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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

アコースティックでないアコギの世界(Ⅱ)

 というわけで、とうとう大晦日。ご存知のとおり?、わたしのバースデイでして、あちこちの営業用サイトから「ハッピー・バースディ!」なるメールが届いております。
 さきほどまで、家内と娘二人を誘い、押熊の「アスター」でお茶してきました(息子は受験勉強につき不参加)。ここはケーキ屋さん附属の喫茶店でしてケーキも美味しいが、紅茶がグッド! 今日はシナモン・ティーを飲んだんです。上品なニッキの味が濃いミルクティに馴染んで美味しかった。

 押熊と言えば天理楽器でしょ。「バースディ・プレゼント代だろっ!」って名目で、女房の口座に全額振り込まれたわたしのボーナスからちょっとだけ現金を奪い返し、いそいそと天理楽器に向かったんですが、すでに店仕舞いしてました。エフェクターを買おうとしたんですよ。アンプラグドにこだわりたいわたしではありますが、やはりこの1年の活動を通じて、アンプやエフェクターなしでは対抗できない側面が多々あることを痛感し、とりあえず1台購入してみようとしたんですが、大晦日で店は閉まっている。まぁいいや、正月に捲土重来!
 前報でのべたように、アンプラグドではないアコギの世界を知らされたわたしは、あれから2枚のDVDを購入しました。1枚は中川イサト『アローン』。わたしは中川イサトさんのファンです。五つの赤い風船のデビューアルバムで聞いた「遠い世界に」はじつに衝撃的でしたね。西岡たかしのオートハープも凄かったけど、そのバックでメトロノームのように的確なリズムを刻み続ける中川イサトの3フィンガーには驚きました。いま聴いても凄いと思うもん。あの程度の3フィンガーなら誰だってできると言えばできるんだけど、あれだけ正確無比にリズムとトーンを崩すことなく弾き続けるのは並大抵のことではありません。高田渡のバックをやるときのイサトさんも良いですよね。最近では武蔵野レビューも良かった。あの低音のボーカルがたまりませんよね。「シティ・オブ・ニューオリンズ」の日本語訳詞を早口で歌うところなんか抜群です。
 でも、『アローン』はいただけない。この音楽は駄目だ。とても「芸術」の域には達してません。とくに強烈な技術を感じるわけでもないし、メロディも和声もまだまだ。パーカッシブな演奏と言っても、なんてこたないですわね。まともに聴けたのは、ボーカル付きの2曲だけでした。ボーカルは凄くいい。弾き語りの達人だと思いました。そもそも中川イサトという音楽家は「芸術」よりも「芸能」寄りの人だと思うんですね。それが、ソロ・ギターになると、無理して「芸術」やろうとして滑ってる感じがします。
 もう1枚は岸部眞明『オープン・チューニング&フィンガー・ピッキング』。なにせ、練習会やったら3人に1人は岸部さんの曲を演るという時代ですからね。CDは1枚ももっていないけど、とりあえず教則DVDを取り寄せた次第です。なるほどね、これは人気がでるはずだ。中川イサトに比べると、岸部眞明の曲はメロディアスで和声の使い方も上手い。「花」なんて曲はJポップみたいな感じね。日本人の心性に訴えるでしょう。それとタブ譜がついてるんですが、「これなら弾ける」という自信を聴き手がもてますね。厳密にいうと、タッピングを駆使した「メガマウス」以外の曲ならアマチュアでも十分対応可能で、だからこそ、多くの人が岸部さんの曲に挑戦するのでしょう。
 タブは魔物ですよ。曲を創る側は大変ですが、いったんタブ譜にしてしまうと、素人でもその曲が弾けるようになってしまう。しかし、タブ譜に頼る素人はその曲の構造を把握できない。とくに変則チューニングの場合、自分が押さえているフレットの音が何なのか理解できないまま弾いていることがままあるでしょう。わたしがクラッシクギターを学び始めて、いちばん良かったと思うのはタブのない楽譜でギターを弾くようになったことです。おかげで、自分が押さえている指盤の音が何なんだか分かるようになってきましたからね。

 さてさて、中川イサトも岸部眞明も、アコースティック・ギターにアンプをつけている。岸部は自分の使っているエフェクターの機種まで紹介しています。リバーブをかけるんだそうです。かれらは小さな会場であろうと、大きな会場であろうとエフェクターやアンプを使う。だから、厳密にいえば、かれらのギターはアコースティック・ギター(生ギター)ではないですよね。マイケル・ヘッジスがアコースティック・ギターに革命をもたらしたというけれど、その革命っていうのはエフェクターやアンプを抜きにしてはありえないものでしょう。そもそも、タッピング系の技術はエレキ・ギターやエレキ・ベースの技術を生ギターに応用したものですからね。右手と左手を両方使ってギターを弾くったって、ジャズギターのスタンリー・ジョーダンが始めたものだしねぇ。
 だから、アコギの「芸術」が存在するとすれば、それはエレクトリック・アコースティック・ギターの「芸術」なわけで、ここに踏み入っていくべきかどうか、個人的には悩んでいます。でも、まぁ食わず嫌いはいけない。てことで、エフェクターを購入しようと思うに至ったわけです。
 わたしはやはりギターの生音を大切にする演奏をめざしたい。しかし、これにはたくさんの矛盾があって、みんな苦しんでいるわけです。その矛盾については新年に。
 では、みなさん、よいお年を!


  1. 2007/12/31(月) 16:46:38|
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ダウン・バイ・ザ・リバー -南粤逍遙(Ⅷ)

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 27日はホテルで朝食をとり、部屋に戻って25日のブログ「中山大学人類学系」を書きました。アップしたら12時すぎ。チェックアウトの時間です。ホテルは珠江の畔にあります。わたしはガイドさんに荷物をあずけ、ひとり珠江を見に行きました。大きな鉄橋の上から川の流れを眺めると、船がほとんど浮かんでいない。
 わたしの記憶では、2000年と2001年の春に連続して広州を訪れていて、そのときは「魚欄」周辺にたくさんのモーター付き板船が停泊していたんです。「魚欄」というのは魚の卸問屋です。板船は家船ではなくて漁船なんですが、長期間の漁にたえるため居住性能を備えている。漁民たちは陸上の市街地に住宅をもってはいるのだけれども、やや大きめのモーター付き板船で眠ることもしばしばあるという。若い漁民がそう語ってました。ほかにも、いろんな船が珠江に浮かんでいましたよ。

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 ところが、写真にみるように、珠江から船は消えてしまっています。一時的に消えてしまったのか、絶対数が減ってしまったのか、よくわからないですがね。今回、桂林の漓江(珠江の支流)、広州の珠江を訪れたんですが、かつてみることのできた「家船」や「筏住居」はもう存在しない、と判断したほうがよさそうですね。ということは、ベトナムのハロン湾やカンボジアのトンレサップ湖でおこなってきたような水上居住の調査研究は、すでに中国では遂行し難いということでしょうね。
 この事実を知ったことは重要です。その一方で、広州の中山大学と華南理工大学、桂林の広西師範大学の先生方と交流できました。みな素晴らしい先生方ばかりでした。こういう先生方となんとか面白いテーマを共有して新しいプロジェクトを進められないものか。まだこれから練っていかなければならないんですが、いま「都市人類学」と「イスラム」というキーワードが漠然と頭に浮かんだり消えたり・・・という毎日です。

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  1. 2007/12/30(日) 21:44:10|
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沙湾の町並み -南粤逍遙(Ⅶ)

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 26日の昼前に沙湾に着いた。まずは沙湾文化センターを表敬訪問。Kさんとは旧知の女性専門員に応対していただいた。広州には、町並みを保存して広州らしい風景と文化を残そうとする鎮(町)が10ヶ所あるそうで、沙湾はその代表的なエリアであり、この文化センターが行政的に管轄している。沙湾は町並みだけでなく、言語・文化においても、広州の伝統を強く継承している。Kさんからは地下鉄のなかで、

