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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

ミュートの技巧-レッスン(Ⅱ)

 週末に引っ越し準備とは色気のない話ですが、午後1時からチャックとハルさんが田園町の宿舎に来てくれました。食器と書籍の梱包です。
 ところがところが、わたしは1時半からギターのレッスンで、お馴染み「駅前の楽器屋さん」に直行。例の女性店員さんは、このブログを読んだらしく、「わたし、もうなんにもしゃべらない」とおっしゃる。あんなにおしゃべりな方がしゃべらないなんて、わたしからギターを取り上げるのと同じぐらいの苦痛ではないかしらん・・・

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 さて、今回はエチュードの№2から№5まで一気に進みました。30分でこれだけ進むんですよ。一つのエチュードを全曲弾かせていただけるなんてことはありえないわけでして、とくに問題となるフレーズを弾いてはコメントを頂戴し、また別のポイントを弾いてはコメントを頂戴するわけです。
 今回お誉めいただいたのはビブラート。「絶妙のビブラートですね」と評価していただいたんですが、本人は無意識にやっているだけでして、じつはただのクセなんです。良いクセで良かった。
 一方、弱点もみごとに喝破されました。「これが苦手のようですね」と言われて、左手を掲げ、薬指と小指を動かされるんです。まったくその通りでして、いまわたしの最大の弱点は左手の薬指と小指、そして右手の薬指であることを自覚しております。先生も気にしてくださって、左手の薬指と小指の運指トレーニングを教えていただきました。ただし、「途中で指が痛くなってきますから、そうなったらやめてください」とのこと。帰宅後、やってみたんですが、たしかに痛くなりますね。それよりなにより、今回いちばんの収穫は、消音(ミュート)のテクニックをお教えいただいたことです。わたしが普段やってるミュートをおみせすると、先生は「あれ、それどうやるんですか?」と逆に問われるんです。わたし、ただ笑って「これ、ニール・ヤングの真似なんです」。それから、クラシック・ギターにおける正式な消音のテクニックを教えていただきました。うぅぅん、なるほど。これはなかなか難しい。
 どうやら、エチュードは猛スピードで終わりそうな気配でして、ひょっとしたら先生は次のレッスンをお考えなのかもしれません。なんとなれば、先生はわたしに第16回山陰ギターコンクールの募集要項を渡されたんです。「へぇっ、はぁっ・・・」とお答えするのみで、話はコンサートに切り替わりました。

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 まず10月14日(日)の「むきばんた 夕日の丘コンサート」(↑)。門脇先生の演奏会です。妻木晩田での野外コンサートで、ぜひ駆けつけたいところなんですが、この週末はたぶん奈良に帰らなきゃならないんで、代わりにチャック&ケンぼーを派遣しようかと考えているところです。可能ならば、六弦倶楽部のみなさんにも是非聴きに行っていただきたいですね。先生の演奏はCD『夜明け』しか聴いたことはありませんが、素晴らしいですよ。ギターが歌ってます。ぜひ大勢の県民に聴いていただきたいですね。

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 次に、なんと! イョラン・セルシェルとアンドリュー・ヨークの来日コンサート(↑)。 上のチラシは広島会場のものですが、セルシェルは東京、横浜、大阪を含めて6会場、ヨークは横浜、東京を含めて3会場で公演があるようです。
 わたし、行きますよ。どの会場に行くか分かんないけど、二人とも見ます。二人とも大好きなギタリストですもんね。はやくスケジュール調整せんといけん。


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  1. 2007/09/29(土) 03:16:55|
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教授室&演習室の衣替え-引っ越しモード(Ⅲ)

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 後期が始まりました。4年生のガイダンスがおこなわれた講義室の中には、悲喜こもごも様々な思いが渦巻いています。その2時間前、私は他の研究室メンバーと後期最初のゼミをしていました(↓)。

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 今日の発表内容は先週の成果発表と、中間発表に向けてのより具体的な方向性を示すこと。トップバッターはハルノさん。あまり進んではおらず、また先週指摘を受けた箇所が修正されていないなど、ちょっぴり先生にお叱りを受けたものの、約2週間後のゼミにはきっちりやってくると宣言したのはさすがでした。また、タイトルもなかなかの仕上がりでした。2番手は私。パワーポイントではなく中間発表に向けての設計図を示したところ、前半の概要部分の内容がやや重いとのご指摘。他、タイトルをもう少しかっこよくして、内容を詰めていかねばなりません。3番はけんボー。前回なかったパワーポイントが、今回は一通りできていました。タイトルも決まり、後は1枚1枚丁寧に仕上げていくだけのようです。それが難しいんですけどね。トリはトマトさん。現在ゼミ随一の安定感を誇っています。パワーポイントは綺麗にできており、こちらも順調に進んでいます。研究する卒業生として大事なものを持っている、そんな感じがしました。次回の発表は9日(火)。後輩にかっこ悪いとこは見せられません。皆さん、辛抱して頑張りましょうね。

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 ゼミとガイダンスも終わった後は教授室と演習室のお片づけ。ベトナムと遺跡関連の書籍増加に伴う大改造であります。4年生+某大学院生の5人で力を合わせ、より使いやすく勉強しやすい環境を作りました。これで新3年生(と言ってもメンバーは変わってません)が来ても、プロ研で1・2年生が見学に来ても、29日のオープンキャンパスでお客さんが来ても充分対応できます。研究室公開はしてませんが、まぁふらっと遊びに来てください。以前の研究室をご存知の方は驚くと思いますよ。あと、教授室にあった本棚を研究室用に転用したため、新しく先生が本棚を無印良品から買ってきました。それを某大学院生とけんボーを中心に組み立て、きっちりと納めました。野帳原本もすっきりとしました。あとはスタジオですね。

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  1. 2007/09/28(金) 00:21:54|
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大学院修士研究中間報告会を終えて

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 9月26日の午後1時過ぎ、環境デザイン領域の大学院修士研究中間報告会が予定より少し遅れて始まりました。8名の大学院生が発表の持ち時間15分、その後に質疑時間5分のなかで、各自の修士研究について報告していきます。
 私は教授から「落ち着いていけ」とアドバイスをいただき、壇上に登ったのですが、不安がつのっていました。待機中、手元の資料を捲ると手首が震えていましたし、練習で発表時間は14分で収めていたものの、1年次中間発表本番では発表し切れなかった苦い経験を思い出していました。そんな状態で始めた私の発表は、舌足らずで、同じ箇所を繰り返し言ったり、詰まったりと大変聞きづらかったのではないのかと思います。
 私の発表題目は「文化的景観としての水上集落 -世界自然遺産ハロン湾のCG表現-」で、構成は以下の通りです。

    1.研究の背景-Cultural Landscape and Human Settlement
    2.世界遺産にみる「文化的景観」
    3.研究の目的
    4.調査の経過
    5.ハロン湾の概要
    6.調査と配置図の作成
    7.今後の課題

 限られたスライドの中に、ハロン湾の魅力を伝えるため背景に写真を使う工夫したのですが、パワーポイントの調整不足な点もあって、講演後「背景と色が重なって、文字が読み難かった」と意見をいただきました。一方、「とても良い研究テーマだから頑張ってほしい」とのコメントもいただきましたので、これを励みにして研究を進めていきたいと思います。

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 昨夜、さらには先週の木曜に、私は関係者のみなさまに色々とご迷惑をお掛けしました。その分、中間発表で報いることができるようにと、直前までパワーポイントを修正して発表に臨みました。こうして無事に中間報告を終えることができたのは、教授のほかハルさん、エアポートさんのおかげです。本当にありがとうございました。
 最後に、今後はスピディーに作業がこなせるよう努めるようにしたいと思う次第であります。今後ともよろしくお願いいたします。(岡野泰之)

  1. 2007/09/27(木) 00:30:01|
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呪われた夜

 夕方7時までデッド・ラインの原稿を書き続け、次女の作った夕食をたべてから奈良の自宅を8時前に出発した。鳥取駅でハルさんを拾い大学に着いたら11時半。で、いままで院生ゼミをしていたんです(ベトナムに同行したハルさんとエアポートが同席)。なぜかというと、今日、大学院修士研究の中間報告会があるんですね。発表まで、もう12時間を切っているのです。こんな直前になって、なぜまだゼミをやっているのか。それは院生が先週ほとんど準備をしていなかったから。わたしは30分で退席しました。
 聞けば、先週のゼミの前日、院生は夜の12時半に家に帰って仮眠をとり始め、気がついたら昼の12時半になっていた。まる12時間眠ったわけです。大学に戻ったのが午後2時半。それから夕方のゼミまで準備したのだそうですが、パワーポイントの中身がどんなものだったのか、だいたい想像がつくでしょう。
 そう言えば、昨年後期の大学院授業(ヨキレットの『建築遺産の保存』の輪読)でも、わたしはかれの発表の際、30分で退席しました。発表を聞くよりも、本を読んだほうがマシだと思ったからです。ひどい教師でしょ。でもね、なぜ大勢で本読み会をするのか、と言えば、本の内容をより深く理解するためです。深く理解しようとするならば、本の内容に関係する資料をあわせて学まなければなりません。ネットの資料もあれば、文献資料もある。できるだけ多くの資料を閲覧し、他のメンバーに紹介する。こういう準備をしなければ発表しても意味はない。意味がないから退席したのです。
 今夜は最後まで付き合いました。なにせ今日が発表ですから。流石にせっぱ詰まってきたようです。ちなみに、院生の発表題目は以下のとおりです。

