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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

安土城見寺再建学生コンペ(Ⅱ)

三人衆04説明会

  安土城は国の特別史跡である。特別史跡内に建物を「復元」するのは、われらが平城宮跡の先例にみるように恐るべきことであり、容易におこなわれるべきものであるはずがない。いくら住持の意向が「復元」に向かっているとしても、国が血税をもって史跡を維持管理しているからには、住持の思い通りになるはずもなく、ましてや国際的な遺跡整備のクライテリアに照らすならば、証拠が十分でない復元は決して容認されないのである。だから、腰がひけた。そもそも、地元の鳥取城にさえあまり近寄らぬようにしているのは、市民および市長の「復元熱」が強いからであり、大極殿の復元から逃走してきたわたしとしては、鳥取城の「調査」は指導しても、「復元」は決して指導しない、というスタンスを7年間貫いてきている。
 見寺の復元に関わるのかどうか、まだ分からない。しかし、とりあえず車2台を出して5名で説明会に駆けつけた。それはなにより「友情」のためだった。おかげで美味い酒が飲めた。楽しい会話もできた。学生たちには悪いが、わたしのいちばんの目的はそこにあったのだ。もちろん学生たちをどう動かすか、について考えていないわけではない。新聞社の取材に対しては、こう答えた。

    「学生が自主的にやりたいというなら、やってもらうが、決して強制はしない。
    コンペが義務になっては何の意味もないから。」

 そして、学生たちには、こう言っている。

    「これはゲームだ。絵図が残っているのだから、おおよその復元はどのチーム
    も似たりよったりになるだろう。しかし、復元のガチンコ勝負となれば、絶対的に
    優位にたっているチームもいる。はっきり言って、うちは有利な立場にない。
    しかし、かりにガチンコ勝負して勝ったとしても、建物が建つわけでもない。
    それほど、特別史跡内の復元事業は甘いものでない。ならば、遊ぶしかない
    ではないか。どのように遊ぶかは、おいおい決めればよい。」

三人衆01
↑↓帽子の有無に注目!
三人衆03懇親会


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  1. 2008/03/31(月) 15:00:06|
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安土城見寺再建学生コンペ(Ⅰ)

そう見寺01本堂跡02全景


 桜のつぼみが徐々に色濃くなり、春の足音が一歩一歩近づいて来るのを感じる。別れの三月、始まりの四月。チャック、けんボー、トマトさんやハルさんが卒業して一週間、新生ASALABが徐々に動き始めた。ついに我われ5期生が舵取り役となる。先輩方の握っていた舵は大きく重たい。しかしながら1期生から今まで培われた航路と残された財産は、我われに更なる向上と冒険心を掻き立たせる。
29日、ASALABは新しい航海に出た。

P1160827.jpg


  「それは建造物が被りうる最も完璧な破壊……壊れた物の誤った説明を伴う破壊である。」

 ジョン・ラスキン『建築の七灯』の一文が頭の中を駆けめぐった。ここでいう「それ」とは「復原」 のことである。昨年後期の「建築の保存と修復」講義で、K.E.ラールセン『Architectural Preservation In Japan』(1994)を通して日本建築の保存修復について学ぶなか、このラスキンの言葉を耳にした。遺跡や建造物の「復原」など、おこなうべきものではない、というのがラスキンの主張であり、その考え方は「ベニス憲章」(1964)として結実し、世界的な文化遺産保護のスタンダードになっている。

そう見寺01本堂跡01説明01

 今年度初の研究室活動の切り出しとなったのは『見寺再建学生コンペ』のための事前説明会への参加である。昨日29日に現地説明会があり、近江に向け車を走らせた。

 「見寺」は、安土城内にある臨済宗妙心寺派の寺院である。天正年間の安土城築城に伴い、織田信長は甲賀など近郷から堂塔などを移築して、見寺を創建した。150余年前に本堂と付属の庫裡や書院が焼失してしまい、現在はそれらの基壇と礎石、および仁王門と三重塔のみが残る。仁王門および三重塔は中世和様に則り、禅宗様の要素は仁王門の拳鼻を例外としてみうけられない。また、5間四方の本堂も、礎石配列をみる限り、禅宗様の仏殿ではなく、天台系の内陣・礼堂造りに復原できよう。そもそも臨済宗ならば、境内の主要堂宇は「仏殿」と呼ぶはずだが、見寺では「本堂」と呼んでいる。ところが、驚いたことに、近江名所図絵をみると、その本堂は「法堂(はっとう)」のような2階建に描かれていて、内側に2名の人物(あるいは木偶)が描かれている。天台系の山寺を移築し、本堂のみは法堂風に造り替えたということであろうか。

近江名所図絵01
↑↓近江名所図絵
近江名所図絵02部分01

近江名所図絵03解説


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  1. 2008/03/31(月) 00:38:22|
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薬研堀慕情(Ⅱ)

