Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

FC2アクセス解析10・11・12月篇

 というわけで、目出度く50歳の誕生日を迎えました。ヤだヤだ、50だって。40になったとき大騒ぎしていたのに、あれからはや10年が過ぎてしまって、もう50なんだ。騒ぐ気にもなりませんね。棺桶がどんどん近づいてきています。

 さて、大晦日につき、激動の10~12月をFC2アクセス解析で振り返ってみましょう。とりあえず、ユニークアクセス(UA)とトータルアクセス(TA)の変化から。以下の表記は、月総数(1日平均)をあらわします。
   10月  UA=2990(96)   TA=8145(263)
   11月  UA=3918(133)  TA=10127(338)
   12月  UA=3826(123)  TA=8189(264)  
9月までの1日平均は、UAが85~91件、TAが217~238件でしたから、まず10月に漸増の傾向がみとめられ、11月には爆発的に上昇していることがわかります。11月にアクセスが急増したのは、①家内の緊急入院、②青谷上寺地遺跡建築部材の記者発表、③加藤家住宅修復現場公開の3大事が折り重なってブログにアップされ続けたことが原因と考えられます。11月以降、土・日をのぞいて、1日の個人アクセス(UA)が100件を下まわることはなくなりました。その勢いは12月にも持ち越しております。おそらく定期の読者が増えているのでしょう。11月の場合、個人アクセス(UA)だけでなく、延べのアクセス(TA)が1万件を超えてしまったことも注目に値します。これは固定の読者が、1日何回もアクセスしたことを意味していますが、12月になってTAのほうは10月並みに減少しました。11月のアクセスが突出していることがわかります。
 
 つぎに、ヤフーなど検索エンジンによるアクセス総数の推移をみますと、
  10月:1006  11月:1298  12月:1616
となっていて、11月よりもむしろ12月のほうが多くなっています。これを都道府県別にみてみましょう。左から10月→11月→12月のパーセンテージを示しています。

    1位 鳥取26.71% →鳥取38.45% →鳥取33.22%
    2位 大阪15.98% →島根14.05% →大阪16.36%
    3位 島根14.73% →大阪13.78% →島根11.29%
    4位 兵庫09.86% →東京05.40% →東京07.47%
    5位 東京06.24% →兵庫05.12% →京都04.06%
    6位 滋賀06.11% →京都04.00% →兵庫03.73%
    7位 群馬03.37% →滋賀03.35% →滋賀03.48%
    8位 京都02.74% →愛知01.95% →愛知02.15%
    9位 愛知02.37% →千葉01.76% →千葉01.57%
    10位 神奈川0.99% →福岡01.02% →岩手01.49%

 はっきり言えるのは、11月以降、鳥取県内のアクセスが非常に増えたことです。やはり11月の報道と入院騒動が大きく影響していると思われます。全国的には鳥取、大阪、島根がずっと3強ですが、東京がじわじわとアクセスをのばしています。東京のアクセス数の増加は、検索エンジンによるアクセスの伸びと相関しているものと思われます。

 続いて、検索エンジン使用のサーチワード順位をみてみましょう。左から10月(11月)[12月]のパーセンテージを示しています。

  1位 自在鉤4.87%   (自在鉤5.62% )     [****11.73%]
  2位 週間ファイト3.38% (リファーレンいなば1.77%)[自在鉤3.28%]
  3位 雑魚釣り2.28%  (エビちゃんねる1.54%)  [カルシウムハウス2.85%]
  4位 兼松江商 2.18%   (雑魚釣り1.46%)    [カイヤン2.54% ]
  5位 アイスブレイク1.89% (lablog 1.46%)     [lablog 2.11%]

 9月から3ヶ月連続して「自在鉤」が1位をキープしていましたが、12月になって、フリーのTVディレクター****氏にその座を奪われてしまいました。例の催涙スプレー事件をおこした人物です。これは異例の事件なので、「自在鉤」は依然首位を堅持していると言ってよいかもしれません。

 最後に激動の2006年、わたし個人および研究室にとっての十大ニュースを発表して今年のフィナーレとさせていただきます。

第1位 家内の緊急入院(脳内出血)とその看護
 11月10日の「青谷上寺地遺跡建築部材記者発表」その日に家内が脳内出血で倒れ、奈良県立病院に5週間入院した。このあいだ、多くの方がたの励ましに支えられ、家族の大切さも身にしみました。みなさん、家内はどんどん元気になっています。昨日も娘の引っ越しを手伝いに丹波橋まで行ってきました。長い距離を歩けるようになりました。あとは、右手と右目の回復を待つばかりです。

第2位 加藤家住宅の修復工事進む
 加藤家住宅が「登録有形文化財」の官報告示をうけた。鳥取市で3件め。前期のプロジェクト研究では、「床下にもぐる女たち」が大活躍。多くの伏図等を完成させ、修復と構造補強の方針が固まった。後期からは修復工事に着工。居住者O君が、工事記録を「倭文日誌」に連載中。11月16~18日には修復工事現場を公開し、100人前後の見学者が来場した。いま調査から修復に至る過程をO君が必死で卒論にまとめている。

第3位 青谷上寺地遺跡建築部材による「楼観」報道
 青谷上寺地遺跡で出土した7000点におよぶ建築部材のなかに、長さ724㎝の柱材が含まれていた。部材データベースをネットに載せる作業を進めるなかで、保存処理のため5つに分断されていた材が1本であることが判明し、直交する二つの貫穴から四面開放の「楼観」(物見櫓)に復元できる可能性が高まった。研究室は復元図のCGに挑戦!11月11日の朝刊では朝日、毎日、産経、読売の大手4紙すべてが1面にこの記事と復元図を掲載した。地元の新聞も、大きく記者発表の内容をとりあげた。1週間後の11月18日には、この発見を記念する特別講演もおこなった。いま、その講演のテープ起こし原稿の作業を急がされている。

第4位 ベトナム・ハロン湾水上集落の調査
 環境大学の某助教授、3年生のチャック、2年生のMr.エアポートとともにベトナムの調査に旅だった(9月)。世界自然遺産ハロン湾に散在する水上集落の調査をすすめ、その成果をいまチャックとケンボーらが環境デザイン演習4としてまとめつつある。タイトルは「越南浮游」。それはブログのタイトルでもあった。今後、文化的景観の問題と絡めながら水上集落論を発展させたいと思っている。

第5位 ワールドカップの予想大当たり!
 ドイツW杯2006で日本は惨敗。「1次リーグF組はブラジルとオーストラリア決勝トーナメント進出」(2005年12月11日)、「日本は1次リーグで1分2敗の勝点1」(2006年5月16日)などブログに記した予想がどんぴしゃで当たり続けた。「優勝はイタリア」(2006年6月4日)の予想もずばり的中。わたし自身は直感でもなんでもなく、論理的分析の帰結だと自負している。W杯中に始まった「のびたインタビュー -ヴェルトマイスターシャフト2006」にはアクセスが集まり、中国の留学生から激励のコメント、奈良の人妻からはおかしな質問を頂戴した。それにしても、ジダンの最後は見事だった。プレーの格が全然違う。それに、マテラッツィに頭突きをくらわしてどこが悪いんだ。最高のフィナーレじゃないか。MVPの受賞は当然です!

第6位 夏休みに尾崎家住宅と倉吉看板建築の調査
 蒸し暑い夏に4年女子が尾崎家と倉吉の調査をひっぱった。3期生は調査に慣れていないので心配していたが、「北からきたの」さんやモリさん&アッコちゃんを中心に調査は順調に進んでいった。調査はおもしろい。どんな調査にも必ず新しい発見がある。「看板建築の裏側」なんか、その典型的な例と言える。あれで、思考が反転してしまった。倉吉アーケード街のジェラード、尾崎家でいただいた真っ赤なスイカが忘れられませんね。倉吉との往復路でみる日本海の景色も素晴らしかった。わたしは夏の日本海が大好きなんです。今、倉吉と尾崎家は臨戦態勢。卒業研究の〆切まであと一月。4年女子、がんばれ!

第7位 2期生卒業!
 デザイン学科で最大勢力を誇っていたASALABの2期生が卒業した。キムが主席、社長が卒業制作最優秀賞、ピエールが卒業論文最優秀賞の3冠を達成し、正直、卒業式でわたしの鼻は高かった。1期生の雪辱を君たちは果たしてくれました。ほかにも利蔵、西河(♂♀)、Y.ジーコ、ノビタと愉快な連中がそろい、1年半の間ずっと助けられてきた。これだけのメンバーを失って一時はどうなることかと不安だったけれども、大学院に残ったホカノをかよわい番頭にして、なんとか研究室はもっている。残念だったのは、延期になってしまった「吉田を囲む会」。いつやろうかな、と思案にくれている。みんな集まってくれよ!

第8位 岡村・タクオ・ヤンマーとの再会
 一方、1期生とも再会を果たした。タクオとは3回会ったかな。わざわざ倉吉の講演会(伝建フェア)にかけつけてくれた。岡村とは2回か。一度は西大寺のエリントンで飲んだ。ヤンマーはタクオと一緒に高の原までやってきた。卒業後はじめての面会。学生時代のにこやかな笑顔を失っていない。この3人は職人指向で損をしている。あれだけの能力があれば、もっと給料の高いところで働けるだろうに、さてこれからどうするつもりなのか。遠くから見守らせていただきましょう。

第9位 田和山・山田上ノ台・御所野の復元建物竣工
 5年間指導してきた松江市の田和山遺跡(弥生中期)の復元建物がとうとう最終年度を迎えた。今年は大型円形竪穴住居の復元建設を進めていた。わたしのスパルタに耐えてきたF君が年度なかばで別の部局に異動したのには驚いたが、あとをうけた係長が見事に重責を果たしてくれた。わたしは家内の入院もあって、途中から現地指導に行けなくなったが、田和山から送られてくる写真は、ほとんど毎回ブログに掲載した。こうすることで、工事の進捗状況を自覚できる。このほか仙台の山田上ノ台遺跡(縄文中期)も3棟の土屋根住居が竣工。住宅街のなかの素敵な史跡公園「仙台市 縄文の森広場」として生まれ変わった。最も付き合いの長い御所野遺跡(岩手、縄文中期)でも、2棟の掘立柱建物が竣工した。良かった!

第10位 原稿執筆遅れ気味 -ブログの弊害
 わたしは原稿執筆のスピードが速いことでだけが取柄で、内容はともかく、バカスカ書き散らかしてきた男である。ところが、最近、〆切が守れない。歳を重ねて、「執筆」という行為に慎重さが生まれてきたことによるのかもしれないが、なによりこのブログが弊害になっている。これはあきらかです。わたしはブログに情熱を注いでいる。こういうエッセイ風の雑文書きこそが、わたしの持って生まれた天分であり、ほんとうに楽しくて仕方ない。わたしはいつもブログのネタをさがし、何日か先までブログの内容を日々構想している。それに引き替え、学術論文系の執筆はしんどいし、ときに退屈なこともある。研究と教育で給料をもらっている人間なのだから、もちろん学術系の原稿執筆に情熱を燃やさなければならないのだけれど、それがブログに負けているところに大きな問題がある。なかなか深刻だ。このことを本人はちゃんと悟っている。悟っているからこそ、依頼された原稿をブログと重ならせて処理しようと企んできたのでのである。「東亜都城建築史草稿」「縄文建築論」などのシリーズが、その代表例である。こういうやり方でいいのだろうか。否、よくない! 今日も、これから一つ仕事を片づけなければならない。こんなに長いブログを書いている場合じゃないんだよ、ったく。




  1. 2006/12/31(日) 00:30:41|
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誕生日イブ

 40代最後の一日を過ごしている。
 じつは、今年は「大殺界」のどまん中の一年で、早く過ぎれば良いと思いつつ、過ぎてしまえば50歳かと思うと、なんだか辛くてヤな年だったな。
 ほんとうは澳門にも行くべきではなかった、と後悔している。家内が大病を患い、5週間の入院を経てようやく退院した10日後の出国なんだから、いくら短期間の出張だとは言っても、今回は控えるべきではないかと自ら逡巡していた。その重いお尻を前に押してくれたのは、ほかならぬ旅行社であった。日本でいちばん大きな旅行社である。

 キャンセル料が高い。

 澳門ツアーに予約を入れて手付け金を払いこんだのが10月下旬。はじめは、いつも使っている大阪の旅行社を通じてN社のツアーを予約していたのだが、そのツアーだと香港の滞在が長くて澳門には1日半しか居られないことがわかり、澳門専住のK社ツアーに切り替えたところ、その半月後に家内が倒れてしまった。
 キャンセル料が高いのである。たぶん馴染みの旅行社のままにしておいたら、ずいぶん融通が利いたはずなんだが、日本でいちばん大きなその旅行社は、いくら理由を説明しても、多額のキャンセル料を示して譲らなかった。
  「血も涙もない対応ですね、貴社の体質がよく分かります。」
という、きつい返信メールを打ちながら、そのキャンセル料がもったいない、という意識はどうしても消えない。だから、無理をして澳門に行ってしまった。

 で、罰があたっている。昨夜、関空で携帯電話を紛失してしまった。
 キャセイ航空のフライトが関空に着陸したのが20:49。荷棚からリュックサックをおろして背負い、リュックのベルトについているメッシュの携帯専用ケースから携帯電話を出して電源を入れ、ケースに戻した。ここまでははっきり覚えている。荷棚にはなにも残っていないことを確認した。飛行機を降りて、タラップから長い通路を歩き、シャトルに乗って移動し、再び歩いて入国検査を受け、ラゲッジ受け取り場に行った。なんと一番にわたしのスーツケースが出てきた。珍しいことである。スーツケースの重さは27kg。さっそくカートに載せ、同時にポルトガルワインで重くなっているリュックサックもカートに載せた。そして、税関を難なく経由して出国。奈良行きのリムジンバスはもうないことを確認してトイレに入り、カートからスーツケースとリュックをおろして、中央のエスカレーターで2階にあがった。
 そこで、「そうそう家に電話しなきゃ」と思って、リュックのベルトについた小さなメッシュのケースに手をやったところ、携帯電話がない。どのポケットにも、どのバッグにも入っていない。急ぎ税関まで戻り、事情を説明すると、ただちにキャセイに連絡をとってくれたのだが、「機内ではみつからない」という。税関の担当者に電話番号を教えると、コールしてくれた。間違いなく、わたしの携帯は反応している。しかし、どこに落ちているのかわからない。
 仕方がないので、2階の交番まで行って遺失物届けを出し、その隣のインフォメーション・カウンターでも同様の手続きをした。

