Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

舟のメタファ -標津町ポー川史跡自然公園

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 札幌の丘珠(おかだま)から根室中標津に飛んだ。フエ以来のプロペラ機である。今日も飛行は安定していた。低空飛行で、地上の景色が綺麗にみえる。
 標津(しべつ)は快晴だった。これまで数回標津を訪れたが、いつも冬季だったために、しばしば風雪に旅程を崩されてきた。こんな穏やかな標津に出会ったことはない。
 標津にやってきた目的は、現在発掘調査中の現場を視察するためである。担当の椙田さんからは、毎年夏になると調査指導を依頼されるのだが、スケジュールの調整に苦労し、断念せざるをえなかった。その結果、訪問は年に一度の厳冬期となり、そこでボーディング中止の憂き目にあってきたのである。こういう経緯もあって、今年は気候の穏やかなうちに、なんとか一度現場をみておこうと決心した。
 標津町は4年前から、標津遺跡群(国指定史跡)と標津湿原(国指定天然記念物)の複合遺産である「ポー川史跡自然公園」の再整備計画を進めてきた。初期の整備は昭和50年代の後半におこなわれたのだが、復元建物や湿原上の遊歩道(橋)の劣化が著しく、また博物館機能の強化も求められてきた。今年は、湿原と接しあう伊茶仁カリカリウス遺跡内でトレンチ調査がおこなわれている。

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 空港から目的地に至る途中、遺跡群の飛び地となっている古道(ふるどう)遺跡と三本木遺跡を訪れた。今年度、遺跡の説明板を設置する予定になっていて、すでに実施設計図も完成している。古道遺跡は、市街地から最も遠く、広葉樹林の中にある。ところどころの地形がおおきく窪んでいて、それらはすべて竪穴住居の跡である。樹林の地面は笹で覆われている。窪んだ竪穴住居跡もまた笹で埋め尽くされているが、凹み自体はよくわかる。日当たりの良い場所には蕗が群生している。北海道の蕗は雨傘に使えるほど大きい。蕗の茎はもちろん食用にする。何度か食べた経験もある。不味くはないけれど、なかなか豪快な食感で、本州のキャラ蕗に馴染んでいるわれわれには大味に感じてしまう。
 蕗はヒグマの好物でもある。古道遺跡の樹林にも、よく熊があらわれるらしい。というような話をしていたら、ざわざわという音がした。振り向くと、ヒグマが立っている。
 というのは真っ赤な嘘で、エゾシカが木陰から遠くに走り去っていった。

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↑↑古道遺跡の窪み(大型の円形竪穴住居跡) ↑古道遺跡の蕗 ↓ヒグマが食べた蕗(カリカリウス遺跡)
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 今日は一日、熊の影におののいていた。カリカリウス遺跡で規則正しく並ぶトレンチの近くに葉っぱのない蕗の茎が数本立っている場所があった。熊が葉っぱをもいで食べた跡だという。椙田さんは、カリカリウス樹林の奥に進むにつれ、パンッパンッと手を叩き始めた。
  「お知らせしないとね・・・」
 ふだん発掘調査をしている時は、作業員さんが10人ほどいるから、かりに熊があらわれたとしても、集団防御の態勢に入ることができる。熊だって、多勢に無勢ということは分かるはずだ。しかし、今日は二人だけだから、もしも熊に遭遇したら大変だ。熊は時速60kmのスピードで走るのだという。この俊敏性でサケやシカを捕らえるのだ。われわれが敵うはずはない。危険を回避するため、奥のほうのトレンチに行くのはやめることにした。
 熊とともに蚊も大敵だ。大きな蚊に顔面をねらわれた。額とうなじを数ヶ所刺され、手のひらも咬まれてしまった。蚊については、持論がある。
  「不思議なんですよね、東南アジアに行って短パン半袖の生活をしていても、蚊に咬まれない。ところが、夏の日本はひどいでしょ。庭に洗濯物を干しにでるだけで、何ヶ所も刺されてしまう。日本で屋外カフェが流行らないのは蚊のせいですよ。でも、いちばんひどいのはアムール(黒龍江)流域でしてね。冬は零下30℃にもなって冷えるのに、8月は暑くて、昼間の最高気温は30℃を越える。蚊の多さと言ったら日本どころじゃないんです。川の中州になんか行くと、イナゴの大群みたいにして襲ってくる。だから、思うんですね、蚊は熱帯起源なのかもしれないけれども、寒冷地域の夏に集中発生するんじゃないかって・・・」
  「標津もそうですよ。今年の8月はすごく暑くて、現場行くときは必ず(熊除けの)鈴と蚊取り線香を腰にぶらさげていくんです。それに、標津の蚊は大きくてね」と椙田さんは答えた。
 ほんとに大きな、ガガンボのような蚊であった。
 
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↑カリカリウス遺跡の発掘トレンチ。縄文時代の竪穴住居跡が2~3期検出されている。 ↓遺物を保護する箕をめくると大量のアマガエルがいた。トレンチに落ちたカエルは地上に戻れない。
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 北海道に弥生文化は存在しない。稲作は東北地方の北辺まで達したが、北海道までは及ばなかった。北海道で縄文文化に続くのは「続縄文文化」である。つぎに「擦文文化」の段階に入る。本州の奈良~室町時代が北海道では擦文文化の時代である。そして、近世アイヌ期が続く。換言するならば、擦文文化の担い手が近世アイヌの祖先ということになる。
 北海道のほぼ全域に擦文文化が展開していたころ、道東・道北の海岸線や離島に北方から海獣狩猟民が大挙して流れついてきた。「オホーツ文化」の担い手である。司馬遼太郎はオホーツク文化の担い手を、日本書紀にみえる「粛慎(みしはせ)」ではないか、と推量した。一方、中国の後漢書東夷伝には「粛慎(しゅくしん)」という古民族名がみえる。粛慎(しゅくしん)は渤海の前身の前身の前身たる集団であった。粛慎→挹婁→勿吉→靺鞨と民族集団の名が変わり、それは国家としての渤海に統合される。日本の粛慎(みしはせ)と中国の東夷としての粛慎(しゅくしん)は、おそらく別の集団ではあろうが、地理的にみると、なんとも思わせぶりな関係にみえるから悩ましい。
 擦文文化とオホーツク文化はしばしば衝突を繰り返した。と同時に、両者は文化的に影響を及ぼしあった。そして、擦文化したオホーツク文化が誕生する。これを「トビニタイ文化」と呼ぶ。オホーツク文化の要素は、トビニタイ化することによって擦文文化に融け込み、それは近世アイヌに受け継がれていくとわたしは思っている。

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 ポー川史跡自然公園の一角には、トビニタイ文化の住居が2棟復元されている。昭和58年、椙田さんが中心となっておこなった復元事業である。オホーツク文化系の住居跡は独特の形をしている。典型的な竪穴は亀甲のような六角形をしているのだが、妻側のうち片方は鋭角的に突出し、他方は鈍角的で直線に近く、あまり外側に飛び出さない。トビニタイになると、一方が直線になって、全体が五角形平面を呈するものも少なくない。わたしは、こういうおかしな六角形平面を「舟」の形だと思っている。突出度合いの強い側が舳先(へさき)、その反対側にあって出の短い側が艫(とも)を表現するものだと思うのである。海の彼方から海獣を捕獲しつつ樺太・千島・北海道に流れ着いた漁民たちの乗った舟は、かれらの「家」でもあり、それが竪穴住居の形に投影しているように思われるのである。文化的な系譜関係はまったくないけれども、発生要因のレベルでみるならば、オホーツク文化の竪穴住居形状とインドネシアやオセアニアの海洋民住居に卓越する「船形屋根」は、その感覚の根源に「舟」を共有している。

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 ところで、オホーツク文化系の遺跡でも焼失住居跡が少なからず出土してきた。しかし、縄文、弥生、擦文の焼失住居跡とは違い、オホーツク系のそれは土屋根に復元しえない。壁と屋根には白樺の樹皮を用いたことがあきらかになっている(ポー川歴史公園の復元住居では、メインテナンスの関係上、マカバの樹皮を葺いている)。竪穴は非常に深く、床面にはコ字形に床板を敷く。「舳先」と「艫」の部分に棟持柱を立ち上げるのは、あるいはマストの表現であるのかもしれない。
 カリカリウスの樹林は、どこに行っても、窪みが無数に散在している。はじめに述べたように、それは埋まり切らない竪穴住居の痕跡である。笹に覆われた窪みをみていても形状はわかりにくいが、亀甲形に近ければオホーツク系、円形ならば縄文~続縄文、正方形に近ければ擦文と判断して間違いはない。今回のトレンチ調査でも、部分的に竪穴住居が顔をみせていた。それらは円形平面をしていた。縄文中期末から後期ころの遺構であるという。(続) 