   ・文化的景観としての水上集落
     -世界自然遺産ハロン湾のCG表現-
   
 というわけで、今夜もOK牧場の呪縛のなかにおります。午後の発表はどうなるでしょうか。発表者自らブログに感想を書きますので、お楽しみに。



  1. 2007/09/26(水) 02:25:19|
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けんびき(Ⅳ)

 鳥取から車を飛ばして帰ってきた二日前の深夜、およそ半年ぶりに「ゆららの湯」に行った。家内の発病後、ゆららに行く回数は激減した。一人で行ってもつまらないし、時間がもったいない。でも、あの夜は、体が大浴場を欲していた。
 ゆららに1時間あまりいて、いつものように、高温サウナや低温(楽塩)サウナになんどか入った。サウナに入っては更衣室に戻り、体を冷やす。そして、鏡をみる。と、少しずつ贅肉がとれていくような錯覚を覚える。実際、1回のゆららで体重は500~700グラム減るのだが、それ以上に感覚として体が軽くなる。肩こりはとれ、頭痛は引いていくのだ。
 ゆららの湯に入って良かった。気持ちいい。帰宅して、家族にそう触れまわり、パソコンの前に坐った。で、ブログを書いたら、体は元に戻ってしまった。頭がぼ~っとして、横になるしかなく、眠りについた。
 昨日も症状は変わらない。血圧の頓服を一錠飲んだ。そのまま休みたいのだが、世の中はそんなに甘くない。昼過ぎにエクスパックでゲラが届いた。昨年度末から取り組んでいる3冊の報告書のうち2冊は校了した。しかし、最後の1冊の校正がどうしても終わらない。
 まるで呪われているかのように、次々と問題が発生する。OK牧場の呪いだ・・・今回もまた数十ヵ所修正した。次回で校了といきたいところだが、この状況では無理だろう。
 新しいワゴンRが届いたものだから、試乗を兼ねて郵便局まで校正を投函しに行った。この往復だけで十分疲れた。できれば、かつてのように、夕方のグラウンドでボールを蹴ったり、家内の散歩に付き合ったりしたいのだが、そういう気力も湧かないし、ゆららに行くのも億劫で、ただ家でぐったりしていた。
 「けんびき」なんだ、と思う。なぜならば、いくらでも眠れるから。「けんびき」の「けん」とは、たぶん「筋」のことだろう。「けんびき」とは「けんをひく」の名詞形かな? 体中の筋が硬直化して突っ張っている状態をさすのではないか。自分の体の状態からそう思うのだ。この凝り固まった「筋」がほぐれない限り、体は元に戻らない。元に戻すには眠るしかない。「睡眠」がなにより特効薬だ。体を休めなければいけない。
 しかししかし、・・・じつは、ある原稿に追われている。締切は今月の5日であった。7月末だったか8月初に依頼されて、〆切が9月5日なのである。そして、2回めのボーダーラインが今日だというお達しを頂戴したのだが、体がついていかない。原稿をたくさん速く書くだけが取り柄の男だったのに、なんたる為体。これではOK牧場と同じではないか。いや、やはりOK牧場の呪縛かもしれない。


 
  1. 2007/09/25(火) 00:01:17|
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 目覚めると、いきなり家内が言う。
  「おばあちゃんから電話あったよ」
 家内の母ではなく、わたしの母からの電話である。前日、加東市の家を訪ねたばかりなのに、なんの用だろう。
  「あなたの同級生が新聞の『声』の欄に出てるんだって・・・」
 「声」・・・「声」とはなんぞや。「ひと」の欄ではないのか。と思って2面を開いたら、イドゥリース・アルセヤリというイラク人の医師が紹介されている。それから、ざっと紙面を眺めてみたのだが、同級生らしき人物はみあたらない。母親に電話した。
 やはり「声」なんだ。そうか、読者の「声」だ。みつかった。たしかに高校の同級生が投書しているではないか。こんな大新聞に投書して、ちゃんと採用されるんだから流石というほかない。かれは同学年で一、二を争う秀才であった。ただの秀才ではない。寡黙で穏やかな秀才。いまは故郷で開業医をしている。
 かれは「テロに対する認識」をテーマに投稿していた。アルカイダは「国際テロ組織」と言われているが、世界中の国・国民を無分別に標的としているわけではない。米国および親米国家に対してのみテロ行為を繰り返しているのであって、だからアルカイダは「国際テロ組織」ではなく、「反米テロ組織」なのだという認識を前提にわれわれは議論しなければならない。次の臨時国会では「テロ特措法」の審議が最大の焦点になる。同級生は主張する。

  「9・11テロ」直後から始まった米国主導の対テロ作戦に、海上自衛隊を
  派遣するこの法律を考えるとき、「国際テロ組織」ではなく、「反米テロ組織」
  をどうするかの問題として考えるべきです。

 この記事を読まれた方は多いことだろう。正論というほかない意見である。あっぱれ、同級生!だ。かれのような寡黙で穏やかな人物が、こうして全国紙に投稿するということは、それだけ今の日本に苛立ちを覚えているということだろう。投稿記事を採用した新聞社も同じ気持ちであったにちがいない。なにより、新しい自民党総裁(つまり日本の総理大臣)が決まる日の「声」としてふさわしい主張ではないか。

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  1. 2007/09/24(月) 01:22:35|
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ホーボーズ・ララバイ(Ⅰ)

 六弦倶楽部第3回練習会で月太郎さんが歌った「ホーボーズ・ララバイ」の印象が鮮烈だったので、わたしはさっそくネットで検索し、アーロ・ガスリーの『ホーボーズ・ララバイ』を取り寄せた。1972年のアルバムである。
 『ホーボーズ・ララバイ』に含まれる11曲を以下に示す。

   1. Any Time (H.Lawson)
   2. The City of New Orleans (S.Goodman)
   3. Lightning Bar Blues (H.Axton)
   4. Shackles and Chains (J.Davis)
   5. 1913 Massacre (W.Gathrie)
   6. Somebody Turned On The Light (H.Axton)
   7. Ukulele Lady (R.Whiting & G.Kahn)
   8. When The Ship Comes In (B.Dylan)
   9. Mapleview Rag (A.Gathrie)
   10. Days Are Short (A.Gathrie)
   11. Hobo's Lullaby (G.Reeves)

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 ライナー・ノーツを書いた鈴木カツによると、このアルバムは「アーロがフォークからロックへと新たな道を歩んだフォーキー・サウンド満開という素晴らしい内容」をもつ作品であるという。素晴らしい作品であることに異を唱えるつもりはまったくなく、むしろ大変な「傑作」の一つだと思っているのだが、「ロック」という表現がどうもひっかかる。
 このアルバムを聴いて、わたしは「ジャグバンド」系のフォーク・ミュージックに属する音楽という印象をうけた。日本で同類のグループを敢えてあげるとすれば、高田渡を中心とする武蔵野たんぽぽ団やヒルトップ・ストリングス・バンドのサウンドに近いものではないか。ライ・クーダーのボトルネックが全面に満ちあふれ、バンジョー、フラットマンドリン、アコーディオン、フィドルの名手たちが脇を固める。これが「ロック」なのか。
 アルバムが発表された1970年代の前半では、こういう剽軽なサウンドすら「ロック」と認識されていたのだろうか。実際、リズム・セクションは豪華なメンバーで、ドラムスにはクラプトン、ニール・ヤング、ステーリー・ダンなどのバックを務めてきたジム・ケルトナ-、エレクトリック・ベースにはクルセイダーズのウィルトン・フェドラーらが名を連ねている。このあたりは、たしかに武蔵野たんぽぽ団~ヒルトップ・ストリングス・バンドの系列とは異なるところではある。
 こういうサウンドが「ロック」と表現されるのは、『ホーボーズ・ララバイ』以前のアーロの音楽が純粋な「フォーク」の範疇におさまるものであったからにほかならない。そのフォークとは、アーロの父であるウディ・ガスリー、あるいはその弟分ランブリン・ジャック・エリオットらの生ギター弾き語りの音楽である。

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 一昨日、ジャック・エリオットの『シングズ・ザ・ソングズ・オブ・ウディ ガスリー』が手元に届いた。ギターだけ(稀にハーモニカも使う)のシンプルな弾き語りで、何曲か「ホーボーズ・ソング」を含んでいる。エリオットの弾き語り、すなわち1960年代以前のフォーク・ソングを聴き直してみれば、アーロの『ホーボーズ・ララバイ』との差は歴然であり、後者を「ロック」と呼びたくなる気持ちが理解できないではない。そのジャグバンド風ロックは『ホーボーズ・ララバイ』の1曲めから10曲めまで続く。
 しかし、フィナーレを飾る「ホーボーズ・ララバイ」だけはアレンジが異なっている。非常にシンプルでデリケートなアルペジオのギターとチェロの伴奏だけ。ギターはもちろんアーロ自身が弾いている。つまり弾き語りだ。すでに何度聴いたかわからない。またやられてしまった。しばらく車の6連奏チェンジャーにおさまったままだろう。


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  1. 2007/09/23(日) 02:00:49|
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夏休みの4年ゼミ(Ⅲ)@鳥取城跡&教授邸