 一夜あけて、まず自らキャセイに電話したが、やはり飛行機の中に携帯はみつからない、との返答。その飛行機は10:00に香港に向けて飛び立った。そこで、自分の携帯番号に電話してみたら、まだ呼び出し音が鳴っている。これで、携帯は飛行機の中にないことがあきらかになった。この情報を税関に伝えた。
  「いちばん匂うのは、カート置き場のあたりなんですが・・・」
しかし、未だに「みつかった」という知らせは届いていない。

 じつはじつは、昨夜は眼鏡まで壊されてしまった。帰宅してブログのアップに没頭していたところ、次女が「あっ」という声を出した。彼女のお尻が、ソファにおいていた眼鏡をぐにゃりと潰して、フレームからレンズが飛び出してしまったのである。
  「ごめん・・・」
と彼女は言った。
 その次女は、母の面倒をみるため、わたしの出国中に丹波橋のアパートを引き払っていたはずなんだが、ここ数日風邪でダウンしていたとのことで、その引っ越しは今日にずれこんだ。目覚めたらだれもいない。女房も息子も朝から丹波橋に行ってしまった。長女は大阪事務所の助っ人最終日だと言って仕事にでかけたらしい。車は鳥取においてきたので、どこかに出かける手段もない。
 わたしは一人で、ご飯を炊き、みそ汁を作り、珈琲を入れた。
 なんたる12月30日であろう。
 これが、わたしの誕生日イブです・・・とほほ。


  1. 2006/12/30(土) 16:42:32|
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聖誕澳門(Ⅴ)

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 今日はフリーツアーの被害にあっている。帰国便は、香港国際空港を夕方4時半にたつフライトなので、優に半日はマカオに滞在できると思っていたのだが、旅行社は早朝7時45分の出発時間を指示してきた。初日にこの指示があったので、その直後からスケジュール変更を要求していたのだけれども覆らなかった。なにぶんマカオ在住のJ社ガイドは2名だけ。この2名だけで恐るべき数の旅行者を送迎しているから、フライトやスケジュールがどうであろうと、この日にマカオを離れる旅客を一括してフェリーに乗せるしかないらしい。それに、香港ではJ社が契約した免税品店が山ほどある。そこにできるだけ多くの客を連れていって、買い物をさせなければならないようだ。
 というわけで、今日は午前から柄にもない免税品店を歩きまわった。シャネル、グッチ、ブルガリ、アルマーニ等々、わたしにはまったく縁のない店が軒を連ねていて、何を買ったら喜ばれるのかさっぱりわからないのだけれど、それでもなんとか気をとりなおし、土産にどうかと値札をみると、桁違いのプライスにサプライズ・・・

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 昼食後、出発の3時間以上も前に国際空港に到着してしまい、チェックインはしたものの、フライトのゲートさえブランクになったまま。仕方がないので、「福茗堂茶寮」にしけこんだ。1年半前とまったく同じ台湾のウーロン茶「凍頂」と餃子を注文し、こうしてブログを書いている。前回、餃子にまぶした黄金色の薬味がなんだかわからかったのだが、メニューをよくみると「桂花餃子」と書いてある。ウェイトレスに訊ねて、薬味が「桂花」であることを確認した。そのウェイトレスは、缶入りの桂花粉末をテーブルまでもってきて見せてくれた。桂花とはモクセイ(木犀)のことである。中国では、モクセイの花を乾燥させ、香料として食料・飲料に混ぜる。いちばんよく知られているのは「桂花陳酒」か・・・(そう言えば、松江の「木星」は伊勢宮から東本町に引っ越したらしい)。
 1年半前と同様、茶と餃子の味に舌が驚いている。マカオの湯麺がマカオの文化そのものを映し出す大衆の美味であるとすれば、こちらの茶と餃子は選び抜かれた文明の味。敢えて喩えるならば、前者が大阪、後者が京都かな。
 空港の中には、複数のワイアレス・ネットワークが電磁波をとばしていて、そのうちの二つに接続できた。しかし、サイトは開かないし、メールも読めない。やはり台湾大地震の影響なのだろうか。できれば、余った時間を利用して、5日分のブログを一気にアップしたいと思ったのだが、うまくいかない。奈良に戻ってからの仕事になってしまった。
 あと1時間で、帰国便が離陸する。(完)


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【追記】 今回の訪澳は、「マカオのなかの中国」をフォーカスすると前置きしながら、結局、媽閣廟と係わる「阿媽(アマ)」の問題に終始してしまった。「関帝」(↓)やら「天官賜福」「門口土地財神」(↑)など漢民族の文化についても、もう少し触れてみたかったのだが、時間が足らなかった。なにより、わたしの頭が「漢族」よりも「アマ(海人)」に振れてしまっている。それにしても、潜水漁労にいそしむ海民の呼称や習俗が中国東南海沿岸と日本列島沿岸域とで共通する点に注目しないわけにはいかない。この問題をハロン湾の水上居民とも結びつけていけるのかどうか、非常に気になっている。

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 ところで、この連載のタイトルにした「聖誕澳門」だが、いろいろな含みをもたせている。まず「聖誕」とはクリスマスのこと。出発の日がクリスマスであり、帰国の日まで町中の飾り付けは変わらなかった。だから、「メリークリスマス! マカオ」というタイトルだと思っていただいて構わない。澳門の北京語読みはアオメンだから、キリスト教の「アーメン」とも音声がよく似ている。
 一方、今回の連載の芯になっているのは、マカオの起源としての海人信仰拠点論である。だから「聖誕澳門」を「マカオの聖なる生誕」と読みかえることもできる。
 台湾で発生した大地震の影響もあり、ネット上でのアップが遅れてしまったが、以下のサイトを通しでご覧いただければ幸いである。

   聖誕澳門(Ⅰ)
   聖誕澳門(Ⅱ)
   聖誕澳門(Ⅲ)
   聖誕澳門(Ⅳ)
   聖誕澳門(Ⅴ)
  
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  1. 2006/12/29(金) 16:33:52|
  2. 食文化|
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聖誕澳門(Ⅳ)

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 もう一つの世界遺産たる中国住宅「鄭家大屋」のことが、どうしても気になったので、朝いちばんで出向いてみた。やはり鄭家屋敷は修復中で公開されていない。外観は廬家よりも中国的にみえたが、昨日入手した林発欽(主編)『澳門歴史建築的故事』(澳門培道中学歴史学会、2005年7月)によると、アールデコなどの洋風近代意匠の影響を受けているという。この住宅は、中国近代の著名な思想家・鄭観応[1842-1922]の生家としてよく知られている。建築年代は1881年前後。施主は鄭観応の父親である。
 屋敷のなかに入れないので、対面にたつ小さな蕎麦屋に入って朝食をとった(↓)。マカオで「食」に失敗することはほとんどない。この大衆食堂の湯麺もとてもおいしい。味の系列からいうと、タイのスープ麺とよく似ている。ベトナムでいうフォー(米粉)麺もある。たぶん魚醤か蝦醤が汁の下味として効いているのだろう。

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 鄭家屋敷から西にむかって道なりに歩いていくと媽閣廟に出る。今日は廟ではなく、近くにある海事博物館を訪れた。船と航海に係わる総合的な展示をそこで体験できる。媽閣廟の初期の姿も模型展示されていた(↑)。ここでまた、文献をいくつか仕入れた。なかでも『澳門的起源』(澳門海事博物館、1997年12月)というタイトルの冊子にはドキリとさせられた。アメリカ人のロバート・ユーサイリスが1958年にシカゴ大学に提出した修士論文(社会科学院歴史系)の訳書である。ユーサイリスは、欧文・中文の史料を対比させながら、ポルトガル植民地としてのマカオの起源を論じている。残念ながら、マカオの語源には興味を抱いていないようだ。
 さて、海事博物館のミュージアム・ショップで鳥取弁に遭遇した。二人の男性が会話していて、その語気に強い鳥取弁のイントネーションを感じ取れたのだが、岡山や広島も似た抑揚があるので、決めつけてはいけないと、さらに耳を澄まして会話に耳を傾けた。すると、「むらう」という動詞が男性の口から発せられた。因幡では、「もらう」を「むらう」と言う。「~だわいやぁ」「~けぇなぁ」も頻繁に口から出てくる。やはり、因幡人である可能性は高いであろう。あとで女性が一人加わった。3人の来澳の目的は、どうやらカジノらしい。

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↑聖フランシスコ・ザビエル教会 ↓「安徳魯餅店」のエッグタルト
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 自転車タクシーに乗っていちどホテルに帰り、しばらく休んでから、午後はコロアネ島に向かった。聖フランシスコ・ザビエル教会の近くには、漁民が集住する「船人街」がある。2001年2月の訪問で、この地域にスクウォッターとしての水上集落を発見した。どうやら、その水上家屋「魚欄」の数が減ってきている。かつては船上生活者の不法占拠地として住居の役割をもったはずの水上家屋は、いまでは住居としてよりも干魚・蝦醤・オイスターソースなどを売る店舗としての機能が強化され始めており、街路対面の家屋に居住機能を移しつつあるようで、一部の水上家屋は撤去されていた。その水上家屋の基礎だけを展示する場所もある。
 教会と船人街の中間あたりには、マカオが世界に誇る「安徳魯餅店」というべーカーリーがある。この店のエッグタルトのうまさは尋常ではない。とくに焼きたてのタルトの味は凄い。クロワッサンをはじめとするパンやデザート類の質も高い。小さな民家を売店にしているが、次々と車が門前に停車し、エッグタルトや他の品々を買い求めては去っていく。対面の広場で、タルトを頬張る客も後を絶たない。最近、近くにカフェを併設し、エスプッレッソが飲めるようになっている。
 繰り返すけれども、マカオで「食」に失敗することはない。食べ過ぎ、要注意だ。

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↑船人街の水上高床住居(魚欄)集中区。↓遺跡化した魚欄の基礎
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 *連載「聖誕澳門」は以下のサイトでご覧いただけます。
   聖誕澳門(Ⅰ)
   聖誕澳門(Ⅱ)
   聖誕澳門(Ⅲ)
   聖誕澳門(Ⅳ)
   聖誕澳門(Ⅴ)




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  1. 2006/12/28(木) 23:59:58|
  2. 文化史・民族学|
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尾崎家住宅の報告書に向けて(Ⅱ)

本日、尾崎家報告書に向けて活動中の4名が集合しました。今回は景観復原において今までブツマの当初位置についていろいろと悩んできましたが、古写真や庭の石などの痕跡移築前の資料などから配置を決定し、これですべての建造物の配置が決定したことになります。その他に国指定名勝「松甫園」のどの部分をCG化するかなど、決まったことをお互いに報告しました。またブツマの復原平面が決まり、断面のエスキースを描いてCG化に向けての確認作業をおこないました。そして、各戸解説用のフォーマットがとりあえず出来上がり、今後ここに文章を当てはめていきます。(やっちゃん1号、北からキタノ、ハル、戸的)

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  1. 2006/12/28(木) 21:12:52|
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聖誕澳門(Ⅲ)

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↑↓廬家大屋の大庁
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 今朝はセナド広場の「黄枝記」で、竹升麺(竹で麺打ちする極細麺)と皮蛋粥を食べた。1946年創業の有名な飲茶系レストランである。おいしい。あっさりしている。
 それから近くにある廬家屋敷(廬家大屋)を訪ねた。マカオに残る数少ない中国式大邸宅として世界遺産に登録されている。清末、光緒十五年(1898)の建築。中国の大富豪にして銀行家、マカオの「カジノ王」とも呼ばれた廬華紹(廬九)の旧宅である。南方中国に特有な「天井」(テンセイ=小さな中庭)をもつ2階建ての住宅。ステンドグラスをはじめ、ポルトガル風の装飾が散りばめられ、清末中国の過剰装飾を抑制して、えもいわれぬ微妙な中葡折衷の意匠を生み出している。
 1970年代には、20もの家族が住む集合住宅と化し、邸宅の傷みが激しくなっていたが、2002年から修復作業がおこなわれ、いまは無料公開している。マカオにはもう一つ鄭家屋敷(鄭家大屋)という世界遺産もあるのだが、こちらは修復中とのことで公開していないらしい。概説書にそう書いてあり、タクシーの運転手にもそう言われた。行けなくて残念だった。
 セナド広場の周辺には、ありあまるほどのレストランとカフェが軒を連ねているが、今日もまたスターバックスに入ってしまった。それは、小さな店にトイレがないから。ただ、それだけの理由で、わたしは数あるカフェの中からスタバを選択せざるをえなかった。そして、またしてもラッテを注文した。

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↑↓廬家大屋の天井(てんせい)と窓
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 休憩後、本屋に移動して何冊か専門書を買った。最後にみつけたのは『RC』という雑誌。正式な雑誌名と刊行者は以下のとおり。
  ・『文化雑誌』中文版第51期【2004年夏季刊】、澳門文化局出版
 ここにやっかいな論文をみつけてしまった。
  ・施 存龍「澳門的西方地名Macau、Macao由来考辯」
 論文名を日本語に訳すと、「西欧における澳門の地名Macau、Macaoの由来に関する考証批判」とでもなるだろうか。昨日のブログに書いた「マカオの語源」に関する最新の論文であり、わたしが紹介した「通説」にも強い疑問を投げかけている。ただし、本論は雑誌のなかの「討論」というコーナーに含まれていて、考証の結論を示す論文というよりも、むしろ諸説を批判する「論評」に分類されるだろう。まずは、著者自身がまとめた「要約文」の要約を示しておこう。

