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Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

チラリズム

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 今日は、Mr.エアポートさんと一緒に中国地方建設技術開発交流会にお邪魔してきました。お目当ては先生の基調講演です。青谷上寺地遺跡や出雲大社のことをたくさん聞かせていただきました。
 まず、青谷上寺地遺跡の概要、そこから近年研究室が手がけてきた復元研究の成果を発表していきました。僕らにとって、今やお馴染みの妻木晩田遺跡や青谷上寺地遺跡。でも、会場にいらっしゃっていた方達にはやはり馴染みがないようでした。

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 講演も終盤にさしかかったとき、先生が大変なことをしてしまいました(>0<)/ なんと、未発表の青谷上寺地遺跡での研究をチラリズムしてしまったのです('0';)!

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 ・・・まぁそれはさておき、青谷の次は出雲大社のお話に移りました。僕とエアポートさんはまだ聞いたことがない、先生の復元研究の成果です。2人は写真を撮るのも忘れ、高層建築ロマンに酔いしれました。ただ残念だったのは、講演時間が短く、出雲大社のことをゆっくり見ることができないまま講演が終了してしまったことです。また機会があったら聞きたいねと、エアポートさんと話しながら、今日は家路につきました。
 先生、お疲れさまでした。(チャック)


  1. 2007/10/31(水) 21:31:20|
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常忍寺本堂(Ⅱ)

 鷲峯山常忍寺(じゅうぼうざん じょうにんじ)は初代鳥取藩主池田光仲夫人の菩提寺であった芳心寺の住職によって、寛保元年(1741)に創建された日蓮宗の寺院である。創建後、正中山法華経寺の客席となり、また、幕府直触の格式をもつなど、江戸時代の鳥取藩では独自の地位を占める寺院であった(詳細は連載Ⅰ参照)。

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 鷲峯山常忍寺本堂
         構造形式: 入母屋造本瓦葺平屋建平入
         建築年代: 文政元年(1818)再建 天保九年(1838)改築 

 常忍寺本堂は八間四方の総桜造として建立された中規模の日蓮宗本堂である。堂内の柱はいずれもミズメザクラで、正面側柱筋に尺三寸の丸柱を6本、堂内内外陣に尺五寸の丸柱を8本立てる。間口7間×奥行1間半の外陣と、間口7間×奥行4間の内陣に分かれ、内外陣とも中央間を3間、その両側に2間の余間を配す。内陣は外陣より一段高い「上段の間」として、内外陣境に無目敷居を通し、その上部には大断面の虹梁を飛ばす。中央間の虹梁のみ彫りの深い絵様を刻む。また内陣では中央間・両余間境に無目敷居を通し、その上部に絵様を刻む大断面の虹梁を飛ばす。つまり、内陣中央間の3方のみ絵様付きの虹梁で囲み仏壇を荘厳している。その中央間は奥行2間半の畳間と1間半の板間に分かれ、境に無目敷居を通すが、上部に虹梁はない。同じ位置の両余間では、虹梁を飛ばすが下部に無目敷居を通さない。また、これら余間の虹梁上には飛貫を通しており、それぞれ飛貫上の中備として蟇股を配している。

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 外陣から内側の柱は、側面の角柱のほかはすべて丸柱で、それぞれ柱の上端には禅宗様特有の強い粽(ちまき)があり、柱上には拳鼻付の平三斗を組む。中備は菊の御紋の板蟇股だが、側面のみ実肘木付の蓑束とする。天井は、内陣中央間が折上格天井、余間・外陣は棹縁天井である。内外陣の柱・長押・組物等はすべて古色塗り、須弥壇および厨子等は輪島塗。側柱筋の柱間はすべて二枚引違いガラス障子で、正面入口のみ四枚引違いガラス障子とし、上部に絵様を刻む大断面の差鴨居を通す。
 側柱の外側は正面と両側面に幅半間の切目縁をめぐらせ、擬宝珠高欄をまわす。軒は一軒疎垂木。妻飾は蓑束立で、束と束の間に蟇股を配して虹梁を支え、その上に大瓶束を立てる。
 向拝は間口3間分を1柱間とする。向拝柱は几帳面取角柱で切石の礎石上に立てる。柱は虹梁型頭貫で繋ぎ、その中備に菊の御紋の板蟇股を2枚配する。柱頭の組物は三斗組とする。木鼻は、向拝頭貫の先端を拳鼻、海老虹梁の先端を象鼻とする。

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  1. 2007/10/30(火) 22:26:40|
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月太郎さんへ

 なんとかかんとか「ホーボーズ・ララバイ」の連載を終わらせることができました。掲載の度に「拍手」にコメントを頂戴し、とても嬉しく思っていたのですが、どうしたら返信できるのか分からないので、今日まで返事が遅れてしまいました。申し訳ありません。
 六弦倶楽部の第3回練習会で、月太郎さんの弾き語りを聴いたときから「ホーボーズ・ララバイ」にやられてしまったわたしは、以来、何枚ものCDとDVDを買いあさり、「フォーク」という音楽について考えはじめました。そして、やっぱり自分はフォークが好きなんだということがよく分かりました。
 ありがとうございます。

 しかし、それにしても、なにより驚いたのは月太郎さんのニックネームが「月太郎」ではなく、「ディラン」だったことです。9月24日のコメントではニックネームが「ディラン」になっており、10月15日のコメントではそれが「月太郎」に変わってはいましたが、文章の最後に、

   「ところで私はなぜ月太郎なのでしょう?」

と書いてあるではありませんか。いや、たまげました(お互いさまですね)。

 わたしがニックネームを誤解したのは、同じく「拍手」のブログに「月太郎」さんがコメントされていたからです。例の「浴衣でフォークの会」の直後のことでした。わたしが「かぐや姫は苦手だ」と書いたブログ記事に対して、

   「かぐや姫が苦手なんですね。そういう人、やっぱいるんだー」

というコメントがあったのです、「月太郎」さんから。わたしがなぜディランさんを月太郎さんに間違えたのかというと、六弦倶楽部の第2回練習会で、たしか何名かで「22歳の別れ」を演ろう、ということになったときディランさんは「わしはこういうのは演らんだけ」と言ってステージを離れられた記憶があったからです。
 わたしの完全な思いこみか、記憶の誤りなのかもしれません。

 今度の第4回練習会(@加藤家住宅)にはもちろんいらっしゃいますよね。できれば前夜祭からお付き合い願えませんか。「ホーボーズ・ララバイ」で音合わせしてみたいですね。あと「500マイル」とか「風は激しく」とか、いい曲がいっぱいありますよね。よろしくお願いします。

 それにしても、本物の「月太郎」さんって、いったいだれなんだろう?


  1. 2007/10/29(月) 20:59:35|
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ホーボーズ・ララバイ(Ⅲ)

 「ホーボーズ・ララバイ」連載の最後は、日本のフォークについて書こうと決めていた。ひとつには、シューベルツの「さすらい人の子守唄」のことが頭にあったからである。シューベルツのデビューシングル「風」の詞がディランの「風に吹かれて」を意識したものであるのと同様に、シングル2作めの「さすらい人の子守唄」が「ホーボーズ・ララバイ」の日本版であることもおそらく間違いない。ふたつの歌の作詞はいずれも北山修である。
 北山修はフォーク・クルセイダーズのメンバーであった加藤和彦やはしだのりひこだけでなく、今夜の主役となる坂庭省悟にもたくさんの歌詞を提供している。

 奈良の自宅に戻ったら、京都のプー横町から2枚のCDが届いていた。

    坂庭省悟『ホーボーズ・ララバイ』(2002)
    坂庭省悟トリビュート『やくそく』(2006)

 坂庭省悟(1950-2003)は日本のフォーク&ブルーグラス界を代表するマルチ弦楽器奏者にしてシンガー・ソングライター。1970年に「はしだのりひことクライマックス」に参加し、はしだ・坂庭作曲の「花嫁」が大ヒットした(もちろん作詞は北山修)。クライマックス解散後、1973年から「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」に参加。10年以上も高石と行動をともにするが、84年にナターシャー・セブンを脱退し、「笠木透とフォークス」に加わった。フォークス時代には、88曲ものオリジナルを作曲したという(それ以前はわずか2曲だけ)。1990年代に入って、中川イサト、高田渡とのトリオ「ウェバリー・ブラザース」を結成。ソロやセッションで活躍し、97年に初のソロアルバム『ぼくの古いギター』(入手不可能?)、99年に2枚めのソロアルバム『別れのうた』を発表した。
 『ホーボーズ・ララバイ』は坂庭の3作めのアルバムである。以下に収録曲を示す。

