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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

チャック・サンジョン・タパのベトナム見聞録(壱) ―シクロに揺られて―

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 開いた口が塞がらないのはもう一昔前のことで、今は夢中でシャッターを切る時代である。その時代に生まれた私が口を塞ぐ事ができなかったのは生まれて21年の中で2回だけ。1回目は虫歯になった小学3年の夏。そして2回目は今日。このベトナムという異国の地で、である。

 初めて乗るシクロは乳母車のような感触を僕らに与えるが、その移動は僕らにジェットコースター並の恐怖を与える。車やバス、自転車にバイクは基本的に右側通行なのだが、それらはないに等しくそれぞれが行きたい方向に縦横無尽に道路を走り回っている。クラクションを鳴らすことになんら抵抗のないベトナムの人々は、邪魔な車やバイクに遭遇すると日本では考えられないほどクラクションを鳴らし、指示器もあってないようなものである。彼らは余程な事がない限り乗り物を止めようとはせず、我先にと先を急ぐ。
 道路がそうなんだから歩道もごった返しているのかといえばそうではない。歩道にはシクロの上で寝ながら客引きをする男性や、出店があるくらいで、しつこい客引きを除けばなかなか快適な歩道である。

 僕らは1人1台、計3台で調査場所とホテルを往復した。その間何度命を捨てたことか。車やバイクが走る中をすり抜け進むシクロは悪びれもせず道路の真ん中を走り、交差点では斜め横断。日本では考えられないことがベトナムでは当たり前に行われている。そろそろカルチャーショックから脱出し、落ち着いて調査したいものである。(チャック)
 
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↑対抗車線に乗り入れる恐怖・・・



  1. 2006/09/05(火) 23:45:50|
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舟に住みシクロを漕ぐ -越南浮游(Ⅰ)

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 いよいよ調査がはじまった。
 朝食後、フエ大学建築系のグェン講師の携帯に電話した。昨夜は通じなかったが、今朝はあっさり通じた。しかし、英語が通じない。わたしの英語はひどいものだが、上には上がいるもので、どうにもこうにも埒があかない。ともかく、午前11時にホテルに来ていただくことを約束して、3人は街に出た。
 門前で、声をかけられた。シクロ(3輪自転車タクシー)の運転手たちだ。いつでもどこでも、かれらは声をかけてくる。ぽん引きとシクロ運転手は限りなく同義に近い。いつもならば、相手にせず、さっさと立ち去るのだが、今朝は違った。思い切って話しかけてみることにした。
 シクロの運転手は、船住まいしているに違いないという予感がしたからである。
 その直感はずばり的中した。わたしと同年で、誠実そうな相貌をしたグェンという姓の運転手は、英語が結構通じる。さきほど電話で話した大学の先生に比べても、ずっと聞き取りやすい。
  「船に住んでいるんじゃないですか?」
  「そうさ」
  「あなたの家に行きたいんだけど、無理かな?」
  「いや、いいよ。」
  「でも、午前中は来客があってね、午後からでいいかい?」
  「あぁ、いいとも。ここで待っているよ・・・」

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 それから、わたしたちは近くの埠頭にでかけた。香河(ソン・フォン)クルーズのためのドラゴンボートがいっぱい並んでいるのだが、もちろん来客を待つ身なので、船に乗るわけにはいかない。
 ここでGPSをデジカメに装着し、撮影を試行した。今回訪越した3名は、いずれもこの機器の扱いに慣れていない。チャックもO君2号もマニュアルをみながら、必死で操作するのだが、GPSに東経・北緯は表示されても、それがデジカメの画面に映りこまないのである。わずか1枚、座標の写し込みに成功したのだけれども、あとは何枚撮影しても、GPSのデータはデジカメに転送されなかった。
 じつは、日本でもこういうケースがしばしば発生したことを、わたしは知っている。こういう不具合が生じても、ちょっとした操作でデータが転送されるようになり、わが研究室ではすでに1200件の建造物の位置データをおさえているのである。しかるに、フエではそのデータが写真画面に移らない。こういう事態を想定して、ホカノには機器の扱いを細かく伝授するよう指示しておいたのだが、はたして危惧は現実のものとなった。ホテルに戻って、さっそく大番頭に国際電話し、詰問したところ、
  「それはケーブルの接触が悪いとしかいいようがありません・・・・」
 まぁ、GPSそのものは動いているのだから、調査地の座標をおさえることはできる。それに、ある日突然、データが画面に転送されるかもしれない。だから、GPS付デジカメを使用し続けることにした。

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 午前11時、フエ大学のグェン先生(建築系講師)がご父君(同大学人類学系教授)をつれてあらわれた。もともとSDINは、お父様のほうのグェン先生に連絡をとっていたのだが、お父様のほうはロシア語の世代で英語が話せない。その通訳として、息子さんを帯同されてきたのである。しかし、やはり英語がうまく通じない。結局、大学の英語の先生を通訳として紹介していただくことになったのだが、今日は時間があわず、3人単独で動くことにした。

