) 00:48:29|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記⑦

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 占い11位の効果はすぐにあらわれた。工場に行く途中で携帯電話と時計を忘れたことに気付き、家に取りに帰ってしまったため到着が10分遅れてしまった。2週目に入り気が緩んでいるのだろうか。
 午前中は印鑑のサイズ計測と、木津カウンターの天板の修正作業、塗装の時間計測をした。本来ならすぐに塗装の時間計測ができるのだが、僕らがおととい研磨した天板は木目に沿って磨かれておらず、全部木目にあうように磨き直しをしなければならなかった。昨日の印鑑に続いての失態である。こころで謝りながら黙々と磨き直した。また、印鑑の方も昨日のデータがわかりづらく、再計測となった。どうして失敗は続くのか。その後、無事天板は塗装工程まで進み、自分は天板を塗装する従業員さんのムラのない塗り方にただただ感心してしまった。その頃ケンボーは一人、根気のいる印鑑の仕分けをしていた。
 午後は引き続き二手に分かれ、ケンボーは仕分け、自分はサンディングシーラー(ニスのようなもの)による天板への上塗り作業の計測をした。工場の各部署を見てまわって思うのだが、仕事をしている従業員さんはとてもかっこよく見える。仕事に対する誇りなどがそう見せるのだろうか。その後ケンボーと落ち合い、今日の作業のまとめなどをしていると、運送屋のおじさんからお声がかかり、二人で荷物の積み込み作業を手伝った。物を運ぶだけなのだが、とても楽しく気持ちよかった。積み込みが終わった後、おじさんからありがとうの言葉とジュースを頂いた。占いは時に嘘つきであることが今日わかった。

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↑ケンボーの手仕事 ↓積み込みチャック
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 ここで今日の教訓→お礼はきちんと言う。運送屋のおじさんの気持ちの良いありがとうの言葉は心に沁みた。そしてジュースは体にしみた。次も機会があれば手伝いに出たいと思った。たったひとこと言うだけで次もという気持ちになる。やはりありがとうは魔法の言葉だと再確認した。


  1. 2006/08/29(火) 20:08:46|
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仙台市「縄文の森広場」の活気

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 いま仙台駅の「ずんだ茶寮」で、仙台名物のずんだ餅を食べている。枝豆をつぶした緑色のあんこをたっぷりまぶした団子が3つに、暖かい黒豆茶と潮吹き昆布がついて525円。

 さきほどまで、山田上ノ台遺跡を訪れていた。7月のオープン・セレモニーに出席する予定だったのだが、寝台列車も飛行機も満席でドタキャンした代わりの訪問である。今春のゴールデン・ウィークに御所野縄文博物館の高田館長と訪問した際には、土屋根の復元竪穴住居に草は生えていなかったが、いまはご覧のとおり、イネ科植物(イヌビエが多い)が繁茂している。景観の質はますます向上してきた。

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 ところが、ここだけの話なのだけれども、じつは梅雨になって、大きな問題が発生していた。雨漏りである。山田上ノ台の復元住居については、これまでの失敗と成功の経験を最大限活かしてきたから、竣工後こんなに早く雨漏りするはずはない。わたしたちの考えた防水処理が効果のないはずはなく、正直、現地からの報告に耳を疑った。土屋根の防水について、わたしは田和山の方法で十分だと思っていたのだが、今回ペアを組んだ施工業者=TM社は、デュポンの防水シートを屋根下地(樹皮葺き)全面にかぶせることを主張した。通気性と防水性を兼ね備えるハイテク・シートで、触感はパンストのように薄っぺらで滑らかだが、強度も尋常ではないという。値段は高いが、業者がそこまで自信をもっているのだから、任せようと決めた。ただ、御所野大型住居の反省から、防水シートの上にソダ木を並べることにわたしは反対だった。TM社は、たしか土厚を確保するためにそれが必要だと判断したように記憶している。わたしは、ソダ木が防水シートを破ってしまう危険性を恐れていたのである。

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↑棟。テグスはカラス除け。 ↓天窓
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 しかし、事情は異なっていた。仙台市教育委員会からの報告によると、防水シートを敷きつめる際、防水シートに穴をあけて紐で樹皮下の木材と結びつけていたというのだ。
 そんなバナナ・・・防水シートに穴をあけたら、そこから雨が漏るのはあたりまえのことだ。しかも、その穴は樹皮下地をも貫いている。仮にシートに穴をあけるとすれば、その穴を覆うように重ね葺きしなければならない(葺き足の下面のみ穴をあける)。これは防水施工の常識である。それができていないのだから、施工業者の責任は動かない。
 わたしは、さっそくTM社の担当者に電話し、防水処理のやり直しを命じた。オープンセレモニーに間に合うよう、大至急の手当てが必要だった。しばらくして、紐で穴があいた部分にアスファルト・ルーフィングを施し、その上から屋根全体を再びデュポンのシートで覆うことになったという連絡があった。結局、デュポンのシートは新旧2枚を重ねて葺いたことになる。
 結果は上々であった。ただし、煙抜きの天窓周辺から雨水が吹き込む場合があるという。常時天窓を塞ぐわけにはいかないが、大雨のときには、天窓にシートを被せるなどの応急措置が今後必要となるだろう。

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↑縄文畑(エゴマ)から復原住居をみる ↓相談カウンターを通して展示室と事務室がつながっている。
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 山田上ノ台は活気があった。朝から老人の団体客が訪問し、ガイドに連れられて遺跡と博物館をみてまわっていた。とくにガイダンス施設2階の休憩所からの眺望は抜群で、ご老人たちは席をまったく動こうとしない。春には何もなかったガイダンス施設の屋根も、屋上緑化が進んでいて、眺望景観をいっそう引き立てている。一方、小学生たちは「勾玉作り」の体験学習に没頭していた。博物館の職員がパワーポイントで勾玉の作り方を説明し、黄色いベストを身につけたボランティアたちが手取り足取り指導している。
 公園内では、発掘調査もはじまっていた。ユンボで客土を剥いだところだが、すでに2ヶ所で住居跡の炉石が顔をみせている。調査トレンチの近くには縄文畑の栽培植物がすくすくと育っていた。イヌビエ、アワ、キビ、ヒョウタン、エゴマ、ソバ等々。太田所長によれば、エゴマで作った団子が大好評だったという。
 オープンから1ヶ月あまり。来訪者の数は、すでに1万人を超えている。ガイダンス施設のデザインにもう一工夫ほしいところだが、遺跡公園としての質は高い。昨年、一昨年と連続して訪れた英国の遺跡整備とくらべても、遜色はないレベルに達しているとわたしは思った。御所野や山田上ノ台は、英国などヨーロッパの先史遺跡公園と姉妹関係を結んで交流すればいい。三内丸山や吉野ヶ里では話にならないが、御所野や山田上ノ台なら、きっとヨーロッパの考古学者も喜んでくれるだろう。