紫陽花の散る庭

 七月に入って梅雨もあがり、蝉の声がかまびすしくなってきた。
 舌右衛門は城下の屋敷で、作事方清水多久左右衛門の訪問をうけた。小さな池に臨む書院の縁で、花の散った紫陽花をみつめながら、二人は砂丘西瓜をかじり、語らっていた。西瓜の種は庭にむかってプッと吹き飛ばす。

   「多久左、天球丸の普請のほうは如何じゃ?」
   「はっ、あのように急峻な崖に新たな郭を造成するのは至難の仕事、石工の上月棟梁もご苦労されております。進捗はかばかしいとは申せませぬ。」
   「・・・さようか。岡村の出番もまだ先になるの。」
   「高堂でございますか。あやつは大工町で材の加工に精を出しておりまする。」
   「早く京で学んだ腕をみせてもらいたいものじゃ。」

 そこに電信が鳴った。

   「・・・かっ、髪を染めたと・・・・」

 多久左は笑みを浮かべながら、しばらくして「鮎殿でございますか」と訊ねた。

   「なぜ分かる?」
   「伸太がそのような話をしておりました。」
   「あやつ、忍びの者とも思えんほど口が軽いのう。解雇するか」

 ごほん、という音が縁の欅板をかすかにふるわせた。

   「このまえ、高堂、伸太とともに蛍で飲んだのですが、そのとき伸太が話題に出したのでございます。」
   「あの居酒屋は安くて美味いからの。それにしても、口が軽いわ、あの下忍・・・」
   「じつは、ひさもそのとき同席しておりました」
   「そう言えば、ひさ殿は蛍の大蒜の唐揚げが好物じゃったのぉ」
   「豚肉と白菜の酒蒸しも好物にございます」
   「ひさ殿は息災か?」
   「はい、元気にしております。が、口喧嘩が絶えませぬ」
   「はは、仲のよい証拠じゃ。いったい何の喧嘩じゃ?」
   「殿は倭文の奥様とは喧嘩なさいませぬか?」

 舌右衛門の本宅は城下郊外の倭文にあった。倭文に住んでも良いのだが、歩けば城まで一刻もかかるので、城下に別宅を設けていた。

   「仲はよいぞ。ただし、あれには病いの気があっての、心配しておる。」
   「さようでございますか。」
   「倭文にはよくお帰りになるのですか?」
   「十日に一度というところかな」
   「奥様は我儘ではございませぬか?」
   「我儘なのはわしじゃ。あれは辛抱強い。ひさは我儘か?」
   「・・・でないとは申せません」
   「おまえがやさしすぎるのではないか?」
   「男と女は難しうございますれば」
   「分かったようなことを申すでない」

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  1. 2008/03/30(日) 20:00:36|
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実績報告(Ⅱ)-鳥取県環境学術研究費助成研究

 今年度実績報告の第2弾は鳥取県環境学術研究費助成研究(課題番号B0605)です。昨年度からの継続事業。
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ローコストによる古民家修復手法の開発(Ⅱ)
-住むことと修理することの実践をとおして-


 昨年度からの活動を継承し、今年度も鳥取市倭文の登録文化財「加藤家住宅」で学生主体の修復・改修活動をおこなった。昨年度は施主の資金供与により、工務店を主体とし学生が補助する体制で民家の主要構造部および屋根の修復を終えたが、今年度は工事のための予算がなく、学生によるセルフビルド&ゼロエミッションによる内装整備がおもな活動となった。活動は以下の5つに分けられる。

1.ロフトの内装整備
 昨年度、屋根の改修にともなって設置したロフトを「アトリエ」として再生するために学生が自らその内装を考え、まずは模型を制作した。加藤家住宅で廃棄予定の家具、あるいは鳥取市廃棄物処理場のフリーマーケットで入手した極安の家具を修理・補強し、模型のレイアウトに基づいて配置していった。このアトリエでは、昨年度修復に携わった職人さんと意見を交換する「ロフト座談会」を開催した。この座談会の成果は報告書に掲載している。

2.階段と手すりの整備
 ロフトに上がるために1本梯子を用いていたが、あまりにも危険であり、単管足場を応用した架設的な階段を新設した。常設的な木造の階段ではなく、鉄パイプの階段としたのは、それが材質によって本来の施設ではないことを強調できるのと、いつでも解体可能で当初の土間空間に復元することができるリバーシブルなものだからである。また、階段とロフトが接する部分には手すりを設けた。この手すりは加藤家住宅の床下でみつかった古い木製梯子の側桁を転用した。