  「沙湾では北京語が通じませんから。今でも広東語しか使ってません。」

と教えられていた。はたして、文化センターで「標準語を使いましょう。そうすればみんなコミュニケーションできるんですよ!」という貼り紙を発見。

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↑何氏宗廟「留耕堂」(左)と道観「玉虚宮」(中央) ↓留耕堂の小屋組
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 古い街の入口で行商のおばさんたちが野菜や魚を売っていた。そしていきなり「観音頭」の民家を発見。Kさんは、こういう妻壁のデザインを「広東特有」な要素だと聞かされていたそうだが、「観音頭」は「馬頭墻」と並ぶ江南民家の象徴的な妻壁デザインであり、おそらく江南から嶺南へ伝播してきたものだろう。
 沙湾地区で最も多い宗族は何氏。姓が「何(ホー)」の一族である。その何氏の宗廟「留耕堂」(広東省文物保護単位)をまずは訪れた。四合院形式の3進(3ブロック)タイプ。小屋組は華北の抬梁式を広東風に派手にしてもので、挿肘木(さしひじき)を多用している。南方の穿斗式構法でないのは不自然にみえるが、寺廟・宮殿建築では壁付き(あるいは壁内)部分だけ穿斗式にして中間部はすべて抬梁式にするのが一般的だ。ベトナム北部の寺廟の構法と似ていないとは言えないが、決定的に異なるのは登り梁をまったく用いていないこと。ベトナム建築には登り梁の技術がよく残っていて、そこに中国南部の穿斗式構法が重層的に被ってきているのだが、広州や福建の漢族建築には登り梁らしき材が一切存在しない。登り梁を使うのは、おもにタイ系(チワン・トン語族系)の少数民族であり、登り梁の短縮形が大仏様の遊離尾垂木であるとみるわたしの仮説が正しいならば、重源(と陳和卿)はどこでその登り梁をみたのだろうか。宋代の福建には、まだ登り梁が残っていたのだろうか。

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 文化センターのレストランで昼食を食べた。わたしはワンタン麺。なかなか美味しい。ビールも少しだけ飲んだ。ちと酔っぱらったので、文化センターで休ませていただいていたところに、沙湾の郷土史に詳しいご老人があらわれた。いきなり「北京語は話せませんよ」と言われたのだが、某准教授は広東語が母国語であり、Kさんも広州滞在3年あまりで沙湾地区で調査経験もあるから広東語もそこそこ分かるらしい。要するに、わたしだけさっぱり聞き取れないわけで、午後からこのご老人が案内してくださったのだが、わたしは建築の観察に集中した。

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  1. 2007/12/30(日) 02:05:04|
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猫は炬燵で

 「南粤逍遙」連載の続きを書こうと思っていたんですが、駄目でした。写真屋さんに年賀状を取りに行きペパーミントでランチして、郵便局で学資保険の手続きしてから隣のコープで買い物して家に帰ったんです。そうこうしているうちに、受験生から電話があって、西大寺の塾までお迎えに。帰宅して受験生と二人、夕食の準備です。お歳暮に頂戴した群馬の長芋を使ってお好み焼きを作ろうということになったのですが、患者はまだキャベツの千切りや長芋の摺り下ろしはできない。
 それにしても、群馬の長芋は粘っこいぞ。今夜のお好み焼きは格別にふわふわして美味しかった。いつもの具は豚肉と烏賊だけなんすが、今夜は豪勢に牡蛎も加えた。牡蛎を入れるコツはですね、あらかじめキャベツと一緒にして小麦粉と混ぜておくことだね。今回は、豚肉や烏賊と一緒に少し炒めてから練り粉を被せたのですが、これがいけなかった。牡蛎だけ剥がれてしまうんです。その剥がれた牡蛎をデブが狙っている。
 最近、デブは夕食になると、いつでも長椅子に坐って食卓を囲む。牡蛎は好物の一つでして、娘か息子が食べさせます。

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 というわけで、年賀状の住所印刷を始めたのは午後十時ころから。いやぁ、時間がかかりますね。大好きな「ルパン3世」(モンキーパンチ・バージョン)も見ずに、ひたすら住所を印刷し、挨拶文を書きました。ちなみに、わたしと家内で200枚です。某研究所の室長だったころは300枚でしたが、大学に移ってから100枚減っちゃった。じつはもっと減らしたい。
 さきほどようやく投函してきたんですが、帰宅すると家内が言うのです。「あと3人、お願い」。もともと家内は年賀状の枚数が非常に少ない人なんですが、病院で新しい友だちができたらしい。とくに大阪の病院には難病奇病の患者さんが集まっていて、ずいぶん親しくなり、住所交換をしたんだそうです。で、いまその3名を住所リストに入力し、プリントアウトしたところ。
 今日はもう外に出るのはヤだ。だって、氷雨が降っているんだもの。これから1週間、寒波だそうですね。
 猫は炬燵でまるくなりませう。

  1. 2007/12/29(土) 03:12:32|
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中山大学人類学系 -南粤逍遙(Ⅵ)

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 26日は早朝から飲茶の接待をうけた。中山大学に近い「順峰山荘」というレストラン。美味い。衝撃的な美味であり、同行した某準教授も広東系マレーシア人ながら、これほどの飲茶を体験したことがないという。やはり中国人は脅威だ。これだけの味を知っているということ自体、恐るべしである。日本にお招きしても、いい加減な接待はできない、ということを改めて教えられた。朝ご飯でこの味なんだからね。
 飲茶には、ワン先生、Kさんに加え、中山大学人類学系の先生2名が加わった。お二人とも若い。40代。お一人は日本で4年の留学経験があり、もう一人の先生は考古系で、話の輪がひろがった。わたしの名はそれなりに知られているようだ。「昔の名前ででています」って感じかな・・・

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 朝食後、中山大学のキャンパスをご案内いただいた。バークレー(USC)を思い出した。広いひろいガーデンの中に様式建築がぽつりぽつりと建っている。歴史があり、緑に包まれた共有スペースがある。歩いているだけで、とても気持ちいい。日本でこういう爽快感を得られるキャンパスといえば、そうだな、北大ぐらいじゃないかな。東大も重厚な趣きがあって素晴らしいけど、大半の日本の大学は狭っ苦しい(京大がその典型)。中国のキャンパスにしたって、北京大学も清華大学も同済大学も復旦大学も、これほど長閑でひろびろとしていなかった。中山大学が中国の例外なのかもしれない。

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 人類学系の教室は赤煉瓦の建物で、広東省の文物保護単位。まず、費孝通(フェイ・シャオトン)の題字に驚かされた。費孝通はロンドンに留学してB.マリノフスキーに学んだ社会人類学者。江蘇省の故郷をフィールドにして著された“Peasant Life in China”は中国農村の民族誌として高く評価され、日本でも『支那の農民生活』として翻訳出版された。序をマリノフスキーが書いている。たしか1940年代の翻訳だったはずだが、中華人民共和国成立後の長い混乱のあいだ、フィールドに入れない人類学者、社会学者にとって「聖典」であり続けた。北京に留学していた1983年に、ある日本人の中国語学者がこう語った。

  「費孝通は、現在、社会科学の分野で世界に通用する唯一の中国人学者だ」

 上にいう「現在」とはもちろん1983年時点のことである。いまは多くの社会科学者が世界レベルの仕事をするようになっているに違いない。

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 中山大学人類学系はアメリカ式の学科構成をとっている点でも特筆すべきであろう。日本も中国も、人類学と考古学は別の学術分野に分けられ、学科も異なっている。しかし、アメリカでは考古学は人類学の一部とみなされ、人類学科のなかに考古学が含まれるのが一般的だ。中山大学はこの方式をとっており、それは中国でも例外的であるという。ただ、中国の場合、アメリカほど考古学が人類学化しているわけではない。アメリカでは、おもに民族誌のデータを理論化して文化の枠組をつくり、それに発掘調査のデータをあてはめていくプロセス・アーケオロジーが主流だが、日本や中国は基本的に出土遺物・遺構に即した実証的研究が主流である。

 爽やかなキャンパスを通り抜け、地下鉄に乗った。めざすは沙湾の町並み保存地区。ワン先生とグオ先生が調査されている地域でもある。(続)

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  1. 2007/12/28(金) 00:20:40|
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沙面再訪 -南粤逍遙(Ⅴ)

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 クリスマスの日、あまりの睡眠不足に集中力と体力を欠いていたわたしたちは市内観光のほとんどをキャンセルした。ツアー予定地はいずれも以前に訪問したことがある場所で、なにをいまさらという感もあったから。とりあえず広州でいちばん大きな書店に連れて行って欲しいとガイドさんに頼んだ。
 なにせ5年ぶりの中国。「中国はもう辞めた」と言って憚らないわたしだから、ここ数年どれぐらいの専門書が出版されているのかすら知らないでいた。はたして書店の本棚を眺めてみれば、まだみたこともない建築史関係の本がずらりと並んでいる。以前なら全部買った。自分の研究に関係あると判断した本はすべてクレジット・カードで買いあさり、船便で日本に送ったものだ。
 もう決してそんなことはしない。梁思成全集と劉敦全集が10巻まで揃っていることを知り、動揺したにはしたんだけれども、すべて買うなんてありえないことだ。ただ、もちろん欲しい本は何冊かあった。某准教授は「買おう、買おう!」とわたしを扇動する。とても悩んだ。結果、4冊だけ買うことにした。買わなければならないわけではない。真剣に中国語の本を読むような時間的余裕があるはずもなく、これからさき中国研究を再開する見通しがあるわけでもない。
 しかし、4冊の本を買った。買ったことで、少し心が重くなった。老荘や禅僧が教えてくれるように、「なにもかも捨ててしまえば楽になる」。なにかに執着するから、気が重くなるのだ。わたしの本棚に並んでいる多くの書物、とりわけ中国関係の書物を捨ててしまうのはもったいないが、古本屋に売り払うとかネットのオークションに出品するとかすれば、少しは気が楽になるのに、学者という商売柄捨てるに捨てられない。悲しい性だ。