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↑勾玉作り

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↑竪穴住居内部ジオラマの見学風景 ↓にぎわう2階の眺望休憩スペース
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  1. 2006/08/29(火) 13:19:51|
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御所野の女郎花

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 まるまる半日かけて、御所野遺跡にやってきた。ストーンサークル外周域の掘立柱建物2棟の着工が間近に迫っており、最終の調整をするためである。今回、一戸町は復元設計から施工に至る工程をすべて町自前でおこなうことにしており、設計業者にも施工業者にも仕事を発注していない。設計は町の建築担当技師、施工はある1名の大工さんが担当する。
 今日は基礎、地盤面、排水、ケツンニ(アイヌ型三脚)構造、栗樹皮葺き屋根、芝棟の細部について話を詰めた。おそらくこれで問題はないであろう。数年前に建てた3棟よりも質は高くなるはずである。
 午前中は長時間電車に揺られた影響で、列車をおりても、宇宙遊泳しているような感覚がとまらなかった。要するに、体調が芳しくなく、梅干やキムチのような、体を引き締める食べ物が欲しくなった。だから、いつもの蕎麦屋ではなく、懐かしい大衆食堂のホルモン鍋定食を所望した。平成8年、御所野西区で多数の焼失住居跡(縄文中期末)が発見され、研究所のブッラクベア(現文化庁)とともに調査に来ていたころ、しょっちゅう通った大衆食堂の味で、この店のラーメンも上手いが、ホルモン鍋は疲れた体力を補ってくれる。生姜とニンニクが効いた甘辛のタレに食欲が反応するのである。今日も、これを食べて、体力は回復し、午後の現地指導では元気を取り戻した。

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↑掘立柱建物の樹皮(栗)葺き屋根[現状] ↓新たに準備した葺き材と蔓
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 御所野には「おみなえし」が咲き乱れていた。遠目からは菜の花のようにみえるが、近くにみると、その花びらはさらに繊細である。山野に自生する多年草で、夏から秋にかけて黄色の小花を傘状につける。万葉集に「秋の七草」の一つと詠まれる。
 おみなえしは、平安時代の半ばころから漢字で「女郎花」と表記するようになった。べつに「遊女」や「花魁」に見立てているわけではなく、女を「おみな」、男を「おとこ」と呼んで、それぞれ「女郎」「男郎」の漢語をあてただけのことである。要するに、現代語の「おんな」は「おみな」の転訛というわけだ。そして、「おみなえし」とは「女飯(おんなめし)」のことで、粒々の花を粟飯(あわめし)に見立てたとする説が有力とされる。遺跡の片隅には、白い花をつけた「男郎花(おとこえし)」も咲いていた。オミナエシ科の白い花で、形はおみなえしにそっくり。白い飯は「男飯」だというわけか。

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 それから、駒木家の土蔵を訪問した。
 東北や北海道を訪れると、瓦屋根の住宅が少ないことに驚かされる。民家は葦葺きだが、一般的な建物には鉄板葺きが圧倒的に多い。これは、こけら葺きが現代的に変化した姿である。それが証拠に鉄板をめくると、一面にこけら葺きの屋根面が残っている。
 駒木家の土蔵は、二戸前の超大型であったが、すでにこけらを覆う鉄板葺きの鞘屋根ががたがたに崩壊し、雨水が土壁を削り、内側の小舞を露出させていた。しかし、内部の木構造部分に損傷はなく、その木柄の太さに目をみはった。ケヤキの棟持柱が2階にまで立ち上がっている。1辺が尺2寸はあろうかという面取りの角柱で、この柱に1階では大引が差し込まれ、2階では棟木がのる。この大引と棟木の成(丈)は尺5寸はあるだろうか。松の太径木である。こういうシンプルで力強い構造をもつ大型の土蔵は、西日本ではあまりお目にかからない。かつて、秋田県の近代化遺産調査でみたいくつかの藩蔵・酒蔵の構造とよく似ていた。

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[御所野の女郎花]の続きを読む
  1. 2006/08/28(月) 23:05:25|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記⑥

 前日の夜のうちに朝ごはんのサンドイッチを作っておいたので、朝はいつもより30分長く寝ようと目覚ましを6時30分にセットしたのにもかかわらず6時に起きてしまった朝はなんとも言えない悔しさがある。同じく占いが3位だったのも中途半端で悔しい2週目。
 午前中はひたすら下地研磨をした。塗装された椅子の毛羽立ちをサンドペーパーで磨く。ケンボーはこの手の作業が苦手らしく表情が曇りがちだったが、自分は得意分野なのか特に苦もなくやっていた。従業員さんがとても親切に研磨の仕方を教えてくれたからだと思う。ありがとうございました。
 午後はすっかり僕らの仕事として定着した圧密杉材の印鑑の研磨をした。実は前々回磨いた印鑑に不備があったらしい。全部僕らの責任というわけではないらしいが、インターンシップでお世話になっている手前、こういう事態は起こってはいけない。なので、いつもにも増してしっかりと磨いたら今度は時間がかかりすぎてしまい、まとめの時間が短くなってしまった。何事もバランスよくこなさなければと感じた。

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 ここで今日の教訓→自分が作った物が世に出る嬉しさと怖さを知る。自分の頭の中から出てきた商品や文章などが、世の大勢の人に触れられ認められ高く評価されることはとても嬉しい。実際に自分もブログの文章などをほめられると嬉しいものである。しかし、それは同時に否定(批判)される怖さも併せ持つ。否定されることとは極端に言えば世界との断絶である。今回の印鑑の不備が自分にそれを教えてくれた。世の中はそんなに甘くはないのである。ものづくりには自分で最高の出来だと思ったものを自ら全否定し、落ち度がないかを確かめる勇気がいると思った。(チャック)


  1. 2006/08/28(月) 22:05:41|
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スウェーデン式サウンディング試験 -加藤家住宅の地耐力検査

 本日、加藤家住宅の地盤状態を把握するため、「スウェーデン式サウンディング試験(通称:SS試験)」をAM9:30~PM12:30の時間帯でおこなった。SS試験とは、スウェーデンの国有鉄道が採用している試験であり、日本の戸建住宅における地盤調査はほとんどこの方式を採用しているようだ。

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↑試験装置の全景

 SS試験では、先端がスクリュー状になった「ロッド」と呼ばれる鉄製の棒を任意の位置に回転させながら潜行させて地盤の情報を得る。また、知り得る地盤の情報は、地質とN値である。N値とは、地盤の固さを表す数値であり、ロッドが180度回転する間にどれだけ地中に入ったかという数値をもとに算出される。

