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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

「遊離尾垂木」の発見

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 ベトナム民族学博物館の民家園で、「遊離尾垂木」とそっくりの部材を発見した。シャム族の民家の軒先に使われている。
 シャムはオーストロネシア語(南島語)族に分類される民族である。オーストロネシア語族は、南太平洋からマダガスカルにかけての広い海域(というか島嶼域)に分布する言語=民族集団だが、シャムは大陸山間部に住む稀少なオーストロネシア語族として知られる。その住居形式は、すでにベトナム族(中国では「京族」という)の影響を受けて、ベトナム化あるいは中国化しているが、オモヤとは別棟のカマヤ(炊舎)をもつ土間式の住居である点は、南太平洋島嶼域の住居との親縁性を感じさせる。ただし、オモヤの構造は土蔵造に近いものであり、壁と屋根の全体を厚い土壁で覆い、その全体を鞘屋根で保護するものである。
 そのシャム族住居の鞘屋根に「遊離尾垂木」とよく似た部材が使われている。
 「遊離尾垂木」とは、平重衡の焼き討ちによって焼亡した東大寺伽藍の復興のため、俊乗坊重源が採用した「大仏様」建築の中備(なかぞなえ)として使われる部材である。中備とは、柱上組物の中間におく部材で、軒の沈下を防ぐ役割を担う。大仏様の中備は、浄土寺浄土堂にみるように「遊離尾垂木」を使うのだが、それは組物を伴わない尾垂木のことで、大仏様特有の刳形を取り除いてしまえば、ただの天秤棒にすぎない。この起源がよくわからなかった。

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 ところが、今日みたシャムの民家では、柱と柱の間に短い「遊離尾垂木」状の材が何本か並んでいる。表側に出てそれをみると、刳形をつけた先端部分が木鼻のように突き出している。大仏様の場合、この出が尾垂木の半分近くになる。シャム民家では、木鼻状にわずかに飛び出るにすぎないが、それにしても、両者は非常によく似た構造的役割を担い、形状も近似しているではないか。こうなると、当然のことながら、気になるのは柱上の構造だが、シャム民家の場合、ベトナムの民家・町家・宮殿・寺院と同じく、繋梁状の登り梁を柱上に直接のせている。よくみると、その下屋部分の登り梁の形状と「遊離尾垂木」状の材形がよく似ている。「遊離尾垂木」状の材は登り梁を縮小したように見えるのである。
 この軒の構造は、もちろんシャムの民家に固有な形式というわけではなく、ベトナム民家の古式の姿を映し出している可能性があり、ひいては中国南部の古い木構造とも関係するものかもしれない。とすれば、大仏様の謎の部材とされてきた「遊離尾垂木」は、重源の創作ではなく、やはり福建以南の古い建築様式と系譜関係をもつ可能性を指摘できるであろう。どなたかコメントを頂戴できれば嬉しい限りである。

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  1. 2006/09/07(木) 22:47:39|
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チャック・サンジョン・タパのベトナム見聞録(参) ―Good Music in Vietnam―

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 今日は不覚にも2回泣きそうになった。1回目はハノイの下町で。2回目はJAZZ BARでだ。ハノイの下町には「生」の生臭い空気の塊が至るところにある。自分はその空気に触れるたびに全身に震えが走り、自我の奥の深いところを刺激された。涙が出ると言うよりは「嗚咽」に近いのではないだろうか。その空気に圧倒され、昼食を取る頃には頭の中がいっぱいいっぱいになっていた。
 2回目。遠い異国の地で日本に残してきた人のことを想いながら聴くJAZZは、ベトナムの熱で乾ききった体に染みわたる。沁み過ぎた思いが頬を伝う涙となって溢れ出てきそうだ・・・なんてかっこつけたブログ原稿を書いている横で、某大学某教授がパチンコの「パ」の字をとったりつけたりして遊んでいる。まもなく3回目の涙が出そうである。 (チャック)

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  1. 2006/09/07(木) 22:26:42|
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エスディンとは何か -越南浮游(Ⅲ)

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 予定より早く、10時半にはハノイのホテルに着いて、さっそくC助教授の部屋(隣の部屋だった)に顔をだして話をした。フエでも予定どおり事は運ばなかったが、ハノイでもいろいろあったらしい。しかし、助教授のアレンジメントはやはり見事で、ハロン湾に向かう大型バスも、ホテルも、水上集落に向かう船もすべて予約済みであった。
 11時過ぎから旧市街地=ダウンタウンに出て、助教授が調査したというストリートをみてまわり、町家を改造したCafe 57で昼食をとった。町家と言っても、外観は欧風意匠の植民地時代建築なのだが、中に入ると、ベトナム特有の登り梁式の木構造が露出しており、この表と裏のギャップに倉吉の看板建築を思い出した。

