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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

「楼観」再考 -青谷上寺地遺跡特別講演会

 今日の患者は、ややネガティヴな方向に病状が変化した。早朝の点滴以降、頭が重くなって、ときどき痛みがあり、意識全体はぼーっとしているのだという。初日に主治医のK先生が説明されたとおり、やはり症状に起伏がみとめられる。昨日、元気いっぱいだった反動なのだろうか、今日はやや無口で、「昏睡」に近い眠りの時間がながくなった。
 それでも、全体としてみれば、快方に向かっている。夕方のリハビリでは、ベッドに15分以上腰掛け、右手を上げたり下げたり、左手で標的となるリハビリ担当官の指先を追ったりした。食欲は昨日と変わらない。どうしても、ご飯を半分残してしまう。ところが、娘がもってきた好物の柿を「美味しい、美味しい」と言ってまるまる食べてしまった。
  「夕食の前だけな、ようけ食べたらいけんで。」
と注意したのだが、ほんとに柿が大好きらしい。おかげで、また、ご飯が半分残った。

 その夕食前に、嬉しい訪問客があった。患者のお見舞いではなく、わたしのお見舞いである。
 奈良の人妻が3人です、ふふふ。
 前の職場で室長を務めていた時代のスタッフで、トレースにかけては、日本中探してもこんな腕前をもった職人たちはそうはいない。わたしの著作や報告書の図面を、ずっと描いてくれていた人妻たちである。今回はCADで新聞紙面をにぎわせたが、わたしはもともとアナログ派だから、いずれまた彼女たちにパース等を描いていただく機会もあるだろう。わたしが室長をしていたころは、忙しすぎて、てんてこ舞いだったから、おおいに憎まれていたに違いないのだが、研究所を去ってからも、とても親しく接していただき、こうしてお見舞いにまで来てくださる。病室に入ってもらえばよかったのだが、3人の人妻は遠慮した。だから、廊下での短い立ち話になってしまった。申し訳ない。
  「これはね、奥さんにじゃなくて、浅川さんへのお見舞いです」
と言ってわたされたのは、アリナミンV1箱(おまけ2本付)と喉飴2種であった。
  「車で鳥取まで帰るときに飲んでください!」
 3人とも、みんなわたしの元秘書だから、なにもかも見透かされてしまっている。ただ、敢えて申し上げておくと、わたしがいちばん愛飲しているのはユンケルです。このまえゼナを飲んだのは、用瀬のトスクにゼナしかなかったから。500円のゼナはまずいんだけど、1000円のはややまし。明日の夜行高速道路では、アリナミンVを試してみましょう。

 というわけで、明日の深夜、大学に戻ります。明後日=木曜日から「加藤家住宅修復工事現場公開」ですが、個人的には午後から授業1コマあり、それからプロジェクト研究のメンバーと加藤家で活動します(夜には大学院の授業あり)。加藤家の公開は土曜日(18日)までですが、18日には青谷上寺地遺跡特別講演会が開催され、以下の講演をおこないます。

  ・「楼観」再考 -青谷上寺地のながい柱材をめぐって

同日午前には発掘現場説明会も開かれるとのこと。
 今日は病室で、この講演の準備を進めていた。また、県埋蔵文化財センターの方でも、わたしの近況を気遣って、担当者がパワーポイント作りを進めてくれており、さきほどそのデータが送信されてきた。ありがたいことである。
 この講演では、二つのプロジェクターを併用し、一台はパワーポイント、もう一台はインターネット上で公開している「青谷上寺地遺跡建築部材データベース」の関係部材をネット画面でおみせすることになっている。こういう講演のスタイルも、ぞんぶんに楽しんでいただきたい。

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  1. 2006/11/14(火) 23:49:37|
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リハビリ開始!

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 今から4年前(2002年)、木造建築士と2級建築士の資格をとった。環境大学に移って2年目の前期、演習はいくつか抱えていたのだが、講義がなかったものだから、暇を利用して資格をとろうと決意したのである。あれは日韓ワールドカップの年でもあった。ワイフと二人、韓国に飛んで、大田(テジョン)でスペイン対南アフリカ、済州島西帰浦(ソギッポ)でドイツ対パラグアイの2試合をみた。その旅行の最中にも、旅館で「構造力学」の問題を解いていた。正直言って、2級の構造力学なら、中学生だって解いてしまうだろう。この程度の「理科」の問題がわからないとしたら、相当深刻だと思ったほうがよい(だれに向かって書いているか、たぶん本人はわかっているはずだ)。
 なぜ1級ではなく、2級をめざしたのかと言えば、2級そのものに関心はなく、その向こうに「木造建築士」の資格を見据えていたからである。では、「木造建築士」の資格になにか実用的な意味があるのか、と言えば、まったくない。だから、受験者もいない。大工さんのために設定された資格ではあるけれども、設計対象となる建物の規模が非常に小さく、実務上、役に立たないのである。
 わたしは、ただ、「木造建築士」という名前が欲しかった。英語に直訳すれば、Architect for timber buildings だが、わたしはきわめて恣意的にConservation Architect(修復建築家)と訳して、名刺の裏面にプリントしている。

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 資格をとった2002年の冬には、事務所登録をした。正式な事務所名は「設計事務所 魯班営造学社」である。本音をいうと、ただ「魯班営造学社」としたかったのだが、建築指導課?がそれを許さなかった。「魯班」が大工の神様で「営造」が建築そのものをさす古い漢語であることが理解できない地方の官吏の言をあえて紹介するならば、
  「魯班営造学社と言われても、建築設計業務と結びつかないし、イメージできない」
のだそうである。ならば、「みかん組」とか「シーラカンス」はどうなんだ、と反論してみたくなったのだが、地方の官吏もなかなか頑固で手強く、どうしても「設計事務所」という五文字が必要なんだそうである(「魯班営造学社」の命名経緯については研究室のHPをご参照いただきたい)。
 事務所登録をしたから、何か営業活動をしたのか、というまったく何もしていない。だから儲けもしていないし、損もしていない。しかし、つい最近、15,000円の出費を強いられた。一月半ほど前だっただろうか、「平成18年度 建築士事務所の管理講習会」兼「平成18年度 建築士事務所開設講習会」の案内が来て、この講習会を受けないと事実上設計事務所の更新をみとめない、というお達しが記してあった。ずいぶん強い文言が書き連ねてあったのだが、それはもちろん姉葉事件の影響である。おかげさまで、その講習会は朝の9時半から夕方の4時半までびっしりのスケジュールが詰まっていた。正直、参加したいとは思わなかったが、「魯班営造学社」という事務所名には愛着があり、先月末、講習会への参加費15,000円を振り込んだ。
 その講習会が、今日おこなわれた。会場は倉吉未来中心。昨夜、鳥取県建築設計事務所協会に欠席の理由を説明するファックスを送信し、今朝は倉吉未来中心にも電話を入れた。振り込んだ会費がどうなるのかわからないが、わたしとしては次回の講習会を待つしかない。

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 患者の病状は、本日、大きく好転した。昨日までは心拍と呼吸数を示すモニターが治療室の前に設置され、看護士さんがいつでもそのデータをチェックできるようになっていたが、病室を訪れると、その機械が撤去されていた。尿管も外されている。そして、今日から食事をとるようになった。わたしは昼から夜までずっと付き添っていて、食事を食べさせようとするのだが、患者はそれを拒否する。自分で食べるのだ、と言って、左手でスプーンかフォークをもち、ご飯とおかずを平らげていく。右手は麻痺しているからまったく使えない。だから、わたしの役目はスプーンの力で右方向に動く食器に手をあててやることだけだ。
 主治医のK先生からは、嬉しいお知らせがあった。
  「この調子でいけば、車椅子ではなくて、杖での歩行が可能になるかもしれませんね」
 リハビリ専門の別の先生が病室にあらわれ、簡単なリハビリも始まった。まず、右眼の視力を確かめられた。正面から右半分の視界を患者は奪われている。これが手足のリハビリにともなって、どこまで恢復するのか。つぎに言語障害のチェックをうけた。その先生は、ごく単純な質問をする。たとえば、
  「ご家族は何人で、その構成を教えてください。」
というような質問である。患者は、頭ではその答えがわかっている。しかし、なかなか思うように適切な言葉が浮かばない。ただ、言葉の数はたくさん出てくる。でも、長女の名前を完璧に間違えてしまったりする。まぁ、まだ発症後4日めだ。仕方がない。
 昨日までは、見舞い人がながく病室にいる意味はあまりなかった。目覚めていると、たくさん話したがるのだが、意味もあまり通じないし、しばらくして体熱が高くなり苦しくなってしまうこともあった。会話の反動で「昏睡」状態に近い眠りに落ちる。だから、そばにいても、してあげられることがあまりない。
 今日はちがった。まず微熱がなくなった。顔色もよい。わたしが病室にいた7~8時間のあいだ、患者はずっと眼をさましていた。ずいぶんいろんなことを話した。とても楽しい。また、病院側は集中治療室におけるパソコンの使用を許可してくれた。ネットへの接続はできないが、それでもパソコンが1台あれば、時間なんてすぐに過ぎてしまう。今日は授業の準備ができた。明日は講演の準備をしようと思う。このまま、症状に大きな起伏がなければ、明後日の深夜にはいちど鳥取に戻れるだろう。今日、ようやくそういう見通しがたった。

