
昨夜は妻木晩田で設計指導の後、御所野縄文博物館長を歓待するための宴席に加わりました。おかげさまで9ヶ月ぶりに
庄屋のナマズに再会。正直なところ、海鮮刺身盛り合わせは不要でしたね。ナマズの姿作りが3杯欲しかった。それにしても変だったのは、骨付き肉の唐揚げを注文したら、「硬いから駄目」と拒否されたこと。いつも食べていたのに、どうしたことでしょう。
9時過ぎに帰路についたのですが、どういうわけか腹が空いていて、チャックも同じだと言うのです。仕方ないから途中でラーメンと餃子をたいらげ、食後は車内でぐぅぐぅ寝て、大学に戻ったら深夜の11時半。家でゆっくり休めばよいだろう、と思われるでしょうが、なにぶんケンぼーのパワーポイントがまだ出来ていない。
急いで帰ってきたのに、ケンのヤツぁ、「モスのバイトが休めませんでした」ってメールを寄こすんですよ。大学に戻るのは1時半になるっていうんです。
で、わたしも授業の準備やらなにやらあって、結局、パワーポイントの指導が始まったのは2時半から。
「#$%=’&%#”!! +L@*+!」
「・・・・・、???$・・・」
「””!&%=~`LU<>?+!!!」
「???・・・・・・・??」

一夜あけ、午後の演習では全員で加藤家に大民族移動。ケンぼーと2年生は模型の引っ越し。1年生とチャックとエアポートとわたしはシンポジウム会場の設営に精を出しました。
それにしても、ケンのヤツぁ、極悪非道ですよ。模型の修正に熱中するあまり、肝心のパワーポイントを完成させようとしないんです。発表までまだ2日あるとはいえ、今夜は資料集の製本が待っているというのに、ケンのヤツがパワーポイント作らないから、その出力資料もできあがらない。そうなると、いつまでたっても製本ができないわけでして、「模型作りは2年生の二人に任せて、おまえはパワーポイント作ったら?」と何度促しても、まったく知らんぷり。模型作りに没頭してるんですよ、ケンのヤツぁ。
で、どうなったと思います、みなさん。ケンのパワーポイント、あたしが完成させたんですよ、このあたしが。生まれてこのかた、こんな屈辱を味わったこた、ありませんがね、ったく。

というわけで、現在、資料集を製本中です。以下、最後の注意事項。
1.小銭の準備を! 2日めに弁当を注文される方は実費600円いただきますが、釣銭があまりありません。気楽に千円札を出されますと、またたくまに釣銭が底をつきますので、小銭で600円をご準備ください。
1万円札しかない、なんて方には、お釣りはいつかお返ししますが、サムディ・ネバー・カム。
2.受付の場所 受付は玄関口を考えていましたが、やっぱり寒いですし、金銭の管理にも不向きですので、板間(イロリ間)の奥に配置替えしました。玄関を入って欄間の下を通り抜け、板間に上がってください。そこに受付のスポットを設置しております。前にも述べましたように、旅費等を支給する方は印鑑をご用意ください。また、懇親会費・弁当代等についても、受付でお支払いください。よろしくお願いします。
3.SC鳥取ブラジルの左サイドハーフ君について 県外から来鳥される4名については、12時にJR鳥取駅改札口集合としました。お迎えにあがる左サイドハーフ君には「H様以下4名の皆様 歓迎 浅川研究室」の広告紙を掲げるよう指示しました。いかにもサイドハーフという体型をしておりますので、うまくみつけてください。ちなみに、かれの愛するプレーヤはカ*オリじゃなかった、クリスチャン・ロナウドだそうです。
- 2007/11/30(金) 00:54:41|
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今日は加藤家で、明日から開催されるシンポジウムの準備と1年生の今後のスケジュールに関する打ち合わせ、シンポで展示する竪穴住居の模型の修正をしました。
1年たちは会場の準備を楽しみながらやっていて、周りの空気がとてもよくなっていました。じつに面白い娘がいて、その娘を中心に周りに面白い人が多く、久しぶりにとても楽しいプロ研といった雰囲気でした。会場の準備が終わると、1年は今後の予定について相談してのですが、話がいろいろとずれているように感じ話が進むのが遅いいなぁとも思ったのですが、とても面白そうなので、まあこれでいいのかなと思います。
模型のほうですが、時間内には終わらず、結局みんなが帰ったあとも加藤家に3人が残り作り続けました。みんなが帰って2時間ぐらいで作業は全部終わりました。設置も終わり、加藤家を出るころには、空にはたくさんの星が輝いていてきれいでした。鳥取の冬の空の美しさを見た気がします。(環境デザイン学科2年K.U.)

- 2007/11/29(木) 22:18:56|
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今日は先生の2回目の妻木晩田遺跡、復元建物実施設計指導の日。
衝撃?の前回から約1ヶ月。私も先生にお伴して妻木晩田遺跡事務所へ。前回は掘立柱建物模型3棟、竪穴住居模型1棟のお出迎えだったが、今回は杉皮葺きの原寸検討模型と、ずらり竪穴8棟が出迎えてくれた。また、今回は今年の夏のインターンシップでお世話になったKさんとKZさんと再会することができた。だが、なんだか緊張してあたふたしてしまい、ゆっくりお話をすることができなかった。ひとりで勝手にわたわたしてる間に指導が始まっていた。
[チャックの再会(Ⅱ)]の続きを読む
- 2007/11/29(木) 04:14:20|
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今日は四国から受験希望の学生さんをお迎えしておりました。2限から環境デザイン演習2(2級建築士資格用製図)を見学し、その演習を担当する教師5名と一緒に学食で昼食。午後からは短時間ですが、加藤家まで案内し、最後は3・4年のゼミに参加してもらいました。こういう学生さんは、真夏のオープンキャンパス以来二人目ですね。
さてさて、ゼミの最後に「知の財産」シンポ直前の打ち合わせをしました。事務局となるゼミ生諸君の動きがようやく決まりました。
1.JR鳥取駅までのお迎え 関西からの2名が30日12時、松江からの2名が同11時に鳥取駅に到着します。以上4名のお迎えを担当するのはS.C.鳥取ブラジルの左サイドハーフ君と決まりました。12時に改札出口集合です。よろしくお願いします。
2.「懇親会費」値下げ! いろいろ検討した結果、懇親会費を1,000円に値下げすることにしました。また、資料費1,000円にはシンポジウム資料に加藤家住宅報告書を付けます。12月1日の弁当については、「因幡っこ」から3種類を用意します。これは実費600円を頂戴します。よろしくお願いします。
3.印鑑 シンポジウムのスピーカー、コメンテーター、司会者のみなさん、旅費等の支出のため印鑑が必要です。当日、ご持参ください。
- 2007/11/28(水) 00:41:49|
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昨日、すなわち26日(月)が発表資料の必着〆切でして、大学にもどると、3名のスピーカーから資料が届いていました。また、2名はメールで資料を送信されてきました。先週中に1名の資料が届いていますので、計6名から資料を受け取ったわけです。あとは大物1名のみ・・・じゃなかった、うちの学生の資料が2名分あった。これが難物ですわいね。今日のゼミで出来映えをみせてもらいますが、たぶん相当直しを入れなきゃなんないので、完成は少しずれ込むでしょうね。
資料集のコピー&製本は水曜日にスタートできるか、それともシンポ前日の木曜日にずれ込むか・・・これはただただ4年生2名の踏ん張りにかかっています。
以上、もちろん11月30日(金)・12月1日(土)の
「知の財産」シンポジウムのことです。
さてさて、注意事項の追加ですので、以下よろしくお願いします。
1.「懇親会費」再検討中 いったい何名の方が懇親会に参加されるのか、いまのところ見通しがたちませんで、おまけに最近、公務員は「謝金」すら受け取れないとおっしゃる方が数名いらっしゃいまして、困っています。二日めは土曜日ですし、初日にしたって有給休暇をとれば問題ないと思うのですが、ほんと最近、五月蝿いのねん。謝金をお支払いできないのに、懇親会費を頂戴するなんてもってのほかでして、現在、発表者等については優遇策を検討中です。しかし、聴衆として来られる方からは会費をとらざるをえないわけです。その額をどれぐらいで納めるべきか、悩んでおります。正直なところ、こういう会をやるたびに赤字になるので、たまにはきっちり頂戴して黒字の会計簿をみてみたいものですが、なにぶんみなさん懐のさみしい今日このごろでしょうしね・・・
あぁ、辛い。
2.画板と座布団 シンポジウムの会場は加藤家住宅1階の畳座敷(3室)になります。本来ならば、長い座卓を数台用意して、寺子屋風の教室に模様替えすべきなんでしょうが、残念ながらそういう家具がありません。それで、今回はA4版の画板を参加者全員にお貸しいたします。資料集をみながら、画板上のノートにメモをとり、話題に耳を傾けてください。
机だけではなく、椅子もほんのわずかしかありません。基本的にみなさん、畳の上に胡座か正座でお話を聞いていただくしかないのです。座布団はあります。ありますが、たぶん10枚もありません。ですから、可能であれば、各自座布団をご持参いただければありがたい限りです。膝掛けと一緒に座布団があれば防寒具として威力を発揮するでしょう。
わたしは準備が良いからか、肥えているからか、よく分かりませんが、加藤家にいてもそんなに寒さを感じません。しかし、一部の方は「寒い、寒い」と連呼されます。今回は建具を通して土間と畳間は完全に間仕切りしますし、窓ガラスの内側には簾か竪簾をかけます。ストーブは3台用意しています。イロリも焚きます。
しかし、それでも寒いかもしれません。ですから、座布団と防寒具をお忘れなく。
3.30日(土)の昼食について 頼りにしていた蕎麦切り「たかや」の出前弁当は550円と格安で、美味しいお蕎麦を堪能していただけるものと期待していたのですが、事務局が問い合わせたところ、なんと「持ち帰って自分で蕎麦をゆでるセット」だそうでして、シンポジウムの最中にそんな余裕はないだろう、と思う次第です。というわけで、またしても「因幡っこ」のお世話になるかもしれませんが、ご理解ください。あるいは、良い仕出し弁当屋さんがあれば、どなたかご紹介ください。
とりあえず、今日のところはこれぐらいで。
- 2007/11/27(火) 01:15:05|
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太田邦夫先生の最新作『
世界の住まいにみる 工匠たちの技と知恵』が出版元の学芸出版社から送られてきた。送られてきたのは1ヶ月近く前のことであったが、奈良を離れている時間が長く、今日までここに紹介することができなかった。まずは、太田先生と学芸出版社に感謝したい。