3.1階欄間の修復
 昨年度の建ておこし修復工事のために開かなくなっていた座敷の雨戸を、ジャッキアップして開くようにし、その部分の障子欄間の障子紙を管理さんの指導のもとに貼りなおした。これにより座敷と庭の連続性が清らかに再生された。また、土間の菱格子欄間は激しく傷んでおり、実測調査の上、当初の意匠に復元した。

4.さまざまな活用
 春には「古民家の匠」の会、夏には「4年生卒論ゼミ」、秋には「六弦倶楽部練習会」「ロフト座談会」「とっとり<知の財産>活用シンポジウム」「弥生土器制作」などのイベント会場として修復中の加藤家を何度も活用した。

5.報告書とパンフレットの作成
 2007年8月には前年度修復工事の報告書、2008年3月には今年度の内装修復・活用の成果をアピールする冊子(パンフレット形式の報告書)を刊行した。なお、今年度の成果については、昨年同様、加藤家ホームページのブログ「倭文日誌」で随時公開している。

 加藤家住宅の修復・改修事業はまだ終わったわけではない。県環境学術研究費の助成はいったん中断するが、浅川研究室は今後もセルフビルド&ゼロエミッションの手法を堅持し、加藤家の修復活動を地道に続けていく予定であり、またさまざまなイベントの舞台としても活用していく予定である。この活動が県内外の古民家保存活用事業を促進する媒体となることを切に願っており、そういう方面からの支援要請がある場合はただちに研究室をあげてサポートにあたりたい。



  1. 2008/03/29(土) 00:00:22|
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実績報告(Ⅰ)-とっとり「知の財産」活用推進事業調査研究

 2007年度は3種類の研究助成を受けました。その実績報告提出のシーズンでして、その要旨を転載し、関係事項とリンクさせておきます。まずは、とっとり「知の財産」活用推進事業から。
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山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究
  -史跡整備のための資料集成と復元マニュアルの作成-


 2007年度におこなったのは以下の3つの活動である。

1. 竪穴住居の復元
 焼失住居跡の復元研究成果に基づきながら、縄文・弥生・古墳各時代の代表的な遺構をとりあげ、1/20サイズの復元模型を制作した。縄文時代は智頭町枕田遺跡SI01、弥生時代は鳥取市の下味野童子山遺跡SI01、古墳時代は倉吉クズマ遺跡5号住居である。これらの復元に共通するのは円錐形テントの構造であり、円錐形テントの構造システムである3脚もしくは4脚構造を随所に採用した。これにより、近世的な草葺き屋根構造よりも一段古式の屋根に復元でき、またクズマ遺跡などで検出されていた隅入りの出入口の復元が可能となった。以上の研究成果は、加藤家住宅で開催されたシンポジウム「弥生建築の実証的復元はどこまで可能か」において横田研二が中間発表し、最終的には卒業論文としてまとめた。この論文に対して卒業研究論文部門の銀賞が授与された。
 なお、竪穴住居模型の復元制作については、環境デザイン学科2年の宇田川・太田、同3年の福井が全面的に協力し、上記シンポジウム会場ほか、プロジェクト研究2&4の発表会卒業研究展(県民文化会館フリースペース)に展示された。

2. 青谷上寺地遺跡出土建築部材による弥生時代掘立柱建物の復元
 今年度は青谷上寺地遺跡部材検討会で陳列された弥生時代「最長の垂木」を主要な対象として、その材と複合する部材をほぼ100%青谷上寺地出土材として「大型建物」のCG復元を試みた。梁間約4m、桁行8~10mの規模の大型建物を2パターン復元した。この成果については、11月7日に記者発表し、11月18日に一般向けの講演会を開催した。さらに、妻木晩田遺跡で実施設計中の高床倉庫SB-207(1間×2間)、MKSB-34(1間×3間)にこの成果を応用し、やはりCG復元をおこなった。以上の研究成果は、加藤家住宅で開催された上記シンポジウムにおいて嶋田喜朗が中間発表し、最終的には卒業論文としてまとめた。この論文に対して卒業研究論文部門の金賞が授与された。
 なお、青谷上寺地の建築部材に関しては、講演記録論文を刊行、平成19年度中国地方建設技術開発交流会竹中大工道具館セミナーでも講演した。また、復元データを活用した集落復元CGがETV特番「人間国宝 弥生の謎に迫る」で放映された。

3. シンポジウム「弥生建築の実証的復元はどこまで可能か」
 2007年11月30日~12月1日、表記のシンポジウムを加藤家住宅(登録文化財)で開催した。県内外の考古学・建築史学の研究者が約30名集まり、弥生時代を中心として先史建築の実証復元の可能性と限界について意見を交換した。

