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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

櫓台に立つヤグラ

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 今日は鳥取城跡の調査兼修復現場を訪問した。いちばん苦手な「城跡」と「石垣」である。現場は大きく様変わりしていた。ご覧のように、6段のヤグラ(足場)が2棟立てられている。櫓台に立つヤグラだ。解体した高い石垣を復元するための「丁張り」をつくるための補助タワーである。いちばん高い位置にピアノ線のような水糸がはられ、そこから石垣の主要なラインに板材をぶらさげて、石垣のカーブを表現している。この目印となるカーブにあわせて石を積み上げていく。
 一方、発掘調査トレンチも2ヶ所みせていただいた。土層はあきらかに上下2層に大別でき、下層が「瓦を含んでいる」ことを担当者は強調したので、
  「いつの時代を言っているの?」
と訊ねてみた。担当者は、下層を宮部期以前、上層を池田長吉期以後とみているようだ。どうやらノビタ説よりも古い年代観をイメージし始めている。しかし、もとよりそれを実証する遺物が出土したわけではないので、来年あたり、長いトレンチをいれて遺構変遷を確かめるべきだという意見が大勢を占めた。

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 それからしばらく上月さんのプレハブで休ませていただいた。上月さんは、患者のことをいたく気遣ってくださった。
  「ほんとは、あんたと今日も飲みたいと思っとったですけどなぁ、今はいけん。今は仕事のことよりも、奥さんのことに一生懸命にならんと・・・」
 上月さんのプレハブでは、県教委の重鎮たちと、少しだけ妻木晩田のことについて話し合った。ただ、いまは県議会のまっ最中で、その話も尻切れトンボで終わってしまった。
 それから、西高のグラウンドまで降りて、別の発掘調査現場をみた。大手門脇の枡形の遺構がでている。枡形までは良いのだが、絵図に描かれた周辺の番小屋等の建物跡がみつからない。礎石は抜き取られて転用され、敷地は整地されてしまったのかもしれない。

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 それからそれから、わたしは母校、すなわち鳥取西高の進路指導室を訪問した。西高は環境大学のことなど眼中にない。そのことは良くわかっているのだが、とりあえず、わたしは西高100年祭のときに2年生で、あの年は甲子園にも応援に行って、仙台育英を破ったのだ、というような雑談をして帰ってきた。実感としては、鳥大の地域学部の滑り止め併願の可能性があるようで、
  「鳥大地域学部に比べたら、カリキュラムも教員もずっと優れています」
と豪語しておいた。鳥取大学地域学部のみなさま、まことに申し訳ありません。ほんとは、「併願でかまいませんから受験を薦めてください」と深く頭を下げたのです。
 ついで、鳥取工業高校も訪問した。ここは、OBでは岡村、現役ではMr.エアポートの母校なので、
  「わたしはずいぶん鳥工からの入学生の面倒をみてきたんですよ!」
と自慢げに述べ、さらに、
  「わたしの父は、晩年、鳥工で力学を教えていて、この校舎の設計もしたらしいんです」
と付け加えたら、切り替えされた。
  「じつは、わたしの息子が環境デザイン学科でお世話になっていまして、今年1年生なんですが・・・」
 驚いて、名刺を見返したところ、たしかに同姓の学生がいる。わたし自身、デザイン演習2で2回図面のチェックをした学生である。この前の授業では、「胃腸炎です」と言って苦しそうにしていたので、お父上にその話を告げたところ、
  「そうなんです、一家をあげて胃腸炎になってしまいまして・・・・」
 おまけに息子さんの出身校は鳥工だという。父は「機械科」の先生で、息子は「理数工学科」(受験クラス)の生徒であった。なんだ、Mr.エアポートの後輩ではないか。こういう学生の後輩諸君が、本学環境デザイン学科を一般入試で受験してくれることを切に願っている。

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↑天気は快晴だが、中国山脈は冠雪。早くスタッドレスに替えないといけない。

  1. 2006/12/06(水) 19:24:04|
  2. 史跡|
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asa

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