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 田和山からまたメールが届いた。昨日は竪穴住居復原建設現場の見学会があったようだが、寒いせいもあって人が少なかったらしい。ところが、今日は地元の乃木小学校4年生が170人も見学にやって来た。「竪穴住居や掘立柱建物に何人の人が住んでいたか?」という質問がいちばん多いとのこと。さぁ、どうなんだろう。どこかにちゃんと答えられる考古学者はいるんでしょうかね?
 一方、倉吉のクズマ遺跡についても、11月15日(水)報道発表、18日(土)現地説明会という日程のお知らせをうけた。
  「青谷上寺地遺跡でのご講演と重なり申し訳ありません。」
とお詫びされていたが、今回に限っていうと、青谷の講演にそれほど影響は及ぼさないであろう。大手4紙の一面を飾った記事をテーマとする講演なのだから、きっと多くの考古学ファンとマスコミが集まってくれるにちがいない。


  1. 2006/11/13(月) 23:27:14|
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あの日の田和山

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 夕方、自宅で仮眠をとっていたところ、またしても携帯マナーモードの振動音に目覚ましされた。画面を確認すると、「庄屋」の2文字。
 ほんらいなら、今日は松江の田和山遺跡で復原竪穴住居の現場検査をし、それから7名の卒業生とともに「吉田を囲む会」で日野川のナマズを食する予定であった。米子駅前の「庄屋」は、その会場である。妻の緊急入院を知った直後、岡野を通じて、関係者に連絡を入れてもらい、深夜には「『吉田を囲む会』延期の理由」という携帯メールを自ら参加者に発信した。タクオからは丁寧な返信のメールがPCに届いた。しかし、会場となる「庄屋」に連絡をしていなかったのだ。さいわい、料理の準備は何もしていないとのこと。言い換えるならば、日野川の大ナマズは水槽を悠々と泳いでいるらしく、キャンセル料の支払いには至らなかった。しかし、もちろん平謝りに謝るしかない。
  「次回、必ず使わせていただきますので。申し訳ありません。」
事情が事情だけに、お店の女性も「そういう理由なら仕方ないですね」とご理解を示してくださった。ここで、くりかえし陳謝申し上げます。

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 患者の病状は、とりあえず快方に向かっている。昨日は午前中、吐き気をもよおすなどの異常がみられたが、午後からは滋賀在住の実姉が見舞いにきたこともあって、よく話すようになった。少し話が弾みすぎたらしく、夕方から微熱が38°まで上昇してしまったが、夜には通常に近い体温まで下がり、おまけに左手で歯磨きをしてみせた。そして、今日は酸素マスクがはずされた。昼過ぎから、わたしの兄夫婦が見舞いに来てくれた。兄嫁は患者と八頭校の同級生であり、しばらく平常心を保っていたが、患者のやつれた顔をみつめていて、突然、泣き崩れてしまった。女は泣いてもいいから羨ましい。一昨日の暗くて長い高速道路の夜を思い出した。

 患者と話していると、とても楽しい。言語障害がでているので、しばしば何をしゃべっているかよくわからないこともあるが、そのとぼけた口ぶりになんとも愛嬌がある。こうして手を握りあってとぼけた会話をしているだけで、とても幸福だと感じる。言語障害がでようと、右眼の視力が減じようと、たとえ車椅子の生活になったとしても、このままこういう会話を続けることができるならば、これからの人生だって決して捨てたものではない。ともかく症状の悪化を防ぎ、再発を予防しながらリハビリに励んでいれば、あと一年あまりで動静脈奇形は放射線によって消えてしまうんだから。それまで、家族が一丸となって患者を支えるしかない。

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 今日の写真は、もちろん田和山の復原竪穴住居である。10日の夕方、担当者に電話して検査に行けないことを連絡した後、お見舞いのメールを頂戴した。そのメールに添付してあった、あの日の田和山である。



  1. 2006/11/12(日) 23:19:42|
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ガンマナイフの顛末

 昨日の青谷上寺地遺跡記者発表は盛況だった。こういう賑わいのある考古学の記者発表にお付き合いするのは、出雲大社境内遺跡以来のことである。平城宮跡で働いていたころでも、南(飛鳥藤原)では相当大きな記事が連発されていたが、北(平城)では地道な記者発表が多く、木簡以外ではあまり大きく取り扱われた記憶がない。もっとも、奈文研の場合、研究所全体がマスコミの過大報道に対して警戒感をもっているところがあり、誇大な発表をしないことに誇りをもっていた。
 記者発表は午後1時半から始まり、県埋蔵文化財センターの担当者が、1)データベース公開、2)弥生時代最長の柱、3)日本最古の蟻桟(ありざん)について概説し、それをうけて私が「724㎝の柱材と『楼観』の復元」と題するミニ・レクチュアをした。その内容は昨日のブログに示すとおりである。

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 埋文センター担当者の発表が進むなか、ジャケットの内ポケットに納めていた携帯電話がマナーモードの振動を伝えてきた。送信者を確かめると、珍しいことに、娘からの電話であった。その振動音の呼び出しは何回か繰り返された。しかし、もちろん相手にしている場合ではない。
 記者さんたちの質疑応答時間は長かった。熱心で鋭い質問もあれば、いましがた述べたばかりの問題を繰り返し聞いてくる記者もいる。自分以外の記者が主導する質疑応答には耳を傾けていない証拠である。それから、部材を指さした写真の撮影とテレビカメラの前でのコメントに付き合い、会場を後にしたのは午後4時前。いったん田園町の宿舎に戻って仮眠をとろうと考えていた。週末から、また別の恐ろしい時間の塊が襲ってくる。そのための準備をただちに始めたいところだが、いくらなんでも、この睡眠不足の状態で次の仕事には移れない、少しだけ休みたい、と思っていたのである。

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 宿舎の門前に着いて、携帯電話を取り出してみると、「着信6件」となっている。その6件は長女と次女からのものだった。すぐに返信して娘たちを呼び出すのだが、さっぱりつながらない。そうこうしているうちに、大学の総務課から電話が入った。
  「お家の方が倒れられて、病院に運ばれたそうです・・・」
 次に携帯のメールを確認した。14:51、東京にいる長女からメールが届いていた。
  「お母さんがたおれて今県立病院にはこばれたみたい。奈良県立病院の脳外科外来、今**子(次女)がむかってます。」
 仰天した。ただちに奈良県立病院に電話した。担当の脳外科医K先生に電話が転送された。
  「奥様が脳内出血で入院されました。意識は朦朧としています。こちらの呼びかけに対して、ぼんやりと反応される程度の症状です。右半身が麻痺しており、言葉が発せられない失語症の症状もみとめられます。CTスキャンをとったのですが、これまでに何かされていますね?」
即座に答えた。
  「ガンマナイフです。昨年の今頃、吹田の国立循環器病センターで、脳動静脈奇形を壊死させるためのガンマナイフの手術をしたんです。主治医はM先生でした。」
  「ガンマナイフですか。理解できました。主治医の先生もよく知っています。」
 16:29、再び長女からメールが入った。
  「今新幹線のったんで上手く電話つながらないかもしれないです。**子(次女)によると脳出血らしい。わたしより病院に電話して**子と連絡とったほうがいいかも。##(長男=末弟)も病院にいます。」
 次女にも長男にも電話は通じなかった。おそらく病院内にいるからだろう。新幹線に乗っている長女に電話した。長女はしっかりしているが、次女と長男は病院で泣きじゃくっているという情報を伝えられた。
 つぎに、妻の実家(佐治)に電話した。用瀬で両親と落ち合い、一緒に奈良まで移動することが決まった。さらに、来週前半のスケジュールをすべてキャンセルするために、数名の関係者にも電話をいれた。以上の電話連絡は、宿舎門前に停車した車中でおこなっており、わたしは宿舎に入ることなく、用瀬に向けて車を反転させた。

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 奈良への道は長かった。体力が衰えていたので、運転に不安があり、ゼナを2本、アスピリンを2錠飲んだ。県立病院に着いたのは夜の10時すぎ。門前に3人の子供が待機していて、ただちに集中治療室に向かった。妻は酸素マスクをつけてベッドに横たわっていた。
  「おい、わかるか、おれだよ?」
 驚いたことに、彼女は朦朧とした意識のなかで、ニコリと笑い、ひとこと
  「あなた」
とだけ述べた。
 わたしはほっとした。いちばん恐れていたのは、彼女が脳神経を傷つけられ「植物人間」と化してしまうことである。しかし、発症後数時間を経た時点で、彼女は視覚と発語の能力を失っていない。症状は「昏睡」状態に近いけれども、回復の見込みはあるだろう、とそのとき感じた。
 まもなく主治医のK先生があらわれた。CTスキャンのネガをみせていただきながら、症状について説明をうけた。
 結論から述べると、彼女はガンマナイフの手術を受けるのが遅すぎたようだ。ガンマナイフの放射線治療では、放射線をあてた動静脈奇形の部分が壊死するまでに2年以上の時間を必要とする。その治療過程において、壊死しきっていない動静脈奇形の一部から出血をみたのである。血圧降下剤を投与することによって、新たな出血を防ぐ処置が取られており、すでに出血した部分の神経に障害が起きているけれども、このまま血液の自然吸収を待つしかない、というのが主治医の判断であった。ストロー状のパイプを通して血液を抜くこともできなくはないが、その場合、新たな出血を導く危険性と複数の神経を損傷させるリスクをともなうという。
 今朝、病院で再検査の経過を聞いた。出血部分はひろがりをみせていない。彼女の意識も、わずかながら、しっかりしてきている。もちろん予断は許さないが、このまま様態をみまるしかないのが現状である。

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 病院にいたおかげで、朝刊が6紙も手に入った。奈良新聞と日経新聞に記事は載っていなかったが、朝日、毎日、読売、産経の大手4紙はいずれも青谷の建築部材とCG復原図が1面を飾っている。それから続々と連絡が入り、鳥取では日本海新聞も山陰中央新報も、たいへん大きくこの記者発表をとりあげているとのこと。また、朝日新聞については、東京でも1面を飾ったという連絡が入った。
 どうやら、なんとか自分の責務を果たすことができたようだ。

 わたしは、今、こういう状況に身をおいている。すでに述べたように、来週前半のスケジュールはすべてキャンセルした。明日の田和山遺跡復原竪穴住居の現地指導、「吉田を囲む会」は延期、月曜日に予定していた倉吉市クズマ遺跡の現地視察と三仏寺関係の打ち合わせも中止、水曜日の介護保険制度「認知症介護実践リーダー研修」アイスブレイク講演は大学院生と4年生に任せることにした。以上の関係者には、この場を借りて、深くお詫び申し上げます。

 木曜(16日)~土曜日(18日)は加藤家住宅修復現場の公開が始まり、この期間になんとか一度は鳥取に戻りたいと思っている。そして、土曜日(18日)に予定されている青谷での「細長い柱」に関する講演会の大役を務めたいという希望はもちろんある。
 しかし、それらが実現できない事態も想定しておかなければならない。

  1. 2006/11/11(土) 18:37:30|
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念押し、加藤家住宅修復現場公開!

