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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

チャック・サンジョン・タパのベトナム見聞録(弐) ―鳴り止まないクラクション―

 トンネルを抜けるとそこはクラクションの嵐でどこに行こうと嵐はやまない。ドンバー川のほとりに着いた僕らを迎えたのもまた、クラクションであった。

 30メートルテープの端を持ち歩くこと10分。二人の子供が近づいてきた。手にはゴムのチューブが握られていた。どうやら今日の遊び道具らしい。妙なかっこうでうろついている自分を物珍しそうに見つめる眼はとても純真で、吸い込まれそうだった。こっちから微笑みかけると口を大きく開いて笑い返してくれた。日本ではこうはいかない。同じ人間なのに一体全体何が違うのであろうか?しばらくその子達とじゃれあうこと数分。場所の移動を命じられたので動くと、彼らもついてきた。船の写真を撮っていると自分達のことも撮れという。カメラを向けると「楽しい」を体現するような顔でポーズを取っている。映した画像を見せると大喜びしている。青い空の下、太陽よりまぶしい顔を曇らせたのはまたしてもクラクションであった。(チャック)

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  1. 2006/09/06(水) 23:30:29|
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Mr.エアポートの様式分析 -フエの紫禁城太和殿

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 ベトナムの朝陽は強烈に熱い。すがすがしい朝を迎えるためには、早朝5時に目が覚めるチャックのようにならなければならないだろう。今日はドンバー川に並ぶ家船の配置や艘数を午前中に調査し、午後からフエの旧市街地にある紫禁城(グェン朝王宮)を見学した。
 紫禁城に到着し、まず我々を迎えたのはコ字形平面をもつ闕(ケツ)すなわち王宮門である。この王宮門は門道を覆う基台(石畳敷)上の重層式中国風の建物で、上に登ると、正面にたつ太和殿の規模を確認することができる。

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 フエ紫禁城の太和殿にはいろいろな様式が入り交じっている。全体の構造形式は、昨日報告したティエンムー寺の仏堂と同じく、裳階付きの双堂で、内陣と外陣の屋根境には大きく派手な樋がついている。日本では、平安時代以降、双堂を大きな野小屋で覆い、一棟に納めるようになるが、中国や東南アジアでは、野小屋は発明されず、双堂のまま現在に至っている。
 また、柱には礎盤が用いられ、禅宗様との共通性を示している。一方、軒には大仏様の要素も色濃い。非常に長い二手先の挿肘木は大仏様のそれとよく似ているが、手先方向の長さがあまりにも突出していて、二手の挿肘木を支えきることができず、石柱で下から支えている。さらに、通肘木にも似た軒桁を用いており、組物が横に広がるのを抑えている。また、垂木先を彫物のされた鼻隠し板で覆っている。
 しかし、太和殿の内部に目を移すと、小屋組には土着的な登り梁構造を採用していることがわかった。この様式はベトナムの民家でも数多くみられ、王宮と民家の屋根構造が同じであるところに驚かされた。

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↑太和殿の長すぎる挿肘木 ↓ドンバー橋付近の町家の内部架構。登り梁の構造は太和殿と変わらない。
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 さて、日本中世の「大仏様」とは、俊乗坊重源が入宋三度の経験を活かして、中国福建方面の技術を大々的に取り入れた建築様式とされるが、中国にモデルとなる寺院は存在しないとされる。じっさいに福建省を訪問して北宋~明清の寺院建築を訪れると、大仏様の要素と禅宗様の要素が入り交じっており、純然たる大仏様は存在しない。

 以上から考えるに、フエ紫禁城太和殿は、中国福建・広東方面の寺院建築技術をひろく導入しがらも、ベトナムの土着様式を構造の基本部分に残す混合様式であることが分かるだろう。東南アジアにやってきて、日本の建築様式を考え直せたことは幸運であった。 (Mr.エアポート)

  1. 2006/09/06(水) 23:05:52|
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筏の川屋 -越南浮游(Ⅱ)

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 今日もまた猛烈にはたらいた。
 まず9時、フエ大学のグェン講師(息子さんの方)が英語教師のMs.タンを連れてきた。昨日、家船屋内の調査とインタビューは終えてしまっていたので、今日はおもに集落の配置に関する外まわりの調査をすると決めていたから、正直言って通訳は必要ないので、その旨お知らせし、夕方来られるグェン教授(お父様の方)との通訳をお願いすることにした。
 その後、ただちにドンバー橋をめざした。もちろん今日もシクロに乗って、かれらの居住地に連れていってもらったのである。今日は、昨日実測したグェンさん(運転手)の家船を含むVan do(家船集住ブロック)の全体性を把握するため、西端から東端までの距離を巻尺およびGPSでおさえながら、そこに並ぶ家船・筏住居をスケッチし、わかる範囲で船の番号を確認した。船・筏住居が護岸に並ぶ距離は約380m、船・筏住居の総数は98艘であった。このブロックの西端地点から約20m離れて次のVan do(家船集住ブロック)が始まり、その全長も略測しようと試みたのだが、途中である住人から「2km続いているよ」と言われて、やる気を失った。実際は数百メートルと思われるが、その先の対岸には同様のVan do(家船集住ブロック)がさらに続いている。