 <16世紀に中国にやってきたポルトガル人は、広東省香山県の浪白澳から同県の蠔鏡澳に移入していった。ここに漁港から商港への変化が始まる。わずかに遅れる明代の文献には「澳門」という地名も記される。ところが、定住したポルトガル人は蠔鏡澳とか澳門の音訳や意訳を地名とせず、Amacao、Macao、あるいはそれに類する言葉でこの地を呼んだ。この問題については、17世紀に西洋人が著した文献に異なる解釈がみられる。20世紀になってから、国内外の学者がこの地名の由来についてまちまちに議論してきたが、結論はでていない。マカオの中国返還を契機にマカオ史の研究気運が高まるなか、国内外の研究者は専門的な論文を書いたり、総論的な単行本の一部として発表してきた。わたしは『中国水運史研究』のなかで「澳門港のさまざまな地名の由来」という論文を発表した。あれから十年、中国とポルトガルの関係史を研究し続け、新たな認識を抱くに至った。自らの論文を振り返るに不満を覚える。論証は不十分で、論証したつもりのいくつかの観点は不正確であり、自分の学術責任を充実・修正する必要がある。一方、譚世宝などに代表される国内外の学者が最近発表した論考にも若干の疑問を覚えており、ここですっきりとした討論をしておくべきだろう。これは自己批判を含む考辨(考察と真偽の弁別)である。本文は以下の内容を含んでいる。

  1)西洋人が作成した初期の地図に左右されるな!
  2)1553-1555年のポルトガル語Macaoはすでに澳門半島を示している。
  3)フランス人漢学者の論点に対するコメント
  4)「泊口」語源説は誤りに誤りを加えたもの
  5)「馬角」語源説は証拠を欠いている。
  6)「岩石名・動植物名」語源説はありえない。
  7)「濠江」語源説はありえない。
  8)廟名「媽祖閣」・地名「媽閣」もまた語源ではない。
  9)「娘媽角」「阿媽角」「媽角」の神(「祇」)は事実に接近する。
  10)「阿媽神の港」語源説はありえるが、「阿媽賊」語源説はありえない。>

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 著者の施存龍が言いたいのは、おそらく次のことであろう。16世紀にポルトガル人が澳門に入植してきたとき、その半島の一部にAma(阿媽[=海人/海女])たちの神祠が存在した。その神祠のある場所は「阿媽角」と呼ばれていた。「阿媽角」は「媽角」と略称されることもあった。この「阿媽角」「媽角」の広東語音声を、ポルトガル人がAmacao(Amakau)、Macao(Makau)等と表記し、半島の地名にあてるようになった。なお、16世紀のポルトガル人はこの「角」をPort(港)と訳しているが、そこに漁港が存在したのであろうか。私見を挟むならば、「角」は日本でいう「崎」にあたる地形概念ではないだろうか(日本の漁民はしばしば「崎」に類する地形を「鼻」と言い表す)。この見方が正しいならば、「阿媽角」は「あまがさき」と訓読できる。
 一方、音声に目をむけると、「角」は北京語でジャオだが、広東語ではコであり、阿媽角は「アマコ」、媽角は「マコ」と発音されていたはずである。したがって、媽角(マコ)が「マカオ」の語源である可能性を否定できないであろう。ところで、「媽閣廟」の「媽閣」も広東語では「マコ」と発音される。「閣」と「角」の音声は、広東語ではコ(日本語ではカク)で相通じ、両者は同音異義の言葉である。そして、歴史的にみると、地形をさす「角」から、建築をさす「閣」に変わっている。これはアマの神を祭る神祠の形態変化を示すものではないだろうか。すなわち、急峻な「崎」の波打ち際に存在した素朴な神祠から、複数の殿舎によって構成される寺廟的外観への変化である。昨日、通説として紹介したのは8)だが、「媽閣」が「媽角」の転訛とみればほとんど同じ理解になる。
 長い論評で読むのに疲れた。というか、読み切れていない。ただ一つ思ったのは、江戸時代の日本人がマカオを「天川(あまかわ)」と読んでいた事実の重要性である。

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 さてさて、ネット代も高いので、今日から2日間だけ接続しようと思っていたのだけれども、台湾で大地震が発生し、部屋でのネット接続は不可能と宣告された。4階のひろい部屋から13階の狭い部屋にわざわざ引っ越してきたのに、このありさまだ。「ビジネス・センターではプロバイダーが違うので接続できます。ただでサービスしますよ」と説得され、センターにパソコンを持ち込んだのだが、接続は不安定極まりなく、ブログへのアップは何度も失敗した。それでも、なんとか25日分と26日分の文章だけアップできた。もっとも、文章は校正以前の段階だから、帰国後ただちに差し替えなければならない。

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ベトナムの寺廟ではどこにでもある、と言われた樹木を媽閣廟でも発見した。


 *連載「聖誕澳門」は以下のサイトでご覧いただけます。
   聖誕澳門(Ⅰ)
   聖誕澳門(Ⅱ)
   聖誕澳門(Ⅲ)
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  1. 2006/12/27(水) 23:35:11|
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雪の夜(Ⅶ)

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それから二日間はまた天気が崩れ、分厚い雪雲が空を隠していた。メアリはヴィオレットの為に春や夏の花を描きながら憂鬱に過ごしていたが、早くヴィオレットに会いたくて何度も窓の外を眺めた。三日目にようやく雪がやんで歪んだ檸檬形の月が姿を現すと、メアリは待切れずに夜も更けぬうちから鏡を窓際においた。夕食をさっさとすませると大急ぎで準備を始める。追い立てずとも風呂にはいり、自ら湯たんぽをつくる娘の姿を不思議そうに母親が見守っていた。
さて、準備もすっかり整い、部屋に戻って来たメアリは湯たんぽを抱えベッドに潜り込んだ。ベッドの横では銀の手かがみが光っている。この前の調子では待人がくるまでにはまだ大分時間があるだろう。メアリはベッドサイドのランプに灯を点して本を読みはじめた。
挿し絵のたっぷり入った分厚い童話集は学校の図書館で借りたもので、遠い国のお姫さまや不思議な生き物が出てくる話である。時間潰しの為に読みはじめたメアリだが知らず知らず話に引き込まれていて、今日は深夜の来訪者に気付くのが遅れてしまった。コツ、コツ、と軽くガラスが叩かれる音が聞こえて、メアリがはっと顔を上げる。
いそいで窓を開けるとヴィオレットが再びノックしようと右腕を挙げた所だった。
「今晩は、メアリ。」
「今晩は、ヴィオレット。」
そういえばいつでもヴィオレットから挨拶をしてくれる、そう思いながらメアリは手早く上着とマフラーを身につける。
「二日間天気が悪かったねえ。元気にしていたかい?」
勿論、と答えるメアリをみてヴィオレットはそれは良かった、と笑った。早速メアリはスケッチブックを取り出して花の説明を始める。
「これはねえ、ヒナゲシの花。春になるとそこら中でひらひらしてるの。とても可愛いのよ。」
「こっちはスイセン。黄色くてちょっとラッパに似てる。」
「アネモネ。これも色んな色が有るわ。死んだ人に贈る花輪はこの花で造るのよ。」
スケッチブックを一枚一枚丁寧に捲りながら、ヴィオレットは興味津々でメアリの話しを聞いた。アネモネはやはり白いまま残されていた。メアリが聞くとヴィオレットは迷いながらもやはりまた赤を選ぶ。
「ヴィオレットは赤が好きなの?」
「赤は好きだけどね。アネモネといえば赤かなあと思って。」
メアリは不思議な顔をした。アネモネは白、黄、紫、桃色、様々な色がある筈だ。
「ああ、知らないかな。僕は花には詳しく無いけどたくさんの国をまわるから、色んな国に伝わる話は結構しってるんだ。アネモネにまつわる話は多くて、其の中の一つにこの花は血から生えたと言う話が有るんだよ。」
それで赤色を選んだんだ、とヴィオレットは説明してくれた。アネモネは可愛い花なのに血から生えたなんて意外だった。メアリは少し驚く。
「美しい少女が姿を変えた花だという話しもあるけどね。人のこころを捕らえる花だからこそ色んな話がつくられるんだろうね。」
そうね、私もアネモネは大好き、と言うと、少年はにっこり笑った。

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次にヴィオレットに会ったのは、ちょうど月が半分になった夜だった。
今日の花はクロッカスだ。クロッカスは花も可愛いけれど、あの小さな球根がなんだか愛おしい。
「ね、雪の花って何?」
ああ、といってヴィオレットがポケットから取り出したものは、小びんだった。小びんのなかに砂の様なものが入っている…いや、それは雪の結晶だった。たくさんの小さな雪の結晶が小びんのなかで互いにくっついてしまう事無く砂のようにさらさらと音をたてていた。
「これは凍りガラスでビンを作ってあって、中の温度が常に氷点下なんだ。よりぬかれた美しい結晶をあつめてビンの中に閉じ込める。」
この作業は雪が降ってる日しか出来ないからね、たいてい月の無い日に作るんだ、といってまた例のレンズを取り出す。
「これでひと粒ひと粒結晶の形をチェックして作るんだよ、凍りガラスはこの凍りレンズを掘る時にとれるもので凍りレンズの周りの氷はたいてい凍りガラスになってる。」
聞かれる前にいっとく、とヴィオレットは笑った。ヴィオレットに渡された小びんはひやりと冷たく手の先の熱を奪う。結晶が月の光でチカチカと瞬いた。
「ヴィオレットは曇りの日は何をしているの?」
「別にいつもと変わらないよ。夜になると外にでる。何か素敵なものを探す。ただメアリに会わないだけだね。」
その答えは意外だった。クロッカスをぬっていた手をとめてヴィオレットの顔を見る。
じゃあ、どうして月の有る日しか会えないんだろう。メアリは不思議に思った。翌日がちょうど曇りだったので試しに鏡を窓際に置いてみる。しかし、その日は何時になってもヴィオレットがあらわれる事は無かった。 (続)-KA-


 *童話『雪の夜』 好評連載中!
   「雪の夜」(Ⅰ)
   「雪の夜」(Ⅱ)
   「雪の夜」(Ⅲ)
   「雪の夜」(Ⅳ)
   「雪の夜」(Ⅴ)
   「雪の夜」(Ⅵ)
   「雪の夜」(Ⅶ)
   「雪の夜」(Ⅷ)






  1. 2006/12/27(水) 00:15:03|
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聖誕澳門(Ⅱ)

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↑聖ポール教会跡 ↓セナド広場
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 マカオ(Makau)は中国語で「澳門」と書く。その音声は北京語ではアオメン、広東語ではオウムンであり、いずれも「マカオ」に結びつかない。通説に従うならば、マカオの語源は「媽閣」(マーコ)であろうという。マカオ半島西南隅の岬に「媽閣山」がそびえ、その西麓に「媽閣廟」が境内を構える。埋め立て地のないころ、廟は波打ち際の山裾に位置していた。媽閣廟の主祭神は「媽祖」(マーソ)である。媽祖は阿媽(アーマー)とも呼ばれる。媽祖=阿媽は福建・広東周辺の漁民に信仰される「海の神様」。媽(マー)がオンナヘンの漢字であることから、日本でいう「海女」(アマ)に近い概念であろうことは容易に想像される。ならば、「媽祖」は海女の祖先と推定してよいであろう。
 マカオは古くは「阿媽港」とも記され、長崎などの日本人はこれを「天川」(アマカワ)と呼んでいた。「阿媽」(アマ)=天(アマ)=海女(アマ)という図式がここで成立する。どうして、こういう漢字の違いが発生したのか、というと、それは一つに日本で「媽」を「マ」と音読できないことによるであろう。日本語における「媽」の音声は「モ」もしくは「ボ」である。だから、媽閣はモカク(ボカク)、阿媽はアモ(アボ)と読まなければ間違いということになる。ちなみに注意したいのは、中国音の「マ」、日本音の「モ」「ボ」はいずれも「母」の含意があり、漢字としての「媽」は「姆」に通じる。

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↑媽閣廟の石牌坊 ↓弘仁殿の天后元君
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 マカオ半島の西南隅には、かつて海人たちが拠点とした媽閣(マーコ)と呼ばれるエリアが存在した。かれらは明朝初期(14世紀後半)に福建からこの地にやってきたと言われる。媽閣はかれらの居住域でもあり、媽祖をまつる祭祀域でもあったことだろう。それが、いまのような派手な寺廟的境内を構えるのは19世紀以降と言われる。媽閣廟は仏教や道教の要素を含む複合的な寺院構成をとる。正殿たる「天后廟」のほか、「正覚禅林」と「弘仁殿」には「天后元君」が祭られる。「天后元君」とは、海神(媽祖)の道教的な表現にほかならない。このほか、最上段に「観音閣」を設ける。「観音」はいうまでもなく仏教の観世音菩薩の略称だが、東南中国ではきわめて世俗的な民間信仰の対象であり、女性の化身ともみなされる。コロアネ島の聖フランシスコ・ザビエル教会では、聖母マリア像も「観音」として描かれている(↓)。

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 以上みたように、マカオとはどうやら「媽閣」の訛音であり、それは海人たちの拠点であって、かれらの祖先としての「媽祖」を共同で祭祀する領域を意味していたようだ。この文化のひろがりは広い。日本列島から東南中国・東南アジアの沿海にひろがる文化と言ってもおかしくない。だから、わたしたちが今夏調査したハロン湾の水上居民の信仰とも通じる。一方、海人はしばしば海賊に変身する。1513年、ジョルジェ・アルヴァレというポルトガル人が中国南部に上陸し、その後、「海賊の退治」に貢献して明朝より貿易が認められるようになり、マカオは貿易の中継基地としておおいに栄えた。ここにいう「海賊」こそが、マカオの先住民としての「媽閣」を含んだ海民たちであったのかもしれない。

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 今日のもうひとつの収穫は「石敢当」であった。これは2001年2月にはじめて来澳した際、しっかり確認していたものである。世界遺産として知られる聖ポール教会堂跡からセナド広場へ至る三叉路の屈折点に祭られる。詳しく記すと、大三巴街と賣草地街と高尾巷が交わる広場(ラルゴ)の端にその石敢当は祭られている。沖縄でみる石敢当よりも派手な小祠で、かつて福建・広東方面ではどんな町や村でもみることができたに違いない。通説では「魔除け」の装置であり、日本の「賽の神」と同様、隣接する領域の結節点=境界に設けられる。ただ、マカオでは、まだこの小路でしか石敢当を発見していない。

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  1. 2006/12/26(火) 23:13:56|
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尾崎家住宅の報告書にむけて(Ⅰ)