  1.500miles  2.さすらい  3.遠い街 ~Merry Kiss the Quaker
  4.夏の雲  5.夜汽車/Uke Pick Waltz  6.Bill Cheatham
  7.初恋  8.Gentle on My Mind  9.二月のうた/The New Land
  10.Hobo's Lullaby

 坂庭のデビュー・アルバム『ぼくの古いギター』をわたしは聞いていないが、その宣伝文を読むと、すべての収録曲が外国曲に日本語の歌詞をつけたものであるという。対して、2作めの『別れのうた』は全曲がオリジナル(このアルバムも注文中でまだ聞いていないけれど、大半は上記トリビュートアルバムに収録されている)。そして、3作めの『ホーボーズ・ララバイ』は「夏の雲」以外の9曲を再び外国曲の日本語訳詞で歌っている。とくに1曲めの中川イサト訳詞「500マイル」と最後の谷山真生訳詞「ホーボーズ・ララバイ」は絶品である。「ホーボーズ・ララバイ」は坂庭のバンジョーと松田幸一のハーモニカが抜群のアンサンブルをみせ、アーロ・ガスリーの弾き語り(チェロ伴奏付き)に一歩もひけをとらない。歌詞カードがついてないので、詞はCDから聞き取るしかないが、ここに書き留めておく(間違いがあればご寛恕ください)。

      まちからまちへ ながれながれて
      たびをすみかに うたってくらす
        (上2行がRepeatパート)
      たどりついたまちが こんやのねぐら
      はじめてあおぐそらの ひとよのやみに
        (Repeatパート)
      ふるいなかまの すむまちにきて
      のんでうたえば よるはみじかい
        (Repeatパート)
      またあおうと やくそくしないでいこう
      たがいのいのちの あすはしれない
        (Repeatパート)
      たびのおわりは たびのそらのした
      ながいねむりが まってるはずさ
        (Repeatパート)

 これは訳詞というよりも、むしろ原詞のイメージをとどめる作詞とよぶべきものである。それにしても、運命は悲しい。『ホーボーズ・ララバイ』を発表した翌年、坂庭は癌のため53歳で逝去する。まるで、その宿命を知っていたような歌詞ではないか。
 『ホーボーズ・ララバイ』のライナー・ノーツを締めくくる坂庭自身の言葉を引用して、この連載のフィナーレとしたい。
  
   とにかく365人の親しい友だちをつくる。僕も早く逢いたいし、
   君も早く逢いたいと想えるようなそんな仲のね。そして、一年に
   一度でいいからって「一宿一飯」にあずかる。もちろんお礼に
   歌なんか唄って、たぶんいやおそらく歓待は間違いない。
   なにしろ一年に一度なんだから。回遊魚のごとく毎日毎日違う
   友だちの歓待を受け一年が終わる。そのうち何処かで行き倒れる。
   その時に備えておきたいのが、野村たかあきちゃん(「鬼」の版画家)
   原案による「畳Tシャツだ」! フロントとバックに畳の絵をプリントしておく、
   するてぇと何処でどう倒れたとしても畳の上であの世へ行ける寸法だ。
   一年に一度会ったとしても十年でたった十回しか会えないのだものね。
   さあ、また明日になれば大好きな君に会いに、僕のさすらいの旅が始まる。 

 今夜もまた「音楽」について考えさせられた。人の胸を打つ音楽とはいったい何なのか。2枚のCDが問いかけてくる。(完)

  1. 2007/10/29(月) 00:18:33|
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倉吉本町通り商店街町並み調査の報告書も刊行!!

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 報告書3冊シリーズの第2弾が倉吉のY印刷より届きました!
 『ふるきかぜ あたらしきかぜ―倉吉本町通りアーケード商店街の町並み分析と再生計画―』 。倉吉教育委員会が浅川研究室へ委託した「建造物緊急調査(伝建事前調査)」に係わる成果報告書です。本報告書の原本は、森川佳央里さん(3期生)の卒業論文「倉吉本町通りアーケード商店街の町並み分析と再生計画」です。また、カラーグラビアには、吉村明子さんの卒業制作「ふるきかぜ あたらしきかぜ ―倉吉本町通り<看板建築>の復原と再生―」が含まれています。
 以下が目次↓
 倉吉目次

 tomatoとハルで、本報告書の編集作業に携わらさせていただきました。tomatoさんが情報収集やデータの修正をしつつ編集作業を進め、私は表紙の制作に時間を費やしてしまいました。前期がはじまってから9月までの間、この報告書にかかわっていたことになるのですが、編集作業をしている時はゆっくりと調査の日々を思い返すことも無く、焦っていてばかりでした。しかし今日、完成した報告書を手に取って、やっと昨年の夏休みに森川さんと吉村さんの後について一軒一軒商店街を訪ねたことを思い出しました。
 
 調査では商店街のひとたちと話す機会が何度かありました。そのとき私は「どの人もみなアーケードや町並みに対して何かしら思いがあるのだなあ・・・」なんてとぼけた感想を持ちました。時が経ち、町が変化していくのは私には止めることもできないし、どうすべきなのかもよくわかりません。ただ、私の実家(沖縄)の周りでも、サトウキビ畑がなくなっていったことや、幼いころ遊び場にしていた広場にマンションが建ったこと、大きな道路ができてコンビニが2つできたことをおもうと、4、5年の間にこんなにも町が変わっていくのだという実感はあります。
 あらためてこの報告書を読んで、ものごとの現状を見つめなおしたいという気持ちがいっそう高まりました。(ハル)



  1. 2007/10/28(日) 00:19:51|
  2. 研究室|
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ニフティ送信不能

 昨夜、奈良に戻ってきた。いつものように、まずは自宅のパソコンを開き、メールをみる。先週末は鳥取で過ごしたから2週間分のメールがたまっていて、画面をみれば、受信メール数は550を超えている。その半数以上は[SPAM]なのだが、それにしても、これだけのメールチェックにはうんざりする。しかし、一つひとつ読んでいくしかなく、いくつかのメールには返信しなければならない。
 ところが、返信メールを書いて「送信ボタン」を押しても、メールが送信されない。全部で10通返信メールを書き、送信を試みたのだが、いずれも送信できなかった。インターネットを確かめると、ちゃんと立ち上がるし、メールの受信もできる。しかし、送信ができない。
 どうしたことだろう。いちどに受信した550ものメールのなかに悪質なウィルスが紛れ込んでいたのかもしれない、と心配になり、ウィルスバスターで大掃除したが、異常なし。送信失敗後のエラー・メッセージに従い、マイクロソフト社の技術サポート・サイトの指示をみて修復を試みたが、これも効果はない。ウィルスバスターの送信時検索を「無効」にしたり「有効」にもどしたり・・・こんな作業だけで、明け方まで時間を費やした。
 一夜あけて、ニフティのサイトにアクセスし、修復のサポートを調べようとしたが、まともなヘルプ機能がみつからない。ニフティ接続の設定が変更されている可能性もあるだろうから、元の接続を削除して、自動サインアップで接続しなおしてみた。しかし、やはりメールの送信はできなかった。
 こんどはヤフーBBのサイトを開いた。テクニカル・サポートの電話番号は0120-33-4546。テクニカル・サポートのフリーダイヤルを使われた方はよくご存知だろうが、この手のフリーダイヤルはなかなかつながらない。というか、つながったら大ラッキーだと言ったほうがよいだろう。
  「現在、電話は非常に混み合っております。しばらくお待ちください。」
 この「しばらく」が長い。この長さに負けて電話を切るとお終いなんだ。時間をおいて電話をかけ直しても、また同じめにあう。だから、じっと耐えて待つしかない。たぶん10分近く待って、ようやく電話がつながった。そして、問題は一気に解決した。

  「お客さまはどちらの県にお住まいでしょうか?」
  「奈良です。」
  「そうですか。メール・アカウントのプロパティ詳細設定にサーバーのポート番号SMTPが25になっていると思いますが・・・」
  「えぇ、25です。昨日から何度も確認しています。」
  「それがですね、ニフティの場合、22日から587に変わったんですね。」
  「えっ、いつからですって?」
  「10月22日です。」
  「それじゃ、たしかにわたしは奈良にいなかった。その告知はいつあったんですか?」
  「はい、ヤフーBBのアドレスのほうに送信しております。」
  「えぇぇぇ、ヤフーのアドレスは補助アドレスのそのまた補助のようなものだから、めったにみないですよ・・・」
  「そうですか、申し訳ありませんでした。今後は別のお知らせの方法を考えます。」

 というわけで、本日(27日)午後3時ころわたしのメールを受信されたみなさん、そのメールはわたしが半日がかりで送信したものです。どうでもいいでしょうが。


  1. 2007/10/27(土) 15:07:58|
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この秋を彩る加藤家住宅の2大イベント!