  1. 2006/09/30(土) 20:47:46|
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ふくろう亭

 札幌までやってきた。その目的については、明日お知らせする。
 ホテルはニューオータニ。鳥取のそれと同じ煉瓦色をした大きなホテルだ。ANAのチケットレス(ネット)で予約したから、ビジネスホテル・クラスの値段でおさまっているが、もちろんロビーもレストランも部屋もビジネスのレベルではない。こんな広くて立派な部屋に泊まることは、国内ではめったにない。おかげで、こうしてネットに接続できている。というか、ネットに接続できたのはラッキーだった。ニューオータニ・クラスのホテルでも、無線LANが使えない部屋があるらしい。いまや、ネット使用の可否はホテル選択の重要な条件になってきた。先日の松江出張では、ネットが使えずがっくりきた。ひょっとしたら、日本のホテルはベトナムや中国のホテルよりもネット環境が遅れているのではないか。ときにそう思うことがある。

 札幌は目的地ではない。経由地にすぎないが、なによりジンギスカンを楽しみにここまできた。昨年12月16日に訪れた「おふくろ」という店で、もういちどジンギスカンを食べたかった。しかし、104で訊ねても、そのような店はないという。ネットで検索すると、「札幌ジンギスカン倶楽部」のサイトにめぼしい店の一覧表が示してあった。そこに「おふくろ」という店名はみあたらなかったが、「ふくろう亭」という店を発見した。たぶんこの店だ。札幌ジンギスカン倶楽部は、この店に3星(3羊)をつけている。さらに「おすすめ度」を見比べると、「さっぽろジンギスカン本店」が4羊、「成吉思汗 だるま」(本店&支店)が5羊で評価が高い。タクシーの運転手に確認したところ、「さっぽろジンギスカン本店」と「成吉思汗 だるま」については、ただちに反応があった。ネットの情報と同様、店外に行列ができるほどの人気店で、週末だから30分~1時間は待たなければならないだろう、という。そんな体力は残っていない。一方、「ふくろう亭」については、運転手は知らない、と答えた。住所を示してみせるしかなかった。

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 結局、予定通り「ふくろう亭」を再訪し、なつかしい味を堪能した。十分おいしい。一人で食べると、どうしても食べ過ぎになるから、お酒を控えた。信じてもらえないかもしれないが、ウーロン茶でラム肉を食べたのだ。ラムタンも食べた。満足した。
 壁には、芸能人やスポーツ選手の色紙がたくさん貼り付けてあった。とりわけ綾小路きみまろがこの店の常連で、かれの色紙には「ふくろ亭さん江」と大書きしてされていた。わたしは、「ふくろ亭」を「おふくろ」と勘違いしたのである。
 それから、すすきのをブラブラ・・・。最後に思いがけないご褒美を授かった。明日の朝食を買うために入ったコンビニで、「週間ファイト」紙の最終号(№1990)を発見したのだ。今日は、鳥取空港でも、羽田空港でも「週間ファイト」を探し続けていたのだが、見あたらなかった。版元は新大阪新聞社だから、東日本では入手しにくいだろう、北海道は販売圏域にすら入っていないのかもしれない。奈良に帰って、近鉄のキオスクに行くしかないだろう。しかし、売り切れの可能性もある。
 半ば諦めかけていたので、思いがけない収穫に心がはずんだ。

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 紙面はご覧のとおり。「猪木死すとも、プロレスは死せず!」、「プロレスの面白さダイゴ味は猪木プロレス全盛にあった」という大見出しが一面を飾り、本紙遺言(ラスト・メッセージ)としている。これが一貫した「ファイト」の視線である。まだ、中身は読んでいないが、ざっと眺めてみた限りでは、I編集長時代ほどわくわくする内容は期待できそうもない。猪木が消えてプロレスは死に、I編集長が消えて「ファイト」が散った。
 

 *「ふくろう亭」
  札幌市中央区南8条西5丁目 キャピタルYMD 1F
  ℡011-512-6598
  札幌駅から南北線「中島公園駅」下車、徒歩10分



  1. 2006/09/29(金) 23:59:37|
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10ポイント上昇

 授業がはじまった。
 展開科目「建築の保存と修復」は40名あまりの受講者があった。3年生だけだと75%の受講率である。昨年より上がった。昨年は前期の展開科目であるにも拘わらず、受講率は60%代だったが、今回は10ポイント上昇である。予測では、30名前後ではないか、と思っていた。3年も後期になると、成績優秀な学生はほぼ必要な単位を揃えてしまっている。だから、「建築の保存と修復」のような難しい科目を受講する必要はないはずだ。ところが、受講すべき展開科目が限られているらしい。学生の側からみれば、「取らざるを得ない」難儀な科目ということなのかもしれない(未受講の学生もちゃんと卒業していくのだから、「建築の保存と修復」を受講しなくともいいはずなんだが・・・)。
 で、講義後、簡単な質問をした。「建築の保存と修復」講義で英語のテキストを使うことについて、どう思うか、感想を問うたのである。
 予想通り、「英語は苦手だ」という学生が少なくない。ただ、だから「英語のテキストを使うのをやめてくれ」という学生はごく少数であった。問題は、テキストの使い方、課題の出し方、ということだろう。
 それにしても、どうしてみんな語学が嫌いなんだろう。ベトナムで毎日ベトナム語の訓練をしていたチャックのような学生は例外的存在だ。チャックは電子辞書をわたしたら、ちゃんと水上集落でヒアリングもした。もちろん英語で、である。そう言えば、スリランカでのホカノはひどかったな。ホカノがスタンダードなのか・・・

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 プロジェクト研究2&4もはじまった。テーマは以下のとおり。
  P4「茶室の裏方『水屋』を作ろう-古民家のリサイクル(Ⅲ)」
  P2「五右衛門風呂の魅惑-古民家のリサイクル(Ⅱ)」
 前期にみた顔が6人戻ってきた。卒業研究真っ最中の4年生に、プロジェクトを説明してもらったが、惨憺たる内容であった。こういうことを書きたくないし、1・2年生の前で4年生を叱りたいわけでもないのだが、残された時間が少なすぎる。お尻を叩く時期になってしまった。
 また、加藤家とその周辺で悪戦苦闘の日々が続くことになるだろう。とりあえず来週は古民家ツアーをおこなうことにした。
 早くプレファブを建てて、原寸屋根模型の制作に取りかかりたい。



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  1. 2006/09/28(木) 18:40:52|
  2. 研究室|
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揺れるノビタ説14:05

 また、めまぐるしい一日だった。今日おこったことを書くだけで明日の朝までかかりそうだから、午前中に市役所で開かれた「第2回史跡鳥取城跡附太閤ヶ平天球丸石垣修復工事に関する検討委員会」のトピックだけお知らせしよう。

 第2回検討委員会では、注目すべき発掘成果が報告された。下層石垣K面の裏栗から、備前焼水屋ガメの破片が出土し、編年体系に照らしたその年代は西暦1600年前後(1590~1610頃)に比定されるという。しばらく、歴史のおさらいをしておきたい。
 天正九年(1582)、羽柴秀吉による鳥取城「渇殺」によって、城主の吉川経家は自刃切腹。代わって、秀吉の武将で「算勘の達人」と呼ばれた宮部善祥坊経潤が入城する。石高は5万石であった。時代はさらに転変する。関ヶ原戦の後、その戦功によって池田長吉が近江より入城。このとき長吉は、因幡国以東のみ領国とし、石高は六万石であった。その後、一石一城令(1615)を経て、元和三年(1617)、最初の御国替えで今度は池田光政が因幡・伯耆32万石の領主となる。続く寛永九年(1632)、二度目の御国替えがおこなわれた。光政は岡山藩へ、代わって岡山藩主池田光仲が因伯32万石を受け継いだ。ノビタが昨年度の卒業論文で示した結論は、「天球丸石垣の下層が光政期、上層が光仲期」というものである。