本書の構成と図書情報は以下のとおり。
世界の住まいにみる 工匠たちの技と知恵 まえがき
1.床が横に動く住まい
2.浮上する高床の住まい
3.地震帯になぜ井楼組が残っているのか
4.鼠返しの効用
5.木を縦・横に使うハイブリッドな構法
6.棟持柱はなぜ消えたか
7.ピロティは杭なのか、柱なのか
8.渡りあごは強かった
9.双倉と「1+1=3」の空間
10.反り棟の住まい
11.屋根の勾配をどうやって決めるか
12.屋根の形と街並みのデザイン
あとがき
図書情報:
発行年月 2007年10月30日
著 者 太田 邦夫
発行所 学芸出版社
サイズ A5版・175ページ
ISBN 978-4-7615-2415-9
いずれの章も刺激的なタイトルばかりで、多くの建築分野と関係している。建築と係わり生活している学生・社会人にとっては必読の書であり、また、建築を専門としない一般読者にもぜひご一読いただきたい著書である。文体は平易で、とても読みやすい。
[『世界の住まいにみる 工匠たちの技と知恵』刊行!]の続きを読む
- 2007/11/26(月) 01:25:31|
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近鉄から地下鉄経由で阪急に乗り継いだ。梅田から阪急宝塚線で6つめの駅が曽根。ここに豊中市アクア文化ホールがある。イョラン・セルシェルのリサイタル会場である。開演の5分前、なんとかわたしたちは会場にすべりこんだ。
開演前のステージに目をやると、椅子と譜面台がおいてある。まずアンプやマイクがないことに驚いた。数百人は収納できる大きなホールなのに、生の音だけで演奏を聴かせようというわけだ。クラシック・ギターの場合、野外でなければ完全な
アンプラグドが可能だということを知り、嬉しくなった。しかし、なぜ譜面台がおいてあるのだろう。プロの音楽家が暗譜していないはずはないのに・・・
まもなくステージがライトアップされ、蝶ネクタイを締めたセルシェルが11弦ギターをひっさげて姿をあらわした。みれば、ギターのボディの下側に小型のスピーカーのような器材がついている。やはりアンプラグドは無理なのか、というわたしの懸念はあっさり氷解する。セルシェルは椅子にこしかけ、その器材を左太腿の上にのせた。そうか、足踏台がない。セルシェルは足踏台の代わりに、ギターを持ち上げるフレームをつけてそれを太腿の上にのせたのだ。
静かに
11弦ギターの演奏が始まった。最初はJ.ダウランドの「来たれ深き眠りよ」他数曲のメドレー。曲が終わるたびに、セルシェルは立ってお辞儀をする。そのお辞儀が4回繰り返され、11弦ギターによる第1部が終了した。
あれっ? プログラムによると、第1部は7曲構成のはずだぞ。J.ダウランド→L.ミラン→A.ムダーラ→L.ナルバエス→L.ミラン→A.ムダーラ→J.S.バッハの7曲だろ。いつ7曲演ったのよ?? えっ、「11弦ギターによる初演」と書いてあるバッハの「シャコンヌ」はもう終わっちゃったのん???
クラシック音痴のわたしたちは、どの曲がミランで、どの曲がムダーラなのか分からないし、最後の曲が「シャコンヌ」だったのかどうかすら分からないのである。もっとも、同伴者はと言えば、隣の席ですやすやとよく眠っていたが(
上質の音楽は眠りを妨げない)。
ひとつはっきりしたことがある。セルシェルは一度も譜面台に触らなかった。譜面をみながら演奏したのは1曲だけだったということだろう。それは初演の「シャコンヌ」だったのだろうか(1月11日註:セルシェルをなんとタブ譜をみまがらシャコンヌを弾いたらしい)。
20分後、セルシェルは6弦ギターをもって再びステージにあらわれた。すでに譜面台は消えている。第2部のスタートは、お待ちかね、ビートルズの「アビーロード組曲」。「ヒア・カムズ・ザ・サン」(J.ハリソン)、「ビコーズ」(レノン&マッカートニー)、「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」(同)のメドレー。
いや、凄かった。もっと軽い、イージー・リスニング風の編曲だと思っていたのだが、いきなり「ヒア・カムズ・ザ・サン」からぶっ飛んでいる。『アビーロード』の「ヒア・カムズ・ザ・サン」ならわたしだって弾ける。全然、難しくない。この曲はDキーで、予想どおり、かの有名なイントロのメロディをそのまま使ってきたのだが、ポジションが全然違う。10フレットのDコードでスタート。以後、開放弦を巧みに使いながら、ハイポジションからローポジションまでコードとメロディとベースラインが超高速で動いていった。これが世界第一級のギタリストの編曲なんだ。
ビートルズに演奏が負けていない。ビートルズのメロディがきっちり聞こえてくる。そのメロディを活かした超絶技巧のアレンジに目を奪われた。続く2曲では人工ハーモニクスによるメロディラインやパーカッシブな奏法も聴かせてくれた。
[来たれ深き眠りよ(Ⅱ)]の続きを読む
- 2007/11/25(日) 03:37:42|
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近鉄電車の吊革広告でフライデーの記事が目に飛び込んできた。
オシム「脳梗塞までの全苦悩と次期監督」
さっそくキオスクでフライデーを買った。こんな雑誌に380円も払うなんてバカバカしいと思いながら、鳥取では
テレビもまともに映らないし、新聞もとっていないから、情報が集まってこない。自然と手がのびてしまった。
記事の内容は、ほとんどオシムの症状とは関係なく、日本サッカー協会に対する批判に集中している。要約すれば、
Kキャプテンのワンマン独裁があまりにひどいため、さまざまな弊害が生まれていて、オシムもその渦に巻き込まれ、ストレスを溜めて脳梗塞をひきおこしたという筋書きなのだが、これはどう考えてもおかしな論理ではないか。Kキャプテンのワンマン独裁については、さまざまなメディアが伝えるところであって、おそらく事実なのであろうが、それが脳梗塞の主因であるという根拠はどこにもない。某私学を例にとるならば、たしかにF学長のワンマン独裁に辟易する教員が少なくなく、大学を辞めてしまった教員までいるのは事実だが、かりにワンマン体制に批判的な一部の教員が脳梗塞で倒れたとしても、その病因は過労であったり、生来の高血圧であったりする可能性はもちろんあるわけだから、必ずしも独裁体制によるストレス過多が原因とは言えないであろう。
オシムが脳梗塞で倒れ、病院に運ばれたのは今月16日のこと。わたしは講演の準備に追われていて、何も知らなかった。教えてくれたのは家内である。電話口で彼女はとても心配そうにしていた。
「わたしが人のこと言うのはおかしいけれど・・・」
「監督の続行は絶望的だな・・・」
「そうなの?」
「長島監督と同じ病気だよ、アテネ五輪を放棄しただろ。」
「・・・・」
講演の準備をしながら、1年前のことを時おり思い浮かべていた。
11月10日(金)の記者発表から
18日(土)の記念講演にかけての1週間のできごとである。
じつは今年も心配だった。「文化の日」前後の連休を奈良で過ごしたあと鳥取に戻り、
11月7日(水)の記者発表を迎えた。そして、記者発表の直前に
18日(日)の講演をお受けする決断をした。2度の週末を鳥取で過ごさなければならない。昨年も、「しばらく戻れないよ」と言って奈良を離れた直後に彼女は倒れてしまった。
前期は毎週奈良に帰っていたが、後期からいちどだけ隔週の帰省を試してみた。「隔週が限度だ」と心に決めていたところに講演の依頼があり、家内に相談すると「講演してあげて」と言う。
果たして、何もおこらなかった。いや、オシムが倒れた。まさか家内の代わりに倒れたわけでもあるまいが。
オシム監督の早期のご恢復を心よりお祈り申し上げます。
- 2007/11/24(土) 02:01:01|
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ぐずついた天気から一転、昨日のお昼には青空が見えるほど良いお天気になりました。しかし、晴れても寒いものは寒い。加藤家の土間に入った瞬間、ひんやりと感じました。
1階の畳間で土器作りの仕上げ(プロジェクト研究1)がおこなわれていた加藤家のロフトで、大工さんたちとの座談会が開かれました。現在、研究室では加藤家住宅修復プロジェクトの一般向けパンフを編集中でして、その核となる座談会です。司会には県文化課の松本さんを迎えました。ほかに池田住研の社長と大工さん2名、先生、学生3名、そして遅れて登場した卒業生1名(タクオさん)の総勢9名が2台のリサイクルテーブルを囲みました。座談会は終始和やかな雰囲気で・・・と言いたいところですが、なかなか緊張がほぐれません。途中までは、皆さん真剣な顔つきのまま進んでいきました。
それでも、時間が経つにつれ笑顔を見せることが多くなり、いい話を聞くことが出来ました。まぁ、パンフレットに掲載するので詳しいことは言えませんが、ふふふ。最後には良いパンフを作るよう、先生から軽くプレッシャーも受けつつ・・・協力していただいた皆様に恥じないようなパンフレットを作るぞ!と改めて気合が入りました。(ヒラ)
- 2007/11/23(金) 16:08:24|
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今回は先週に引き続き加藤家で土器作りの作業です。先週、各々が魂を込めて、悪戦苦闘しながら、一生懸命、自由に、寒さと戦いつつ形作った土器がある程度乾いたので仕上げの作業を行いました。
道具は、自分たちで持ってきた"どんぐり"と、加藤家に置いていたはずだった"貝殻"の代わりに、急遽用意した"スプーン"を使いました。