 加藤家住宅のSS試験では、オモヤの北面で2ヶ所、南面で2ヶ所の計4箇所でおこなわれた。ちなみに1ヶの試験に所要する時間はおよそ30分である。試験者の方の話によると、通例でのロッド潜行値はおよそ6mだそうが、加藤家住宅で検査したところ、北面1ヶ所、南面ヶ所で7m近くまで達していた。地質に関しても、ロッドを抜き取る際に粘性の土が付着しているのが確認できた。

 それらの検査結果は3~4日後に届けられる予定である。詳しい検査結果については、後日お伝えしていくつもりである。

 最後に、レーザーレベルを用いて各試験箇所の地表面の高さを計測し、今回のSS試験を終了した。(O1号)

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↑レーザーレベルによる地表面高の計測



  1. 2006/08/28(月) 18:01:19|
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サンライズ出雲にて

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 いま「サンライズ出雲」のシングル(B寝台)で原稿を書いている。深夜10時前、郡家(こうげ)から「スーパーいなば」に乗車、上郡(かみごおり)でサンライズに乗り換え、さきほど姫路をすぎたところだ。
 話題の新しい寝台列車に乗ったのは、寝台列車が好きだからではない。飛行機が高すぎる。鳥取-東京の全日空便は片道28,500円もするのだ。サンライズのB寝台は約25,000円だから、わずか3,500円しか違わないことになるが、寝台車なのだから、宿泊費が要らない。モノレール代も要らない。だから、13,000~15,000円の差額が生まれる。それにサンライズには「ソロ」と呼ばれるもっと安価な寝台もある。残念ながら、ソロのチケットは売り切れていた。サンライズのシングルはカプセル・ホテルのように快適な部屋である。
 サンライズは早朝7時に東京に着くが、目的地は岩手県一戸町だから、東京で「はやて」に乗り換える。帰りは仙台からで、こちらは伊丹まで飛行機を使おうと思ったのだが、運賃を調べるとやはり高くて、29,500円もする。だから、帰りも飛行機を諦めた。「はやて」から「のぞみ」に乗り換えると、約21,000円なのだ。というわけで、この2~3日間、ずっと列車に乗ることになってしまった。
 暇つぶしの道具はもちろん用意している。マイケル・クライトンの『恐怖の存在』(上)(下)をカバンの隅にしのばせておいた。『ジュラシック・パーク』や『ディスクロージャー』でお馴染みの大ベストセラー作家が、今回は環境問題に取り組んで、壮大な小説に仕上げている。なにより注目すべきは、「地球温暖化は錯覚にすぎない」という懐疑的な前提で、主役となるのは「環境テロリスト」たち。お色気もたっぷり散りばめている。
 寝台列車と新幹線の中で、(上)(下)を全巻読み切れればしめたものだ。

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  1. 2006/08/28(月) 00:05:44|
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夏の終わりに -仮面の裏側(Ⅱ)

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 いま田園町宿舎の裏庭では、つくつくぼうしが
   「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」
と鳴いている。秋の訪れを感じさせる夕暮れ。午前中、国道9号線の海岸沿いに車を走らせ、大好きな夏の日本海に目を奪われていた。しかし、もう夏も終わる。ひょっとしたら、今日が夏の日本海も見納めかもしれない、そう思って白兎海岸近くのコンビニに停車し、船小屋を含む日本海の写真を撮った。

 倉吉は暑かった。今日のわたしの仕事は、学生たちが取った調書(データベースの元資料)の確認。80戸あまりの世帯を次から次へ尋ねてはインタビューを繰り返した。話のわかる家主さんの場合、2階に上げてくださる。2階に上がれば、仮面の裏側に隠された町家本来の姿に接することができるのである。
 いくつかのヒット商品を紹介すると、まずはカットサロン。間口の狭い看板建築だが、2階には大正時代の数寄屋意匠がふんだんに隠されていた。マダムもこの建築をいたくお気にいり。つぎはスナック。幕末の2棟の町家にはさまれたスナックは、よくみると、両側の町家と屋根の高さがほぼ変わらない。いわゆる中2階式であり、両隣と同時期の建築と思われる。内側には古式の小屋組が残っている。第3はスポーツ用品店。2階にあがると、水平筋交をともなう豪快な洋小屋(木造トラス)の小屋組に圧倒される。聞けば、かつては山陰合同銀行の支社であったという。
 このように、2階に上がらせていただければ、伝統的な意匠と構造を堪能でき、それによって建物の年代も推量できる。ただ、「2階は勘弁して」というお宅のほうが多くて困った。
 仕方のないことである。自分が逆の立場なら、やはり自宅の内部公開は控えるであろう。
 ともかくこの作業にへばった。なんとか半分(南側)をこなしたところで、実測を終えた「北から来たの」さんが合流してきたので、二人でこっそりお店に入り、オレンジのジェラードを食べた(数あるジェラードのなかでオレンジが一番人気、次がミルク)。わたしはチャイまで飲んだ。そうこうしていると、O君2号も店先にあらわれたので、オレンジのジェラードをご馳走してしまった。
 田園町の宿舎に戻り、つくつくぼうしの鳴き声を聞きながら、真っ先にシャワーを浴びた。とんでもない量の汗をかいたからである。そのあと、遅れて帰ってきた学生たちと合流し、中華料理の「昇龍」でかるく打ち上げをした。生ビールがうまい。

 夏の終わりは、まだ蒸し暑かった。

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↑↓カットサロン。大正の建築。
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↑↓スナック。幕末の建築。
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↑↓旧山陰合同銀行

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  1. 2006/08/27(日) 23:56:45|
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この夏のアーケード街調査を振り返って

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 今月は8日、9日、10日、18日、21日、27日と倉吉打吹アーケード街調査をおこないました。6日間、多くの仲間に協力して頂きました。暑い中汗だくになり、協力して頂き感謝しています。また、商店街の方々に調査に協力していただき、誠にありがとうございました。おかげさまでここまで無事調査を終えることができました。
 調査内容はデータベースのための聞き取り、アーケード街連続立面の実測調査、数棟の看板建築の詳細の立面図・平面図・矩計図の実測調査、腕木の拓本取りといった作業です。 
 これまで予定してきた調査も何とか終わりを向かえ、今とてもほっとしています。これからの図面を起こす作業のことはひとまず忘れて、これから一日ゆっくり休みたいと思います。調査は大変だったけど、今、終わってみて、満足感というか、なんというか、とにかく楽しかったーという気持ちが強いです。また、初めのころは戸惑うことの多かった図面を描く作業・実測調査も、ここまで調査してくると作業に慣れてきて、それが嬉しかったです。(4年 A・Y)





  1. 2006/08/27(日) 22:43:08|
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倉吉打吹アーケード街調査(Ⅵ)

