Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

鞭をいれるころ(Ⅱ)

 5月25日の「倭文日誌」を読んでいただきたいのだが、LABLOGからの転載記事の下に3年の学生Y.O君が強烈な文章を書いている。それは、今年の1・2年生のやる気のなさに対する批判なのだが、わたしはそれにコメントし、苛立ちを抑えるよう示唆しておいた。正直、6年間プロ研をやってきた感想として言えることは、「駄目な年は駄目」であって、今年はそういう年なのかもしれない、という不安を4月当初から感じていたのである(もちろん一部の学生はよくやっている)。
 しばらくして、今度は就職活動中のチャックからメールが入った。1・2年生からまったく連絡が入らないので、「ブルーシートを買うべきかどうか」判断できない、というメールであった。

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 先週のプロジェクト研究を終える際、鳥取の実家に住む5人の1年生に対して、マットの廃棄物がないか、ブルーシートがお借りできないか、などについて家族に訊き、その結果をチャックもしくはけんボーに報告するよう指示しておいたのだが、結局、チャックにはなんの連絡もなし。一方のけんボーはと言えば、自分の取得単位数を知っていないはずはなかろうに、こともあろうか、指導教員の「地域生活文化論」講義を寝坊で欠席するありさまで、いったいシートを何枚買えばよいのか、最後まで分からずじまいだったのである(チャックは3枚買ってくれていた)。
 プロジェクト研究が始まって、ただちにこの件を5名の1年生に問いただした。うち1名はけんボーに「家にシートはない」旨連絡していたことが分かったが、他の4名は「無しのつぶて」。「ある」とも「ない」とも回答しないまま、1週間を過ごしていたのであった。
  「いったいだれのプロジェクト研究なんだ? この授業は4年生のプロ研なのか? いったいいつまで上級生に甘え続けるつもりなのか?」
とわたしは叱った。これで、かれらは十分びびったらしい。

 加藤家に着くと、チャックが買い込んだ新しいブルーシート以外に、汚れたブルーシートがたくさんあることが分かり、家具班の学生にはただちに洗浄を指示した。なぜ、これだけ多くのブルーシートが必要なのかというと、今日は家具をロフトにあげることにしていて、その運搬作業でロフトの床面を傷つけたくなかったからである。今日はあくまで家具の仮置きであり、持ち上げた家具と空間の寸法関係などをよく理解した上で正式な配置を決めなければならない。それまでにロフトの床面を傷めたくはなかった。

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 家具の持ち上げは大変な作業であった。土間に左SHが陣取り、家具に紐をまきつけて上から引き上げる。梯子の中段にはチャックとけんボーが横たわり、紐で引き上げられる家具を揺らさせないように調整する。
 リファーレンで購入した9つの家具を持ち上げて、とりあえず一段落した。ところが、「灯台もと暗し」とはこのことで、加藤家の裏側の部屋にはたくさんの家具が収納・放置してある。そのなかには、ロフトで使えそうなものも少なくない。さっそく管理人さんに電話して訊ねたところ、「どうぞ、どうぞお使いください」とのこと。そのなかには「仏壇」に転用できそうな飾机もあれば、LPの聴ける蓄音機まであった。その蓄音機は骨董のようにみえて、そうではなかった。2003年コロンビア社製造のレトロ商品なのである。そういえば、国内線の飛行機に乗ると、通信販売のカタログにこの手のレトロな蓄音機が毎号掲載されていたな・・・管理人さんは、これも要らないという。もちろんわたしは学生時代に書いためたLPを今でもたくさんもっているので蓄音機は大歓迎である。
 というわけで、荷揚げ作業が再開。結局、15個あまりの家具をロフトに上げた。
 家具班は、これらの家具を二つに分類した。①そのまま使用するもの、②補修・補強・改修など手を加えるもの、の2種類である。②については、来週以降、再び土間に下ろして大工仕事をおこなうことになる。また、6月3日に開催されるリファーレンのイベントには1年2名が買い出しに行くことになった。いま、足りない家具は作業机となる大きめのテーブルと本棚だ。

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  1. 2007/05/31(木) 23:55:18|
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鞭をいれるころ(Ⅰ)

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 ふたりの学生を大学に帰らせた。加藤家から大学に帰らせたのである。
 じつは先週のプロジェクト研究でも、別のふたりの学生を大学に帰らせた。リファーレンいなばから大学に帰らせたのである。
 リファーレンでミーティングを始めているのに、私語をやめないので「うるさい!」と注意して大学に帰らせた。一人が車をもっていることを、わたしは知っていた。
 今日は歩いて帰らせた。二人とも車をもっていなかった。そのことをわたしは知っていた。加藤家から大学まで2時間かかったという。
 今日、このふたりの学生は与えていた課題をまったくやってきていなかった。アトリエ班全員でロフト部分の模型をつくり、各自が家具の模型を作ってその配置を考える。その家具模型制作と配置の作業を二人の1年生は完全に放棄していた。
 だから、大学に帰らせた。歩いて帰らせた。来週から、もうプロ研に来なくても良い、とも言った。

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 さきほどまで、そのふたりの学生が教授室を訪ねてきていた。
  「今日はすいませんでした。模型を作ってきました。」
と言う。どれどれ・・・二人とも、やればできるではないか。家具のレイアウトも悪くない。1班(アトリエ班)の5名で、ようやく家具配置に関する一定の認識を共有できそうな気配がしてきた。 
 別項で述べるが、今日は2班(家具班)がリファーレンの家具と加藤家の家具を15個ばかりロフトにあげた。それはそれは、大変な仕事であった。加藤家に残された1班の3名は、レイアウトについての協議を続けたのち、ロフトにあがって、すべての家具の寸法を測った。これで、より精密な模型が作れるはずである。
 残された課題は「布」ではないか。敷物、カーテン、暖簾などの布や編み物を揃えたり、縫ったりして、ワンルーム・スタイルのロフトに微妙な空間のグラデーションを与えたい。わたしが東南アジアやスリランカで買い集めてきた仏像や仏具との相性がよいから、できれば南方アジア系のエスニックな素材とデザインを使いたいのだが、叶うだろうか。
 さて、残すは7週間。先週、今週と鞭をいれた。幸か不幸か、作業はようやく軌道に乗り始めた。しかし、まだまだやるべきことはたくさんある。プロジェクトの自主的な進展を心から願っている。

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↑「仏壇」(南方アジア収集仏具・仏像陳列棚=「続き」を参照)に転用できそうな加藤家の古家具

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  1. 2007/05/31(木) 22:02:50|
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『北海道考古学』第43輯 発刊!

 『北海道考古学』第43輯が大学に届いていた。この号の特集は「遺跡の保存、そして活用」。以下の7篇の論文が寄せられている。

  <鷲ノ木遺跡の保存・活用への提言>
   長沼 孝「鷲ノ木遺跡の保存と史跡指定」
   藤田 登「鷲ノ木遺跡の調査と将来構想」
  <遺跡の個性と活用の実践>
   寺崎康史「史跡ピリカ遺跡の保存と活用について」
   武田 修「史跡常呂遺跡の保存と活用」
   田原良信「特別史跡五稜郭跡の復元整備と活用について」
  <遺跡保存・活用の理念と文化財行政>
   浅川滋男「木造建築遺産の保存と復元-日本の可能性」
   畑 宏明「私の文化財保護」

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 北海道森町の鷲ノ木遺跡は高速道路の建設の事前調査でみつかった縄文後期のストーンサークルと竪穴墓の遺跡。2004年の北海道考古学会にわたしが招聘されて講演したときには、保存か開発かの論争真っ最中で、わたしが呼ばれたのも鷲ノ木遺跡の保存運動を活性化させることを目的としたものであることをあとで知らされた。保存運動の甲斐あり、昨年1月、鷲ノ木遺跡は国の史跡に指定された。『北海道考古学』第43輯は、その指定記念号のような趣きがある。
 わたしは、自分の講演では「北海道」のことをほとんどしゃべっていない。いつものことだが、ユニバーサルな視点から「遺跡の保存と復元建物」の問題を論じた。
 この原稿は1月下旬から2月初旬にかけて書いていた。ちょうどあのころ大学院の授業で輪読していたユッカ・ヨキレットの『建築遺産の保存』の影響がじんわりでている。
 抜き刷りを50部頂戴したので、ご希望の方にはお分けいたします。ご連絡ください。



  1. 2007/05/30(水) 23:49:29|
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「知の財産」助成研究に新規採択!

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 2007年度の<とっとり「知の財産」活用推進事業>に申請していた研究が採択された旨、県の担当部局より連絡がありました。一昨年度の「市町村合併にともなう文化財の地域問題」に続いての採択です。
 今年度の研究テーマは以下のとおりです。

     山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究
       -史跡整備のための資料集成と復元マニュアルの作成-

 ひと言で述べるなら、県内で多数出土している弥生~古墳時代の焼失竪穴住居と青谷上寺地の建築部材を総合的に研究して、弥生時代建築の「文法」を実証的に復原しようという目論見です。青谷上寺地についてはまたいくつか復元CGを制作、焼失住居跡については昨年度の課題対応スキル事業を継承して1泊2日程度のシンポジウム&ワークショップを開催しようと考えています。県内の文化財主事のみなさんにお集まりいただくことになると思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 以下、申請書からの抜粋です。

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  1. 2007/05/30(水) 00:26:24|
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ボトルネック・ブルース

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 「島村楽器」でギターは買わなかったが、小物を二つ仕入れた。一つはデジタル製のマイクロ・チューナー、もう一つはスライド・バー。この二つには密接な関係がある。
 スライド・バーというのは、スライドギターを弾くための道具で、ふつう左手の小指にはめる。これで弦をすべらせると、ビヨビヨ~ンと音が伸びたり縮んだりして、普通のギターではあり得ない音色が生まれるのである。
 よく知られているように、スライドギター奏法は酒場で生まれた。ビール瓶やウイスキー瓶のネックの部分をカットして指にはめ、それでギターを弾いたのが始まりで、だから「ボトルネック」という別名をもっている。起源はブルースなのか、カントリーなのか知らない。ともによく使う。ハワイアンでは、一段進化したペダル・スティール。ロックのスライド・ギターは派手だよね。すぐに思い浮かぶのは、デュアン・オールマンかな・・・あのオールマン・ブラザース・バンドの「ステイツボロ・ブルース」にはしびれました。デレク・アンド・ドミノスでのクラプトンとのツィンギターも忘れられないけど、どうやらオールマンはデレク・アンド・ドミノスの正式メンバーではなかったみたいだね。クラプトンにバンド入りを誘われて断ったという逸話が残っている。