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 今日のゼミは鳥取城跡の試掘調査と石垣修復の現場見学から始まった。だから試掘調査と石垣について何かきちんと書かなければならない。メモは沢山取った。写真もいっぱい撮った。それなりに理解もできたはずだ。でも、今日ばかりは白旗を振らざるを得ない。暑い中、丁寧に説明していただいたSさんと、SKさんには大変申し訳ないが、下手に文章化するよりは、明日(22日)13時30分よりおこなわれる試掘調査現地説明会に足を運んでいただくほうが良い。

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 試掘調査現場を見学した後、天球丸石垣解体修理の現場を見させていただいた。築後50年のプレハブで、冷えたお茶をいただき、さっそく現場へ。実は以前にもここに来ている。昨年の加藤家住宅イロリ復元でお世話になった時以来。石垣はかなり勢いのあるものになっていた。大きさもさることながら、石の積み方がとても自然な気がした。公開はしていないだろうが、これも現地に足を運んで見ていただけたらと思う。なんだか言葉にするのがもったいないのだ。

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↑1000以上ある石をスケッチし番付→解体そして修復・・・
 
 石垣を後にし、一路教授邸(魯班営造学社)へ。引越し準備の真っ只中、2階の8畳でゼミが始まった。田園町の下宿はなんども宴会等に使ってきたけれども、ゼミで使うのは初めてのことらしい。もうすぐこの宿舎ともお別れ。教授も、そのことを考えてゼミの会場にしたのかもしれない(ただ、わたしたちに梱包の手伝いをさせたかっただけなのかも?)。
 今回の大きな課題は「タイトル」の決定と中間発表に向けての施政方針演説。女子たちはかなり具体的に卒論を進めている。完成が垣間見え、その分課題も容易に見えてきていた。しかし、男子連中はあきまへん。辛抱が足りてませんね。なんとか机につく時間を増やさないと。タイトルに関しては予想通り皆ボツだった。思いつかなかったり、言葉のみ先行して中身がなかったり、理由は様々。ただ、あーだこーだ意見を出し合ううちに、それなりに形が見えてきた。現状で自分ができうる最良のものを叩き台に、内容を発展させ、さらに課題を見つけて1週間が始まる。ただひたすら4ヶ月。教授には申し訳ないが、今しばらく叱っていただきましょう。

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↑視察当初は「礎石」かとも思われたが、周辺に「掘形」の痕跡が検出されていないので、投棄された石とみるべきだろう、と教授は最後にコメントされた・・・



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  1. 2007/09/22(土) 00:51:03|
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家具の搬入と修復-引っ越しモード(Ⅱ)

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 奈良の家具を加藤家に運びこんだ。
 自分で修復することにした。自在鉤の修復を思い出したのだ。木工用のアロンアルファがものすごく強力で、あれを使えば接合できるだろう、と考えたのである。まずはホームセンターに木工用アロンアルファを仕入れに行った。一つカゴに入れて、もう一つ買おうかどうか、悩んだんだが、たぶん一つで足りるだろうと判断した。

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 木工用アロンアルファの威力は凄まじい。ガタガタグスグスになっていた家具の接合部分が次々とくっついていく。一人掛け椅子の修復を終えて、長椅子の修復に移行した。ところが、最後の最後にアロンアルファが切れてしまった。チューブをしぼる。必死でしぼるのだが、粘液はでてこなくなってしまった。加藤家からホームセンターは遠い。夕方には院生ゼミの予定が入っていて、時間もない。とりあえず、コンビニに行ってみることにした。ここで「多目的アロンアルファ」を発見した。ゼリー状の接着剤で、木工にも強い、と書いてある。さっそく購入して、加藤家にもどった。

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 残り2ヶ所の接合部分にゼリーを塗った。
 効きませんね。木工用のアロンアルファとは全然ちがう。木工用のそれは、接合部分をはめあわせた瞬間に接着して離れなくなるのに対して、ゼリー状の多目的アロンアルファは接着後、しばらく木材に力を加えてゼリーが乾くのを待っていなければならない。とりあえず、接合箇所はとまったが、多目的アロンアルファで接着した2ヶ所は早晩解体してしまうだろう。
 木工用アロンアルファを2本買っておけば良かったんだ。
 いずれまた。

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  1. 2007/09/21(金) 00:05:48|
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『漢長安城桂宮』の出版

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 7年前まで在籍した奈文研から、ごらんの報告書が送られてきた(↑)。奈文研は、とうとう国立博物館とも合併し、「独立行政法人 国立文化財機構 奈良文化財研究所」という正式名称に変わったらしい。
 わたしが在籍したころは、奈良国立文化財研究と言った。中国で出版された漢長安城桂宮の発掘調査報告書には、その古い機関名が使われている。まずは書籍データからお知らせしておこう。

  中国社会科学院考古研究所・日本奈良国立文化財研究所(編著)
   『漢長安城桂宮 1996-2001年考古発掘報告』
    発行: 文物出版社(北京市東直門内北小街2号楼)
    発行年月: 2007年1月
    ISBN: 978-7-5010-1997-7
    定価: 320元

 奈文研が「日中古代都城の比較研究」をテーマに中国社会科学院考古学研究所と研究協定を結んだのは1991年に遡る。わたしが入所して4年めのこと。まだ30代前半であり、あまりお役には立てなかった。この第1次5ヶ年計画では、おもに人事交流をおこなっていた。協定は1996年に延長された。この第2次5ヶ年計画の協定署名が漢長安城共同発掘調査の始まりである。
 発掘調査した桂宮は、武帝の造営した後宮。漢の長安城は、都市というよりも宮城群といったほうがよく、しかも未央宮以外の諸宮はみな后妃と女官の城であった。ひらたく言えば、大奥である。大奥がいくつもあって、それらは皇帝が執政する未央宮と空中廊下(「複道」または「閣道」という)でつながれていた。かくして美女の群れに囲まれ、多くの中国の皇帝は早死にしていったのである。
 桂宮の発掘調査は1997年11月に始まり、2001年5月に終わった。わたしは日本側の窓口を務めていた。現場で発掘調査に携わるのは、わたしより若い研究員たちばかりで、報告書を読むと、かれらの名前がきちんと記されている。わたしは年に3度も北京や西安に通い、中国側との交渉の席につき続けたのだが、どこにも名前が載っていない。

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  1. 2007/09/20(木) 00:18:03|
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家具の入れ替え-引っ越しモード(Ⅰ)

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 食卓のまわりを囲んでいた椅子たちをスウィフトに載せた。8月2日にお知らせしたとおり、嫁入り道具のダイニング・テーブルとセットになった椅子がガタガタで、椅子の総入れ替えとなったのである。先週、押熊の家具屋さんで椅子を選んだ。家内はテーブルとセットをまるまる買い替えたいようであったが、結婚してからずっと使っている家具であり、しっかりしているテーブルだけは残すことにした。

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 古い椅子(↑)は接合部分がグスグスガタガタで、家内は捨ててしまおう、というのだが、前期のプロジェクト研究1&3で「家具の再生」に取り組んだ浅川研究室としては、この程度の傷みの家具を廃棄するわけにはいかない。それに、アトリエ化しつつある加藤家のロフトに椅子が足らないんだ。
 3年生に期待しています。わが家の古い椅子を修理・補強して、ロフトのアトリエ家具として再生してください!
 で、先生は小さなスウィフトに大きな椅子を3つも積み込んだのである。

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 新しく入った椅子(↑)は、2つのセットから別べつに購入した。壁際には背もたれのない長椅子。壁を背もたれの代わりに使うので、テーブルがわずかに奥まって配置でき、手前のスペースがひろくなる。ここにソファーにもなる大きめの椅子を2つ並べる。これは患者の座り易さを考えたバリア・フリー系家具のつもり。反対側の長椅子は3人掛けで、東京から長女が帰ってきても大丈夫。いつもはデブの御休処になるだろう。いや、デブは最近あつかましいので、奥方と同じソファ椅子に居座ってしまうかもしれない。

 さてさて、9月も下旬を迎えようとしている。田園町の宿舎ともまもなくおさらば。引っ越しモードに突入です。

  1. 2007/09/19(水) 00:04:53|
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ピングレを求めて

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 いつのまにかピングレがナンバー2のポジションを占めている。わが家の冷蔵庫の話。冷蔵庫に収めている飲料のナンバー1は断トツで牛乳である。いつでも1000mlのパックが2~3本入っている。
 ついこの前までナンバー2は「飲むヨーグルト」であった。わが家は、ほんらい「ヨーグルト」派で「飲むヨーグルト」派ではなかった。患者が元気であったころ、彼女は自らヨーグルトを作っていた。朝食には、ブルーベリー・ジャムをトッピングした自家製ヨーグルトがつきもので、最後にホット・ミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲むことになっていた。
 しかし、彼女の右腕は動かなくなってしまった。深夜にヨーグルトを仕込むだけの体力もない。そこに彼女のお袋さんが助っ人にあらわれた。おばあちゃんは「飲むヨーグルト」を愛飲しており、1000mlのパックが常時冷蔵庫に置かれるようになった。子どもたちも「飲むヨーグルト」を好んでいる。わたしも嫌いではない。ただ、少し「甘い」のではないか。そう思うわたしは、買い物にでかけると、ピングレの1000mlパックを手にするようになった。買い始めのころ、わたし以外の家族はだれもピングレを好まなかった。酸っぱいからである。酸っぱいピングレを好んで飲むのは、わたし一人であったはずだ・・・ところが、いつごろからかピングレをだれかが飲んでいる。パックの中身がどんどん減っていく。1000mlのパックが1日もたなくなってきた。
 最近では、わたしが奈良を不在にしていても、必ず冷蔵庫にピングレのパックが置いてある。このたび帰宅して冷蔵庫を開くと、やはり、ちゃんとピングレが入っていた。残量は少ない。あわてて飲み干した、ふふふ・・・
 翌日、コープに行ったのだが、ピングレの1000mlパックは売り切れていた。他のジュースはすべて何本か売れ残っているのに、ピングレだけ1本もないのである・・・動揺した。