 倉吉の調査6日間が終了しました。
 今回調査に協力していただきありがとうございました。

 今日は18日、21日よりもアーケード内は過ごしやすかったですが、まだまだ暑く汗だくになりながらしていました。「M邸」「A邸」「S邸」の三軒の看板建築の矩計図、立面図、側面図ととりました。その他に、k邸の側面図をとりました。O君2号(2回生)の図面は細部まで細かく、見習いたいとこ満載でした。
 わたしは、A邸の3階でIさんと図面をとっていました。三階に上るとむっとした空気。二人で「暑い」と一言。窓を開けると風が吹くけれども、暑いものは暑い。タオルがしっとりと濡れていました。
 先生には聞き取りの補足と確認、全戸をまわってもらい写真を撮っていただきました。
 ありがとうございました。(4年K.M)

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↑やっちゃん2号(左)とやっちゃん1号(右)=大番頭さんです。

  1. 2006/08/27(日) 22:15:55|
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トチ葺きを探る(Ⅱ)-湯梨浜町安楽寺

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 河原町の樋口神社に続き、今日は湯梨浜町の安楽寺を訪問した。なぜ安楽寺なのかというと、尾崎家の対面にあるお寺だからである。というか、安楽寺は尾崎家の菩提寺であって、尾崎家抜きには語れない浄土真宗の寺院である。建立は文化年間。

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 今日は、某カップルが尾崎家対面にあたる安楽寺山門周辺の連続立面を実測した。わたしは写真を撮影しながら、お寺の建築をじっくり観察した。山門は和様を基調としながらも、台輪上に和様三斗の詰組をのせ、組物の大斗に皿斗をつけるなど、禅宗様および大仏様の要素を織りまぜた折衷様の建物である(近世社寺建築は大半が折衷様なんだが)。後方斜めに控える鐘楼は台輪とともに、全面扇垂木を採用しており、さらに禅宗様の色彩が強くなる。一方、本堂の軒をみると、桟瓦葺きの下地が二重軒付のトチ葺きになっていた。
 そういえば、トチ葺き下地の瓦葺きも少なくない。トチ葺きだけでも雨が漏らないのに、その上に瓦を葺くのだから、万全だ。経費の都合上、一気に瓦が葺けない場合、背面だけトチ葺きを残しておいた例も報告されている。

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 今日は、カメラマンに徹した。最初に欄間の撮影をした。大工彫りで知られるオモヤのナカノマ・オモテ境の欄間と仏間の彩色彫刻欄間をF4とデジカメで撮影した。まずは、スケールなし、次にスケールをあてて撮影した。仏間彩色彫刻欄間は、みるからに古めかしく、ご主人によれば桃山時代の作という。堅田門徒の活動した時代である。さらに仏前に吊された「下げ灯籠」も彫刻欄間と同時期の作であるとのこと。六角形の笠に蕨手をつけるその姿は、三仏寺本堂の御輿を彷彿とさせた。いずれも高御座(たかみくら)系列の意匠である。オモヤの大工彫り欄間と仏間の彫刻欄間は立体的であり、拓本(乾拓)には適さないから、業者に頼んで写真測量してもらおうと思っている。

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 安楽寺山門周辺の連続立面撮影を経て、午後からいよいよ屋根裏にのぼり、サス組と小屋組を撮影した。まず土間上の梁組の上にのぼった。恐ろしくて、足が震えた。
  「許してください、もう2度とホカノをいじめません・・・」
と懇願したのは昨秋の三角山登山以来のことである。だって、あんなに高い梁の上から、硬い堅い土間に落ちたら死んでしまうか、半身不随になるかのどちらかなんだもの。それに、煤が粉雪のように梁の上に溜まっている。ひょっとしたら、江戸時代初期以来の煤の堆積かもしれない。煤に触り、煤を跨ぎ、煤に腰掛け、写真を撮った。おかげで、衣服は真っ黒になった。スウォッチの腕時計も、緑色の数珠も、チェンマイの山間寺院で手首に巻いてもらった聖糸サイシンもすべてが真っ黒になり、高野山で買った黒檀の数珠はさらに黒味が益して闇夜の烏のようになった。

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 なんとか死力を尽くして撮影を終え、地面に降りてきた。ハンドの水で服や肌や調査具を洗い、ホカノがもってきた作業着に着替えて、3時のおやつをいただいていたところ、調査隊長の「北から来たの」さんから容赦ない指令を頂戴した。
  「センセー、今度はイロリ間の上にもあがって撮影してください」

 生まれてくるんじゃなかった。
 こんな人生を送るはずではなかった。

 フラッシュ付きの重たいF4を首から垂らし、手にデジカメをもって、わたしは屋根裏に帰っていった。今度は天井の裏側だから危険ではないが、やはり煤の被害にあった。着替えた作業着は、また黒く汚れてしまった。帰途、コンビニに寄って、「Tシャツはありませんか」と問うたところ、「下着ならあります」との回答で、結局、作業着のまま「うどんの千代志」で夕食をとり、ミーティングをした。
 便所の鏡に映る自分の姿をみて、汚い、と思った。

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  1. 2006/08/26(土) 23:42:37|
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尾崎家住宅第2次調査を終えて

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 今月の22日、24日、26日と湯梨浜町尾崎家住宅において実測調査をおこないました。3日間とも多くの仲間に協力していただき、作業は著しく前進しました。天気のいい日が続き暑い日々でしたが、皆様本当にお疲れ様でした。そして夏休み中にもかかわらず参加していただき本当に有難うございます。今回の調査では、蔵8棟、欄間、オモヤと仏間の展開図、腕木の拓本、対面する安楽寺山門周辺の連続立面の実測を無事終えることができました。
 3日間お世話になった尾崎家のご夫妻にも重ねて御礼申し上げます。いつもやさしく何かと気にかけてくださり有難うございました。また、ご主人には病み上がりのところ調査に快く応じていただき本当にお世話になりました。まだまだ暑い日が続きますがお身体ご自愛ください。(調査隊長「北から来たの」)

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↑屋根裏での架構調査。鳥のさえずりが終始聞こえた。






  1. 2006/08/26(土) 21:47:49|
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湯梨浜町尾崎家調査(Ⅲ)

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 22日、24日と続いた尾崎家調査も本日最終日を迎えました。
先日の土蔵の補足をなんとか終わらせ、その後は主屋の二階に上がらせていただいて実測調査をおこないました。二階は納屋になっているようで、部屋の隅に置かれた蓄音機やラジオ機器が年代を感じさせます。そういった品物達の間をぬって、二人がかりで実測作業を進めました。土蔵と比べ窓があり明るいものの、この熱のこもりようは尋常ではありません。
 午後からは拓本のお手伝い・・のはずが体調を崩して休憩をはさませてしまうことに。時間も無いというのに申し訳ないことです・・

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 この調査3回、振り返るとお昼の後は何故かかならず体調をくずしていました。ご飯がだめだったのか私が弱すぎなのか、おそらく後者です。気を取り直し、なんとか作業を終えることができました。カーボンで藁半紙をこすり、模様が綺麗にとれると感動せずにはいられません。