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 スライドギターはだれだって挑戦したいはずなんだが、ひとつ大きな障壁があって、それはオープン・チューニングを使いこなさなきゃならないこと。レギュラー・チューニングでやれないこともないけれど、ふつうはオープンGかオープンDで弾くから、調音が面倒くさい。一つのギターでチューニングをひっきりなしに変えるのはしんどいことだ(ボトルネック専用のギターを1台用意すればいいのだが)。もういい歳だから耳も悪くなっていて、6つの弦を正確な音にあわせるのがうっとおしくて仕方ない。だから、デジタル製マイクロ・チューナーが役にたつ。ギターヘッドにクリップを挟んでスイッチをいれると画面があらわれ、合わせるべき音が画面の真ん中におさまるようにすれば良い。便利です。このチューナーはかなりな優れものでして、ギターに限らず、ほとんどすべての弦楽器・管楽器に使えるし、場合によっては、附属の遠隔マイクを譜面台にとめても調音できる。

 驚いたことに、エレガットでもボトルネックはできるんだ。ナイロン弦じゃ無理だろうと思っていたんだけど、ちゃんと音がのびのび出てくる。さっそく打田十紀男の教則本で、いちばん簡単なオープンDチューニングのブルースを練習した。決してうまくはいかないけれども、スライド奏法を通して、オープンGやオープンDなどの変則チューニングを学べるのは悪いことではないだろっ!?


  1. 2007/05/29(火) 02:38:10|
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イトーヨーカドーの秘密

 猛暑の一日。大分では摂氏35度を記録したとか。
 我が家のユスラウメは枝もたわわに真っ赤な実を稔らせていて、昨日は主人自ら実をもいだ。 
 そして、家内とイトーヨーカドーまで買い物に。イトーヨーカドー奈良店は、2000年に閉店した奈良そごうの施設を買い取って、2003年7月にオープンした。奈良そごうの敷地は、奈良時代に長屋王の邸宅があった場所である。いまから20年前、わたしは3年あまりの間、長屋王邸宅跡(平城京左京三条二坊一・二・七・八坪)の発掘調査に携わっていた。右も左も分からないころ。ただ先輩たちに言われるがまま土を掻いていた。
 そういえば、次々週の「建築と都市の歴史」講義はテーマが「寝殿造」だから、その前史として長屋王邸宅に触れないわけにはいかない。いま振り返ると、結構悔やむんだな。長屋王邸正殿の平面はのちの紫宸殿の平面とそっくりでしてね。紫宸殿のような切り込み階段を四隅に設けて入母屋+落棟の屋根に復原するんだった。有名な藤原豊成板殿(藤原不比等の孫が紫香楽宮に営んだ別荘の一殿で、762年に石山寺に移築)も、この系列の平面をしていて、わたしは切り込み階段があったに違いないと思っている。

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 さてさて、イトーヨーカードに行くのは2度目のこと。要するに、めったに行かないんだが、家内には夕食の仕入れをしようと言って誤魔化し、じつは4階にある奈良県最大の楽器店「島村楽器」に目をつけていた。こんなに大きな楽器店がイトーヨーカードに入っているなんて全然知らなかった。それを教えてくれたのは、天理楽器の若き店長である。
 Wikipediaの「そごう」の項目に、以下の強烈な文章を発見した。

  なお、奈良そごう(現・イトーヨーカドー奈良店)をはじめとする全支店フロア
  には、巨大で絢爛豪華な会長室(俗称:皇居。連絡口はバックヤード倉庫奥等に
  巧妙に配置し、一般客には一切気付かせない仕組み。連絡用エレベーターも、
  一般客向け開放エレベーターとは別個に設置されていた)があったといわれ、
  このようなバブル経済期の遺産もそごうを苦しめた一つの原因と考えられる
  (現在もイトーヨーカ堂奈良店の楽器店のスタジオ、札幌エスタ(ビックカメラ
  札幌店などが入居)のテーマパーク札幌ら~めん共和国として存在する)。

 つまり、この楽器店はそごう全盛期に「皇居」と呼ばれた一画をスタジオとして取り込んでいるわけで、いかに広いか、これで十分想像できるでしょう?

 ギターを5本試奏した。ヤイリ3本、モーリス1本、ヤマハ1本。やっぱり高い楽器は違いますね。このうちの1本とわたしの相性は抜群だった。田園町宿舎のフォーク・ギターや奈良自宅のエレガットでは、何度弾いてもおぼつかないフレーズが、ほとんどノーミスで弾きこなせてしまう。若い店員は「エレキなら弾けるんですが、そういうフィンガリングはできません。上手いですね・・・上手い・・」というリップサービスを連発する。鳥取の楽器屋の店員は絶対にこういうおべんちゃらを言わない。関西の店ではおだてまくりだ。そんなことは百も承知なんだけれど、やっぱり根が馬鹿だから、調子にのって、買おうかとも思ったんだが、今日はぐっとこらえた。
 ところで、なぜまたギターなのか、というと、みんな高価なギターをもっていることに気づいてしまい、少し恥ずかしくなってきたから。ホームページをみても凄まじいコレクションが並んでいるし、先週末にはある学生が20万円のマーチンをもっていると豪語してわたしを驚かせた(かれはなかなか良いオリジナル曲を聴かせてくれた)。一方、わたしは看病に疲れた心身を癒すためにギターを買ったのであって、ギターそのものに大きなこだわりをもってはいない。極端な話、練習できればよいのである。しかし、高価なギターを弾いてみると、普段ミスするフレーズがきちんと弾けてしまうではないか。
 動揺しますね。
 ちなみに、わたしが目をつけた1本について、店側は入手困難な機種であり、1円も負けられないという。
 さて、どうしたものか・・・


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↑イトーヨーカドーから帰ってきて、ベトナムのコーヒーで一休み。院生がお土産にくれた福隆(プックロン)公司の「MOKA」ブレンド。なかなか荒っぽい味だが、やはり濃いめに淹れてミルクをたっぷり注ぐと我が家の味になる。ユスラウメの実は蜂蜜とあわせて食べたら最高! ブルーベリーに匹敵します。



  1. 2007/05/28(月) 00:31:56|
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再びゲーリー・ピーコックについて

 昨夜未明、24時間営業の弁当屋兼食堂に入った。じつは、2日連続の深夜訪問なんだが、昨日は時間が遅すぎて、おかずはもう佃煮のようなお総菜しか残っていない。と思ってがっくりしていたところ、サバのみそ煮パックを発見。お値段は75円と超安い。レジの女性に「これ大丈夫ですよね?」と念をおしてから、サバをメインディッシュに決めたのであった。
 とりあえずは満腹になって、家に帰った。もちろんただちに寝るわけもなく、最近取り寄せた教則ビデオ『ブルースギターの常套区』(VHSの中古品で1000円でした!)の付録譜面をみながら、最もプリミティブなブルース・ピッキングの練習をした。それをインストラクターの打田十紀男は「ミシシッピ・ジョンハート・スタイル」と名づけている。これは、いわゆるオルタネイティング・ベースのフィンガー・ピッキングで、ラグライム・ピアノの左手をギターの右手親指で表現しようとするもの。4~6弦のベース音を、ズンチャ、ズンチャという2ビートで交互に弾いてリズムをとりながら、1~3弦は人差指と中指でメロディを奏でる。
 正直、こんな技術はとうの昔に習得したはずだ。わたしだって、高校生のころ、ステファン・グロスマン大先生の教則レコードを取り寄せて、ずいぶんカントリー・ブルースのピッキングを練習したんだから。ところが、やっぱりすぐには弾けない。というか、完璧には弾けない。オルタネイティング・ベースというのは、案外、むつかしい技術でしてね。ともかく大切なのは正確にリズムを刻むことなんだけど、人差指と中指で奏でるメロディに惑わされて、いつしかベース音の反復が乱れていくんですよ・・・じつは、わたしが悪戦苦闘している「第3の男」(吉川忠英編曲)も、このオルタネイティング・ベースがやっかいなんです。メロディはエビスビールのCMソングなんだから、すっかり頭に入っているし、コードもそんなに難しくない。ところが、A(ラ→ミ→ラ→ミ)とE7(シ→ミ→シ→ミ)のベース音の反復が途中からおかしくなって行くんです。

 ・・・それからまもなく眠りに落ちたんだけど、明け方になってお腹が痛む。痛くて痛くて目がさめ、トイレに直行!
 キース・ジャレット・トリオのベーシストはゲーリー・ピーコックでしょ。素晴らしいベーシストだわね・・・昨日はわたしのお腹がゲーリー・ピーコックですよ。強烈なゲーリー・ピーコック!・・・三角山登山を覚えていますか・・・
 ただちに大量の正露丸と抗生物質を白湯で胃袋に流し込み、再び眠りに落ちることは落ちたんですが、2時間後にはまた2度もトイレに行く羽目に。ずいぶん考えたんだけど、サバのみそ煮以外に原因が思いつかないんですね。昼間はコンビニのおにぎりやクラッカーしか食べていない。食堂で食べたのは1回だけ。ご飯とみそ汁と佃煮のようなお総菜とサバのみそ煮なんですよ。しかも、それは最後の最後の残りもの・・・

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  1. 2007/05/27(日) 02:55:57|
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門徒造の民家

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 門徒造の民家について悩んでいると以前に記したが、某所から情報が送信されてきた。間取りや構造についての説明は含まれていないが、写真が貼付されている。屋根はすでに茅葺きではなく、セメント瓦で葺かれているようだ。
 内部は奥に仏壇がみえるが、畳間が3室映っている。片側に3室なら両側で6室になるから、尾崎家のブツマのように田字形(4間取り)にならない。この状況をみるかぎり、仏壇を奥座敷におけば「門徒造」なのかもしれない。
 できるだけ早く現存遺構を実見し、現在の間取りだけでなく、その当初の姿を復原的に理解しなければならない。

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  1. 2007/05/26(土) 02:17:38|
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私たちを取り巻く歴史的環境