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 このたび出土したカメの破片は、宮部期から池田長吉期にあたる年代を示している。加えて、裏栗からは五輪塔の破片も出土している。会議では、北垣委員から「五輪塔を裏栗に混入する城郭石垣は慶長期以前によく見られる」という発言があった。これだけデータを並べると、天球丸で出土した下層石垣の年代は、カメの年代観(1590~1610年)と重なりあう天正~慶長年間に入城していた宮部もしくは長吉の時期がふさわしいことになる。
 しかし、現段階で、それは正確な考証とは言えないだろう。べつに北垣委員の発言に反論したいわけではない。反論できるだけの力量を自分が備えているなどとも決して思っていない。北垣委員は城郭石垣研究の権威であり、わたしはまともに石垣のことを学んだこともない門外漢である。しかし、ある研究分野の権威がそう述べるから、その意見を正しいと判断する姿勢は間違いだ。権威の発言を鵜呑みにする研究者は、研究者として失格である。
 まず第一に疑問に思うのは、ある石垣を「慶長期以前」と確実に断定できるものかどうか。いま我々が直面している石垣がまさにそうであるように、石垣の築造年代は推定の域を出ないもののほうが多いのではないか。また、慶長期以前に築造された石垣が後世に改修されたケースも少ないないだろう(五輪塔が慶長期以降の土層に混入していた可能性がある)。第2に、ある遺物がある遺構から出土した場合、その遺構の年代(=A)は遺物の年代(=B)と必ずしも同時期ではない。論理的に結論づけうるのは、
  A≧B
という不等式のみである。平たく言うならば、遺構の年代は遺物の年代を上限とするのであって、遺構は遺物と同時期か遺物のあとに出現した、という事実があきらかになっただけのことである。もっと具体的に言い換えるならば、天球丸下層石垣K面の成立時期は、1590年以降だという結論が導けたにすぎない。
 したがって、現状では、「下層=光政期」とするノビタ説は死んではいない。研究史を飾る一頁となったのではなく、まだ議論の対象として踏みとどまっている。

 夕方、ノビタに電話してコメントを求めた。新聞記者に取材したのである。

  「鳥取城の発掘調査が進んで、新しい事実があきらかになり、すばらしいことだと思っています。これから進む調査で、自分が主張した<下層=光政期/上層=光仲期>が正しかったのか、間違っていたのか検証されるなら、こんなに嬉しいことはありません」

 いつのまにか、優等生の回答ができるようになっている。出世するかもしれない。





  1. 2006/09/27(水) 22:11:50|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅩⅡ)

茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅩⅠ)
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-669.html
で説明されているように、現在屋根模型に関する設計が進んでいます。

 そこで、前回のブログに掲載された図面を基に、屋根模型の完成予定CGをCADソフトを用いて作成しました。以下が実際に作成したCGです。

<模型完成予定CG-01>
↓クリックしたら拡大します。
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<模型完成予定CG-02>
↓クリックしたら拡大します。
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  1. 2006/09/26(火) 23:24:46|
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講義接近-「建築の保存と修復」をめぐって

 今日は、朝から晩までガイダンス。1~4年生と大学院生の5コマ分すべてがガイダンスだ。わたしは教務委員と大学院担当委員の両方を務めているので、すべてのガイダンスに顔を出さなければならない。・・・のだが、午後からの2コマ分はもう一人の教務委員である某助教授にお任せすることにした。なにより朝一番の大学院ガイダンスがしんどかった。早起きして、今日もビアンキを漕いできたのだが、昼になって疲れが滲んでくる。眠くてしかたない。

 ガイダンスが終われば、授業も始まる。
 授業は明後日から。わたしの担当する展開科目「建築の保存と修復」(3年以上)は木曜3限から。それに続く4・5限はプロジェクト研究2&4(1・2年)だ。
 「建築の保存と修復」という科目名の講義を開講しているのは、日本全国津々浦々、多数の建築系学科のなかで、ひょっとしたら本学だけかもしれない。わたしはこの講義の教科書に、クヌット・アイナー・ラールセン(Knut Einar Larsen)の著書 ARCHITECTURAL PRESERVATION in JAPAN(『日本建築の保存修復』イコモス木造委員会、1994)を使っている。なぜ、こういう英語のテキストを使うのかと言えば、以下の2点を評価したからである。

  1)日本建築の保存修復に関する概説書はこれ1冊しかない。(すなわち、日本語で書かれた日本建築保存修復の教科書・概説書は存在しない)
  2)本書は、西欧の保存修復理論と対照させながら、日本における木造建築の保存修復の特異性を相対化させている。

 おまけに、本学は開学以来「英語」に大きなウェイトをおく教育理念を育んできた。そのため、専門教科の展開科目に英語のテキストを取り入れてみたのである。
 昨年までは、3年の前期にこの講義をおこなっていた。受講者は、全員パソコンと英語の辞書を持参する。まず、わたしが自ら和訳要約したレジメに即して60~65分講義し、講義の最後に学籍番号の下1桁(もしくは下2桁)ごとの課題を示す。その課題というのは、テキストのパラグラフ15行前後の和訳である。本文は専門的で難解だが、わたしのレジメに要約があるのだから、学生はその要約を頼りに和訳すればよい。和訳した文章をワードに打ち込み、完成したら本講義専用のアドレス(hozonshufuk@・・・・)に送信する。授業中に和訳できた学生は授業中に送信すればいいし、できなかった学生は、授業後できるだけ早く指定アドレスに送信しなければならない。わたしは、その着信履歴(早い方がよい)と和訳内容をチェックし、毎回の訳文を採点し、その総合点で評点をつける。こういう、やや変わった授業を3年間続けた。
 学生にとっては、きつい授業だったようだ。タクオのように英語の好きな学生は喜んでいたが、年々そういう学生は減っていくばかり。結果、3年目に受講者が減った。2期生までは80%以上の学生が履修していたのに、3期生の履修は60%程度になってしまった。どうも、やる気を感じない。「保存修復」自体に興味がないのかもしれないが、英語がイヤだという心理が働いているように思えてならない。
 だから、今年度は後期に授業を移し、英文の和訳は部分的に残すけれども、大半の授業では「理解度チェック」方式に切り替えてみようと思うのだが、両者のパーセンテージをどれぐらいにすべきかで、いま悩んでいる。
 オリエンテーションで様子をみるしかないだろう。どれぐらいの数の受講者があり(3年後期なのでやや少ないはずだ)、その受講者がどういうタイプの学生かで授業の方針も変わってくる。

 ちなみに、著者のクヌット・アイナー・ラールセンは、ノールウェイのオスロ生まれ。ノールウェイ工科大学の教授で、専攻は建築史と保存修復。国際交流基金の研究員として、1989年から日本に滞在し、東京国立文化財研究所と神戸芸術工科大学で日本の建築史と保存修復手法を学んだ。本書執筆時点(1994年)では、ノールウェイ・イコモスの委員長でもあった。なぜ、ノールウェイの研究者が日本建築の概説書を書いたのか、というと、イコモス木造委員会の拠点が北欧にあるからだ。北欧と言えばログハウスだが、日本の研究者・修理技師の立場からみれば、ログハウス屋さんに日本の木造建築(とくに社寺建築)の凄さが分かるはずはないという自負もあるかもしれない。しかし、ラールセンは伊藤延夫博士のもとで日本建築とその修復手法を非常によく吸収している。日本建築のよき理解者であることを日本人は知るべきである。しかも、この著作はベニス憲章の視点から、日本の修復のあり方を検討している。わたしにしてみれば、結章において、もっとはっきり日本の修理現場が抱える問題点、すなわち「復原」の弊害を指摘してほしいと思うのだが、ラールセンはのらりくらりと結論をはぐらかす。ものごとをまるくおさめようとする筆致は、まるで日本人のようだ。そのあたりにいらつくわたしが日本的でないということか。



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  1. 2006/09/26(火) 19:16:04|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅩⅠ)

 昨日より模型の設計に入り、模型の伏図、断面図を作成しまた。
 

↓模型断面図
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 模型の範囲は屋根部分が幅2m×奥行2mで高さが約2mです。今後の課題は、模型の軒先を見る人の目線に近づけるための足をどう作るか、模型の端部をどう支えるか、になります。


  1. 2006/09/25(月) 22:12:19|
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稲刈りの風景(Ⅱ)

 今日も快晴、ビアンキに乗って出動した。途中で、釜揚げ蕎麦をたいらげ、そのまま大学に向かっていったのだが、またしても環大道路でサイクルをとめ、稲の景色を写真に納めた。あらかじめ撮影しようと決めていたわけではなく、風景が撮影の意欲をかき立てたのである。