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 くどいけど、念押しです。 11月16日(木)~18日(土)の3日間、登録文化財となった加藤家住宅の修復工事現場を初公開します。公開期間中、もちろん大工さんや曳き家さんの工事を眼前に見学できます。また、公開初日にあたる11月16日(木)の午後3時からは鳥取環境大学プロジェクト研究の活動状況もおみせできます。暖かいお茶と資料を用意しておきますので、ご関心のある皆様のご来場をお待ちいたしております。

公開のスケジュールと会場
 
  1.期日 平成18年11月16日(木)~18日(土)10:00~17:00

  2.場所 〒680-1151 鳥取県鳥取市倭文491 加藤家住宅

  3.問い合わせ先 鳥取環境大学浅川研究室
             http://misc.kankyo-u.ac.jp/~asax/

追伸: 青谷の記事でくいさがった記者さんのうち、何人がちゃんと記事にしてくれるのか、しっかり確認しておきますので。


プロジェクト研究のメンバーが作成したポスター(クリックすると大きくなります)
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↓同上サイトマップ(クリックすると大きくなります)
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  1. 2006/11/11(土) 01:39:40|
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青谷上寺地遺跡「楼観」の復元CG

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↑復元CG(平入案)

 このブログがアップされる時、わたしは埋蔵文化財センターの秋里分室で「青谷上寺地遺跡出土建築部材」の記者発表に臨んでいる。一昨日の「のびたインタビュー」でコメントしたように、今回の記者発表の最も重要な意義は、全国に先駆けて出土建築材のデータベースをネット上で公開した点である。鳥取という日本でいちばん小さな県の埋蔵文化財センターが、日本で最初にこういうデータ公開に取り組んでいることをまずは高く評価していただきたい。現在は、わずか500点ばかりのデータベースだが、最終的には出土した7000点すべてをネット上で閲覧できるようになるはずである。
 これまで青谷上寺地遺跡の建築部材は、ただ妻木晩田遺跡の復元事業に活用される程度であったが、この公開によって日本全国の弥生時代集落史跡の復元整備事業に活用可能になる。また、もちろん全世界の研究者が青谷上寺地遺跡の建築部材データを閲覧可能になるのである。発掘調査によって出土する考古学資料はおびただしい天文学的数字になる。それを整理活用する最も有効な媒体はコンピュータであるが、そのコンピュータで整理したデータをこうしてネット上で体系的に公開することは本当に稀なことなのである。この青谷での建築部材整理・公開の取組みが、全国の埋蔵文化財研究・行政を転換させる一つの契機となってくれれば、これほど嬉しいことはない。

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 さて、今回のデータベース公開にともない、

  1.弥生時代最長の柱
  2.日本最古の蟻桟(ありざん)

という二つの瞠目すべき建築部材が発見・確認された。1については長さ724㎝、径17~18㎝、という細長い材であるが、柱の節々にコブシが残っており、当初の径は25~30㎝に復元される。それにしても、細い材である。しかし、上端から約1m下の部分に細長い貫穴が残っており、さらに上端部分には下の貫穴に直交する輪薙込(わなぎこみ)仕口のような加工を確認できるが、じつはこの部分で柱は折れている。したがって、この仕口は輪薙込ではなく、貫穴であったことが判明している。ここで下の貫穴を床下の大引(おおびき)とみなせば、その上側約1mにある貫穴は手すりを通した痕跡と思われる。したがって、その上面1m程度のところには、さらに桁を納める仕口が加工されていたと判断される。なお、床下の大引貫をおさめる貫穴と手すりの貫穴は直交関係にある。これは前後方向と左右方向の揺れに対する構造的な配慮と考えられる。
 一方、柱の下側はやや細くなっている。樹木の「元口(もとくち)」側だから、柱は根本で太くなるはずだが、いくぶん細めになっているのは、建物解体時に柱が根元付近の地上で伐り取られた可能性を示唆するものである。わたしは何度も、建築材整理担当の考古学者に掘立柱の地下部分を示す痕跡がないかを訊ねており、わたし自身も何度か柱の表面を肉視しているが、地下に埋まっていたことを示す痕跡はみとめられなかった。これは複数の研究者の見解である。一方、弥生時代の掘立柱建物の多くの柱穴には柱根が腐って土壌化した「柱痕」が残っている。これは、建物の解体・廃絶にあたって、柱根を地下に残していたことを示している。以上2点から、今回発見された「細長い柱」の断片はすべてが地上部分に存在したものと判断される。
 以上みたように、この柱材は、手すりをもつ高層建築の隅柱である可能性が高いと思われる。手すりをもつ高層建築といえば、倭人伝にみえる「楼観」、すなわち物見櫓がイメージされる。城柵とセットになって集落の縁辺におかれた四面開放の高層建築である。鳥取県の場合、大山町(旧名和町)の茶畑第1遺跡の環濠内側でみつかった掘立柱建物11(弥生中期後葉~古墳時代前期)が「楼観」のイメージをもった大型掘立柱建物としてよく知られている。掘立柱建物11は桁行2間(6.0m)×梁間1間(4.9m)で、柱穴の深さは1.0~1.5m、5つの柱穴に残る柱痕はφ30~42㎝を計る。今回復元を試みる青谷上寺地の細長い柱の復元径はφ25~30㎝と推定されるので、掘立柱建物11よりもひとまわり小振りとみなし、平面を桁行2間(4.8m)×梁間1間(4.0m)と仮定した。

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↑茶畑第1遺跡掘立柱建物11 ↓稲吉角田の土器絵画
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 この平面の4隅に今回発見した細長い柱をたて、中間には手すりの貫穴のない柱を立てる。そして、下の貫穴には桁行方向に大引貫を通して両端の手すりをこれと直交方向の貫穴に通す。桁行方向の手すりについては、両端梁行の手すりにはめ込む形式とする。小屋組は束立で、削り出し式の束を両妻側の手すりから立ち上げ、梁の位置で細くしてそれを貫き棟木を支える。こうなると、屋根は切妻造以外に考えられない。淀江の稲吉角田の土器絵画(弥生中期)は寄棟造のようにみえるが、所詮は土器にヘラ描きした絵であり、構造形式に関する実証性をともなうものではない。
 さて、青谷上寺地遺跡では約7000点の建築部材が出土しており、すでに妻木晩田遺跡の高床倉庫復元で各種の部材を参照している。今回の「楼観」復元においても、柱以外に、屋根の垂木・小舞一式、小屋梁、桁、削り出し式の束、貫、根太、床板など多数の出土材との組み合わせを試みた。ただし、梯子については、平城宮下層で出土した古墳時代前期の組合せ式梯子を採用した。刻み式の梯子なら青谷上寺地でも多数出土しているが、その全長はせいぜい3m程度であり、高さ5~6mもある床に上るのは不可能である。稲吉の土器絵画をみても、梯子は組合せ式になっている。しかも、鳥取県内では鳥取市桂見遺跡(古墳前期以前)、米子市池ノ内遺跡(弥生)で弥生前期の組合せ式梯子の一部と思われる棒状の材が出土している。ただし、県内の例は平城宮下層ほど完全な姿を示すものではない。こういう理由で、平城宮下層出土遺跡出土の梯子を参照することにしたのである。

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 以上の検討から作成したのが上の梁行断面図である。案1は出土した細長い柱が1.0~1.5m地下に埋まっていた場合、案2は柱全体が地上に出ていた場合を想定している。くりかえすけれども、わたしは案2の可能性が高いと考えている。案2の場合、床高は6mあまり、桁まで約8m、棟高は約10.5mとなる。なお、この断面図では、梯子を妻側においている。つまり妻入なのだが、この復元案には大きな欠陥がある。梯子を上りきって床の上にあがろうとするとき、頭を打ってしまうのである。これに対して、平側から上るケースを想定すると、桁行方向の手すりの存否は不明だから、梯子部分だけ手すりをカットしてもかまわない。わたしは桁行方向の柱間1間分の手すりを取って入口にした平入案のほうが良いだろうと考えている。
 