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 11月に加藤家住宅で開催される二つのイベントを広報するチラシが完成しました。上に縮小判を掲載しています。左が表で、右が裏。
 すでにブログでは何度か紹介していますが、日付順にもういちど述べておきます。
 
11月10日(土)・11日(日) 「六弦倶楽部」第4回練習会
 米子を拠点とするオジさんアコギストの集団「六弦(むげん)倶楽部」の第4回練習会を加藤家で開催します。今回は学生ミュージシャンとオジさんアコギストたちの交流会の様相を呈してきました。現在、環境大学環境デザイン学科の3・4年生で4組前後の出演を見込んでいます。たとえば、某ストリート・ミュージシャン(オリジナル弾き語り)、ブラバン有志、オチ&カメ(ギター&ウクレレ)、ハル&チャック(ギター&ウクレレ&チューバ?)などの諸君です。10日夜は加藤家に三々五々集まり、各グループのリハーサルをしながら、翌日の練習会の準備をします。もちろん飲食付き。加藤家の炉端で焼いた手羽先をサカナにおいしいお酒を酌み交わし、「音楽」について語り合いましょう!
 前夜祭の会費は500円とさせていただきます(学生免除)。ただし、学生も多いことですし、倶楽部会員の皆様には若干の差し入れ(おつまみ等)をご用意いただければ幸いです。お酒は十分あります。
 11日は「練習会」。発表順は抽選で決めます。1組2~3曲腕前を披露してください。なお、11日の会費は徴収しませんが、昼食【蕎麦きり「たかや」出前】を民家内でとられる方については実費をいただきます。

11月30日(金)・12月1日(土)「知の財産」シンポジウム
 <とっとり「知の財産」活用推進事業>に採択された「山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究」の一環として、「弥生建築の実証的復元はどこまで可能か」と題するシンポジウムを開催します。クローズ・セッション形式のシンポジウムですが、傍聴希望者は歓迎します。詳しくはシンポ第2報をご参照ください。昨年に引き続き、青谷上寺地遺跡出土建築部材の分析からある復元研究を今年も進めており、記者発表も11月中におこないます。それら最新の成果を盛り込んだ刺激的なセッションになるでしょう。

 下はチラシの表と裏を別々にアップしたものです。クリックすると大判の画面があらわれますので、ダウンロードして活用してください。とくにアクセスについてはご注意ください。道に迷った場合、源太橋から西にのびる自動車道が県道42号線に突き当たるT字路の角地にあるコンビニ(ファミリーマート)を待機場所にしてください。そこからお電話いただければ事務局がお迎えにあがります。駐車場については、まだ決まっていませんが、現地誘導させていただきます。
 それでは、また。

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↑チラシ(表) ↓(裏)
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  1. 2007/10/27(土) 07:34:01|
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平成19年度中国地方建設技術開発交流会(第2報)

 平成19年度中国地方建設技術開発交流会(鳥取県会場)のスケジュール詳細が定まりましたので、お知らせします。
 今年度の共通テーマは「生活技術を豊かにする新しい技術」で、キーワードは「環境」「コスト縮減」「安全」です。わたしの基調講演「山陰地方の古代高層建築」は、以上の共通テーマやキーワードとほとんど交差するところがありませんね。どう考えても「加藤家住宅ローコスト修復プロジェクト」のほうが本題に似合ってるんが、なんでか分からないんですが、青谷上寺地や出雲大社でもよろしい、ということでして、がんばってスピーチしてきます。

    平成19年度中国地方建設技術開発交流会
      「生活技術を豊かにする新しい技術」


                          日時: 平成19年10月31日(水)13:00~
                          会場: 県民文化会館
  
           次第

1.開会挨拶 13:00
   鳥取県県土整備部次長 長谷川 具章

2.基調講演 13:10
   鳥取環境大学環境デザイン学科教授  浅川 滋男
    「山陰地方の古代高層建築
     -青谷上寺地の「楼観」から出雲大社巨大本殿まで-」

3.学官の技術研究開発の成果発表 13:50   発表者2名
  
 休 憩 14:30~

4.民間開発新技術発表 14:40   発表者5名

5.活用後の新技術・新工法工事事例発表 16:20   発表者1名

6.技術開発支援制度による研究発表 16:40   発表者1名

7.閉会挨拶 17:00~
   中国地方整備局中国技術事務所長 石川 進

 3~6の発表者と発表題目については、第1報をご参照ください。

           
  1. 2007/10/26(金) 23:37:10|
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第4回 歩け、あるけ、アルケオロジー

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 青谷上寺地遺跡で出土した遺物と建築部材を管理している鳥取県埋蔵文化財センター秋里分室に行ってきました。先週、実際に行ってきた遺跡から出てきた垂木やスギの大板などの建築部材、また当時使っていた大き目のスプーンのような道具(↓)を見て、当時の人びとは魏志倭人伝に描写されているように手で食べていたのではなかたのか、などと思った。たくさんの遺物を見て、青谷上寺地遺跡は本当に木製の遺物が多く発見されているんだなあと再確認できた。自分はデザイン学科なのでやはり建築部材が一番気になったわけなんですが、柱と思われるものや大量のスギ板などしっかりと形が残っているものがこんなにあったのだとよく分かった。

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 保存処理施設も見学した。PEGのタンクは埋蔵文化財センターの本館でみたタンクよりも大きく新しかった。女子学生たちは、「麺つゆの匂いだとか、みたらし団子の匂い」だと言っていた。施設見学後、秋里分室2階の整理室の片隅を借りて、今後の活動に関するミーティングを学生だけでおこなった。土器の野焼きをしたい1年生が2名、弥生時代の「食」を復元したい1年生が2名、衣服や編物の研究をしたい1年生が1名。2年生では、わたしが3・4年生と一緒に住まいの模型を制作することになり、もう一人のOさんは模型作りの手伝いをしながら、土器の野焼きにも参加することになった。
 来週は1年の土器作り班2名と衣・食班3名が別々にパワーポイントを作ってきて発表することも決まった。
 これから大忙しになっていくかと思うとつらいですが、頑張って弥生人の暮らしの再現ができたら面白くなると思うので応援よろしくお願いします。(^o^)v (環境デザイン学科2年U.K)

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  1. 2007/10/26(金) 00:10:13|
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『RISING VIEW』の取材

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 24日、日建学院の広報紙『RISING VIEW』の取材をうけた。『RISING VIEW』は最近刊行されたばかりの新しい広報誌で、発行部数はなんと20万部。現在Vol.3まで発刊されており、そのVol.3から「本気で学べる大学訪問」という連載が始まった。連載の第1弾として取り上げられたのは、仙台市の東北工業大学建築学科(谷津研究室)。そして、光栄なことに、第2弾として鳥取環境大学環境デザイン学科が選ばれ、日建学院からの希望で本研究室が取材対象となった。

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 取材クルーは4名構成。チーフの男性、インタビュアーの女性、カメラマンの男性とその助手である。驚いたことに、かれらは前夜7時に大型車で東京を発ち、ほとんどノンストップで鳥取にやってきたのだという。なにぶんカメラマンの使う器材の容量が大きく、飛行機では動きにくいのだそうだ。たしかに、いつも取材を受けている地元のテレビ局よりもずっと大掛かりな装置を使って写真を撮影していた。
 まずは大学全体を歩いて取材場所を決めていただいた。最初の舞台は演習室。けんボーが作ったハロン湾の筏住居を作業机の真ん中に置き、ベトナムで調査したメンバーを中心に議論しているシーンの撮影。ともかく、「笑って、笑って、楽しそうに!」と指示されるので、こちらとしては、得意中の得意であるところの「だっはっはっは」を連発するしかないのだが、「だっはっはっは」の芸を披露すると学生たちもよく笑うので効果があった。
 インタビューアーのコメントは、
   「先生、取材慣れされてますね」
 たしかにそうだわね、慣れてます(ギターをもつとあんなに緊張するのにな・・・)。

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 演習室の次はキャンパス前庭へ。ここで、チャックから衝撃の発言。
  「先生、鼻毛がでてますよ。」
 娘がもっていた北尾トロの文庫本『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』そのものではありませんか。わたしは言えるだろうか、チャックのように。たとえば、
  「おい、ハマダバダ、鼻毛がでてるよ。」
と。
 次はメディアセンターのギャラリー。ここまでは大勢での記念撮影ばかりだったのだが、ギャラリーではハルさんがヤング賞受賞作の書「聞」と一緒にカメラにおさまった。