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 午後から大学院入試があり、ついで県教委文化課よりハマダバダ1号とN室長の訪問をうけた。池田家墓所光仲墓玉垣・門の実施設計を詰めるためである。昨年ピエールが提示した修正案を、全面的にではないが、そうとう吸収していただいた。わたしには、なんの異論もないことを伝えた。ついでに、大社造シンポジウムの原稿提出の〆切がちかいことを、ちらりと仄めかしていたところ、まさにどんぴしゃで、「催促のメールをいただきまして」という電話が入った。鳥取大学T講師からハマダバダ1号の携帯に、である。
 なにをおっしゃる・・・?!? わたくしどもは「催促」のメールなど出していませんよ。〆切は9月末日で、まだ数日の猶予があるでしょう。これは「進捗状況をお聞きする」メールなのです。嘘ではありません。以下に文面を転載しましょう。
----------------------
  残暑の季節から初秋を迎え、すがすがしい季節となりましたが、
  皆様方にはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
  さて、 この度は「大社造シンポジウム」報告書の執筆をご快諾いただき、
  まことにありがとうございました。
  原稿提出の締切を9月末に設定しておりましたが、
  ご執筆の進捗状況はいかがなものでしょうか?
  ご多忙の折、恐縮ではございますが、よろしくお願い致します。
-----------------------
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 大社造シンポジウムの報告書は、浅川と島根県古代文化センターの共編で、

   『出雲大社の建築考古学-山陰地方の掘立柱建物-』

というタイトルのもとに出版する予定である。出版社は、これまで『先史日本の住居とその周辺』(1998)や『埋もれた中近世の住まい』(2001)を刊行していただいた同成社に、またしてもお世話になることになった。じつは、同成社からは別の原稿の執筆依頼を受けている。『縄文の考古学』全12巻シリーズのなかのⅧ「生活空間-集落と遺跡群-」に含まれる「竪穴住居の構造」という節である。こちらは「都城」に比べれば数段書きやすい。
 ただし、〆切は9月末日に迫っている。

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  1. 2006/09/25(月) 21:47:16|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅩ)

 屋根構造、床構造ともに固まり、全体の材積を計算しました。加藤家と同年代で、近くにある木下家に越屋根がある事から、加藤家の新たな屋根にも囲炉裏の煙を抜く為の越屋根を取り付けることにしました。床構造は現状の梁を大引として、上に根太を敷く構造としました。
 以上の案を図面に起こし、そこから材積を計算した結果、加藤家改修工事の屋根部分、ロフト部分に必要な材積の総量は47.2496655立方メートルとなりました。

 以下が、屋根構造を3つの階層に分けて表したものと、ロフト部分の床伏図と、全体の断面図になります。


↓屋根構造階層1
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↓屋根構造階層2
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↓屋根構造階層3
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↓ロフト床伏図
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↓断面図
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 今後は、これらの資料をまとめ、それを基に原寸屋根模型(部分)の図面の作成を行います。


  1. 2006/09/23(土) 19:21:48|
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家船チョコレート

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 9月13日深夜のホーチミン空港。ハノイから関空までのトランジットで、1時間あまり余裕があった。お土産を買おうと決めていた。
 残ったベトナム・ドン(VDN)は、入国検査ですべてUSドルに換金された。きわめて大雑把な換金で、間違いなく外国人は損をしている。それでもドルに換えたことで、国外ではただの紙切れ(VDN)が貨幣として生まれ変わった。しかし、日本ほどドルの使いにくい国はない。だから、ドルを使いきってしまいたい。土産物を買うしかないのである。
 ある免税品店で、チョコレートをラッピングして詰め込んだ「家船」のミニチュアを発見した。なんとも可愛らしく、ベトナムらしく、なにより今回のわたしたちの調査とそのまま結びついている。1艘が12ドル(1500円)もしたのだが、このお土産を3艘買うことにした。1艘はチャックがインターンシップでお世話になったH社長、もう1艘は研究室、さらに1艘は奈良の家族のための土産と決め、社長と研究室の分はチャックにあずけた。

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 昨日のコーヒーブレイクで、ワイフはこの家船チョコレートを開封した。彼女は、そのとき、「あれっ」という顔をした。その後、船ごとわたしのところにもってきた。わたしは一口サイズのチョコレートを包みから取り出し、口に含んだ。
 変な匂いがする。それはニスの匂いであった。とりあえず1個だけ喉を通したが、その後もしばらく口内にニスの匂いが残った。竹船のミニチュアに目をやった。竹の表面がテカテカに光っている。鼻を近づけると、ニスの匂いがする。非常に強いニスの匂いがした。一口サイズのチョコレートは小さな紙箱に収まり、全体をビニール袋で包んでいた。しかし、密封性はない。さらに船とチョコレートの全体を大きなビニールでラッピングしていた。これがニスの匂いを封じ込めたようにみえる。 
 チョコレートを捨てるのはもったいない。すべてのチョコレートを紙箱から取り出して、しばらく外気にさらし、今は溶けないようにと冷蔵庫に保管している。
 1週間待って、匂いが消えないようなら、捨てるしかないだろう。さっそく社長に謝罪のメールを入れた。とんだお土産になってしまった。
 ミニチュア船は本棚に飾っている。




  1. 2006/09/23(土) 13:52:49|
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「週間ファイト」休刊に寄せて

 昨日、特急を待つ鳥取駅のキオスクで、何を買いたいわけでもないが、じろじろ品物をながめていたところ、「週間ファイト」紙に目がとまった。
 一面に「GPWA 統一組織完成まで問題噴出」という大見出しがみえた。
 たぶん十数年ぶりだと思うのだが、「週間ファイト」の最新号(№1989)を買うことにした。280円もする。車内で、紙面を読み進めていくと、2面に「本紙休刊のお知らせ」が掲示してあった。1967年3月の創刊以来、40年弱の歴史をまもなく閉じるという報に驚いた。虫の知らせ、だったのだろうか。

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 プロレスを報道する主要な媒体には、以下の4誌紙があり、かつてある時期、わたしは「週間ファイト」紙を最も愛読していた。
  1)週刊誌:「週間ゴング」「週間プロレス」
  2)週刊紙:「週間ファイト」
  3)日刊紙:「大阪スポーツ」(関東では「東京スポーツ」)

 4誌紙のうち、もっとも個性的な(換言するならば、偏向性の強い)発言で紙面を構成してきたのが「週間ファイト」紙である。「週間ファイト」の初代I編集長は、この業界では知らぬ者のいないカリスマ的存在で、かのターザン山本(元「週間プロレス」編集長)もI編集長のもとで(すなわち「週間ファイト」紙)でプロレスのイロハを学んだ。
 「週間ファイト」は猪木指向の強いメディアであった。それは、全日本と新日本の2大団体時代に顕著であり、猪木引退後は猪木イズムの継承者として、UWF系の格闘技団体に対する支持色を強めた。これは、一部のプロレス・ファンには圧倒的に歓迎されたが、長州力をトップに据えた新しい新日本プロレスの体制からは極端に毛嫌いされ、ターザン山本編集長時代の「週間プロレス」誌とともに、何度か新日プロから取材拒否をくらっている。
 
 「週間ファイト」の立場からみれば、猪木系のプロレス・スタイルこそが真の格闘技プロレスであり、全日本系はアメリカ型のエンタティメント・プロレスの亜流にすぎない。わたしをはじめとする多くの真面目なプロレス・ファンはその意見を支持していた。
 しかし、いまはみんな気づいてしまっている。プライドとK1のパフォーマンスがプロレスの「演技性」を見事に照らし出し、高田延彦の自伝本やミスター高橋の暴露本が、それを決定的に裏付けた。
 プロレスの試合では、「マッチメーカー」がはじめから勝敗を決めている。G1クライマックスや世界最強タッグリーグ戦のようなトーナメントでも、試合ごとの勝敗と優勝者があらかじめ決まっているのである。観衆は、勝敗の決まっている試合をはらはらドキドキしながら観戦しているわけだ。
 そうなると、仕組まれた勝負を、あたかも真剣勝負のように見せる演技者としての資質と能力がプロレスラーに問われることになる。
 猪木のそれは卓越したものだった。天才としかいいようがないほど、猪木の演技力は抜きんでていた。資金もコネもないのに、初期の新日本プロレスがあれほど観衆を魅了し、多くのジャーナリストを唸らせ、とうとう村松友視のような小説家までをも虜にしたのは、ただただ猪木の演技力が突出したものだったから、としかいいようがない。
 いまも、多くの名勝負が、記憶の底になまなましく残っている。
 猪木vsジョニー・パワーズ。猪木vsタイガー・ジェット・シン。猪木vsストロング小林。猪木vs大木金太郎。猪木vsビル・ロビンソン。猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアント・・・そして数々の異種格闘技戦。
 くりかえすけれども、これらの試合の勝敗は、あらかじめ決まっていた。その勝敗は猪木自らが決めたものだ。インチキだと言えば、間違いなくインチキだ。しかし、今さら、騙されたとは思わない。今でも、すばらしかったと思っている。あれだけの興奮を覚えたプロレスの試合を他に思い起こせないからだ。じっさい、同じ相手と馬場が対戦しても、馬場はただ勝つだけで、われわれに何の感動も与えなかった。相手に勝ちたいならば、それだけのギャラを積めば済む、ということだ(猪木はしばしば引き分けの試合でも観衆を魅了した:ロビンソン戦、金太郎戦など)。

