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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

洞ノ原炎上(Ⅲ)

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 朝から鳥取城跡の本委員会があって、出席しようかどうか迷っていたのだが、起きられなかった。卒業式後、疲労はピークに達していて、もう駄目だと思ったので、携帯を1階においたまま2階で眠ってしまったのである。目が覚めたら、12時前。携帯を確認すると、着信履歴が山のように残っている。
 市の担当者には、謝罪の電話をいれた。「眠っておられるなら良いのですが、倒れられているのではないか、と心配していました」とのこと。ご心配をおかけしました。よく眠らせていただいたので、悩んでいたけれども、車で家を出た。途中、白兎海岸のコンビニに立ち寄り、ユンケルを飲んでからだに気合いを入れた。目の前には、舟屋群と蒼い日本海がひろがっている。この景色は、今年度のいちばんの想い出かもしれない。あの暑い夏、倉吉尾崎家との往復でなんども眺めた日本海の風景。気候は穏やかになり、荒々しい冬の日本海は、わたしの大好きな夏の日本海の顔を取り戻しつつある。
 空と海が融け合う壮大な景観に包まれていると、仄かな寂しさがこみあげてきた。ニール・ヤングの鼻にかかった高音が、その気持ちに拍車をかけた。「ライブ・アット・マッセイホール」。1971年、全盛期のニール・ヤングのアコースティック・ソロライブである。全曲、ギターとピアノの弾き語りで、どれも懐かしい曲ばかり。この孤独なうめきは何なのだろうか。六連奏のCDチェンジャーに納められたどんなジャズ・ギタリストのアルバムも全盛期のニール・ヤングには敵わない。ジム・ホールも、パット・メセニーも、パット・マルティーノも、ジョー・パスも。音楽は技術ではないんだ・・・

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 まずは大山町の文殊領(もずら)遺跡へ。かの茶畑第1遺跡から北へ約500m、茶畑山道遺跡から北東約600mの位置にある弥生時代中期の遺跡。お寺の境内の試掘トレンチに大型掘立柱建物の独立棟持柱穴と隅柱穴がひっかかっている。近畿でよく出土する「伊勢神宮」型の大型建物である。柱穴の深さは1m前後ある。建築部材らしき木材も近くのトレンチで出土しているというので、見せていただいたが、残念ながら「建築部材」と判定できる材ではなかった。しかし、今後の本調査が楽しみな遺跡である。やはり、茶畑遺跡群は尋常なエリアではないね。

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 それから妻木晩田遺跡へ。3月7日に焼失した洞ノ原8号住居の残骸を視察した。関係者の話を聞くと、こうである。竪穴周堤の垂木が接地する近辺で木材の腐朽が著しいので、壁に近い桁下で火を焚いていた。これは燻蒸のために煙を出すことを目的しているというよりも、室内を乾燥させるために炎があがるような「焚き火」に近い状態だった。火の粉が飛んで下地の茅に着火したと報道されているが、むしろ自然発火の可能性がある。炎の上部で温度が上昇し、乾燥しすぎた垂木から自然発火したのではないか。室内には消火器を2台おいていたが、粉末の消火剤は木材に対して効果がない。粉末は空気と木材のあいだに幕を作るだけで、木材の内側に残った火種を消すことはできなかった。放水して湿らせないと鎮火できない。また消火器の粉末は距離3mぐらいまでしか達さない。越屋根(煙出)までは5mはある。垂木の室内側が鎮火したと思ったら、火は外側に燃えひろがっていた。

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 わたしは、屋根土がずり落ちていたことを火災原因のひとつと主張してきたが、所員はそういうことはないという。そこで、昨年7月のシンポジウム用チラシを確認したところ、やはりサシガヤは入口の棟に接するところまで下がっていることが判明した。つまり、火は内側の棟付近の垂木から出火し、まず越屋根を焼き、その後、土のないサシガヤ部分を焼いて、入口に延焼したというプロセスが想定できよう。
 焼けてしまったものは仕方ない、という達観めいた開き直りもできるかもしれない。しかし、わたしは責任の所在を明確にし、「けじめ」はつけていただきたいと思う。それだけ、この事故の影響は甚大だ。「けじめ」をつけた上で、迅速に後始末に取りかからなければならない。しかし、その後始末がやっかいになっている。再建に対する国の補助はなし。県費だけでは足りない、という。担当者たちは、某財団をあてにしていたが、そこから補助が下りる保証もない。このまま放置しておけば、妻木晩田のシンボルともいえるこの大型住居が再建されるまで、2~3年を要するだろう。わたしは「実施設計をはしょれ!」と指示した。すでに、実施設計図はあるのだから、施工業者だけ決めてしまえばよいのである。言い換えるなら、施工図から出発すればよい。元の実施設計図を叩き台にして防火・防水機能を強化し、焼失前の住居よりも良質の復元住居を一刻もはやく再建しなければならない。
 県の責任者、関係者に申し上げておきたい。
 この火災住居の復元には特例措置を適用すべきである。妻木晩田のシンボルともいうべき復元住居を、焼け焦げた状態で2~3年も放置しておくわけにはいかない。訪問客に与える影響が大きすぎる。すでに述べたように、まずは責任の所在を明確にして体制刷新をはかり、すべからく再建に着手すべきである。わたし自身が奈文研遺構調査室最後の仕事として基本設計をおこない、環境大学着任後に施工監理に携わった建物でもあり、出来る限りの協力を惜しまないから、なんとか財政を動かしていただきたい。現在進行している本整備のスケジュールをずらしてでも、この竪穴住居の再建を優先すべきだとわたしは思う。
 本整備の基本設計も難航している。妻木晩田の環境整備に入札制度がたちはだかって、今年一年の成果は税金をどぶに捨てたようなものだ。来年度、一からやり直すと言っても、同じことの繰り返しになるような気がして仕方ない。そんなことなら、本整備の準備はいったん休止したほうがいい。ひどい整備を進めるなら、整備などしないほうがいいんだ。いまの妻木晩田で十分ではないか。
 ただし、焼けた洞ノ原8号住居は迅速に再建しなければならない。

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  1. 2007/03/22(木) 21:22:39|
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asa

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