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 鳥取大学と鳥取県教育委員会が合同で主催する「私たちを取り巻く歴史的環境」というシンポジウムが6月2日(日)午後1時半から県民文化会館の小ホールで開催されます。ハマダバダ君から大量のチラシとポスターが届きました。ここに紹介させていただきます。話題提供者は高田健一(鳥大)、錦織勤(同)、濱田竜彦(県教委)、中原斉(同)、松本絵里(同)の5名です。

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 また、このシンポジウムに先がけて、同日の午前に「2007年度鳥取大学地域学部地域環境科 地域環境調査実習発表会」も開催されるとのことです。詳しくは上に掲載した2枚のチラシをご参照ください。

 わたしは週末は奈良で介護状態にシフトしますから、出席できませんが、興味のある学生諸君は是非とも聴講してください。

  1. 2007/05/25(金) 00:46:18|
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仄かなランプ

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 今日のプロジェクト研究1&3はリファーレンを訪問。昨日、チャックとけんボーが「売約済み」の札を貼り付けてきた家具等のうち本棚2台、サイドボード、パソコンデスク(一部破損)、ライティングテーブル、ワゴン、文机、筒の8種9品を選んで購入(総額5600円)、大学の軽トラックに積んで加藤家まで持っていった。
 買ったなかで、役にたつのかどうか不安だったのがスタンド・ランプ。リファーレンの展示室でみたときは、笠のボリュームが大きく、すこし不恰好だと思っていたのだが、チャックは「笠を外すと結構渋いんです」というので、外したところ、たしかに使えそうな感じがしてきた。考えてみれば、ロフトには恒常的に使用できるランプがまだないことだし、1台1,000円もしたが、清水の舞台から飛び降りる心境で「買い」に動いたのです。
 で、それを加藤家のロフトに置いてみたところ、笠がついているほうが良く見える。笠を外すと、ロフトの空間に比べて量感がなく、存在感が消えてしまうのに対して、大きな笠をつけると、その意匠が板張りのロフトにしっくりくる。難しいものだよね。ショウルームや展示室においてある家具と部屋にある家具とでは、まるで印象が変わるんだから。
 やはり現場が大事だね。現場で量感や肌合いや色彩や光を会わせるしかないんだな。

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気分的小説家の一瞬(´⊥`;) 
 プロ研開始6周目!! アトリエ班担当のMORIです☆ 
 今日はリファーレンいなばに行って、以前から家具班が取り押さえてくれていた家具を買って帰った。どれを最終的に買うかみんなで話しあったとき、どこかアンティークっぽい机があって、これなら気分的小説家になれるとか思って、自分が繊細に小説書いてる姿を想像してた。一瞬自分の世界に入ってました!(>_<) 
 先生ごめんなさい! 
 けど本間一瞬なんです!! もっと集中しまっす(笑)
 自分的作業机は大きめの板を手に入れて天然っぽいのを作りたいけどどこでいい板GETできるんかなー(´⊥`;)
 話は変わって(笑)、加藤家に移動する途中、先生のおごりでうどん屋に行った! 麺がめっちゃもちもちして美味しかったのに何とうどん一杯160円!!
 まぁトッピングはネギと天かすだけだったけど、ちくわと紅しょうがのかき揚美味しそうだったけど、半熟たまごの天ぷらか・な・り・気になったけど、麺をじっくり味わうのも立派な贅沢だと思い、ありがたくいただいた☆
 本間おいしかった!!うどん最高だーい!!(笑)
 もっと作業が根気詰めてきたら次はトッピングお願いしまーす♪ …次回は今回購入した家具を加藤家に投入しちゃいます。次回もはりきって頑張りましょう!ではッッ(^□^)ノ(アトリエ班/環境デザイン学科1年M.Y)


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うどん屋さんでのミーティング('д`)
 5月24日、晴れ、気温29度。真夏のような気候でなんかいい気分だった('д`) 今日はリファーレンいなばへ行き、家具を購入した。まず、先輩が昨日家具を見に行き、めぼしいものに値札を付け、僕たちはそれを見て使えるかどうか、購入するかどうかの話し合いをし、加藤家に家具を運びました。
 家具を加藤家へ運ぶ途中、地元で有名なセルフのうどん屋へ行き、天かすのたっぷり入ったコッテリうどんをほおばった後、ほかの客を気にしながらもみんなで図面の案を話し合い、加藤家へ移動。最後に二日●いの体にムチを打ち、一階の部屋へ家具を運び込んだ。
 リファーレンイナバには興味をそそられるものがたくさんあったので個人的に行ってみようかなあヽ(´▽`)/ (家具班/環境デザイン学科1年Anjie)

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↑6月3日(日)に「第15回リサイクルフェスティバル」が開催されます。まだまだ使えそうな家具がいっぱいあったので、仕入れにいかないとね。なお、今日からフェスティバルまでは販売中止! 昨日まで買えたんです。手を打っておいた良かった、良かった・・・


  1. 2007/05/24(木) 20:18:22|
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廃棄物は伊達じゃない

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 24日(木)のプロジェクト研究で中古家具を買いに行く予定だったが、「リファーレンいなば」は6月3日(土)のイベントを控え、24日から販売ストップになる。よってその前に家具を選んで「売約済み」状態にしておかなければならない。そして24日は支払い、及び運搬のみに専念する。それで今日、売約済みにしてきた。移動手段、時間帯、その他を総合的に判断すると僕とけんボーが行くしかなかったみたいだ。青い空、白い雲、穏やかな波のなか、ムサイ男2人で海辺をドライブである。
 成果としては1・2年生が選んだであろう家具3点に加え、有料7点、無料3点の計13点に札をつけてきた。そのまま使うのには難のある家具。しかし、それなりに味のある家具を見つけることができた(はず)。廃棄されたものでも、きちんと向き合うことで大化けする。廃棄物は伊達じゃない。(チャック)

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<有料商品(一部)>
机     奥行730×横1370×高740mm  300円
本棚1   奥行325×横815×高1030mm  800円
本棚2   奥行300×横770×高1370mm  1000円
パソコン台 奥行505×横660×高1260mm  800円
ライティングテーブル 奥行430×横880×高1170mm  1000円
ワゴン   奥行400×横480×高560mm   500円

<無料品>
  指示棒   筒   ステンレス棚

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  1. 2007/05/23(水) 17:52:43|
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夜汽車のブルース

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 いつものことなんだが、昨夜はまたしても不覚ッ!
 最終のスーパーはくとに乗っていて、郡家(こうげ)駅を乗り過ごしてしまった。これまでも、鳥取どころか、気がついたら倉吉という前科が何度もあるから、あぁまたか、と言えばまたなんだけれども、昨夜は今日の新「環境デザイン論」の資料作成&コピーがまだだったものだから、少しあせってしまった・・・
 わたしは列車が郡家駅に着く前から降車の準備をしていた。いつもは爆睡して、大鼾をかき(とある女子学生が呆れていた)、寝過ごしてしまうんだけど、ちゃんと目が覚めていたんです。にも拘わらず、列車が停止しても席を動かず、何かを考えていた。いったいわたしは何を考えていたのだろう?
 ・・・たぶんコンピュータのことだった。研究室に新しいコンピューターが近々入るはずだから、田園町の宿舎にどのコンピューターをもっていくべきか、そういえば、加藤家のホームページ用に買ったデスクトップはどこに置いてあるのか、なんて考えていたら、列車は動きだし、まもなく携帯がマナーモードの振動を伝えてきた。車で迎えにきてくれた院生からの電話である・・・・

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 鳥取駅について、車を待つあいだ、コンビニに入った。そこに、渋いリクルート・スーツを身に纏う女性を発見。どこかでみた髪形だなと思って、正面にまわったら、はるのさんでありました。うちのゼミの4年生のはるのさんです。
 聞けば、就活終了後、姫路から同じ列車に乗り込んだらしい。で、列車が4分遅れたものだから、津ノ井方面に向かう各駅停車の鈍行に乗り遅れたんだという。この10時16分発の列車が鳥取の県庁所在地における「最終」の列車だという情報を知り、わたしは驚きを禁じ得なかった。最終列車に乗り遅れた彼女は、タクシー代を払うよりも、漫画ネット喫茶で一夜をすごすほうが安価であると判断しつつあった・・・のですが・・・そこで、わたしに出くわしてしまった。
 というわけで、赤い血で結ばれている二人だと確信した次第ですが、今朝、モーニングコールはなかったね。結局、院生の運転する車でサンデーズサンに行って軽食をとり、わたしは田園町からマイカーで、はるのさんは院生の車で大学に戻ったのでありました。

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 今朝はワイフからの電話でめざめ、遅刻することなく、新しい「環境デザイン論」の講義に臨んだ。話が少し長くなってしまいまして、75分ぐらいしゃべってしまったんですが、来年は河本家と尾崎家の部分を割愛したほうが良いように思いましたね。なぜかというと、両家は「学生によるセルフビルド&ゼロエミッション」というテーマとは関係していなから。
 レポートを読む限り、学生たちの反応はまぁまぁだったんじゃないだろうか。ともかく、自分たちの先輩がいかに偉大な仕事を成し遂げてくれたかを少しでも知って欲しかった。その点では、講義内容を変えたのは正解だったと思う。

 そのあと、よせばいいのに、佐治の笹尾神社薬師堂(市指定文化財)の修理現場まで行ってトンボ帰り。やはりちゃんとした調査をしていないから、修復方針が非常にあいまいで危険だと感じた。もっとも、現場にいたのは、わずか20分足らずだったんだけど。少しテコ入れする必要があるかもしれない。

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  1. 2007/05/23(水) 15:32:54|
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「環境デザイン論」講義の衣替え

 今週は、また3つも講義があるんだ。「建築と都市の歴史」(2年必修)と「地域生活文化論」(3年選択)に加えて、オムニバスの「環境デザイン論」(1年必修)。これが早朝9時からの授業でしてね。
 朝は苦手だ・・・だれかモーニング・コールしておくれ!
 女性歓迎、男性でも可。年齢・学歴不問。
 水曜日(明日だよ!)の8時にお願いします。

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 開学以来、昨年までの6年間、わたしは「環境デザイン論」の1コマ担当分を以下のテーマで講義してきた。
  
    ・修復と再生 -文化遺産をいかに継承するか-
 
 7年めの今年、このテーマをあっさり放棄することにした。なぜかというと、ネタが古くなってきたから。従来の内容は、
  1)指定建造物の修理、2)町並みの保全と修景、3)遺跡整備
で構成していたんだけど、いまさら新薬師寺の修理だとか、奈良町の修景だとか、御所野や妻木晩田の整備だと言ってもね、自分自身がピンと来ないから、学生が反応するわけもない。