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↑カフェ57(昼食) ↓カフェ69(夕食)
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 午後はまず受け入れ機関のSDIN(Sustainabule Development Institute for North Vietnam)を表敬訪問するべく、その親機関であるベトナム社会科学院VASSを訪問した。ベトナム社会科学院は新しい大きなビルの中に30の異なる研究所を抱えている。じつは今日、SDINの所長が不在のため、SDINと最も関係の深いDRCC(Development Research & Consultancy Centre)のグェン所長が対応してくださった。通訳には、C助教授とMs.フラワーがあたった。

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 SDINもDRCCも多くの社会科学者を抱えているが、同じ社会科学院に属する文化研究所、経済研究所、歴史研究所、民族学博物館など他の研究機関とは異なり、調査研究に基づく計画的な「発展」を組織のミッションとしている。環境大学のコンセプトにも直結する21世紀的な研究機関であるが、日本にはまだこういう国立の研究機関は存在しない。助教授は、フランスの影響ではないか、と言う。ちなみに、DRCCはベトナム全国を統括的に研究する組織であるのに対し、SDINはベトナム北部を対象とする組織で、ほかに中部を対象とするSDIC、南部を対象とするSDISがある。その略称の読み方は、SDINが「エスディン」、SDICが「エスディック」、SDISが「エスディス」。なかなか、かっこいいでしょ!?

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↑バーナールの集会所 ↓エデのロングハウス
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 それから、ベトナム民族博物館を訪問した。お目当ては、ベトナム各地から移築された少数民族の民家である。とりわけ『世界住居誌』の表紙にもなったバーナールの集会所には恐れ入った。白川郷の合掌造と同じぐらい棟が高く、合掌造よりも傾斜がきつい屋根をもつ民家である。床下から太い柱を立ち上げているが、床上では、それをあっさり切り捨て、その上部にサスを組んで筋交で固めている。
 このほかギアライの墓では、男女マッパの木彫に学生たちが過剰に反応し、エデのロングハウスでは乳房彫刻付き階段の乳房に一人がぶらさがって、大変だった。ともかく今日のチャックは、睡眠不足と下町の臭いにやられてへなへなで、エロくなりさがるしか自分を表現することができなかったのかもしれない。

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↑「何センチかな?」(ギアライの墓) ↓ロングハウスの梯子
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 この勢いを借りて、夕食は「69」というレストランに入った。やはり古い町家を改装した旧市街地のレストランである。そして、いまは「ミンズ・ジャズクラブ」でジャズのライブを聴きながら、この原稿を書いている。ミンさんという伝説的なサキソフォニストが経営するジャズクラブで、3年前に訪れたときにはミンさん自身がプレーしていたが、今日は現役バリバリのコンボが熱演し、ミンさんは最前列の席に構えて友人たちと語らい、コンボの演奏を聴いている。3年前の演奏を思い出すと、曲ごとにメンバーが入れ替わり、最初は若手中心で下手くそだったのが、最後にはものすごくスピーディで迫力のある演奏になり、とりわけハーフと思われる若者のドラミングに唸ってしまった。
 今日のコンボはクインテット(TS+AS+EP+EB+DR)で、メンバーは完全に固定されており、演奏のレベルも十分高い。さきほどまで4ビートのスタンダードを演奏していたが、どうやら最後になるらしい演奏中の曲は8ビートに変わった。こうなると、ジャズというよりもブルース・ロックで、クラプトンが加われば抜群だろうなと思いながら、かれらの熱演を聴いている。


  1. 2006/09/07(木) 21:45:35|
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おはようございます

 おはようございます、みなさん。いま早朝6時すぎです。

 無事フエの旅程を終え、8時半のフライトでハノイに向かいます。
 ハノイではC助教授が待っています。今日は助教授の案内で、SDINを表敬訪問し、民族学博物館で少数民族の移築民家を見学する予定。その後、4人の日本人は謎の失踪を遂げるのであった・・・・??


 P.S. 昨夜は中秋の名月。街角のあちこちで、紙銭を焼き、お供えをしてました。





  1. 2006/09/07(木) 08:23:07|
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茅葺き風鉄板葺き屋根の設計活動録(Ⅴ)

 O1号案に続き「棟部分および越屋根」の詳細のエスキスの提示です。

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 この案では越屋根をできるだけ目立たなくするよう考えました。以前の加藤家に越屋根があったのであれば、はっきりそうと分かる物を作ればいいかもしれませんが、もし無かったのであれば、なるべく越屋根のない状態に近づける必要があるのではないかと考えました。
 平側に設けようとするとどうしても煙抜きの分だけ高さが必要になってくるので、目立ってしまいます。その為、妻側に煙抜きを設けました。
 また、棟木から直接束を立てるのではなく、越屋根の柱の上に梁を架け、その上から束を立てています。
 ローコストでの改修を行うのであれば、Y2号案にある越屋根無しで、現在ある煙抜きを利用した排気方法の方が良いかもしれません。そちらの方でもまた考えてみたいと思います。(2号)




  1. 2006/09/07(木) 01:18:35|
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asa

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