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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

11月7日の記者発表について(第2報)

 11月7日(水)午後1時半からおこなう記者発表「青谷上寺地遺跡出土建築部材の調査研究で得られた知見について」に関する第2報をお届けします。報道の解禁は7日の記者発表後ですので、厳守!お願いします。

 今回確認された角垂木と丸垂木の長さは4m弱です。それを屋根勾配45度として想定すると梁間が4m前後に復元されることを昨日述べました。
 ところで、青谷上寺地遺跡では、垂木のようにみえるけれども、そうであるかどうかわからない長い材が出土しています。長さは約5mを測ります。一方の端部には刳形を施しており、いかにも垂木のようにみえますが、青谷上寺地で出土する垂木材両端の加工とは異なっています。他方の端部は切断されており、当初さらに長かったことは間違いありません。長い角材であり注目されるのですが、今回テーマとなる「完形として最長の垂木」よりも細くて平べったい断面をしています。通常、長くなればなるほど断面は大きくなるはずですが、「完形として最長の垂木」よりも細い材であり、この材が「垂木」である可能性は低いのではないかと思っています。
 一方、青谷上寺地で出土した最大径をもつ垂木材に注目せざるをえません。それは一方の端部を残した垂木で、残存長133cm、直径9cmを測ります。「完形として最長の丸垂木」の寸法が長さ388.5cm、直径6cmですので、径を比較すると、最大径の垂木は「完形として最長の丸垂木」の1.5倍となり、この比率を長さに適用すると、最大径の垂木の全長は約582.75cmに復元できます。ここからまたピタゴラスの定理を使って計算すると、梁間は5.5~6.0mに復元できます。
 さて、これまで山陰地方で発見されてきた最大級の大型掘立柱建物の梁間は5m前後を測ります。弥生時代の山陰地方では最大規模をもつ掘立柱建物(長棟建物)として知られる日野町の長山馬籠遺跡のSB08、あるいは大山町の茶畑第1遺跡掘立柱建物12などがまさに身舎(もや=庇をのぞく本体部分)の梁間が5m前後の建物なのです。最大径の垂木から推定する限り、青谷上寺地の中心居住域に長山馬籠や茶畑に匹敵するか、それらを上まわる大型建物が存在した可能性が一気に高まったと言えるでしょう。
 しかし、今回はあくまで「完形として最長の垂木」から再構成される梁間4m程度の建物を復元することにしました。それは、前報で述べたように、その垂木と複合しうる他の部材をいくつか確認しえたからです。今回、復元の平面モデルに長山馬籠遺跡SB08(床面積78㎡)ではなく、茶畑第1遺跡掘立柱建物12(床面積63㎡)を採用した理由(実際はすべての寸法を80%に縮小)は以下の2点にあります。

 1)茶畑第1遺跡掘立柱建物12の平面が桁行6間×梁間4間の長棟建物の片側にだけ独立棟持柱を付加した独特の平面をしており、こういう平面をもつ大型の建物は他に類例がない。一方の妻側にだけ独立棟持柱をもつ建物は滋賀県守山市の伊勢遺跡などでも出土しているが、それらは小型の高床建物であるのに対して、茶畑第1遺跡掘立柱建物12は大型の建物であり、山陰土着の土間式長棟建物の正面側に近畿系祭殿で多用される独立棟持柱を付け足した山陰・近畿融合型の平面をしている。
 2)茶畑第1遺跡掘立柱建物12については、2004年度に浅川研究室が復元検討し模型制作した経緯がある(↓上/模型は妻木晩田遺跡事務所に展示中)。つまり、研究室で所有している情報量が多い。

20071105051136.jpg
↑茶畑第1遺跡掘立柱建物12の復元模型。今回の復元で杉皮葺きバージョンにも挑戦。細部を大きく修正した。 ↓茶畑第1遺跡掘立柱建物12を元にした二つの復元バージョン。
20071105051152.jpg


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  1. 2007/11/05(月) 02:50:09|
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