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↑香河の家船集落 ↓環境テロリストに対峙するジョン・ケナー(in ドラゴンボート)
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 昼ごはんの時間が近づいていた。しかし、時間がおしているので、今度こそ香河のクルージングをしよう、ということになって、昼食付き2時間のクルーズを頼んだ。ドラゴン・ボートはすぐに動きだしたが、マダムはドンバー市場に買い出しに行き、そのあいだ船は香河に浮かぶ家船の大集落をぐるぐるまわってくれた。4年前の2月にも同じ経験をしたのだが、今回もまた香河水上集落(VAN)のど迫力に圧倒された。
 それから、ティエンムー寺まで川を遡った。以前ほど上流に家船をみない。ただ土砂運搬の船が目立つぐらいだ。ティエンムー寺は八角七層の密檐式磚塔(1601年創建の慈悲塔)で知られる古刹。奥のダイフン寺は修理中であった。例のごとく、内陣と礼堂を双堂式に樋で連結するタイプの仏堂で、仮設の塀で囲まれていたが、勝手にどんどん中に入って写真を撮った(二人の学生はおろおろしてなかなか入って来なかった)。職人さんたちはニコニコ笑って何も言わないが、しばらくして、官僚風のYシャツを着た男があらわれ、「出て行け」という身振りを示した。だから、塀の外に出ていった。

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 ティエンムー寺の畔の船上で昼食をとり、一路フエの市街地に帰っていった。シクロ運転手のグェンさんは門前で待ちかまえていた。3時過ぎから、3人はシクロ・タクシーに乗り、グェンさんの住むトンバー橋のたもとにやってきた。紫禁城の外濠にあたるトンバー川にはおびただしい数の家船と筏住居が列をなして集中している。グェンさんと奥さんは典型的な家船に住んでいた。グェンさんはトゥンアン・ビーチの漁民だったが、1985年にフエに来て、船住まいを始めた。船は両親が1000ドルで買ってくれた。奥さんと結婚したのは17年前。子どもは息子と娘の二人がいる。ほかにも二人の子どもがいたが、死んでしまったという。生活は貧しい。いつもなら、ふっかけられた値段を必ず下げさせるのだが、その生活ぶりをみて、値切るのはやめようと思った。わたしたちの調査謝金が、すこしでも生活の足しになってくれればと思う。
 調査の分担は、わたしが聞き取り、O君2号が実測、チャックは屋根伏図(配置図)の作成である。2時間足らずのあいだに、ほぼ調査を終えたが、明日もトンバー川に来て、ここに集中する家船と筏住居の総数を把握しようということになった。

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↑対岸からみた家船群。ドンバー橋のたもと、橋脚に接する右側の船がグェン家。↓グェン家の隣の家船。
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 夕食は、昨晩と同じ「トロピカル・ガーデン」に足を運んだ。『地球の歩き方』にも載っている有名な料理店で、ホテルから歩いて5分ばかり。今日はベトナム風の鍋をつついた。夕食でO君2号がビールを飲まないのには驚いた。わたしは、いつもの通り、333ビールをロックでのんだ。氷の入ったビールは、東南アジアの常識である。

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↑シクロに乗ってドンバー川をめざす。シクロとはcycleのことである。↓グェンさんはホテルと契約している運転手(IDカードをもっている)。ホテル門前での記念撮影。
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  1. 2006/09/05(火) 23:36:38|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(Ⅲ)

 昨日の2号さんに引き続き今日は01号がエスキス案を提示させてもらいます。やっちゃん1号2号さんは軒付部分を担当されていましたが、01号は「棟部分および越屋根」の詳細をやっています。

それで、早速ですが↓がエスキスとなります

棟部分エスキス

 
 プロジェクト研究1・3の成果により、現在、加藤家住宅内には仮組みの囲炉裏があります。その囲炉裏がある部屋の天井部分には煙抜きが存在しているのですが、現段階では、屋根裏部分に上がってきた煙が外へ抜け出すのは難しい状況になっています。そこで、今回のエスキスでは越屋根を含む屋根を考えてみました。この越屋根は以前、先生がお描きになったエスキスを参考にし、自分なりにまとめたものです。01号がイメージした越屋根は、屋根全体に乗る形となっています。しかし、この案だとどうしても棟木部分の束が長くなってしまうので、貫を通して補強材としています。なお、越屋根の葺き材は鉄板であり、その下に防水シートを敷き雨漏り対策としています。


 そしてこれが、上記のエスキスをCAD化した詳細図面です↓

CAD化


(部材の細かな寸法に関してはまだ決定していませんので、これから詰めていきます)

 この他にも、まだまだ案を出していきたいと思います(01号)

  1. 2006/09/05(火) 05:48:36|
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asa

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