 1~3の成果を報告書として刊行するが、副題に示した「マニュアル作成」までは行き届かなかった。ただし、以上の研究成果は、妻木晩田遺跡で現在進行中の復元整備事業に直結し、竪穴住居・高床倉庫・掘立柱建物の復元実施設計に直接的に影響を与えるであろう。というよりも、上のような基礎研究を積み重ねない限り、上質の復元建物を設計・施工することはできないはずである。
 また、青谷上寺地遺跡でも県埋蔵文化財センターが2008年度に「建築部材考察篇」を刊行予定であり、上の成果の一部はほぼそのまま「考察篇」の論文として採用できるであろう。また、青谷上寺地では整備のための基本計画策定が進められており、今後の遺跡整備や展示に向けて上の研究が大きく貢献することになるであろう。

  1. 2008/03/28(金) 00:16:12|
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プルメリアの花

プルメリア20宿舎02複合01

 2006年9月のハロン湾水上集落調査で、寺廟の庭に必ず植えられる樹木の存在を知った。その樹木はベトナム語で「CAY DAI」という名前であるところまでは分かったが、それがプルメリアであることを知るのに1年を費やした。2007年8月末、ハノイ城正門を訪れ、その台上に植えられた大樹のサインボードに「CAY DAI」の名を発見したのである。葉をみると、たしかにハロン湾のクアヴァン寺でみたそれとそっくりで、サインボードの真ん中に「Plumeria rubra Linn」という学名が横書きしてあった。

プルメリア01花01蛙03複合
  
 プルメリアの原産地は中米だが、今では世界中の亜熱帯・熱帯地区にひろく植栽されており、中国ではこれを「鶏蛋花」と呼ぶ。「鶏卵の花」という意である。真っ白な花弁の中心部にある花心が淡黄色を呈し、花の色合いが卵の黄身と白身のようにみえるところに中国名の由来がある。
 バリ島でプルメリアの花をみた。ニェッピと呼ばれる旧正月元旦の日、バンガロー前に植えられているプルメリアの樹に気づいた。大雨のあとの夕方、芝生の上にたくさんのプルメリアの花が散り落ちた。ひょっとしたら、どこか日本の花屋さんでプルメリアの花をみたことがあったかもしれない。かりにそうだとしても、そのとき、その花をプルメリアだと微塵も意識していない。だから、ウブドのバンガロー前庭でみた鶏卵のような花が、生まれてはじめて意識的に視覚にとらえた本物のプルメリアの花だと言える。

プルメリア11樹木01

 翌朝、ホテルの庭を歩くと、カエルや神の石像の頭にプルメリアの花が飾られていた。どうやら毎朝、ルームキーパーの男たちがプルメリアの花を庭中の像の頭においてまわるようだ。ニェッピの日だけは、その労働さえも許されなかったのだろう。プルメリアは至るところに植えられている。宿舎の前にも、庭のあちこちにも、そして祠堂の脇にも。
 ベトナムの謎が1年半の後にインドネシアで完全に氷解した。
 熱帯の花には艶がある。

プルメリア10祠01




  1. 2008/03/27(木) 00:04:42|
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Masa@モダンタイムズ(Ⅱ)

 ご存知のように、現在、台湾でアコースティック・ソロギター(木吉他独奏)が閑かなブームになっている。昨夜紹介した住出勝則の『SOLO GUITAR MAGIC』(2005)も台湾で録音、発売された2枚目のDVDである。
 ケースの裏の宣伝コピーをそのまま引用しておこう。

   融合爵士與放克音楽的木吉他演奏大師 Masa Sumide 、
   曾任於京都民謡団体「SIGNAL」的主奏吉他手以及主唱、
   自1997年開始発展個人的吉他独奏事業。
   弾奏吉他超過30年余 Masa Sumide 至今共発行6張個人
   演奏専輯、其中両張精碟更是在美国受到広大好評、
   爵士吉他大師“Truk Andress”極大讃賞、也 Masa Sumide
   是世界上最棒的独奏吉他好手之一!
   在這次DVD中収録 Masa Sumide 現場 Live 最精彩 Finger
   Style 弾奏紀録。
   再次與観衆分享回味 Masa Sumide 現場独奏的魅力!

 拙いが、全訳しておく(間違いがあれば直してください)。

   ジャズとファンク音楽を融合させたアコースティックギターの達人、
   住出勝則はかつて京都のフォークグループ「シグナル」のリードギター
   兼リードボーカルであったが、1997年からひとりでソロギターの活動
   を開始し発展させていった。
   ギターの演奏を始めて30年あまり、住出勝則はこれまで6枚の独奏集を
   出している。そのなかでも2枚のCDはアメリカで大好評を博した。
   ジャズギターの達人、トラック・アンドレスは「住出勝則は世界で最も
   素晴らしいソロギタリストのひとりだ!」という極上の賛辞を与えている。
   このたびのDVDには、住出勝則が生で最高にいきいきしたフィンガー
   スタイルの演奏を収録している。
   もういちど、観衆と住出勝則のライブ演奏の魅力を分かち合いましょう!