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  1. 2007/10/25(木) 00:00:20|
  2. 研究室|
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産官学連携フェスティバル2007

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 産官学連携フェスティバルは昨年、県民文化会館と県立図書館に分かれて催されたが、今年は鳥取県立県民文化会館の1・2階ホール貸し切りの状態で集中的に開催された。
 産官学フェスティバル2007のキャッチコピーは「さがそう!みつけよう!事業化の種」と題し、基調講演やパネルディスカッション、シーズ(研究)発表会と交流会が13時から19時まで催された。会場内は昨年に比べると一体感があって賑やか、見本市のような雰囲気を感じた。

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 産官学フェスティバルのシーズ発表には鳥取環境大学も参加しており、浅川研究室からは昨年度の県環境学術研究費の成果「ローコストによる古民家修復手法の開発」でパネルを展示した。一昨日搬入されたばかりの報告書『加藤家住宅の実験』も十冊限定でパネル前の台上に置き、記帳を条件に無料頒布した。(某大学院生)

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↑出展したポスター(画像をクリックすると拡大します)


[産官学連携フェスティバル2007]の続きを読む
  1. 2007/10/24(水) 20:09:44|
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グッドナイト、ベイビー

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 もうすっかり、天が高くなった。久々の晴れに気温も高く、秋風が心地良い。教授は新居が寺町で大学が近くなり、自転車通学が楽になったと嬉しそう。研究室では、4年生の卒業研究中間発表が終わり、ついに本格的な後期の活動が始まった。
 この秋は加藤家住宅で2大イベントがある。本日は入試広報課へ資料を提供し、学内各所にチラシを掲示した。加藤家住宅の報告書も刊行されたのだから、このイベントを通して、是非多くの方に加藤家住宅を知ってもらいたい。報告書に続き、加藤家住宅の一般向けパンフレットの編集も本格的にスタートした。加藤家住宅の報告書は、専門的な学術報告書である。建築用語は難しく、内容が専門的であるため、一般市民には理解し難いところも少なくないだろう。そこで、より一般向けの親しみやすいパンフレットを作成することが決定した。編集長は3年生の「書記」さんである。これから「書記」さんのことを「編集長」と呼ぶことにしよう、と先生が提案すると、「書記」さんはイヤイヤと首を横に振る。ほいじゃ「デスク」はどう、と先生は問い直して、近くの机を指さし、

  「このデスクはデスクの、・・・なんちゃって(だははは)」

といつもの駄洒落を飛ばすのだが、「書記」さんはポーカーフェイスで、

  「いまはヒラに戻ったんです」

と相手にしない。

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 パンフ編集と併行して、演習室ではケンボーさんの卒業制作補助に向けて、インターンシップで訓練を受けてきた「部長」さんによる竪穴住居復元のレクチャーが始まった。その後、さっそく敷地模型を作り始めた。
 さらに、教授室ではチャックさんが教授と一対一で青谷上寺地遺跡復元CGの寸法計画を練り始めた。いろいろ設計変更が生じたようである。その後、教授はお疲れになったようで、いつものごとく教授室の椅子を4台並べ、爆睡状態に陥りました。その心地よい鼾が通奏低温のように演習室まで聞こえてきます。
 おやすみ、ホーボー・・・  (Mr.エアポート)

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  1. 2007/10/23(火) 23:09:04|
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『加藤家住宅の実験』刊行!

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 お待たせしました。
 昨年度末から編集し校正を繰り返してきた報告書3冊シリーズの第1弾がようやく印刷会社から搬入されました。第1弾は『加藤家住宅の実験』。昨年度まる1年、研究室が全精力を傾けて取り組んだ加藤家住宅修復事業の報告書です。これは、以下の2つの助成研究の複合的な成果報告書です。

 ①平成18年度(財)日本住宅・木材研究センター(HOWTEC)「中小住宅生産者による木造住宅生産体制の整備事業」助成研究: ローコストによる文化財古民家の修復マニュアル作成 -地域産材を活用した茅葺き風「杉板トチ葺き鉄板被覆屋根」の開発を中心に-(研究組織:鳥取古民家修復プロジェクト委員会/助成金 1,316,000円)
 ②平成18年度鳥取県環境学術研究費特別助成研究: ローコストによる古民家修復方法の開発(Ⅰ) ―住むことと修復することの実践を通して―(課題番号B0605/助成金 2,151,000円)

 報告書の原本となったのは、「加藤家の居住者O」こと大城智章くん(3期生)の卒業論文「ローコストによる文化財古民家の修復―登録文化財『加藤家住宅』での実体験を通して―」であり、そのまた元になったのは加藤家住宅HPのブログ「倭文日誌」です。また、カラーグラビアには安田典史くん(3期生)の卒業制作「Re-Cover 地域産材を活用した屋根とロフトの設計―茅葺風鉄板被覆屋根(軒付トチ葺)の開発―」も含んでいます。
 編集担当はチャック。この春のゴールデンウィークをつぶして総頁数135ページの大作を編集してくれました。
 以下に目次のページを転載しておきます。

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 この研究の目的は、当初、「文化財古民家のローコスト修復」に関するマニュアルを作成することでしたが、やはり1棟の修復からマニュアルまで導くのは難しく、今回は「ローコスト修復のエッセンス」を示すにとどめました。しかし、このエッセンスのなかに「オーセンティシティ」「解体しない修理 in situ」「日本的<反復原=現状保存>」などの重要な問題が凝縮されています。文化財関係者にひろくお読みいただければ幸いです。また、今年度は専門家向けではなく、一般市民向けのわかりやすいパンフレットの作成をめざし、まもなく編集に取りかかります。
 なお、関係機関・関係者への郵送は昨年度の報告書シリーズ3作が揃ってからとなりますので、ご了承ください。

  1. 2007/10/22(月) 19:48:05|
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セーハ三昧 -レッスン(Ⅲ)

 今月のレッスン1回めは先週金曜日の予定だったのですが、1週間以上に及ぶ引っ越し騒動のため練習ができず、また、助っ人にきていた患者と娘を車にのせて奈良に帰らなければならなかったため、まことに恐縮ながら、スケジュールをキャンセルさせていただきました。逆に今週末は、卒業研究中間発表会と遺跡関係の打ち合わせのため鳥取に残ることになり、厚かましいのは承知の上ですが、大山町の門脇先生のお宅を訪問してレッスンを受けました。先生は、この前の妻木晩田「夕日の丘コンサート」でチャックとけんボーが挨拶したことをよく覚えておられ、

  「学生さんと一緒に来られるかと思ってました」

とおっしゃいました。ほんとうに連れて来れればよかったのですが、なにぶん昨日の卒研中間発表会直後で学生諸君はグロッキーしており、わたし一人がお邪魔した次第です。

 カルカッシのエチュードはだんだん難しくなっていくのではなく、難しかったり、それほどでもなかったり、どういう順番で並んでいるのかよくわからないのですが、しかし、そうは言っても、やっかいな曲が増えてきました。今回は多彩なセーハに悩みました。相変わらず、左手の3(薬指)と4(小指)が弱く、ハイポジションでの運指に苦しんでいますが、今日もまた別の基礎練習法を教えていただきました。基礎練習をすると、ほんとうに為になると思うのですが、日ごろは弾きたい曲を弾いてばかりで基礎訓練を怠りがちです。もう一回ちゃんとやりなおさないといけません。
 収穫だと思うのは、TABがないおかげで、7~10フレットあたりの音がよくイメージされ始めてきたことです。みなさんはどうですか。たとえば4弦の10フレット、5弦の9フレットがどの音に対応するのかすぐに答えられますか?