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↑30メートルテープを引っ張るチャックに人気集中。子どもたちは楽しくお手伝いしていた。↓Van do(家船集住ブロック)の西端に樹影をひろげるガジュマルの大木。木陰には必ず露店が陣取り、樹幹には小さな祠を祭る。
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 家船には「PH-020」などの記号を記した金属板が舳先の板に貼り付けてある。このPHは地名の略号であることをグェン教授(お父様の方)から教えられた。PHはPhu Hiepの略で、今回調査した家船・筏住居の95%以上を占めたが、なかにはPB(Phu Binh)やVD(Vy Da)も含まれていた。外来者の船と思われる。興味深いことに、筏住居の場合、この船番号を表示しないものが圧倒的に多い。おそらく、船を放棄し、あるいは船を改造して筏住居を建設した段階で、船番号を取っ払ってしまうのであろう。
 昼食をどうしようかと悩んでいたところ、朝の辛い湯麺のせいか、お腹が痛くなり、トイレを探した。しかし、近くにはホテルもレストランも公衆便所もない。仕方ないから、船に住むご婦人に身振りで便意を示したところ、ある筏住居を紹介してくださった。その筏住居の一番奥の水際に水洗便所が設けてあった。もちろん、水洗とは川の流れのことである。厠(かわや)の語源は「川屋」であるから、今日のわたしは本家本元の厠で用を足したことになる。エチケットを追記しておくと、排便後、桶で川の水を汲み便器を洗い流さなければならない。

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↑シクロと筏住居の群れ。↓筏住居の川屋。
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 グェン教授(お父様の方)によると、ベトナム政府はこういう汚染を懸念して、船住まいの人びとを陸地に住まわせたいという意向をもっているのだが、アパートを建設する経済力もない、という矛盾を抱えているのだという。川に便や汚水を流すのは、もちろん「汚染」の一種ではあるけれども、都市の開発行為が環境を悪化させる可能性だって十分あるわけで、高層アパートが家船に優るとは必ずしも言えないだろう。
 午後1時半まで炎天下の調査を続け、ほとんど脱水症状に陥った。ドンバーから紫禁城(グェン朝王宮)まで歩いて行こうと決めていたのだが、もうエネルギーは残っておらず、再びシクロを利用することにした。今日のドライバーはロンさん。やはりドンバー橋の近くで船に住んでいる。ロンさんに
  「王宮の近くで、美味しいレストランがあれば紹介してください。」
と訊いてみた。かれは「ガーデン・レストランがいいですよ」と言って、わたしたちを瀟洒な庭のあるレストランに連れていった。
 それは「Tinh Gia Vien」というレストランであった。今後、フエを訪れるかもしれない読者は、この名前を覚えておいたほうがいい。宮廷料理で知られる有数のレストランで、たしかに風雅な味覚に我を忘れてしまった。セットは一人10ドル、12ドル、15ドルとあって、わたしたちはいちばん安い10ドルの料理を注文した。歴史のある古都の宮廷料理は、どこで食べても淡麗な味がする。複雑な味なのだが、あっさりしていて、気づかぬうちに食は進む。たっぷり2時間かけてフルコースを堪能した。
 それから紫禁城に行った。暑くて熱くて、宮廷料理とともに喉に流し込んだタイのタイガー・ビールはまたたくまに蒸気となって失せてしまった。

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  1. 2006/09/06(水) 21:56:43|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(Ⅳ)

 1巡りしまして再び、やっちゃん1号です。今回は、O君1号と同じく、棟のディテールです。0君1号が提示しているディテールは、越屋根を持つ案ですが、これから紹介する提示案は、越屋根を持たない単純な案です。

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↑越屋根を設けない案(クリックすると拡大されます)

 この案は、新たに越屋根といった煙だしを設けずにいます。なぜならば、加藤家住宅は元から入母屋造の屋根です。なので、本来、妻側にある三角の煙だし窓を有効につかおうというものです。ただ、改修するにあたり、屋根裏にロフトを設けようとしています。そのため、ロフトに煙をまわさないよう、煙道として化粧材となる斜めの屋根板と野地板との中空層をつかうよう意図しています(さらに、断熱層としての機能も期待しています)。

 個人的にこの案は、中空層と煙だし窓をうまく利用できるかが勝負どころかなと、思います。(やっちゃん1号)


  1. 2006/09/06(水) 19:58:21|
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asa

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