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 わが家のワゴンRについては、何度かブログの話題にしてきた。そのワゴンRもとうとう走行距離が10万キロを超えてしまい、この1年、大きな修理を繰り返した。任意保険もまもなく切れる。車検も来春に迫っている。買い換えるしかない。ということで、昨日は新古車と中古車をみてまわった。結局、またワゴンRになりそうだ。やはり人気のある車にはそれだけの理由がある。値段が安くて、内部がひろい。収納スペースもたくさんある。後部座席を折りたためば、バンにもなる。ほんとは別の車にしたかったのだが、総合的に検討すると、やはりワゴンRがいちばん良いという結果になってしまうのである。

 車選びの帰り途、業務用の食品スーパーに立ち寄った。中に入るなり、係員に訊ねた。
   「あのぉ、ピングレ、ありますか?」
 係員はピングレの陳列されている棚に案内してくれた。最初は瓶詰めのピングレを薦められたが、ウェルチの瓶詰めジュースは高いもんで、パック・ジュースを探してもらった。いつもの正方形断面でやや背の高いピングレ・パック(7×7×20cm)はやはりみあたらなかった。他のフルーツ・ジュースはあるのに、ピングレだけないのである。ところが、別のピングレ・パックを発見した。それは煉瓦状の形をしたパック(6×9×19cm)で、数えると4箱残っていた。わたしは悩んだが、紙パックのピングレを3箱と瓶詰めのピングレを1本買った。
 帰宅後、値のはるウェルチがとくに美味しいわけではないことがあきらかになった。

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  1. 2007/09/18(火) 00:49:11|
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「知の財産」シンポジウムのお知らせ(第1報)

 今年度<とっとり「知の財産」活用推進事業>に採択された「山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究」の一環として、下記のシンポジウムを開催する運びとなりました。まだ細部までは煮詰まっておりませんが、大枠は決定しましたので、ここに第1報をお知らせいたします。


              シンポジウム
      弥生建築の実証的復元はどこまで可能か
       -山陰地域を中心とする事例研究-


11月30日(金)  会場:加藤家住宅 
   13:00  1.趣旨説明  浅川滋男(鳥取環境大学)
   13:10  2.全国の研究動向
         2-1. 箱崎和久(奈良文化財研究所)
           「出土建築部材をめぐる奈文研の共同研究について」(仮題)
         2-2. 高田和徳(御所野縄文博物館長)
           「焼失住居研究の最前線」(仮題)
   14:10   コメント(浅川滋男)&討論

   15:10   Coffee Break

   15:30  3.山陰地方の焼失住居と出土建築部材
         3-1. 馬路晃祥(妻木晩田遺跡事務所)
           「鳥取県の焼失住居 -弥生~古墳時代-」(仮題)
         3-2. 茶谷 満(鳥取県埋蔵文化財センター)
           「青谷上寺地遺跡出土建築部材の整理状況」(仮題)
   16:30    コメント(中川寧/島根県埋蔵文化財センター)&討論

   18:00    懇親会(加藤家住宅)

12月1日(土)   会場:加藤家住宅
   09:30   4.弥生集落遺跡整備と復原建物
           4-1. 飯塚康行(松江市教育委員会文化財課)
             「田和山遺跡の復原建物」(仮題)
           4-2. 川畑和弘(守山市教育委員会文化財保護課)
             「下之郷遺跡の大型掘立柱建物跡」(仮題)
   10:30      コメント(高田和徳)&討論

   11:30      昼食(蕎麦切り「たかや」予定)

   13:00   5.浅川研究室の復原研究 -中間報告-
          5-1. 横田研二「竪穴住居3題」(仮題)
          5-2. 嶋田喜朗「青谷上寺地遺跡出土部材の分析と復原」(仮題)
   14:00     コメント(箱崎和久)&討論

   15:00      閉会挨拶
   15:30      解散



 シンポジウムはクローズド・セッション形式でおこないますが、完全非公開ではありません。参加ご希望の方は、浅川研究室までご連絡ください。



  1. 2007/09/17(月) 00:42:15|
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チャック&部長@東京インターンシップ(Ⅹ)

東京浮浪民(Ⅶ) -歴史の編集者

 この記事は「チャック&部長@東京インターンシップ(Ⅸ)」の「続き」にあたるものです。チャックからインターンシップの御礼とエピローグ。

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〔インターンシップ語録〕
 
 ある時、Y社長は言った。
 「服にはこだわってお洒落なのを着たりするのに、どうして景観にはこだわらないのか」と。
 「建造物の歴史(背景)だけでなく、さらにその保存と修復、活用に関して知識を持っているのがうちの社員」と。
 
 ある時、Mさんは言った。
 「何かを学ぼうとする時、文献資料だけではダメで、現場を『見て』、そしてそれに関わる人間に『聴く(ヒアリング)』ことが大事。その中で自分の意見をまとめれば中身のあるものが書ける」と。
 「勉強は欲張って何でもやったほうが良い」と。
 
 ある時、Sさんは言った。
 「わかっているつもりでも、実はわかっていなかったり忘れたりしている。その都度確認を取ることが大事」と。

 ある時、KZさんは言った。
 「縛りのない自由な発想ができるのは学生のうちだ」と。
 「ほんと、仕事って人とのコミュニケーションだよね」と。
 
 ある時、Iさんは言った。
 「可能性は無限大、でも、誰も何も教えてくれない。自分自身で学び獲っていくしかない」と。
 「自分に常に疑問を投げかけなければ、成長はない」と。
 
 ある時、INさんは言った。
 「チャック君ってさ、漫才みたいな話し方するよね」と。

 というわけで、2週間のインターンシップが終わった。あっという間だった。あっという間だったので、成長できたのかできなかったのかまだよくわからない。ただ、一生懸命やったのは確かだ。ちょっとはしゃぎ過ぎた感も否めないが・・・まぁ、それはご愛嬌。課題として提示されたものは一応すべてクリアできた。言い方が悪いかもしれないが、私の卒論にとっては最高の教材となった。今後この経験を生かすも殺すも自分次第。インターンシップは終わったが、卒論は今、ようやくスタートラインに立ったところだ。
 先人が知恵を絞り創り出してきた形あるもの。それらを現代の技術と自らの経験・知識を総動員し、より良い方向へ導こうとする。『官』の政策に翻弄され、しかしそれを逆手に取り、『学』の〔学〕ゆえの過ちに悩み、しかし逆に、セカンドオピニオンとして研究成果・知識を偏りなく取り入れ、『民』の機動力を持って歴史的建造物、ひいては日本の未来を書き換えていく。私は思う。彼らは、歴史の編集者としての重責を担っているのだ、と。
 
 Y社長をはじめ、社員の皆様には本当に良くしていただきました。ありがとうございました。(チャック)

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  1. 2007/09/16(日) 00:15:04|
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薬指のマジック-レッスン(Ⅰ)

 『カルカッシ 25のエチュード』のレッスンが始まった。会場はお馴染みの「駅前の楽器屋さん」(山下楽器)の2階です。レッスンは夕方5時半からになっていて、その時間に会場に入ると、ご婦人がレッスンの真っ最中。わたしよりご年配のご婦人です。とても難しそうな古典に挑戦されていました。
 そのご婦人が話題を提供されて驚いたんですが、島根大学の4年生が第34回日本ギターコンクール(学生部門)で優勝したとのこと。日本海新聞でこの日大きく報道されていて、レッスン後、わたしも「昇龍」で新聞記事を確認しました。指導したのはもちろん門脇先生です。いや、先生もご満悦のご様子でした。報道によりますと、金賞トロフィーを獲得した学生さんは、
  「ディアンス作曲の『サウダーデ第3番』を本選で演奏。作曲者が南米を旅した時に感じた思いを込めたという曲を繊細かつダイナミックに表現し、見事優勝した」
とあります。ここにいうディアンスとは、かつて「ブルーゼット」で紹介したフランスのギタリスト、ローラン・ディアンスのようですね(どうでもよいことですが、ディアンスはわたしと同い歳らしい)。
 奥様のレッスンが終了し、わたしの番になった。まず、
  「なにか基礎練習はしていますか?」
と問われた。
  「いいえ」
と答える。それから運指とスケールの練習方法をお教えいただいた。なるほど、こういうことをするのか・・・
 いよいよエチュードの№1に。正直、そんなに難しくはない。譜面をみて弾くだけなら、まぁできます。しかしながら、レッスン中、先生がときどき口にされる言葉は刺激的でした。
  「そこで途切れると、音楽にならない」
 この「音楽にならない」というコメントは効きますね。曲の流れのなかで、譜面を機械的に弾くだけでなく、連続と断絶をうまく表現しなければならない。示してある音符より、やや長めにひくべき音が何カ所かあり、その音を残しながら次の音に移行して、移行した瞬間に前の音を切る。口でいうのは簡単だけど、実際に演奏するのはなかなかエラいですよ。
 続く№2。このエチュードには、ギター演奏の「秘密」というか「妙味」が隠されているのだそうです。要するに、左手の運指なんです。細かいこと書いてもわからないでしょうけど、鍵を握るのは左手の薬指でして、薬指の使い方に慣れなるまで少し時間がかかりそうです。じつは右手も薬指が非常に重要で、高音のソロはほとんど薬指で処理するから、こちらもよく動くようにしなければならないとのこと。
 前にも書きましたが、わたくし、左はともかく、右はあまり薬指を使わないんですね。しばらく、薬指に悩まされそうです・・・
 それから№3のさわりまでやって初回のレッスンはお終い。1回のレッスンは30分なんです。次回は月末の夕方。それまでに№2から№4まで練習してくることになりました。