 以上の作業に基づいて、復元CGを制作した。平入案と妻入案の両案をここに提示する。こういう作業を続けるなかで、妻木晩田遺跡の復元事業に携わりはじめた5年前のことを思いおこしている。妻木晩田の当初整備を進めるなかで、「楼閣を建てて欲しい」という願望が周辺に満ちていた時期があった。当時は遺跡整備のブームの真っ最中で、吉野ヶ里、三内丸山、唐古・鍵などが、競うように高層楼閣を復元建設していた。そういう動きを、わたしは冷ややかに眺めており、妻木晩田における「楼閣復元」を拒否したのである。妻木晩田の建物遺構は、柱穴や柱痕跡はとても小さく、「楼閣」に復元できるはずがないと確信していたからである。
 ところが、今回確認された青谷上寺地遺跡の細長い柱はどうだろう。径は大きく見積もってもφ25~30㎝しかない。そういう細い径の柱材でも棟高10mにおよぶ「楼観」を建設することができたということの物証を眼のあたりにして、今度は、自ら復元CGの指揮をとろうという衝動にかられてしまった自分に驚いている。一昨日も述べたように、このように繊細な材による楼閣建設、そして蟻桟のごとき細やかな継手仕口の技術が出現したのは、一つには金属器の導入、いま一つには材料としての杉の卓越(植林?)という2点の背景をみとめうる。それは縄文時代の伝統から脱皮した文化複合の一翼を担う技術の革新を示すものであった。

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↑骨組み復元CG(妻入案)


  1. 2006/11/10(金) 13:30:00|
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下駄じゃなくて、鍬でした・・・

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 今日のプロジェクト研究は大騒動。5社6名の記者から取材をうけた。昨日、述べたように、加藤家で取材を受けるのは、来週の「加藤家の公開」と明日の「青谷上寺地遺跡建築部材記者発表」の両方に対応するためである。記者さんたちには申し訳ないんですけど、時間が足りないので、こうするしか仕方ないんです。すいません!
 まずは、加藤家の修復状況についてお話し、必ず公開についての記事をお書きいただくよう、何度も懇願した。

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 ついで、明日の青谷関連の質問をうけた。正式な記者発表は明日なので、もちろん発表資料も写真もCGもみせられない。じつは、加藤家に来る直前にCGがついに完成したという知らせがあった。思わず、記者さんたちに、
  「このジャケットの内ポケットにCGが入ってましてね、ふふふ」
と漏らしたら、一同、わたしの胸元に一点集中!
 嘘に決まってるでしょうが、先ほど完成したCGはまだデータのままで、プリントアウトできる余裕なんてありまません。
 とにもかくにも、まず建築部材データベースをネットに掲載することの重要性を説いた。記者さんたちの注目が「弥生時代最長の柱」にあることは分かっているので、だからこそ、その前提としてのデータベース公開の意義深さを理解してもらいたい、と思ったのである。
  「スウェーデンのストックホルムにいる木造建築の研究者でも、これから青谷の建築部材のデータを閲覧できるのですよ!」
 なぜスウェーデンなのか、自分でもよく分からなかったが、たぶんラールセンのことが頭にあったのだろう。ヨーロッパにおける木造建築の拠点が北欧にあるという刷り込みがスウェーデンという地名を口から発させたのだと思う。
 ついで、「楼観」の話。もう、これは皆さん食い下がってきました。細くて長い柱で棟まで10mぐらいの高層建築が建てられるのだ。それは弥生時代前期末~中期に始まる金属器の採用、および杉の植林を背景にするのだ。縄文時代のクリやスダジイを多用する竪穴住居とは文化的な系統が違ってしまっているのだ、なんて話をしていたら、どんどん時間が過ぎていった。

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 そのあと、加藤家の妻側で差し替えた土台の「蟻継」をおみせした。
  「これが弥生時代からあったんです!」
と言うと、
  「これは文章で表現できないな・・・」
という溜め息が漏れた。
 そこでわたしは非常に恥ずかしいミスを犯した。
 今回発表する青谷上寺地遺跡の「蟻桟」をともなう板材は弥生時代中期のものであるが、ほぼ同時期の「下駄」が大阪で出土している、と述べてしまったのである。
 両者の前後関係が不安になったので、帰学後、埋蔵文化財センターの担当者に電話して訊ねてみることにした。

  「あの蟻継のさ、ゲタと青谷のイタはどっちが古いの?」
  「えっ・・・??」
  「だからさ、弥生中期なんでしょ、あのゲタは?」
  「あっ、あれですか、あれはゲタじゃありませんでクワです。」
  「えっ、そうなの・・??」
  「大阪の若江北遺跡で出土している鍬に蟻の加工がついてまして弥生時代中期後葉、青谷の蟻桟付き板材のほうは弥生時代中期中葉~後葉です」

 思わず絶句した。呆けてきてしまった。これから記者さんたちにメールを入れて訂正しておきます。

なえむにだ、よねまゆ
 今日はパソコンを使って加藤家公開に向けてポスター作りです。
写真班(U子ちゃん、よねまゆ)とパソコン班(なえむにだ、り(ry、Y)に分かれて作業をしました。
 写真班は、カメラ2台で先生とマスコミの方たちの説明会を(得に浅川先生をかっこよく)パシャリ、大工さんやみんなの作業風景もパシャリ、根継もパシャリしました。
 パソコン班は、パソコンに書道部の人に書いてもらった文字をスキャンして取り込み、作業を開始しました。スキャンした文字を使って、ポスターはまったり仕立てを目指します。
 途中、休憩を入れました。バームクーヘンはバームなクーヘンじゃなく、切り株っていう意味なんです。びっくりだ。
 休憩後、皆で遅くまでポスターを作りました。出来栄えはまったりとしてよかったです。(環境政策学科1年 なえむにだ、よねまゆ)

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↑腰掛け鎌継(かまつぎ)。ちょっと、やらしい。




  1. 2006/11/09(木) 22:22:13|
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水屋のリフォームに向けて

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 今日は水屋班のメンバーで加藤家に行きました。なぜかというと、水屋を作る材料がほとんどないという致命的な壁にぶつかっていたところに、加藤家にもともと置いてあった古い水屋をリフォームして置水屋にしてはどうかという案の連絡が
入ったからです。出来るならぜひともそうしたいと感じた水屋班のメンバーは、早速加藤家に見に行きました。
 見てみて思ったこと・・・それは思った以上に大きい!そしてちょっと(?)傷んでる!です。しかしこの初対面の瞬間、Mr.エアポートさんは電球が光るがごとく、さまざまなアイデアをひらめいたそうです。さすが!
 そして、その後はMr.エアポートさんを中心に水屋の計画を試行錯誤しながらかためていきました。この案が実行され形となれば、結構かっこいいものになるのではないでしょうか?
 ところで今日作業して思ったことは、日が暮れるととにかく一気に冷え込み始めること。そして雪の季節が近づいてきているということ。なので、制作作業は早め早めにしなければいけないということが今後の課題のようです。
 環境デザイン学科 2年書記でした(前回のヒラから昇進しました)。

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  1. 2006/11/09(木) 19:40:25|
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のびたインタビュー -青谷上寺地遺跡の建築部材をめぐって

 ノビタです。

 今日の取材は、サッカーについてではありません。青谷上寺地遺跡出土建築部材の記者発表が2日後に迫ってきて、もう先生におすがりしかない状態なんです。それに、大学もざわついているようですし・・・。