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 「週間ファイト」は9月27日発売の1990号をもって休刊する。あと10回でめでたく2000号を迎えるにも拘わらず、版元の新大阪新聞社は、あえて10回を残し休刊に踏み切った。それだけ売れない、というのが実態であり、赤字の累積は尋常な額ではないのだろう。
 「週間ファイト」休刊の背景は、いうまでもなく、プロレス界の不振である。プライドとK1は、プロレスの存在そのものを揺るがせ続けた。しかも、プロレス団体は分裂し続けた。なぜ、団体が分裂するのか、と言えば、それはプロレスの勝負がレスラーの強さとは無関係に決められるからだ。猪木や馬場のような絶対的存在が消えた現状にあっては、だれがエースになってもおかしくない。しかし、団体はだれかをエースにしなければならない。だれかをエースにすると、その敵役(すなわち負け役)には不満が募る。不満をもったレスラーは、新しい団体を旗揚げする。こうして多団体化が極端に進み、興業の打ち合いになって、すべての団体が収益を減らしていった。
 冒頭に掲げたGPWA(グローバル・レスリング連盟)は、こういう多団体乱立の状況を改善し、ノア(三沢光晴社長)を中心に国内外複数の団体が連携しあおうという構想である。わたしも、プロレスの生き残る途はたぶんこれしかないだろうと思っていた。いわば日本版WWE(旧WWF)の発想である。各団体が手を結び、興業のスケジュールを調整しながら、通常は団体単独の興業をおこない、年に何回かは各団体のエースもしくは代表選手が戦いあう大舞台を用意する。そのような団体交流の試合でも、もちろんあらかじめ勝敗は決まっているのだが、勝敗の行方がわからないようなドキドキする試合を選手は提供しなければならない。
 ところが、ノアの提唱するGPWA構想に対して、老舗の全日本プロレスと新日本プロレスが拒否の姿勢を貫いているらしい。老舗としてのプライドが、GPWAネッワークへの仲間入りの障壁となっているとしたら、それはとても残念なことだ。
 プロレス・ジャーナリズムの老舗「週間ファイト」が休刊になった。プロレスの衰退が「週間ファイト」を休刊に追い込んだ。この事実を重く受け止めてほしい。このまま現状を維持しようとするなら、全日本も新日本も、早晩、同じ崩壊の憂き目に直面するだろう。エンターテイメント・スポーツとしてのプロレスを表現する場をなくさないようにすることが、各団体責任者の務めである。



 


  1. 2006/09/22(金) 17:47:43|
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「古材倉庫」建設予定地の見学

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 鳥取環境大学の授業カリキュラムには、「プロジェクト研究」というユニークな演習科目があります。この授業は、教員全員が提示されたさまざま研究テーマを学生が各自の好みで選び、そのテーマを研究し、成果物を出すというものです。
 前期、加藤家住宅のプロジェクトも、この授業の中のテーマとして挙げられ、非常に高い成果を残しました。
 また、後期に行われるプロジェクト研究でも加藤家住宅に関するテーマが予定されており、その中に「古材倉庫の建設」が含まれています。加藤家住宅をローコストで改修するために必要な古材を保管するための倉庫で、可能ならば、現在設計中の原寸屋根模型(部分)もここで製作したいと考えています。
 
 本日、その建設予定地を敷地所有者のHさん、某助手、大学院生、Y君、居住者Oで見学しました。驚くことに、その敷地は加藤家住宅から徒歩2~3分のところにありました。敷地面積は約450坪と非常に広々とし、古材倉庫を建てるには十分な広さだと思いました(敷地の詳しい図面は、後日、Hさんからいただけるそうです)。

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 敷地には、雑草が生い茂っていたので、後期プロジェクト研究の最初のほうでは、「廃材で作る茶室」のときと同様、敷地整備になるのではないでしょうか? このプロジェクト研究も楽しいものにないそうです。
 ところで、Hさんは、チャックとケンボーがインターンシップで働かせていただいた中国工業の社長さんです。ほんとうにいろいろお世話になり、ただただ感激しております。ありがとうございました!(01号)




  1. 2006/09/22(金) 16:35:51|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅨ)

本日は、新たにロフト部分の材積を計算しました。二番桁上の現状の梁と梁の間に大引を敷き、その上に根太を敷いてあります。

大引、根太、床板の材積の合計は4.65立方メートルになりました。

明日は、追叉首の状態を確認後、屋根部分の材積を修正し、床部分と合わせた材積を算出します。

 
大引、根太
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床板
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅧ)のコメントにありましたカテゴリⅡの「裏板」とは何か?
裏板とは裏甲の上に来る木羽の最下段にあたる材です。


  1. 2006/09/21(木) 23:47:12|
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欄間の写真測量 -尾崎家住宅補足調査(Ⅱ)

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↑オモテの大工彫り欄間 ↓仏間の彫刻欄間
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 本日、湯梨浜町尾崎家住宅においてオモテと仏間にある欄間の写真測量をおこないました。以前、研究室でも詳細な写真撮影をおこなっていますが、今回は正式に株式会社ジェクトにお願いをして測量していただきました。環境計画部のY村さん、H井さん、本日は遠いところどうも有難うございました。
 とくに仏間の欄間は、非常に立体的なものであるため、撮影方法や図化におけるさまざまな問題など一つ一つ話し合いながら進めてくださったので、スムーズに作業を終えることができたと思います。また、県教育委員会文化課のM本さんと湯梨浜町教育委員会のM川さんにも調査に立ち会っていただきお世話になりました。有難うございました。
 そして、最後になりましたが、いつも尾崎家のご夫妻にはおいしいコーヒーとお菓子をいただき、感謝にたえません。有難うございます。(デザイン学科4年 北から来たの)

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↑測量のための写真を撮影している様子 ↓欄間の寸法の確認している様子
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  1. 2006/09/21(木) 15:59:29|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅧ)

 茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅦ)http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-658.html内でお話したように、現在加藤家住宅の小屋伏図を3つのカテゴリに分けて作成しています。

 カテゴリ(Ⅰ)に関しては、前回のブログでUPしたのですが、「図面上の隅部分に配付垂木を用いてない」などの不足点が見つかりましたので、改めて修正しました。 

修正した図面が以下のものになります。
カテゴリ(Ⅰ)↓

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また、カテゴリ(Ⅰ)と平行に、カテゴリ(Ⅱ)・(Ⅲ)の図面も作成しましたのでUPしたいと思います。

カテゴリ(Ⅱ)↓

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カテゴリ(Ⅲ)↓

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  1. 2006/09/20(水) 23:59:42|
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稲刈りの風景

 ほぼ一ヶ月半ぶりにビアンキに乗って出勤。秋晴れの爽やかな風を切って大学に向かった。途中、環大道路で一休み。蛇行する斜路を漕ぎ上がるのに疲れたからではない。稲刈りの風景に見とれてしまい、写真を撮りたくなったからである。
 稲刈りの時期が早くなった。台風シーズンが到来する前に稲を刈り終えてしまうのであろう。子どものころ、稲刈りは10月後半~11月だったと記憶する。田植えの時期は遅くなり、稲刈りは早くなった。ジャポニカの改良はどこまで進化するのだろうか。