まず、スプーンを使って土器の内側を削り、厚さを調節します。そして、どんぐりを使って側面をつるつる、すべすべにしました。手軽に無料で手に入るどんぐりがこんなに役に立つなんて・・・と少し感動しました。

先週に負けず劣らず加藤家は寒かったですが、新しく持ってきたストーブのおかげで大変快適に作業ができました。ストーブはやっぱり最高ですね。
今後は2週間ほど乾燥さした後、学校で野焼きをする予定です。(環境政策学科1年T.K)
[第8回 歩け、あるけ、アルケオロジー]の続きを読む
- 2007/11/23(金) 01:27:54|
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ようやく少しだけ一段落して、夕方研究室でぼんやりしていたところ、ドアをノックする音。「
北から来たの」さんでありました。ほんとうに北から来たような防寒具にくるまれていて、今年は冬の足音が速いのねん・・・ さっそく報告書3冊を渡しました。とりわけ
尾崎家の報告書は彼女の卒論を元にしたものだから、もっと早く郵送してあげたかったんだけど、なにぶん修正シールを貼り終えたのは昨夜のことでして、その点では、まさにドンピシャの来学でしたね。

さてさて、月末の「知の財産」シンポジウムまであと10日になりました。いろいろご質問等がメールで寄せられておりますので、ここに気づいた点をお知らせしておきます。
1.送迎とアクセス 列車で来鳥されるスピーカー&コメンテータのみなさんについては、もちろん11月30日(金)の午前11~12時に鳥取駅までわたしか学生がお迎えにあがります。今のところ、奈良のHさんが12時、松江のNさんが11時の到着だという知らせを受けております。他の出席者についても、もちろんお迎えにあがりますので、事務局までご連絡ください。
一方、車でご来場の方は下のアクセスマップをクリックしてご参照ください。

道に迷ったら、アクセスマップに示したファミリーマートからお電話いただければ、学生がお迎えにあがります。なお、駐車場についても学生が誘導いたします。
なおなお、夕方の懇親会および駐車場確保の関係上、できるだけ自家用車は乗り合いでご来場ください。一人1台でのご来場になりますと、楽しい懇親会でお酒が飲めなくなりますので。
2.懇親会費・資料代・弁当代 受付は12時からです。シンポジウムの参加者には資料を配付いたしますが、話題提供者・コメンテータ・司会者以外の参加者には資料代1,000円をお支払いいただきますので、ご了解ください。
29日夜の懇親会費は一律3,000円(→1,000円に修正です。
こちらをご参照ください)。30日の昼弁当代は実費を頂戴いたします。
3.宿泊 シュラフをご持参いただければ、加藤家に泊まれます。ロフトが暖かくて快適ですよ。また、寺町の我が家も空き部屋があります。現在、NさんとKさんの2名が寺町宿泊を希望されています。まだ、余裕ありますよん。
4.防寒具 ずいぶん寒くなってきました。加藤家は土間と畳間を開放にしていましたが、さすがにこの寒さでは耐えきれないだろうと、建具を通すことにしました。ストーブも3台用意しておきます。しかし、それでも夜間は冷えると思われます。是非とも、防寒具をご準備ください。女性の参加者は膝掛けとかマフラーなどが役にたつかもしれません。
では、次第の詳細(最新バージョン)を「続き」に掲載しておきます。
[もうすぐシンポジウム(第1報)]の続きを読む
- 2007/11/22(木) 00:04:49|
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どうですか、この迫力。イョラン・セルシェルの11弦ギターです。イエペスの10弦ギターより弦が1本多いんですからね。
えっ、どうなってるんかって。
んなこた、知りません。イエペスの7~10弦は低音域をカバーしたものだから、たぶんそれの改良型なんじゃないかと思うのですが、実際はどうなんだか全然知らない。
勤労感謝の日にセルシェルのコンサートがあるんですよ。当日券はまだ余っているようです。前にも書きましたが、セルシェルが11弦ギターでバッハ、6弦ギターでビートルズを聴かせてくれるんですよ!
聴かなきゃ損だぜ、ベイビー。
さてさて、わたしは11月のレッスン2回めをギブアップしてしまいました。ちょっと忙しすぎます、最近・・・
この前のレッスンでは、「バッハのニ短調とニ長調やっといてください」と言われまして、探したら「ニ長調」のほうが某楽譜集に含まれていました。正確に言うと、
無伴奏チェロ組曲第1番から プレリュード
だそうです。ギターよりも、ジョン・キングのウクレレ・バッハ曲集の1曲めの演奏がよく頭に残っていますね、わたしは。
そんなに難しい曲でもないように思えるんですが、やっぱり悪戦苦闘中。相変わらず左手の薬指が最大の欠陥でして、どうしても弾けないパートがすぐにでてきます。それでも、楽しい。エチュードなんか比べものにならない。エチュードはただ難しいだけで、音楽が楽しめない。だから、のめりこめない。その点、ヨークの「サンデーモーニング・オーバーキャスト」とか「マーリーズ・ゴースト」は何度弾いても楽しい。うまく弾けなくても楽しいから、何度でも挑戦したくなって、結果、何度も何度も弾いてしまう。
バッハもきっと楽しいだろう、ハマダバダ、じゃなかった、バッハッハッ・・・
- 2007/11/21(水) 00:18:10|
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深夜の郵便局夜間窓口でのデキゴトロジー。
わたしは緊急のUパックを出しに行ったんだけど、70歳代とおぼしき無精髭のおじさんが割り込んできた。そのおじさん、夜間窓口の職員に向かって、いきなり、
「これ、出して」
と言うのであります。(だれに出すの?)
「手紙書いたからな、天皇陛下に送りたい」
みれば、和紙に達者な書がしたためてあります。漢字やひらがなだけじゃない、英文まで筆と墨で書いていて、結構アートの芳りがするではないか。教養のある方なのかも、このおじさん。
しかし、それにしても不気味なので、いったんわたしは外に出た。路肩には軽トラが停まっている、駐車灯をチカチカさせて。
しばらくして、お客が続々やってきたのだが、おじさんは動かない。長蛇の列になってきた。
「封筒ぐらいあるやろ、郵便局なんやから、それで天皇陛下に送っといて、これ。わし、住所分からんし。」
「エクスパックの封筒だと500円ですが?」
「そんな、お金ない。一銭もない。」
「いや、それにしても、そのような大きな紙を入れる封筒はおいておりませんで、折り曲げてもよいのなら、エクスパックで送ることもできますが・・・」
「そんな折り曲げるなんって、もったいない。ちゃんと折れ目がつかんようにまるめてな、こういうふうに、それで送ってぇな・・・」
ようやく駅前交番のおまわりさんが二人あらわれた。しばらく観察しながら、
「おじちゃん、だれに手紙出すだ?」
「マサコさんや、ショーダマサコさん、救わなならんねん、マサコさんを。」
「そら送るのはええけど、封筒代も切手代もかかるんで。」
「あぁ、わし、300円ぐらいもっとるけな」
訊問をうけても、おじさんは窓口を動こうとしない。おまわりさんは後ろに並ぶ市民を気遣いながら、
「なぁ、おじちゃん、ちょっと別の場所に行こう、別の場所にな・・・」
「・・・」
ようやく、わたしの番がまわってきた。Uパックを投函してから、「因幡っこ」に寄って、エアポートが予約しておいた弁当を受け取って大学に戻ってきた。まだ弁当は暖かくて、良かった。