 ひとつだけ訳注をいれておくと、現在、住出のソロギター集はたしか10枚まで増えているはず。その最新作が昨夜紹介した1)である。

   
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  1. 2008/03/26(水) 00:00:29|
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Masa@モダンタイムズ(Ⅰ)

 マサと言えば、マサ斉藤だ。プロレスラーのマサ斉藤である。「YOU TUBE」でマサ斉藤と長州力の同席するインタビューをご覧いただきたい。あの言語不明瞭なしゃべり方はドラッグなのか、パンチ・ドランカーのような職業病なのか・・・

 今回とりあげるマサさんは、プロレスラーではない。ギタリストのマサさんである。本名、住出勝則(すみでまさのり)。驚いている。いわゆるアコースティック・ソロ・ギタリストと呼ばれる一群のミュージシャンに対して、こういう畏怖に近い念を抱いたことはないのだが、このギタリストだけは別格だと自覚し、さっそくプー横丁から以下の音源を取り寄せた。

 1)住出勝則(MASA SUMIDE) / BORN TO GROOVE('08)  CD-SDM-06 
 2)住出勝則(MASA SUMIDE) / SOLO GUITAR MAGIC [80分DVD]   SDM-DVD-2005

  あっ、まだ代金を振り込んでいないぞ。銀行、行かなきゃ・・・

 さて、なぜ、いままでこのギタリストに気づかなかったのか、というと、わたしの古いパソコンが不調で音声がでなくなっており、かの「YOU TUBE」をあまり利用しなかったからだ。最近、パソコンが新しくなり、ヘッドフォンも新調して、ようやく「YOU TUBE」を人並みに視聴するようになった。いや、恐ろしい媒体ですね。
 まずはまったのは、80年代のプロレス。中学時代の新日旗揚げ前後から大のプロレスファンになったのだが、録画をみて抜群に興奮するのはスタン・ハンセンだ。あのパフォーマンスは群を抜いている。ブルーザ・ブロディよりも、ハルク・ホーガンよりも、アンドレ・ザ・ジャイアントよりも、だれよりもスタン・ハンセンのパフォーマンスがずば抜けて迫力がある。ハンセンなら総合格闘技でも結構やれただろうが、総合とプロレスは別物であり、プロレスで評価を高めようとするならば「演技力」が決め手となる。ハンセンは格闘技力に加えて演技力に突出した才があったということだろう。一方、総合系では、前田日明の引退試合がおもしろい。世界最強のグレコローマン・レスラー、アレクサンドル・カレリンが前田を子ども扱いして投げまくるシーンの連続にたじろいだ。人間ではないね、カレリンは。
 つぎにはまったのがバラエティで、志村けんの番組はほんとによく笑える。某トリンプ・ガールを医師の志村けんが診察する場面があって、水着姿にヤニ下がっていたら、そのタレントにはとんでもない流出映像があることまで分かったりして。一方、われらがお天気お姉さんを争奪するクイズ番組にも大笑いした。彼女が主演するANAのCMもちゃんとアップされているのだが、なんと、彼女の「不適切発言」により没になったフィルムらしい。さらに驚いたことに、美貌随一と賞賛される彼女には「整形」前と噂される高校時代の写真がでまわっている。しかし、「整形」という点では、安めぐみの変貌ぶりにはだれも敵わないことも「YOU TUBE」は教えてくれる。ほんとうに、おそろしいメディアだ。

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  1. 2008/03/25(火) 00:00:56|
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『イオンマガジン』23号 刊行! 

イオンマガジン表紙複合

 昨年12月4日に加藤家住宅で取材をうけた『イオンマガジン』の23号が刊行された。
 表紙にみるとおり、特集は「エコロジーを地域コミュニティで楽しむ時代」。さらに目次(↓)にみるように、23号のテーマは「環境」であり、イオンが鳥取環境大学に目をつけた訳を知れる。
 「環境」がイオンの企業的戦略であるのか、それとも23号の「特集」にすぎないのかは、この号だけでは読み取れない。が、おそらく前者であろう。もうひとつ注目していただきたいのは、裏表紙(上右)にみえる中国語である。

   「各地社区開展環保活動的時代」

とあり、その下には英語で、

   It's time to enjoy community-based ecological movement.