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 昼に飲茶してからいったんホテルにチェックインし、午後はまず楽器屋を冷やかした。ひどいギターばかりだった。ひどい楽器とはどのような楽器かといえば、チューニングできない(あるいは、チューニングしにくい)楽器である。数千円だせば1台買えるのだが、安物買いの銭失いの典型だから、もちろん買ったりしない。
 それから沙面へ。旧租界地区で、1996年に全国重点文物保護単位に指定されている。1900年前後に建てられた様式建築がずらりと軒を連ね、租界地区のど真ん中を緑地公園が貫く。その緑とアールデコのデザインに癒された。ただ、わたしたちのような訪問客はあまり多くない。ガイドさんによれば、ツアーに沙面を組み込むことはほとんどないそうだ。よく観察すると、店舗は少なく、中央の緑地公園は居住者が活用する近隣公園として機能している。観光よりも生活環境整備を重視していることがよく分かる。
 ただ、結婚前の記念撮影をしているカップルが3組もいた。また、綺麗なモデルさんもロケしている。アールデコには美人がよく似合う。そして、スタバを発見。ラッテを飲みながら、のんびりとした時間を過ごした。

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 夕方、西関地区の老舗レストラン「陶陶居」に移動。ここで日本の留学生Kさんと待ち合わせ。中山大学でKさんを指導するワン先生、華南理工大学で民族建築を専攻するグオ先生にKさんを加え、夕食をともにすることになっていた。ところが「陶陶居」が満員で、会場は「広州酒家」に変更。こちらも西関地区を代表する広州料理の老舗レストランである。ワン先生は日本に10年以上留学されていた文化人類学者で、もちろん日本語はペラペラ。グオ先生はワン先生とともに沙湾地区の調査をされている建築家で、建築史・修復だけでなく、歴史的環境のなかに建設する新建築の設計を得意とされている。
 期待していた通り、とても楽しい晩餐会になった。たんなるツアーでは味わえない濃密な空間がそこにはあった。こういう方がたと一緒になにか新しい共同研究が企画できないものか。酔っぱらいながらも、真剣にそのテーマを考え始めていた。

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↑沙面の近隣公園 ↓西関商店街の夜景
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  1. 2007/12/27(木) 02:11:18|
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唐代楊会墓の家形石棺 -南粤逍遙(Ⅳ)

 早朝5時半におきて8時の飛行機に乗り、広州に戻ってきました。もうふらふらでしてね、今日は体力回復に努めたんですが、夕食のご接待をうけた後、熟睡してしまって、ちょっと日記を書く時間がありません。とりあえず、23日の「収穫」についてお知らせしておきます。

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 23日に訪問した広州の南越王博物館では、「中国考古新発現」という特展をやっていて、陝西省靖辺県唐代楊会墓で出土した家形石棺が展示されていました。石棺の正面に描かれた中備(なかぞなえ)の蟇股(かえるまた)がおもしろい形をしています。一般的にこの時代の蟇股はいわゆる「人字形」なんですが、楊会墓石棺のそれは人字形から一歩進化し、雲形の絵様をつけて装飾的になってます。ちなみに横材が2本描かれてますが、下のほうが頭貫(かしらぬき)、上のほうが通肘木(とおしひじき)でしょう。頭貫上の中備を間斗束(けんとづか)として通肘木を支え、通肘木上の中備として蟇股をのせている。柱上の組物は省略ですね。
 いちばん下の解説文をクリックしてほしいのですが、墓主の楊会(697-735)は則天武后時代(周)の人で、この石棺はかれの寝殿を模したものであろうと書いてあります。平城宮が栄えた奈良時代前半にあたる盛唐の時代の建築資料として大変価値の高いものですね。唐代建築の資料は皆無に等しい状況ですから、石棺の装飾と雖もきっちり精査しなきゃいけません(しなかったけど)。こういう資料の貴重さに気づく研究者があまりにも少ないことのほうに問題があるのかもしれませんが。

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  1. 2007/12/26(水) 13:12:53|
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聖誕快楽! -南粤逍遙(Ⅲ)

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  メリー・クリスマス!

 イブの日に漓江を下りました。ご覧のとおり、ハロン湾と同じカルスト地形の雄大な風景のなかを船で遊覧するわけです。ハロン湾は「海の桂林」として、その景観を絶賛されていますが、スケールの大きさから言えば、むしろハロン湾のほうが桂林を圧倒しています。だから、桂林が「陸のハロン湾」と呼ばれてしかるべきだと思うのですが、清流から望むカルスト地形には、ハロン湾とは違う繊細な美しさ、というか清々しさがあって、23年ぶりにその魅力を堪能しました。
 それにしても、もうへとへとでしてね。スケジュールがきついんだから。明日もまた5時半起きなんですね。だから、今夜は記念写真でも並べて終わろうね・・・

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 とりあえず行程ですが、まずは陽朔県揚堤(羊蹄)郷の埠頭まで車で移動し、そこから九馬画山(↑)の麓まで遊覧船で下向。九馬画山というのは、白い絶壁に九体の馬が描かれているようにみえる山でして、その九匹がみえる人は「総理大臣になれる」んだそうです。
 そんなら、福田首相を連れてこい、ってなもんですが、かつて周恩来がここを訪れたとき、ちゃんと九匹みつけたんだそうです。で、わたしゃ3匹ですね。3匹しか看取れない。隣にいた日本の客は7匹までは分かると言ってたけどほんとかな??

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 この冬は川の水量が減っていて、遊覧船はこれ以上下れない。本来なら陽朔県の市街地にある西街まで下っていくんだけど、今は駄目だそうで九馬画山でUターンして、他の日本人客と一緒に昼食を食べました。
 それにしても、漓江は変わった。わたしがかつて漓江下りをしたのは1984年のことです。当時は「住宿船」と呼ばれる家船がたくさん岸に泊まっていて、船に住む漁民たちは竹筏に乗って鵜飼いをし、捕れた魚を観光船に売りつけにきたもんです。いまはもう「住宿船」らしき板船はみあたらず、竹筏にはモーターとイスまで備わっている(モーターがついたのは昨年からとのこと)。やっぱり淋しいな・・・

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  1. 2007/12/26(水) 00:34:05|
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南越王博物館 -南粤逍遙(Ⅱ)

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 中国時間の23日13時40分に広州の白雲空港に着陸しました。いや、よく眠ったんだけど、まだ眠い・・・のに、いきなり中国の洗礼を浴びたんです。5年半ぶりの訪中で中国もさぞかし進歩したんだろうと期待していたんですが、なんだ、ちっとも変わってないじゃないの!?
 ガイドの女性の出迎えで、さっそく国内線のチェックイン・カウンターに移動し、手続きが始まったんです。ところが、カウンターのお姉さん(中国南方航空公司)が険しい顔して一言。

  「パスポート番号が間違ってるわよ!」

 えっ。みれば、わたしのチケットに登録されていたパスポート№が某准教授のナンバーになっている。どういうことかというとですね、准教授のチケットもわたしのチケットも、准教授のパスポート№で予約されていたのです。ここでガイドさん、大慌て。どうやら、限りなくバイトに近い新米のガイドさんらしいのだが、あちこちに電話しまくり、カウンターを動きまわるのですが、時間はどんどん時間は過ぎてゆく。

 わたしたち二人はロビーのソファに腰掛け、

   「鳥取の金ツリも、やることがいい加減だわな・・・」
   「えぇ、国際交流サービスならありえないですよね」

なんて会話を交わしていたのです。
 小一時間待って、ようやく問題はクリアされましたよ。原因は航空会社側の入力ミスとのこと。鳥取の金ツリのミスではなかったのです。まぁ、チケットが確保できて良かった、よかった。