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  1. 2007/09/15(土) 01:45:56|
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夏休みの4年ゼミ(Ⅱ)@加藤家

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 天も高くなり、もうすっかり秋である。大学近辺の水田には黄金色の穂がたわわに実り、収穫の真っ最中。今年の夏は晴れた日が多く、我が県名産の20世紀梨は糖度が高くみずみずしいものとなった。これから美味しい季節がやってくる。天高く馬肥ゆる秋。私も肥ゆる、肥ゆる・・・
 さて昨日、加藤家住宅でおこなわれた4年生ゼミにわたくしMr.エアポートも参加した。とは言え、3年生である私はもちろん聞く側の立場、オブザーバーである。浅川ゼミの4年生は全員で4名。前回の4年生ゼミでもチラッと紹介されているが、古代建築をテーマにした卒業論文が2名。ベトナムハロン湾をテーマにした卒業制作が1名と鳥取の風景をテーマにした卒業論文が1名である。内容については研究中なので詳しく掲載することはできないが、チャックさんのインターンシップの報告を皮切りに、それぞれが研究の概要と目的、今後の方針について発表し、教授よりアドバイスをいただいた。

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 昨年も4年生のゼミに参加したのだが、やはり卒業研究の中間発表を目前に控えたこの時期の4年生はいつもと雰囲気が違う。自らの研究について、この休み期間に情報を収集し知識と理解を深めてきている(先生はまだまだご不満のようだが)。発表後、先輩方はまずまずだったと言うが、後輩の私から見ると自らが調べたことを発表し、教授のアドバイスを真剣にメモする姿はとてもかっこよく、頼もしく感じた。来年は私の番である。私も先輩方のようにできるだろうか、先輩方の研究が進めば進むほど、私の気持ちも高ぶっていく。

 その後、大学院生ゼミは大学に戻り院生室近くのゼミ室でおこなわれた。今年から院生ゼミは教授と院生の1対1となった。ハロン湾に関係する学生に限り傍聴が許される。参加不参加は学生の自由。今回はわたしとハルさんの二人が参加した。・・・気がついたら外は暗かった。お腹が減った。(エアポート)

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  1. 2007/09/14(金) 01:46:27|
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サンデーモーニング・オーバーキャスト(Ⅲ)

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 練習会終了後、遠来の客だからと後片づけをご免除いただき、一足お先に帰路につきました。帰り途(「オン・ザ・ウェイ・ホーム」)に、患者がぽつりぽつりと感想を述べるのです。たとえば、
  「ほかの方がたがアガってるのをみても、うちのお父さんは大丈夫だろうと思っていた。フラットマンドリンの伴奏はとても良かった。流石だと思った。なのに、ソロであんなに間違うなんて・・・みなさんにいつもわたしが聴いているレベルの演奏をお聞かせできなくて悔しかった・・・サンデーモーニング・オーバーキャストは車で聴いているヨークのCDと遜色ないぐらいのレベルで弾けていたのに、ほんとに残念な出来だった。」
 こういうコメントに気持ちは凹んでゆき、それに追い打ちをかけるように天気は大荒れになってきて、夕暮れの青谷のあたりでは洪水のような大雨に悩まされ、ますますハートは『イントゥ・ダーク』(真っ暗闇)。

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 以下、今回の反省です。
  1)また、ソロでアガッてしまった。アガリ具合は前回の半分ぐらいか。前回は、1曲終わるごとに席に戻ってバーボンソーダを飲んでいたが、今回はそういうこともなし。しかし、やはりアガッてしまった。「スィート・メモリー」はいつでもどこでも完璧に弾けるという自信をもっていたのに、指が動かなくて、いっぱい間違った。ともかく、ソロになると動揺する。今の段階でこれだけアガる自分を知り、学祭でのパフォーマンスに不安を覚えた。なんとか対策を考えなければならない(1曲めにフラマンをもってくるか?)。
  2)ギターが鳴らなかった。やはり室内と野外では違う。野外で完全なアンプラグドは厳しい。先輩諸氏がエレアコ、エレガットを使われる理由がよくわかった。ホセ・アントニオをいくら強く弾いても、音が響かない。室内ではよく響くのに、野外では音が曇って聞こえる。アンプラグドの場合、「孤独の旅路」でそうしたように、インストの曲でも小さな音でやさしくつま弾いたほうがよかったのかもしれない。これは勉強になった。プラグ&ラインを好まないわたしもこのままでは勝負にならない、という自覚が芽生えた。学祭も野外なんだから、エレガットを使うしかないかもしれない。あの安物のエレガット ・・・

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 余談ながら、今回感心したのは「歌」である。とても印象に残ったのが、月太郎さんの1曲目「ホーボーズ・ララバイ」。アーロ・ガスリー(ウディ・ガスリーの息子)の名曲がほのぼの蘇って聞き惚れてしまった。MOさんの3曲目「祭りの後」も良かった。拓郎よりも、MOさんの歌い方のほうがいいですね。ハートにじーんとくる。月太郎さんやMOさんのバッキングで、またフラマンかなにか弾かせていただければ嬉しく思います。わたし自身、いま心が揺れているのはバンジョーですね。ニール・ヤングにもバンジョーの弾き語りがありますし、ニールが「ギターの神様」と呼ぶバート・ヤンシュ(ペンタングル)もバンジョーを巧みに使ってましたしね・・・

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  1. 2007/09/13(木) 00:15:31|
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サンデーモーニング・オーバーキャスト(Ⅱ)

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 では、わたしの演奏曲目を紹介しましょう。ちなみに、衣装はグラスゴーで買ったセルティクスのTシャツなんですが、そう言っても客席無反応なんですね。中村俊輔の知名度たるやその程度なのか・・・

1.メドレー「スィート・メモリー」~「少年時代」 (インストルメンタル)
 松田聖子の「スィート・メモリー」と井上陽水の「少年時代」のメドレー。前者はDキー(並木健司編曲)、後者はAキー(吉田次郎編曲)。歌謡曲のメドレーですが、アレンジはともにジャズバラード。これをガット・ギター(ホセ・アントニオ)でやるんだから、気分はアール・クルーなんだけどね・・・。並木さんと吉田さんの編曲にはおおむね従っているが、かなり個人的に味付けした。苦労したのは転調の部分。「スィート・メモリー」の最後G→Em7(onA)からBm7→B♭dimと繋いで、「少年時代」冒頭のAmaj7にもっていった。8月3日のブログで「自由自在に弾ける」と書いたのは「スィート・メモリー」で、これを最初にもってくれば指ならしになるだろうと気楽に構えていた。ブラバンの部室でアルトサックス君と音合わせしたときもミスなどしなかった。「スィート・メモリー」がいつものようにスムーズに弾ければ1番だけで終わって「少年時代」へ移ろうと決めていたのだが、ぼろぼろだったので、「スィート・メモリー」を2番まで弾いた。
 「少年時代」の吉田編曲バージョンではサビの部分にディミニッシュ・コードを3種類使いわけており、練習し始めたころはこれに苦しんだ。しかし、すでに十分こなせるようになっている。にも拘わらず、A♯dimのところで一度ストップ。ほんと信じられない。「スィート・メモリー」では曲の終わりにドミナント・モーションのアドリブを用意していて、「少年時代」も同系列のドミナント・モーションを使ってからエンディングに移ることにしていたのだが、患者から「ちょっと、くどいね」と言われ、割愛した。
 さてさて、いかにアガッていたかの証拠になりますが、天理楽器で買った足踏台を使うことすら忘れていた。足踏台をうまれて初めて買った理由は、足の振動防止のためだったのに、演奏中に右足がガクガクし始めて、足踏台のことを思い出してしまったのだ。

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2.孤独の旅路 Heart of Gold (ヴォーカル付)
 ニール・ヤングの大ヒット曲。『ハーベスト』ではリズム感のある8ビートのコード・ストロークで歌っているが、その発表前の音源であるマッセイホールでのライブではピアノでしっとり弾き語りしている(「ア・マン・ニーズ・ア・メイド」とのメドレー)。今回わたしはガット・ギターを使って演奏した。だから、8ビートを刻むわけにはいかない。『ハーベスト』の「孤独の旅路」をベースとして、有名なハーモニカのイントロもガット・ギターで表現するが、基本的に伴奏はアルペジオとして、なんとかマッセイ・ホールのピアノ伴奏のムードを醸し出そうと心がけた。成功したのかどうか、わからない。この曲から足踏台を使った。おかげで、足の振動が少なくなった。いちおうストップなしで終わる。
 ところで、練習会前のバーベキューでは、月太郎さんが「なんでかわからないけど、ニール・ヤングがものすご聞きたくなって、『ハーベスト』買ったんよ」という話題を提供され、驚いた。奇遇でした。いつかニールで共演しましょう!