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  1. 2007/10/21(日) 23:06:37|
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卒業研究中間発表会2007

 卒業研究の中間発表は、制作と論文が別々の部屋でおこなわれた。午前の部でAsalabの中間発表が終わり、毎年恒例の「服部珈琲での打ち上げ」というご褒美へ・・・。
 コーヒーとサラダピザたちを囲んで満腹満足のメンバーであったが、研究室に戻ってからの休息もつかの間、すぐに服部珈琲で調べた英文を基に各々がブログに取り掛かる。今年度卒業予定者の研究題目は以下のとおり(学籍番号順)。

・嶋田 喜朗(論文) 「@青谷上寺地遺跡 -7000点の出土部材が物語るもの」
  Copyright AOYAKAMIJICHI Site 
    -Reconstruction of YAYOI Architectures
     by Analysing Excavated 7000 Timbers-
・城間 美乃(制作) 「下龍点睛 -ハロン湾の文化的景観を描く」
  The Descending Dragon
    -Draw the Cultural Landscape of Halong Bay, Vietnam-
・松本 朋子(論文) 「谷口ジローの風景 -昭和の鳥取・町並みを探る」
  The scenery drawed in Taniguchi Jiro's Comics
    -Looking for Tottori Town Scape in Showa Times-
・横田 研二(論文) 「とっとり建築アルケオロジー -古代住居の復元」
  Tottori Architectural Archaeology
    - Reconstruction of the Ancient Swellings-

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↑つかの間の休息


 以下、中間発表についての4年生のコメント(発表順)。

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  1. 2007/10/20(土) 17:54:38|
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チャックの再会

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 昨夜インターンシップの報告会があり、我が研究室では唯一部長(3年)がプレゼンテーションしました。この夏の東京での活動報告です。彼女の発言は教員を驚かせました。

   全部で3つの復元模型を作りました。
   そのなかで竪穴住居は5回も作りなおして、
   とても苦労しましたが、できあがったときには
   とても達成感がありました。
   大学の授業よりずっと充実感を感じました・・・

 「大学の授業よりずっと充実感を感じた」との発言に教員たちは目をシロクロするしかなく、それについて「何故?」と質問する教授がいたほどです。

 そして今日、わたしはチャックを引き連れ、妻木晩田へ。復元建物実施設計の指導を依頼されたからなんですが、わたしはチャックに予言しておきました。
   「君たちが夏休みに作った模型をみせられるんだよ。」
 チャックは半信半疑です。はたして、妻木晩田の生涯学習室においてあった3棟の復元模型は、部長とチャックがこの夏休みにインターンシップで制作したものでした。チャックは一月半ぶりに自分の作品と再会したわけです。担当の文化財技師に教えてあげました。
   「この模型はね、かれらが作ったんですよ」
   「えっ、そうなんですか!?」

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 掘立柱建物から講評していきました。板倉は少し立派すぎるんですが、なかなかよく勉強していますね。杉皮で屋根を葺くので、屋根の転びは余計ですが。床高ももう少し高いほうがよく、妻入ではなく、平入にして正面2間それぞれに扉を設けるほうがよい、とコメントしました。屋根倉は素朴な建物で、そう大きな問題はなし。

 問題は大型の竪穴住居です。部長が5回作り直して達成感を得たという模型であります。なんと、この竪穴住居はこの3月に燻蒸の火で焼けてしまった洞ノ原8号住居でした。焼けた建物はわたしが2000年度に設計したものです。

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  1. 2007/10/19(金) 23:31:21|
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第3回 歩け、あるけ、タルキオロジー♪

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 今日、私たちは青谷上寺地遺跡へ見学に行きました。この遺跡は弥生時代の集落遺跡で、これまでの調査により中心域のまわりに溝を掘り、周りの湿地帯よりも少し高いところに住んだ人々の生活の様子などが明らかになりつつあります。

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↑矢板(地面に刺さりやすいように加工されている)

 今回私たちが見学したのは第9次調査区です。そこでは遺跡中心域の南側エリアの解明を目的として調査が進められていました。現在の成果としては、弥生時代の中期後葉から後期の矢板などで護岸した溝などが検出されました。出土状態から農業用のあぜ道ではないかと思われるところや、予期せぬ焼き跡などが見つかるなどして、まだまだたくさんの発見があることを予感させる遺跡でした。

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↑部材(推定)のパラダイス

 現場を見学させていただいたあと、遺跡近くの青谷上寺地遺跡展示館へ行きました。弥生人の人骨や脳、海外との交流を示すものがたくさんあり、とても印象的でした。(環境政策学科 T.Y.)


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  1. 2007/10/18(木) 20:16:09|
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「知の財産」シンポジウムのお知らせ(第2報)

 2007年度<とっとり「知の財産」活用推進事業>に採択された「山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究」の一環として開催するシンポジウムの内容が固まりましたのでを、ここに第2報をお知らせいたします。
 会場は加藤家住宅です。

            シンポジウム
      弥生建築の実証的復元はどこまで可能か
       -山陰地域を中心とする事例研究-


11月30日(金)午後  
   13:00  趣旨説明  浅川 滋男(鳥取環境大学)
   13:10  セッション1 「全国の研究動向」
        1.箱崎 和久(奈良文化財研究所)
         「奈良文化研究所における出土建築部材の研究」
        2.高田 和徳(御所野縄文博物館長)
         「焼失住居研究の最前線」
   14:10    コメント:浅川 滋男
          討論(司会:濱田 竜彦/鳥取県教育委員会歴史遺産室)
          Coffee Break
   15:10  セッション2 「山陰地方の焼失住居と出土建築部材」
        3.馬路 晃祥(妻木晩田遺跡事務所)
    「竪穴住居復元のための焼失住居の基礎的検討-弥生時代を中心に-」
        4.茶谷 満(鳥取県埋蔵文化財センター)
    「青谷上寺地遺跡出土の建築部材-データベース整備を通して-」
          コメント:中川 寧(島根県埋蔵文化財センター)
          討論(司会:浅川 滋男)
   18:00  懇親会@加藤家住宅イロリ端

12月01日(金)09:30~ 
   09:30  セッション3 「弥生集落遺跡整備と復元建物」
        5.飯塚 康行(松江市教育委員会文化財課)
         「田和山遺跡の焼失住居と復原建物」
        6.川畑 和弘(守山市教育委員会文化財保護課)
         「下之郷遺跡の大型掘立柱建物」
         コメント:高田 和徳
         討論(司会:眞田 廣幸/倉吉市教育委員会文化課長)
   11:30  昼食(蕎麦切り「たかや」出前)
   13:00  セッション4 「浅川研究室の復元研究 -中間報告-」
        7.横田 研二
         「竪穴住居3題 ―枕田・童子山・クズマ―」
        8.嶋田 喜朗
         「弥生時代最長の垂木をめぐって」
            コメント:箱崎 和久
            討論(司会:浅川 滋男)
   15:00      閉会挨拶
   15:30      解散

シンポジウムはクローズド・セッション形式でおこないますが、完全非公開ではありません。参加ご希望の方は、浅川研究室までご連絡ください。

 スピーカーの皆様へのお願いです!
 発表資料は11月26日(月)必着で鳥取環境大学浅川研究室までお送りください。


  1. 2007/10/17(水) 21:42:48|
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下之郷の垂木

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 15日、滋賀県守山市の下之郷遺跡第1回整備部会に出席してきた。会議でどんな話をしたか言えないけれど、環濠の展示方法に議論が集中した。
 わたしなんか呼ばなきゃいいんだ。アバンギャルドにしてデストロイヤーですからね。おそらく事務局は、また相当ひっくりかえっていることだろう。でもですね、地方自治体の予算というのは、ほんとうにシビアですね。あれだけシビアななかで無理な整備をして、結果として、それが失敗してしまうと大変なことになるから、わたしとしては助け船を出したつもりなんです。
 どこもかしこもお金がない。夢がない。希望がない・・・

 さて、現場ではよいものを見せていただいた。発掘調査中の環濠に木材が多数堆積していたのだが、そのなかに垂木を発見した。細い垂木だ。たぶん材種はスギ。先端の彫み方は青谷上寺地の垂木と似ているが、やや異なる。青谷よりもさらに細い垂木であり、常識的には小型高床倉庫の部材であろう。
 垂木らしき材はもう1本ある。その材は上の垂木材と少し離れた位置で直交するように横たわり、トレンチの壁にくい込んでいる。これが結構長い。でも、細い。ひょっとしたら、上の垂木とくっついたりして??

 というわけで、みなさん。みなさん、ってだれに呼びかけているのか、分かってくれないかな?
 この秋の目玉は「垂木」です。

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↑↓わたしの言っている材がどれかわかりますか?
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  1. 2007/10/16(火) 23:17:19|
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サンデーモーニング遺跡デート (けんボー編)

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 昨日午前8:30、チャックが駆るロゴが迎えにやってきました。そう、妻木晩田へクラシックギターコンサートを聴き、田和山遺跡を一目見るために。
 まず、松江へと足を伸ばしました。長い道のりも、向かい行く車達を眺め、話しの種にすればあっという間に田和山史跡公園。丘のすぐそばに建てられた市立病院はこの風景によく似合い、すごしやすい季節もあいまってか、すがすがしい風が吹いていました。

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↑山頂を囲むようにして環濠が巡らされている 

 そんなすがすがしい雰囲気のなか、野郎二人は写真をあちらこちらでパシャパシャ。はじめは元気よく駆け上がっていた元気はどこへやら、丘の越えるとぐったり・・・・。ひと休みしてから、チャックさんは掘立柱建物で、こちらは竪穴住居内部下へと持ち場を移し図面をとりました。実際の復元された竪穴住居をみるのも、入るのも初めてなものでそこかしこに目移りしてしまいながらでしたが、半時間ほどで完了。内部は外よりかなりすずしかったのですが、温度計の表示は29度!?