N: 先生、『オシムの言葉』の書評には感激しました。
A: いや、ありがとう。いつも辛口のワイフが、あの書評は誉めてくれたよ。
N: えっ、奥様は辛口なんですか?
A: 辛口さ、たとえば「海住山寺」のブログなんて、けちょんけちょんです。
N: そうなんですか。ところで、母校がざわついてますね。昨晩は全教職員会議があったんでしょ? 同業者が取材したようですね。
A: あれね、なんで新聞記者が入ってくるのかって不思議で仕方なかったね。なぜ大学当局は公開に踏み切ったのか、意図が読み取れないよ。
N: わたしが在学中から、あの先生たちのメールが流されていて、もちろんわたしは今でもあのデータを保管していますが、それがこのようなかたちで報道されることになろうとは思いもよりませんでした。ところで、こういう話題を続けてもいいんでしょうか?
A: 当局の側が昨日の集会をマスコミ公開してるんだからね。ブログでどうコメントしようが、当局に責める権利はないよ。いま毎日、各紙から青谷上寺地遺跡の件で取材をうけているんだけど、大学のこともついでに訊かれるね。基本的にはノーコメントなんだが、大半の記者は「昨年からくすぶっていた問題ですよね」という訊き方をしてくる。みんな相当情報をもってるね。
N: それにしても、入試を控えるこういう時期に、ああいう事件が公になるのは困ったものですね。
A: そのとおりだ。今回、新聞沙汰になった騒動の最大の問題点は何か、というと「新聞沙汰になってしまった」こと自体にある、とわたしは思っている。これは情報を流した側にも責任はもちろんあるが、情報の流出をくいとめられなかった経営者の側にも大きな責任があると思う。もともと一部教員側は「訴訟も辞さない」として怒っているんですよ。その教員たちを、なぜさらに激昂させてしまうのか? ここはなんとしてでも、怒っている教員をクールダウンさせ、時間をかけた話し合いの場に持ち込むように誘導すべきであって、怒っている教員をさらに怒らせてしまったのでは話にならない。
N: その結果メディアに情報が流れてしまったんですね。こうなると、調停役が必要ですね。
A: そうだよ、大物の調停役が必要です。
N: さて、本題は青谷なんですが、なんでまた、この時期に記者発表になったんでしょうか?
A: 青谷上寺地遺跡からは7000点の建築部材が出土していて、昨年からその整理とデータベース化が始まったんだ。今回、整理が終わった500点ばかりについて、インターネット上でデータベースを公開することになった。
N: それはすごいことなんですか?
A: 全国に先駆けた公開です。奈文研も桜町遺跡(富山)も、まだ建築部材のデータをネット上で公開していない。鳥取が全国初なんだよ。今回は500点だけなんだけれども、この先ずっと更新していって、最後は7000点すべて公開する予定なんだ。
N: そりゃ、すごいですね。今回公開される500点のなかに「弥生時代最長の柱」と「日本最古の蟻桟(ありざん)」が含まれていたわけですね。
A: そうです。
N: 「弥生時代最長の柱」って、またすごいですね。
A: すごいよ、細いけど長いんだ。
N: 細くても、高層建築が造れたってことですか?
A: そうだよ。もともとわたしは「楼閣否定論者」だったんだけど、撤回せざるをえない状況でね。倭人伝にいう「楼観」(物見櫓)の実在を決定づける物証だね。
N: CGで苦労しているらしいですね。
A: わたしは苦労してませんよ。学生が寝てないだけだから。
N: すごいレベルのCGだと聞いています。
A: だれから聞いたの?
N: えっ、・・・ホカノ君です。
A: ったく、あいつは口が軽いな。まさか画像をみたんじゃないだろうね!?
N: 見せてよ、って頼んだんですが、断られました。
A: 困るよ、おまえ、そういうの越権行為だよ。11月10日の解禁を守らなかったら、記者クラブから村八分にされるよ。
N: 分かってます。もうひとつの「日本最古の蟻桟(ありざん)」についてもお聞かせください。
A: あれは玄人受けする材だね。いま加藤家の修復でもさんざん「蟻継(ありつぎ)」使っているでしょう。あれが、弥生時代まで遡るわけ。
N: そうなんですか!? なぜ、そんな昔に高等な継手仕口が作れたんですか?
A: 金属器の導入が大きいね。鳥取では、弥生時代の前期末~中期が鉄器の導入期だからね。精巧な継手仕口を作れるようになったんだな。それと材料がスギでね、とても柔らかい。竪穴住居にはスダジイやクリしか使わないのに、掘立柱建物の材料はスギに特化している。もうこれはね、建築の系統がまったく違う証拠です。
N: どう違うんですか?
A: 縄文以来の在地系と大陸からの外来系じゃないかな。
N: えっと、どっちがどっちなんですか??
A: あのさ、もうこれぐらいしか答えられないから。これから先は10日の記者発表でしか話しません。
N: えっ、でもまだ各社の取材を受けるんでしょ?
A: 明日のプロジェクト研究の時間なんだけど、加藤家に4社が来ることになっているんだ。対応が大変だわ。
N: それじゃ、ぼくも行きます。なんで、加藤家でなんですか?
A: 時間がもったいないのと、加藤家も来週、公開を控えているからね。その宣伝もしなきゃなんないからさ。
N: 加藤家の公開も取材します。ちゃんと取材しますから、青谷のことをもっと教えてください。
A: それじゃ、また明日。(たぶん、続)


  1. 2006/11/08(水) 22:46:28|
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古い「水屋」の実測 -加藤家修復記(Ⅹ) 

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「台所の水屋」を「茶室の水屋」に
 先週の卒論中間発表会では、先生にびしびし絞られました。研究室のなかで、自分の出来が最低だから仕方ありません。その後「服部珈琲」の打ち上げの席で、まっさらの水屋を作るよりも、加藤家で廃棄される古い台所の「水屋」をリフォームしたらどうか、というアイデアが先生から示されました。流派に囚われた伝統的格式にのっとるよりも、廃棄直前の棚を再生させるほうが浅川研究室らしい仕事だという判断です。加藤家の居住者O君からは、
  「まず実測したら?」
という助言をいただいていたのですが、ずっとほったらかしにしていて、また先生に叱られてしまいました。そこで、今日のゼミでは急遽、加藤家に赴き、「水屋」の実測をすることになりました。この水屋は、管理者の方が加藤家の修理工事の際に、廃棄するとおっしゃっていたのですが、浅川研究室で引き取ったもので、今は、ユニットハウスの棚として使われているものです。それをリフォームして卒業制作の作品にするためには、たしかにまず実測しなければなりません。夕方からの作業で、日没までの時間が少なく、急いで実測をしました。
 初めての一人での実測で、何から始めたらよいのか全くわかなかったので、ひたすら図面を描きました。気が付けば、加藤家の修理をしている大工さんたちも帰っていて、日が暮れていました。そして、学校に戻り、手書きの図面をCADに直しました。CADは、やっぱり難しいです。(West Mountain)

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↑↓ユニットハウスの内部が狭いので、こんな写真しか撮れません。木曜日には、外に出して、きちんと撮影しますので。
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加藤家から盃彩亭へ
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 立冬になり、いよいよ寒い日々がスタートしました。また、今日は鳥取東部に暴風・波浪警報も出され、工事を進めるには良い環境とはいえませんでした。そんな中、以下の工程で工事が進められました(午前中の工事です)。
 1)柱E04~f04間の土台差し替え
 2)柱I21~l21間の根継

 オモヤの南に着き出しているツノヤ(風呂・便所棟)の柱E04~f04間の土台が差し替えられたのですが、その工程は昨日の加藤家住宅修復工事録(倭文日誌)に詳しい詳細が示してあります。なお、これでトイレ側の土台差し替えは全て終了しました。

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 また、柱J21~l21間の土台の一部が朽ちているという問題と、柱I21~J21間に土台がないとう2つの問題があったので、それを修復するために柱J21~l21間の朽ちた土台から柱I21間までを根継処理しました。根継に使った継手は腰掛鎌継です。

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↑柱I21~l21間の土台 ↓継手部分(腰掛鎌継)
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 本日は、午後からゼミ(「廃材でつくる茶室」の修理)があったのでここまでしか記録が取れていません。午後どのような工程で工事を進めるのか職人さんに伺ったところ、柱C15~G15間の敷居の修復に移る予定だとおっしゃっていました。
 午後からは「廃材でつくる茶室」=「盃彩亭」の修理をおこなったのですが、ここでは曳き家さんからお借りしたジャッキが大活躍しました!また、吉田先輩(2期生)とハルノさん(ゼミの3年生)が制作したステンドグラスは曲がりくねって変形していました。その姿に、正直、ショックを覚えました。(01号)


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  1. 2006/11/07(火) 23:29:04|
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そろそろ冬支度 -「盃彩亭」の応急処置

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この石、効いてます
 今日のゼミは先生と先輩2人、それに3年生全員と「崩壊の危機」にある盃彩亭に行き、応急処置を施すとともに、今後の修理方針を定め、さらには今後の3年生の演習について話し合った。応急処置に関しては、加藤家修復現から借りてきたジャッキで土台を持ち上げ、石をかませたり加藤家廃材の栗材をかませたりして構造を安定させ、側窓から雨が吹き込んできた部分にはブルーシートをかぶせたりした。これだけでかなり建物が強くなった気がする。今後は様子をみながら添柱をつけたり、筋交いで補強したりして雪に備える。オープンキャンパス以降使用されることもなく、急速に衰えをみせてきた盃彩亭は、今また復活にむけて動きだした。(チャック)

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↑土台(平面庇)のジャッキアップ ↓同左 新たに取り付けた短い垂木掛けとケラバの竹垂木
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盃彩亭仮修復 
 本日のプロジェクト研究の時間を使って、盃彩亭の現状調査および、応急処置をほどこしてきました。
 土台が土台たる役目をしていないことが分かったため、ジャッキアップし、土台下の石垣の積みなおしを主に作業しました。なんと、盃彩亭を支えていたのは、ほぼ四隅だけであったのです。実際の作業はとても歯がゆいものでした。あっちが立てばこっちが立たぬとイタチゴッコの状態でなかなか完全とはいきませんでしたが、最終的には、なかなかの土台となりました。その際、加藤家からもらってきた栗の廃材も大変役立ちました!!
 また、雨漏りの原因も判明したため、ブルーシートで応急処置。その他、ステンドグラスの危機も応急処置でこれ以上の破壊を食い止めておきました。が、あくまで応急処置であるため、見栄えが悪く、また隙間風がビュ~ビュ~です。次回の作業での処置法も検討しておいたので何とかなりそうです。
 あとは、裏手の軒の垂木を、とりあえず一本増やしてみたりと、見栄えが良くなった?箇所もありました。
 と、大体の作業はこんな感じでした。そんな盃彩亭を見ていると、もっとしっかりとした綺麗な建物にしてやりたいという気持ちがフツフツとわきあっがっていつつ、寒くて寒くて、冷え症な僕の手は死人のようになってましたとさ・・・・・(けんボー)

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↑石積みの補修 ↑加藤家「金輪継」の余材で土台を支えた。
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  1. 2006/11/07(火) 20:30:57|
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激動開始!