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 外は雨。久しぶりの雨だそうです。まずは西漢(前漢)南越王博物館へ。南越国の2代めの王を埋葬する墓の覆屋と博物館です。上の地図をみていただくとおりでして、いまの両広(広東・広西)にあたる地域を南越国は支配していた。今回の連載のタイトルに使っている「粤」は「越」の同音異字です。広東はいまでも「粤」と呼ばれ、広東料理は「粤菜」と呼ばれる。
 「粤」=「越」とは中原からみて、遠い遠い彼方の辺境を意味する概念であり、そこに無数の野蛮人(あくまで中原の民からみての「野蛮」ですよ!)がいた。それを「百越」というんです。南越は百越のなかでは圧倒的に文明化し、強大な王権をもつ帝国に成長していました。いや、この墓の副葬品はすごいですよ、とくに玉(ぎょく)製品がね。

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 南越王博物館を訪れるのは2度めのこと。1度目はたしか2000年だったような記憶がある。某研究所のM部長(後のM所長)とT室長(後のN女子大教授)と3人での旅でした。今回は案内のおじいさんがひどいんですね、関東の某帝国大学考古学系で博士号をとったとかなんとか、日本に行って十数年、女房(日本人)と息子を東京においたまんまだから来週帰国するんだとか、嘘かほんとか分からないような自慢話ばっかりして、おまけに日本語が下手で説明が全然聞き取れない。あまり愉快な見学ではなかったんですが、ひとつだけ収穫がありました。今夜は時間がないので、その収穫についてはいずれお知らせします。



  1. 2007/12/25(火) 00:00:55|
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南粤逍遙(Ⅰ)

 読者のみなさん、ニイハオ!?

 いま桂林にいます。中華人民共和国広西チワン族自治区の名勝地、桂林です。
 今朝は早起きでね、また辛かったあるよ。でも、なんとか出国できました(大丈夫かな??)。

 この夏にベトナムから国境を抜けて広西チワン族自治区の凭祥(ピンシャン)という町に2時間ばかり滞在しましたが、正式に中国を訪問したのはじつに5年半ぶり。
 中国とはもう縁を切ろうかとも思ってたんですが、ベトナム側の水上居民の調査が予想以上にうまく進んだので、その比較研究が来年以降中国側で可能かどうか探るためにやってきたんです。
 で、これから桂林と広州で4名の研究者と会うことになってます。ちょっとびっくりしましてね。短期間の滞在なのに、みなさん時間を作ってくださって、とても嬉しく思っています。

 さてさて、もちろんこのテキストは日本で書いたものですよ。桂林と広州でネットにつながるか否か?
 乞御期待。



 
 
  1. 2007/12/24(月) 00:19:03|
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シュトーレンの夜は更けて

 昨日は押熊のドコモ・ショップで古い携帯のデータを、新しい白い携帯に転送しました。なんとか日常の連絡網が復活したわけです。目出度し、メデタシ。
 それから近くの写真屋さんに。年賀状を作るためです。1軒めでは断られたのね、昨日で締め切ったって。2軒めのおやじも、年賀状を取りにきたのでしょっ?て顔してて、「注文です」というと、今から注文?って顔に変わったんですが、受け付けてくれました。仕上がりまで1週間から10日かかるんだって。大晦日にできあがったりしてね。今年はみなさん、わたしの賀状、届くの遅いですからね、ご承知おきください。
 本音をいうとね、年賀状なんか出したくないよね。わずらわしいわね、こういうしきたり。お金と時間の浪費でしょ?

 今日は息子の高校まで、3者面談に行ってきました。受験生なんです。思ったより成績が悪くて、あらら、と思ったんですが、先生によると、まだまだ十分可能性があるとのことでした。先生は、受験生の成長曲線を示され、うちの息子はいまこのあたりにいる、だから最後の2月にはこのあたりまで上がるでしょう、と言って息子を励まされた。その曲線はだいたい2次関数曲線で、最初のころは成長が鈍いが、ある段階から急速に成長する変化を示したものです。
 わたしも、この曲線をよく使います。卒業研究に取り組む学生の成長ぶりをみていると、たしかに2次曲線の軌跡とよく似てるんですね。ただし、例外あり。

    There is no rules but exception.

 わたしはこの例外を「波」形の軌跡だとよく言っています。わかりますか、波形の成長曲線って?

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 今年もまたお隣さんからシュトーレン(ドイツの伝統的なクリスマス・ケーキ↑)を頂戴しました。シナモンとフルーツがパンパンに詰まったケーキです。2日早いイブですが、どういうわけか、某准教授と一緒に食べたんです。種かしは明日ね。



  1. 2007/12/23(日) 00:13:59|
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リバーシブルなロフト階段(Ⅱ)

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 「ブログ見たでぇ」という職人さんの一言から今日の作業は始まった。ロフトに上がるための階段が本日完成する。それにしても、いきなりブログのことを言われたのでチョッピリ恥ずかしい。こうして読者にコメントをもらえるのは大変嬉しいのだが。

 前回の作業で、踊り場側の支柱の「ツバ」が梁にあたることが判明し、工場でこれをカットすることとなった。本日その支柱が加藤家に運び込まれ、仮設階段の仕上げがおこなわれた。

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 作業はあっと言う間であった。前回組んだ足場に、ツバを加工した支柱(縦棒)を立て、手摺り(横棒)をクサビで固定していく。これによって梁とツバの接触は見事回避された。その後、踊り場となる布板(板材)を手摺りに渡し、加藤家住宅の土間にロフトに上がるための仮設階段が姿をあらわした。古材の黒色と新材の白色の中間色である仮設階段は、想像以上に屋内の風景にマッチしている。是非とも、写真ではなく実物を見ていただきたい。早速ロフトに上がってみた。非常に上りやすい。そして、今までのハシゴでは見たことのない視点から加藤家の土間や小屋組が視界におさまった。

 思わず「最高の出来ですね」と職人さんに言うと、「プロですけぇ」と笑顔のお返事。やはりこの仕事っぷりには憧れてしまう。自分もゼミの仕事で、こういう仕事っぷりを味わうべく努力しようと思った。(Mr.エアポート)

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  1. 2007/12/22(土) 00:52:51|
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第12回 歩け、あるけ、アルケオロジー

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 今年最後のプロ研は土器でお米を炊きました。

 まずは土器を煮沸をすることに決め、それから窯を作りました。
テストピースの代わりに石やブロックで土台を作り、その上に金網を置き、その上に土器を置きました。そのまま土器を金網の上に置くと不安定なので、小石や木片で支えました。そして弥生のタコが焚き火に点火し、窯にも火を入れました。

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 窯と土器の間に距離があったため、40分ほど経ってもお風呂の温度くらいまでしか温まりませんでした。なので焚き火の上に直接土器を置いて攻めることにしました。熱の放散を防ぐため葉っぱで蓋をしました。すると30分ほどでお米が炊き上がりました。その後5分ほど蒸して、試食タイム♪炊けたお米は、若干硬かったのですが意外とおいしかったです。しかし食べていると、ジャリッという食感がしました。その食感の原因として考えられるものは、

  1.葉っぱについていた砂が入った
  2.焚き火を扇いだ際に舞い上がった灰が葉っぱの隙間に落ちた
  3.炊きあがったお米をスプーンですくう際に土器の内側を削ってしまった
  4.土器の煮沸不足

です。これはあくまでも私の見解です。

 次回はこれらの事項に気を付けて作業したいと思います。

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 炊きあがったお米をスタジオに持ち帰り、先輩方にも試食していただきました。ご飯を、炊くのに使った土器から私の作った土器に移しかえました。散々馬鹿にされた私の作ったサラダボウル型土器が役に立ちました!!感無量です!!
 このご飯には、塩と、先生が持ってきた紀州梅とごま昆布がとても合いました。
 しかし!!ごま昆布の賞味期限が約2ヶ月過ぎていました……

 次回のプロ研は1月10日です。もう年明けてます。そして、プロ研発表会まであと2回しか授業が無いのでみんなと発表内容を詰めていこうと思います。(環境政策学科1年 男のティラミス)

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  1. 2007/12/21(金) 01:23:19|
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忘年会2007

  「月や」に駐車場があるとは知らなかった。いつもの様にtomatoさんの隣で悠々と市街地まで揺られて会場まで辿り着く。教授を囲んだかたちで座って飲み物を注文。ここでスタートした忘年会。大学生も教授もスダレの奥におる家族も、みーんなが年末年始まで二週間をきった。参加メンバーそれぞれは年末年始を控え、気持ちの切りかえはできたのだろうか。みな成人。乾杯!今年もお疲れ様です・・・そして、来年も3ヶ月程よろしくお願いします。
 その後、交換忘年会や梅酒カップの奇跡などのドラマが生まれ、喫茶店へと移動。パンチの効いた空間で、おいしい珈琲(ケーキも!)をいただきました。教授による某大学院生の先輩へのコールもいつものことながら、ほくほく。
 