↑昨日の講演が記事になっていた。講演終了後さっさと消えてしまった女性記者の記事です。あっさりしてるわね・・・もう一人の記者さん(♂)は控室で30分ぐらい粘って取材したからね、きっとおもしろい記事を書いてくれるでしょう。
- 2007/11/20(火) 00:12:36|
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九州にいる祖父からの電話で、今日の鳥取は今年一番の冷え込みだったそうで。そんな全国的に鳥取県の寒さが報道されているこの頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
今日は青谷上寺地遺跡特別講演会に、スピーカーである先生のお供で行ってきました。ただ勉強しにひっついて来ただけなのに、講演担当の方達からお昼をいただいたり、コーヒーをだしていただいたりと、恐縮しっぱなしでした。お気遣いありがとうございました。とてもおいしかったです。青谷町総合支所2階の講演会場には、雨が降ったりやんだりの悪天候にもかかわらず50名余りの方が席についておられました。また、新聞社の記者さんも2名来ていました。

講演のタイトルは、すでに
お知らせしたとおり、
・弥生時代「最長の垂木」をめぐって
-山陰地方の大型掘立柱建物-
でして、以下の3つの内容にわけて先生はスピーチされました。
1.山陰地方の大型掘立柱建物跡
2.弥生時代「最長の垂木」の発見と大型建物の復元
3.「最長の垂木」による弥生建築復元の意義
7日の
記者発表と異なるのは、「1.山陰地方の大型掘立柱建物跡」の部分でして、鳥取・島根の代表的な弥生時代掘立柱建物跡を類型別に整理し、その復元成果等を述べられた上で、今回の復元研究について語るという筋書きです。講演内容を詳しく書いてしまうと、
月末に開催されるシンポジウムのネタばらしになりかねないのでここでは省略しますが、わたしが印象に残ったのは、垂木1本で建物のおおよその梁間が推定できてしまうということです。梁間がわかるということはだいたいの建物規模が推定でき、ここからは私の勝手な推測ですが、今後発掘調査や部材の整理・分析を進めていく上での重要な指針になるのではないかと思いました。

↑熱心な記者さんの質問に答える先生
[チャックの青谷問答記 Final -垂木と遺構と発掘と]の続きを読む
- 2007/11/19(月) 00:36:10|
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六弦倶楽部第4回練習会では、デジカメ以外にニコンF4でも撮影しており、昨日ようやくそのプリントとCDデータを手にしました。なぜこんなに時間がかかるのかというと、ポジ・フィルムが1本混じっていたためです。ポジの場合、鳥取県内に現像できる所はなく、松江までフィルムを送るんですね。往復で4~5日はかかります。
今日の写真データはすべてF4で撮影したものであり、サムネイルで掲載した画像は解像度をあげていますので、参加者のみなさま、どうぞダウンロードしてください。
今日は、わたしの演奏曲目について紹介します。わたしはクジで10番があたりました。大トリであります。じつは前回もトリだったんですね。クジでは大トリだったんですが、遅れてきた方がいてブービーでした。演奏もブービーでしたね、緊張してすべってしまいました。
今回演奏したのは、以下の3曲です。
1.オハイオ Ohio [ヴォーカル付]
ニール・ヤングはダブルDドロップ・チューニングの使い手としてよく知られている。たぶんペンタングルのバート・ヤンシュあたりから影響を受けたものであろう。
ニールのダブルDドロップと言えば、「ドント・レット・イット・ブリング・ユー・ダウン」と「オハイオ」がまず思い浮かぶ。今回挑んだ「オハイオ」は「サザンマン」や「アラバマ」と並ぶ政治色の強いプロテストソング。キーはDm。1弦と6弦をDに下げてのDmは共鳴音がすばらしく、一転Cコードをレギュラー・チューニングの押さえ方で奏でると、強烈なCadd9の不協和音に早変わりする。このアンバランスな反復がなんともたまらない。
「オハイオ」はアコースティック・ギター1本のコードストロークによるニールのソロも素晴らしいが、CSN&Yのライブ『4ウェイ・ストリート』でのエレキバンド・バージョンも捨てがたい魅力をもっている。今回のわたしの演奏は、基本的にニールのソロをベースとしながら、CSN&Yでスティヴン・スティルスが弾くリードパートをイントロと間奏に取りこんだ(ガロの「学生街の喫茶店」のイントロはこのリードをぱくったフレーズです)。当然、リードだけ弾いているわけにはいかないから、6弦開放(D)と4弦開放(D)のオルタネイティブ・ベースを右手親指で刻み、リードを際だたせた。もちろんピックは使わない。要するに、3フィンガーでの「オハイオ」なのだが、ミュートを効かしたピックによるニールのコード・ストロークの雰囲気をなんとか残そうと、人差指・中指・薬指の爪全体で1~3弦を叩くようにした。ギターはHeadway。小さいがよく響く。
今回はともかくボーカルを最初にもってきて大声を出せば、少しは緊張がほぐれるだろうと思っていたのだが、よく考えてみれば、スティルスのリードは決して楽ではないからだんだん心配になってきて・・・・果たして一部よれよれ状態に・・・でも、ストップはなし。
2.メドレー:やさしく歌って~ミッシェル [インストルメンタル]
Medley:Killing Me Softly with His Song ~ Michelle この夏にベトナムから買って帰ってきたCD『ギターラ』は、1970~80年代の大ヒット曲をあつめたギター・インスト・イージー・リスニングの掘り出し物。結構ながいあいだスウィフトの6連奏チェンジャーに納まっていた。9月の中国縦貫道でよく聴いたのだが、なかでもロバータ・フラックのグラミー賞受賞曲「やさしく歌って」が抜群に心地よく、これをなんとかギター1本で弾きたいと強く思うようになった。しかし、楽譜がなかなか手に入らない。やっと見つけた楽譜はピアノ・ソロのアレンジ譜でA♭キーだった。それからネットを彷徨していて、岡崎倫典さんの古い楽譜集に出くわした。そのなかに「やさしく歌って」が入っていて、ヤッたと思い、アマゾンで検索をかけたところ、在庫1点が確認されたのだが、すでに絶版になっていて中古本の値段は1万円以上に跳ね上がっている。でもね、買ったんですよ。どうしても弾きたかったから。それで楽譜が届いたんですが、ちょっと簡単すぎて拍子抜けしちゃった。これじゃ人前でやれない・・・てことで、ジャズっぽいアレンジのピアノ譜をGキーに移調して参照しながら、自分でアレンジしていった。そうそう、フュージーズというヒップホップ系のバンドがこのバラードをカバーしていて、じつにしっとり聴かせてくれるんです。あれも参考にしました。ギターはここからホセ・アントニオに。室内ではよく響く。

「やさしく歌って」はさすがグラミー賞の曲だけあって、素晴らしいコード進行をしているんですが、少し短いので、間奏のつもりでビートルズの「ミッシェル」を中間に挿入。アレンジは関口祐二さんです。この「ミッシェル」はAキーでして、学祭の「
ビートルズ・イン・G」に続き、「フール・オン・ザ・ヒル」「サムシング」と組み合わせた「ビートルズ・イン・A」を構想してたんですが、「やさしく歌って」との相性が思いのほかよく、こちらで使ってしまいました。もちろん「ミッシェル」のメロディとコード進行も抜群でして、こういう曲には余計な細工は要らないですね。このメドレーでは、「ミッシェル」で少しつまづいたんだけど、とりあえずストップなし。
さて、みなさん「やさしく歌って」の原題 Killing Me Softly・・・について、いろいろお考えになったことあるんじゃないですか。そのまま訳すと「やさしく殺して」ですからねぇ、えらく艶っぽい、というか、悩ましいと感じられた方も少なくないのでは?? しかし、英和辞書を調べてみると、killには「(人を)甘やかす」だとか、「(人を痛み・疲労・魅了・失望・笑いなどで)参らせる」という意味があるようです。だから、「やさしく歌って」は名訳なんですよ。Killing Me Softly with His Song の訳として、これ以上のものはないんじゃないかな。
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- 2007/11/18(日) 00:06:16|
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報告書
3冊シリーズの最後の1冊『尾崎家住宅―建造物調査報告書―』が印刷会社から届いたのは1週間以上前のことです。それから先生がざっと読んでみられたんですが、文法上おかしなところを発見されました。印刷会社の社長さんと協議の結果、誤植修正用のシールを貼ることになり、昨日そのシールが届きました。
このシールを貼れば、みなさまにこの報告書をお届けできます。たぶん作業は来週早々になるでしょう。いましばらくお待ちください。
さて、話が前後しますが、本書は湯梨浜町教育委員会が浅川研究室に委託した尾崎家住宅建造物の調査研究に係わる成果報告書です。元原稿は今春卒業した北野紗恵さんの卒業論文「尾崎家住宅の建造物と屋敷景観の復原―湯梨浜町宇野の古民家調査―」です。巻末附録には、宮本正崇さん(一昨年度の卒業生)の卒業制作「Join Hands ―湯梨浜町 尾崎家住宅の保全再生計画―」が含まれています。
以下が目次です。↓