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 松江出張の行き帰りに、マイケル・クライトンの『恐怖の存在』(下)を読み終えた。最後は、環境テロリストがソロモン諸島で大津波をひきおこす。MIT危機分析センター所長ジョン・ケナー、弁護士ピーター・エヴァンス、秘書サラ・ジョーンズは、ソロモンのジャングルで民族解放ゲリラに捕らわれの身となり、カルヴァリズム(食人)の餌食になろうとしていた。それを救ったのが、死んだはずの大富豪ジョージ・モートン。わかってはいたけれども、ハリウッドの映画をみるようなドンデン返しの展開である(実際、映画になるであろう)。
 ソロモン諸島では、「草葺き」の建物がキーワードの一つになる。環境保護運動にかぶれた俳優のテッド・ブラッドリーは、飛行機の窓に映る草葺きの建物に感嘆して言った。
  「あの村の家はみんな草で葺いてある。自然を生きるうえでの、むかしながらのスタイルだ。あれは古くからのやりかたが尊重されていて、いまも受け継がれていることの証拠だろう?」
  「ぜんぜんちがう」と案内人は答える。
  「あれは反政府ゲリラの村だからね。伝統的な建物とはまったく縁がない。大きな草葺きの家は権威を感じさせるだろう。あれはチフの象徴なんだ」
 ゲリラのボス、サンブーカは各村に命じて三階建ての草葺き櫓を建てさせていた。目的は見張りである。オーストラリア軍の襲撃に備えるためだ。
 少しだけ私見を挟んでおくと、三階建ての草葺き櫓が「伝統的な建物とはまったく縁がない」という言い方はおかしい。それは、伝統的な民族様式の復古によって、ナショナリズムを高揚させる装置の一つではないか。歴史的な遺跡やモニュメント、要するに文化財(厳密には「文化遺産」)は、全世界的に、しばしばナショナリズムの道具として使われてきた。
 それにしても、ゲリラたちが白人の肉を食べて驚喜するというカルヴァリズム儀礼のシーンにはひっかかりを覚える。食人の習俗が世界各地で記録されてきたとはいえ、ソロモン諸島のゲリラがそれを今なおおこなっているというのは、さしものマイケル・クライトンも偏見がすぎるのではないか。もっとも、ハリウッドの映画にするなら、こういう場面はあったほうがいいに決まっているけれども。

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  「人間の思いこみの歴史は教訓に満ちている」

 わたしも、あなたも、かれらも、みんな思いこみと偏見をもって毎日を生きている。だれもが自明だと信じて疑わない「二酸化炭素排出による地球温暖化」が、じつは根拠薄弱な神話かもしれないことを、クライトンはこの小説でくりかえし強調し、最後に「人間の思いこみの歴史は教訓に満ちている」と説く。それはべつに産業界のスポークスマンとしての発言ではない。むしろ、体制化する環境保護団体に対する警鐘と受け止めるべきであろう。
 地球は人間の活動とかかわりなく、気象を変動させてきた。ここ数万年のスパンでみても、約2万年ごとに氷河期が訪れ、間氷期に地球は温暖化している。わたし自身が、そのことを教えられたのは、高床建築の起源をさぐるため、中国江南の新石器時代遺跡のデータを収集していた時である。いまから約7000年前、東アジアの各地はヒプシサーマル(気候的最適)期と呼ばれて、年の平均気温が3~5℃高かった。東方アジア最古の高床建築部材を出土した浙江省の河姆渡遺跡では、ジャポニカ栽培稲の籾のほか、大量の魚骨、獣骨、果実などがみつかったが、その生態系は現在のベトナムの湿地帯に近いものである。日本では縄文時代早期にあたる時代であった。その後、気温は少しずつ低くなり、縄文時代の中期頃には今と変わらぬ気候になったとされる。この時代の温暖化と寒冷化に二酸化炭素はまったく関係していない(はずだ)。

 科学者こそが必要だとクライトンは言う。客観的なデータを提示し、バイアスなしにそれを分析する科学者だけが真実に近づける。
 評論家や弁護士ではなく、自らフィールドに出る科学者が必要なんだ。
 

  1. 2006/09/20(水) 22:56:51|
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白い出雲

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 台風一過で天気は上々。今日は、田和山遺跡復元大型竪穴住居の原寸検査だ。昨年と同じ木材置き場に行くと、大量の栗の樹が皮付きのまま並べられていた。産地は「そこいらの山」だそうで、流通材ではないから、結構曲がりくねっている。そこが自然ですばらしい。弥生時代中期の竪穴住居に、まっすぐの流通材を使ったんでは興が殺がれる。
 材に関しては、なにも問題なかった。少し太めの材をそろえてくれているので、皮とシラタ(辺材)を取れば、アカミ(心材)だけで設計寸法が確保できる。
 一方、微修正を要求していた1/10模型の再チェックもおこなった。腰屋根が急勾配になって容積が増し、大屋根部分とのバランスがよくなった。入口や側窓の出来もいい。ただ一点、腰屋根の妻壁がないことに気が付いた。妻側が完全に開けっ放しになっているから、このままでは雨が吹き込んでしまう。開けっ放しの部分を上側の1/4程度にして、その下側3/4には網代編みの壁を外転びで設けることにした。
 以上、3年目になる田和山の復元建物は、今年も順調な滑り出しをみせている。竣工は雪の降る前、11月末の予定。

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 原寸検査後、わたしと松江市の担当者2名は出雲をめざした。開館を来年3月10日に控えた島根県立古代出雲歴史博物館に、松本学芸部長とN学芸員を訪ねるためである。目的は昨年・一昨年と開催した大社造シンポジウムの成果報告書編集の打ち合わせであったが、まずは開館前の博物館とその準備状況をご案内いただいた。わたしも、出雲大社境内遺跡で出土した大型本殿遺構の復元模型(1/50)制作に関与させていただいており、興味津々である。展示は、まだあまり進んでいなかったが、槇文彦設計の建物をみせていただくだけで、とても刺激的であった。

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 槇文彦の設計した島根県立古代出雲歴史博物館は、白い空間の代表である。ここにいう「白(シロ)」とは、色ではなく流派を表す。これは藤森照信が提唱した概念なのだが、ガラスやスティールを多用し、透明感をもつインターナショナルなモダン・デザインの一派がシロ派。対して、土や木を多用するリージョナルなポストモダン・デザインの一派がアカ派である。藤森自身がアカ派の代表、槇はシロ派の日本代表ともいうべき存在であり、出雲歴史博物館の内部はほんとうに真っ白で透明感に満ちていた。槇らしい上品な作品であると確かに思った。しかし、率直な感想を述べるならば、この博物館は槇の代表作と呼べるような作品では決してない。とくに、外観ののっぺりしたデザインは、わたしに何も訴えかけてこなかった。
 槇のデザインは指名コンペ5社の中から勝ち残ったものである。わたしは他の4社のデザイン案を知らないが、なぜ槇の案が勝ち残ったのか、その理由が読み取れなかった。出雲大社という日本でもたぐいまれな地方的独自性をもつ神社建築の隣に、透明感に満ちてインターナショナルな博物館が建っていても、けっして悪くはない。しかし、シロで行くならば、鑪(タタラ)や千木などのモチーフはいっさい消去し、もっともっとシロになり切るべきではなかったか。
 ちなみにわたしはアカである。死んでもシロにはなれないアカだ。共産主義者ではないけれども。

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[白い出雲]の続きを読む
  1. 2006/09/19(火) 23:24:55|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅦ)

本日、小屋伏図修正案(CAD図)の作成及び、材積表の手直しを行った。
一度、それらの図面及び表をプリントアウトし先生の方でチェックしてもらったのだが、プレゼンテーションがいまいちであると指摘していただいた。先生のおっしゃる通りである。我々(やっちゃん1号・2号、居住者O)が作成した図面は、全ての情報を一枚の図に収めようとしたため、理解しにくいものになっていた。
そこで、その図面を分かりやすくするため3つのカテゴリーにわけ作成し、さらに材積表ともリンクさせることにした。
(カテゴリの詳細)
カテゴリ(Ⅰ) →叉首から天井板まで
カテゴリ(Ⅱ) →土台から中桁、及び木片まで
カテゴリ(Ⅲ) →野垂木から縦板まで

本日カテゴリ(Ⅰ)が完成したのでアップします。


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  1. 2006/09/19(火) 23:23:01|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅥ)

 前回、やっちゃん2号が大まかな材積を掲載しましたが、いくつかの修正がありました。その主な内容としては、前回より叉首兼垂木と野垂木の本数が増えたという点です。

それで、やっちゃん1号と01号とで前回の材積をさらに詳しくし(平側・妻側の材積)、部材点数に関しても計算した数値を掲載します。

定格材として計算した結果で予想される数は、1318(木片は除く)。全体の木材の容積(材積)は47立方メートルという結果になりました。  (01号)