 数名で研究室に戻ると、安田さんのクロカンブッシュが待っていた。思いがけない甘味にまたまたお腹がふくれる。とても美味しい一日!(ハル)

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  1. 2007/12/20(木) 18:07:39|
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アコースティックでないアコギの世界(Ⅰ)

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 先日おこなわれた「山陰ギターオフ」の練習会についてお知らせします。六弦倶楽部の第4回練習会で倉吉のmifuさんからお誘いをうけました。練習会の翌日、受信したmifuさんのメールを抜粋させていただきます。
 
  「主催は山陰ギターオフという会で、主として島根県の生ギターマニア
   (インスト系が多い)の集まりです。会場を設営してくれるのは、
   キャッツアイ・ギターの伝道師のLavanteさんで、今回はPAを用いた
   設定になるはずです。」

 mifuさんはわたしと同じく、第2回練習会から六弦倶楽部に参加したのですが、「山陰ギターオフ」のほうでは古株です。一方、Lavanteさんはチョトロクさん(六弦倶楽部代表)に比肩しうるアコギ収集家らしく、ご自宅には「ギターの山」ができているとのこと。寡黙な方で、黙々とPAを調整されていました。
 「山陰ギターオフ」のメンバーでは、ほかに2名の若手が参加されていました。二人とも出雲の方で岸辺眞明の大ファン。年長の方は4年前に岸辺さんを出雲に呼んでコンサートを開いた経験があり、そのときの映像記録からコピーしたという「オブラディ・オブラダ」(オープンGチューニング)を披露してくれました。もう一人の若い方も岸辺眞明のコンサートで衝撃を受け、アコギにはまったとのことです。
 残りの参加者は5組6名。みんな六弦倶楽部のメンバーです。演奏曲でいちばん多かったのは岸辺さん。1枚もCDをもっていないのは、どうやらわたしだけだったみたいですね。

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 さて、今回のわたしの演奏曲は以下のとおりです。

   1.生活の柄(ボーカル付)
   2.マーリーの亡霊(インストルメンタル)
   3.無伴奏チェロ組曲1-1(インストルメンタル)

 第4回練習会から1曲めにボーカルをもってきて、自分では成功したつもりなので、今回も初っぱなは歌っていこうと決めたのですが、候補はいくつもあって悩みました。一方、バンジョーを買っていて、これを使うかどうかについても悩んでいました。なにぶん練習不足ですし、できれば誰かのバックで軽く弾ければぐらいにしか考えていなかったのですが、まぁ指ならしと楽器のお披露目にいいか、ぐらいの感じでして・・・曲目はヒロミさんに最初からばれてたんですよ。
  
   =「生活の柄」とあいますね(笑)=

 そうですよ、「生活の柄」です。今年の音楽活動の出発点は「生活の柄」でしたからね。「古民家の匠」の会の歌とコーラスが忘れられません。だから、2007年の最後もこの歌を歌おうと決めたんです。最初は結構やっかいなことも考えてました。「ホーボーズ・ララバイ」で入って、「さすらい人の子守歌」を真ん中に挟み、最後に「生活の柄」で締めようとしてたんですが、だんだん邪魔臭くなってきましてね、イントロに「ホーボーズ・ララバイ」のフレーズを使うだけにして、あとは「生活の柄」を弾き語りしてあっさり終わり。
 すると、チョトロクさんが言うのです。

  「バンジョーはこれで終わり??」
  「そうです・・・」
  「・・・(全員拍子抜け)」

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  1. 2007/12/19(水) 00:55:05|
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リバーシブルなロフト階段(Ⅰ)

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 連日の雨も止み、昨日は久しぶりのいい天気だった。先日まで紅葉で彩られていた山々もすっかり葉を落とし、冬の到来を感じさせる。本格的な修復プロジェクトが始まって2度目の冬を迎える加藤家は、修復工事前に比べると屋内がほんのり暖かい。
 本日、待望の工事がおこなわれた。ロフトに上がるための仮設階段の設置工事である。
 11月14日に、加藤家住宅で業者さんと「ロフトに上がるための階段」について、現場下見を兼ね、組立案を検討した。ご存知とは思うが、現在ロフト(アトリエ)に上がるための手段は連結ハシゴ1本のみである。女性だけでなく、男性でも上り下りには肝を冷やす。このままではせっかくのアトリエも活用しにくい。今年度は早くから仮設階段を取り付けることを企画しはじめ、木推協(中部)のKさんに設計と見積もりを依頼していたのだが、今日ようやく施工の運びとなった。
 仮設階段は「クサビ緊結型足場」の応用である。鉄製の支柱(縦棒)に手摺り(横棒)を取り付け、両端にクサビを打ち込んで固定するタイプ。手軽に組み立てることができ、解体も容易であり、教授の持論である「リバーシブル」な修復・補強を実践できる。いつでも元の土間の状態に戻すことができるのである。木製の常設階段ではなく、仮設の単管足場を利用したのはこのためで、さらに「古材」と「新材」の識別を容易にするためでもある。

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 以下、本日の作業工程。まず、足場を組む位置の地盤を養生し、その上に「ジャッキ」と呼ばれる足を6本置く。このジャッキにはネジ状のミゾが付いており、高さを自由に変えることができる。今回は土間と台所の板の間を足場がまたぐため、ジャッキで段差と水平を調節する。その上に支柱を立て、手摺りをクサビで固定していく。この支柱には約45cmおきに「ツバ」という正方形の止め具が施してあり、手摺りには両端にクサビがぶら下がっている。支柱のツバ部分の穴と手摺り端部の穴とを合わせ、クサビをハンマーで打ち込んで固定していく。その後「布板」と呼ばれる板状の材を手摺りに渡し、アルミ製の階段を掛けていく。

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 足場が1段、2段と組まれ、最後の3段目に取り掛かろうとした時、作業が一時中断した。なんと「踊り場」側の支柱のツバが梁にあたってしまい、これ以上組み立てることができなくなってしまった。古民家の梁は大断面で、ところどころに膨らみがあり太さが一定ではない。何度か組み立てた足場を解体しては位置をずらし組み立てなおすのだが、どうしてもツバが梁にぶつかってしまう。ほんの2~3cmなのだが、無理に組み立てれば、梁を傷めることになる。
 足場屋さんもこのことは十分承知していて、次々と打開策が挙げられ、臨機応変に対応していく。職人さんのこの機敏な動きには、毎度憧れてしまう。最終的にツバを工場でカットして梁への接触を避けることとなり、完成は次回となった。

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  1. 2007/12/18(火) 00:07:04|
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白い携帯

 昨夜はいったい何のために大学に来たのか。オートバックスがどうのこうのなんて、書く必要もないブログを書くためだけに休日出勤したようなものでして、結果、大惨事に遭遇してしまったんです。
 いや、生まれてくるんじゃなかった。だって、昨夜、携帯を落としてしまったんだもの。場所は大学のトイレ。携帯は便器に水没してゆきました。
 すぐにとりあげて綺麗に拭いたつもりだったのですが、目覚めると電源が切れている。ACアダプターにつないでもまったく動かない。はぁ・・・・

 とうわけで、今日は半日費やして、携帯の機種交換であります。エアポートが加藤家の土間でぶるぶる震えながら仮設梯子の据え付け工事に立ち会うなか、わたしは駅前シャミネのテレコムに張り付いておりました。
 データは全滅状態。付属のメモリに入っているのは写真や音楽のデータで肝心のアドレスはメモリにコピーできないことも教えられました。したがって、パソコンに保存したメモリのバックアップも洋梨。
 しばし絶望の淵を彷徨っていたのですが、そういえば・・・みなさん覚えていらっしゃいますか。わたしが昨年末にマカオ(澳門)に出張し、帰国した関西国際空港で古い携帯をなくしてしまったのを。あれが1週間後にみつかって、奈良の書斎の引き出しに保管してあるのです。ドコモの担当者に電話すると、「1年以上放置しておくと電源が入らなくなって、アドレス帳のデータも消去されます」という。これは大変。さっそく家に電話してACアダプターで電源につないでもらいましたよ。ちゃんと動いた。昨年の12月までのアドレス・データは生きているのです。
 あと3日したら、わたしは奈良に帰ります。たぶん21日(金)に奈良市押熊のドコモ・ショップでアドレス・データを転送してもらいますが、それまでわたしの新しい真っ白の携帯電話のアドレス帳にデータはありません。
 という事情ですので、現在、わたしのほうから知人の皆様に電話できない情況になっています。