 で、新しいテーマは以下のとおり。

    ・学生によるセルフビルド&ゼロエミッション
  -「廃材でつくる茶室」から「加藤家修復プロジェクトまで」-

 なんか、どこかで聞いたことあるでしょ。この演題の起源を辿れば、それは昨年11月15日のアイスブレイク代役講演に突き当たり、その内容は4月28日の「古民家の匠」講演に継承されている。今回の講義では、2月3日の「民家に学ぶ」講演の内容も含めて話します。

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 じつは環境デザイン学科の1年生で、ひとりだけ「古民家の匠」講演を聞いている学生がいて、かれにはほんと申し訳ない。ただ、前回は資料なしだったけど、今回は資料付きだから。もちろんバージョンアップもしているしね。
 すでに資料は完成している。あとはコピーするだけ。といっても、まずは大学に戻らないと話にならない。
 また、スーパーはくとの旅です。

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  1. 2007/05/22(火) 05:21:54|
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コーヒーブルース

  三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダへね
  あの娘に会いに、なに、好きなコーヒーを少しばかり・・・

と言えば、高田渡の名曲「コーヒーブルース」ですが、この曲を聞いて、三条の「イノダ」に通った人も少なくないでしょう。イノダは今も健在です・・・京都府立文化博物館の近くですよ。わたしは京都駅地下の支店をよく利用してましたがね。モカアイスが美味しいんです。

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 高田渡が二十歳前後のころ、ミシシッピ・ジョン・ハートにいかれていたことはよく知られています。中川イサトのホームページにも、そういう話がでてくるので、間違いないでしょう。
 で、最近、ハートの『ウォリド・ブルース』という輸入盤を取り寄せて聞いてたんですが、わたしの記憶としては、このアルバムのなかに‘Coffee Blues’という曲があったはずで、そうかそうか、高田渡はハートの曲からタイトルを頂戴したんだな、と思いこんでいたんです。
 ところが、さきほどアルバムをみると、その曲が入っていない。勘違いでした。
 ミシシッピ・ジョン・ハートには別に“Coffee Blues” というアルバムがあって、その4曲めに‘Coffee Blues’が入っているんです。アマゾンで検索すると、このアルバムが出てくるんですが、すでに中古品が1点しかなくて、なんと10,292 円という高値がついてます。発送元はイギリスだそうでして、どうやらレア物ですな。ちょっと手が出ません。
 ちなみに、「永遠の不良中年」ライトニン・ホプキンスには“Coffee House Blues”という似たやなアルバムがあって、こちらは1,110円で入手可能のようです(送料別)。

 さて、奈良の家には、どういう訳か、米子ジャルディーノのコーヒー豆が2袋ありまして、一つは浅煎り、もう一つは深煎りなんだそうですが、どっちがどっちなんだか分からなくて、昨日今日と別々に淹れて、飲み分けてみました。
 昨日はGiardino Blendという豆。たぶんお店のスペシャル・ブレンドなんでしょうね。少し水が多すぎたようで、アメリカンに入ってしまった。失敗でしたが、こちらが深煎りってことはないんじゃないかな。
 今日はLittle Italy Blendという豆。昨日の失敗を繰り返してはいけないと、珈琲メーカーのミルに豆をぱんぱん詰め、水は昨日の半分にしました。今日は美味しかった。出来の良い炭焼きコーヒーのような味で、ミルクを加えなくても十分飲めます。コーヒーはブラックに限るという頑固な人もいますが、ドリップしたコーヒーはですね、ブラックで美味しいコーヒーと、ブラックでは耐え難いコーヒーの2種類に分かれるんですよ・・・それはさておき、たぶん、こちらが深煎りなんじゃないかな、Italyというネームをみても、きっとエスプレッソに使うような(たぶんインドネシアの)豆をメインにして調合したんじゃないでしょうかね。

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 それにしても、我が家の珈琲メーカーでミルを使うのは何年ぶりのことだろうか?
 7~8年かな・・・ひょっとしたら10年以上使ってないかもしれない。よく回転してくれました・・・ちょっと不安だったんですね、豆をいただいたのだけれど、ミルが回転しなかったら、元も子もないですから。
 わたしの好みを言っておきますと、アイスコーヒーに使う安い豆がたいていインドネシア産でして、それを大量に挽いてもらって安く買い、ドリップペーパーにたくさん放り込んで、濃い濃いコーヒーを出すんです。それにたっぷりホット・ミルクを混ぜると美味いんですよ。
 以前、中国は海南島で仕入れたコーヒーがもの凄く安くて、しかも上のドリップ方式にどんぴしゃではまっていましてね。中国に行くと、北京の百貨店で海南島産のコーヒー粉を探しまわった時期がありました。
 しかし、いまや中国とはまったく縁のない生活をおくっていますからね。中国に行きたいとも思わないし、中国をテーマにした論文を書きたいとも思わない。正直言って、セイセイしています。では、いったい何のためにわたしは中国に留学したのでしょうかね。あれは必要のない時間であり、必要のない勉学だったんでしょうかね。ただ、遠回りをしただけだったのかもしれないな・・・
 それはさておき、海南島のコーヒーもじつはインドネシアの華僑が栽培しているものでして、系列は同じなんです。スタバの源流はイタリアン・カフェであり、イタリアン・コーヒーの豆はインドネシア産なんですよね。間違ってたら、すいません。






  1. 2007/05/21(月) 20:06:59|
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吉田享二の設計図

 湯梨浜町の尾崎家住宅は、昭和4年にハナレの新装、ブツマの移築改装をおこなっている。その設計をしたのが「吉田享二という建築家」。今も青焼きの図面が尾崎家にたくさん保管されている。
 設計図面を紹介されたのは、第1回目の調査のときであった。それらの図面をすべて拝借し複写しておいたのだが、このたびようやく整理が終わったので、その概要を報告しておきたい。設計図は総数22枚。うち1枚は改修に着手する以前の昭和2年測量の配置図で、残りは新装・改装の設計図である。以下に一覧表と代表例を示す。(某大学院生)

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↑吉田享二の設計図一覧 

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↑ブツマの設計図(詳細)



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  1. 2007/05/20(日) 04:44:03|
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ライブ in 竹中大工道具館

 講演会というのは、まぁ、ライブのようなものですね。
 自分の持ちネタを、いかにわかりやすく、おもしろくお話しするか?
 ミュージシャンのライブとまでは行かないけれど
 噺家のおしゃべりには通じるところもありますよね。
 学術的な情報と論理は、きちんとおさえていなければならないですが。

 ほんとうはパワーポイントなんて使いたくないんです。
 噺だけで、お客さんを魅了できるようになりたい。
 しかし、自分にはまだその力量がありません・・・
 なにぶん建築をテーマとして話すわけだから、
 画像がないわけにはいかないんですね、悲しいことに。

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 というわけで、3回めの「楼観」講演
 はじめて県外でしゃべることになり、
 県内なら自明の地理情報すら通じないかもしれない。
 そう不安になり、若干パンフ類をスキャンし、
 スライドを増やしておきました。

 会場の竹中大工道具館地下1階のセミナー室は、
 おかげさまで満員でした。
 とはいっても、40席で満席ですから、
 たいしたことないと言えばないんですけど、
 ちょうどライブハウスぐらいの規模だから、
 噺手とお客さんとの距離はとても近くて
 親近感があります。
 これで、お酒があればね・・・
 まぁ、わたしの場合、酔っても酔わなくても、
 テンションはさほど変わりませんから・・・
 とりあえず、うまく行ったほうではないでしょうかね??
 (前回は米子ですべってますから)

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 講演のあとお酒を飲みました。
 道具館の部長さん、某研究所の室長さん(部長さんと同門)と
 3人で飲んだんですね。
 倶楽部活動の大好きな鳥取県埋蔵文化財センターの技師さんも
 聞きにきてくれていたので、誘えばよかったのかもしれない
 んですが、やはり年齢と専門分野が違いますからね、
 かれとはまた別の機会に飲もうと思っています。
  
 で、ですね・・・わたしは早く奈良に帰りたかったんですよ。
 しかし、ですね・・・某部長さんがラガーをエンドレスに
 お代わりして、どんどんハイになっていって、気がついたら
 5時間も飲んでいたんですね。
 反省です。

 介護第一!
 
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↑「遺構検出面」と「旧地表面」についての説明。



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  1. 2007/05/19(土) 23:45:24|
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オオチ谷でのゼミ -こけら葺き替え

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 コケラ葺の葺き替えがみられる!!と、いうことで、重要文化財樗谿神社の唐門・拝殿及び幣殿の保存修復工事現場へ向かった。
 足場に架かった板の階段をあがり、建造物工事現場にある、あの緑の網の中をくぐって、神社の屋根を目線の高さで見る。修復作業中の建物をみるのは初めてではない。しかし、屋根内部の複雑な構造や、職人技でしか再現できないディテールなど、実に多くの見所があった。(・・・はずなのだが、実はわたしは、説明の半分も理解できずにいた。「豕叉首(いのこさす↓)」と聞いてキョトンとしたのは私だけだったの?)