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 週があけて、時間がものすごい塊でうごめき始めている。昨夜はあまりに時間が足りないので、深夜の特急列車でずっとキーボードを叩いていた。あの、強烈に揺れる「スーパーはくと」の中で、である。小型のスーツケースを膝の上にのせ、蓋をあけてバッグの中にパソコンをおき、前後左右の揺れで影響がおきにくいようにしてキーボードを操作した。そして大学に戻ってブログをあけてみると、アクセスが尋常ではない。昼下がりですでにユニークアクセスは100件をこえていたが、最終的には以下の数値を記録した。

  ユニークアクセス(UA)=168  トータルアクセス(TA)=461

 先月23日(月)にUA=141 、TA=421という新記録を樹立したばかりだったのに、それをあっさり塗り替えてしまったのだ。そもそも、月曜日はアクセスが多くなる。土・日に落ち込んだアクセスの反動が、職場に復帰する月曜日にあらわれるのである。それにしてもUA(個人アクセス)が168というのは尋常ではない。9月までの平均が86で、10月はそれが97にまで上昇していたのだが、通常の倍近いアクセスが1日であるなんて・・・

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 これは「月曜日だから」では済まされない。すでに新聞で報道されてしまった「学長・理事長問題」の絡みかもしれないし、オシムの書評が受けたのかもしれないし、加藤家住宅公開を前にして修復工事の進捗レポートを期待したものかもしれないが、やはり「青谷上寺地遺跡建築部材記者発表」に係わるアクセスが一気に増えた結果だろうと思われる。それもそのはず、今日になって、ようやく各社の記者が動きはじめた。おかげさまで、今週の日程はめちゃくちゃになってきた。しかし、CGを制作しているグループはすでに十分めちゃくで、半死の状態に陥っている。3日徹夜したらしい(昼寝はしている)。美味しいフルーツか何か、ビタミンとカルシウムをたっぷり差し入れしないと、女子たちの美貌がそこなわれるかもね。もうしばらくの辛抱です、みなさん頑張ってください。
 さて、田和山からまた写真が届いた。こんどの日曜日に検査だから、そんなあせらなくてもいいだろうに、でもまあ、状態が知れるにこしたことはない。日曜日には、まだ茅葺きは始まらないらしい。さて、 田和山復元建物の検査のあとは「吉田を囲む会」である。いまのところ、7名が参加を表明している。会場の「庄屋」には、すでに7名で予約しているが、今からでも参加したい2期生等は大歓迎しますよ。ちなみに、「庄屋」に電話をいれたところ、
  「何を準備いたしましょうか?」
と訊かれたので、
  「もちろん、ナマズですよ、日野川のナマズ。ナマズをたんまり食べたいので、よろしくお願いします。」
と答えたら、電話にでたその女性は、
  「ひゃぁっ~~」
という雄叫び(雌叫びか?)をあげた。
 12日の昼は、出雲で蕎麦、夕方は日野川のナマズ。生まれてきてよかった。

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  1. 2006/11/07(火) 02:06:31|
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『オシムの言葉』に寄せて(Ⅱ)-辺境と苦境のなかに

  『オシムの言葉』(集英社)というノンフィクションは大変なベストセラーになっていて、どこの本屋に行っても平積みにしてある。しかし、ほんの少し前までまったく食指が動かなかった。どうせ、ジェフ千葉のホームページで日々更新されてきたという「オシム語録」を編集した程度のものだろう、という一方的な偏見をもっていたのと、代表監督交替にあわせて流りのサッカー本を読む自分に対して抑制が働いていたように思う。
 先々週の金曜日、あの日も秋晴れだった。倭文加藤家の現場を視察し、そのまま岡野に郡家(こうげ)駅まで送ってもらって、午後3時半発の特急「スーパーはくと」に乗ろうとしていた。いつもの行動パターンである。ところが、あの金曜日は少しだけ時間に余裕があったものだから、郡家の書店に立ち寄った。
  「スーパーはくと」という特急列車は、ディーゼルをふかしてスピードを出すせいか、よく揺れる。乗り心地のよい列車だとはとても言えない。眠りにつけばしめたものだが、乗り心地がよくないから快眠に至らない。目が覚めていると、乗り心地がわるい分だけ乗車時間を長く感じてしまう。降車は終着駅の京都だから、まるまる3時間この特急列車に揺られるのだが、感覚としての乗車時間はほんとうに長い。とりわけ、大阪から京都に至る最後の半時間をほとんど永遠のように感じてしまう。この時間を短くするには、主体的に何かに没頭するしかない。いちばん良いのはパソコン仕事だが、この激しく揺れる特急列車でパソコンの画面をみつめていると、すぐに吐きそうになる。仕方ないから、レポートの採点をしたり、読書したり。やることは他の旅客と変わらない。おかげさまで、『マオ』上・下や『恐怖の存在』上・下などの大著を読破することができた。
 しかし、先週は暇つぶしになる本をバッグの中に納れるのを忘れてしまっていた。司馬遼太郎の『義経』を読むつもりでいたのだが、バッグを探しても、その文庫本はみつからなかった。だから、郡家の本屋に立ち寄ったのである。こういう片田舎の郊外型書店にも『オシムの言葉』はちゃんと平積みにしてある。2005年12月10日に初版本が発行され、すでに第11刷まで版を重ねていたこのベストセラーを、わたしは2006年10月27日になってようやく手にした。そして、先週末に限って言うならば、「スーパーはくと」の乗車時間は恐ろしく短かった。京都駅から近鉄の急行に乗り換えても、わたしは立ったまま『オシムの言葉』を読み続けていた。
 やはり売れている本は違うな・・・。魂が入っている。

  『オシムの言葉』の著者・木村元彦は1962年生まれのスポーツ・ノンフィクションライター。長年、旧ユーゴスラビア地域のサッカー・シーンを取材し、すでに『誇り -ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 -ユーゴスラビアサッカー戦記』の2作があり、『オシムの言葉』は3部作の最終作にあたるという。わたしは、こういうサッカー・ジャーナリストがいることを知らなかった。同業でもっとも知名度が高いのは、おそらく金子達仁であろう。アマゾンで調べると、金子達仁の著作もずいぶん多くなっているが、かれの代表作は処女作の『28年目のハーフタイム』(文芸春秋、1997)であるとわたしは勝手に決めている。28年ぶりにオリンピック出場を果たした五輪代表チームが、「マイアミの奇跡」と呼ばれた初戦、すなわちブラジル戦のハーフタイムですでに崩壊していたことを知らしめた力作である。金子の取材手法は、手間はかかるだろうが、そう複雑なものではない。一つの事象に関して、一部もしくは少数の人物からインタビューするのではなく、相反する立場にある複数の人物にインタビューして、その意識のずれを示しながら、実像に肉迫する。たとえば、アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」に関していえば、中田英寿、川口能活、前園真聖らの選手に加えて、監督の西野朗、ブラジル代表CBのアウダイールらにインタビューし、一つの出来事を多角的に照射している。
 木村は金子の4歳年上だが、木村の取材手法も基本的に金子と変わらない。『オシムの言葉』を例にとるならば、オシムだけでなく、おびただしい数の選手やサッカー関係者らにインタビューをくりかえし、オシムという人物の実像に迫ろうとしている。だから、『28年目のハーフタイム』と『オシムの言葉』は名著なんだ、と言いたいわけではない。『オシムの言葉』には『28年目のハーフタイム』を超えた深さがあり、人生の本質が垣間みえる、と多くの読者は感じているのではないか。
 それは木村元彦の筆力が金子達仁のそれを上まわるとか、上まわらないとか、そういう些末な要因にあるのではない。それは、『オシムの言葉』の舞台がユーゴスラビアであり、そこに如何なる圧力にも毅然として屈しないオシムという名将がいた事実による。1990年のイタリアW杯から92年のユーロに向けて、オシム率いるユーゴ代表チームは天下無敵と評されるほどの強豪に成長していくのだが、それに反比例するかのようにユーゴスラビア内部での民族間・宗教間衝突は激化し、最終的にはセルビア軍の「サラエボ包囲戦」に突入する。この戦争に抗議するため、オシムはパルチザン・ベオグラードとユーゴ代表の監督を辞任するのである。そのとき、オシムの妻娘は戦火のサラエボにいた。
 オシムはまもなくベオグラードを離れ、ギリシアの名門パナシナイコスの監督に就任する(1992-93)。ここでオシムは、柄にもないロビー活動に奔走する。ギリシア随一の富豪であったパナシナイコスのオーナーを通して、政府や軍の上層部に働きかけ、国連防護軍に加わっているギリシア軍のヘリコプターに妻娘を乗せて国外脱出をはかる承認を得たのである。ところが、妻のアシマはこの脱出策を拒否する。以下、『オシムの言葉』からの転載。

  「私もサラエボで生まれ育った人間ですよ。皆が苦しい中、自分だけが逃げ出す
   なんて恥ずかしいことはできません」
  赤十字が組織する出国支援の順番待ちリストには、必要書類を全部揃えながらも、
  何ヵ月も待たされている老人や病人の名前が並んでいる。アシマはそんな中で、
  オシムの妻という特権を利用して逃げ出すことはできないと決意していた。

 その後、1994年10月某日、国連軍で通訳をしていた娘のイルマから、国外脱出リストに名前が掲載されたことを告げられ、アシマは着の身着のままで国連軍のヘリに乗りこんだ。そして、ザグレブ経由でウィーンに入り、二年半ぶりにオシムとの再会を果たす。妻は顔にしわが増え、体重は10㎏も減っていた。

 オシムはそのころ、オーストリアのシュトルム・グラーツを率いていた。前年、パナシナイコスを離れるにあたって、レアル・マドリードやバイエルン・ミュンヘンなどのビッグクラブから監督就任のオファーが殺到したにも拘わらず、オシムはオーストリア・リーグの中堅チームを選択した。かれが、なぜビッグ・クラブからのオファーを受けないのかについては本文を参照されたいが、グラーツとジェフ千葉は似たようなチームである。ジェフ千葉の前身「ジェフ・ユナイテッド市原」は、J1の中で観客動員数が最も少なく、年間予算の最も少ないチームであり、一時は「Jリーグのお荷物」という陰口すら囁かれていた。成績は7~14位。こんなチームの監督が高額の給料をもらえるはずはない。しかし、いつでも、オシムはこういうチームの監督を引き受ける(いまの日本代表にしても、国際的にみれば、同類のチームにあてはまるはずだ)。そして、スターのいない弱小チームを常勝軍団に替えてしまう。2日前、千葉は通算10冠を狙う名門「鹿島」を2-0で下し、ナビスコカップ2連覇を果たしたばかりである。