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  1. 2007/09/12(水) 00:15:49|
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チャックの青谷問答記(Ⅲ)

発掘調査の現場から

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 現在、青谷上寺地遺跡では第9次発掘調査がおこなわれている。目的は「遺跡が最も栄えた弥生時代後期(約1800年前)に、中心域南側を区画したと考えられる溝(SD33)の検出」である。その現場に、今日もお邪魔させていただいた。
 以前来た時よりも掘削が進み、出土する土器片なども数が増えている。前回同様、Mさんに現状を説明していただいた。階段状だった断面は、一部丸味を帯びている。これは雨と乾燥によって段にヒビが入り崩れてしまったためである。発掘面からは意図的に廃棄?された可能性のある土器溜りが2箇所発見された。どちらも溝の山になっているところにあると推測される。

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 少し見にくいが、Y-Y'ではY’→Yへと緩やかに傾斜している。本来の発掘調査であれば水平に掘るのだが、溝の内と外の景観を把握するための調査なので、遺構に忠実に掘っている。この傾斜は、中心域は他の水田地域などよりも高い位置にあったと物語っている。溝からは建築部材と思われる木材の端々が顔を出していた。これらは取り出されるまでの間、乾燥から守るためシートなどで保護される。

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 全体が姿を見せるのはまだ先のことだが、今後がとても楽しみだ。ちょこまかと写真を撮らせていただき、私は現場を後にした。

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 Mさん、丁寧に説明していただきありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。

ここで少しだけ宣伝を。
 鳥取県埋蔵文化財センターでは、鳥取市秋里でおこなっている青谷上寺地遺跡の調査研究機能の一部を鳥取市役所青谷町総合支所の2階に移転することとし、平成19年11月1日の「鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室」の開設を目指して、現在その準備を進めております。当室の開設を記念して講演会を実施しますので是非ご参加ください(チラシ抜粋)。
 詳しくは以下のページをご参照ください。
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=68724

 もちろん私は参加応募しましたよ。(チャック)


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  1. 2007/09/11(火) 21:12:55|
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サンデーモーニング・オーバーキャスト(Ⅰ)

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 チョトロクさん、またしてもお世話になりました。大山(↑)の清々しい環境のなかで、まる一日音楽を楽しませていただき、ありがとうございます。今回、自分のデジカメに良い写真が少なかったので、六弦倶楽部のサイトから数枚転載させていただきました(解像度は下げております)。ご容赦ください。読者の皆様も、まずは六弦倶楽部のサイトhttp://blog.livedoor.jp/chotoroku1090/をご覧になってください。

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 9日、六弦倶楽部の第3回練習会が大山の某別荘ウッドデッキをステージに開催された。会場は大山の大成池を囲むように建ち並ぶ別荘の一つ(↑)。六弦倶楽部代表のチョトロクさんのコネクションでお借りできたらしい。一部の有志は別荘に前泊して、明け方までギターを弾き、音楽について語らったとか。今回は家族連れが3組あった。じつはわたしもその一人。この夏休み、患者とどこにも出かけていなかったので、お誘い申し上げたところ、彼女は悩んだ。ずっと悩んでいるので、わたしが勝手にホテルの予約も済ませてしまい、なかば強引に連れてきてしまった。2度めの退院後、はじめての御国入である。それとですね、じつはわたくし、鳥取の宿舎を今月中に引っ越すことになっており、新しい借家をみたいという彼女の要望もあったのです。

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 集合は午前11時。米子駅前から会場まで30分あまりで到着した。チョトロクさんや月太郎さんはすでに準備を終えている。いつものことながら大変ですね。頭が下がります。
 前夜から雨が降り、天候が心配された。明け方はまさにサンデー・モーニング・オーバーキャスト(日曜日の朝の曇り空)。しかし、わたしたちが会場に着くころには晴れ間が覗くようになり、大山がその雄姿をあらわした。以後、曇ったり、晴れたり・・・
 まもなくバーベキューが始まった。そして、くじ引き(↑)。わたしは9組中9番があたった。そのとき「あれっ、トリか」と覚悟を決めたのだが、遅れて1組やってこられて、結局、最後から2番目となった。「浴衣でフォーク」の会でマンドリンの伴奏させていただいたMOさんは7番目。今回も1曲フラマンでお付き合いすることになっていて、これは良い順番だと思った。とりあえずフラマンで場慣れして、ソロに臨む。一安心、と思っていたのだが・・・

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 昼すぎから練習会が始まった。前回、わたしと同じぐらいアガッてしまったチョトロクさんは3番目で快調にインスト3曲をこなした(↑)。5人終わって休憩。休憩中に、MOさんと簡単に音あわせした。曲は2ヶ月前に加藤家でさんざん練習した「僕の胸でおやすみ」だから、2回ほどあわせたらすぐに感がもどった。 
 後半開始。トップバッターは今回から参加されたSさん。なんと鳥取西高校の5年先輩で、現在の職業もご同業の方です(松江在住)。いや、ものすごくアガっていらっしゃいました。前回のわたしを思い起こしましたが、あれだけ緊張しているなか、オベーションで「アルハンブラの想い出」を弾き通されたのは素晴らしい。今回演奏されたインストの曲で最も難しいのは「アルハンブラの想い出」だと思います。アルハンブラをマスターしようと思うなら、半年ぐらいかかるでしょうね。いつか挑戦します、わたしも。

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 MOさんは休憩後2番目に登場。その1曲めに「僕の胸でおやすみ」の伴奏をした。「僕の胸でおやすみ」は先月急逝された部下のNさんに捧げる追悼の曲(Nさんは「古ハウス」の一員として浴衣フォークの会で一緒に演奏した)。
 ほんとに不思議なんですが、フラット・マンドリンではまったくアガらない。フラマンと相性がいいのかな。ほかに弾ける人がいないから気楽なのかもしれない。というよりも、やはり2人以上の演奏だと気楽なんだろうな。ソロ、というのは、異常な世界なんですね。音楽はグループで演るもんだ、とつくづく思う。ミスなしではなかったけれども、ストップはしなかった。順調な滑りだしをさせていただいた。このままソロに移れるならいちばん良かったのだが・・・

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  1. 2007/09/11(火) 05:06:04|
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ハロン湾クア・ヴァン水上集落の地理情報(Ⅰ)

 ハロン湾、クア・ヴァンでの調査では、私は特別顧問Hさんの指導の下、レーザー測距型トータル・ステーションを使って筏住居の配置と地形を測位していった。結果、測点が重複している箇所もあるけれど、あわせて614点の位置情報を得た。そして、A教授がハンディ・GPSを使い集落内水面の主要ポイントを測位した74点の位置情報がある。

 それらの位置情報を使ってクア・ヴァン村の集落配置図と3DCGの作成を進めている。配置図と3DCGはCADで図化するため、帰国してからは計測した位置情報をエクセルへまとめていた。現段階で、トータル・ステーションで得たデータの処理は終えた。一方、GPSで得たデータの処理は思うように進んでいない。その理由は「誤差があること」と「緯経度をXY座に変換しなければならないこと」に手間取っている。そこで、GPSのデータ処理は9月下旬以降の課題にし、まずはトータル・ステーションのデータのみで、集落の概略図を作成していく。それから、概略図で位置を確認しながら、GPSのデータを取り込んでいきたいと考えている。

 今現在、私は測点の座標をCADへ一点、一点打ち込み、プロットしていく作業を進めている。下の図はその概略図の見本で、内側の円の半径は500mになる(地形は私が位置を把握しやすくするため、地図を簡単にトレースしたもので、本来の地形とは異なる)。

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<↑作成中の概略図(クリックすると大きく表示されます)>

 この9月26日には大学院中間発表が待ち構えている。私の修士研究は、地理的要素からハロン湾の文化的景観をみていくことである。中間発表に向けて調査してきたハロン湾、クア・ヴァン村を説明するためにも、集落配置図を急がなければならない。(某大学院生)


  1. 2007/09/10(月) 01:46:56|
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山羊鍋-越南浮浪エピローグ(Ⅲ)

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 どういうわけか米子にいます。じつは日野川のナマズと再会する予定だったんですが、奈良の自宅を出発する直前、眼鏡がみあたらなくなって、いくらさがしても出てこない。結局古い眼鏡を2つ引き出しの奥からひっぱりだしてきて、なんとか発車したのですが、えらく時間を浪費してしまいました。
 おかげで、米子に着いたら深夜。えっ、なんで米子にいるのかって。まぁ、だいたい想像がつくでしょ、最近、県西部に来ると言ったらね、あれしかありません・・・
 というわけで、ナマズの代わりに今夜は山羊について書きます。

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 中越国境ツアーから帰ってきた8月29日の夜、わたしたち6名は山羊鍋を「最後の晩餐」と決め、ハノイで最も人気のある店にでかけたのです。ツアーガイドのロイさん(日本語ペラペラ)に「山羊鍋の美味しい店」を教えていただき、そのメモをタクシーの運転手に示したら、ホテルのすぐ近くだったんで驚きました。店は3階建で大にぎわい。ぼろもうけの風です。わたしたちは3階の席に案内されました。
 ベトナムの山羊鍋はとても有名です。わたしはかつてホーチミンの山羊鍋街の露天で山羊鍋を食べ、とても美味しかったので、ぜひもう一度食べてみたいと思っていたのです。ただし、断っておきますと、ホーチミンの山羊鍋はスープと野菜がとてもおいしくて、肉は少ししか入っていませんでした。