何度かお知らせしてきましたが、この報告書は編集から校正にかけてトラブルの連続でした。いちばん早くから編集が始まったにも拘わらず、搬入は最後の最後ですからね。校正だけでも9回繰り返して、搬入後には修正シールですから。先生が「
呪われている」とこぼされていたのも肯けます。
お世話になり、またご迷惑をおかけした、市教委のSさん、県教委のIさん、県史編さん室のSさんには、この場を借りてお詫びし、御礼申し上げます。(エアポート)
- 2007/11/17(土) 00:05:10|
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今日は朝10時から土器班2人・4年生3人・講師のKさんは加藤家で土器作りをする予定になっていた。
・・・・・が、しかし! 待ち合わせ場所で「男のティラミス」と「弥生のタコ」は待ったが、10時過ぎても誰か来る気配はまったくない! 「もしかしてはめられた!?」そんな不安が彼女たちの脳裏をよぎった。
そして待つこと45分。ようやく迎えが! どうやら彼女たちはもう現場に到着していると思われていたらしい・・・。

ようやく全員加藤家に到着!! さあ、土器作りの準備の始まりだ!
まずは、みんなでひたすら粘土と砂を混ぜ合わせこねる作業だ! ノルマは1人4kg!死ぬ気でこねろ!!
粘土をこね続けること約1時間半! ようやく20kgの粘土すべてがこね終わった。ここでみんなで昼食タイム♪Kさん、お蕎麦ごちそうさまでした♪♪ 大盛りごちそうさまでした♪ (男のティラミス)

お腹も満たされたところで、加藤家に戻っていよいよ土器の形作りだ!
☆土器作りの感想☆
・慣れるまでにかなり時間がかかった・・・。
・Kさん!支持は早くしてください!!
・土器が広がる~!
・土器が倒れる~!
・土器が潰れる~!
・穴が開く~!
などなど・・・・・とにかく大変だった★★
そして3時ごろ残りのメンバーが合流!みんな自由に作り始めた!
男のティラミスと弥生のタコも本能のままに作り始めた!!
最終的に35点のすばらしい作品が完成した☆

☆今日の発見☆
KさんはM派だった!! (弥生のタコ)
[第7回 歩け、あるけ、アルケオロジー☆:大盛り]の続きを読む
- 2007/11/16(金) 00:36:50|
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若者たち
「六弦倶楽部」の第4回練習会に参加された会員のみなさんから、ブログのコメントや「拍手」のコメント、あるいはメールを通じて、練習会に参加した学生諸君に対するお誉めの言葉を頂戴しています。いや、ほんとうにみんな献身的によく動いてくれました。
環境大学の学生がみなこうかと言えば、そんなことはありえないんですが、ありがたいことに、わたしのまわりにはこういう若者が何名か集まっています。ところがですね、今だから話せるんだけれども、前期のプロジェクト研究1&3「アトリエを作ろう」に集まった学生諸君(1・2年生)の約半数には、おおいに困惑させられました。残念ながら前期は失望の連続・・・・結果、わたしは後期に1・2年生による加藤家住宅プロジェクトを断念し、「歩け、あるけ、アルケオロージー」プロジェクトをスタートさせたんです。幸か不幸か、この方針転換に手応えを感じているんですがね。

ただ、加藤家の修復活動が終わったわけではありませんよ。1・2年生の方針転換とは無関係に、3・4年生はいまでも加藤家住宅でのプロジェクトを続けています。今年は内装と外構がメインで、現在、ロフトにあがる足場階段(解体可能)の発注、裏木戸の設計を進めており、寒くなってきましたが、またぼちぼち工事を進めなければなりません。
また、今年度の大きなテーマは「活用」です。「六弦倶楽部」練習会、「知の財産」シンポジウム、そしてまもなく始まる「弥生土器づくり」などはすべて加藤家住宅活用の一環であります。
それにしても、「六弦倶楽部」の練習会では、SCATSさんほか数名から「寒い、寒い」の連呼が聞こえてきました。わたし自身は金曜夜の練習時に寒さを体感していたので、土日は厚着して出かけたから、そう寒くは感じませんでした。しかし、たしかにあの民家は寒い。いちばんの原因は、土間・床間の境にはめ込まれていた建具を外していることです。ここに板障子を戻せば、土間と居室が区切られて温室効果はずっと高くなるはずです。ただし、元の建具が素直に納まってくれるのかどうか。なにぶん傾斜した柱を垂直に近い状態に戻しているので、敷居-鴨居間の内法(うちのり)寸法が変わってしまいました。古い傾いた建具が嵌らないかもしれないのです。まぁ、これは近々に試してみましょう。

週末の練習会に駆けつけてくれたゼミ生は6名。ただし、トマトさんはお祖父さんがお亡くなりになり、土曜の午後、急遽帰宅しました。ゼミ生以外では、ブラバンの女子4名、ストリート・ミュージシャンの足立くん、低音の魅力で観客をうならせたカメちん。以上6名はいずれも環境デザイン学科の所属。もう一人、前夜祭で場を盛り上げてくれたO君はチャックの友人で、環境政策学科の所属。みんな素晴らしい若者たちです。プレイする側の学生も夕食の準備を手伝ってくれたし、ほぼ完全に裏方に徹したエアポート、部長、ケンぼーもボーカルや打楽器でパフォーマンスに加わってくれました。
一昨日、話題にとりあげた「おじさん」たちは、夜と昼で180度姿を変えてしまいましたが、若者たちはマイペース。普段通り歌をうたい、普段通りの演奏を聴かせてくれました。とくに場慣れしているのは、ストリート・ミュージシャンの足立くんで、「ルーム・キャット・ブルース」から始まったオリジナル3曲はなかなか聴き応えがありましたよ。かれが、これからどういう途を歩むのか陰ながら見守っていたいと思います。

ブラバンの4名も慣れたものです。ともかく彼女たちは楽譜に強い。楽譜さえあれば、ちゃんとした演奏ができる。1曲めは
学祭で披露した時代劇テーマソング・メドレーから「大岡越前」と「暴れん坊将軍」の2曲を抜粋。テナー・サックス、アルト・サックス、チューバのアンサンブルにカホーンを加えて、おじさんたちの目と耳を引きつけました。2曲めはブラバン4名に部長(リード・ボーカル)、ハルさん(ウクレレ&ボーカル)、カメちん(ギター&ボーカル)、そしてわたし(エレガット)が加わり、総勢8名で「花嫁」。あらかじめブラバンには楽譜をわたし、イントロ&間奏のフレーズも指示しておきました。前夜祭で音あわせをしたんですが、わずか3回でどんぴしゃ。完璧です。心配していたハルさんも、ちゃんとウクレレでコード・ストロークができるようになっていました。カメチンは初見でコード・ストロークをマスター。心配だったのはボーカルですが、部長ががんばって大きな声をだしてくれました。大成功だったんじゃないかな。ちなみに、わたしがエレガットを使った理由は単純でして、ブラスの音に負けてはいけないと思ったからです。
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- 2007/11/15(木) 00:23:22|
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週末の疲れもなんのその、というほどでもないですが、今日も研究室はフル稼働しています。一生懸命はとても良いことですが、皆さん、特に先生は体調にじゅうぶん気をつけてくださいね。
さて、少々遅くなりましたが「最長の垂木」についての新聞各社記事です。以下に掲載します。

↑毎日新聞

↑読売新聞

↑中国新聞(共同通信配信)

↑千葉日報(共同通信配信)

↑山陰中央新報

↑日本海新聞
他に、山陽新聞や徳島新聞などが共同通信配信の記事を掲載していたようです。この報道に関連して、今週末の18日(日)に青谷町総合支所2階多目的ホールで
特別講演がおこなわれます。ご来場を心よりお待ち申し上げております。(チャック)
[弥生時代「最長の垂木」報道]の続きを読む
- 2007/11/14(水) 00:10:26|
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「おじさん」という生き物
10日の前夜祭は24時をまわって日付が変わり、いよいよ25時も過ぎようかという時間になって、わたしと学生たちは加藤家を引き上げ帰宅して眠りについた。本来ならば、主催側のおじさんであるわたしは加藤家に残り、六弦倶楽部のメンバーとともに加藤家に宿泊しなければならないはずなのだが、引っ越し騒動後のドタバタでついにシュラフ(寝袋)がみつからず、記者発表の疲れもたんまりと残っていて、体調不良を感じていたものだから、平身低頭し帰宅させていただいた。おかげで、11日は体調が上向きになっていた。