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 五時の鐘を合図に、3回続いた尾崎家調査は終了し、ご夫妻に見送られながら湯梨浜町を後にしました。今回の調査では土蔵、主屋二階と割と閉塞的な空間での作業が続いたのが印象に残っています。実測ではまだまだもたつきます、書き間違えます、わざわざ難解に描きます、努力しなければいけません。色々と。
 炎天下の外や灼熱の土蔵のなか、風のそよぐ母屋に足の着かない屋根裏まで隅から隅まで動き回った皆さん本当にお疲れ様です。(戸的tomato/デザイン学科3回生)

  1. 2006/08/26(土) 20:26:09|
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木工機械を操る勤労青年

 今日もまた中国工業のH社長から、「木工機械を操る勤労青年」と題するメールが送信されてきた。インターンシップの写真が2枚ついている。ほんとうにありがとうございます。
 と同時に、チャックからは4日分の日誌がまとめて送信されてきた。
 こりゃ、えらいこっちゃっ!
 以下、一挙掲載です。


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  1. 2006/08/25(金) 23:59:10|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記⑤

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 8月25日 寝ボケまなこで時計を見たら5時45分だった。しかし、今日は迷わずに起きて昨日の夜洗った洗濯物を干した。早朝の風はもう夏のそれではなく、秋を感じさせた。まぁ昼間は真夏日なのだけれど。そういえば今日は占いを見逃してしまっ
た。なんのこっちゃ。
 午前中は昨日の作業で出た修正分の研磨をし、その後椅子の要となるウレタン付け(クッション部分)や布はり等の作業の時間計測と、エアータッカー(強力なホッチキス)で実際に作業をした。エアータッカーでの作業はケンボーの得意分野なのかひと言ふた言説明を聞いただけでスイスイやっていた。(といっても、ケンボーが1つ仕上げる間に従業員さんは3つも仕上げていた)しかし、自分はまったくダメだった。一つ二つ手を動かすたびに従業員さんを呼び、作業の手を止めてしまった。頭の下がる思いである。
 午後は今週した作業のまとめとデータ整理をした。5日間で様々なことやっていた。1日目よりはるかに工場の機械に関する知識が増えている。知っていることが増えるとその分作業も楽しいものになる。知ることは楽しい。大まかにまとめた後、以前やった圧密杉材の印鑑の研磨作業をした。2日前より早く作業を終えることが出来た。その後釣り好きの従業員さんの下で高速面取り盤の時間計測をさせてもらい、中国工業を後にした。いつも思うのだが、帰る時に見える糸谷の夕焼け空はとても綺麗だ。贅沢なことである。

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↑作業風景 ↓木津カウンター:天板
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 ここで今日の教訓→わからないことを書き出すと次に何をすればいいのかがわかる。今週の作業のまとめをしているとき、何がわかってないのかをわかっていなかったので来週は何を調べればいいのかわからなくなった時があった(ややこしい)。そんな時、それらを紙に書き出したとき、いっきに頭の中が整理され、来週何をすべきかが見えてきた。どこかの儲けの指南書だかにも同じようなことが書いてあったと思う。
 紙は、偉大である。(チャック)


  1. 2006/08/25(金) 23:48:48|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記④

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 8月24日 今日は5時50分に起きてしまった。目覚ましにセットした6時15分まで25分。2度寝するには非常に危険な数字である。そうこうしてる内に6時になった。なんのこっちゃ。だから占いが11位だったんだ。
 午前。昨日の続きをケンボーと共に黙々とこなした。ケンボーはにかわでの接着。自分は始め自動カンナ盤と向き合い昨日接着した材の面を平らに整え、その材に鉛筆で商品の最終形となる円の下書きをした。にかわでの接着を終了したケンボーは帯ノコでその円を大まかに切り取り、自分は切り取ったそれを持って一昨日とは違うNCにかけた。NCは見事な正円を切り出し、自分に渡してくれた。それを持って次はルーターで円の角を取った。ケンボーは相変わらず帯ノコに向かっていた。
 午後。午前中に終わらなかった作業を片付け、あとは材を商品として世に出せるようにする作業ばかりである。横型ベルトサンダー・風船・縦型ベルトサンダー。聞きなれない研磨機械を相手に2人は時間いっぱい苦闘した。

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↑THE帯ノコ ↓円加工
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 ここで今日の教訓→楽しさの裏にはその楽しさを支える人がいる。今日の作業は4日間の中で一番楽しかった。仕事であるので楽しいと言えば語弊があるかもしれないが、とにかく夢中になれた。しかし、それは自分が工場に慣れ、機械がわずかだが扱えるようになったからではない。自分たちの裏で作業がしやすいように配慮してくださる従業員さん達がいるからこそ、楽しくやれるのである。今日は特にそれを感じた1日だった。
(チャック)
  1. 2006/08/25(金) 23:45:35|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記③

 8月23日 朝6時10分。今日は目覚ましより5分早く起きた。もうそろそろこの書き出しを止めようかと悩む。ちなみに今日は燃えないゴミと資源ゴミの日で、占いは3位。インターンシップが始まって早3日経ってしまった。自分はしっかりと働けているのだろうか?
 午前中は作業時間の計測をした。従業員さん達の作業を見せていただき、ある1つの椅子の各部材を10個作るのに何秒かかるか計り、1個あたりにかかる時間を割り出すのである。時には手伝いながら、時には作業のお邪魔をしながら二人で言われるままに時間を計った。午後もほぼ同じ作業。ただただ従業員さんの手馴れた手つきで材料を加工していく姿に翻弄され続けた1日だった。ちなみに自分が1日中材料を追って計測した作業を箇条書きすると、
 ①木取り ②縦割り ③手押しカンナ盤での仕上げ ④自動カンナ盤での仕上げ  ⑤木目合わせ ⑥高速面取り盤での面取り ⑦にかわで部材を接着(※番号は作業順)
 明日はこれの続きである。

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↑調査用紙 ↓木津カウンター原材料
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 ここで今日の教訓→きちんと自分の考え(今回は指示されたこと)を『伝える』。今日は社長さんから指示されていた事を覚えていたのにもかかわらず、その場の流れから、指示と違うことをしてしまい、社長をはじめ従業員さん達にご迷惑をかけた。自分は変なところに遠慮するくせがあるためこのような結果になってしまった。もう少し積極的に自分の意志を出さなければ、後々で取り返しのつかないことになる。メモを取るなどの対応が必要であると感じた。
 余談ではあるが、高いわよと言ってまたもや事務のお姉さんに出していただいたコーヒーは、やはりうまい。(チャック)


  1. 2006/08/25(金) 23:40:58|
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チャックとケンボーのインターンシップ日記②