 現在、尾崎家住宅の報告書に向けてやっちゃん1号、北からキタノ、ハル、戸的の4名で活動しています。本日から大学は冬休みに入り、ひっそりとした構内でこれからの作業について話し合いをおこないました。現在まで尾崎家住宅の当初景観復原CG作成においてどの建物が当初からあったのかということを決定しきれずにいました。家傳書の中に「蔵数ヶ所」という表現で書かれているのですが、どの蔵が当初からのものであるかはっきりと分からず、今までに決まりつつあったそれらの蔵を本日は決定し、長屋門、旧味噌蔵・薪小屋、オモヤ、ブツマ、米蔵、南蔵、土蔵を景観復原CG作成の対象としました。また、敷地内にある国指定名勝「松甫園」の庭をCG化する際に参考となる庭の詳細な資料が見つかり、早速現状の植栽と照らし合わせながら、とりあえず規模の大きい樹種などの位置関係を確認しました。

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↑尾崎家住宅主屋普請期復原配置図


  1. 2006/12/26(火) 22:40:02|
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聖誕澳門(Ⅰ)

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 午前10時の飛行機で関西空港から出国しようとすると、早朝5時半には起床しなければならない。そして、6時半までに西大寺発の近鉄急行に乗らないと、出国2時間前までに関空に到着しない。海外渡航の場合、「2時間前」集合は常識であり、これを舐めてかかると、どえらいめにあう。列車やバスの遅れ、交通事故、出国手続き者の長蛇の列など、スケジュール進捗の障害たりえる要素はいくらでもころがっているからだ。わたし自身、自ら率いた西北雲南調査隊が1993年に「全員乗り遅れ」という悲惨な状況に陥った経験がある。「2時間前」をめざして行動すれば、大抵の障害はなんとかクリアできる。ボーディング時間に間に合うのである。
 それにしても早起きは辛い。実質の睡眠は2時間ばかり。長女に西大寺まで送ってもらい、予定どおりの時間に関空に着いた。年末の渡航はチケットが入手しづらく、たいてい旅行社のフリーツアーを使う。名目上の団体ツアーだから、関空に着いたら、まずは団体専用のカウンターに行く。そこで、航空券やバウチャーをうけとった。時間が余ったので本屋に入った。たまたま立ち読みし始めた文庫本がおもしろかったので買ってしまい、出国手続きをしてからも読み続けていた。飛行機が飛んでもまだしばらく読んでいたが、まもなく眠りに落ちた。

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 その文庫本は『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫、2004)。著者は、タレントの遙洋子である。元の単行本は2000年に出版され、じつに20万部を売ったという。売れる本はたしかにおもしろい。人に読ませるだけの筆致と巧みなストーリーをもっている。内容は、タイトルから知れるとおり、「フェミニズム」。タレントが東大でスパルタ式の社会学ゼミに参加してフェミニズムの本道を学ぶというお話。結局、1日で読破してしまった。それは、くりかえすけれども、おもしろい本だったからである。ただ、どうも後味がすっきりしない。気持ちよくない。今年読んで震えた『マオ』『オシムの言葉』の読後感とも違うし、環境保護団体を批判しつつたっぷりエンターテイメントを楽しめた『恐怖の存在』の読後感とも違う(あたりまえのことだが)。
 フェミニズムの本を読んで、読後感がすっきりしないのは、わたしが「男尊女卑」を無意識に支持する反フェミニストであることの証にほかならない、ということではないと思う。自分はフェミニズム支持でも反フェミニズムでもなく、ただそれに興味のなかった男である。フェミニストからみれば、「興味のない」こと自体がすでに反フェミニズムなのかもしれない。そうならば、そう批判されても仕方ない。ただ、わたしのほうからフェミニズムを批判しようという気はさらさらない。読後の微かな不快感は、たぶん遙洋子というタレントの「背伸び」と関係している。関西に住んで芸能活動をしながら、東大の上野ゼミに通う。年間100篇の文献を読み、発表しては叩かれまくり、遅刻しては叱られまくり。そういう欧米型スパルタ式ゼミに、遙というタレントは苦悶しながら付いていく。それ自体は素晴らしいことだ。しかし、付いていくのに必死になるあまり、柄にもなく、文献というか「言葉」を過信しすぎるようになっている。それに、高名な東京大学の名物教授を神格化しすぎているのではありませんかね。ゼミでの文献講読、とりわけ「発表」が文献の「批判」であることを強調しながら、なぜ上野の言説や著作をいっさい批判しないのか。そもそも、なぜ、そんなにケンカ(=議論)に勝ちたいのか。ケンカに勝つ手段として、上野の権威を利用したいだけなのか・・・

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 香港国際空港に着いたのは、中国時間の午後1時(日本時間の2時)。4時間のフライトであった。ほんとうによく眠った。機内食もろくに食べず、トイレにも行かず、熟睡したまま着陸の振動を体に感じた。空港からそのままフェリーに乗り換えることになっているが、待ち時間が1時間半もあったので、スターバックスに入ってラッテを飲んだら少し落ち着いた。今日はまだ25日のクリスマスだから、スタバもクリスマス一色。サンタの赤を基調とした飾り付けに目を奪われていたら、どこの航空会社か知らないが、スチュワーデスが入ってきて華やかさが増した。

  聖誕快楽(メリークリスマス)!

 午後3時半のフェリーで澳門(マカオ)に向かう。さすがにもう眠らなかった。遙洋子の文庫本を読んでいた。マカオのフェリーポートで入国手続きを済ませ、関空で預けたスーツケースを受け取った。街中のホテルに着いたら、もう夕方。
  「ネットがつながる部屋をお願いします」
と頼んだのに、4階の部屋に入っても接続できない。明日、別の部屋に引っ越すことにして、夕食にでかけた。今晩だけ、フリーツアー向けの夕食がついている。タイパ島にある「小飛象(ダンボ)」というマカオ料理&ポルトガル料理のレストランはとんでもない賑わいで、われわれには予約席があったからよいけれど、フロアは待ちの客であふれていた。イブに26万人の中国人が大陸からやってきたんだという。目的はもちろんカジノだ。

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 ダンボで5年10ヶ月ぶりにポルトガル・ワインに対面した。白のハーフボトル。微炭酸なのか、シャンパンのような刺激をもつ白ワインであった。安いけれど、おいしい。上品な味。
 ホテルに戻って、街を少しだけ歩いた。近くにあった「葡京手信鋪」という雑貨屋のような土産物店で、赤ワインとスナックを買った。店内の入口脇に関帝(グァンタイ)を祭っている。関帝とは、三国志の英雄「関羽」のことである。いきなり目的に出くわした。 わたしはポルトガル植民地としてのマカオよりも、ポルトガル植民地のなかの中国文化に興味がある。文化大革命で叩き潰された大陸の中国文化がマカオにはずっと生き続けてきた。マカオは、香港のような、恐ろしい都市化・国際化の波も経験していない。じつは、過疎と空洞化の進む小さな広東語圏の閉鎖域である。
 中国のマカオではなく、マカオの中国。それが今回のフォーカスになるはずだ。

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  1. 2006/12/25(月) 23:56:27|
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フロム・ディス・モーメント・オン

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 みなさん、メリー・クリスマス!
 気がついたら、サンタが街にやってくる夜になっているではありませんか。

 イブの日、長女が大車輪で働いた。夕食やケーキの準備だけでなく、ワゴンRにスタッドレスをつけたり、壊れたDVDレコーダーをミドリ電化にもっていったり。それにひきかえ、次女と息子はさっぱり動かない。部屋で寝てるだけ・・・正月あけに長女は東京に帰ってしまうのだけれど、大丈夫だろうかと、心配になってくる。
 ところで、昨年のクリスマスは何をしていたのだろうか、と思ってブログを確認してみたところ、イブの日は、
  「命をかけて峠を越えた。」
という大袈裟な書き出しになっている。
 昨年の12月は初旬から大雪で、冬休みになっても、その勢いが衰えなかった。あの日の志戸坂峠は冷凍庫のように凍てりついていて、ほんとうに命がけの峠越えだった。大雪のなか神経を尖らせるため、ストリート・スライダーズのロックンロールを大音量で鳴らしていたのだが、中国縦貫道にのって山崎をすぎるあたりから快晴になり、音楽もダイアナ・クラールの『クリスマス・ソングス』に変えた。で、その日のブログのタイトルを「クリスマス・ソングス」にしたのである。
 さきほどアマゾンで「ダイアナ・クラール」を検索してみた。今いちばん売れているCDは、今年も『クリスマス・ソングス』になっている。季節柄でしょうかね。
 先日のゼミ忘年会で、OBの西垣くんがプレゼントしてくれた『フロム・ディス・モーメント・オン』は『クリスマス・ソングス』に続くダイアナ・クラールの最新作。前作に引き続き、またしてもビッグバンド(ザ・クレイトン・ハミルトン・ジャズ・オーケストラ)との競演盤である。曲目にはずらっとスタンダードが並んでいる。ビッグバンドにスタンダード、なかなか古風な仕上がりだが、あいかわらずクラールのピアノ、そして良き相棒アンソニー・ウィルソンのギターが効いている。

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 ありがたかったのは、オマケのDVD。クラール最大のヒット曲「ルック・オブ・ラヴ」をはじめ3曲を納めている。恥ずかしながら、ダイアナ・クラールが唱っている映像をはじめてみた。それにしても、「ルック・オブ・ラヴ」にはまいる。何度聴いてもうっとりするだけ。音楽を聴いて心酔していても、映像をみたらがっくりするミュージシャンも少なくないが、クラールの場合、だいたい予想していたとおりの容姿と色香で、曲によく似合っている。『ルック・オブ・ラヴ』の「ルック・オブ・ラヴ」も良かったけれど、『ライヴ・イン・パリス』の「ルック・オブ・ラヴ」にもやられてしまった。前の曲が終わってイントロが始まると、・・・わたしはときめいてしまう。ちなみに、スウィフト車中の六連奏CDプレーヤは、だいたい2ヶ月単位でCDを少しずつ変えていくが、『ライヴ・イン・パリス』だけはずっと納まったまま(最近入れたのはトム・ウェイツの2枚のCD)。『ライヴ・イン・パリス』でのアンソニー・ウィルソンのギターはほんとに凄い。ああいうギターが弾けるようになれば、大学なんてやめちゃうよな。ありえないけど。
 ジャスコ大安寺店で再結成イーグルスの格安ライブ盤を発見したばかりに、CDとともに衝動買いしたmade in ChinaのCDラジカセ(3,890円)のおかげで、こうして奈良の自宅でもダイアナ・クラールが聴ける。結果、10月18日以降、奈良の自宅にたまったCDは、イーグルスとモンクとバド・パウエルとダイアナ・クラールの4枚・・・じつは、もう1枚『Walkabout MACAU』というCDがあって、昨日からときどき聞いていた。
 なぜかというと、本日25日よりマカオ(MACAU=澳門)に出張するからであります。不思議なことに、旅行社が送ってきた書類やバウチャーに上記のCDが含まれていた。最初は、てっきり旅行案内のDVDだと思っていた。しかし、DVDレコーダに入れても反応はなく、昨日ようやくCDであることに気がついた。例の中国産プレーヤーでまわしたところ、マンドリン主体のポルトガル民謡をバックに観光解説が始まった。映像のない観光解説である。荷物の整理中、しばらくその観光CDに耳を傾けていた。ひょっとしたら、刷り込みで少しは記憶に残るかもしれない、という淡い期待を抱いていたのだが、もちろん効果はない。ちなみに、CDの監修・発行は「マカオ観光局」となっている。
 さて、なぜマカオなのかというと、某助手が科研でポルトガル植民地の調査研究があたってしまい、わたくしもお相伴にあずかることになったからである。ちなみに、助手はポルトガル本土にわたって年を越すらしい。わたしは29日に帰国する。この時期、海外旅費はものすごく高い。与えられた予算で活動するのは5日が限度である。

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↑ご近所からいただいたシュトーレン(ドイツの伝統的なクリスマス・ケーキ)。シナモンが効いている!






  1. 2006/12/25(月) 00:00:41|
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雪の夜(Ⅵ)

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小さな石だが、まるで鉛の様にずっしりと重かった。少しの間手の上で石をリンリンリンリン泣かせていたが、また石を包みなおしてヴィオレットに返した。再び色鉛筆を動かすメアリをみながらヴィオレットは石を仕舞う。
「ドロップのようだろう?星屑はとても貴重で、それでいて欲しがる人が多いものなんだよ。」
「少しこないだの月の結晶と似てる」
ヴィオレットはその通り、と請け合った。
「やはりとても冷えた日に星の光が結晶した物なんだよ。月の光とは真逆でこれは月の光が無い日、つまり真冬の晴れた新月の日しか取る事ができない。他の日だと月の魔力が強すぎて駄目なんだ。月に隠れてこっそり凍った星の光は雪と一緒にきらきらと地上に降ってくるんだ。もうなんともうっとりしてしまう美しい光景だよ。」
紅色を黄色の鉛筆に取り替えながら、メアリは話を聞き続ける。
「しかもとても色々な事に使えるんだよ。例えば、これを使うと最高級の花火ができるし、万病にきく薬の原料にもなる。あと、水に溶かすと素晴らしい味の炭酸水が出来上がるよ。味も色も七色に変わるんだ。贅沢だけど上流階級のパーティーなんかで見かけるね。」
素敵ねえ、という声と共に今度は色鉛筆が緑色にとりかえられる。星屑の絵の具は高いけれど最高なんだ、君にあげられたらなあ…と残念そうな様子のヴィオレットにメアリは次の質問をする。
「じゃあ、凍りレンズは?」
その質問をきいたヴィオレットは、一昨日みただろう?と悪戯っぽく笑った。メアリがおかしな顔をしているのをみて少年が笑いながら取り出したのは鑑定に使うという折り畳み式のレンズだった。
「これに嵌めてあるのも凍りレンズだよ。触って御覧。」
レンズを渡されたメアリは指紋がつかぬ様気を付けながらレンズに触れた。
「冷たい!」
「そう、触ると冷たいんだ。氷だから。だから凍りレンズ。とっても良く見えるんだよ。冷たく厚く凍った澄んだ湖や池なんかを掘ると出てくる事が有るんだ。もう溶けなくなる程冷たく固く凍ってしまっていて落としたって割れやしない。これもめがねに使うからな
かなか人気があるんだよ。」
メアリがレンズでその手を拡大してみると、皺の一本一本まで気味が悪い程によく見えた。レンズに瞳を付けたまま顔をあげると視界に青色が広がる。目をはなしてみると、それはくりくりと光るヴィオレットの空色の目であることが分かった。
「よくみえるだろう?これに使われているのは透明度の高い良いレンズだからね。」
さて、話しをしていくうちにメアリのポピーはほとんど完成した。最後に黒の鉛筆でちょっちょっと仕上げをすると出来上がり、スケッチブックをヴィオレットに向けた。ヴィオレットは嬉しそうに出来上がった紅色のポピーを眺めた。お客が満足した事を確かめるとスケッチブックから紙を外し、くるくると丸めて紐で括る。次はまた違う花を描くわね。と、絵を渡すとヴィオレットは笑ってありがとう、と礼を言った。
「じゃあ、お休み、ヴィオレット」
と手を降るメアリにヴィオレットもお休み、と別れの挨拶をする。
「僕が帰ったら鏡はしまわなきゃだめだよ。」
ヴィオレットは外側から窓を閉めて、冷えて曇りの取れた窓の向こうから小さく手を降った。背を向けて歩いていく少年の後ろ姿を見つめていたメアリだったが、急に寒さを感じ、ぶる、と小さく震えた。急いで鏡を小箱に仕舞い、スケッチブックや色鉛筆と一緒に机に戻すとベッドに潜った。大分前に入れた湯たんぽを抱き締めるとまだじんわりと暖かい。
ちらりと目をやった窓の外にはやはりもう少年の姿は見えなかった。