 なお、わたしの携帯は、これまで3台続けて真っ黒でして、今回も真っ黒にしようとしたのですが、品切れでした。
 携帯なんて、この世からなくなればいいんだ。10年前まで、みんなそれで生活していたんだから。




  1. 2007/12/17(月) 19:02:49|
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雷鳴

 ようやく外部のネットに接続できるようになりました。昨夜の12時前、ふらふらの運転で大学に帰ってきたのです。
 外は雨。雨どころかミゾレにアラレ、そして度重なるカミナリ。強烈な雷鳴が鳴り響き、わたしのよたよた運転を脅かし続けたのであります。

 帰学後ただちにメールチェックして、さぁブログに短文でもあげるかいな、と「お気に入り」からわれらがFC2に接続しようとするのですが、つながらない。FC2だけでなく、ヤフーもアマゾンもなんにもかんにも接続しないのです。
 学内にある自分のコンピュータ2台で確かめたのですが、どちらもつながらない。隣の演習室に残っていた女子大生1名にも頼んでトライしてもらったのですが、やはり外部のサイトにはまったく接続しないことが判明しました。その女子大生が、はたっとこぼすのです。

  「さっき大きなカミナリ鳴りましたよねぇ・・・」
  「そうか、雷か・・・」

 というわけで、昨夜はブログに記事をあげることなく帰宅し、干芋をストーブで焼いてつまみながら、ギターのDVDをみたりして眠りにつきました。

 今日はタイヤを替えたんです。もうすぐ正月。年末には志戸坂峠を越えなきゃなりませんからね。どうでもいいけれど、オートバックスのカウンターのお姉さん2名はとても綺麗だったな・・・東京から来るメディアのレポーターなんかよりずっと美人だぞ、ありゃ(東京メディアの方が読まないことを祈っております)。

 で、夕方からまた大学に来たんですが、やっぱり外部のサイトに接続できない。先月に比べると、今月のブログへのアクセスはやや落ちてまして、また影響するな、と思っていたところ、さきほようやくサイトが開いてくれました。
 というわけで、こういう記事を書いているわけです。書く必要もないような記事ですが。


  1. 2007/12/16(日) 22:05:24|
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ちょいとそこまで

 松江におります。
 確かな情報筋によりますと、ハマダバダじゃなかった浜田市で島根県有数の焼失住居(弥生終末期)がみつかったそうですが、今回の訪問はそのためではありません。

 ・・・ちょっと遊んできますね、今から。

 おやすみなさい。


  1. 2007/12/15(土) 00:00:59|
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第11回 歩け、あるけ、アルケオロジー

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 今回のプロ研では、まず最初に、先週に焼いた土器と先輩方が製作した模型の撮影をしました。
 その後、今後の活動などについてmeetingをしました。どんぐりを使って何かの料理を作る予定でして、学校の裏山に見に行きましたが、数が少なく、しかもほとんどが虫に食われており、時期的に良ろしくありません。よって先生の提案により、蕎麦の実を使うことにしました。

 ・米を炊くには、二つの方法があります。一つ目は、土器を直接地面に置き、周りで焚き火をする。しかし、そうするには乾燥した地面が必要。二つ目は、コンクリートのテストピース(実験材料の廃棄物)などの土台の上に金網をのせ、その上に土器を置き炭などで加熱する。

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 発表会の予定(仮)
  衣:貫頭衣・かご
  食:当日にお米を炊く
  土器:土器を発表用と展示用に分ける
 次週は、二つ目の方法(テストピース上の金網を利用)で、お米を試しに炊いてみます。うまく炊けるといいですね。(環境政策学科1年T.K)

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  1. 2007/12/14(金) 02:52:32|
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弥生の機織り -歩けオロジー番外編(Ⅰ)

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 この日曜日、妻木晩田遺跡での「弥生講座④ 弥生の機織り」に行ってきました。講師には大阪樟蔭女子大学、天理大学非常勤講師の酒野晶子先生がいらっしゃっていました。
 最初に酒野先生による弥生の機織りについての講演を聞き、実際の機織りに入りました。今回は弥生時代に使われたと思われている「原始機」で織りました。この原始機という機(はた)は今使われている機とは違い、土台がありません。土台があるものは地機と高機と言われるもので、5世紀以降日本に伝来したと思われています。原始機には土台がないので、2本の棒に縦糸を結び、その棒の片方を固定、もう片方を腰当で自分に固定して縦糸を張ります。

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 今回は極太アクリル毛糸でマフラーを織りました。糸を張ったりという準備に1時間半、昼食を挟んで1時間半ほど織って完成しました。織る作業は慣れると簡単にできたのですが、準備は細々としていて大変でした。今回の体験によって、絵でしか見たことがなかった弥生の機の使い方がわかって良かったです。(環境政策学科1年I.T)

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↑↓先週木曜日の土器焼きも記事になりました。
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  1. 2007/12/13(木) 00:41:59|
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トウモロコシの煙り

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 14:30。今週のゼミも加藤家への移動から始まる。いつものように分乗していく。カラカラと加藤家の戸を引き、障子をあけると、既に暖が取れるようになっていた。なぜこんなに暖かいのかと思ってガラス戸に目をやると、以前まで冷たい風が流れていた隙間に新聞紙の様なモノがしっかりと埋めてあった。周到なあの方のおかげである。
 今週もまた取材があるようだったので、さてゼミの準備はどうしようかと、ゼミ生が動き出した頃。電話でのやりとりをしていた教授から「本日、取材はありません。大阪朝日のすっぽかしだわ」との言葉が発せられた。その事に、みな一瞬キョトンとしていた。でもその後すぐ、ゼミ生の頭をよぎったコトは皆おなじであろう。卒業研究もしくは自分の受け持つ作業のことに頭を切り替えたに違いない(たぶん・・・)。それでも教授はゼミの時間のことや準備の事を気遣ってくださった。その後ワッフルやお茶で一息したあと、加藤家は寺子屋と化し、教授によるゼミ生一人ひとりへの指導がなされた。

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 トップバッターtomatoさん(大阪朝日の担当記者の名前もtomatoだった!)は、「谷口ジローの風景」の目次を詰めていく。嶋田・岡垣ペアからは復元設計図が提出された。私、ハルは使用する画材や細部の参考絵図をだした。部長・デスクペアはパンフレットの全体像がひと目でわかる割付図を示し、パンフレットの編集方針を議論していった(↑)。『クロワッサン』編集者のご指導に従って二人は大掛かりな修正案をもってきたが、教授もこのパンフレットには思い入れがあるみたい。来週には大筋が固まりそう・・・そして、忘年会2007(新年会2008?)の幹事に、礼儀正しさで有名な左サイドハーフ君が任命された。
 本日のゼミは当初の予定と違ったが、香ばしい焼きとうもろこしをいただきながらの暖かな時間だった。
 
 4年生へ:最後に、卒業研究展 学生委員として。4年生にとって一番重要な締め切りが1月31日の卒業制作・卒業論文・梗概提出です。そして冊子となる論文集(A4 2ページ)もよろしく。 (ハル)

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↑加藤家が寒い最大の理由は建具と柱の間にできた大きな隙間であることが判明。朝からチャックが隙間に詰め物をして外気を遮断し、内側からスダレを垂らして修景した。これは効果があった。「寒い」という声はほとんど聞こえなかった。

  1. 2007/12/12(水) 00:56:03|
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月太郎さんへ(Ⅱ)

 月太郎さん、じゃなかったディランさん、その後いかがお過ごしでしょうか?
 どうもわたしにとって、ディランさんは「ディラン」というよりも「月太郎」のほうがしっくりくるんですね、どうですか、このさい改名されませんか??