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 さて、山羊といえば沖縄です。沖縄と言えばハルさんでして、「山羊鍋食べよう」と誘えば喜ぶだろうと思ったのですが、ちょっとヤな顔をする。しかし、梅干ほどではありません。ハルさんは梅干が大嫌いで、わたしがハロン湾までもっていった紀州特産の薄塩梅干し(高いのよ!)を食卓に並べると、とてもヤな顔をするんですね。わたしもキュウリ嫌いで知られていますが、食卓にキュウリが並んでいたって(ハロン湾の遊覧船の昼食ではキュウリが蜷局を巻いていた)、我慢できます。しかし、ハルさんの梅干嫌いは気合いが入っていて、梅干が食卓に並んでいるだけで耐えられないどころか、隣の部屋に梅干があるとわかってもイヤ、「梅」という言葉を聞くのもイヤなんだそうです。
 おかげで、わたしの紀州産薄塩梅干は2度と食卓に並べることができませんでした。で、山羊もイヤそうな顔をするんです。沖縄人にあるまじき態度ではありませんか。しかし、わたしはベトナムの山羊鍋の美味さをよく知っているので、敢えて「最後の晩餐」を山羊鍋にしたのです。

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 その店に入ると、鍋と焼肉の両方があることがすぐに分かりました。で、もちろん両方頼んだんです。焼肉は赤身とホルモンの2種。まず、これを焼く。つぎにライスペーパーに何種類かの野菜をのせて、焼き上がった肉をそれに加えてペーパーを巻き上げ、タレをつけて食べます。これはひらちゃんのお気に入り。かれはとくに白身のホルモンが美味いと言っていました。わたしは肉をそのままタレにつけて食べるほうが好きでした。ビールによくあいます。
 一方、山羊鍋はエアポートのお気に入り。素焼きの土鍋にたっぷりダシを浸し、沸騰したら野菜と肉を入れる。ホーチミンの鍋と比べると、ハノイのほうが肉が多い。で、ちょっと匂うかな。だから、エアポート以外のメンバーは、どちらかと言えば、焼肉のほうを好んでいました。
 このお店はほんとうに流行っています。バルセロナのバールを思い出したもの。美味しいバールを選ぶコツは、床にティッシュが散らかっているかどうか。散らかっているほうが美味いのです。この店も床にいろんなものが散乱していて、係員が常時清掃していました。若くて綺麗なハノイのお嬢さんもたくさん食べに来ていました。われらが紅一点、ハルさんも焼肉をライス・ペーパーでくるんでぱくぱく食べていました。少なくとも、梅干のようなことはなかったようであります。

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  1. 2007/09/09(日) 00:53:50|
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ニール・ヤングの言葉

 久しぶりに天理楽器をひやかして、小物を二つばかり買った。ついでに、またしても、高価なクラシック・ギターを2台弾かせていただきました。世界の銘器<河野 KOHNO>の40万円(中古)と60万円。いや弾きやすい・・・ほんと不思議なんだけど、高い楽器を弾くとミストーンがなくなるんですよ。いつもは顔ひきつらせて弾いてるムツカシイところがサラリと流れていって・・・なんだこれは、と思うのです。
 まぁ、いまは無理だ。いつか大きなステージにでもたつ機会が与えられたときには、清水の舞台から飛び降りて、中国株にでも手を出してですね、損したら、やっぱり買えないわね。どうしたらいいのだろう。

 さて、雑誌でもみるか、ということで、『現代ギター』の9月号を買いました。『現代ギター』という雑誌を買うのは初めてのことであります。で、立ち去ろうとしたら、横に『アコースティックギター・マガジン』の最新号(33号)を発見。『アコースティックギター・マガジン』もめったに買いません。たぶん「高田渡追悼特集号」だけじゃないだろうか、もっているのは。ところが、33号の表紙はニール・ヤングではないか。若い若いニール・ヤングが写っている。しかも、この写真、どうやらマッセイホールでのライブの1シーンのようだ。ページをめくっても、『ライブ・アット・マッセイホール』の記事ばかり。
 買いました。家内が倒れてからこの方、自分でも信じられないほどCDを買い続けてきましたが、何がいちばん衝撃的だったかといって、ニール・ヤングの『ライブ・アット・マッセイホール』(1971年1月、トロントでのライブ録音)に勝るものはありません。前にも書きましたがね、全盛期のニール・ヤングにはだれも敵わない(トゥーツ・シールマンス、チェット・アトキンス、高田渡にも胸を打たれたが、マッセイホールでのライブは「超人的」というほかなく、これらの名人すら霞んでしまう)。今から36年前、『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』と『ハーヴェスト』の中間に録音されたライブですからね。今年3月、アメリカで発売直後にいきなりビルボード誌の6位になったというから、それはとてつもない震源であって、その余波が日本の田舎教師まで呑みこんでしまったわけです(わたしは発売とほぼ同時にこのライブCDを聴いている)。
 ニールのインタビューがおもしろい。最後のところを抜粋引用しておきます。初心者へのメッセージです(むしろプロのミュージシャンが耳を傾けるべきかも)。

  必要最低限以上のことを本から学ぼうとするな。
  技術的に優れていようがいまいが、そんなことは重要ではない。
  重要なのは、音楽を通してどのような感情を伝えたいかということ。
  技術的な側面を掘り下げても、出てくるのは退屈なものばかりだ。

  創造力に任せるんだ。
  たとえそれがすべて駄作に終わっても、創作を止めるな。
  そのうち必ず良いものができるよ。


  
  
  1. 2007/09/08(土) 10:15:01|
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チャック&部長@東京インターンシップ(Ⅸ)

 いよいよ今日はインターンシップ最終日。
 テレビを見ると、まさに東京に台風が来ているというニュース。外に出てみても、雨はそんなに強く降ってはいないけれども、風が時々強く吹き荒れている状態。そんな中、今日も元気に歩いて出勤しました。
 最終日は、昨日の打ち合わせで指摘された模型1棟の修正作業をおこないました。昨日も検討したんですが、作業に取り掛かる前にもう一度修正の検討と確認をしました。その後修正作業に入りましたが、まず試しに1部分だけ外して組み直してみました。その部分を直してチェックしてもらって、OKが出たら次の部分へ・・・というように何度も細かくKZさんに見てもらいながら修正を進めていきました。
 チャックさんや私が見て綺麗に収まって見えても、KZさんに見てもらうと入口の角度とおさまりが悪いところがみつかり、もう一度修正しなおすということもありました。真剣に模型と対面することでどんどんその姿は洗練されていき、最後には満足のいく模型へと修正できました。途中で「まぁ、いっか」と妥協していたら、きっと得られない満足感と達成感を味わうことができました。
 模型修正を終えた後の午後5時からは、インターンシップの学生と社員さん数名を交えて、Y社長による2回目の特別講義が開かれました。タイトルは「文化遺産の保存と活用」です。スライドにはたくさんの写真が映し出され、様々な建物の活用方法が示されていました。良い例・悪い例などと様々ありましたが、時々Y社長と社員さんとがスライドで示されている建物について意見を交換しているのを聞き、どこがどう良いのか、悪いのかをより詳しく知ることができました。そして、活発に意見交換がなされているのを見て、人それぞれで偏りがちな知識がこうして均質化され、全体で共有できるのだと思いました。講義の後には、社内でチャックさんと私の送別会を開いていただきました。こうして終わりが近づくとこの2週間があっという間だったように感じられ、Hさんも「もう2週間経ったのか」とおっしゃっていました。
 この2週間、皆さんに優しく温かく受け入れていただき、とてもお世話になりました。図面修正や模型作成、模型修正という当初からの業務だけでなく、修復工事現場見学や特別講義、他の部署の業務の手伝いなど様々な業務を体験させていただき、多くのことを学ぶことができました。分からないことも多くて、何度も質問をしたりとご迷惑をおかけすることもありましたが、そのたびに丁寧に説明していただいて無事に2週間で終らせることができました。3年の夏休みにこのような体験ができて本当に良かった、この会社にインターンシップに来て本当に良かったと、感謝の気持ちでいっぱいです。
 最後になりましたが、会社の皆様には忙しい中でありながらいろいろと教えていただき、本当にありがとうございました。特にKZさんには毎日の日誌を確認していただいたり直接指導していただいたりと、私たちに多くの時間を使っていただきました。様々な配慮もしていただき、本当にお世話になりました。この2週間ありがとうございました。これでインターンシップは終ってしまいますが、また皆様にお会いできる機会ができることを祈っています!(部長)

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  1. 2007/09/07(金) 23:53:49|
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「中国地方建設技術開発交流会」基調講演のお知らせ

 今年度はすでに依頼された講演を3つお断りし、学外委員会も3回欠席している。理由は単純です。週末はできるだけ早く奈良に帰り、患者の面倒をみたい。それだけのことでして、週末に鳥取でおこなわれる行事にはほとんど顔をだしていない(音楽だけは例外でしたが、それでも演奏が終われば奈良に直帰したんですよ)。
 今度の講演依頼はお受けした。さいわい講演は水曜日。学内の会議日ではあるが、国交省と県土整備部(および本学事務局長)からの依頼なんだから断るわけにはいかないだろう。環境大学代表として、立派にお務めを果たして参ります。
 ちなみに、「中国地方建設技術開発交流会」は毎年開催されており、中国地方の全県で発表がおこなわれます。今年のスケジュールを以下に貼り付けておきますので、興味のある方は是非ともご参加ください。