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↑背面から

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↑意外と涼しい竪穴住居内部

 そんなこんなでチャックさんのちょっとした講義を聞き次の目的地妻木晩田遺跡へと出発。乗り込んだ車でハチに刺されるハプニングを笑いながら小一時間で到着。
 門脇先生のギターは見栄をはらずしとやかに、時に激しく聴こえてきました。途中、遺跡を見学するために席を外したのですが、晴れた空の下、気持ちのいい風に乗って聞こえてくるギターの音色は心を深く落ち着かせてくれるものでした。(けんボー)




  1. 2007/10/15(月) 23:47:13|
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サンデーモーニング遺跡デート(チャック編)

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 昨日はけんボー子ちゃんと松江と米子まで出張して来ました。田和山遺跡の見学と、妻木晩田遺跡でおこなわれる夕日の丘コンサートを見に行くためです。道中は車の話で終始和やかでした。

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 田和山遺跡は見事に松江市立病院と共生していました。お互いがお互いを邪魔せず、それぞれの領分を守り、その役目をまっとうしている感じでした。空は快晴。風は心地良く、復元された掘立柱の建物の下、深い眠りに落ちてしまいそうでした。それを何とかこらえ、全景と各部材の接合部の写真を撮り、身体寸法で簡単に実測をしてきました。復元図面をいただくのは簡単です。ただ、それでは身につくものもつかないと思うのです。なので、けんボーさんを竪穴の中へ追いやり、暖かい芝生の上でこれでもかと復元建物を見てきました。なんだか飽きませんでした。

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↑親子デュオ
 
 田和山遺跡を後にし、今度は妻木晩田遺跡へ。A教授のギターの先生、門脇康一さんが出演される「夕日の丘コンサート」を奈良にいる教授の代わりに見てきました。息子さんとのデュオ、マンドリン奏者の西尾澄子さんとのセッション、朗読ボランティアの片山洋子さんとのコラボレーション。そしてギターソロ。どれも心地良く聴かせていただきました。曲ごとの解説だとかはできないのですが、全体を通して感じたことがあります。それは音が心のへこんだところにスッと入ってくる感じで、こう、マッサージでツボを押されて気持ちいい感じ。門脇さんのギターからはそんな印象を受けました。最近ちょっと心が殺伐としてたので、空の青とあいまって、とても癒された感じ。

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↑ギターデュオ&マンドリン
 
 演奏後にA教授の弟子ということであいさつに伺うと、気さくに話をしてくださいました。生の音ではなく、マイクを通してしか聴かせることができなかったことをとても残念がっていらっしゃいました。でも、50名あまりの観客の皆さんは、首を振ったり足でリズムを取ったりして、コンサートを楽しんでいました。楽しいコンサートだったと思います。

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↑門脇先生ソロ

 自分がどうやって弾くかではなく、聴衆の事を第一に考え、そして共演者がいればその方をたてる。ソロになれば自分がかっこいいと思うものをサッと弾きこなす。いただいた名刺にはこう書かれていました。

 「 ギタリスト 門脇康一 」

音楽ってすげーなー。(チャック)



  1. 2007/10/15(月) 20:07:49|
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訃報

 研究室OB岡村くん(1期生)のお父さんがお亡くなりになったという知らせが某筋から舞い込んだ。

 葬儀の日時・会場は以下のとおり。

  日時: 10月15日(月)午前10時~
  会場: とっとり葬祭会館
      鳥取市久末(南栄町)86
       ℡ 0857-53-4444

 わたしはいま奈良にいて、15日は滋賀で会議があるため葬儀に出席できない。取り急ぎ弔電を打ったところ。葬儀には、研究室の代表として院生に参列してもらうことした。他の研究室関係のメンバーもしくはOBで、岡村くんと面識ある鳥取在住の諸君もできるだけ葬儀に参列してください。

 岡村くんのお父さんは癌を患い、長く闘病生活を続けておられた。岡村くんが危篤の報を受けたのは12日(土)の午後で、ただちにスーパーはくとに乗り込んだが、臨終には間に合わなかったとのこと。
 
  謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

  
  1. 2007/10/14(日) 23:55:26|
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ファミマでチケット

 わたしの自宅周辺、すなわち奈良県北部におけるコンビニの分布状況をお知らせしますと、最大勢力は間違いなくローソンです。これに肉迫しているのがサンクス。さらに、デイリー・マートがぼちぼちあって、サークルKもあるにはあったな、という感じ。業界最大手のセブンイレブン(西河♂の就職先)は京都で数を増やしていますが、奈良で記憶にあるのは1軒だけ。
 ファミリーマートはあったのだろうか。しばし考えたんですが、思い浮かばないので、NTTの104を呼び出し、まず自分の居住地を知らせ、奈良市内でいちばん近い位置にあるファミマの所在地と電話番号を教えてもらいました。
 そのファミマは西大寺本町店。なんだ、息子が通っている塾の近くじゃないか。ということで、今日は受験生を新車ワゴンRにのせて塾まで送り、ついでにファミマ西大寺本町店に寄ってきました。
 なぜファミマなのかって。ネットでコンサート・チケットの予約をして、クレジット決済したんですが、受け取り先としてファミマが指定されているのです。だれのコンサートかって? ・・・前にお知らせしたアンドリュー・ヨーク公演です。来年1月下旬。やはりヨークは聞いておきたいですからね。わたしとしては、なんとかかんとか「サンデーモーニング・オーバーキャスト」は卒業したことにして、いままた別の曲に取り組んでいるんです。Emキーでしてね、いったいいくつEmコードの押さえ方を知っているのか、試されているような曲です。難度は「サンデーモーニング」よりちょっと上でしょうね。

 さてさて、ファミマに入って係員に訊ねると、彼女はゲーム機のようなボックスを指さしました。「デジポケ紙発券」のできるマシーンでして、指示に従い画面上のボタンを押していくと、バーコードのついた長いレシート用紙のようなペーパーが出てきます。そのペーパーを係員に渡すと別の機械から正式なチケットが出てくる仕組です。
 えっ、そんなの知ってるって!? そうですか・・・わたしは初めての経験でしてね、時代も変わったもんだと思いました。ネットとコンビニがタッグを組んでいるんだから、最強だわね。ただファミマがない地域ではどうするのだろうか??

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  1. 2007/10/14(日) 18:46:54|
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ホーボーズ・ララバイ(Ⅱ)

 昨夜からDVD『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』を見始めたのだが、これが極上のララバイになってしまい、わたしはソファの上で心地よい眠りに落ちてしまった。だから今日、最初からもういちど見直した。
 『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』は1976年に全米公開されたウディ・ガスリー[1912-67]の伝記映画。アカデミー賞6部門、グラミー賞3部門でノミネートされ、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞ではデビッド・キャラダインが主演男優賞を獲得している。監督はハル・アシュビー。英文の原題は以下のとおり。