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 雨漏りがひどかった樗谿神社拝殿の屋根は、野隅木が腐朽していたために周辺部材を解体したそうだ。昭和31年に一度修理され、また新たに「平成十九年」の焼印のある材が組み込まれていく。
 反比例の曲線みたいに弛んだチェーン→「縄弛み曲線」というらしい。このラインにそって葺き板を積み、屋根の傾斜が決まる。ここがきれいに保てるような仕掛けを考えたひとは、すごい。

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 ゼミ生それぞれが、「ここはどうなっているの?」「ああ、そうなっているんだ」なんて屋根の前で首をかしげたりしている中、黒い格好の身軽な方がヒョイと屋根にあがった。そしてちょいちょいとコケラ板を配置し、ストトンと竹釘を打っていった。はたから見るとしぜんな動きだが、自然な動きを自然な動きで真似する事ほど難しいことは無い。彼は20~30本の竹釘をくちに含み、すばやく手に受けてコケラ板へ打ちつける。はやい。
 ゼミ生も竹釘うちを体験させていただいたのだが、竹釘の配置の向き、打つ場所、道具の使い方などの確認をしても満足のいく結果にはならなかった。しかしこのような体験をする機会を与えてくださったことには感謝したい。

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 帰り際、口元がモゴモゴしているゼミ生たちがいた。竹釘打ち職人の「一ヶ月かけたら、釘の早打ちができるようになる」という言葉の影響なのだろうか。釘の早打ちのできる大学生なんていたら、めちゃくちゃカッコよいかもしれんね。(ハル)



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  1. 2007/05/18(金) 23:05:07|
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リファーレンの中古家具とアトリエ

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 今日は加藤家で2回めの発表。先週、家具製作班は3名が「リファーレンいなば」を訪問し、その成果を環境政策学科2年生がパワーポイントで発表してくれた。リファーレンに行けなかったデザイン学科1年生も、自分たちが訪問した船岡町の家具工房だとか、収集した家具のカタログを紹介した。なかなかよい成果だと思う。
 アトリエ・リサイクル班は、今週の月曜日にミーティングを開き、ロフトの平面について話し合った。昨日、その成果をリーダーのU君がわたしの部屋にもってきたので、悪いとは思いつつ大直しさせていただいた。今日はその修正案をU君が発表した。驚いたのは仮眠スペースをデリートしてしまっていることで、これは復活させていただかないと、どうしようもない。アトリエ班は、家具単体の寸法に関する情報収集が中途半端で、ために良い平面が描けないでいる。
 発表のあと、まず家具班がロフトに上がって、リファーレンの家具がどの範囲でおさまるかを採寸しながら検討し、あとでアトリエ班もその作業に加わった。リファーレンなどで安価に仕入れられる中古家具の再利用と新たに廃棄物で作るべき家具の仕分け、そして、その配置について早急に検討する必要がある。
 以下、学生諸君の感想です。

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アトリエ班の課題
 今回の演習では、アトリエ班と家具班でこの一週間にそれぞれでまとめた情報をもちより情報交換をした。そこから出てきた課題や問題点などを我々アトリエ班で話し合い、実際にロフトに上がり寸法などをはかり、家具の配置などについて考えた。今回、重要な問題点としてあげられた「仮眠スペース」について、我々は本棚のうしろに仮眠スペースがとれるのではないかと考え、どの本棚ならどのくらいのスペースが確保できるか、ロフトに上がり検証してみた。その後もう一度話し合い、各自がまた新しくデザインと家具配置について考え、月曜にそれぞれで考えたアイデアや資料を持ち寄り、次回のプロジェクト研究で発表できるようにしようということになった。
 今回、実際に話し合った結果、先ほど上げた仮眠スペースの以外にも問題点が浮き彫りになり、まだまだ考える必要があることがあることを実感した。私は月曜までにもう一度家具配置について考えなおし、月曜日にみんなのそれぞれの意見を参考に、より完璧に近いデザインをつくりあげていきたい。
(アトリエ班/環境デザイン学科1年Y.D)

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がんばる家具班!!(^ー^)ノ
 5月17日の曇り。プロジェクト研究1・3家具班は加藤家にて、5月13日に行った
『リファーレンいなば』の家具について、「安さ」「ECOさ」「使いやすいさ」などを考えみんなに発表。 結果・・・なんとか成功しました!!
 その後、発表内で紹介した家具を実際置いてみたらどうなる?ということで!メジャーと図面を持っていざアトリエへ!!
 メジャーで幅・高さ・広さを調べてきた家具とを比較し確認しました。比較した結果・・・机や棚のデザインは良かったが、使い勝手が悪い!(机が低すぎて頭を打ったり、長時間作業するには苦しい)ということで来週までに頑張って良い案が出ればなんとか発表したいと思います。

 初めてのブログなので変な文になってしまってすみません!(汗”
 それではみなさん来週も頑張りましょう!!(^ー^)
  (家具班/環境政策学科2年Y.T)

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  1. 2007/05/17(木) 23:05:30|
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2008大学案内

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 『2008 大学案内』が完成しました。
 じつは、わたくし、昨年度、広報委員を務めておりまして、この冊子の編集に関与いたしました。いや、委員会では激論の連続でしてね。いまや私学にとって広報は命ですから、どの先生も死にものぐるいで自分の学科をアピールしようとするわけです・・・(あまりにシビアな委員会なので、わたしは1年で委員を辞めてしまいました)。
 しかし、こうして新しい『大学案内』を手にすると、激論の甲斐あり、なかなかあか抜けたデザインになっていますね。ここ2~3年の『大学案内』はもうひとつ冴えなかったので、それがひょとしたら、学生確保に影響していたのかもしれません。
 いよいよ捲土重来だ!

 さて、新しい『大学案内』では、わが研究室関係の記事が3ヶ所出ています。ざっと紹介しておきましょう。

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↑環境デザイン学科の見開き扉のページ(p.20)。この人のペンネームが何なのか、このブログの読者ならわかるでしょう? そもそも、なんでエアポートというのか、と言いますと、国道9号線沿いの鳥取空港の近くに・・・やめとこ・・・彼女に叱られちゃう??

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↑環境デザイン学科の「こんな講義がおもしろい」のコーナー(p.21)。わたしの講義が「おもしろい」はずはないんですがね・・・わたしの講義がおもしろいって言える学生はそうとう頭がよいはずです?? まぁ、要するに「材料のオーセンティシティ」の問題なんです。哲学における同一性命題としての「テセウスの船」は、モニュメントの保全における「オーセンティシティの維持」の問題と変わらないのですよ・・・この人が研究室最強の「片付け魔」(別名「ブリコラの達人」)。潔癖性で早起きで、まぁ、わたしの天敵ですな。ベトナム行って、吐きそうになったんだから、かれは・・・わたしゃ、東南アジアをうろついてるときが一番楽しい人類だもんね。

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↑環境デザイン学科の「2005年度卒業研究」のコーナー(p.24)。尾崎家住宅の保全再生計画<Join Hand>で制作部門の最優秀賞を受賞した社長の作品。「社長」がペンネームだった男ですよ。いまは出雲で働いてます。おいおい、待っておくんなさいよ。職場の名前が間違っているじゃないの? 最終校正でちゃんと指示したのに、駄目じゃないですか、入試広報課の高橋さん(実名!)! 正しい名称は「馬庭建築設計事務所」です。




  1. 2007/05/16(水) 01:15:18|
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神社スケッチの優秀作品

 2年生対象の必修科目「建築と都市の歴史」で、GW前にホームワークとして以下の課題を出した。

  課題: GWの連休を利用して神社を訪問し、その本殿をスケッチして
      レポート用紙の裏側に貼りつけるとともに、その神社の歴史をまとめ
      (400字)、本殿の様式を示しなさい。

 4期生のときに、この課題を始めた。4期生のスケッチはなかなか力作が多く、優秀作品をコピーして受講者全員に配布した。はじめて試みた野外調査のホームワークに手応えを感じ、翌年も同じ課題を継続したのだが、残念なことに、5期生の出来は惨憺たるものであった。5期生に対しては、
  「優秀作品集を作る気にならない!」
という感想をはっきり述べた記憶がある。
 さて、今年の6期生はどうだろうか。これがなかなか良いんですね。学生数は減っているけれど、レポートは4期生のレベルに回復している。いや、ひょっとしたら、4期生を上まわっているかもしれない。以下、優秀作の寸評です。

1041078 聖神社本殿・拝殿(鳥取市)

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 環境政策学科の4年生。デザイン学科ではないけれど、よく描けている。拝殿と本殿のバランス、軸部と屋根のバランスが絶妙! 千鳥破風+軒唐破風の屋根は描きにくいだろうに、みごとな遠近感と細部を鉛筆で表現している。

1062001 宇部神社(因幡一宮/国府町)本殿・拝殿
   
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 すこし消失点がずれているが、そこがまたとぼけた味わいになっている。女の子らしい可愛い作品。

1062012 玉祖神社拝殿(生駒市)
   
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 ペン描きの秀作。本殿でなく拝殿を描いている点とパースっぽくないところが難点といえば難点だが、ペンのタッチに味わいがある。こういうスケッチをペンですらすら描けるなら大したものだ。

1062004 神魂神社本殿・拝殿(松江市)
   
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 絶妙の遠近感で本殿と拝殿をとらえている。スケッチ以外にも、出雲大社の「男造り」に対して神魂神社の「女造り」を図示するなど、レポート全体としてレベルが高い。

1062033 中山神社本殿(津山市)

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 非常に精密なパース。建築を学ぶ者は、こういうスケッチをめざすべきだろう。全体のボリューム感覚や遠近感だけでなく、組物など建築細部の観察がゆきとどいている(千木の形状だけが残念・・・)。


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  1. 2007/05/15(火) 01:39:26|
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母の日

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 鳥取から奈良に帰る途中、母の家に寄った。土曜日のことである。あれっ、「母の日」はいつだったっけ?
 すると、因幡弁で母は言う。「明日だで」。
 例年ならば、家内が手配して、宅配でカーネーションを送るのだが、今年はどうなんだろう。心配になって電話したら、やはり何もしていないという。わたしは町の花屋さんに直行した。
 いや、カーネションも種類が多いですね。たぶん10種類以上あって、どれを選ぶかずいぶん迷った。店の若奥さんに相談にのってもらっていたんですね。すると、その奥さんが笑いながら言うのです。
  「噺家さんみたいなしゃべり方でおもしろいですね!?」
 こんなことを言われたのは、生まれてはじめて・・・ふふん、これはたぶん高田渡の影響だぞ・・・車で毎日のように聞いているライブCDでの高田渡のおしゃべりは古今亭志ん生そっくりだから、あれが伝染してしまったんだ、きっと、無意識のうちに。

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 じつは最初から、あるカーネーションに目をつけていた。紫がかった赤と白の花びらのカーネーション。ここだけの話ですが、紫が患者のイメージカラーなんですね。いつか述べた「てっせん」を思い浮かべてください。二人の母にはイメージカラーなんてあるわけないので、結局、これで決まり。しかし、母の日と言えば、やはり真っ赤なカーネーションも欲しいから、それを少しだけ混ぜて霞草を散りばめた。
 花も高いね。なにせ、母の日の前日だから、普段の倍近い値段でも花は売れていく。これは大変だと思い、カーネーションの株を減らし、霞草は2束に分けてもらった。
  「ドキドキしますね?」
  「えっ、何がですか??」
  「レジの値段がいくらになるのか、ですよ。貧乏ですからね・・・」
  「(ガチャガチャ・・・ピ~ン)2,840円です。」
  「良かった、これぐらいで済んで。」
と言って、1万円札を若奥さんにわたすと、
  「あらぁ、こんな大きなのもっていらっしゃって、お金持ちなんですね!」
  「いやぁ、1ヶ月の生活費なんですよ、それは・・・」
  「まぁさかぁ、食事1回分なんですよね?」