 最近、柄にもなく、CG関係の仕事に係わることが多くなり、そういう系列の大物ともしばしばメールで仕事のやりとりをする。うちの研究室が研究費に苦しんでいるのを知ってか知らずか、あるディレクターは、
  「・・・因みにT大学のI研究室はバイヨンの3D計測とCG化で毎年数億円の予算をとっておられるそうです。うらやましい限りです。」
と伝えてきた。わたしは返信した。
  「I先生の研究室はたしかに研究費が潤沢なのでしょうが、研究の本質がお金にあるわけではありませんから、正直言って、わたしはそんなに羨ましくありません。オシムは給料の安い、弱いチームでずっと指揮をとってきました。そういうチームをいつも常勝軍団にしました。わたしも鳥取という辺鄙な弱小県にいることを逆手にとって、学界に楔を打ち込むことを生き甲斐に感じています。大きな組織にいればいいというものではありません。」

 お金と名誉に恵まれていても、人は必ずしも幸せなわけではない。誠実さと実直さをあわせもった人たちが有能なリーダに率いられて手を携えれば、どんな辺境にあっても、どんな苦境に身をおこうとも、人の胸を打つ仕事がなしとげられる。
 オシムとかれの妻は、わたしたちにそう訴えかけている。(完)



  1. 2006/11/06(月) 01:39:38|
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青谷上寺地遺跡出土建築部材に係わる記者発表

 鳥取県埋蔵文化財センターは、青谷上寺地遺跡出土品の調査研究の一環として、昨年から青谷上寺地遺跡出土建築部材(約7,000点)の整理をはじめ、そのデータベース化を進めている。このたびデータベースの一部をインターネット上で公開できる運びとなり、建築部材の情報の一端をひろく県民の皆さんや全国の研究者等にネット上で閲覧していただけるようになった。こういう出土建築部材データベースの公開は、全国に先駆けたものであり、それだけで十分高い評価に値する。さらに、データベース化の作業を進めるなかで、特筆すべき二つの建築部材を発見したこともあり、下記の日程と会場で記者発表がおこなわれる。

                記

 1 日  時
   平成18年11月10日(金)午後1時30分~2時30分

 2 場  所
   鳥取県埋蔵文化財センター秋里分室(鳥取市秋里390)

 3 内  容
  (1)青谷上寺地遺跡出土建築部材データベースの公開について
    ○データベースのデモンストレーション
  (2)新たに得られた知見について
    ○弥生時代最長の柱
    ○日本最古の蟻継(木材をつなぐ技術の一種)が施された板

 4 コメンテーター
   鳥取環境大学環境デザイン学科教授 浅川 滋男(東洋建築史)


 というわけで、建築部材整理を指導してきたわたしが記者発表のコメンテータを務めることになった。
 はっきり申し上げておこう。このたび発見された「弥生時代最長の柱」「日本最古の蟻継(ありつぎ)」は、建築史学・考古学上きわめて重要な発見である。それが証拠に、すでに1週間以上前から一部メディアの猛烈なアタックをうけている。ただし、それは地元鳥取の記者ではない。地元には、文化財や考古学に関心をもつ記者が少ないのであろうが、大きな穴をあけないように、各社ご注意願いたい。
 現在、研究室では、青谷上寺地出土建築部材のデータを体系的に関連づけた「楼観」の復原CG制作に全力をあげて取り組んでいる。




  1. 2006/11/05(日) 22:49:26|
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ディファレンシャルGPS

 まだ科研申請に悩まされている。今回の申請は、ハロン湾水上集落の測量に難渋したことを出発点にしている。GPSをもっていったものの、緯度・経度の誤差が9~20mと大きく、現地では使いものにならないと判断したのだが、帰国後、某メディアのディレクターから数㎝レベルの誤差での測量が可能だと聞かされた。正直、信じられないと思ったのだけれども、測量会社の取締役を務める山村カメラマンに相談したところ、数㎝どころか数㎜レベルの誤差で測量できるという。しかし、それは本格的なトータルステーション(コンピュータで操作する光波測距儀)をベトナムに持ち込むことを前提とした方法であることが、あとでわかった。

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 ハロン湾に地上は存在しない。島はあるけれど、カルスト地形のそれはあまりに急峻であり、だからこそ漁民は島に住まず、海に浮かぶ船や筏を住まいとしてきたのである。つまり、トータルステーションの三脚をあちこちに据えることはできない。それに、大がかりなトータルステーションの測量器材一式を海外に持ち出すのは大変なことだ。輸送の経費だけでも尋常ではないだろう。
 だからこそ、GPSに期待したのである。軽量かつ簡便で、精度の高い測量をするのはGPSに頼るしかない。しかし、実際のところ、GPSの測量誤差は大きい。まずGPS自体の測量誤差を小さくするのはどうしたら良いのか、というと、普通のGPSではどうしようもない。この誤差をさまざまな媒体により補正したGPSをディファレンシャルGPS(DGPS)という。DGPSシステムは、GPS信号をあらかじめ正確に位置が分かっている基準局で受信し、GPSで得られた位置と真の位置から誤差を計算し、ディファレンシャル情報(補正値)として送信局から放送したデータで測位精度を向上させる。日本では、海上保安庁が中波無線標識(ラジオビーコン)の電波を使って、補正値をユーザー受信機に提供している。これをビーコン方式というが、残念なことに、海外の測量に応用できない。


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 海外での位置精度を高めるためには、SBAS(静止衛星型衛星航法補強システム )もしくはOmniSTAR(オランダのFUGRO社が提供する有償の補正情報サービス)のどちらかを活用できるDGPSを購入する必要がある。まぁ、なんとかこういうGPSを探しあてることはできた。しかし、水上集落の測量となると、やはりGPSだけではとても無理であり、GPSと連動可能かつコンパクトな測距測角儀が必要になる。これもなんとか探すことができた。高性能のものでは、プリズム(反射板)がなくとも600m、プリズムを立てればなんと9100mまでの測距が可能で、精度は±15㎝と理想的だが、システム一式を揃えようとすれば100万円近い経費が必要になる。
 これに対して、わたしが興味を覚えたのは、古典的なアナログ式のポケットコンパスにハグロフ社製の測距計VertexⅢをとりつけた測量システムである。わたしは、かれこれ10年以上G社のポケットコンパスを使い続けており、これにVertexⅢをとりつけたらどのような測距測角が可能なのか、試してみたい。この新しい「トラコン」測量は、巻尺の使いにくい森林測量のために開発されたもので、距離測定は30mが限度だが(精度1%)、高さの計測に強く、島の立体形状把握に貢献するであろう。三脚を含めて器材全体が軽量である点も大きな魅力である。価格も30万円代で納まる。
 実際の測量では、複数のシステムを併用し、相互の誤差を対比してみる必要があるだろう。GPS測量とは、未だそういう段階にあるものだということがぼんやりみえてきた。そういう土曜日であった。



  1. 2006/11/04(土) 21:33:18|
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誉めるも叱るも -卒業研究中間発表会

 無事、卒業研究の中間発表会を終えた。いつものとおり、澤研究室との合同で、9組10名が論文もしくは設計制作の中間成果をパワーポイントで報告した。浅川研究室の発表者と発表題目は以下のとおり。

・北野 紗英(論文)「尾崎家住宅の建造物と屋敷景観の復原 -湯梨浜町宇野の古民家調査」
・西山 宜英(制作)「動く水屋 -神戸市M家所蔵茶器の分類整理と置水屋の設計制作」
・大城 智章(論文)「ローコストによる文化財古民家修復のマニュアル作成 -登録文化財加藤家住宅での実体験を通して」
・安田 典史(制作)「Re-Cover 地域産材を活用した屋根とロフトの設計-茅葺き風『トチ葺き鉄板被覆屋根』の開発」
・森川 佳央里(論文)「倉吉本町通アーケード商店街の町並み調査と再生計画」
・吉村 明子(制作)「ふるきかぜ あたらしきかぜ -倉吉本町通商店街<看板建築>の復原と修景」

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 これまでブログ上でも何度か愚痴をこぼしてきたが、3期生-6名中2名は2期生だが-は1・2期生ほど鍛えられておらず、能力の高さを感じさせてくれる機会が少なかった。しかし、今日の発表はなかなかよかったと誉めてあげよう。ただし、今回の卒業予定者諸君は、すこし誉めると安心してしまうのか、動きをとめてしまう。だから、あんまり誉めてはいけない。高橋尚子に金メダルを獲らせた、あのひげもじゃの監督は、なんでもかんでも選手を誉めて誉めまくれば、選手がステップアップすると豪語していたけれども、『オシムの言葉』を読むと、オシムは選手をびしびし叱っているではないか。叱っているのに、愛されている。あんな風に指導できればこの上ないが、わたしはただ叱るだけで、上手な誉め方を知らない。これからもびしびし叱って、叱りまくりますよ、学生諸君。
 打ち上げは、鳥取駅の「服部珈琲」。みんながサラダピザやポテトピザやコーヒーゼリーやレアチーズケーキをパクパクムシャムシャたいらげているのに、加藤家の居住者O君1号だけは、葡萄ジュースとグレープフルーツ・ジュースを飲むだけ。じつは、O君1号は動物性たんぱく質のアレルギー体質で、肉も魚も食べられないのである。じつに可哀想なことをした。ローソンの梅干おにぎりを差し入れするぐらいしか、わたしはかれの体力補給に貢献できない。
 火曜日には、「廃材でつくる茶室」の清掃・修復をおこなうが、作業後のメニューは精進料理にしましょうかね。幹事のチャックよ、うまいこと考えてください!