   “Bound for Glory” The Story of the Legendary Woody Guthrie

 DVDの発行は2006年で、五十嵐正氏がすばらしい解説を書いている。以下、この映画に関わる内容は氏の解説に依ったものである。
 原作はガスリーが1943年に出版した同名の自伝“Bound for Glory”(邦題『ギターをとって弦をはれ』晶文社 、1975)であるが、これをウディは「自伝小説」とも述べており、編集者による脚色がずいぶん入っているという。映画化にあたって、さらにドラマチックに粉飾されているであろうから、この映画をウディ・ガスリーの半生を描くノンフィクションとして捉えてはいけない。しかし、ウディが歌手を目指した時代背景とフォークソングがもっていた本来的な意味を十分読み取れる興味深い作品である。
 時代は1930年代後半。ウディ一家の住むテキサスは度重なる砂嵐と干魃のため、多くの町や村が廃墟と化していった。住民たちの多くは「約束の土地」カリフォルニアをめざした。ウディもまた、家族を残してひとり旅にでる。もちろんお金などもっていないので、ヒッチハイクや列車のただ乗りで一路西部をめざす。この列車のなかで、かれはホーボーたちの歌を覚え、そのメロディに独自の歌詞をつけていった。また、田舎町の酒場で弾き語りをして収入を得た。
 カリフォルニアにはなんとか辿り着いたが、そこはホーボーたちが夢見た「約束の土地」ではなく、強権的な地主が移住労働者をこきつかう過酷な世界であった。そこにオザーク・ビュールというフォーク歌手があらわれ、「労働組合(ユニオン)」の結成を呼びかけ、地主を揶揄するプロテスト・ソングを歌いまくる。その集会の熱い輪のなかにウディも自然に加わってゆき、気がつけば、かれは社会派フォークの旗頭となっていた。ウディは歌のうまさとオリジナリティが評価され、ラジオ番組のレギュラーに定着するのだが、「歌の社会性」をめぐってプロデューサーやスポンサーと衝突を繰り返し解雇される。また、CBSのオーディションにもパスするが、大手メディアの商業性に失望し、テレビ出演を辞退する。そして、再び家族を置き去りにしたまま、ひとりニューヨークへ旅だつのであった。
 この映画をみて、なにより労働運動とフォークソングの結びつきの深さを再確認できた。1960年代から70年代前半の日本フォーク(とくに関西フォーク)の状況を思い出さずにはいられない。

  さて、この映画のなかで「ホーボーズ・ララバイ」が短時間ではあるけれども、一回だけ歌われる。それはラジオ番組のイントロ・ソングとして、ガスリーほか出演者全員で合唱されていた。この曲がガスリーのオリジナルではなく、その時代にひろく歌い継がれていたホーボーソングの一つであったからこそ、番組の導入曲として採用されたのであろう。もっとも、先述のように、ウディ・ガスリーの作品は列車のなかで覚えた曲にオリジナルの詞をつけたものが多いらしく、どこまでがオリジナルで、どこまでがトラディショナルなのか、区別するのがやっかいではある(厳密に言うと、「ホーボーズ・ララバイ」はテキサス生まれのGoebel Reevesというシンガー&ソングライターの作品であるが、その曲は南北戦争の歌をもじったものであるといい、詞だけをホーボー風に変えた可能性がある)。

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  1. 2007/10/13(土) 19:04:27|
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t の謎 -FC2アクセス解析7・8・9月篇

 なんとか引っ越しの後片付けを終えて奈良に帰ってきた。じつは週末にエチュードのレッスン第3回を予定していたのだが、引っ越し前後のドタバタでまったく練習できなかったので延期をお願いした。今月2回レッスンを受けるにはどうしたらよいのか、思案中です。
 さてさて、気がつけば10月も中旬。慣例に従い、3ヶ月分まとめてアクセス状況を報告する。まずはユニークアクセス(UA)とトータルアクセス(TA)の変化から。以下の表記は、月総数(1日平均)をあらわす。
   7月  UA=4514(146)  TA= 9739(314)
   8月  UA=4294(139)  TA=10119(326)
   9月  UA=4003(133)  TA=10511(350)  
 1日平均で春季を振り返ると、4月がUA=111/TA=222、 5月がUA131/TA=312、6月=UA128/TA=287なので、夏季にアクセスが大きくのびていることが分かる。ただし、UA(≒アクセス人数)とTA(アクセス総数)は逆方向の動きを示している。UAは7月が最大で以下漸減、TAは7月が最小で以下漸増。アクセス者の数は減っているが、重複アクセスが増えているということである。7月にUAが多いのはアジアカップの影響であろう。サッカーの大きな大会があってブログにコメントを書くとアクセスが増える。じつは、前回述べたように、アジアカップのサウジ戦直後にFC2アクセス解析のサーバーがパンクし、長時間カウントがゼロになった。これと同じ現象がさらにもう1日あったので、7月のアクセス実数は上の数値より多い。一方、9月から10月前半にかけてUAに翳りがみられる。やや心配・・・

 つぎに、ヤフーやグーグルなど検索エンジンによるアクセス総数の推移をみると、
   7月:1888  8月:1909  9月:1704
で、やはり春季を大きく上まわっている。そして、とうとうグーグル検索がヤフー検索よりも多くなった。検索エンジンによるアクセス数を都道府県別にみておこう。左から7月→8月→9月のパーセンテージを示している。

    1位 鳥取34.93% →鳥取35.093% →鳥取33.38%
    2位 東京12.92% →東京12.02% →大阪 12.14%
    3位 大阪10.32% →大阪11.19% →東京11.10%
    4位 島根06.19% →島根11.04% →島根09.90%
    5位 神奈川04.51% →神奈川03.25% →京都03.67%
    6位 兵庫03.82% →京都02.34% →神奈川03.43%
    7位 岡山03.05% →愛知02.26% →岡山02.47%
    8位 愛知02.67% →岡山02.64% →愛知02.39%
    9位 福岡02.52% →埼玉1.73%→福岡02.15%
    10位 京都01.91% →千葉01.66% →千葉01.83%

 6月から8月まで1位~5位は鳥取、東京、大阪、島根、神奈川の順で変わらない。9月は東京と大阪が入れ替わり、京都が5位に復活した。5~10位の傾向として言えることは大都市を抱える県であること。近隣の県よりも大都市からの検索アクセスが多くなってきているということであろうか。かつて上位の常連であった兵庫が8月以降10位以下に低迷中。

 続いて、検索エンジン使用のサーチワード順位をみてみよう。左から7月(8月)[9月]のパーセンテージを示している。

  1位 lablog 5.77%   (lablog 6.56% )     [lablog 5.87%]
  2位 六弦倶楽部 2.96%  (t 2.52%)       [t 3.23%]
  3位 浅川研究室 1.85%  (浅川研究室 1.73%) [浅川研究室 1.99%]
  4位 lablog 浅川 1.16%  (浅川研 blog 1.20%)[asalab 0.70%]
      塩崎綾 1.16%
  5位              (六弦倶楽部 0.89%) [アローンアゲイン0.64%]
                                 [浅川研 blog 0.64%]

 春季から引き続き、「lablog」「浅川研究室」「浅川研 blog」「asalab」など研究室関連の語が上位を占めている。「lablog」と「asalab」はわれわれの造語なのだが、、少しずつ世の中に浸透しているのかも(研究室OBが入力しているだけかもしれないが、OBの多くは「お気に入り」に登録しているはず)。他では「六弦倶楽部」の検討が光る。6月に引き続き7月も第2位、8月も第5位に食い込んだ。
 そして、なにより注目したいのは「t」というサーチワード。「t」についてはずっと以前から確認しており気になっていた。それがとうとう8月に第2位にまで上昇。ブログ上にご登場いただかざるをえなくなった。おそらく「t」という語を入力してリターンすればlablogが開くようにしているのだろうが、それにしても「t」とはいったい何なのか。人物のイニシャルなのか。だとすれば、思いあたる人物が1名いないわけではない。しかし、人物のイニシャルだという保証もない・・・
 ちなみに、検索語の総数は7月が1189、8月が1209、9月が1129。「六弦倶楽部」「アローンアゲイン」のほかにも音楽系のサーチワードが非常に多くなっている。ちなみに9月の次点(第7位)は「フラットマンドリン」でした。


  1. 2007/10/12(金) 16:48:00|
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第2回 歩け、あるけ、アルケオロジー♪

 20071011193033.jpg

 今日のプロジェクト研究2&4「歩け、あるけ、アルケオロジー」では鳥取県埋蔵文化財センターを訪問しました。鳥取県にはたくさん遺跡があるようで、青谷上寺地遺跡や妻木晩田遺跡が有名な弥生時代の遺跡だそうです。
 まずは施設内を見学しました。エントランスには、貝塚やたくさんの土器など、遺跡からの出土品が展示してありました。土器は時代によって焼き方や素材が違うようで、縄文時代の土器は分厚く、時代が進むにつれて薄くなっていました。

20071011193046.jpg

 次に、出土品(主に土器)の修復・復元作業をしているところを見学させていただきました。緊張した現場でした。出土品の復元部分は本物そっくりに色付けされていました。また、アクリル絵具を使っていることに驚きました。
 その後、独特なにおいのする部屋に案内されました。そこでは、ポリエチレングリコール(PEG)という液体を使った遺物(木製品)の保存方法を教えていただきました。だんだんとポリエチレングリコールの濃度を上げていき、腐敗を防ぐそうです。この作業は10ヶ月も続けられます。その部屋から出ると、今度は施設の横にある「古代の森」へ行きました。そこには古代の植物が植えられており、復元された前方後円墳や石棺、竪穴式住居が展示してありました。