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(続)-KA-



 *童話『雪の夜』 好評連載中!
   「雪の夜」(Ⅰ)
   「雪の夜」(Ⅱ)
   「雪の夜」(Ⅲ)
   「雪の夜」(Ⅳ)
   「雪の夜」(Ⅴ)
   「雪の夜」(Ⅵ)
   「雪の夜」(Ⅶ)


  1. 2006/12/24(日) 00:04:56|
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記者リポート2006 -加藤家住宅修復工事

 山陰中央新報、2006年12月23日付地域面の「記者リポート2006」という年末回顧の特集記事に、加藤家住宅の修復工事がとりあげられました。
 この記事を書かれたO記者は、先々週のプロ研の日に取材にいらっしゃいました。そうそう、あの「蟹汁」の日です。居住者のO君1号が動物性蛋白のアレルギーを抱えているので、ダンボール箱いっぱいのフルーツを差し入れしてくださいました。あの日の取材では、「古色塗り」のシーンとロフトでの床板張り作業の二つの写真を撮って帰られました。「掲載するのはどちらか一枚だな」とおっしゃっていましたが、今日の新聞をみると「古色塗り」のほうでした。鳥取県の一年を回顧する特集で加藤家の修復がクローズアップされたことは、ほんとうに嬉しく、光栄なことです。これを糧に来年度もさらに精進したいと思います。 (やっちゃん1号)

山陰中央新報061223記者リポート
↑山陰中央新報の記者リポート2006より(画像をクリックすると拡大されます)
 

  1. 2006/12/23(土) 23:55:07|
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東大のスターバックス

 昨日は、東京大学(本郷)の工学部1号館で会議があるので、午後4時開始の滑り込みをめざして鳥取空港発13:45のANA 296便を予約しておいた。
 鳥取空港では、必ずうちの教員と遭遇する。昨日も2名。一人は政策学科、もう一人はデザイン学科の教員であった。みんな東京との往復が頻繁らしく、格安チケットの入手方法を知っている。わたしがつい最近ネットで購入した片道のチケットは、政策学科の教員がもっていた往復のチケット総額よりも高かった。悔しいな・・・
 その教員と喫茶店で珈琲を飲んでいたところ、「到着する飛行機が遅れています」というアナウンスがあった。やばい。結局、羽田に着いたら20分遅れ。モノレールの終着駅、浜松町あたりで15:50。環状線にのりかえ、上野からタクシーに乗った。東大の正門(赤門ではない!)についたら16:20。警備員に1号館の所在地を聞いた。1号館はとても近い位置にあることがわかった。
 正門から1号館に向かう途中、キャンパスの片隅に「スターバックス」を発見した。そういえば、ボストンのハーバード大学でもおなじようなカフェをいくつもみた。遅刻していることを重々承知していたが、とっさに携帯電話を開き、カメラで撮影した。ブログのネタになると思ったからである。「保存」のためのボタンも押した。
 1号館のなかで、またウロウロした。じつは本郷のキャンパスは2度め。1度めは考古学教室で、今回訪れる建築学科ははじめてだから、どこになにがあるのか、どの先生がいるのか、さっぱりわからない。ようやく、会議のおこなわれている小さな部屋を発見して中に入ったら16:35になっていた。会議はもちろん始まっていた。わたしが参加してからも、淡々と進んでいった。
 夕暮れの帰り道。他の委員が、
  「あっ、スターバックスがありますね!」
  「東大だから、こういうことできるんですかねぇ。」
なんて会話が交わされた。

 東京駅からのぞみに乗った。しばらくして、携帯を取り出し、さきほど撮影したスターバックスの写真を確認することにした。
 あれっ、映っていない
 たぶんあせっていて、「保存」のためのボタンの押し方が中途半端だったからだろう。がっくりきた。

 わたしは、環境大学キャンパスにスターバックスを誘致したらいい、とずいぶん前から口にしている。開学したころは神護ほかいくつかの古民家の保存に悩んでいたので、キャンパスの中か近くに民家を移築して、民家をスターバックスとして再生させればいい、と本気で思っていた。最近は、学生食堂を拡張して、津ノ井ニュータウンの住民(および市民・県民)に開放して外食産業としての機能をもたせることを勝手に構想しているのだが、その拡張「学食」にスターバックスを誘致するのも悪くないだろう。なんたって、鳥取県にはスターバックスが1軒もないのだから、「スタバ」ができた、というだけであちこちから人が寄り集うにちがいない。
 少子化・過疎化によって、入学生の減少が進んでいるのだから、べつの方法で大学の活性化をはかる必要がある。食堂や喫茶店の開放、キャンパス・グッズの販売などを推進すれば、いまはその影すらみえない「学生街」の形成にもつながっていくだろう。カリキュラム再編だとか、入試方式の修正だとかに頭を奪われて、毎年のようにケンケンガクガクの議論を繰り返しても学生は増えない。ちょっと視点を変えて、大学外に「経営」の対象をひろげてみれば、それが学生確保に跳ね返ってくるかもしれない。そういうことが、東大キャンパス内のスターバックスをみて、またしても頭に浮かんだ。
 それだけのことである。


  1. 2006/12/23(土) 00:09:31|
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景観復原のための調査 -尾崎家住宅補足調査(Ⅳ)

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↑南側から見た尾崎家住宅

 今回の補足調査は、主に景観復原CG作成のためのテクスチャー撮影を兼ねた外観の写真撮影と、今までに得た情報の確認作業と聞き取りなどの補足調査をおこないました。今後、今日撮影した現状の写真と、過去の写真を照らし合わせて作業を進めていく予定です。
 これまでに滋賀県の「堅田門徒」と関係が深いとされてきたブツマについて、大津市堅田の本福寺御堂(すでに焼失)と京都府の大谷派(東)本願寺御堂の平面形式が似ているということが分かり、これらを参考にしながら痕跡調査をおこない、ブツマが現在の位置へ昭和4年に移築される前は仏壇がどの位置にあったかなどの聞き取り調査をしました。そのほか、聞き取り調査では、尾崎家の11代目12代目の情報や、尾崎家の檀那寺である安楽寺を建てたのは何代目の時かなど細かい確認をしていきました。
 本日は朝から雨が降っていたため少し心配していましたが、湯梨浜町に着く頃には雨も上がり晴れ間ものぞく良い天候の中、調査を進めました。また、度々の調査にもご協力して頂いている尾崎家ご夫妻の温かいお心遣いにはいつも励まされ、とても感謝しております。ありがとうございました。 (やっちゃん1号、北からキタノ、ハル)

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↑ブツマの仏壇正面写真(親鸞の掛け軸がかけてあった)


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  1. 2006/12/22(金) 21:29:14|
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焼焼

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 今日の作業は新材の焼印です!!
 まず火おこしから開始。S先輩がはりきって火をおこし、そのなかにこてを投入。まっ赤になるまで熱します。こてがあたたまったららまず試し押し…かなり薄い。気をとりなおしてもう一度熱し、再チャレンジ。こんどはこてをかなり熱したので木に押し付けたときにファイヤーぼうぼう、スモークもくもく。。。ちょっと怖い。でもそのおかげでかなり濃く押せました。成功です。
 そのあといよいよ新材に焼印を!!緊張の一瞬です。案外あっさりと成功。ちょっと拍子抜け(笑)。どんどん新材に押していきました。

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 また、火を見ていたA先生から、焼き芋をしようとの提案が。皆大賛成でジャガイモを調達してきて火の中へ。作業終了後、バターをぬっておいしいおいしいジャガバターの完成です。寒い中でのジャガバターは最高♪でも気づけば横で宴会が。。。
 そう!これは加藤家のささやかなクリスマスパーティーだったのです。あれ?運転手[=わたし他数名]は放置ですか??泣けるわぁ。今度は飲みあかしてやるぞ!!    (よねまゆ)

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↑↓先週に引き続き「古色塗り」の作業も進めた。上が大黒柱根継の部分。下は納戸の奥。
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↑ メリー・クリスマス!!


  1. 2006/12/21(木) 23:36:48|
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水屋のリフォーム(Ⅳ)

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 今日も水屋班は大学で作業。最初、エースがなかなか来ないというハプニングがありましたが、数分後に無事到着。みんなで作業を始めました。今日は、竹編み班と棚の改造班に分かれて、作業を行いました。今日の両班の目的は、水屋の収納と飾る部分の間に壁を作ることです。私と書記の二人は竹編み班で、竹を編み編みしました。その他の男三人が、棚を先週よりグレードアップさせるため、のこぎりで「ぎこぎこ」、金づちで「かんかんかーん」という音を辺りに鳴り響かせながら、作業を行っていました。作業していると、途中で雨が降り出したので急に寒くなりました。でも、まぁ、寒さに負けず手を動かし、着々と作っていきました。

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 今日の成果としては、竹の壁は付けれなかったものの、普通の壁板は取り付けることができました。そのほかにも水屋の排水設備の上に板を設置できるように、小さな板が取り付けられていました。今年のプロ研は今日でおしまい。また来年、新年明けてから頑張りまーす! (環境デザイン学科2年 部長)

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  1. 2006/12/21(木) 22:21:22|
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雪の夜(Ⅴ)

20070103161533.jpg


メアリは起き上がるとカーディガンを羽織り、急いでマフラーを巻き付ける。かんぬきを開け、白く曇った窓を開くと白い少年が笑顔を浮かべて立っていた。
「今晩は、メアリ。また会えて嬉しいよ。」
その言葉に、メアリも嬉しそうに微笑んだ。
「今晩は、ヴィオレット。」
少年は申し訳無さそうに御免よ、と謝った。
「皆が寝静まった時間じゃ無いと出てこられないのだ。遅くなって悪かったね。」
ヴィオレットはちらりと窓際に置かれた鏡に目をやった。つられて鏡を見そうになったメアリの目の前にヴィオレットの手が伸びる。
「約束だろう、見てはだめだよ。」
そうだった。慌てて視線をヴィオレットに戻す。少年は満足そうに笑うとメアリのマフラーに目を止めた。
「おや、可愛らしい白のマフラーだね。お揃いだ。」
急いで巻いたマフラ-は半ば首から落ちかけていた。メアリはしっかり巻きなおすとにっこり笑った。お揃い。なんだか素敵な響きだ。
「一昨日は素敵な贈り物をありがとう。あんまり嬉しかったから昨日も何度も絵を見直してしまったよ。」
ヴィオレットはずっとにこにこしている。メアリは自分の贈り物が大変気に入って貰えているのを見て大満足だった。
「ねえ、これ見て」
ベッド脇に立て掛けたスケッチブックを持ち上げる。興味深そうに覗き込むヴィオレットの顔をちらと見ると、パラパラとスケッチブックを捲った。
「ほら、スミレよ」
紙の上にはひと株のスミレが描かれていた。一昨晩と同じように鉛筆に水彩で着色してある。目を真ん丸にしてその紫に見入るヴィオレットがほうとため息を漏らす。
「ううん…これは素晴らしい、これがスミレか。話には聞いているよ。」
想像していたよりも小さい花なんだねえと、しきりに感心している。
「綺麗だねえ。」
ヴィオレットは先ほどよりもっと嬉しそうににこにこしている。メアリの心臓は嬉しくてわくわくと音をたてている。小さな指が嬉しそうに次のページを捲る。
「それは昨日描いたの。今日はポピーよ。」
冠のようなおしべを取り囲む軽やかな花びらの可愛らしい花が紙の中で風に揺れている。
少年は瞳をくるくると嬉しそうに光らせる。
「わあ、可愛い花だなあ…これは鉛筆描きだね。ポピーの色は何色?」
メアリは得意げに説明する。
「ポピ-はいろんな色がある花なの。赤、白、黄色、橙色。色々あるわ。」
ふうん、色々なのか…と、花の色を想像する少年に、メアリはえーと、と言葉を続ける。
「ヴィオレットの好きな色を塗ろうと思ってそれは鉛筆のままなの。」
少年の瞳がまたくるくるきらきらと輝く。
「本当?」
「うん。好きな色を言ってちょうだい。」
メアリはこれも用意しておいた三十六色の色鉛筆を出して来た。去年のクリスマスに貰った物で綺麗な箱に収められた、メアリのお気に入りだ。ヴィオレットは暫く迷っていたが赤を選んだ。メアリはたくさんの色鉛筆の中から紅色を選ぶと白いポピーに色を付けはじめた。ヴィオレットは面白そうにその作業を見守る。

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塗りながらメアリはヴィオレットに話し掛けたが、ヴィオレットが黙っているので作業を止めて顔をあげた。ヴィオレットは困ったような顔をして立っていた。それを見てメアリは慌てて、
「いらなかったらいいのよ」
と付け加えた。今度はヴィオレットの方が大慌てで「違うんだよ」と手を振った。
「とっても嬉しいんだけど、お返しに本当に何もあげる事が出来ないんだ。そう言う規則なんだよ。」
と残念そうに謝った。メアリはいいの、といって笑った。
「そのかわり、私が色を塗っている間色々お話してほしいの。」
ヴィオレットはおかしそうに笑う。
「そんな事でいいの?お返しにならない気がするけど。」
メアリは楽しいから良いの、とヴィオレットににっこりしてみせた。
そう、と応えたヴィオレットは、それじゃあ何にしようかと腕を組んだ。
メアリは頭の中のいくつも不思議の一つを、早速質問する。
「ねえ、一昨日言ってた星屑って、なあに?」
少年はああ、ちょっとまって、と頷くとズボンのポケットを探った。何がでてくるのかしら、とメアリは手を止めてヴィオレットを見た。ポケットの中から出て来たものはやはり布に包まれた金平糖のような形の石で、以前見せてもらった月の結晶にも少し似て、飴玉のような半透明の石の中心が少し光っている。石同士がふれあうとリン、と鈴のような音を出す。
「意外だけれど月の結晶よりもこちらの方が強いんだよ。ほら、持ってみて。」
ヴィオレットは布ごとメアリの手に星屑を渡した。メアリの小さな掌の中で石はリンリンと微かに音をさせる。 (続)-KA-