 などという冗談はさておき、こんど「山陰ギターオフ」という催しがあるそうですね。わたしは前回の六弦倶楽部練習会の際、mifuさんからお誘いいただきました。月太郎さん、じゃなかったディランさんは参加されるのでしょうか?
 じつはですね、ここだけの話なんですが、わたし、バンジョーを買ってしまったんですよ。あのセルシェル公演の帰りに、梅田で地下鉄に乗り換えようとうろうろしていたら、阪急グランドビルの前にどういうわけか辿りついてしまいました。30階にナカイ楽器があるではないですか、このビルの30階。嫌がる家内を振りきり、わたしは30階にあがりました。バンジョーは1万5千円~2万円ちょいのものと15~16万円の2群に分かれて陳列されていましてね。ナカイ楽器以外でバンジョーやフラマンを店頭買いできるところはそうありませんから、即決で買いました(もちろん家内は呆れてました)。ただし、相変わらずの貧乏性でして、2万円ちょいのですよ、買ったのは。
 5弦バンジョーは高校時代にもっていましたから、弾けることは弾けるんですが、チューニングすら忘れていて、店員に聞いたところ「オープンG」だといいます。なるほど、1弦をEからDに下げればよいのですよ。そんなに厄介ではありません。
 で、「山陰ギターオフ」にもっていこうかどうか迷っています。中古で買ったフルアコ(エレキ)で1曲やろうか、いやアコギでいこうか、なんて迷ったままでして、バンジョーの弾き語りも悪くはないと思うのですが、まだまだ下手ですから、どうしようかと・・・
 それで、月太郎さんじゃなかった、ディランさんがまた「ホーボーズ・ララバイ」か昔のフォークを演られるんでしたら、バンジョーであわせても楽しいかな、なんて思っているところです。
 ほんとうはフラマン1名、バンジョー1名、ギター1~2名、ベース1名、カホーン1名の計5~6名でジャグバンド風のセッションができれば楽しいんですがね。近い将来そうゆう日が来ることを期待してもっていきますかね・・・

 それにしても、本物の「月太郎」ってだれなんだろう??


  1. 2007/12/11(火) 00:00:17|
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関関同立の少子化対策

 日曜日(9日)の朝日新聞朝刊(大阪本社)の1面トップ記事を下に転載する。京都・大阪・兵庫の私立高校の2割が「関関同立」枠をもっているという記事である。たぶん鳥取の1面トップは別の記事であろう。仮にトップ記事であったとしても、鳥取では日本海新聞の購買率が異常に高く、朝日や日経を読む家庭はきわめて少ない。だから、ここに転載しておこうと決断した。
 数年前までまとまった入学枠をもつ高校は大学の附属高校だけだったが、最近では少子化を背景に附属校以外の高校と大学が急速に関係を深めているという。
 記事によると、入学枠確保の方式は以下の3通りある。

  <1>高校を運営する学校法人を大学が吸収合併して系列化する
  <2>特定の大学に進学するコース(クラス)を高校につくる
  <3>大学と高校が協定を結び、数人~数十人の入学枠を設ける

 私立大学の入試対策として最もよく普及しているのは「指定校推薦」の制度だが、指定校は高校1校につき1学科1~2名程度の枠しかない。この程度の指定枠では学生確保がおぼつかない、という危機感が「関関同立」側にあり、高校側も急激に減少する入学生を確保するために「関関同立」というブランドの進学枠を確保したいという狙いがあって、両者の思惑が一致したのである。下の記事に紹介されている「北陽高校」→「関西大学北陽高校」の生まれ変わりがその典型であろう。
 「指定校推薦」枠をどの程度にしようだとか、県外/県内のどちらの学生確保に力を入れるべきかとか(寮もないのに県外学生確保に力を入れるという主張自体馬鹿げている)、古くさい議論を重ねて足踏みしているうちに、都会の有名私学はずっと先のほうまで歩いていってしまった。

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  1. 2007/12/10(月) 00:33:39|
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デュポン社の防水シートをめぐる一考察

 平成19年度「復元住居維持管理検討会」のため山田上ノ台遺跡を訪れた。仙台市「縄文の森広場」である。仙台に着いたのは昼すぎで、O所長の出迎えのあと、ただちにお蕎麦屋さんで昼食。東北地方におけるわたしの担当者はよく分かっています。

  「あの人は蕎麦さえ食べさせておけば機嫌がよい・・・」
 
 担当者泣かせで知られるわたしの懐柔策として「蕎麦」はまことに効果があります。この日の蕎麦も美味しかった。
 「縄文の森広場」に到着すると、旧知のYさんの出迎え。こんどはズンダ餅とアンコロ餅とクルミ餡餅がでてきました。どうでもよいことですが、モスが夏期限定で販売するズンダモチシェイクのズンダの量はなぜあないに少ないのか。あれは詐欺ではないのか。数年前の3分の1以下の量でしたね、今夏のズンダは・・・

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 今回、指摘された問題点は以下のとおり。

  1)強風を伴う大雨の際、雨漏りが発生する。
  2)柱に虫食いが発生
  3)床面にクラック発生
  4)屋根土の流出

 1)については、大雨の時のみ屋根から少量の雨漏りが発生するとのことで、棟と煙抜をブルーシートで覆うと雨は漏らなくなるという。したがって、雨は煙抜の窓と棟から内部に浸透してきていることになる。窓については仕方ないであろう。三角形の板でも作って大雨時に窓を塞ぐしかない。棟については、防水処理になお問題がある。山田上ノ台の復元住居については、業者が推薦したアメリカ(→註*)のデュポン社製ハイテクシートを使うことで高い防水性能が期待されていたが、その防水シートを紐で貫くという初歩的な施工ミスから漏水し、竣工後まもない平成18年6月20~23日に大修理をおこなった。最初に張った防水シート上にアスファルトルーフィングを敷き詰め、その上からもう一度デュポン社のハイテクシートで覆ったのだが、修理の記録写真をみる限り、棟はさわっていない。
 その後、大雨時に雨漏りが発生したので、同年11月30日から12月初旬にかけて棟覆を解体し、デュポンのシートを敷き詰めている。ただし、このときにはアスファルトルーフィングを使っていない。以上の修理状況をみると、アスファルトルーフィングをデュポンのシートの下地として使っている一般部では雨が漏らず、使っていない棟の部分で、現在なお微少な雨漏りが発生していることがわかる。

 デュポン社のハイテクシートは防水性と通気性を兼備する高性能のシートであり、施工以前から業者は自信満々であったが、こうしてみると、アスファルトルーフィングと併用しなければ、完全な防水性能を発揮できないと判断せざるをえない。ところが、アスファルトルーフィングを併用すると、ハイテクシートのもう一つの重要な性能である「通気性」が失われる。とすれば、デュポンのシートを用いる意義はないのだろうか。もちろん、ないことはない。多分に推測になるけれども、デュポンのシートが果たしている最大の功績は、その強靱さではないか。

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↑2006年6月の修復。紐穴のあいたデュポン社シートの上にアスファルト・ルーフィングを被せているところ。さらにこの全体をもう一度デュポン社シートで覆った。 ↓2006年冬におこなわれた棟の修復。棟を覆うのはデュポン社シートだけでアスファルト・ルーフィングを使っていない(職員の証言による)。
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  1. 2007/12/09(日) 02:14:43|
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環大から弥生土器出土!?

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 今日は昨日焼いた土器と初対面するべく、午前十時半に土器の現場に集合した。まず最初に土器を覆っていた黒い粘質土をみんなで取り除いた。黒土を取ると、きれいに焼きあがった土器たちが次々と顔を出した。土器は焼く前と違い、オレンジや黒色に変わっていた。

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 残念ながら、「男のティラミス」さんが制作した「頭蓋骨」の土器は一部割れていた。わたし(弥生のタコ)が制作した「ボール」は爆発すると思われていたが、奇跡的に爆発を免れていた。しかし、そのボールの持ち主の「アシカ」の頭がなくなっていた。どうやら爆発したようだ。
 取材に来ていた記者さんたちは、甕や壺などの弥生土器ではなく、「頭蓋骨」のことばかり取材してきた。

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 土を取り除く作業が完了し、土器をスタジオ内に運んだ後、みんなでテントを片付けた。その後の土や藁の処理はUさん・Oさん・Yさんがやってくれた。
 これで、土器作りの全過程が無事終了した。次からは衣班・食班の作業に移る予定だ。(弥生のタコ)

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  1. 2007/12/08(土) 00:05:00|
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第10回 歩け、あるけ、アルケオロジー: ワラをもって笑って

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 ついに土器を焼きました。土器のプロ、K先生にも来ていただきました。
 朝の10時半から作業開始。作業現場に行くとテレビ局の人がいる…。このプロ研はメディアを揺るがすほど大変な事になっているのかと思うと、何だか恐怖を覚えました。私は恥ずかしいので、メディアの方々を避けながら作業をしていたのですが、結局3回もインタビューをされてしまいました。

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 ここで窯作りの過程を紹介します。

○準備物○
薪(角材 60cm 30本)、ワラ1束、土(土嚢10袋)、フネ、ポリタンク6個(土こね用1個、消火用5個)、鋤簾(土をこねる道具)