 家内の母はいま奈良の家で患者に付き添っている。だから、社と奈良の二つの家におなじ花束が飾られているんだが、母の日に家内の母は言う。
  「このカーネーション、昨日よりも綺麗にみえるわ!」

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 母の日にわたしは何をしていたかというと、またしても「天理楽器」に足を運んでいた。フラット・マンドリンはどこを探してもなくて、大阪のナカイ楽器に行くしかない、というような話をかつてお店でしたところ、ここの若い店長は「取り寄せます」と言う。
 で、手頃な値段の2種類が届いたという知らせがあったもので、それを見にいったのである。取り寄せてもらったからには、どちらかを買うしかないのだが、正直なところ安い方を買えばいいだろう、と決めていた。ところが、その安い方はマホガニーの素木(しらき)で出来ていて、とてもブルーグラス用のフラマンに見えないのである。音色はもちろん高いほうが良いに決まっている。
 さんざん悩んだ。
 で、高いほうを買いました。
 今は亡き高田渡と坂庭省吾が愛した楽器だからね。
 お二人への哀悼をこめて、高いほうにしたんです。

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  1. 2007/05/14(月) 00:16:07|
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mifuさんへ

 5月3日のブログに倉吉のアコギストmifuさんからコメントを頂戴している。そこにチェット・アトキンスのことが書いてあった。
 チェット・アトキンスか、・・・なるほど。わたしも、お金がないころ(今もないけど)、レンタルCDをテープにダビングして、ある時期よく聞いていたのだが、そのテープを失ってがっくりしたことがあった。で、さっそくネットで注文しておいたんです。そのCDを聞きながら、奈良までドライブして帰ってきたんだ。
 いや、楽しい。底抜けにあかるい。チェット・アトキンスのフィンガー・ピッキングはセミ・アコのエレキを使うものだが、カントリーの楽しさを存分に教えてくれる。トミー・エマニュエルとの競演盤“The Day Finger Pickers Took Over The World”を聴きながら、昨日のジャコの言葉を思い出した。ジャコはフロリダでカントリーのバンドに加わっていたことがあり、「最高に楽しかった」と語っている。チェット・アトキンスのバンドならジャコがやっても十分満足できるだろうし、かりにジャコならどんなベースで応戦するだろうか、なんて考えながら車を走らせていた。レス・ポールとの競演盤もおもしろい。「キャラバン」をレス・ポールが弾くともの悲しいのに、チェット・アトキンスに変わるとやっぱりあかるいんだな。底抜けにあかるいカントリーに変わってしまう。
 晴れた日のドライブには最適の音楽だ。mifuさん、ありがとうございます。

 高尚な音楽家やリスナーなら、多かれ少なかれ、カントリーには偏見をもっているだろう。日本の演歌系歌謡曲みたいなもので、3つのコード、ワンパターンのメロディで、あんなものは本物の音楽家がやるものではない、なんていう偏見がないとはいえないはずである。しかし、よく考えてみれば、西海岸のフォーク&ロック系のミュージシャンはたいていカントリーを音楽的なベースにしている。CSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」、ジェイムズ・テイラーの「カントリー・ロード」(ジョン・デンバーじゃないよ!)、ジャクソン・ブラウン&イーグルスの「テイク・イット・イージー」、そしてニールヤングの「テル・ミー・ホワイ」(ビートルズじゃないよ!)なんか、みんなカントリーに味付けしたものではないか。
 イーグルスにしたって、ジョー・ウォルシュを迎えて大ブレイクする『呪われた夜』『ホテル・カリフォルニア』の前は西海岸のカントリーロック・バンドだったんだから。じっさい『呪われた夜』の前作にあたる『オン・ザ・ボーダー』は、ロンドンで録音されたものなんだけれども、カントリーの匂いが強く残っている。わたしはイーグルスの作品のなかでは、この『オン・ザ・ボーダー』がいちばん好きなんだ。やっぱりアメリカの音楽の根っこにあるのは、カントリーとブルースなんだね。この二つを混ぜ合わせ、あとはロックのリズムとジャズの和声をどれくらい染みこませるか(染みこませないか)で、ミュージシャンの座標がだいたい決まってくるんじゃないかな。
 さて、曲にカントリーっぽい色彩を与える楽器として、よく使われるのがフィドル(バイオリン)とバンジョー。たとえばジャクソン・ブラウンのバックギタリスト、デビッド・リンドレーはフィドルの名手でもあり、初期のイーグルスはバンジョーを多用していた。
 バンジョーの使い方で驚いたのは、ニール・ヤングの「老人 Old Man」という歌。キーがDなんだかFなんだか分からない複雑怪奇なコード進行の曲で、カントリーのフレイバーがまったくしない。ところが、この曲で間奏のリードをとるのがバンジョーなんだね。ふつうありえない組み合わせなんだが、このあたりの不可思議な融合性はジャコに通じる革新性がある、とわたしは勝手に思っている。

 ところで、mifuさん。わたしは6月20日に米子で開催されるという第2回「練習会」に参加させていただくことにしました。われながら自分の行動に呆れているんですが、音楽抜きの余生は考えられません。もう前に進むしかないですね。主催者のみなさんには、極力ご迷惑をかけないよう努めます、もちろん。
 mifuさんは参加されないんですか?



  1. 2007/05/13(日) 02:36:48|
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ジャコ

 いつものことなんだが、一昨夜も帰宅したのが午前3時。そのまま就寝すればいいものを、DVDプレーヤーのスイッチを入れてしまった。GWの直前、『ジャコ・パストリアス モダン・エレクトリック・ベース』というDVDが届いていたのだが、長いこと鳥取を離れていたので、まだみていなかったのである。
 スイッチをいれるんじゃなかった。ただの教則DVDだと思ったら大間違い。「世界最高のベーシスト」を自称するジャコ・パストリアスは、画面に映る存在だけで十分オーラを放っている。そういうミュージシャンがどのような練習をしてきたのか。映像を目の当たりにして、魅入らないわけはない。
 ちなみにビデオ制作時(1985)、ジャコはすでにストリート生活者に堕しており、そのジャコを3日間ホテルに缶詰にして収録したというから、映像自体の重要性は計りしれないものである。この2年後(1987)、ジャコはフォートローダデールのクラブに入ろうとして門前で殴り殺される。もちろんかれが酒とドラッグに溺れて、異常な行動を繰り返していたのが原因であった。

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 ビデオでは、ジェリー・ジェモットがジャコにインタビューしながら、ジャコのエクササイズ(練習)やパフォーマンス(演奏)を聞いていくもので、もちろん英語でのやりとりに終始する。字幕はないが、日本語対訳シートがついていて、かれらの会話をなんとか追いかけることができる。この対訳シートに名言がちりばめれているので、抜粋しておこう。

●楽譜を読む
 (略)ぼくはあとになって譜を読めるようになりたいと思って勉強したんだけど、それは面倒な作業だったよ。だって、もう演奏できるんだし(略)・・・陳腐な話だけど、とにかく一生懸命に練習した。(略)すでに演奏している若い人には辛い作業だよ。若いミュージシャンに「譜は読める?」と聞くと、「少しはね」と言ったりするけど、それは「読めない」ってことだよね。
●音の位置
 それ(頭の訓練)がすごく大切なんだ。特に即興で演奏するときはね。音の位置を完全に把握することをめざす。そうすれば、適当に指を動かして演奏するんじゃなく、“本物”の演奏ができる。
●独学
  ジェモット: 君は独学なんだね。
  パストリアス: “正式”な独学だよ。
●音楽に対する柔軟性
 音楽についての考え方を柔軟にして、常に新しいものを取り入れることだ。僕はフロリダの出身でね。音楽的偏見のないところだった。みんないろんな音楽をやっていたよ。キューバ音楽から交響曲まで、何でも聴けた。初めてニューヨークに行ったころは、みんなジャズをやっていた。ロックやファンクのことなんか、みんな何も知らない。ジャズばっかりだよ。いまのニューヨークはいい。何でもある。かつてのフロリダもそうだった。(略)だからいろんなタイプのミュージシャンとやれて幸運だった。カントリーのバンドでもしばらくやってた。最高に楽しかったよ。(略)とにかくオープンにいろいろ聴くことだ。それが僕にできる唯一のアドバイスかな。常に耳をすませて、いろいろ聴くことだね。

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 最後にジョン・スコフィールド(ギター)、ケンウッド・デナード(ドラムス)とのギグを3曲披露している(ジョンスコは2曲のみ)。ジョンスコのギターも確かに凄いけれど、これぐらいの演奏をするギタリストなら世界中にたくさんいるだろう。ジャコの演奏は別次元だ。ジャコは三蔵法師で、ジョンスコは孫悟空みたいなものかな。
 孫悟空の代わりはいても、三蔵法師の代わりはいないっていう喩えはおかしいだろうか?

 楽器を演奏するのがヤになった。
 また人前で演ろうと決めたばかりだったのに・・・

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  1. 2007/05/12(土) 00:10:20|
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『修復の手帖』vol.3 刊行!

