久しぶりに蕎麦切り「たかや」でもりそばの大盛りを平らげた。そこで、鳥大の某先生とばったり。どこも大変なんですね、大学受難の時代です・・・
食後、駅南の生涯学習センターで「教育審議会生涯学習分科会兼社会教育委員会」。SC鳥取をアルビレックス新潟のような組織にできないものか、と発言しようとしたが、まわりとずれていてすべってしまった。それから、だんまりを決め込んだ。正直、体調がよくない。頭がぼーっとしているので、もう黙っていることにした。
「公民館・図書館等」社会教育施設の話題に移った。市町村合併にともない、公民館や図書館の活用のあり方が問われているのだという。これは、だれかの「卒論」になるな、と思いながら、他の委員の発言をぼやっとした頭で聞いていた。
驚いたことに、みんな公民館に愛着をもっている。わたしには、そういう気持ちがまったくない。だから放っておけ、と思って黙っていた。座っていれば委員会・・・
「やはり公民館というところは、学習の場であることが基本でして、遊びの場として活用されることは避けなければならないと思います。」
とだれかが言った。
そんなバナナ。それでも黙ってきいていた。昨日のエリート医長とのディベートとは違って、なんの興奮もなく、ただただ自分の意識とのズレを深く感じるだけだった。
トイレに行って戻ってきたら、司会者がわたしに意見を求めた。しゃべるしかない。
「わたしはいちおう学者でしてね、学問をなりわいとしているわけですが、なぜ学問をしているのかというと、それが遊びだからなんですね。学問をやっていると、とても楽しい。論文を書いたり、本を編んだりすることが楽しくてしかたない。これはもう趣味ですね。日常の業務は仕事ですが、学問は遊びなんです。だから、学習や社会教育はよろしいが、遊びは駄目だという二分法がよく理解できません。ともかく、人が集まって楽しめなければ意味がないのだから、既成概念としての<生涯学習>や<社会教育>にこだわっても意味がないんじゃないでしょうか。なんかみなさんの話を聞いていると、20世紀的な公民館のあり方を継承しようとしているだけで、市町村合併後の新しい21世紀的な公民館のあり方を模索しているようには思えないんですがね・・・」
と苦言を呈した。
すると、某TVアナウンサーは反論する。
「公民館とは、とても大切なものです。20世紀的だとか21世紀的だとか分けるのではなく、公民館として守らなければならないものがある。」
わたしは、うまれてこのかた、「公民館が大切なものだ」と思ったことがない。公民館で活動したのは、たぶん3回ぐらいしかないように記憶する。なぜ、それほど公民館が地域にとって大切なのか、さっぱり理解できない。
2時間の会議中、わたしはわたし以外のすべての出席者との意識のずれを感じ続けていた。
それから確定申告に行った。午前中、ある大口の原稿料の源泉徴収票がみつからず、出版社に頼んで写しをFAXしてもらって、なんとか確定申告にまにあわせた。税務署はごったがえしていたが、すり抜けるコツをお教えしますとですね、手書きは避けること。パソコンでの申告ならば、迅速に処理できます。おかげさまで、還付金857円なり。ハマダバダ!
- 2007/03/14(水) 21:31:37|
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