とも記されている。
 ご賢察のとおり、いずれも「エコロジーを地域コミュニティで楽しむ時代」の訳文である。この雑誌は、48ページ構成の前半24ページ(右開き)を日本語、後半24ページ(左開き)を中国語・英語併用としている。内容はほぼ同じ。航空会社国際線の機内誌によく似た構成だ。
 中国語が中国に向けられたものであるのは疑いない。イオンが中国をマーケットとして強く意識していることのあらわれであろう。一方の英文は、欧米社会に向けられたものではなく、おそらく東南アジアやインドを射程としたメッセージではないか。
 わずか48ページの企業広報紙にイオンの戦略がよくみてとれる。よくみてとれることが、広報戦略上、よいことなのかそうではないのかはよく分からないが、環境大学はその戦略のコンテンツとして使われたということになるのだろう。

イオンマガジン目次


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  1. 2008/03/24(月) 00:07:06|
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家のかんざし

復元建物03全景01

 昨年の「今」はどうだったのだろうか。
 旅先で「卒業式」という語を検索してみたところ、結果は似たようなものだった。昨年も謝恩会を途中で抜け出して加藤家に移動し、大城と大工さんたちの送別会を開き、翌朝、西に向かって移動している。車に乗って日本海を眺め、倉吉や尾崎家の調査の想い出に浸っているのだ。行く先は大山町の文殊領遺跡発掘調査現場。車のなかで、届いたばかりの『マッセイホール』を聞き続けていた。ニールヤングの孤独な呻きと日本海の風景が絡みあった。1年たった今、毎日訊くCDはジェイムズ・テーラーの『ワン・マン・バンド』に変わった。若いニール・ヤングとは真反対の、老成したジェイムズ・テイラーのパフォーマンスにひどく感銘をうけている。じつはDVDのほうがはるかにおもしろい。キーボードとたった二人のコンサートなのに、ドラムも入れば、アマチュア合唱団のコーラスも入る。このコーラスには釘付けになる。マジックのようなコーラス・・・

 今年もまた謝恩会を2時間で切り上げた。卒業式も長いが、謝恩会も長すぎる。わたしは抜忍のように足音をしのばせ謝恩会の会場を後にして、そのまま西へ向かった。今年は「スーパーまつかぜ」の自由席に乗って、米子で鈍行に乗り換え、松江で下車した。
 もう少し卒業生たちと時間を共有していたい、という気持ちはもちろんある。しかし、どこかでその気持ちを拭い取らなければならない。接触する時間が1日増えようと減ろうと大差ないと割り切って、西へ向かう。べつに東でもよいのだが、結果としてみれば、去年も今年も西に向かった。

 松江の夜、飲むには飲んだ。美味い酒であるはずはなく、気が付いたら、ホテルでデジカメ写真の整理をしていた。卒業式と謝恩会の写真である。

復元建物01茅壁01


 日が変わり、快晴。
 「八雲立つ風土記の丘」の奈良時代復元建物はまだ屋根に茅がのっていなかった。茅は壁に結いつけられていた。内側がヨシ、外側はススキを段葺きにしている。まだラフな感じだが、最終的には綺麗になるだろう(綺麗になりすぎても困るのだが)。前回と前々回の指導でわたしを困らせた棟梁は不在。娘さんが相手をしてくれた。縄として使っている「麻ロープ」が妙に新しく見えるので最後に古色塗りしようということになった。館長は、それを「活用」の一環として市民参加でやるのが良いと言われた。そのとおりだと思う。このあたりで今日の指導は終わると思った。そこに茅葺きの親方があらわれ、状況は一変した。

復元建物04笄

 笄(こうがい)とは簪(かんざし)のことである。
 日本の木造建築にも「笄」と呼ばれる部材がある。茅葺き屋根の棟を覆う杉皮を固定するために突き刺す串を「笄」と呼ぶ。家のかんざしである。わたしたちは笄を使う棟の処理を常識だと思っているのだが、親方はいう。「あの材を使うと雨が漏りますよ」と。じつは現場に着いて、すぐにわたしは気づいていた。最後の最後、棟の杉皮を貫くはずの笄が、屋根に茅も葺いてないのに取り付けられて「堅魚木」のようになっており、「これはおかしい」と娘さんに指摘した。どうやら、出雲の民家では棟に笄を使わないようだ。よって、大工も茅葺き職人も、その材の扱いに不慣れなのだ。不慣れな方がたに強制しても意味はない。これについては、

   「出雲の山間部にある茅葺き民家の棟を素朴にして納めてください」

という指示をした記憶がある。たしか40日ほど前のことだ。しかし、職人さんは施工業者が描いた実施設計図にこだわり、笄を使おうとしていた。わたしや館長や顧問は再び「出雲の民家の棟」に倣うべきことを説いた。この受け答えに時間がかかった。老匠の出雲弁が聞き取れないのである。

復元建物02窓01


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  1. 2008/03/23(日) 00:30:43|
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卒業アルバム(Ⅱ)-謝恩会篇

総代20080322211546s

 昨夜お知らせした卒業式の総代は、島根県の安来より通学し続けたという苦学生であります。

   「あのさ、おれはね、なんでもかんでも講義でいい成績をとって首席になる
   とかさ、不必要な単位まで漁りまくる単位フェチみたいな人材をあんまり
   高く評価してないんだけどね・・・単位は適当にとってさ、やりたいことに集中
   したほうが良いと思っている教師なのね・・・???」

なんて意地悪なコメントをしたんですが、

   「いえ、自分が受けると決めた講義については全力を尽くして学びたい、
   と思っています。」

とのお答えでした。あっぱれ!