↑米子のエーチャン(キヨシさん)のシャウト ↓お馴染みディランさんの「アイ・シャル・ビー・リリースト」

それにしても、前夜祭でのおじさんたちのヒートアップは凄まじいものであった。我もわれもと仮設ステージに殺到して得意な歌を熱唱し、即興のインスト風ギグもジャガジャガ続いてとどまるところを知らない。
帰宅する前に玄関でエアポートが呟くのです。
「なんで、あんな元気なの・・・」
ったくその通りで、あのままお付き合いしていたら、完全にわたしの体はパンクしていたことでしょう。

それが、ですね。本番になると豹変するのです。なんで、みんなこんなに気が小さいのん?・・・いったい何にびびっとるん??
若者たちはみなそう感じていたでしょう。
ソロででようが、デュオででようが、みんなアガッりっぱなし。わたしのみた限りでは、いちばんアガッていなかったのはディランさんかな・・・次がキヨシさん・・・前夜、猛烈にヒートアップしていたチェリーさんは、得意のタクローの歌でストップしちゃったもんね。「もうやめた」って。
それにしてもチェリーさんの依頼にはびっくりしましたね。本番開始1時間前に「(マンドリンで)あわせてください」て言うんだもの。たぶん、「ホーボーズ・ララバイ」の練習をしているディランさんとわたしをみて、そう思ったのでしょうね。曲名は知らないけど、タクローの「バイ・バイ・ラ~ブ」というサビの曲でした(↑)。
1回も練習しないでいきなり本番ですからね。でもまぁ、1番を聞いたら曲を思い出して、なんとか歌についていけました。余計な一言とは承知のすけですが、ステージで隣に坐るとすごく酒臭いのね・・・いったいどれだけ飲んだですかね、前の晩に。

技術的なことを少しコメントしておきますと、3コードの短い曲ながら「ホーボーズ・ララバイ」のほうが伴奏が難しかったですね(↑)。とくにDキーというのはしんどかった。A7が使いづらいんです。3コードであれだけ綺麗なメロディになっているのは、それだけ音が動いているということで、間奏ではびびってしまいました。ともかくいい曲ですね。

さてさて、インスト組ですが、わたしを含めて、やっぱりみんなダメね。完全に指が凍っています。フリーズです。みんな自分の家で練習している時はもっと弾けるのにね・・・前夜の面影もなく、シュンと小さくなっちゃって、・・・これ以上言うのはやめましょうかね。
捲土重来、いつの日か。
- 2007/11/13(火) 03:19:43|
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数時間前に第4回六弦倶楽部練習会が終わりました。13:00から全10組が、緊張と格闘しながら思い思いの楽器を手に腕前を披露しました。今日の参加者は学生が10名、おじさんが10名の計20名で、さらに某準教授ご一家、某助教ご夫妻、ホテル松本さんカップルが入れ替わり立ち替わりいらっしゃいました。昨日から加藤家に足を運ばれた方は総勢28名にもなりました。
みなさん、ありがとうございます。お疲れさまでした。
朝からの快晴に一同晴れ晴れと記念撮影したのも束の間、演奏中には暴風のため強風でガラス戸が倒れたり、イロリで焼いていた秋刀魚が燃え上がったり、いろいろアクシデントもありましたが、皆で音楽を楽しむことができました。
写真につきましては、ニコンF4できっちり撮影していますが、ポジ・フィルムの現像とCD化に少し時間がかかります。以下、手ぶれや暗い写真ばかりですが、とりあえずデジカメ写真で速報をお伝えします。
なお、会の全体については、六弦倶楽部のブログにたくさんの写真が掲載されておりますので、こちらは環境大学関係者のの写真を優先させていただきました。倶楽部会員のみなさま、すいません!
会の詳細は教授が何回かに分けて連載されるそうです。(チャック)

↑お庭で練習するギターデュオ「マコロク」 ↓「ホーボーズ・ララバイ」(ディランさんと教授)


↑ブラバン・カルテットの「時代劇テーマ曲メドレー」 ↓「花嫁」です!


↑「自転車に乗って」 ↓「銭がなけりゃ」
[本番速報! 六弦倶楽部第4回練習会]の続きを読む
- 2007/11/12(月) 00:06:03|
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現在なお前夜祭が続いております。今夜はおじさん7人と学生12人が参加しました。
おもに本番発表曲の音あわせが中心でしたが、ストリート・ミュージシャンの足立くんは日曜日にべつのイベントに参加のため、オリジナル曲を3曲披露してくれました。
以下、写真での速報です。

↑オリジナル曲を披露する足立くん ↓カメちんも加わってデュエット。

[前夜祭速報! 六弦倶楽部第4回練習会]の続きを読む
- 2007/11/11(日) 00:54:57|
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「六弦倶楽部」第4回練習会の前夜祭が今日の夕方に迫ってきました。わたしは昨夕、駅前の楽器屋さんで5回めのレッスンをうけまして(最近難しくなってきてアップアップの浮輪状態です)、そのあとチャック&ハルさんと加藤家で合流。かれらのパフォーマンスを指導してきました。昨日はわたしがベースでサポートしましたが、本番はもう少しおもしろくなりそうです。どうかご期待ください(前夜祭については、加藤家のパソコンからライブ・ブログをお伝えする予定です)。
なお、11月初旬の民家の夜はやはり寒いです(ロフトは暖かくて快適です!)。参加者の皆様は厚着でお越しください。
それは、さておき、今日は講演会のお知らせです。先日の記者発表で話題となった「弥生時代「最長の垂木」」ほか復元CGの関係部材が青谷上寺地遺跡展示館で11月8日(木)から来年1月14日まで展示されます。その展示期間中の11月18日午後1時半より、以下の演題で講演することになりました。
・弥生時代「最長の垂木」をめぐって
-山陰地方の大型掘立柱建物-
会場は青谷町総合支所2階多目的ホールです。詳細は以下のチラシを拡大してご覧ください。
- 2007/11/10(土) 01:57:16|
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プロジェクト研究2&4の第6回「歩け、あるけ、アルケオロジー」では先週に引き続き一週間の成果の発表をしました。「衣」班(わたし一人です)は青谷上寺地遺跡展示館でかご編みと勾玉作りの体験をしてきたので、かご編みと勾玉作りの方法について発表しました。「食」班は弥生時代の火起こしの方法についてを調べてきて発表しました。キリモミ式という方法で、人の手で回す一番初期のタイプについてでした。「土器作り」班は実際に土器を作っていて、その試作品の展示と土器作りの実演をしました。
その後、鳥取埋蔵文化センター技師のK先生がいらっしゃって土器作りについて教えてくださいました。土器作り班の発表とまた少し違っていて、土器の底部を作った後に積み上げる粘土紐は結構太いものでした。この紐が細いと大きな土器は作れないそうです。また、形を作った後に板や貝でなでると文様がつき、少し乾いてから石などで表面を磨くとピカピカになるそうです。今日の発表で各班の方向性が少しは見えたと思います。まだこれから調べて計画していかなければどうにもなりませんが、頑張っていきたいと思います。K先生、お忙しい中、実演とスピーチ、ありがとうございました。来週もよろしくお願いします。
来週のお知らせ 来週はK先生に教えていただきながら、加藤家住宅で土器作りを行う予定です。時間は粘土練り班の1年2名、4年2名とK先生が10:00に大学ロータリー集合で加藤家に出発します。それ以外の人は14:40に13講義室集合、即出発して加藤家板間で土器作りを始めます。
材料のうち、
野焼陶土30㎏、砂3㎏、回転台数点、板切れ15枚、貝殻、たこ糸、どんぐりを1年で用意します。そのほか
ボロ雑巾は参加者が1人1枚持参お願いします。あとは使わなくなった櫛や歯ブラシなど文様をつけるのに使えそうなものがあれば色々持ってきてください。(環境政策学科1年T.I)
- 2007/11/09(金) 00:06:09|
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昨日13時30分よりおこなわれた記者発表に同席させていただきました。朝お会いした先生は連日の激務でお疲れのようすでしたが、時間になるとピッと空気を入れかえ、記者さんたちに今回の復元の重要性を説明していらっしゃいました。

↑実物を見せながらの説明
15時30分に会場をあとにした先生は帰学後、今度は会議室に3時間こもっていらっしゃいました。何か重要な案件だったらしく、会議終了後の先生は空気の抜けた浮き輪のように疲れきっていました。

