手元にある三角スケールで計ったら、厚さが4.3㎝もある。本の厚さである。サイズはB5版。総ページ数は780ページで、参考文献や注釈をのぞく本文だけでも580ページもある。おまけに体裁は単純な縦書の一段組。図版はすべて巻頭の口絵にもっていっているから、本文との対照が大変だ。まるで、「読むな!」と言わんばかりの装幀ではないか。わたしだったら下に余白を設けて、図版や参考文献を納めていくところだが、たぶんそうしなかったのは、余計な紙面デザインをすると、さらにページ数が増えると編集者が判断したのだろう。無骨なごつい本で、値段は4万円以上する。
読みたくて、この本を読んでいるのではない。仕事で読まされているのである。「査読」に近い仕事だ。学会誌に投稿された10ページばかりのへなへな論文を査読するのだって、結構時間とエネルギーを使うのに、厚さ4.3㎝の本ですよ。しかも、内容がもうひとつよくわからない。「東アジア」という範囲で括れるフィールドではあるけれども、わたしが得意とする中国でもなければ、なんとかこなせる日本でもない。でも、まったく無縁な地域というわけでもなくて、そこに行って実測調査したこともあるし、旅して遊んだこともある。
でもやはり、専門の地域ではないから、もう膨大な民俗語彙に接するだけで頭が痛くなる。知らない史料も原文でいっぱい引用されている。正直、ついて行けない。でも、仕事がまわってくるということは、わたし以外の研究者だと、さらに手こずる内容だと判断されたからであろう。
それにしても、「読め!」という割に元締めはケチだ。本を読み終えたら、返さなければならないのである。だから、線も引けないし、書き込みもできない。付箋を貼るのが精一杯なんだから、これで講評を書けというのは、あまりに酷ではありませんかね。で、ギャラがあるかと言えば、ないんです。
ならば、どうしてそんな仕事を受けたかって!?
同業者なら、たぶんわかるでしょうね、「査読」に近い仕事だっていってるんだから。この本以外にも、あと2冊読んだんですがね、最後の厚さ4.3㎝にはめげました。病院のベッドに寝転がって、ふてくされながら文字の羅列を追って、半日過ごしましたよ。
なんで研究者の書く本はこんなに読みにくいんだろう。
ユン・チアンの『マオ』なんか学術書に近い内容だし、とんでもなく分厚いのに、引き込まれるように読んでしまった。でも、大半の研究者の書く本は苦痛だ。わざと読みにくく書いているのか、文才がないのかわからないが、退屈だったり、読みにくかったり・・・きっと自分の書いた本も他人はそう思っているんだろうな。
わたしも、書き散らかしてきた論文・雑文をまとめなければならない時期が来ている。どうせ出版するなら、売れる本にしないとね。家計を助けないと。
- 2007/02/17(土) 04:08:06|
- 文化史・民族学|
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