 8月22日 朝6時15分。今日は目覚ましといっしょに起きてしまった。今日は燃えるゴミの日である。前日から準備してあった県指定ゴミ袋と共にケンボーを迎えに行った。ちなみにめざましテレビの占いは1位であった。
 工場に着いたのが7時50分。前日同様事務所へ行き、今日は営業部長さんと初顔合わせ。それから説明を受けラジオ体操へ。青空と田んぼと工場の中体操。なんとも心地良い光景である。

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 午前中の仕事は中国工業のフェラーリ、NC(ニューメリックコントロール)を使って椅子部材をベニヤ板から切り出す作業。NCに設計図と動作のプログラムを入れ、微調整をすれば後は前日のカンナ盤同様機械頼みである。なので人間はスイッチを入れ、ベニヤ板をセットすればよい。けんぼーはスイッチと板の設置、自分は切り出された部材をサンドペーパーで磨き、整理する役である。もちろんプログラムはH社長が担当した。午前中いっぱいでは終わらず、昼休みを挟んで午後もこの作業を続けた。それが終わった後は圧密杉材でできた印鑑の研磨。ワックスをつけた回転布巾に印鑑を近づけ磨く細かい作業。2人で交代しながら作業し、こちらはなんとか時間内で収まった。

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↑設計図 ↓完成品
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 ここで今日の教訓→1杯の熱いコーヒーは疲労を溶かし、眠気を沈める。コーヒーを飲んだらこうなるのだが、そういう意味ではない。お昼休み、今日だけ特別だと言って事務のお姉さんが自分も休憩中なのにもかかわらず、僕らにコーヒーを入れてくれた。確かにコーヒーの物理的効用は午後からの作業に効いたのだが、そうではなく、自分はこの心遣いに仕事へのやる気を見出すことが出来た。心遣いこそ、疲れを取り、活力を生む。自分が疲れている時、周りに対して何が出来るか?ここで差が出る気がした。
 休憩時間に飲んだコーヒーが心に沁みたのは言うまでもない。(チャック)


  1. 2006/08/25(金) 23:30:55|
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雑魚釣りの快楽(Ⅱ)

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 昨夜の大学にて、先生から「行かないか?」と、誘われたのだが、お断りした。けれど、行きたい気持ちを残してはいた。そのまま、下宿に帰るとそこに釣り道具があった。それらは自分のポケットに入れていたために、返しそびれたハリ、ウキ、ハサミなど、釣りには無くてはならい道具ばかりだった。
 これは「もう一度釣りに行け」という教示ではないかと思っていたら、先生からお誘いのメールがあり、ふたつ返事で快諾させていただいた。
 午後4時に先生宅でおちあい、再びS川へ雑魚釣りに出かけた。今日、私の格好は、半ズボンにスポーツサンダルと準備万端。このサンダルはくるぶしも固定するタイプなので、前回のように波に流される心配はない。気合は十分で、釣り場に望む。着くと5時前、時間も惜しいので、手早く仕掛けをつくる。川辺におりると様子が違っていた。水量がさらに少なくなって、副流が干上がりきっており、「ここまで差がでますか」と驚きながら、自然の変容に感心した。
 今日は橋脚周辺に絞って釣りはじめた。幸いにも、餌となるクロカワムシは、大きな石をひっくり返すと3匹ほどいたりしたために困ることはなかった。水面には、魚が飛びはね、おおよそのポイントもつかみ、「こりゃ、釣れば大漁だ」と期待をさせた。けど、それは甘かった。私の竿には、まったくもってアタリがない。まわりには、魚が飛び跳ね、先生は「もう7尾も釣れたぞ」、「こっちにくれば、たくさん釣れる」といわれたが、私は魚がそこにいることはわかっていたので、動かず、ムキになって糸をたらし続けた。だが、アタリがない。そこに追い討ちをかけるかのように、魚は水面を飛び跳ねながら、私に向かってくる。もう魚から嘲笑されているような気にさらされ、ポイントを変えることにした。

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↑今日の成果。シラハエがわかるかな? クロカワムシも2匹いる。 ↓中央がシラハエ(オイカワ)、上下がアブラハエ。
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 その後は、無事に釣り上げて、気分は晴れた。最終的な成果はすべて小ぶりながら、私が7尾、先生は17尾、計24尾(アブラハエ23尾、シラハエ1尾)となった。
 釣った魚は、きちんと持ち帰り、ノビタ記者も招待し、3人でお腹のなかにおさめた。調理方法を広げようと模索しているため、今回はソテーとして、付け合せにエリンギとマッシュルームを添えた。生臭さをとるため、生姜汁と刻みパセリをまぜた白ワインに魚を浸けこんでから、ニンニクの香りづけをして魚を炒めた。泥臭さは微塵もなく、おいしくいただけたが、小骨が少々気になった。(やっちゃん1号)

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  1. 2006/08/25(金) 23:24:45|
  2. 食文化|
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トチ葺きを探る(Ⅰ)-河原町樋口神社

 学生諸君にも、木推協のみなさんにも、わたしが加藤家の修復で採用しようとしている「トチ葺き鉄板被覆」の屋根について、どうもしっかりイメージしていただけていないようだ。関係者には何度か漏らしてきたのだが、それは神社に多用される「トチ葺き銅板被覆」屋根の応用である。
 そこで、今日から折りをみて、この手の屋根をもつ社寺を見学してまわることにした。今日は、うちの大番頭=ホカノとともに、河原町の樋口神社を訪問した。ちょうど、銅板葺き替えの真っ最中であった。職人さんは、若いけれども気さくな方で、「どうぞ上がってください」とのことで、足場の上から写真を撮り、質問に答えていただいた。今日は時間がないので、写真の解説に徹したい。 

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↑拝殿の軒先では、古いトチ葺き屋根の上にベニヤ板を貼っり、防水シートを敷いてから、横長の銅板を段々に葺き重ねていた。本殿と拝殿を覆う足場(素屋根)の経費は80万円。とくに時間的な制限はないという。

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↑防水シートと銅板の関係。勾配のきつい部分では、ごく一般的なカラールーフ(上の深緑)を防水シートとするが、軒に近くて勾配の緩い部分には上質のゴムアスという防水シートを用いている。今回使用したゴムアス(淡い緑灰色)は1枚1万円。安いものでは、1枚2000~3000円のものもある。防水シートの上に横桟を打ち付け、銅板を葺く。

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↑拝殿の軒付。トチ葺きの木口が部分的にみえる。完全に隠さないことが肝心。軒付を優雅にみせる工夫だ。

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↑本殿向拝の木鼻と繋虹梁。絵様は幕末~明治初期の様式を示している。本殿と拝殿は同年代の建立と思われる。

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↑本殿は二重軒付としていた。拝殿よりも格上。民家にも応用すべきかどうか?

