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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

リハビリ開始!

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 今から4年前(2002年)、木造建築士と2級建築士の資格をとった。環境大学に移って2年目の前期、演習はいくつか抱えていたのだが、講義がなかったものだから、暇を利用して資格をとろうと決意したのである。あれは日韓ワールドカップの年でもあった。ワイフと二人、韓国に飛んで、大田(テジョン)でスペイン対南アフリカ、済州島西帰浦(ソギッポ)でドイツ対パラグアイの2試合をみた。その旅行の最中にも、旅館で「構造力学」の問題を解いていた。正直言って、2級の構造力学なら、中学生だって解いてしまうだろう。この程度の「理科」の問題がわからないとしたら、相当深刻だと思ったほうがよい(だれに向かって書いているか、たぶん本人はわかっているはずだ)。
 なぜ1級ではなく、2級をめざしたのかと言えば、2級そのものに関心はなく、その向こうに「木造建築士」の資格を見据えていたからである。では、「木造建築士」の資格になにか実用的な意味があるのか、と言えば、まったくない。だから、受験者もいない。大工さんのために設定された資格ではあるけれども、設計対象となる建物の規模が非常に小さく、実務上、役に立たないのである。
 わたしは、ただ、「木造建築士」という名前が欲しかった。英語に直訳すれば、Architect for timber buildings だが、わたしはきわめて恣意的にConservation Architect(修復建築家)と訳して、名刺の裏面にプリントしている。

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 資格をとった2002年の冬には、事務所登録をした。正式な事務所名は「設計事務所 魯班営造学社」である。本音をいうと、ただ「魯班営造学社」としたかったのだが、建築指導課?がそれを許さなかった。「魯班」が大工の神様で「営造」が建築そのものをさす古い漢語であることが理解できない地方の官吏の言をあえて紹介するならば、
  「魯班営造学社と言われても、建築設計業務と結びつかないし、イメージできない」
のだそうである。ならば、「みかん組」とか「シーラカンス」はどうなんだ、と反論してみたくなったのだが、地方の官吏もなかなか頑固で手強く、どうしても「設計事務所」という五文字が必要なんだそうである(「魯班営造学社」の命名経緯については研究室のHPをご参照いただきたい)。
 事務所登録をしたから、何か営業活動をしたのか、というまったく何もしていない。だから儲けもしていないし、損もしていない。しかし、つい最近、15,000円の出費を強いられた。一月半ほど前だっただろうか、「平成18年度 建築士事務所の管理講習会」兼「平成18年度 建築士事務所開設講習会」の案内が来て、この講習会を受けないと事実上設計事務所の更新をみとめない、というお達しが記してあった。ずいぶん強い文言が書き連ねてあったのだが、それはもちろん姉葉事件の影響である。おかげさまで、その講習会は朝の9時半から夕方の4時半までびっしりのスケジュールが詰まっていた。正直、参加したいとは思わなかったが、「魯班営造学社」という事務所名には愛着があり、先月末、講習会への参加費15,000円を振り込んだ。
 その講習会が、今日おこなわれた。会場は倉吉未来中心。昨夜、鳥取県建築設計事務所協会に欠席の理由を説明するファックスを送信し、今朝は倉吉未来中心にも電話を入れた。振り込んだ会費がどうなるのかわからないが、わたしとしては次回の講習会を待つしかない。

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 患者の病状は、本日、大きく好転した。昨日までは心拍と呼吸数を示すモニターが治療室の前に設置され、看護士さんがいつでもそのデータをチェックできるようになっていたが、病室を訪れると、その機械が撤去されていた。尿管も外されている。そして、今日から食事をとるようになった。わたしは昼から夜までずっと付き添っていて、食事を食べさせようとするのだが、患者はそれを拒否する。自分で食べるのだ、と言って、左手でスプーンかフォークをもち、ご飯とおかずを平らげていく。右手は麻痺しているからまったく使えない。だから、わたしの役目はスプーンの力で右方向に動く食器に手をあててやることだけだ。
 主治医のK先生からは、嬉しいお知らせがあった。
  「この調子でいけば、車椅子ではなくて、杖での歩行が可能になるかもしれませんね」
 リハビリ専門の別の先生が病室にあらわれ、簡単なリハビリも始まった。まず、右眼の視力を確かめられた。正面から右半分の視界を患者は奪われている。これが手足のリハビリにともなって、どこまで恢復するのか。つぎに言語障害のチェックをうけた。その先生は、ごく単純な質問をする。たとえば、
  「ご家族は何人で、その構成を教えてください。」
というような質問である。患者は、頭ではその答えがわかっている。しかし、なかなか思うように適切な言葉が浮かばない。ただ、言葉の数はたくさん出てくる。でも、長女の名前を完璧に間違えてしまったりする。まぁ、まだ発症後4日めだ。仕方がない。
 昨日までは、見舞い人がながく病室にいる意味はあまりなかった。目覚めていると、たくさん話したがるのだが、意味もあまり通じないし、しばらくして体熱が高くなり苦しくなってしまうこともあった。会話の反動で「昏睡」状態に近い眠りに落ちる。だから、そばにいても、してあげられることがあまりない。
 今日はちがった。まず微熱がなくなった。顔色もよい。わたしが病室にいた7~8時間のあいだ、患者はずっと眼をさましていた。ずいぶんいろんなことを話した。とても楽しい。また、病院側は集中治療室におけるパソコンの使用を許可してくれた。ネットへの接続はできないが、それでもパソコンが1台あれば、時間なんてすぐに過ぎてしまう。今日は授業の準備ができた。明日は講演の準備をしようと思う。このまま、症状に大きな起伏がなければ、明後日の深夜にはいちど鳥取に戻れるだろう。今日、ようやくそういう見通しがたった。

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 田和山からまたメールが届いた。昨日は竪穴住居復原建設現場の見学会があったようだが、寒いせいもあって人が少なかったらしい。ところが、今日は地元の乃木小学校4年生が170人も見学にやって来た。「竪穴住居や掘立柱建物に何人の人が住んでいたか?」という質問がいちばん多いとのこと。さぁ、どうなんだろう。どこかにちゃんと答えられる考古学者はいるんでしょうかね?
 一方、倉吉のクズマ遺跡についても、11月15日(水)報道発表、18日(土)現地説明会という日程のお知らせをうけた。
  「青谷上寺地遺跡でのご講演と重なり申し訳ありません。」
とお詫びされていたが、今回に限っていうと、青谷の講演にそれほど影響は及ぼさないであろう。大手4紙の一面を飾った記事をテーマとする講演なのだから、きっと多くの考古学ファンとマスコミが集まってくれるにちがいない。


  1. 2006/11/13(月) 23:27:14|
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