   「でさぁ、どの講義でも良い成績を納めるためには、どーしたらよいの?」
   「それはもう、予習と復習。これに尽きます。」

 平田から環境大学までの通学時間を利用して、かれは予習・復習を日々繰り返してきたそうです。
 電車のなかで横山某の漫画とか司馬某の忍者小説を読んでいるどこかのだれかさんとはえらい違いですわね。反省!

 以下、謝恩会のショットです。もっと良い写真があるかと思ったんだけど、もひとつないのね。卒業生および後輩諸君でよい写真があるようなら、またアップしてください。
 よろしくお願いします。

謝恩会03とまと友達01
↑とまとさんのお友達と

謝恩会02ゼミ4名01
↑けんぼー、チャックと後輩たち

謝恩会04haruと先生01
↑ハルさんと

謝恩会05福井夫妻と
↑左サイドハーフ夫妻と

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  1. 2008/03/22(土) 00:00:01|
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卒業アルバム(Ⅰ)-卒業式篇

卒業式01ハル授与01鏡


 20日10時半より2007年度の卒業式がおこなわれました。毎年会場に使ってきた梨花ホールは改装工事のため、今年度の会場は市民会館となりました。その後の学科表彰は県民文化会館に移動。
 まぁ、こういうとなんですが、平々凡々たる卒業式でしたね。もう少しおもしろいスピーチをする方が一人や二人はいてもよいと思うのですが、いなかったな・・・・。あえてあげるとすれば、卒業生総代として答辞を述べた情報システム学科の学生の「風景」に奇抜なものを感じ取りましたが、それは明日の「謝恩会篇」にとっておきましょう。
 さて、いま松江におりまして、またしても、ちょいとそこまで出かけてきますので、急ぎ写真だけアップしておきます。
 
 4期生諸君、卒業おめでとう!
 これからの人生に幸あれ、だはは、だはは、だははは・・・

卒業式02記念撮影01
↑学科記念撮影直前

学科表彰01ハル01
↑学位授与(学科表彰)

学科表彰02チャック03複合
↑卒論金賞授与

学科表彰03勢揃い4名01
↑4賞独占!

花束贈呈01
↑ゼミ後輩からの花束贈呈


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  1. 2008/03/21(金) 00:18:20|
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続・朗報

 遅れに遅れていた卒業研究論文部門の審査が終わりました。20日の卒業式で表彰されます。

 研究室にとっては目出度い結果とあいなりました。ゼミ生3名がワン・ツー・スリー・フィニッシュ! 
 結果は以下のとおりです。

  金賞: 嶋田喜朗(チャック)
       ©青谷上寺地遺跡 -弥生時代「最長の垂木」をめぐる復元考察を中心に-
  銀賞: 横田研二(けんボー)
       とっとり建築アルケオロジー -縄文・弥生・古墳時代住居の復元-
  銅賞: 松本朋子(とまと)
       谷口ジローの風景 -昭和の鳥取・町並みを探る-

 論文部門はASALABから3年連続で「金賞」の受賞者がでました。2005年度の坂本(ピエール)、2006年度の森川(モリさん)に続いて、嶋田(チャック)の受賞です。新4年生・3年生には、これ以上の刺激はないでしょう。4連覇、5連覇をかけて活動しようぜ!

 なお、ハルさんは制作部門で惜しくも次点でした(審査は10日に終わっています)。ハロン湾の見事な水墨画を制作したのですが、なにぶん建築設計作品に重点をおく審査でして、若干のハンディを背負ってしまった感があり、残念です。ただし、昨夜も述べたように、ハルさんは「書道部での活躍」が評価され、卒業式で学生表彰されます。結果、ゼミ生全員が表彰されることになりました。
 指導教員としてとても嬉しく、また、安堵しております。
 
 というわけで、いよいよ卒業式なんです・・・・


2008卒論梗概集01表紙
↑2008年度の卒業論文概要集。全論文が2頁ずつ掲載されています。金・銀・銅受賞作は学術的にも価値がある論文です。概要集の入手を希望される方はご一報ください。

  1. 2008/03/20(木) 00:00:54|
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朗報