 大学に戻ると、県の松本さんから三仏寺納経堂と聖神社本殿の画像が送られてきていた。三仏寺納経堂は奈文研古環境研究室の年輪年代測定により、平安時代の建物であることが判明している。
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↑三仏寺納経堂トチ葺き屋根修理前 ↓同修理後
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↓三仏寺納経堂トチ葺き屋根修理前 側面
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↓聖神社 蛇腹を用いた高級のトチ葺き。こんど視察に行きましょうか。
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  1. 2006/08/25(金) 21:47:54|
  2. 建築|
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湯梨浜町尾崎家住宅の調査(Ⅱ)

 一昨日に引き続き、今日も尾崎家の調査に行きました。今日も夏らしく、ジリジリと太陽が肌を焦がそうとしていました。尾崎家に到着して車から降りると、むぁぁんと夏独特の暑さが私たちを襲ってきました。今日も暑いなぁ・・・と思いつつ、家の中に入ってみると外とは大違い! とっても涼しかったです。そんな涼しさに感謝しながら、私は今日も一昨日と同じように、展開図を採ることになりました。展開図の作成はこれで2回目。やったことがなくてオロオロしていた一昨日よりは、スムーズに作業を始めることができました。スケッチを描くまでは思ったよりスラスラできるのですが、困るのはその後の実測なのです。どこを測って、どこを測らなくても良いのかが分からず、一人でやっていると混乱してしまうのです。結局、今日も手が空いた人に手伝ってもらい、何とか終わらせることができました。今度は、どこを測るべきかちゃんと理解しながら、作業が進められるようにしたいと思いました。
 また、今日も家の方に冷たいお茶などをいただき、とてもありがたく感じました。あまり迷惑をかけないように、手早く作業しなきゃダメだなぁ・・・とも感じました。明後日も調査に伺うので、今日以上に頑張ろうと思います!(環境デザイン学科2年茶道部部長)

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[湯梨浜町尾崎家住宅の調査(Ⅱ)]の続きを読む
  1. 2006/08/24(木) 22:47:51|
  2. 建築|
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山陰の「ひと」 -加藤家居住学生の記事

 昨日(23日)、沖縄で就職活動していた加藤家の居住者Oくん1号が鳥取に戻ってきた(今日は尾崎家の実測調査に参加した)。そのタイミングを見計らうように、山陰中央新報がOくん1号の記事を掲載した(9月23日山陰版)。「ひと」の欄である。取材の申し入れは7月11日(火)にあり、取材は7月13日(木)のプロジェクト研究活動時に加藤家でおこなわれた。わたしは学内にいて、同席していない。

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 掲載がこんなに遅れてしまったのは、正直なところ、賞味期限が切れてしまったからであろう。そもそも、「学生が古民家に住む」こと自体、そんなに注目されるほどの現象ではないとわたしは思っている。民家や町家に住んでいる学生・大学院生ならば、全国至るところにいるはずだ。なぜ、民家や町家に住むのかと言えば、
  1)伝統的な住まいに居住体験したいという意欲と好奇心
  2)生活費の節約[借家賃は無料]
の2点に集約できる。貧乏生活を送っている学生たちにとってみれば、1)だけではなく、2)も軽視できない魅力である。

 今回のプロジェクトで最も重要なポイントは「ローコストによる文化財古民家の修復」であり、その手法の一部にツリーハウスや「茶室」で培ってきたセルフビルド&ゼロエミッションの手法を応用するところにマスコミには注目してほしかった。だからこそ、前期のイロリ復原は意義深い活動だったのだが、マスコミの食いつきは悪かった。食いついてほしいポイントで食いついてくれない。昨日の川釣りとよく似ている。

  1. 2006/08/24(木) 21:32:48|
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雑魚釣りの快楽

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 今日のスケジュールに入っていた3つの仕事を終えたので、
   「ちょっと川釣りに行ってくるわ」
と小声で宣言したところ、やっちゃん1号(野人=ホカノ=某大学院生)は、
   「あのぉ、川釣りなら、ぼくも興味あるんですけど・・・」
というので、やっちゃん2号(料理人Y.N.)も誘って3人で川畔に向かった。
 川釣りと言っても、雑魚釣りである。鮎や岩魚や山女魚を狙っているわけではない。たんなるハエの流し釣りにすぎない。子どものころ、夏休みになると、毎日のように流し釣りに出かけていた。午前中は「夏の友」をすることになっていて、自宅で勉強専念、午後になると川にでてシラハエ(オイカワ)を釣った。これが毎日の遊びであり、なによりの楽しみであった。ともかく清流と爽風に包まれ、気持ちがいい。仕掛けはものすごく単純で、竹竿にテグスを垂らし、割り箸を長さ3㎝に割って浮きとし、餌に川虫をつけて流すだけ。ポイントさえ間違わなければ、入れ食いのようにシラハエが釣れた。
 今日は、朝からまたしても水道工事が喧しく、自宅前の道路に穴をあけていた。しかし、なんとか外に出ることはできた。そのとき納屋から3本の釣り竿をスウィフトのトランクにしのばせた。一人で釣りをするつもりだったのだが、どういうわけか3本の竿を用意していたのである。

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↑クロカワムシ(餌)の採集 ↓クロカワムシ(わかるかな?)
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 釣りを始めるまえに、テグスと浮きとゴムと釣り針だけを買った。いまでは、流石に割り箸の浮きは使わなくなった。やっちゃん1号と2号は革靴を履いていたので、いそぎビーチサンダルを買い揃えた(まもなく川渡りで、二人とも片足分を水に流してしまったが)。
 川面で仕掛けをしてから、まずは餌となる川虫を集めた。川虫とは「川に棲む虫」の総称だが、いまネット検索したところ、わたしたちが餌として捕まえる川虫は、正式にはクロカワムシと呼称されるヒゲナガカワトビケラ科の幼虫をさすようである。やや早い浅瀬の石の裏に小石を集めて巣を作っている。蜘蛛の巣のような糸で小石を山のように固め、その内側に棲息している。9月になって水が冷たくなると、一気に川虫が姿を消す。幼虫はサナギと化し、成虫へと育っていくのである。今日も、最初はあまりに数が少ないので、すでにピークはすぎたのかもしれない、とも思ったのだが、ある浅瀬に行くと、大量の幼虫の巣がひろがっている。
 今日の収穫は12尾であった。シラハエはわずか1尾で、残りはアブラハエ(ドロハエ)ばかり。アブラハエは流れの滞留した川縁におり、シラハエは流れのある浅瀬にいる。小振りのアブラハエばかりで残念ではあったが、ともかく12尾釣れたので、夕食のおかずにすることにした。料理人はやっちゃん2号。いや、たいしたものである。12尾をまたたくまにフライに化けさせた。味も決して悪くない。マルイで買ってきた冷凍串カツの白身魚よりも美味かった。

 やっちゃん1号は、この雑魚釣りに心酔しはじめている。「雑魚釣りの会」を結成しようか、という話までもちあがった。こんど、27日から西河(♂)くんが遊びにくるらしく、一緒に釣りに行きたいと言っていた。わたしはそのころ東北出張だが、釣竿は貸してあげましょう。ただし9月も間近で、餌となる川虫が採れるかどうか、心配ではある。

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  1. 2006/08/23(水) 23:58:20|
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勤労青年

 中国工業のH社長から、「勤労青年」と題するメールが写真の添付つきで送信されてきた。チャックとケンボーは非常によくやっているとのこと。ほんとかうそかはわからないが、とりあえず一安心した。なお、今回のインターンシップの研究課題名は、「家具工場における椅子製造工程調査 -高度化、システム化の可能性をさぐる研究」である。
 今日は、林業試験場で製材機械の固まりを実見した。二人の学生には、後期になってからも、トチ葺き鉄板屋根の軒付け製材のため、インターンシップと似た作業をこなしてもらうことになるかもしれない。
 期待しています!