↑写真撮影
そんな中、私とMr.エアポート、某大学院生を夕飯に誘ってくださいました。お疲れのところ、ありがとうございました。週末には
六弦倶楽部の練習会があります。今夜はゆっくり休んでくださいね。お疲れさまでした。(チャック)
[空気の抜けた浮き輪のように・・・]の続きを読む
- 2007/11/08(木) 00:23:39|
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24時となりましたので、配信サービスを終了いたします。今後は解像度を下げての掲載となりますのでご了承ください。
以下、その構造形式とCG画像です。
復元建物1:山陰土着型
梁間総長(東西とも):384㎝
桁行柱間総長(南北とも):812㎝
屋根:杉皮葺き
屋根勾配:44°
戸口:正背面の端間2ヶ所(計4ヶ所)

↑骨組

↑全景パース
復元建物2:山陰・近畿融合型
梁間総長(東西とも):384㎝
桁行柱間総長(南北とも):996.4㎝
屋根:茅葺き
屋根勾配:52°
戸口:正背面の端間1ヶ所(計2ヶ所)

↑骨組

↑全景パース
なお、CG画像をご使用の際は、必ず以下のクレジットをつけるようにしてください。
CG制作:鳥取環境大学 浅川滋男研究室
協力:(株)アイネックス
- 2007/11/08(木) 00:00:24|
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ようやくすべての復元CGがそろいました。いま大判の紙焼きを作成中です。明日の記者発表では、A1サイズの紙にプリントした復元CGが会場を飾るわけです。とりあえず、ほっとしました。
連載を終えるにあたり、当然のことながら、今回の「最長の垂木」による弥生建築復元の意義を整理しておかなければなりません。
1.「最長の垂木」の意義 「日本全国で出土した弥生時代の垂木のうちほぼ完全な形状を残す最長の材」を確認したこと自体に大きな意義を認めることができます。これまでは長さ2.5m前後の垂木がしばしば完形で発見され、長さ2.5m程度の梁材と複合する高床倉庫の部材とみなされてきました。これより長い垂木としては、岡山市津島遺跡で出土した長さ3.1mの材がこれまで最長のものでした。長さ3m前後の垂木というのは中途半端でして、梁間寸法が3m前後に復元されるため、高床倉庫の材なのか、別の機能をもつ掘立柱建物の材なのか判別し難い憾みがあったのです。
しかし、今回確認された垂木の寸法は約4mであり、梁間は4m前後に復元されます。しかも、この梁間寸法に近似する長さ4.1mの梁と妻壁板(最下段)もみつかっています。梁間4mの建物は一般的な高床倉庫とは考えられません。いわゆる大型掘立柱建物を構成する部材の一部であることは間違いないでしょう。言い換えるばらば、「大型建物を構成する完形の垂木材を初めて発見した」ことになります。
これと関連して、さらに注目していただきたいのは、残存長133cmながら、直径9cmの太い垂木材を確認できたことです。径の比率からみて、この材が5.5~6.0mの長さをもつ垂木であり、さらに大きな建物の構成材である可能性はきわめて高いでしょう。
2.「大型建物」としての復元建物の位置づけ これまで山陰地方で発見された掘立柱建物のなかで最大規模の遺構は長山馬籠遺跡SB08でして、身舎部分の梁間総長は約5m、桁行総長は約12.8mです。また、今回復元のモデルとした茶畑第1遺跡掘立柱建物12は梁間総長が約5m、桁行総長が12.5~12.8mです。両者はほぼ同規模であることが分かりますが、梁間の寸法比(5:4)から、「最長の垂木」を構成材とする復元建物は茶畑第1遺跡掘立柱建物12の規模を80%まで縮小した平面と仮定しました。
今回復元した二つの建物の桁行総長は8~10mですが、青谷上寺地では長さ5mの桁材(片側は切断)が出土しており、これを左右対称に繋ぎあわせれば10m以上の長さを確保できます。10m以上の桁材が出土しているわけではありませんが、桁や棟木を繋ぎあわせる技術は確認できています。ですから、桁行8~10mは不可能な寸法ではありません。梁間約4m×桁行8~10mであるとすれば、「最長の垂木」をもつ復元建物の面積は30~40㎡となります。
ところで、山陰地方の掘立柱建物では50㎡を超える遺構がごく少数存在しますが、他の大半の遺構は30㎡未満です。したがって、今回復元した「最長の垂木」をもつ建物はやはり「大型」に属するものとみなせるでしょう。そして、ここでも注目せざるをえないのは最大径をもつ垂木(直径9cm)であり、部材比率から割り出される梁間総長(5.5~6.0m)からみて、青谷上寺地には長山馬籠遺跡SB08や茶畑第1遺跡掘立柱建物12を凌ぐ大型建物が存在した可能性が想定されることです。今後の中心域での発掘調査がおおいに期待される所以です。
3.弥生建築の「文法」復元をめざして 今回の復元作業は「最長の垂木」に焦点をあてながらも、建物全体の構造にできるだけ青谷上寺地出土の材を使うことを目的としていました。昨年の
「楼観」講演でも述べましたように、わたしたちの目的は7000点を超える青谷上寺地の建築部材から弥生建築の「文法」に接近することです。
昨年の「楼観」復元のときもそうでしたが、今回もまた100%に近い部材を青谷上寺地出土の材で構成することに成功しました。一つの遺跡からでた建築部材だけで、1棟の大型建物が復元できるということ自体、大変意義深いことです。また、些細なことではありますが、杉皮葺きの弥生建築復元も日本で最初の試みです。
ともかく、これだけの実証性をもって復元された弥生時代の大型建物は日本全国どこにも存在しません。弥生集落遺跡の代名詞と言われる唐古・鍵、吉野ヶ里、池上曽根などの大遺跡の復元においても、すべての復元建物が「推定復元」の域をでないものです。
一方、青谷上寺地遺跡では、精度の高い実証的復元研究がこうして積み重ねられてきています。それは弥生時代建築のイメージを一新する研究であり、復元建築の研究史に新たな一歩を刻みこむものであると同時に、弥生建築の「文法」復元にわずかなりとも踏み込んでいく成果だと自負しています。
付記: 今回の復元研究は、2007年度の<とっとり「知の財産」活用推進事業>に採択された「
山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究」の成果の一部をなすものであり、11月31日・12月1日に加藤家住宅で開催されるシンポジウム「
弥生建築の実証的復元はどこまで可能か」の主要テーマとなるものです。(完)
- 2007/11/07(水) 00:18:39|
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小沢代表(民主党)の辞任記者会見のおかげで、わたしたちの記者発表が吹き飛ばれそうな今日このごろですが、さきほど丁寧かつ長文のご質問を某メディアから頂戴し、その回答を書き終えたところです。結構、疲れましたね・・・
さて、毎度同じことを前書きしなければなりません。11月7日(水)午後1時半からおこなう
記者発表「青谷上寺地遺跡出土建築部材の調査研究で得られた知見について」に関する第3報をお届けしますが、
報道の解禁は7日の記者発表後ですので、厳守!お願いします。
今日は角柱についてお話します。
8月の部材検討会では、2本の角柱が陳列されました。昨年話題を集めた「弥生時代最長の柱」をはじめとする丸柱は一般的に劣化が激しく、風蝕・腐食・炭化などで表面が黒ずんでいますが、角柱の保存状態は良好で、そのテクスチュア(表面仕上げ)の美しさに出席者からため息がこぼれるほどでした。
陳列された角柱は以下の2本でした。いずれもネット上で公開されています。
・断面13×10.5cm 残存長323cm(弥生中期中葉~後葉)
・断面9×9cm、残存長207cm(弥生中期後葉)
いずれの材も上端に輪薙込(わなぎこみ)の仕口を備えており、下側は切断されています。角柱の出土も全国的にきわめて珍しいものです。2005年に小矢部市教育委員会が刊行した『出土建築材資料集』をみても、上端に輪薙込をもつ角柱は4点しか報告されていません。最長のものは静岡県瀬名遺跡で出土した長さ359cmの材(弥生中期)ですが、断面をみると、15.5×5cmの板状の材であることが分かります。他の材の残存長は短いものばかりです。
したがって、青谷上寺地で出土した2本の角柱は、本格的な正方形もしくは長方形の断面をもち、しかも上端に輪薙込仕口を備える日本有数の角柱と言うことができるでしょう。
今回、これを大型建物の戸柱として位置づけることにしました。戸口は建物妻面の端間に設け、一方の戸柱となる隅柱を正方形断面、隅柱から1mほど離れた位置にたつもうひとつの戸柱を長方形断面にしました。寸法は出土部材のそれをそのまま採用したわけではありません。正方形断面の隅柱を大きく、他方の戸柱を小さくしています。
じつは、この戸柱に複合しうる蹴放(ケハナシ)もしくはマグサとなる材を2点確認しています。扉板の下にある材をケハナシ、上にある材をマグサと言います。青谷のケハナシは完全な姿をとどめてるわけではありませんが、両端の角柱にはめ込む仕口をもっており、さらに扉板両側の方立(ほうだて)を納めるシャクリ溝や扉の軸受け穴も備えています。一般にケハナシやマグサは板状の材が多いのですが、青谷上寺地の材は縦長の長方形断面をしており、方立や軸の受け方も特殊なもので注目されます。このケハナシ、マグサが角柱と複合しているのはあきらかでして、今回の大型建物の復元に採用してみたのです。
こういう戸口の復元は高床倉庫で何例か試みられてきましたが、平地土間式の大型建物ではなかなか採用するのが難しく、わたし自身これまでの復元では、突き上げ戸や取り外し戸で誤魔化してきました。今回は、幸運にも、角柱と戸口の材に恵まれ、本格的な片開戸が復元でき喜んでいます。(続)
- 2007/11/06(火) 01:03:53|
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11月7日(水)午後1時半からおこなう
記者発表「青谷上寺地遺跡出土建築部材の調査研究で得られた知見について」に関する第2報をお届けします。報道の
解禁は7日の記者発表後ですので、厳守!お願いします。
今回確認された角垂木と丸垂木の長さは4m弱です。それを屋根勾配45度として想定すると梁間が4m前後に復元されることを昨日述べました。
ところで、青谷上寺地遺跡では、垂木のようにみえるけれども、そうであるかどうかわからない長い材が出土しています。長さは約5mを測ります。一方の端部には刳形を施しており、いかにも垂木のようにみえますが、青谷上寺地で出土する垂木材両端の加工とは異なっています。他方の端部は切断されており、当初さらに長かったことは間違いありません。長い角材であり注目されるのですが、今回テーマとなる「完形として最長の垂木」よりも細くて平べったい断面をしています。通常、長くなればなるほど断面は大きくなるはずですが、「完形として最長の垂木」よりも細い材であり、この材が「垂木」である可能性は低いのではないかと思っています。
一方、青谷上寺地で出土した最大径をもつ垂木材に注目せざるをえません。それは一方の端部を残した垂木で、残存長133cm、直径9cmを測ります。「完形として最長の丸垂木」の寸法が長さ388.5cm、直径6cmですので、径を比較すると、最大径の垂木は「完形として最長の丸垂木」の1.5倍となり、この比率を長さに適用すると、最大径の垂木の全長は約582.75cmに復元できます。ここからまたピタゴラスの定理を使って計算すると、梁間は5.5~6.0mに復元できます。
さて、これまで山陰地方で発見されてきた最大級の大型掘立柱建物の梁間は5m前後を測ります。弥生時代の山陰地方では最大規模をもつ掘立柱建物(長棟建物)として知られる日野町の長山馬籠遺跡のSB08、あるいは大山町の茶畑第1遺跡掘立柱建物12などがまさに身舎(もや=庇をのぞく本体部分)の梁間が5m前後の建物なのです。最大径の垂木から推定する限り、青谷上寺地の中心居住域に長山馬籠や茶畑に匹敵するか、それらを上まわる大型建物が存在した可能性が一気に高まったと言えるでしょう。
しかし、今回はあくまで「完形として最長の垂木」から再構成される梁間4m程度の建物を復元することにしました。それは、
前報で述べたように、その垂木と複合しうる他の部材をいくつか確認しえたからです。今回、復元の平面モデルに長山馬籠遺跡SB08(床面積78㎡)ではなく、茶畑第1遺跡掘立柱建物12(床面積63㎡)を採用した理由(実際はすべての寸法を80%に縮小)は以下の2点にあります。
1)茶畑第1遺跡掘立柱建物12の平面が桁行6間×梁間4間の長棟建物の片側にだけ独立棟持柱を付加した独特の平面をしており、こういう平面をもつ大型の建物は他に類例がない。一方の妻側にだけ独立棟持柱をもつ建物は滋賀県守山市の伊勢遺跡などでも出土しているが、それらは小型の高床建物であるのに対して、茶畑第1遺跡掘立柱建物12は大型の建物であり、山陰土着の土間式長棟建物の正面側に近畿系祭殿で多用される独立棟持柱を付け足した山陰・近畿融合型の平面をしている。
2)茶畑第1遺跡掘立柱建物12については、2004年度に浅川研究室が復元検討し模型制作した経緯がある(↓上/模型は妻木晩田遺跡事務所に展示中)。つまり、研究室で所有している情報量が多い。

