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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

堅田門徒の道(Ⅱ)-「門徒造」の道場

 湯梨浜町宇野の旧家尾崎家の祖先は、山口の守護大名「大内義弘」の子孫にして船主であったと伝承される。尾崎家の初代当主、弥次兵衛は永正元年(1504年)26歳のときに、宇野の近海で難船して宇野浦に漂着し、そのままこの集落に定着した。尾崎家の家伝書「當尾崎遺命家傳實録」(天明元年/1781年)には、「當宇野浦ニ令移住給ふ」という記載が残っている。
 蓮如や本福寺の活発な動きと対比する限り、尾崎家の初代弥次兵衛が宇野に定住し始めた16世紀初頭にあっては、すでに近江商人および堅田門徒が日本海ルートを利用して山陰海岸域を訪れ、交易や布教をおこなっていた可能性を否定できない。
 それと係わる記録が本福寺に残されている。『本福寺門徒記』(1560年頃に完成)は以下のように記している。

   ハウキノウノトイフサトヲ仏法ヲヒラキ、人数六七十人同行ヲコシラヘテ、
   道場ヲ一ツコンリウス

 堅田から60~70人もの信徒を連れてきて、仏法のための道場を宇野に建立したというわけである。ただし、その建立年代がよくわからない。一つ参考になるのは「本福寺破門事件」である。本願寺十世証如上人(1525-53)の代のこと。大津の門徒を率いていた後見人の蓮淳(蓮如六男:1464-1550)の讒言によって、本福寺は3度にわたる破門を受け、門徒の指導権も所領・財産もことごとく堅田の称徳寺に奪われてしまったのである。これは16世紀中頃のことであり、この時期に本福寺門徒が山陰方面へ移住した可能性が想定できるのではないだろうか。元亀二年(1571)の信長による比叡山焼き討ちの前後から、堅田では殿原衆が信長に内通して手を組み、自治都市全体が信長の傘下に治まる。殿原衆と対立する全人衆=堅田門徒は当然のことながら居心地はわるかったであろう。このとき、多くの堅田門徒が北陸と日本海を経由して山陰方面に移住した可能性もあるだろうが、その時点ですでに本福寺は没落しており、宇野に「道場」を建立するだけの力はなかったはずである。

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↑↓明治45年の古写真に映る尾崎家住宅(上)とブツマ(下)
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 16世紀に建立された「道場」がいま湯梨浜町の宇野に残っているとすれば、それはとうの昔に重要文化財に指定されていたはずである。しかし宇野には、独立した寺院としての中世建立「道場」は存在しない。尾崎家の敷地内に建てられたブツマこそが、『本福寺門徒記』にいう「道場」の可能性を残す重要な遺構だと家人は信じている。もっとも、5月4日に述べたように、現在のブツマは昭和4年に吉田享二の設計によって移築改装されたものであり、それ以前には茅葺きの独立した建物として、敷地南西隅の小川沿いに建っていた。明治45年に撮影された古写真には、その姿が鮮明に映し出されている。
 しかしながら、その一方で、新しいブツマは「門徒造」と呼ばれる特異な間取りを継承している。それは、一見すれば民家の「四間取り」と大差ないものであるが、土間を伴わず、なにより部屋の使いかたに特色がある。「田の字」形平面のうち、手前の2室が外陣、奥の2室が内陣にあたり、内陣側では向かって左手の部屋を書院として座敷飾りを設え、右手の部屋に仏壇をおく。このような平面をもつ仏堂の類例を、わたしは寡聞にして知らなかった。そこで、仏教建築に詳しい元部下のボックス君に問い合わせたところ、かれもまた四間取りに似た仏堂平面の存在を知らない。かれは近江方面の民家における整形四間取りの成立時期を気にかけていた。そのころ、わたしは禅宗系仏堂との係わりを考えていた。方丈型「六間取り」の持仏堂から展開し、全国に波及した禅宗系の仏堂は、中央の奥に仏壇を置き、その左右に余間を配する。「門徒造」の四間取りは、禅宗系「六間取り」仏堂の片側2室を取りさった平面とみなせなくもないのではないか。
 ところが、しばらくして、「門徒造」は浄土真宗の歴史のなかに鮮明に足跡を残していることを知った。その源流は大谷本願寺の御影堂にあったのである。櫻井敏雄の復原にしたがうならば(『浄土真宗寺院の建築史的研究』法政大学出版局、1997)、本福寺の御堂および大谷本願寺の御影堂は尾崎家のブツマと同じ「田の字」形平面をしており、外陣を板間、内陣を畳敷としていた。真宗の開祖親鸞を祀る本願寺の御影堂が本福寺の御堂に受け継がれ、それが日本海ルートを経由して宇野に辿り着いたことを暗示させる。あまりにも衝撃的な復原データに、わたしは思わず息を呑んだ。(続)

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↑永正十年(1483)頃の大谷本願寺御影堂平面復原図[櫻井敏雄1997]


  1. 2007/05/07(月) 22:46:21|
  2. 文化史・民族学|
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