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  1. 2006/08/23(水) 23:40:59|
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鳥取県林業試験場訪問

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 加藤家住宅の修復に関する資料を持参し、鳥取市河原町稲常にある鳥取県林業試験場へと、先生、やっちゃん1号(筆者)、やっちゃん2号の3人が赴きました。日本住宅・木材技術センター(HOWTEC)が補助する事業「茅葺き風<杉板トチ葺き鉄板被覆屋根>の開発」には、地域産材の活用が盛り込まれているからです。そこで、鳥取県木造住宅推進協議会の推薦もあり、木材についての助言をいただきにO平室長を尋ねたわけです。
 ここでは、とくに屋根につかう木材の話を伺いました。授かった助言のなかで、重要な項目をあげておきましょう。
 1)木材を湿気の多い場所で使うときは、樹種は問わないが、赤身(芯材)が適しており、これを使うべき。軒付のトチ葺き風仕上げでも、問題ない。
 2)ただし、軒付でコバを重ねる場合、平カンナ仕上げの材を重ね合わせるより、いくらかラフな仕上げとして、材と材のあいだに隙間をもたせるほうが良い。わずかな隙間から水が抜け易くなり、腐朽が起こりにくい。したがって、伝統的な方法である割板を視野にいれてみるのもいいかもしれない。

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 もうひとつ、「材積」という用語をはじめて耳にしました。これは、工事での木材使用量(単位は㎥)を表すそうで、コストを計算するには、材積が欠かせないとのことでした。そして、材積を求める作業は、施工にはいるまでに材料調達をするためにも、できるだけ早く必要にくるとの説明をうけました。要するに、設計を急がなければならないのです。
 この後、場内の施設を見学させていただきました。秋には、試験場の機材を使わせていただき、私たちが作業をすることも可能と説明を受けました。丸太からの加工もできますとのことで、セルフビルダーには打ってつけの施設ではないかと、先生は言われていました。そして今、チャックとケンボーは、同様の施設を有する中国工業で、インターン・シップ中ですが、後期がはじまるときには、これらの工具を手なずけていることを期待しておられました。
 林業試験場でのちょっとした掘り出し物として、集成材がありました。この集成材を軒付に使うと、一見トチ葺き風にみあるではありませんか。集成材そのものを意匠に取り入れることは大変おもしろいのではないかと、先生とともに感じた次第です。(とある大学院生)

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トチ葺きの軒付に応用できそうな集成材。くすんだ茶色にみえるのが赤身。


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  1. 2006/08/23(水) 20:32:37|
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はんどで冷やしたスイカの味

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 午後3時の休憩でいただいたスイカに9人がむしゃぶりついた。大きなスイカだから、とても一人や二人でたいらげられるものではない。
 一人住まいのわたしなど、スイカを買う気にすらならないが、こういう大勢の調査では、とんでもない威力を発揮する。汗をかいたあとのスイカは、こんなに美味いものなんだ。大人数で食べるから、さらに美味しく感じるのかもしれない。あまりの美味しさに、女子学生が6名も居ることを忘れ、思わず、
  「スイカップだ、うっしっし・・・」
と小声でつぶやく阿呆な教師が一名いた。
 今日もまた9名の調査員がいて、女子がさらに1名増えていたのだが、一人あたり2切れは食べる。もちろんホカノも副部長もわたしも3切れたいらげるから、またたくまにお盆にのせられたスイカは皮だけとなって、ゴミ袋に消えてしまった。

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 このスイカはオモヤの土間におかれた「はんど」で冷やしたものだ。近隣の湧水を樋で屋内に引き込んで貯水する水槽のことを「はんど」という。じつは前庭の板蔵の前にも「はんど」がある。3名の男たちは、庭でスイカにむしゃぶりついては、種を口から飛ばし、スイカ汁のついた手を「はんど」の水で洗った。
 水は生命の象徴である。ご存知のように、出雲国風土記にはおびただしい数の神々が登場するけれども、その70%が湧水、井戸、滝など「水」と関わる由緒をもつ。水道のない時代、尾崎家においても、「はんど」に流れ込む湧水こそが一家の生命線であったに違いない。

 今日の尾崎家の調査で、最も大きな収穫を感じたのは「薪小屋」である。長屋門に近接して、通りに面して建っている平屋建瓦葺きの長細い小屋。1間半おきに柱を立て、半間おきに梁を架ける。この構造形式が長屋門の1階部分とよく似ている。長屋門は2階建になっているが、半間おきに架かる曲がった梁を1階天井部分にみたとき、当初は平屋で茅葺きだった可能性があると感じた。今日、「薪小屋」を観察して、長屋門がかつて平屋であったのは間違いないと確信したが、「薪小屋」は西側に隣接する「味噌蔵」と同時期の竣工とみるべきであり、当初から瓦葺きであったと考えられる。だとすれば、長屋門も平屋建の瓦葺きであったのだろうか。オモヤの茅葺きが目立つだけに、平屋の門を瓦葺きにしたのかどうかが非常に気になっている。

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↑薪小屋の外観 ↓長屋門1階の架構
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 もうひとつの収穫は「家伝書」。写真の袋に記してあるように、尾崎家には3篇の家伝書と1篇の家訓書が残っていて、今日は「當尾崎遺命家傳実録」を撮影させていただいた。他の2篇は「當尾崎遺命家傳実録」のための草稿であるというが、元禄ごろの5代目の時期には土蔵が数棟建っていることが記載されているらしい。たしかに、この住宅を調べていると、元禄あたりの匂いがぷんぷんたちこめている。
 河本家住宅(琴浦町)とは違って、1枚の棟札も残っていないので、どうしても調書には、新しめの推定年代を記入してしまう。しかし、よくよく考えてみれば、河本家の場合でも、棟札を降ろす以前に想定した年代よりも古い年代が必ず記してあった。棟札を残していないだけに、「當尾崎遺命家傳実録」およびその草稿2篇の分析は、今後の研究に大きな意味をもつことだろう。

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  1. 2006/08/22(火) 21:42:03|
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