FC2ブログ

Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

24時間中国一周(Ⅲ)

1月11日(金): 松江11:23→浜田12:56~15:45→(広島)

20080113045322.jpg


   浜田、ハマダバダ、ハマダバダ~ 浜田、ハマダバダ、ハマダバダ~

と鼻歌うたいながら、わたしは特急「スーパーおき」に揺られていた。なんて真っ赤な嘘で、ちょうど昼時だから列車のなかで駅弁を食べ、ただちに昼寝モードに。
 松江から浜田まで車では3時間もかかる。鳥取から浜田なら6時間。みなさん、ほんとにいちど地図をみてください。浜田は遠いよ。石見銀山のちょい向こうぐらいのイメージでいたんだけど、太田市の向こうは高校野球で有名な江津市で、その向こうが浜田市。でも、特急にのると結構早いのね。松江から1時間半で浜田に着く。そのあいだ、わたしはカニ寿司の弁当を食べていた。カニ寿司と言えば「元祖カニ寿司 あべ鳥取堂」しか知らないわたしは、はじめて出雲のカニ寿司を味わったのであった。
 浜田駅に着くと、旧知のYさんお出迎え。以前、出雲国府の現場でご説明いただいたことがある。浜田の現場に移って2年めとのこと。現場まで25分ぐらいだろうか。車中で雑談。鳥取で弥生集落が続々と発見されるのに対して、島根で少ないのは地形と関係あるのではないか、と言われる。島根の山は急峻でムラを作りにくかったのだろうという説。しかし、あれだけの青銅器が出土する県ですよ。集落がないわけはないのではないでしょうかね。ただ、発掘調査であたっていないというだけのことではないだろうか。

20080113045339.jpg

 今回、焼失住居跡の調査指導した道休畑(どうきゅうばた)遺跡は浜田湾に近接する山の上にある(↑いちばん上の写真)。時期は弥生後期中葉~終末期。これまで竪穴住居跡9棟、貯蔵穴8基、掘立柱建物跡11棟がみつかっている。焼失住居SI06は、斜面に立地する直径約4.4mの円形竪穴住居。出土した土器片により弥生終末期の遺構と推定されている。山側に周堤溝をともなう。中央から南側(谷側)にかけてよく焼けており、赤い焼土が堆積する一方で、北側(山側)に板状の垂木が扇状に倒れ込んで炭化している。垂木の上には横方向と縦方向の茅を確認できる(↓)。

20080113045410.jpg

 これだけ残りのよい焼失住居跡の発見は、島根では太田市の鳥居南遺跡(弥生後期)以来のこと。鳥居南遺跡は2000年前後の発見で、わたしが遺跡を訪れる直前に撤去されていた。やはり板状の垂木がずらりとならび、その上を赤い焼土がパックしていた。茅が遺存しているという点では、道休畑のほうが鳥居南よりも情報量が多い。茅の残り方は妻木晩田と同じである。つまり、板状垂木の上にまず横方向の茅を敷き、次に縦方向の茅を葺いて土を被せるタイプの土屋根住居である。
 すでに述べたように、道休畑SI06には山側に周堤溝も残っている。周堤の幅は約2m。おそらく山側にはテラス状遺構も存在したはずだが、遺構検出面はかなり低く、その面は削りとられていた。

20080114031348.jpg
↑土嚢袋のある位置が周堤溝

[24時間中国一周(Ⅲ)]の続きを読む
  1. 2008/01/15(火) 00:59:10|
  2. 史跡|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

asa

12 | 2008/01 | 02
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search