○過程○
 1.薪を四角く並べ、その中に土を敷く。
 2.薪を格子状に並べていく。
 3.ワラを格子状に敷く。
 4.土器を並べる。
 5.土器と土器の隙間にワラを詰める。このとき、土器の中にも詰める。
 6.隙間ができないように、周りにワラを並べる。
 7.フネの中で土と水を混ぜ、鋤簾を使って土を練る。
 8.土を手に取り、厚さ約2cmのハンバーグのような形にする。
 9.6の上に、下から徐々に土を貼っていく。
 10.9の上のほうに排煙用の穴を指で10個くらい開ける。
 11.風上と風下の方向と直角に火入れ用の開ける。
 12.別の場所で焚き火し、オキに着火する。
 13.12で焼けたオキを、11の穴から入れる。
 14.窯の完成!!(野焼きスタート)

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 作業の途中で、作業風景を撮影をしていたチャックさんが
   「ワラをもって笑って~」
と、くだらない親父ギャグを言っていました。1年生のリアクションはイマイチでした。

 12時半頃火入れが完了しました。
 窯の火が消えるまで、焚き火に当たりながら火の番をしました。

 だんだん窯が崩れていき、火入れから約6時間後、無事に自然消化しました。土器も焼き上がりました。

 明日、土を剥がして焼き上がった土器と初対面します。とても待ち遠しいです!! (環境政策学科1年 男のティラミス)

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  1. 2007/12/07(金) 02:46:43|
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『RISING VIEW』Vol.4 刊行!

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 雨あられの降る中、『イオンマガジン』の取材をうけた5日の加藤家、部長さんとヒラさんは逆取材に奮闘していました。私はというと、裏方で、加藤家の掃除をして火を焚いたり、写真を撮ったりしてました。先生もおっしゃってましたが、都会から来られる方は、例外なく加藤家のことを素晴らしいと言ってくださいます。そしてロフトに上がり、イロリを囲み、いろいろなおしゃべりをします。その会話をもとに記事が書かれると思うのですが、いったいどんな冊子ができるのか。左サイドハーフ君の記念写真ともども、とても楽しみです。
 さて、先月24日に取材をうけた日建学院の広報紙『RISING VIEW』の4号が研究室に届きました。以下に転載します。先生との対談相手として、恥ずかしながら私も出てます。このあと訪れる激動の11月のことなんか知るよしもなく、平和な顔をしてますね。

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↑見開きページ

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 こうやって自分のいる研究室が誌面に載って手元に届くのは単純に嬉しいです。学内ではなく、外部の人たちから客観的に評価していただくことで、やってきてよかったなぁとあらためて感じることが出来ました。ただ、やはり加藤家に関して誌面を飾るべきは、先生をはじめ、昨年工事記録を取っていたO先輩や、基礎調査に携わった先輩方なわけでして。自分は在校生として、諸先輩方の思いをきちんと伝えなければならないと最近感じているところであります。
 
 記者発表に、広報誌にとメディアへの露出が最近多くなってきましたが、本業である卒業研究も、先生におんぶに抱っこながらきちんと進んでいます。最終の題目申請締め切りも、今月21日(金)に迫ってきています。目次も作らなければなりません。一度自分の研究を振り返り、卒業研究提出締め切り日である1月31日(木)までの大まかな流れをおさえなくてはなりません。あと、明日は土器焼きをします。来週の火曜日は新聞社の取材もあるんだった。関係ない話ですが、帰省の日時も決めなくては・・・。

 激動の11月を終え、全員に疲労の色が見えます。特に先生にいたっては研究以外のところで、頭の痛いことがたくさんあるらしく、今日もお疲れのようす。4年生はなるべくお世話にならなくて済むよう、皆で頑張りましょうね。(チャック)


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  1. 2007/12/06(木) 00:35:29|
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『クロワッサン』に学ぶ

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 またしても東京から来鳥されたメディアの取材を受けました。ジャスコでお馴染み、イオン・グループの広報誌『イオンマガジン』の取材です(23号に掲載予定)。場所はもちろん加藤家住宅。
 昨日は雨が降ったり、あられが降ったり、はたまたみぞれになったりと、ぐずついた天気。東京からやって来た取材クルーのみなさんたちは、今日の天気に驚いたようでした。そんななか加藤家に着くと、先に準備をしていたチャックさんのおかげで、いろりや暖房器具に火が入っていて暖を取ることができました。それでも、やはり寒かったですが。どうやら今年最高の冷え込みとのこと。
 日が暮れるのが早いため、縁側で集合写真をパシャリ。中に入ってロフトでパシャリ。そして座敷やイロリをパシャリ。その合間に先生やゼミ生はインタビューを受けました。そして、書記と私はパンフレットのために、取材スタッフさんを逆取材していきました。

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 一通り逆取材を終えると、なんと今日の取材スタッフの中に『anan』や『クロワッサン』などの雑誌を編集してきたベテランの編集者さんがいることが判明! そして、私たちが作成中の加藤家住宅パンフレットをプロの目でチェックしてもらえることになったのです!!
 こんな機会はめったに訪れない!と驚喜しつつ、果たしてどのようなコメントを頂戴できるのか・・・とドキドキハラハラです。一通りチェックしていただき、まず自分たちがこのパンフレットで「なにを伝えたいのか」というところを指摘されました。そして、加藤家の歴史についても導入部分に加えた方が良いとのコメントをいただきました。そのほか、写真のレイアウトや言葉の配置などについても、いくつか例を挙げて説明されました。

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 これらの指摘を受けて、書記と私は別々にもう一度構成を考え直すことにしました。初心にかえって、一般の方がたが読んでもすっと受け入れられやすいパンフレットになるよう、頑張りたいと思います。その意味でも、初めて加藤家に訪れた編集者さんにパンフレットのチェックをしていただけたのは、とても幸運でした。
 パンフレット編集の残り時間は短いけれど、頑張るぞ!!(部長)

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  1. 2007/12/05(水) 00:30:05|
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中国少数民族の住まい

 中華社会の周辺には古代から東夷・西戎・南蛮・北狄と蔑称された少数民族がいて、漢族と対立しながらも交流を続け独自の文化を紡ぎ出してきた。そのような背景を映し出して住まいは驚くほど多様であり、「アジアの縮図」と言うべき様相を示している。

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↑図1 ↓図2
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1.テントと竪穴住居
 数ある住居のなかで最もシンプルな類型はテント。北方や西方の狩猟民・遊牧民の住まいとして知られるが、狩猟民は円錐形で遊牧民は円筒形という違いがある。前者の代表は興安嶺の狩猟系ツングースであるエベンキ(鄂温克)族やオロチョン(鄂倫春)族の「仙人柱」(図1)。森林で伐採した股木付の樹木で三脚を組み、垂木を円錐形にめぐらして白樺樹皮のマットかノロ鹿の毛皮で骨組を覆う。同じツングースでも、黒龍江南岸のホジェン(赫哲)族(ロシア側のナーナイ)はサケ・マス漁に依存する漁撈定住型の生活を営んでおり、竪穴住居に住み、高床倉庫を付設する。かれらの竪穴住居は片面もしくは両面を切妻にする独特の形状で、屋根全体を土で覆っている(図2)。
 遊牧民の円筒形テントとしてよく知られるのはモンゴル族の「包」(パオ、蒙古語でゲル)であろう。かれらは毛皮のマットだけでなく、壁・屋根・煙出の構造材を持ち歩きながら遊動する。円錐形テントから一段進化した構造であり、内部空間も円筒形のほうが格段とひろくなるが、コ字形の座による平面空間の構成は円錐形と円筒形でよく似ている。新疆のカザフ(哈薩克)族のユルタも同型のテントである(図3)。このほか、多数の杭を直立させて毛皮で覆う「黒テント」がチベット(蔵)族の一部や甘粛のユーグ(祐固)族で用いられている。黒いテントについては旧約聖書に記載があり、中央アジアを中心とする広範な分布の末端に位置づけられよう。

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↑図3 ↓図4
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2.冬の家
 狩猟民・遊牧民とも通年でテント居住する場合もあるが、夏と冬で住居の住み替えをするほうが一般的である。たとえば、新疆の南山で移牧するカザフ族は、夏にユルタで山の斜面を転々と移動するが、厳寒の冬になると校倉のような累木壁をもつ小屋に定住する(図4)。累木壁の隙間に泥土を塗り込んで外界の寒さを遮断するのである。こういう「冬の家」が、地域によっては通年居住の住まいになっていった。チベットに近い雲南の西北地域は『史記』などに遊牧民の地として描写されているが、累木壁住居の卓越地でもある。わたしはこれを遊牧民の「冬の家」の通年住居化と理解している(図5)。

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↑図5


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  1. 2007/12/04(火) 01:18:37|
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