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  1. 2006/12/20(水) 20:19:16|
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忘年会2006

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 今し方まで眠っていた。教授室の椅子を横に並べ、そこに俯せになったまま2時間の睡眠。いつもは椅子を4つ並べるのだが、今日は3つにしたのでバランスが悪く、もうひとつ寝心地がよくなかった。
 2時間半前にゼミの忘年会が終わり、元気のいい連中は2次会に繰り出していったが、わたしは疲れていたので、チャックの車で大学に送ってもらった。今年の忘年会の幹事は3年女子。会場はしいたけ会館近くの「くま」という居酒屋であった。
 会場には、ずっと昭和の演歌が流れていて、どうしてまたこういう会場になったのか、と思っていたら、まもなく学生たちのカラオケがその演歌を消してしまった。いや、結構です。そうそう、今年もまた誕生日のプレゼントを学生諸君から頂戴した。創業明治十年日本橋國「味岡革鞄」の名刺入とキーホルダー。牛革製の高級品だが、小物なので、すぐに無くしてしまいそうで、ちょっと心配だな。また、OBの西垣くんからもダイアナ・クラールのCDがプレゼントとして届いていてた。いや、みなさん、まことにありがとうございます。こんどの誕生日で、めでたく50歳だ。

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 昨日は午前に鳥大地域学部の大学院で講義をおこなった。「環日本海文化論」というタイトルのオムニバス講義で、シラバスらしき資料をはじめてみたときの正直な感想は、「?・・・?」。これ以上なにも言わないが、「?・・・?」という感想を抱いていたのは、わたし一人だけではなかったようである。
 昨日の受講生は26名。うち中国と韓国の留学生8名と若干の社会人を含む。わたしが得意とする「理解度チェック」方式を試そうかどうか、悩んでいたのだが、数分を残してスピーチが終わったので、ごく簡単な質問をしてレポートを書いてもらった。結果、本学の学生と比べてどうなのか、と言うと、本学の学生はわたしのスピーチに即した回答がとても多いのに対して、鳥大の院生はもう少し自由度のある回答をしてくる。シニカルな表現も若干含まれている。だから、どうってことは全然ない。鳥大の院生がとくに優秀だとも思わない。ただ、「理解度チェック」レポートの効果はやはりあって、出席者の数と名前をきちんと把握できる。これは講義する側にとって重要なことだ。

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 それにしても、講義の準備はいつもながら大変だ。わたしの演題は、
   「建築からみた環日本海 -アムール流域と朝鮮半島」
で、「地域生活文化論」講義の3回分を1回に圧縮したような内容にしたのだが、どうも焦点がいまひとつ定まらない。いくつかのパワーポイントの切り貼りで授業資料を作ればいい、と安易に考えていて、資料作成にとりかかったのは月曜日の午前2時ころから。これがなかなかうまくいかない。京都発17:11発のスーパーはくとの車中でも、しばらくパソコンを操作して資料を作り続けていた。姫路をすぎたあたりで、ようやく目途がたち、ほっとしてカニ寿司の弁当を食べたら、そのまま眠りに落ちた。目が覚めたら鳥取駅をすぎていた。おかげさまで、ひさしぶりにJR倉吉駅のプラットフォームに立ち、21:01発のJR快速とっとりライナーに乗って鳥取駅まで戻ってきた。

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 鳥大での講義を終えたあと、加藤家に立ち寄った。素屋根はすでに完成していて、オモヤのトタン屋根外しが始まっている。どうやら、背面の下屋をまず仕上げ、それから大屋根の施工に移行していくらしい。正直なところ、工程はだいぶ遅れている。基礎・床の修理と立て起こしに時間を要したからだが、問題は居住者のO君1号がどこまで記録を採るか、であろう。卒業論文にとって記録は必要不可欠だが、記録に終始してしまっては論文にならない。可哀想だが、O君に正月はなさそうだ。ほかの4年生もたいして変わらないだろうが。

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↑背面下屋での作業 ↓五右衛門風呂は再生可能だろうか?
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  1. 2006/12/20(水) 00:22:30|
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雪の夜(Ⅳ)

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メアリはスケッチブックから絵のページを切り取るとくるくると丸めてリボンで括った。
ヴィオレットは嬉しそうに笑って、再び「ありがとう」というと、その筒を受け取った。
「さて、名残りおしいけれどもう寝なくてはね。明日は学校なんだろう?」
ヴィオレットは白いマフラーを巻きなおす。不思議な少年は立ち去ろうとしていた。メアリは思わず窓枠に手をかけて身を乗り出す。
「また遊びに来る?」
ヴィオレットはにっこり笑ってポケットを探る。
「これを貸してあげるよ。」
出て来たのは掌に乗る程の黒くて平たい小箱だった。小箱を開くと中から銀色の手かがみが出て来た。なめらかな表面が月の光を反射してキン、と固く光る。
「僕に会いたい夜は、この手かがみを窓際においておくんだよ。但し雨の日はだめだ。月の出ている夜だけ。手かがみはいつも綺麗に磨いておくように。」
ヴィオレットは鏡をまた箱に戻すとメアリに手渡した。しっとりひやりと冷たい箱は美しく塗られていて、不思議な香りの木で出来ていた。
「その鏡が無いと僕には会えないからね。あと、手かがみを窓のそばにおいている時はけして覗き込んではだめだよ、分かったね。」
よく分からないけれど魔法の鏡なのかしら、とメアリはこくり、と頷いた。ヴィオレットは満足そうに微笑むとじゃあ、お休み、と窓を閉めた。手もとの箱に目をやって、再び窓の外を見た時には、もう白い少年の姿はどこにも見当たらなかった。

残念な事に翌日は昼から灰色の雲が空を覆いはじめ、メアリが学校から帰るころには雪が降り出した。今日はヴィオレットには会えない。がっかりしながらおやつのド-ナツを食べた。憂鬱そうに窓の外の大粒の雪を見ていたメアリの顔が何かを思い付いてにっこりと笑顔になる。メアリは残りのドーナツを急いで口に押し込むと、砂糖のついた指をなめながら自分の部屋に向った。部屋に戻ったメアリは本立てから昨日のスケッチブックを引き出す。スケッチブックの空いたページを開くと、引き出しから鉛筆を取り出して少し考えていたが、やがてさささと鉛筆を動かしはじめた。

降り続いた雪はその翌日の昼にはやみ、夜にはすっかり雲も晴れて少し丸さを失った月が凛と輝いていた。メアリは両親におやすみを告げると湯たんぽを持って部屋に戻り、それをベッドの中にいれ込む。机の引き出しを開けると、一昨日ヴィオレットに貸して貰った鏡の箱が入っていた。月の光で鈍く光る箱を開けて手かがみを取り出すと、鏡が手の中をひやりと冷やす。メアリは鏡をよく観察してみたが特に変わった所は無いようだ。飾り気は無いが美しい鏡だった。鏡を覗き込むと自分の顔がこちらを見返していた。ベッドの上に登って窓際に鏡をコトリ、と置くと、カーディガンとマフラーをベッドの上に用意して布団にもぐり込む。目を閉じると眠ってしまうかも知れないと思ったので目を開けて耳を澄ましていたが、中々ヴィオレットの来る気配はない。何度か窓の外を覗いたが只一面の銀白が見えるだけだった。眠気がつきはじめたメアリが、ヴィオレットは今夜はもう来ないかもしれないと思いはじめた頃、ようやく窓の外に微かな音が聞こえた。

さく、さく、さく

雪を踏む軽い音。やはりおかしな位軽い。 

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   「雪の夜」(Ⅱ)
   「雪の夜」(Ⅲ)
   「雪の夜」(Ⅳ)
   「雪の夜」(Ⅴ)


  1. 2006/12/19(火) 01:05:55|
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F.C.ゼクストンのみなさんへ

 わたしは大学生時代、F.C.ゼクストンというサッカーチームに所属していた。定例の練習は週に1回、木曜日の夜だけ。加えて月曜日に自主練習があり、こちらの参加は自由であった。
 練習時間は短いが、強いチームだった。なぜ強いチームだったのか、説明すると長くなるので割愛するが、どの程度の強さだったのか、というと、まず京大学内リーグ(10チーム前後)では優勝常連、京都府の天皇杯予選では準決勝以上の常連で、在学中に京都府社会人リーグの4部から1部までかけあがった。たしか3部のときだっただろうか、天皇杯の予選で1部の社会人チームとあたり、23対0で勝利したことがある。
  「なんや、このチームは・・・!??」
というのが、相手チームの感想だった。
 わたしは1年の後期から、いちどは右サイドバックのレギュラーに定着したのだが、レギュラーだった期間は1年~1年半にすぎなかった。とても自由な雰囲気をもつチームだったので、年功序列の体育会「サッカー部」を嫌ってF.C.ゼクストンに入部する有能な選手が多くなり、気がついたら控えの選手にまわっていた。ただ、チームを離れたわけではない。
 このチームの結束力は非常に強かった。とくに、わたしを含む1期生のまとまりは素晴らしく、卒業してからも毎秋OB会が開催され、わたしも30歳のころまで参加していた。しかし、ある年から、そのOB会に行かなくなった。
  「なぜ、来ないんだ?」
  「一緒にサッカーをしよう!」
という質問や誘いが、毎年のように年賀状に記されるようになった。
 自分でもなぜOB会に行かなくなってしまったのか、正しい理由を覚えていない。たぶん、いちばんの理由は、奈文研での仕事に苦しんでいたからだと思う。発掘調査の経験もないのに考古学的な調査研究に振り回される一方で、個人的には博士学位論文をできるだけ早く纏めなければならなかった。時間が惜しい。経済的にも問題があった。30代のわたしは、あまり裕福ではなかった。信州や東海で開催されるOB会に1泊2日で参加すると、数万円は必要になる。家族連れなら、もっと費用がかさむ。その出費が惜しかった。恥ずかしいことだけれども、わたしは旧友たちとの友情よりも、時間とお金を優先する人間になっていたのである。

 昨晩、F.C.ゼクストンの同期生Kさんからメールを頂戴した。かれは、わたしが大学院生時代にバイトで働いていた某予備校の教師でもある。

  ご無沙汰いたしております。
  新聞発表以来ブログの方でじっと見守ってきました。
  SEXTON OBのみんなにもブログの存在を教えました。
  奥様の退院、おめでとうございます。
  これからも大変でしょうが、がんばってください。
 
 じつは、わたしはゼクストンのメンバーが11月に何度もブログにアクセスしていることを知っていた。FC2アクセス解析の「リンク元URL」にhttp://bbs.psn.ne.jp/m-haru/sexton/(以下略)というサイトを発見していたからである。そして、昨晩、Kさんからのメールが届いた。遅ればせですが、アクセスに対する返事を書かせていただきます。

  ゼクストンのみなさん、お元気ですか?
  最近、わたしはブクブク太ってどうしようもありません。
  腹が出すぎて、穿けるズボンがなくなりました。
  ビアンキ(自転車)を漕いで通学し、寒天や蒟蒻を食べ、
  なんとか痩せようと試みてきましたが、無駄な抵抗のようです。
  OB会なんか顔を出したら、ただただ笑われるだけです。
  それが、今はいちばんの恐怖です。・・・・ところで、
  ずっと不義理をしてきたわたしのことをご心配くださり、
  感謝に耐えません。ほんとうにありがとうございます。
  家内は元気になっています。ご安心ください。
  いつか恩返しをさせていただきたいと思っております。

 じつは、こんな気楽な文章を書いている場合ではない。
 Kさんのメールにはさらに重大な知らせが含まれていた。わたしがお世話になっていた予備校の経営者Uさんが12月8日に心筋梗塞で急死した、という情報である。Uさんはゼクストンのメンバーではないが、Kさんと同学科の同級生で、20代からその予備校を経営し始め、大成功をおさめた人物である。わたしが25歳で結婚して中国に留学したものの、帰国後、博士課程に在籍しながら妻子を抱え「生活保護」を受けようかという貧窮生活に直面していたころ、予備校の教師職(数学)をあてがってくださった恩人である。同い年の恩人なのである。

 急死の報には、言葉もありません。
 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


  1. 2006/12/18(月) 01:19:17|
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鳥取県建築士会西部支部 新年祝賀会講演会のお知らせ

 鳥取県建築士会西部支部新年祝賀会の講演を依頼されており、再び青谷上寺地遺跡の「楼観」についてお話しすることにしました。日程・会場等は以下に示すとおりです。

 1.講演者: 浅川 滋男(鳥取環境大学教授)
 2.講演題目: 「楼観」再考 -青谷上寺地遺跡のながい柱材をめぐって 
 3.講演内容: 青谷上寺地遺跡で出土した長さ724㎝の柱材から復元される高層建築の構造について説明し、あわせて魏志倭人伝にみえる「楼観」の性格についても考察する。
 4.講演目的: 今われわれが携わっている建築に、少しでも取り入れる事の出来る先人の創意工夫を学び、古代の人びとがどのような思いを基に建築をつくっていたのか、遠いいにしえに思いを馳せる。先人の建築技術を、これからの建築にどのように活かしていくべきかを考える。
 5.日時: 平成19年1月12日(金) 17:00~18:30
 6.会場: ホテルサンルート米子 2階

 *お問い合わせは建築士会事務局(kuwamoto@sanmedia.or.jp FAX:0859-22-1706 TEL:0859-32-3745)もしくは浅川研究室まで。

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  1. 2006/12/17(日) 02:03:36|
  2. 講演・研究会|
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匠のつどい@加藤家住宅修復現場