  1. 2006/09/18(月) 22:54:31|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(XV)

屋根の構造も次第に固まってきています。今回は今までの資料を基に大体の材積を計算してみました。
屋根の叉首兼垂木から防水ルーフィング下の縦板までの部材の材積は、約27立方メートル。ロフト床の大引・根太・床板の材積は、約4立方メートル。合計で約31立方メートルです。一つの塊で表すとおおよそ6m×5m×1メートルの大きさです。
この値は実際より多めに出してあります。



  1. 2006/09/17(日) 19:56:18|
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風車の理論

もうばらしちゃってもいいだろうから、ばらしてしまうと、先日おこなわれたAO入試の小論文試験(環境デザイン学科)では、風力発電の風車を問題としてとりあげた。
 自然の力を利用したエネルギーが重要であるのはいうまでもない。だから、風力発電そのものを否定するような解答を期待しているわけでは決してない。しかし、その一方で、風車の設置場所には検討の余地がある。たとえば、大学の窓外にみえる3台の風車は、山のてっぺんにその雄姿を誇示しているが、今日は微動だにしていない。風が強いであろうと推定される場所に風車を設置しても、プロペラがまわらないなら、数億円の投資額にみあうエネルギーが回収されているのかどうか不安になる。どこかの自治体では、すでに設置場所を変えた例も出ているはずだ。
 なにより景観が悪化した。山頂とか海辺のような風の強いエリアは、「故郷の風景」を代表するランドスケープ・ゾーンでもある。風光明媚な名勝地である場合が少なくない。こういう場所に、スターウォーズの兵器のような大型の風車を林立させるものだから、元の景色は台無し。たしか、この現象については、以前にも「環境ファシズムによる景観破壊」という発言をしたことがある。景観破壊は文化破壊にほかならない。
 ところで、風車といえば、オランダではないか。オランダの風車はお花畑の中に林立しているが、田園景観を破壊するどころか、田園景観を際だたせて新しい「風景」を作りだしている。日本の風車も、こうならなければいけない。まずは、設置場所を慎重に検討し、景観を保全すべきエリアに風車を建設すべきではない。つぎに、風車そのもののデザインを工夫しなければならない。木質構造の風合いなり色調を用いるなどして、周辺の緑地景観に融け込み、周辺の景観を際だたせるような意匠的配慮を施す必要があるだろう。

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 ところでところで、風車と言えば、ビル・ロビンソンの「人間風車」をただちに思い出す。残念ながら、ヘーシンクやルスカと違ってオランダ人ではないが、同じヨーロッパ系の英国人プロレスラーである。カール・ゴッチ(ドイツ系アメリカ人)の教えを受けた正統派のレスラーで、ゴッチやテーズから見れば、子どもの世代である。同世代の強豪と言えば、アントニオ猪木とドリー・ファンクJr.がまず頭に浮かぶ。ビル・ロビンソンの得意技ダブルアーム・スープレックスは、「人間風車」と愛称された。相手をお辞儀させた状態(相手の頭が下腹部にあたるぐらい低く下げる)で、両腕の外側から腕を差し込み、後方に体をそらせて投げ捨てる。相手は空中を大きく一回転し、腰からリングに落ちていく。この姿が「風車」に似ている。日本では、ジャンボ鶴田と前田日明も得意技とした。
 風車と言えば、アントニオ猪木の「風車の理論」も忘れることができない。猪木が第1次UWFを迎えて対抗戦をおこなった際、藤原喜明に何度も関節技を決められるのに、決してギブアップしなかった。昨今の「プライド」を見ていればあきらかなように、腕ひしぎ逆十時固めが決まると、その技を受けた選手はただちにギブアップするし、アキレス腱固めやヒールホールドを我慢していると、小川直也のように、足の骨を折ってしまう。しかるに、猪木は絶対にギブアップしなかった。
 猪木は、自分の関節を「ルースジョイント」だと豪語した。関節技を決められても、関節が軟らかいから、技が完全に決まらない。技を決められた時は、その技に逆らわないようにする。風に流される「風車」のように技に身を任せる。こうすれば、関節技も怖くない。いわば、
  「風車の理論」
だと猪木は言った。海にたゆたう昆布のような生き方をしていれば、どんなパンチをくらっても堪えない。流れに任せた人生を送るのがよい、とでも言いたげだ。
 あのころ、猪木は凄い、と思っていた。しかし、今はだれもが知っている。プロレスの関節技がインチキであることを。みんな本気で締め上げていない。本気で締め上げたら骨が砕けてしまうことをレスラーは知っている。だから、締めたような演技をして、力を緩めている。
 猪木も役者だが、猪木と戦った藤原の演技が上手かったのだ。締めても締めても、猪木は平然としている。藤原はどうしたらいいのか、困惑するばかり。その困った顔にだまされた。もう一締めすれば骨は砕けて終わってしまうのに、それができない。本気で締めたら、ギャラがもらえない。損害賠償請求されて、UWFも潰れてしまうだろう(実際に潰れてしまったが)。藤原は困った顔をしたまま、技をはずしてしまい、逆襲をくらってマットに散った。
 すべては芝居なんだ。





  1. 2006/09/17(日) 14:24:10|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(XIV)

 浅川先生が無事に帰鳥され、今は教授室で執務中です。その少し前に、これまで進めてきた茅葺き風鉄板葺き屋根の設計のチェックをしていただきました。

 そこで、隅と妻側のおさまりについて、アドバイスをいただいたので、記しときます。

・隅木の両側を新材で挟み、補強する。
・平側の隅部の垂木は平行垂木とし、上端は隅木の補強材に接続させる。
・妻側は、古材であるサスや垂木の片方のみ、新材をこれらに沿わせて補強する。

 以上より、イメージ化をすると下図のようになります。(やっちゃん1号)


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↑アドバイスを元に書いた図(クリックすると大きくなります)



  1. 2006/09/16(土) 23:40:24|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅢ)

 「材積」という単語があります。はじめてこの言葉を聞いたのはほんの1ヶ月くらい前で、鳥取県林業試験場でのことでした。これを簡単にいうならば、必要となる木材の容積になります。

 おおかたの屋根の改修案はかたまり、図面もいくつか仕上げています。それらから改修する屋根に対しての材積を算定することができます。ただ、実務的作業になるので、正規の算定方法を詳しく知りません。なので、このプロジェクトのパートナーである木推協の方に助言をいただけるように伺いをたてています。

 参考までにY2号が提示している改修案で必要となる木片の材積のみを算出してみました。ちなみに、屋根の外周はおおよそ53mとしています。すると、1.78立方メートルになります。(やっちゃん1号)



  1. 2006/09/16(土) 00:15:55|
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津山城東のカバチーノ

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 中国縦貫道を西行しながら、高校訪問をした。
 某工業高校で嬉しい情報を頂戴した。指定校推薦で環境デザイン学科に2名送ってくださるという。いずれも建築科の生徒だそうで、進路担当の先生まで建築科であった。話が弾んだ。これ以上の相性はない。このように、工業系の実業高校では、本学環境デザイン学科に並々ならぬ関心を示してくださる。今年から一般入試に導入される「2科目&3科目」併用試験についても、工業高校は期待を寄せている。本学の3科目試験では、英語が必修となっているのだが、工業高校では必ずしも英語が得意でない学生が多いため、必修科目のない2科目自由選択の試験を歓迎しているのだ。
 一方、普通高校はなかなかしんどい。とりわけ進学校では、国公立大学の入学者数が学校評価の決め手になるため、地方私学がいまのところ眼中にない。AO入試や推薦入試で、生徒が受験勉強をやめてしまうことに対して警戒感をもっている。だから、普通高校の高校訪問はもう少し時期を遅らせるほうがよいと思った。センター入試から一般入試にかけての併願の対象になるよう、適切な時期に訪問し、大学の利点をアピールすべきではないだろうか。