↑茶畑第1遺跡掘立柱建物12の復元模型。今回の復元で杉皮葺きバージョンにも挑戦。細部を大きく修正した。 ↓茶畑第1遺跡掘立柱建物12を元にした二つの復元バージョン。
[11月7日の記者発表について(第2報)]の続きを読む
- 2007/11/05(月) 02:50:09|
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10月のブログで「垂木」「たるき」「タルキ」とチラリズムを繰り返してきましたが、ようやく昨日から正式に公開してもよいことになりました。
来たる11月7日(水)午後1時半から
、「青谷上寺地遺跡出土建築部材の調査研究で得られた知見について」と題する記者発表をおこないます。報道の
解禁は7日の記者発表後ですので、厳守!お願いします。会場は鳥取県埋蔵文化財センター秋里分室です。
いうまでもなく、昨年11月10日におこなった「弥生時代最長の柱=<楼観>復元」に続く記者発表です。あの
衝撃の1日からまる1年が経とうとしているのか、と思うと感無量ですね。
今年のテーマは、ずばり「弥生時代最長の垂木」です。厳密にいうと、「これまで出土した弥生時代の垂木のうちほぼ完全な形状を残す最長の材」について論じます。これについてはすでに3回映像を示しています。
8月11日 「チャックの青谷問答記(Ⅰ)」
10月26日 「第4回 歩け、あるけ、アルケオロジー」
10月31日 「チラリズム」
このうちとくに重要なのは8月11日の記事、すなわち「青谷上寺地遺跡出土建築部材検討会」の記録です。今年度は最初から「長い垂木」に目をつけていたわたしの要望にこたえ、県埋文センターは一連の「長い垂木」を陳列してくれました。
上下両端の加工を残す「最長」の垂木は以下の2点です。
・角垂木 長さ397cm×1辺7.5cm四方
・丸垂木 長さ388.5cm×直径6cm
以上2つの垂木材は同じ溝から出土しました。時期は弥生時代中期後葉(約2000年前)です。青谷上寺地遺跡では屋根の
垂木と小舞が複合化した構造材が出土しており、角垂木を桁端(けらば)すなわち屋根の左右両端、丸垂木を他の一般部に使うことが分かっています。したがって、上の2材は一つの建物の別の位置に使われた垂木である可能性が高いでしょう。
つぎに、茅葺き屋根の標準勾配(45度)からピタゴラスの定理を使って梁間寸法を推算したところ400~430cmになることがあきらかになりました。ところが、その寸法内に納まる梁(410cm)もちゃんと出土しています。さらに長さ約10mの桁を半分にした材も出土していました。これらがすべて同一の建物を構成していたとは限りませんが、それらを複合的に再構成することにより、大型の掘立柱建物の姿がイメージされてきたのです。
ただし、青谷上寺地では中心居住域の発掘調査が進展していないため、このような大型の建物はいまだみつかっていません。そこで、昨年と同様、大山町の茶畑第1遺跡の建物遺構を参照して平面を仮定しました。モデルとした建物跡は茶畑第1遺跡掘立柱建物12です。掘立柱建物12は桁行6間×梁間4間の本体部分(長棟建物)に、正面のみ独立棟持柱を付した平地土間式の建物です。その梁間寸法は約5mを測ります。今回確認された「最長の垂木」と複合させる梁の寸法は4.1mですから、梁間は約4mになります。この梁間の比率より、今回復元する大型建物の平面は茶畑第1遺跡掘立柱建物12を80%縮小したものと仮定しました。
また、夏の部材検討会では、精緻な加工表面をもつ角柱が大小2本陳列されており、出席者を驚かせました。掘立柱としての角柱が出土することはめったにありません。今回、この角柱を戸柱として位置づけることにしました。じつは、扉板の上下に納まるマグサ(上面)もしくはケハナシ(下面)と推定される材も確認されるので、戸柱(角柱)との複合性を考察してみたのです。
さらに、妻壁板の勾配が44~53度とばらつきがあり、遺跡で大量の杉皮が出土していることから、緩い勾配(44度)の杉皮葺きバージョンときつい勾配(52度)の茅葺き勾配の2バージョンを復元することにしました。
以上の基本方針から、現在、復元CGを制作中です。
なお、今回の記者発表は、2007年度の<とっとり「知の財産」活用推進事業>に採択された「
山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究」の成果の一部をなすものであり、11月31日・12月1日に加藤家住宅で開催されるシンポジウム「
弥生建築の実証的復元はどこまで可能か」の主要テーマとなるものです。(続)
記者の皆様へ: とりあえずこのブログ、およびこのブログのリンク記事をお読みの上、ご質問いただければ幸いです。また、
青谷上寺地遺跡出土建築部材データベースもご活用ください。
- 2007/11/04(日) 00:36:29|
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