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 加藤家住宅では素屋根の設置工事が終わり、主屋を覆っていた波型鉄板の解体が始まった。波型鉄板を剥がす作業は、独特の金属音を響かせている。そんななか、玄関先から微かな呼び声が聞こえ、背面に組まれた足場から急いで駆けつけた。そこには、「匠のつどい」の会長でもある池田さんが、メンバーをお連れになっていた。
 本日の見学に参加されていた方は15名ほどで、なかには本年の伝建フェア(10月15日)に催された倉吉・斎木家住宅での講演会にも参加されていた職人さんの姿もあった。まず、玄関先で資料を配布し、池田さんとO1号が工事の状況を説明し、あとは自由見学となった。

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 ちょっとした話題になったのが、五右衛門風呂であった。それは講演会にも話題にあげていたので、ただちに見学されていた方も数名おられた。風呂釜などの状態を見られ、釜よりも焚口、煙道の修理が必要との意見が多かった。また、左官職人の方が、壁に着目されていた。仕上げの塗り面は湿っぽく、漆喰ではないと指摘されていた。そのほかには、建具の建て付けには苦労するだろうなどの意見が交わされていた。
 加藤家住宅の見学後には違う現場へ行く予定のようで、そちらに向かい移動されていった。(やっちゃん1号)

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  1. 2006/12/16(土) 23:14:42|
  2. 講演・研究会|
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退院御礼 -患者感激(完)

 本日、家内は奈良県立病院を退院いたしました。

 家内が体に異変を感じて自宅玄関外側で倒れ込み、近所の皆様に救われて救急車で奈良県立病院に運びこまれたのが11月10日。忘れもしない「青谷上寺地遺跡建築部材記者発表」その日のことであります。
 10年ほど前から家内には右足を引きずる症状が確認され始め、それが近年あまりにもひどくなってきたため、昨年、検査を繰り返した結果、左脳の奥に脳動静脈奇形を抱えていることがあきらかになりました。それは細い動脈と静脈が糸蒟蒻のように絡みあった奇形であり、一般人には存在しないものですが、ごく稀にこの奇形をもって生まれる人がいます。この奇形そのものが脳内出血の原因になるばかりでなく、奇形部分の変形や肥大によって周辺の脳神経が圧迫され、身体の一部に麻痺をひきおこすのです。
 家内の場合、左脳のほぼ中心部に脳動静脈奇形が存在し、しかもそれが徐々に肥大化してきたことにより、右半身に軽い麻痺症状がおきていました。これにより、右足をひきずり、右手で珈琲の入ったカップを運ぶと右手が揺れて、珈琲がこぼれてしまうようになっていました。
 こういう症状を克服するため(というよりも、これ以上の悪化を防ぐため)、昨年11月18日、吹田の国立循環器病センターにおいて、ガンマナイフと呼ばれる放射線手術をおこなったのです。手術そのものは成功しました。あとは時間の経過をまつばかりでした。
 しかし、家内の症状は悪化の一途を辿っていました。斜面の下方歩行すら困難になりつつあったのです。それでも家内は担当医に対して、いつでも「大丈夫です」としか答えないことがわかっていましたので、10月の定期検診では、わたしが吹田まで同行し、「症状の悪化」を強く訴えていました。
 その結果が、11月10日の騒動となって露呈してしまいました。
 発症時、斜め向かいにお住まいのご老婦が玄関に倒れて救いを求めている家内を発見されました。
   「神のお告げだと思った」
そうです。いつもはあの時間にあのあたりを通ることはないのに、あの日はたまたまあの道を歩いていて、倒れて苦しむ家内を発見し、近所の方がたを呼び集め、救急車を手配し、息子や娘に連絡をとってくださったのです。
   「あなたの奥さんほど人のために動く人はいません。わたしも、これまでさんざんお世話になってきました。わたしはあなたの奥さんを助けるために、あの日あの時あの道を歩いていたのだ。そう思っています。神のお告げだったんですわ。」

 奈良県立病院は素晴らしい病院でした。主治医のK先生をはじめ、どの看護師さんもやさしく忍耐強く、すべての患者に対して平等に接し、患者とその親族を癒そうという心づかいをひしひしと感じました。
 わたしは、このひと月あまり、病院にいることをとても楽しく感じて看病してきました。患者が生きていて、話ができること自体に喜びを感じていましたが、県立病院の医師・看護師のみなさまがわたしたちにとてもやさしく温かく接してくださったからだと思っています。ほんとうにありがとうございました。
 家内は退院しましたが、右半身の麻痺はもちろん完治しておりません。とりあえずは「介護対象者」「身障者」の手続きをとり、これからもリハビリの通院が週2日程度続きますが、今後ともよろしくお願いいたします。

 また、多くの親族、職場の同僚、卒業生・在校生等の皆様からも励ましのメールやお見舞いを頂戴いたしました。改めて正式な御礼をさせていただきますが、取り急ぎこの文面をもって略儀ながら御礼の言葉に替えさせていただきます。
 ありがとうございました。



 
  1. 2006/12/15(金) 22:51:41|
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雪の夜(Ⅲ)

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「羨ましい。僕は植物を育てた事はないんだ。そう言う役割じゃ無いから。」
これこれ、とヴィオレットはもう片方のポケットを探る。ポケットの中からはメアリの小指ほどの大きさの小さな小さなガラスの瓶が出て来た。瓶にはバラの形の紋章が金箔で捺されているラベルがはってある。
「これは僕がもっている宝物の中でも特に大切なものの一つ」
ほら、嗅いでみて、とヴィオレットは蓋をあけると瓶をメアリの鼻先に近付けた。メアリは軽く息を吸い込む。
「まあ」
ほのかにほのかにバラの香りがして、思わずメアリは目を閉じた。閉じた瞳の裏側に夏の始まりの燃えるような緑色と澄んだ青色がするりと広がって消えていく。
「すばらしいだろう?その春一番に開いたバラの花についた朝露だけを、集めたものなんだ。」
丁寧に蓋を閉めなおすと少年はまた小壜を仕舞った。
「とても良い匂いねえ。ママの香水よりずっとずっと素敵な香り。」
これを手に入れるのは大変だったんだからね、と少年は胸をはって笑った。
「そのたった一オンス手に入れる為に星屑十粒と凍りレンズ三枚と雪の花までおまけに付けたんだよ。」
星屑に凍りレンズ?メアリが首をかしげるのに気付かず、ヴィオレットは残念そうにため息をついた。
「僕はどちらかというとあまり花には縁が無くて。こういうものを見つけるとつい無理して手に入れようとしまうんだよ。」
花に縁がないとはどういう事だろう。メアリは上着の前を掻きあわせながら少年に尋ねる。
「花は好き?」
少年はその空色の瞳を細めてうっとりしたように答える。
「勿論さ。色、形、そして匂い。どれをとって素晴らしいものだと思うよ。」
でも、と少年は続ける。
「残念ながら今の時期、あまり花は咲かないからね。木々の緑でさえ雪の白の中に姿を隠してしまうから。」
雪の銀白も好きだけどね、春や夏の鮮やかさには憧れるなあとヴィオレットは瞳をきらきらとさせる。どうもこの少年は冬以外に出歩く事が無いらしい。メアリが何故と聞いても、そういう役割じゃないからねえ、と少年は笑うだけだった。

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「あのバラは何色の花が咲くの?」
少年は少し唐突に話題をかえた様な気がした。はぐらかす様な会話がメアリはもどかしかったけれど、どう聞いたら良いのか分からなかったので大人しく問いに答える。
「赤い花を咲かすわ。でもちょっとオレンジ色っぽいの。とっても綺麗よ。」
ふうん、見てみたいなあ、と少年が呟くのを聞いてメアリは良い事を思い出した。
「ちょっとまってて」
と言いおいてベットからおりると机の本立ての所に向かう。少年は青い瞳できょとんとしていた。少女がかかえて戻って来たのは一冊のスケッチブックだった。焦茶色の綴じ紐をしゅるりと解く。今度はメアリが見せる番だ。
「ほら、私が描いたの。あのバラの絵。」
スケッチブックのうす黄色い紙には金赤色のバラの花が丁寧に写されていた。鉛筆のラインのうえから水彩絵の具が鮮やかに花を彩っている。
ヴィオレットは声も無くその紙上のバラを見ていた。あまりにジッと見ていたのでメアリはやっぱりへたくそだったかしら、と不安になる。スケッチブックを引っ込めようとした時、ようやくヴィオレットが声をだした。
「…わあ、上手だねえ。感動した。すごいじゃないか。」
少年はスケッチブックを手にとって月の光に当てる。メアリはほっとしたのと、ほめられて嬉しかったのと恥ずかしかったのとでなんだか手足がむずむずして来た。手を擦りあわせていると、スケッチブックから目をあげたヴィオレットがはっとしたように声をあげた。
「ああメアリ、寒いね。御免よ。月も結構傾いているなあ、気付かなかったよ。」
もう眠らなくては、といったヴィオレットはまだ名残惜しそうにスケッチブックを眺めていた。うーん、と顎に手を当てている。その様子を見ていたメアリは思わず笑ってしまった。
「そんなに気に入ってくれたんならその絵、あげる。」
え、とヴィオレットはメアリの方に目線をあげた。
「いいの?せっかく描いたんだろう?」
たしかにそれは自分でも良く描けたと思った絵では有ったが、ヴィオレットが気に入ってくれたのでメアリは嬉しかった。
「いいの。今日の記念に。あげる。」
ヴィオレットは複雑そうな顔でむうと唸る。
「お礼になにかあげたいんだけどね、君たちとは取り引きしてはいけないと固く禁じられているんだよ。」
妙な「役割」のうえにそういうルールまであるらしい。いいの。とメアリが笑うと、ヴィオレットも笑って丁重に礼をいった。 (続)-KA-

 *童話『雪の夜』 好評連載中!
   「雪の夜」(Ⅰ)
   「雪の夜」(Ⅱ)
   「雪の夜」(Ⅲ)
   「雪の夜」(Ⅳ)
  


  1. 2006/12/15(金) 20:58:44|
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水屋のリフォーム(Ⅲ)

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 加藤家の変貌には驚いた。ブログで日々チェックしているが、あのクオリティーの高さには脱帽である。
 本日水屋班は作業を早めに切り上げ、加藤家の見学に行った。寒い冬の夕暮れ、水屋班を迎えたのは電球の暖かな光のもれる加藤家であった。冷えた体も心も温まる。やはり日本の民家はすばらしい。
 久しぶりの加藤家は、新しく素屋根がかかり以前よりも一回り大きく
なっていた。ロフトに床がはられていたのである。民家独特の広い屋根裏はこうして生活スペースとなって生まれ変わったのだ。また、イロリの煙り出しを見たときは、イロリ復元にたずさわっていただけに、その完成度に興奮した。近いうち、そこに自在鉤がかかり、再びイロリに火を灯すのが楽しみである。

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 カニ汁をいただいた後、大学に戻った水屋班は加藤家のすばらしい変貌とおいしかったカニ汁を糧に再び作業を開始した。前回から悪戦苦闘していた茶器収納スペースと水屋スペースを分ける中央の柱の設置もついに完璧な仕上がりを見せた。引き違いの戸もきれいに収まり収納スペースは見事完成した。排水用引き出しも装着され作業は順調である。(Mr.エアポート)

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  1. 2006/12/14(木) 23:49:56|
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素屋根(Ⅲ)

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 素屋根は単管の骨組までは、H仮設という会社に外注していたが、トタン屋根下地となる縦桟・横桟の木工事から池田住研が自前でおこなうことになった。これも経費節約のためである。上の写真は二日前で、まだトタンを張っていない。今日は池田住研のメンバー総出!というほどでもないのだろうが、これまでみたこともないほどの数の大工さんがいっせいにトタン葺きの仕事に集中した。おそらく来週の月曜日には、素屋根が完成するだろう。これで、いつ雪が降っても大丈夫だ。

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 今日のプロジェクト研究で学生たちは、古色塗りを担当した。根継など新材に差し替えた部分に墨の色づけをするのである。これはおもに男子が担当した。

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 女子たちは蟹汁の準備に没頭。親ガニのみそ汁です。「蟹の達人」(すなわち私)からみると、もっとばりばり豪快に調理すればいいのに、女子たちのさばきは可愛らしく、清潔すぎて、あまりスピード感がない。
 あのですね、みなさん。こういうときは豪快に行くのですよ、豪快に。それでね、早めに蟹を水に放り込んで、煮込み時間を長くしないといけません。味噌汁に蟹のエキスがたっぷりたっぷり出るようにするのが最大のコツであります。大根なんか、皮がついてたってかまわないのね。白葱もざっくりざっくりいっちゃうんです。それで、できるだけ長くことこと煮込むと、とんでもない濃厚な味の蟹汁になるんだ。今日のは、ちょっとあっさりしすぎだね。すいません、文句を言って。しかし、わたしは蟹にはうるさい。

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 でも、今日は初物でした。いつも12月はものすごく親ガニを食べるんだ。紹興酒で蒸すとね、抜群でしてね。その蒸した余りの蟹エキス・スープで雑炊を作ると、ほんと「蟹の固まり」のような味がする。まぁ、青少年たちがこの域に達するには、さらに数十年の歳月が必要でありましょう。
 ところで、今日はお馴染みS紙O記者の取材をうけた。なんでも、年末「回顧」の記事にしてくださるそうだ。わたしではなく、加藤家の活動を記事にしてくださるのだという。まことに喜ばしいことではないか。

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カニ汁づくり(゜∀゜)
 今日のプロ研の「おやつ」は、予想外にカニ汁でした(゜∀゜)。最初からカニ汁の予定だったらしく、鍋やコンロやまな板など全て用意してありました。私が作業すると思って準備していた作業服は今日はお休みです。加藤家に到着するなりA先生が親ガニの入った大きな発泡スチロールを抱えてやってきました(゜∀゜)。カニはリアルに動いていました。大根を短冊切り(?)にし、ねぎをぶつ切りし、さらにカニを解体しました。カニのタマゴとミソと胴体を半分にする作業でしたが、動いていたので最初とても心が痛かったです。ですが、いくつかやってるうちに全然そうでもなくなりました。
 ところで、先輩情報によるともう少ししたら道路が凍結するそうです。運転する人は要注意です。前々回までは床板がなかったはずの部屋に今日は床板が貼ってあり、そこで、コンロ2つ並べてカニ鍋をいただきました。業者の方にも暖かいうちに食べてもらえてよかったです。だいぶ好評でした。S先輩はYシャツ一枚だったにもかかわらず寒いと言っていた私にコートを貸してくれました。ありがとうございました! 次回からまた測定など、気を引き締めて頑張りたいと思います。(環境政策学科1年H.Y)