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 鳥取県での交流会は10月31日(水)に県民文化会館で開催のようですが、時間が示してありません。はっきりしたことが分かったら、またお知らせします。わたしの演題は、

  山陰地方の古代高層建築
   -青谷上寺地の「楼観」から出雲大社大型本殿まで-

です(「続き」に講演要旨を転載しておきます)。あぁまたかいな、と言わないで、・・・わたしもね、忙しいんだから、けんびきなんだから、新しいネタなんかでしゃべれるわけがありません。それにしても、上の一覧表をみると、建築の歴史をスピーチするのはわたしだけですね・・・浮いてますね・・・いつものことながら。

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  1. 2007/09/07(金) 03:37:44|
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チャック&部長@東京インターンシップ(Ⅸ)

 インターンシップ9日目。朝、天気予報を見ると台風が来ているとのことだったので、今日は傘を持って出勤しました。
 今まで作ってきた模型(4棟)は、今日の打ち合わせでお披露目されました。間に合ってよかったです。昨日で私たちの作業も一段落したので、今日はKZさん以外の方からお仕事を頂きました。ひとつはINさんから近代化遺産について、もうひとつはOさんから近代和風建築のデータ整理です。今までやってきた建物の年代から一気に近代になり、不思議な気分でした。INさんもOさんもとても丁寧に仕事内容を説明してくださるので、久しぶりに模型以外の作業をしてもスムーズに進めることができました。
 それらの仕事を終らせると、打ち合わせでいろいろ指摘された模型を修正するため、私を含め、KZさんとチャックさん、さらにはY社長、Hさん、Kさんの6人で部材のおさまりについて話し合いました。最終日の明日は、その検討を元に模型修正をおこないます。
 あと1日。最後に立派に直して、インターンシップを終えれたら良いなと思います。(部長)


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  1. 2007/09/06(木) 23:51:04|
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久しぶりのマスコミ報道

 加藤家住宅修復プロジェクトの記事が立て続けにでた。ひとつは日本海新聞9月3日の「キャンパス探検隊」。入試広報課からの依頼で、原稿はわたし自身が書いた。

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 もうひとつは前期のプロジェクト研究発表会前後に取材のあった『県政だより』9月号。巻頭に鳥取環境大学の特集が組まれており、「地域に貢献する研究活動」のコーナーに加藤家住宅修復プロジェクトが取り上げられている。さっそく市内M町某家からこの記事に関する問い合わせがあった。電話を頂戴したのだが、わたしはそのとき不在で、昨日こちらから電話をかけなおした。いきなり、
  「今後もこのようなプロジェクトを続けていくのか?」
と問われる。もちろん、可能なら続けていきたい、と答えた。すると、自分の身近にも180年前に建てられた民家(空き家)があるのだけれども、保存できるならしたい、とおっしゃる。それは大変結構なことだ。ところが、そこから先のことを少し勘違いされている。古い民家、とくに空き家があれば、浅川研究室の学生が住み込んでローコストの修復をしてくれると思っておられるのである。そこで、わたしははっきりお答えした。

  「文化財価値の高い古民家をローコストで修復することがわたしたちの研究の目的ではありますが、その経費は所有者のご負担になります。所有者の方が経費を出して修復するお気持ちがあるのでしたら、わたくしどもの研究室がサポートできますが、わたくしどもが経費を負担して民家を修復するわけではありません。」

 とお伝えすると、その方は「あぁ、そうですか」と言われてあっさり電話を切ってしまった。

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 これだけ期待されているのだから、ありがたいと思わなければいけないのだろうが、やはり誤解されては困る。大学の一研究室が民家を修復するだけの大金をもっているはずはないのだから。


  1. 2007/09/06(木) 11:27:21|
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夏休みの4年ゼミ(Ⅰ)@加藤家

 昨日は9月に入って最初のゼミ。夏休み中のゼミです。久しぶりに加藤家に集合し、東京で頑張っているチャック氏をのぞいた4年生全員(+何故か偶然??途中から某院生さんも合流)があつまった。
 雑魚釣りをしたあの夕方、私たちはそれぞれ卒業研究に向けての課題を言い渡されていた。あれから2週間あまり、成果も少しは形になっていると思っていたが・・・

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 まず2回じゃんけんをした。1回めはアイスクリーム選び。わたしは2番目だったのに、「ガリガリ君」を選んだという理由(いちばん安いから!?)で、ブログがあたってしまった。2回めは発表の順番を決めるじゃんけん。ハルさん、けんボー、わたしの順で発表することになった。ハルさんはハロン湾の絵巻物、けんちゃんは「山陰考古学研究集会」の報告と集めた文献について発表。わたしのテーマは「谷口ジローの風景」に決まったので、ネットで集めた資料を紹介した。
 先生からは、「研究の目的・背景・概要を見えるようにしなければならない」と全員が言われてしまった。
  「卒業研究のテーマが○○であるのはなぜか」
 全員がそれにうまく答えられなかった。他の誰でもなく、自分自身が進めていく研究なのだから、これを明快に話せるようにするのは当然のことだろう。
 先生と問答を重ねるに連れて、新しくやることがまた増えてくる。自分は谷口ジロー作『遥かな町へ』と『父の暦』の2作における風景描写のデータベースをコマごとに作らなければならないことになった。『父の暦』は200ページ、『遥かな町へ』にいたっては400ページくらいあったようなことを急に思い出した。出身が鳥取であることがまだ救いだろう。
 他のメンバーも今回のことで同様に更に力を入れて動く必要がある。

 残りの休みはもう一ヶ月もない。居直るべきである。

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お見舞い
 ゼミは終わったがそのまま解散せず、近くの病院に立ち寄った。市内の家具メーカーで働くY先輩が仕事中の事故で怪我をし、入院中だという。命に別状は無く、元気な姿が見られたが包帯姿が痛々しい。
 近々退院ということですが、いち早い回復を祈っております。(とまと)

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  1. 2007/09/05(水) 23:26:45|
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チャック&部長@東京インターンシップ(Ⅷ)

 インターンシップ8日目。今日も少し早めに出勤して、昨日と同じ社員さんにお話しするだけでなく、実測図面を見せていただくことができました。その社員さんの図面のほかに違う人の図面も見せていただきましたが、とても綺麗でした。細かいディテールまできちんと書かれていて、ぱっと見てどういう建物か分かるような図面でした。私がその域までたどり着こうとしたら一体どの位かかるのだろうか、と思いながら今日の作業に取り掛かりました。
 今日の最初の作業は、昨日指摘されたゆるい傾斜を修正していくことです。組んでいたものを外して、昨日のうちに修正しておいた部材に合わせて、もう一度組み上げていきました。午前中いっぱい使ってほぼ終らせましたが、午後にもう一度確認していただくと、入口付近の部材の位置と全体のバランスが悪かったので、またその修正をおこないました。修正中にもKZさんとチャックさんと検討をおこない、最終的に全体がバランスよくなるようにしていきました。最後には終業時間を越えてしまいましたが、何とか修正を終らせることができました。全部で3回修正し直しましたが、完成すると立派になってくれて頑張ってよかったと思いました。もっと早く、時間中に終えることができれば一番良かったのですが、それができなかったのが少し残念です。
 ここ最近良く感じるようになりましたが、模型を触っているとあっという間に今という時間が過ぎていってしまいます。きっとそれだけ作業に集中していることだろうと思いますが、あと残りの日にちが2日しかないということもあるのではないかと思います。少しずつ少しずつ、終ってしまうという気持ちで焦りながら、明日・明後日という日を迎えていこうと思います。(部長)


  1. 2007/09/05(水) 22:54:33|
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チャック&部長@東京インターンシップ(Ⅶ)

 インターンシップ7日目。昨日までは毎朝チャックさんと会社の前に集合して会社に入っていましたが、今日からそれぞれわかれて出勤するようにしました。会社の皆さんともっと話をしたい、もっといろんなものを見ておきたいと思ったからです。今日、私はいつもより30分早く出勤して、少しだけですがお話しすることができました。
 さて、今日の最初の作業は、昨日途中で終ってしまった模型の屋根の続きです。二人で別々に作った模型とは違って、垂木の上に小舞を乗せたり、壁を付けたりと細かい作業をおこないました。目標にしていた午前中までに終らせることはできませんでしたが、昼過ぎには完成させることができました。金曜日の午後から作り始めたので、2日で1つの模型をチャックさんと2人で作れました。
 その後は、すでにできていた模型の修正をおこないました。上から順番にはずしていき、写真で記録していきました。角度をうまく調整しながら途中まで組み上げましたが、終業間際にKZさんにチェックしていただくと、少し傾斜がゆる過ぎたので、また明日解体して組み上げなおすことになりました。
 修正する模型の構造は、大学の課題で作成していた模型とは違うので、これは何だろう?と思ったり、資料を見て検討しながら自分の手で組み上げていくことで、より理解を深めていくことが出来ています。絵で見るより、立体のものを自分で触って、組み立てていくことが大切だと感じた一日でした。(部長)


  1. 2007/09/04(火) 22:55:30|
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