 読者待望の『修復の手帖』vol.3が刊行されました。いや、待ちにまった第3号です。後期の「建築の保存と修復」講義では参考書にしようと思います。1500円という価格は学生によって決して安くないので、できればディスカウントしてほしいものですね。よろしくお願いします。

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[図書データ]ISBN978-4-9902178-1-5
  『修復の手帖』vol.3 100年先の修復を考える-伝統技術の継承
  企画: 財団法人文化財建造物保存技術協会
  発行: 修復の手帖刊行委員会(工藤圭章委員長)
      〒113-0033 東京都文京区本郷1-28-10
            文化財建造物保存技術協会内
  発行年月日: 2007年3月1日
  定価: 1,500円(本体+税)




  1. 2007/05/11(金) 00:21:22|
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1・2年生へのメッセージ

 このところ天気が良い。気温も日に日に上昇し、キャンパス内では半袖のTシャツを着た学生が早くもチラホラ見られるようになった。花が散った桜の木も鮮やかな緑色の葉をつけ始めている。最高の皐月晴れである。ところが今日の天気は昨日とは打って変わって気温が急激に下がり、気持ちの良かった昨日までの天気が嘘のように、冷たい風と雨に見舞われた。あまりにも急な天気の変化だったため、学生の中には今日も暖かくなるだろうと思い半袖Tシャツを着て来た者もいた。週間天気予報によると週末も雨らしい。
 さて、今日はプロジェクト研究1・3がおこなわれた。今期は修復された加藤家のロフト空間をアトリエに再生することがテーマであり、もちろん昨年度の加藤家修復プロジェクトの続編であるため、ローコストがモットーである。ゴールデンウイーク前に1・2年生にケンボーがCADで作成した加藤家ロフトの平面図と断面図を配布し、各々が考えるアトリエをエスキスして来るようにと教授より課題が出された。

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 加藤家のロフト空間は浅川研究室の3期生である安田さんによって設計されたものである。茅葺民家がもつ独特の大屋根の屋根裏空間を利用して設計されたため、ロフトの壁は大屋根と同等の斜壁である。この特徴をどう生かすべきかが今回のロフト活用のミソとなるであろう。そしてGWが明け、本日は加藤家で1・2年生の課題の成果をそれぞれがプロジェクターを使って発表した。
 今年のGWは9連休と長期であったので、どのような案が出るか1・2年の発表に期待していた。ところがどっこい、彼らはアトリエというのものをまるで勘違いしていたようだ。ほとんどの学生がリビングやラウンジのデザイン案をもってきた。まぁ今回のプロジェクト研究1&3は3学科合同のためデザイン学科の学生以外に政策学科やシステム学科の学生もいるから適切なアトリエのイメージをつかむのに苦労したであろう。しかし、デザイン学科の学生まで同じレベルであったことには、ただただ苦笑いしか出来ない。
 とは言え、3年前に入学したころの私も初めての建築の世界に戸惑い、いろいろな思い違いや失敗をしたものだ。いかに設計していけばよいのか、どのようにすれば使いやすいのか、全てが初めてだったので二進も三進も行かない状態であったことを思い出した。そのたび教授や先輩方を訪ねたり図書館に通ったりしたものだ。入学したての彼らも今その状態なのであろう。今後彼らがこのプロジェクト研究を通してどのように成長し、どのように活躍するか楽しみである。(Mr.エアポート)

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↑2班に分かれて今後のスケジュールを検討中。ゲンカンが1班(アトリエ・リサイクル班)、イロリ間が2班(家具製作班)。


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  1. 2007/05/10(木) 23:47:35|
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タッチからの手紙

 大学に戻ってきましたよ。
 ほんと、部屋は綺麗に片づいています。いつまでもつかなぁ・・・とりあえず背の高い本棚を買いそろえなきゃいけません。

 それで、教授室のメールボックスに手紙を発見! 残念ながら女性からではありません(笑)
 封をあければ、タッチからの礼状でした。例の「古民家の匠」の会に対する礼状でして、木訥ながら誠実な文面に感動しました。おまけに、ドアのノブには「にしき堂のもみじ饅頭」が袋ごと吊してあり、「実家に帰った際買って来たのでゼミのみなさんたちと食べてください」と付箋に書き添えてありました。
 あんな素晴らしい会を開いてもらって、こちらこそとてもありがたかったですよ。御礼になにかご馳走しなきゃいけませんね。ほんとうに感謝しています。
 タッチくん、君のような学生が環境大学にいることを、わたしは誇りに思います。また、ハーモニカとギターで共演しような、必ず!

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 で、パソコンを開くと、こんどは鳥大のT君からの御礼メールを発見。こちらは「続き」で紹介させていただきます。
 鳥大をはじめとする学生人材バンクのみなさんには、かえすがえす御礼申し上げます。今後の活動を陰ながら見守っておりますので。

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  1. 2007/05/09(水) 02:32:41|
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チャック、教授室を片付ける ―私が掃除をする理由―

 扉をあけると、懐かしい香りがする。いつぞやの夏、かいだあの香りだ。化石化しているエビフライのしっぽ。散乱するペットボトル。固体化する乳製品。どこかおかしいトロピカルな香り。茶葉は茶葉でなく、また、洗剤すら洗剤でなくなる世界。ここ、教授室。踏み込めば、ミラクル。

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 茶の間の皆さんこんにちは。lablog久々登場のチャックです。長い人は9連休にもなるゴールデンウィーク、どのように過ごされましたか?ちなみに僕は大半、大学にいました。学生生活最後のゴールデンウィーク(の予定)に、なにを好き好んでと思われるでしょうが、まぁ4年間で一番有意義に過ごせた気がします。今日はその辺の話をちょっと聞いていただきたくキーボードを叩いています。堅田門徒のムツカシイ話の箸休めにでもなれば幸いです。別に先生がブログ休みたいからとかそんなんじゃないですよ。悪しからず。
 僕にはこの長期休暇に入る前に3つの仕事が教授より与えられていました。

1:加藤家住宅に関する報告書の編集
2:教授室整備事業
3:ギターの練習

 G.W.前半は1と3ばかりをしていました。朝8時起床。9時に修復建築スタジオ(↑)へ行き、編集作業。パソコン仕事に嫌気がさしてくると、500円ギターを片手に図書館で借りてきた本を見ながらドレミの練習。お昼を食べずに16時頃まで作業と練習とを繰り返し、帰宅。簡単に家事を済ませ、18時からはアルバイト。12時に帰宅し、1時には就寝。そしてまた朝。単調だけど意外と充実してる毎日。まぁギターがなけりゃ発狂してたでしょうけどね。
 そうこうしてるうちに編集作業のほうは終わりが見えたので、G.W.の後半は2の事業をすることに。そこで一番最初の奇怪な文章に戻るわけです。大学屈指の乱れっぷりを見せる教授室に入った時の状況をあらわしています。あとは写真を見ていただければ一目瞭然。ちなみに完成度は6割で、とりあえずほこりを払い、香りの出所をシャットアウトすることに専念しました。でもそれだけで2日。正直なところ、奥さんを尊敬せずにはいられませんでした。今後はこの(仮)綺麗な状況を維持しつつ、書類整理などにあたっていきたいと思ってます。
 そんなこんなであっという間のG.W.でした。混雑とは無縁の、こんな休日もいいかもしれませんね。

 長々と駄文失礼いたしました。それでは皆さんまた会う日まで。(チャック)

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↑教授室修復後 ↓同修復前
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  1. 2007/05/09(水) 00:13:28|
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堅田門徒の道(Ⅲ)-家伝書からみた尾崎家のブツマ

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 明治45年の古写真に映る移築前のブツマは、中世に建立された「道場」なのであろうか。昨年の調査では、尾崎家に残る家伝書の解読に腐心した。尾崎家の建造物と係わる重要な記載は以下の2ヶ所にみられる(當尾崎遺命家傳實録)。
 まずは3代清右衛門[1647-1697]のとき。

   夫字蔵屋敷と申地ニ近郡ニ而は石居初之丈夫成家
   (既ニ礎初之能家珍しと評判し近郷之人々見物ニ来たりしとかや)
   并ニ蔵長屋建揃え難儀少ナニ暮候

 これは石場建(礎石建)にする家が珍しいということで、近郷から見物客が押し寄せたという一節だが、他県でもよく似た普請関係文書がしばしば残っている(浅川・箱崎編『埋もれた中近世の住まい』2001参照)。要するに、その当時の日本の一般民家は、いまだ掘立柱建物だったということである。さらに「蔵や長屋を建てそろえる」という記載もある。17世紀の後半、宇野には、それまで農漁民たちが見たこともない豪奢な御屋敷が出現したのである。そして、その地名(字名)は「蔵屋敷」と呼ばれることになった。
 下って5代清右衛門[1745-1772]のとき。

  家督増し家繁盛依之蔵建添度古蔵屋敷ニ而は狭候ニ付為
  子孫只今之屋敷ニ本宅御仏間蔵数ヶ所門長屋等不残新敷普請

 家督が増して家が繁盛したので、蔵を建て加えるたびにかつての「蔵屋敷」の敷地は狭くなったため、子孫は今の屋敷地に本宅(オモヤ)、御仏間(ブツマ)、蔵を数棟、門、長屋などを残らず新しく普請した、ということである。この記載を信じる限り、5代清右衛門の普請は同じ場所での建て替えではなく、別の敷地に移っての新築であったと理解するしかないであろう。したがって、今に残るオモヤや長屋門、蔵数棟はこのときの建築と考えられる。国名勝の尾崎氏庭園「松甫園」は様式上、江戸時代中期の作庭と推定されているが、その年代観と上記建築年代は見事に一致している。主要建造物と庭を一体として、新たな普請が進められていったのである。

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↑ブツマの附書院 ↓オモテ(オモヤ座敷)の附書院
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 以上、家伝書の記載に従う限り、オモヤとブツマの建築年代は同時期とみなさざるをえない。ところが、家人はこれとまったく異なる認識を示し続けた。家人の言を示しておきたい。

  古いのはブツマであり、これは中世に遡る建築で、オモヤはブツマの造りを真似て
  建てたもの。真似た部分は松甫園に面するオモテ(奥座敷)で、その証拠に、
  オモテの座敷飾りや欄間はブツマのそれと瓜二つに作っている。

 たしかに、オモテとブツマの座敷飾りや欄間は「双子」と言ってよいほどよく似ている。しかし、いま二つの座敷を訪れると、あきらかにオモテのほうがブツマよりも古くみえる。これはもちろん昭和4年の移築改装の影響が大きいからであろう。然らば、家人の言と建築の変遷をどう結びつけるべきであろうか。
 わたしは以下のように考えている。
 5代清右衛門による新たな普請に際して、ブツマに関しては「蔵屋敷」にあった中世建立の道場の様式を踏襲し、一部の建築部材を転用して建設が進められたのではないか。だとすれば、それは「復原的再建 reconstruction 」に近い建設行為とみなされよう。現在のオモヤに残る彫刻欄間は中世「道場」時代の遺品であり、仏壇の間の天井を支える三斗の組物も当初の構造形式を受け継いだ可能性が高いであろう。家人によれば、仏壇前の「下げ灯籠」も中世のものであるという。