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↑後円墳に立つ(上) 石棺(左下) 竪穴住居(右下)

 見学の後は、弥生時代の「衣・食・住」についての講演がありました。資料とパワーポイントを使っての講演だったので、わかりやすかったです。
 今回の講演を聞いて、弥生人がどのようなものを使って生活していたのかを知ることができました。今回の講演を今後のプロジェクト研究に生かし、自分のテーマを決めていきたいと思います。今日の訪問でより一層アルケオロジーに対する興味が湧きました。今後のプロジェクト研究も頑張ろうと思います。案内役のKさん、講演をしてくださったSさん、お忙しい中ありがとうございました。(環境政策学科1年 男のティラミス)



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  1. 2007/10/11(木) 22:47:24|
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アンテナのない家

20071010144304.jpg

 火曜日のゼミは研究室を飛び出して、先生の新居でおこなわれた(4年生は夏休み中から加藤家などキャンパス外でゼミをしていたようだが、わたしたち3年生は初めての体験)。引越し作業が終了してから、私たちが足を踏み入れたのは今日が初めてだったので、その変貌ぶりにびっくりした。しかし、どこもかしこも完璧に見えた私たちに、先生が「テレビが・・・」と一言。この新居には地上波のアンテナがついていなくて、先生が田園町からもってきた衛生放送のアンテナだけなんとか2階の窓枠にとりつけた状態。だから、wowowとBSしか映らないのだ!
 そのため先生は「民放が見れない」とブツブツぼやいていた。でも、先生。wowowが見れるだけ贅沢ですよ。
 そんなボヤキから始まった今日のゼミ。本日は4年生の卒業研究・中間発表の練習がおこなわれた。チャックさんをスタートに、はるのさん、トマトさん、けんぼーさん、の順にパワーポイントが映し出された。そして各発表の後に先生の鋭い指摘。私たちは4者4様の発表を見て、来年の自分がこうなっているのか・・・と考えると背筋がゾクっとする思いになった。 まだまだあと1年、ではない。もうあとたった1年、なのである。しかし、毎回のごとくこのようにゼミで発表練習をしていたら、きっと本番はいいものが出来ているのではないかと思う。先輩達の卒業研究がより良いものへとなっていくように、私たちも陰ながらお手伝いをしていきたい。(部長&書記)

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  1. 2007/10/10(水) 11:40:48|
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常忍寺本堂(Ⅰ)

 徳川家康の室で紀州徳川家初代頼宣・水戸徳川家初代頼房の生母である養珠院は、日蓮宗を尊崇しており、日蓮の庇護者であった富木常忍(日常)の生地・因幡に寺院を建立することを望んでいた。この望みは養珠院の子・頼宣、頼宣の子で鳥取藩主池田光仲の正室となった芳心院に継承されたが、それが実現したのは芳心院の没後(宝永5年/1708)である。
 芳心院の菩提寺である芳心寺の住職となった日潤は、当初日常の故地「鷲峯山」に寺院を建立しようとしたが果たせず、寛保元年(1741)に鳥取城下近隣の品治村にあった芳心寺の所領に「二間梁に二十間之藁葺之長屋」を建立し、鷲峯山常忍寺と号した。この場所は東照宮祭礼の道筋であり、しかも水路に面していたため、鳥取藩は難色を示したが(「在方諸事控」・『本化出現録』)、結局許可され、近世寺院としての常忍寺が創始された。なお、寺伝では日常の道場を再興したものと位置付けているため、これを「中興」としている。
 このように、常忍寺は初め芳心寺の末寺として建立された。焼失していた芳心寺の常題目堂が、延享元年(1744)に常忍寺に移転再建されていることを見ても、その密接な関係が伺われる。
 延享4年(1746)、常忍寺は正中山法華経寺の客席寺院に編入され、富木常忍の故地という由緒にふさわしい格式を得ている。単なる末寺ではなく一本山格としての扱いであり、以降芳心寺と常忍寺は本寺・末寺ではない、協力関係の寺院となっている。
 宝暦12年(1762)、常忍寺は村雲御所のために御祈祷し、緋紋白・網代駕籠を賜っている。寛政1年(1788)には、幕府より直触を受ける寺院として、久美浜代官所の管轄となった。久美浜代官所に呼び出しを受けることもあり、住職が病気などの場合は、藩の許可を得て芳心寺の僧が代理を務めることもあった。以上みたように、常忍寺の寺院としての格式は、創建後40~50年かけて確立され、境内の整備もそれに伴って段階的に行われたものと思われる。

 当初存在したという藁葺長屋や常題目堂などの建造物は現存しないが、江戸後期に整備された本堂等は、修復を経て現存している。現存する2点の棟札のうち1点の記載によって、本堂工事の着工は、日潤の跡を継いだ2代日顕の時であることが知られる。格式の確立と寺院としての境内の整備が並行しておこなわれた状況が伺われる。この棟札によれば、本堂の建設は、実際にはなかなか進まず、完成をみたのは7代日逮の時、文政元年(1818)まで下る。建築期間が数十年に及ぶことになるが、この間継続して工事がおこなわれたのではなく、何度も中段・変更がくりかえされたのであろう、境内の諸堂宇がほぼ完成したのは文政年間のことであった。
 現存する本堂は、もう1点の棟札から、8代日長の時期、天保7年から天保9年(1838)にかけて再度改築されたものであることがわかる。その後平成に入って現在の位置に曳家・修復されて現在に至っている。
 常忍寺には、芳心院や歴代住職に由来するものの他、養珠院由来とされる寺宝が伝来している(国指定重要文化財1点を含む)が、これは上述のような創建の経緯を傍証するものである。
 寺伝では総桜材の内陣は紀州徳川家の寄進と伝えられているが、残念ながら、今回の調査で明確に確認することはできなかった。寺伝について比較的正確に記す『本化出現録』には、紀州徳川家の援助についての記載があり、今後の調査により明らかになる可能性がある。

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  1. 2007/10/09(火) 00:10:18|
  2. 建築|
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「六弦倶楽部」第4回練習会@加藤家住宅のお知らせ(第1報)

20071008033805.jpg

 すでに六弦倶楽部のブログには掲載されていますが、第4回練習会の日程・会場が以下のように決まりました。

  日程:平成19年11月10日(土)~11日(日)
  会場:登録文化財「加藤家住宅
       〒680-1151 鳥取市倭文491
             ℡ 0857-53-7786
             http://katohkejutaku.web.fc2.com/

 10日(土)はいわば「前夜祭」です。10日の夜に集まれる人はシュラフとギターをもってきてください。民家の炉端で美味しいお酒をのみながら、音楽とギターについて語りあい、またギターの腕前を披露しあいましょう。加藤家には水道、電気、水洗便所が完備されています。畳部屋でもロフトでも眠れます。ただ、お風呂がありません。しかししかし、鳥取市内には温泉銭湯があります。朝風呂も悪くありませんよ。
 11日(日)は昼頃から練習会がスタートします。たぶんいつもの通り、じゃんけんかあみだくじで順番を決め、一人何曲か披露していただくことになると思います。今回は、西部からの参加者が若干減るかもしれませんが、大学生等の参加を見込んでおります。これから参加人数を調整しますが、開始時間や演奏曲数については改めてお知らせいたします。
 会員のみなさまには、参加不参加のご意志を浅川研究室もしくは六弦倶楽部代表のチョトロクさんまでお知らせください。

 なお、第4回練習会実現のため、環境大学では研究室を超えた「実行委員会」を組織しようと思っています。ギターに限らず、アコースティック・ストリングス(ウクレレ、マンドリン、バンジョー等)が大好きな学生諸君、是非とも協力してください。

20071008033414.jpg
↑加藤家住宅アクセスマップ


  1. 2007/10/08(月) 03:23:57|
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学祭アラカルト

20071006190115.jpg
↑審判の下る時
 
 晴れた。当初の予定なんてすっ飛ばして晴れた。そして、A教授も当初の予定をすっ飛ばして間違えた。本番前では動いていたのに。やっぱりステージでは実力の3分の1しか出せないんですね。でも、それが実力ってもんだったりなんちゃりかんちゃり・・・。そう言えば演奏後のインタビューでは、これの100倍うまいとか言ってましたね。嘘か誠か、是非一度、教授室にお越しください。

 以下、1日目の様子です。

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↑書記親子と無国籍茶道部

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↑チジミ姉妹 Produce by デザイン学科

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↑環謝祭2007 ハルノ展


 明日も晴れるそうです。皆さん、頑張ってくださいね。(チャック)


  1. 2007/10/07(日) 19:12:21|
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