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↑↑津山東高校旧本館(重文) ↑塔状の建物と長い塀は工場と駐車場を隠す修景 ↓美術館と町家
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 本日最後の訪問地が津山。奈文研に入所直後、町並みや近世社寺の調査で何度も訪れた懐かしい城下町である。鳥取市まで車で約1時間半の距離だから、本学への入学者も少なくない。島根県東部とともに、県外有数の入学生集中地域の一つと言える。すでに入試広報課の職員も何度か高校訪問しているが、教員としても学科の特色をアピールすべき最重要地域の一つである。その任を終え、町並み調査に携わった城東地区を散策した。城東地区は、調査後、市の「町並み保存地区」に指定され、修理・修景が進んでいる。レストラン・喫茶店や土産物店も数を増した。
 陽の沈むころ、わたしたちは「ビオトープ 香葉」という喫茶店に入った。大正~戦前頃の木造建築をリフォームしたお店である。「香葉」と書いて、カバと読む。店内にはカバのイラストを散りばめている。そこで、カバチーノというコーヒを飲んだ。カプチーノのウィンナコーヒもどき。ちょっと甘いが、まぁいける。バナナジュースは、アイスクリームのようにねっとりしてヘルシィ。氷ぜんざいは、白玉を6個のせたあっさり味の金時かき氷。注文したデザートと飲み物はみな美味しかった。
 ただ、客が少ない。それだけが心配だった。

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↑「香葉」の内装

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  1. 2006/09/15(金) 23:56:00|
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家伝書の再撮影 -尾崎家住宅補足調査(Ⅰ)

 暑かった夏も終わりに近づき秋の風を感じながら、本日湯梨浜町尾崎家住宅にて家伝書の撮影をおこないました。前回の調査で撮影したものの中に手ぶれのはげしいものがあり、再度ぶれないように方法をかえて撮影をおこなうことが今回の目的でした。撮影方法については鳥取市教育委員会文化財課の佐々木さんにご指導いただき大変感謝しております。
 また尾崎家と対面する安楽寺にて住職さんの協力のもとに本堂内部の見学と山門・鐘楼の平面実測もおこないました。
 今回の調査で家伝書の撮影に立ち会っていただいた湯梨浜町教育委員会の宮川さんに厚くお礼申し上げます。お忙しい中ありがとうございました。そして最後に、度重なる調査にも快く応じてくださりお世話になっている尾崎家のご夫妻にも感謝いたします。(環境デザイン学科4年 北から来たの)

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↑撮影準備中

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↑安楽寺鐘楼の実測風景



  1. 2006/09/15(金) 17:09:40|
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教えてください、ベトナム寺廟の樹と記号

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 ハロン湾水上集落で調査した寺Den Cau Vangで教えられたことなのだが、ベトナムの寺廟では、境内に必ずある樹を植えるという。大きな葉をもつその樹木はたしかに、水上集落のお寺の脇に植えられていた。それともう一つ、狛犬(焼物の獅子)の乗る基台の正面にある記号が書かれていた。それと似た記号は、かつて中国江南(長江下流域)の民家調査でもよく見た。門や窓の意匠に多用されており、細かく実測した経験もある。それらの記号は、一般的に「福」「禄」「寿」「喜」など吉祥をアピールする漢字を抽象化したものなのだが、水上集落の寺でみた記号がどの漢字にあたるのかわからない。通訳のハオさんは、英語で「フォーエバー」を意味する記号だと述べたが、漢字そのものを示すことはできなかった。「フォーエバー」と最も意味が近いのは「寿」だが、字形が違いすぎる。ただ、民衆道教における「寿老人」と係わりの深い「亀」と似ているように見えなくもないが、たぶん別の漢字であろうと思う。
 そうこうしているうちに、ハノイの文廟(孔子廟)で、おなじ樹木とよく似た記号を発見した。記号は正門(南門)初層の壁、大きな葉をもつ樹木は太成門の脇で確認した。
 この樹木と記号について、どなたかご教示いただけませんか?

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↑↑水上集落の寺に植えられた樹 ↑↓文廟太成門脇の樹
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↑文廟の正門 ↓同左、壁の記号。
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↓水上集落の寺、狛犬基台に示された記号
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  1. 2006/09/15(金) 11:22:07|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅡ-2)

 つい先ほど、ロフトに関するブログをあげたのですが、屋根裏におけるロフトの範囲などの説明が不足していたので付け加えたいと思います。

ロフトアルファ


 上に示した図を見てください。まず、階段を設置する土間の妻壁近く(図では赤線で表示)に鉄骨製の柱を設け、コアをつくります(←この事に関しては前回のブログを参照してください)。
 緑で囲まれた部分を中二階として機能させ、ピンクで囲まれた部分は二階となります。二階部分の範囲は、実質上二番桁の内側となります。また、二階部分を女中部屋及び、台所まで広げようという話もありました。しかし、そこまで広げてしまうと、台所空間に圧迫感が生まれるので上記のようにしました。(01号)


  1. 2006/09/14(木) 22:46:07|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(ⅩⅡ)

 現在、屋根設計がまとまってきています。そんな中、加藤家住宅内に設ける予定の”ロフトへ上がる階段”に関する話が出てきたので、その一例をここで紹介したいと思います。 この案はY助手が考え出した案です。

ロフト

Y助手による案↑

ロフト2

拡大図↑

 
 建物の構造を補強するため、鉄骨の柱材を用いて正方形状のコアをつくり変形に対する耐力を増大させるという案が上記の図であります。そして、その部分にうまくロフトへ上がる梯子を設置するというわけです。(0.1号)             


  1. 2006/09/14(木) 21:13:55|
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エピローグ -越南浮游(Ⅹ)

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 早朝7時すぎ、無事、関西空港に帰着した。
 飛行機に乗るときはいつも、これで人生が終わるかもしれない、と思う。テロも危険だが、機器整備も不安材料で、とくに昨年、JALは労使関係の悪化から、機器の整備管理が杜撰になり、何度か異常事態の発生を招いて国交省の査察を受けた(はずだ)。さきほどまで乗っていたフライトはベトナム航空(VN)940便で、JALではないが、じつはJALとの相互乗り入れ便である。出発前、この情報を得ていたので、JALのマイレージカードを用意して行った。ところが、JALのカウンターでは「提携がありませんので」と愛想がない。ANAであろうと、BA(英国航空)であろうと、相互乗り入れ便にはマイレージがつく。JALはそれさえもできない経営状態に陥っているのだろうか。

 昨夜はホーチミン空港で、結構お土産を買った。買い物に少し時間をかけすぎてしまった。ネットカフェに入ったら、ちゃんと無線ランに接続して、まずはメールを受信し、次に溜まったブログをあげようとしたのだが、時間が足りなくなって、なんとか掲載できたのは「Mr.エアポートの様式分析(Ⅱ)」だけ。今回掲載した「様式分析」(Ⅰ)(Ⅱ)は、Mr.エアポート(=O君2号)が書いた文章を、わたしが手直ししたものである。わたしの手が入っているのは事実だが、2年生にして「様式分析」に挑戦しようというだけで大したものだ。禅宗様や大仏様をきちんと理解している学生なんて、まずいない。しかし、かれは挿肘木、皿斗、藁座、遊離尾垂木などの用語を使って文章が書ける。昨晩のジャズバーで、ずっと草稿を手書きしていた。
 一方、チャックはと言えば、どこかの古本屋でゲットした『民家の見方 調べ方』を持ってきていて、驚いてしまった。この古本は入手できない。わたしは学生時代に買った本をなくしてしまい、以後、何度か古本サイトを使って手に入れようとしたが、駄目だった。チャックは3200円でゲットしたというので、1万円払うから譲ってくれ、と頼んだが駄目。2万円でも駄目だという。昨晩のハノイ空港から、Mr.エアポートはチャックに『民家の見方 調べ方』を借りて、ずっと読み続けており、
  「おもしろい、おもしろい・・・」
を連発している。まことに結構なことだ。

 わたしは一足早く7時40分のリムジン・バスに乗った。かれらはラピート経由で、難波から高速バスに乗り、帰鳥する。「南海そば」で、もう一度きざみうどんが食べたいらしいが、高速バスの時間も迫っている。
 別れ際の挨拶はいつものとおり、「グッバイ、フォーエバー!」。2~3日すれば、大学で再会するだろう。

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  1. 2006/09/14(木) 11:07:20|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(Ⅺ)

今までのエスキスと昨日のコメントを基に伏図を描きました。隅は隅木を両側から垂木で挟み、金具で締めます。妻側は、古材のサスの間隔が広い箇所があるので、その間にサス兼垂木を載せて上に天井板を渡せるようにします。これによって新材に板を打ち付ける為、古材の隅サスと妻側のサスを傷つけずに済むと思われます。

fusezu.jpg


↑ 伏図


伏図は4分割し、木負から縦板までを各材色分けをしてあります。左下から時計回りで順に材が載っていくのを表しています。(2号)

  1. 2006/09/13(水) 23:08:59|
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