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 一方、オモヤは、古い道場の座敷飾りや平面(とくに庭との関係)を模範として建設された。それは、「蔵屋敷」に存在したオモヤとの断絶を強調した建築であった。つまり、5代清右衛門がほぼ同時に建立したとはいえ、ブツマは古い形式と古材を継承する「建替え」であったのに対して、オモヤはブツマを模倣した「新築」との認識が強かったため、後世まで「ブツマが古く、オモヤが新しい」という感覚が継承されていったように思われてならない。

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↑ブツマの床と棚 ↓オモテ(オモヤ座敷)の床と棚
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 ところで、宇野では昭和3年4月に大火があり、尾崎家や安楽寺が立地する山手側の一画を残して、集落の大半の民家が焼失してしまった。現在は、瓦葺の民家が旧街道をはさんで密集している。この大火以前には四間取りの茅葺民家が軒を連ねていた。驚いたことに、この四間取りの民家までもが「門徒造」と呼ばれている。日本建築学会編『日本民家語彙集解』(1985)でも、「鳥取県東伯郡羽合町附近の漁村住居において、すべての間仕切りをはずして屋内を一室にして使えるようにした主屋形式を指す呼称である。このあたりにはこのような間仕切形式が多くみられる」と説明している。
 わたしは、ここにいう「門徒造」の民家を調査した経験がない。だから、「門徒造」の民家が、堅田門徒のもたらした「道場」を住宅化したものなのか、たんなる四間取りの民家をさすのかを峻別できないでいる。これをあきらかにする方法はないものか、と日々悩んでいるところである。(完)

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  1. 2007/05/08(火) 03:17:42|
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堅田門徒の道(Ⅱ)-「門徒造」の道場

 湯梨浜町宇野の旧家尾崎家の祖先は、山口の守護大名「大内義弘」の子孫にして船主であったと伝承される。尾崎家の初代当主、弥次兵衛は永正元年(1504年)26歳のときに、宇野の近海で難船して宇野浦に漂着し、そのままこの集落に定着した。尾崎家の家伝書「當尾崎遺命家傳實録」(天明元年/1781年)には、「當宇野浦ニ令移住給ふ」という記載が残っている。
 蓮如や本福寺の活発な動きと対比する限り、尾崎家の初代弥次兵衛が宇野に定住し始めた16世紀初頭にあっては、すでに近江商人および堅田門徒が日本海ルートを利用して山陰海岸域を訪れ、交易や布教をおこなっていた可能性を否定できない。
 それと係わる記録が本福寺に残されている。『本福寺門徒記』(1560年頃に完成)は以下のように記している。

   ハウキノウノトイフサトヲ仏法ヲヒラキ、人数六七十人同行ヲコシラヘテ、
   道場ヲ一ツコンリウス

 堅田から60~70人もの信徒を連れてきて、仏法のための道場を宇野に建立したというわけである。ただし、その建立年代がよくわからない。一つ参考になるのは「本福寺破門事件」である。本願寺十世証如上人(1525-53)の代のこと。大津の門徒を率いていた後見人の蓮淳(蓮如六男:1464-1550)の讒言によって、本福寺は3度にわたる破門を受け、門徒の指導権も所領・財産もことごとく堅田の称徳寺に奪われてしまったのである。これは16世紀中頃のことであり、この時期に本福寺門徒が山陰方面へ移住した可能性が想定できるのではないだろうか。元亀二年(1571)の信長による比叡山焼き討ちの前後から、堅田では殿原衆が信長に内通して手を組み、自治都市全体が信長の傘下に治まる。殿原衆と対立する全人衆=堅田門徒は当然のことながら居心地はわるかったであろう。このとき、多くの堅田門徒が北陸と日本海を経由して山陰方面に移住した可能性もあるだろうが、その時点ですでに本福寺は没落しており、宇野に「道場」を建立するだけの力はなかったはずである。

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↑↓明治45年の古写真に映る尾崎家住宅(上)とブツマ(下)
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 16世紀に建立された「道場」がいま湯梨浜町の宇野に残っているとすれば、それはとうの昔に重要文化財に指定されていたはずである。しかし宇野には、独立した寺院としての中世建立「道場」は存在しない。尾崎家の敷地内に建てられたブツマこそが、『本福寺門徒記』にいう「道場」の可能性を残す重要な遺構だと家人は信じている。もっとも、5月4日に述べたように、現在のブツマは昭和4年に吉田享二の設計によって移築改装されたものであり、それ以前には茅葺きの独立した建物として、敷地南西隅の小川沿いに建っていた。明治45年に撮影された古写真には、その姿が鮮明に映し出されている。
 しかしながら、その一方で、新しいブツマは「門徒造」と呼ばれる特異な間取りを継承している。それは、一見すれば民家の「四間取り」と大差ないものであるが、土間を伴わず、なにより部屋の使いかたに特色がある。「田の字」形平面のうち、手前の2室が外陣、奥の2室が内陣にあたり、内陣側では向かって左手の部屋を書院として座敷飾りを設え、右手の部屋に仏壇をおく。このような平面をもつ仏堂の類例を、わたしは寡聞にして知らなかった。そこで、仏教建築に詳しい元部下のボックス君に問い合わせたところ、かれもまた四間取りに似た仏堂平面の存在を知らない。かれは近江方面の民家における整形四間取りの成立時期を気にかけていた。そのころ、わたしは禅宗系仏堂との係わりを考えていた。方丈型「六間取り」の持仏堂から展開し、全国に波及した禅宗系の仏堂は、中央の奥に仏壇を置き、その左右に余間を配する。「門徒造」の四間取りは、禅宗系「六間取り」仏堂の片側2室を取りさった平面とみなせなくもないのではないか。
 ところが、しばらくして、「門徒造」は浄土真宗の歴史のなかに鮮明に足跡を残していることを知った。その源流は大谷本願寺の御影堂にあったのである。櫻井敏雄の復原にしたがうならば(『浄土真宗寺院の建築史的研究』法政大学出版局、1997)、本福寺の御堂および大谷本願寺の御影堂は尾崎家のブツマと同じ「田の字」形平面をしており、外陣を板間、内陣を畳敷としていた。真宗の開祖親鸞を祀る本願寺の御影堂が本福寺の御堂に受け継がれ、それが日本海ルートを経由して宇野に辿り着いたことを暗示させる。あまりにも衝撃的な復原データに、わたしは思わず息を呑んだ。(続)

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↑永正十年(1483)頃の大谷本願寺御影堂平面復原図[櫻井敏雄1997]


  1. 2007/05/07(月) 22:46:21|
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堅田門徒の道(Ⅰ)-近江から山陰へ

 中世の戦乱のなかで、荘園の所有関係が流動化し、日本各地の村落は「惣村」としての自治性をもち始める。琵琶湖水運の要衝として栄えた堅田荘は、その経済力を背景に強い自治性を有し、堺に比肩すべき自治都市に成長していった。堅田には複数の惣組織が形成され、殿原衆(地侍)と全人衆(商工業者・周辺農民)からなる「堅田衆」が自治を推進した。殿原衆は「堅田船」と呼ばれる船団を保有して水上交通を支配する一方、全人衆の中には商工業によって富を得るものも多かった。
 堅田はもともと比叡山延暦寺の荘園として庇護を受けていたが、室町時代になると、宗教が多様化する。まずは殿原衆に臨済宗がひろまって「祥瑞寺」が創建された。この寺では、若かりし一休宗純が修行している。ほぼ時を同じくして、浄土真宗の「本福寺」が道場を開く。南北朝時代、建武元年(1334)のことである。本福寺の開祖善道は三上神社宮司の家系であったが、諸国を放浪ののち堅田に住み着き、藍染の紺屋を営んでいた。本願寺三世覚如上人の門弟浄信が東国に下向中、堅田に止宿したことが縁となり、善道は浄土真宗に帰依する。本福寺は善道の死後、臨済宗に改宗されていたのだが、三世法住(善道の孫)は近江で精力的に布教する本願寺八世蓮如上人と接するうちに信仰が篤くなり、浄土真宗に再改宗した。
 当時、蓮如の活躍と反比例して、浄土真宗と比叡山の対立は深刻なものになっていた。寛正六年(1465)、山門衆徒は大谷本願寺を焼き討ちし、逃げる蓮如を執拗に追跡して、近江金森の道場も攻めている。蓮如は金森から堅田へ落ちのび、本福寺に入った。堅田は金森よりも比叡山に近いのだが、山門衆徒は蓮如をかくまう堅田を攻めなかった。堅田が天台・臨済・真宗など複数の仏教宗派の拠点となる中世の自治都市であったからとも言われている。このわずか一年ばかりのあいだ、堅田の本福寺は大谷本願寺を追われた蓮如の布教活動の拠点となるのである。これを契機に、法住を介して堅田の全人衆が続々と浄土真宗に帰依していった。その集団を「堅田門徒」と呼ぶ。堅田門徒は本福寺を中心に12の道場によって組織されており、堅田大宮「伊豆神社」の宮座を差配する殿原衆の強力な対抗集団に成長していった。
 このように、真宗をひろく布教したい蓮如の思惑と堅田全人衆の思惑はみごとに一致していた。おそらく蓮如の布教活動にとって、堅田以上に重要な拠点はなかったであろう。全人衆を基盤とする堅田門徒は、琵琶湖の最も狭まった位置から水上交通権を掌握し、京・大阪、美濃・尾張方面だけでなく、山陰・北陸方面との交易が盛んで、各地の情報が集積されていたからである。とりわけ、浅井・朝倉の領地を介してつながる北方の日本海沿岸は、かれらにとって流通を独占できる重要なエリアであった。
 ここに堅田門徒と山陰の関係が浮かびあがる。堅田に拠点をおく近江商人と真宗門徒たちは、自らの水運力を最大限に活用し、北陸から日本海を経由して山陰にまで足をのばしていたのである。それはまず第一に商業活動としての交流が下地としてあり、そのルートを真宗門徒が布教に利用したものだということを知っておかなければならない。(続)

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↑国道9号線からみた宇野集落。かつては日本海が集落に迫っていたが、いまは国道9号線で分断されている。堅田門徒は宇野でも布教活動をした。左奥にみえる入母屋の高い屋根が安楽寺本堂。中央奥の大きな茅葺き屋根が尾崎家住宅。


  1. 2007/05/06(日) 23:25:50|
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