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  1. 2006/12/14(木) 21:44:26|
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雪の夜(Ⅱ)

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少年の瞳も月の光を浴びてカチリと光る。こっちのほうが宝石みたい、とメアリは思った。
「さて、君は。」
その青い宝石をくるりとまわして少年はこちらに向き直る。
「なんて名前なんだい?」
「メアリです。」
9つの少女はおずおずと答える。
「メアリ?かわいらしい名前だね。君にぴったりだよ。」
少年はほんのすこしだけ吊り上がった目を細めて笑った。メアリもつられてにっこりと笑う。
「僕はね、ヴィオレットというんだ、よろしくね。」
ヴィオレットと名乗った少年は右手を差し出した。メアリが右手を出すと、ヴィオレットは指の先だけを繋ぐ不思議な握手をした。何処の国の挨拶だろう。手袋もしていないその白い手は意外に暖かく、そのぬくもりはメアリの心もふわりと暖めた。
おかげでくらくらしていた頭が少し落ち着いた。とにかくこの綺麗な男の子は普通の子では無いらしい。
「ヴィオレットは、どうしてこんな時間に外にいるの?」
ああ、と白い少年は微笑む。
「僕はいいんだよ。僕にとっては昼間の様なものなんだ。今も実は仕事中だったんだよ。」
その途中でこの家の屋根で雪を眺めて休憩するつもりだったらしい。
「大人の人に怒られないの?」
「怒られないさ。仕事だしね。こんなに寒いのにえらいって僕の頭を撫でる人だっているくらいだよ。」
ふふふ、と少年は笑う。こんな時間に外に出ていたらメアリなら両親に叱られるだろう。
「どんなお仕事をしているの?」
「そうだなあ、珍しいものを売ったり、買い取ったりするね。たまには交換もするかな。」

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ヴィオレットはズボンのポケットから小さな折り畳みのレンズをとりだし目に当てると、これで鑑定もするよ、とメアリの顔を覗き込んだ。メアリは茶色の瞳をぱちぱちさせる。ヴィオレットは笑ってまたレンズをポケットに仕舞い込んだ。
「こういう月の魔力の強い夜にはとても良いものを見つける事が多いんだよ。今日も夜更かしの可愛いお嬢さんに出会えた事だしね。」
そうだ見せてあげるよ、と少年はまたポケットに手を突っ込み、何かを包むように折り畳まれた群青色の布を取り出した。
なあに、と目を見開いたメアリは身を乗り出す。少年の白い指が丁寧に布を広げた。
「わあ、綺麗ねえ。」
思わずメアリは高い声を出す。群青の滑らかな布の中にはキラキラと七色に輝く不思議な形に角張った石が入っていた。ほのかに石の中心が光っている。
「なあに、これ?」
思わず触れようとしたメアリの指先から、少年は慌てて石を遠ざけた。
「触ってはだめだよ。解けてしまうからね。」
とても脆くて儚いものなんだよ、とヴィオレットはまた丁寧に包みなおすと、ポケットに戻した。そんなものをポケットに仕舞って大丈夫なのかしら。
「これは月の光が結晶したものなんだ。とても光が強くてとても寒い日は月の光だってかたまってしまうのさ。素敵だろう?」
月の光の結晶なんて初めて聞いた。なんて綺麗なんだろう、とメアリはひどく感心する。
その顔にヴィオレットは満足そうに顎を撫でた。
「ほらあそこに生えているバラ、花も葉ももうないんだけれど、そのとげに引っ掛かっていたんだ。今日は本当に良い月夜だから純度が高くて良く光る。」
裏庭のちいさな門に絡み付いたバラの木はメアリが植えたもので、毎年春に金赤色の小振りの花を咲かせる。その可愛らしい花を見る為にメアリはきちんと花の面倒を見ている。
「あのバラの木は私が育てているの。とっても可愛い花が咲くのよ。」
メアリは少し得意な気分でヴィオレットに自慢する。ヴィオレットはへえ、といって少し目を見開いた。
「それは感心だなあ。バラの花は手入れが大変だろう。」
バラは虫がつき易く、病気もし易い花だ。
「小さなバラだから大きなものよりは少し丈夫で育て易いってお隣のおばあちゃんがくれたの。」
この辺りは雪は深いが、春になり雪がとけると赤や黄色、薄紫の様々な色の花々が美しく咲き乱れる。春から夏にかけて特に目を楽しませてくれるのは様々な種類のバラだった。
バラは年中咲く花の筈だが、この辺りでは春咲きのものがほとんどで秋咲きの物すらほとんど見かける事は無かった。だからメアリもバラは春の花だと思っている。 (続)-KA-


 *童話『雪の夜』 好評連載中!
   「雪の夜」(Ⅰ)
   「雪の夜」(Ⅱ)
   「雪の夜」(Ⅲ)


  1. 2006/12/13(水) 22:26:09|
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雪の夜(Ⅰ)

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さく、さく、さく、さく。

ストーヴの熱気で白く曇った窓の外で、何かが雪を踏む音が微かに聞こえる。もうベッドに横になっていたメアリは毛布から顔を出し、耳を澄ました。

さく、さく、さく。

やはり聞こえる。なにか小さなものが歩く音に聞こえる。時計はもう今日に終わりを告げようとしていた。からだを起こし窓枠に手をかける。鈍く光る真鍮の把手はひどく冷えて、メアリをぶるりと震わせた。ちいさなかんぬきをカチリ、と外すと恐る恐る窓を開ける。途端に部屋に侵入する冷たさにメアリは慌ててベッドに引っ掛けておいた赤いカーディガンを羽織った。

さく、さく、さく。さく、さく。

先程よりハッキリ聞こえる様になったもののやはり小さな音だ。メアリは目を凝らすが目の前には真っ白な野原しか見えない。裏庭のヒイラギのかわいらしい赤い実も雪に埋もれ、その色を隠していた。自分の吐く白い息が視界をぼんやりとさせる。メアリは息を止めて白い地面を見渡す。

さく、さく。 さく。

音が止まった。何処だろう。窓から身を乗り出してみるが何も見えない。降り積もった雪は月明かりを受け止め、柔らかくはねかえす。そのまばゆさに目が眩み、メアリは思わず目を閉じた

「こんな時間に起きているとはいけないなあ、小さなお嬢さん。」
突然の非難にひどく驚いたメアリは、はっと瞳を開いた。先ほど迄だれも居なかった筈の目の前に独りの少年が立っている。驚きのあまり声を出しそうになった小さな唇を少年の白い手が塞ぐ。
「ああ、ごめん。驚かせてしまったね。そうか、今日はみつかがみの日だから僕の姿が見えるんだな。忘れていた。」
何もしないから騒がないで、と少年は笑うと、良いね、と念を押す。少女がこくりと頷くと、少年は目を細めてようやくその手を離した。突如現れた見知らぬ少年にメアリは大層驚かされたが、不思議と恐さは感じなかった。
とても色の白い、大きな青い瞳の少年だった。今年9つになったばかりのメアリより2つか3つばかり年上だろうか。メアリを「小さなお嬢さん」と呼ぶ程に年上には見えなかった。真っ白でやわらかそうな長めのセーターに、やはり真っ白のネルのズボンを穿いている。暖かそうなマフラーも白で、ブーツだけが黒く目立っていた。

「さっき歩いていたのは、あなた?」
ようやくメアリが口を開いた。
「迂闊だったなあ。ごめんね、もう皆寝ていると思っていたものだから。」
やはりそうなのだ。しかし一体何処を歩いていたというのだろう。いくら全身真っ白であるとはいえ、見過ごしていたとは思えなかったし、自分より大きな男の子が歩いている音にも聞こえなかった。不思議そうな顔をするメアリに少年は申し訳無さそうな顔で笑う。
「失礼とは思ったのだけど屋根の上をすこしね。雪があまりに銀色に光るものだからつい高い所から眺めたくなってしまった。」
メアリは裏庭の向こうに広がる野原に目を滑らし、空を見上げた。満月だ。
「ほら、あちらのネズの林を見て御覧よ。まるで何か宝石の原石の様だろう?」
白い固まりとなったネズの木は満月の強い光を受けてきらきらと輝く。
「君は良い日に夜更かしをしたね、最高の月だ。」  

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(続)-KA-


 *童話『雪の夜』 好評連載中!
   「雪の夜」(Ⅰ)
   「雪の夜」(Ⅱ)
   「雪の夜」(Ⅲ)



  1. 2006/12/12(火) 18:44:29|
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カマクラ形住居の源流と進化 -縄文建築論(Ⅴ)

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 御所野の大型住居や中型住居は円錐形もしくは饅頭形ではなく、カマクラ形の構造をしている。このたび竣工した山田上ノ台遺跡の復元住居もおなじような構造と推定される(↑)。こういう構造・形態はいったい何を意味しているのであろうか。私見では、縄文草創期にみられる斜面の住居構造にヒントがあるように思われてならない。10月17日のブログ「アイスブレイク」で書いたように、縄文草創期を代表する鹿児島の掃除山遺跡や福岡の大原D遺跡では、わざと山の傾斜面を住居集落の敷地に選んでいる。平坦な場所ではなく、斜面に建物をたてるのはなぜなのだろうか。
 平坦な地面に三脚を立てて円錐形に垂木をめぐらせば、たちまち円錐形テントができあがる。その内部に穴をほって、掘りあげた土で垂木尻を固めれば「上野原」型の竪穴住居になる。一方、大原Dや掃除山のような斜面に穴を掘ってしまうと、円錐形の屋根はつくれない。そこに屋根をかけるとすれば「切妻」か「片流れ」しか考えられない。大原D遺跡のSC003は、上部構造が復原可能な草創期の焼失住居跡として稀少な存在であり、炭化材が膜状にひろく残存している。その繊維方向を丹念にみていくと、①求心方向の材、②求心方向と直交する材、③繊維方向不明の材、に分けることができる。また炭化材をとりさった床面には無数のピットを確認できるが、中央の棟通りに深さ10~20㎝のピットは集中しており、何回かの棟持柱の建て替えを示唆している。以上から、図のような構造に復原した。棟持柱に支えられた棟木に垂木(①)をわたして地面と結び、その上に木舞(②)を水平方向に通して屋根下地の樹皮(③)を被せ、土で覆う。屋根に土が覆われていたことを示す土層を明瞭に確認できているわけではないが、炭化材の残りが良いこと自体が土に覆われていた傍証になるであろう。

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 このように、大原D遺跡SC003を例にとって考察すると、草創期の斜面立地住居は穴は縦に掘るのだけれども、斜面の下側を入口として、水平方向に人が移動する「横穴」風の住居ができあがる。これは「洞穴」のイメージとよく似ている。こういう縄文草創期の斜面住居は、小さな洞穴を人工的に造り出したもののようにみえるのである。
 この「横穴」風の斜面住居が平地面で展開すれば、御所野のカマクラ形住居になるのではないか。少なくとも、たんなる円錐形テントからの展開として、御所野のカマクラ形住居を理解するのは無理があるであろう。
 ところで、こういう目で縄文時代中期以降の掘立柱建物をみると、また新しい発見がある。そのきっかけとなったのは、新潟県北蒲原郡加地川村の青田遺跡の掘立柱建物である。青田遺跡では、平成11年から発掘調査がおこなわれ、特異な平面を有する掘立柱建物が複数みつかった。亀甲形をなす6本柱本体平面の片側に2本の小さな張出柱がとびだし、全体として長五角形の平面を呈する建物跡である。大型のSB4は全長10.7m、主柱の直径約45㎝、中型のSB5~8は長軸7~8m、柱根の直径約20㎝をはかる。
 大型および中型の住居跡における平面上の顕著な特色は、本体部分が亀甲形を呈するものの、あたかもオホーツク文化の竪穴住居のように、棟通りの柱が片側では突出度が大きいのに対して、その反対側では出が短くなっていることである。しかも、出の短い側に2本の張出柱をともなっていて、その張出柱は径が10~15㎝程度と非常に細い。青田遺跡の場合、柱根の残りが非常によかったから、こういう独特な柱配列に気づいたのだが、いま一度先行例を確認してみると、下田村の藤平A遺跡などでも、ほぼ同類の柱穴配列をもつ掘立柱建物跡が数棟検出されている。

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↑大原D遺跡SC003復原模型(縄文草創期) ↓鳥居南遺跡SB4[焼失住居]復原模型(弥生後期)
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 問題は、この掘立柱建物跡がいかなる上屋構造を有したのか、という点に尽きるであろう。縄文時代中期以降にみられる亀甲形平面の掘立柱建物は、弥生時代の独立棟持柱をともなう掘立柱建物とは、似て非なるものであり、独立棟持柱かにみえる前者棟通りの柱は、寄棟風求心構造の屋根を支える妻側先端の側柱とみなしうる。青田遺跡の掘立柱建物においても、出の長い一方の妻柱については同類の側柱と推定できる。しかし、他方の妻柱については、出が小さく、寄棟風求心構造の屋根を作ることは不可能といって過言ではない。この妻柱は、おそらく梁の外側にあってそれに接する棟持柱であろう。この場合、棟木は寄棟側ではおそらくサス、その反対側では棟持柱によって支えられる。棟持柱の側は切妻造となって、附属する二つの張出柱によって、前面に妻庇を備えていたとみてよいだろう。
 わたしの復原案をよくご覧いただきたい。それは、御所野遺跡の大型竪穴住居や鳥居南遺跡SB4復原模型(島根県太田市、弥生後期)の外観とよく似ている。縄文時代中期以降の竪穴住居と掘立柱建物は柱配列が基本的によく似ており、それは竪穴住居が地上化することによって掘立柱建物が成立したことを暗示している。こうしてみると、青田遺跡の掘立柱建物は5角形柱配列を有するカマクラ形竪穴住居が、低湿地に適応するかたちで地上化した可能性が高いといえよう。城之越遺跡などにみられる「庇」のない単純な5角形柱配列の掘立柱建物も、ほぼ同じ位置づけが可能と思われる。
 人工の洞穴として出発した斜面の住居は、竪穴住居の枠組内での進化にとどまらず、特異な掘立柱建物への脱皮もなしとげた。そういう道筋を思い描いている。

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