  1. 2006/11/03(金) 21:56:21|
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加藤家住宅修復工事現場公開のお知らせ

 突然ではありますが、以下の日程で加藤家住宅修復工事現場の公開をおこなうことになりました。鳥取県から研究費の助成、鳥取市からは工事費の一部補助を受けており、修復工事現場の公開をおこなうべきとの判断によるものです。
 公開期間中は、もちろん大工さんや曳き家さんの工事を眼前に見学できます。また、公開初日にあたる11月16日(木)の午後3時からは鳥取環境大学プロジェクト研究の活動状況もおみせできます。暖かいお茶と資料を用意しておきますので、ご関心のある皆様のご来場をお待ちいたしております。

          記
 
  1.期日 平成18年11月16日(木)~18日(土)10:00~17:00

  2.場所 〒680-1151 鳥取県鳥取市倭文491 加藤家住宅

  3.問い合わせ先 鳥取環境大学浅川研究室
             http://misc.kankyo-u.ac.jp/~asax/

↓ポスター(クリックすると拡大表示されます)
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 ↓サイトマップ(クリックすると大きくなります)
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 なお、加藤家住宅の修復工事につきましては、加藤家住宅ホームページhttp://katohkejutaku.web.fc2.com/のブログ「倭文日誌」で毎日詳しくレポートしています。

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  1. 2006/11/03(金) 01:47:28|
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襖など37枚

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 タクオが「襖百枚、要りませんか?」と訊ねてきたのは、8月6日のことだった。わたしは20枚ばかりなら欲しい、と答えて今に至ったのだが、その期限も10月いっぱいとのことで、今週の月曜日、某助手とゼミのSS(3期生)が襖を但馬までいただきに行ってきた。頂戴した建具は、襖、障子、板戸あわせて37枚。いま加藤家敷地にたつユニットハウスの2階に仮置きしている。このほか、古材倉庫の壁材となるコンパネも15枚いただいたとのこと、まことにありがとうございます。
 襖をはじめとする建具類は、明治以前の作とみられ、文化財的価値は高いのだが、結構傷みがきている。しかし、こういう素材をどう再生させるのかが研究室のテーマであり、できれば来年度の卒業研究で活用したいものだ(ひょっとしたら、数枚は田園町宿舎で使うことになるかもしれない)。

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↑ユニットハウスに収納された但馬の襖 ↓土台下の石詰め作業
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 さて、今日のプロジェクト研究2は先週と同じ部材差し替え部分の実測、防蟻剤の塗布、廃材の搬出のほか、床下から出てきた梯子材と扉材の実測、背面土台下への割石の詰め込みなどをおこなった。
 現場では、柱の立て起こしのため、数ヶ所にワイヤーロープがとりつけられた。これは歯の矯正と同じで、しばらく時間がかかる。いちど角度を矯正しても、すぐに元に戻る可能性が高いから、ワイヤーロープで引き付けて鉛直の角度を保持させるのである。いま「鉛直」と書いたけれども、各柱で傾斜と歪みが微妙に異なっているので、すべての柱を平行にすることはできない。各柱は少しずつ鉛直とはずれた角度で立ち上がることになるのだが、そうなると建具とのとりあいが難しい。場合によっては、建具や鴨居の溝を少し削ることになるかもしれない。添柱をみてもあきらかなように、270年の歳月は柱の変形を多様にしている。だから柱間装置の納まりが難しくなるのだが、だからと言って古材を捨てるわけにはいかない。
 古材が多いから文化財なんだから。国の有形登録文化財なんだから。

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↑↓ワイーヤーロープを使った柱の立て起こし
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  1. 2006/11/02(木) 23:40:19|
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松風園の置水屋について

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 とうとう11月になってしまいました。今日はとっても寒かったです。さて、そんな寒い中ではありますが、今日も活動を行いました。まずは、先週で茶器撮影が終ったので、今後についての話し合いを少々。水屋の設計はどうしよう・・・とか、そもそも材料はどうしよう・・・とか、話し合っている中で、なんとなく方向性が見えてきました。とりあえず、今日は全員で材料にできそうなものがあるかどうかを確かめた後、二手に分かれて活動しました。一方は大学に残り、水屋に何を置きたいかを決め、もう一方は、茶道部でお世話になっているお茶屋さんへ、水屋の情報収集に向かいました。
 向かったのは、「松風園」という名前のお茶屋さんです。お店に入り、置水屋について相談してみると奥へと案内され、お店にあるカタログで置水屋を見せていただきました。その際、お店の方から蕎麦茶を振舞っていただきました。とっても暖かくて、冷えていたからだが温まりました。さて、置水屋に関してですが、カタログには同じようなものしか載っていませんでした。そこで、今まで集めた資料を見ていただき、形や好みについてたずねてみました。しかし、どうやらご存知ではなかったようでした。大きな本まで出していただきましたが、置水屋に関してはそれ以上の情報が集まりませんでした。
 ところで、話の途中でお店の方の水屋の話になり、なんと見せていただけることになりました!みんな水屋を間近に見るのは初めてだったので興奮してしまいました。また、水屋だけでなく、二つのお茶室も見せていただきました。松風園さんには水屋のお話を聞かせていただき、さらにお茶室や水屋まで見せていただき、本当に感謝しています。わざわざ水屋やお茶室を見せていただいたので、自分達も立派な置水屋を作りたいと思いました。(環境デザイン学科2年部長)

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  1. 2006/11/02(木) 23:01:33|
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科研が書けん(Ⅱ)

 昨年の今ごろ、「科研が書けん」というブログをあげた記憶があるんだが、今年もまったく同じ状態に陥っている。というか、さらに悲惨な状況に追い込まれている。正直言って、これまでの人生において、わたしと科研との相性は素晴らしく良かったのだが、昨年から「電子申請」というやっかいなシステムが導入され、おまけに書類の枚数も倍増し、どうやら関係が悪化し始めている。そもそも、今日が申請の学内〆切だということを完全に忘れてしまっていた。それに気付いたのは一昨日のこと。某助教授が耳打ちしてくれたのだ。総務課から 「【注意】平成19年度科研費に応募される先生へ」という強烈なメールが入っていると某助教授はいう。確認すると、以下のように書いてあった。

 【提出期限】  11月2日(木)17:00厳守
 【提出先】    総務課 ◆ 
      ※応募書類(紙媒体)を1部ご提出ください。
 【注意】上記提出期限以降に、ご提出頂いたものについては、
     一切受け付けいたしませんので、ご了承ください。

 なんというシビアなお達しであろう。「11月2日17時をすぎて提出された書類は一切受け付けない」なんて・・・
 そこで、わたしは総務課のメールに返信した。

   生まれてこのかた、
   こんな非情な通知を頂戴したことは
   ありません。
   間に合いません。
   死ぬほど働いているのです。
   待ってやってください。

 実際、〆切日の今日、わたしはあわせて5コマの授業と演習を抱えている。夕方から2コマも大学院の授業を予定しているのだ。どうやら、この嘆願は効果があったようで、いま、しばしの猶予を頂戴している。
 しかし、今年も徒労に終わりそうな予感がしている。

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↑↓昨日の加藤家。土間側妻壁の柱に添柱がくっついた。湾曲した当初材に見事にあわせている。
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  1. 2006/11/02(木) 02:58:44|
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「盃彩亭」崩壊の危機

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 茶室の現状を調査してきました。ん~いつみても学生が作ったとは思えないぐらい素晴らしい!!・・・・・が、うろうろうろうろしてると、とてつもないことが判明!?
 なんとステンドグラスが、ひん曲がってるやないですか!!にじり口付近?の壁がはがれてきてるやないですか!!南側の桁が浮いとる!! 柱が傾いてんで!!土台が割れとるよぉ!!・・・・と南側を中心に建物にガタがきてました。
 なぜこんなことになったのかぁとまたも、う~ろうろしてますと、南側の土台の継ぎ目が沈み込んでるやないですか!!ということは、土台の中心が沈み込んだことで、柱が、中心めがけて傾いたゆうことですね。そのせいか、壁板が外れ、また、ステンドグラスがひん曲がるという事件がおこったんですねぇ。しかも、東端では、土台が割れてるんで、南東の柱が、南東めがけてかたむいてます。・・・・・と、天井の簾を取り替えるてる場合でないようなことが判明したんです。(けんボー)

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― The HAISAITEI is now facing to the serious crisis. ―

 今日の午前中けんボーと共にツリーハウスと茶室の現状調査に出かけた。まずツリーハウスを見にいったのだが、なかなか元気であった。柱の傷みもなく、クモの巣が大量にある以外は特に問題のある箇所は見られない。ただ、茶室はそうはいかなかった。けんボーが書いているようにあちらこちらにガタがきている。トタンはめくれ、土台の石は抜け落ち、束がズレたり割れたりなんたりかんたり。わずかだが雨漏りの傾向も見られた。さながら加藤家のようである。来週のゼミの時間に清掃活動をするようになっているが、その時いっしょに修理計画も練らなければならないのではないだろうか?もちろんオーセンティシティの精神にのっとって、である。(チャック)

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[「盃彩亭」崩壊の危機]の続きを読む
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