 バリから帰国した翌日(12日)、ちょっとした朗報がもたらされた。
 わたしが出張で不在にしていたあいだに、学務課からとまとさんに就職話が持ち込まれ、その面接をうけたらあっさり決まってしまったというのである。
 今年のゼミ卒業生はわずか4名だが、就職内定の進捗は遅々としていた。チャックが春先に関東の印刷会社から内定をもらってきたのだが、わたしはさらに就職活動するよう指示した。チャックの能力からすれば、もっと良いところがあるだろうと思っていたからである。それは夏のインターンシップを経て現実のものとなった。チャックは文化財系コンサルへ就職することになったのだ。
 けんボーは就職とは最初から無縁だった。かれは車が大好きで自動車整備関係の専門学校に進学することを3年次から決めていた。学業より、就職より、なにより車の男なんだが、じつはこの1年、車の厄災に振り回された。ご両親は「卒業」を条件に専門学校への進学を許してくれたというから、理解がある。ところが、けんボーは典型的なB型ののんびり屋さんで、単位取得はかなり厳しい状態に追い込まれていた。卒業判定の「後」までハラハラさせられた。ハルさんは書道家の卵としてすでに何度かコンテストで入賞し、県内では名前が知られている。ところが、春先には東京の動画系CG会社に面接に行ったりしていた。CAD嫌いの代表選手のような学生がどこでどう狂ったのかと訝しがっていたのだが、結局、書道家の道を歩むために、ある研究会の「代表」に納まることになった。彼女の場合、すべては書道のためにある。学業よりも、就職よりも、なにより書道だ。それで良いだろう。しばらく鳥取にいて、書道の修行を積み、沖縄に帰って書道の先生になるのだそうだ。
 とまとさんには、紙面デザイン系企業のサイトを教えたり、建築関係の仕事を斡旋していたのだが、なかなか内定がでず、どうしたものかと思案にくれていたところだった。決まるときはあっさり決まるものだ。兵庫県の某工業高校の実験助手とのことで、よい勉強になるだろう。時限付きの職だが、できるだけ早く2級建築士の資格をとってもらいたい。
 女子の場合、こういうタイミングで就職が決まることもままある。昨年の「北から来たの」さんがそうだった。卒論を書き終えたちょうどこのころ、地元の兵庫で公園管理の仕事がみつかった。「北から来たの」さんも「とまと」さんも、なかなか強運の持ち主だね。良かった、よかった!
 チャックは東京、けんボーは埼玉、とまとさんは兵庫に引っ越し、ハルさんだけが鳥取に残る。そういえば、もうひとり鳥取に残る学生がいるな・・・。

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  1. 2008/03/19(水) 00:07:39|
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ウブド通信(エピローグ2)

 デンパサールから関空までの飛行時間は6時間半。日本時間の7時(バリ時間の6時)起床。朝食が配られた。JAL国際線の機内食は、かつてとても悲惨な時期があった。今はずいぶん持ち直している。食後、『アフターダーク』を読み終えた。いつものことだが、「落ち」はない。村上春樹の小説に答えはない。読破したのだから、そこそこおもしろく感じたのだろう。しかし、いつものことながら、なにやら不可解な読後感が残る。その前に読んだ『東京奇譚集』はもう少し分かりやすい短編集で、「落ち」のある作品も含まれていたんだが、『アフターダーク』は結構きつかった。
 関空に着陸したのは午前8時半。出国手続きは順調に進んだ。が、荷物はなかなか出てこない。そのあいだ難波OCATのバスセンターに電話して、鳥取行きのチケットを予約した。梅田発11時の便である。ようやく小型の銀色のスーツケースがでてきた。と思ったら、わたしのスーツケースではなかった。しばらく待って、こんどこそわたしのスーツケースを発見。すでにJAL716便の客はほとんど消えている。
 それからJALの荷物カウンターに行って、アラックとブレムの入ったダンボール箱をうけとった。ガムテープで厳重に固めてあり、それをカッターでほぐしたら、中のビニールバックはぼろぼろになってしまった。
 酒とスーツケースの荷札を交換し、税関も楽にパスした。急ぎリムジンバスの停車場へ。早朝でもあり、梅田行きの便はがらがらだった。梅田まで1時間あまりを要した。梅田に着いてまずは紀伊国屋に寄り、司馬遼太郎の忍者本を3冊買った。わたしのような単細胞には、やはり村上春樹よりも司馬遼太郎があっている。ただ、村上春樹の小説にはジャズの話が突然でてくるので、それを楽しみに待っている自分がいる。いずれまた読みたくなるだろう。
 鳥取行きのバス乗り場は紀伊国屋の対面にある。カウンターで、予約した切符を受け取った。喫茶店で一休みし、携帯の蓋をあけてみると、たくさんの着信履歴が残っている。登録していない電話番号ばかりで、その一つは4回繰り返してコールされていたが、無視することにした。おそらく明日のやっかいな会議のことに違いない。構うのも煩わしい。
 11時5分前、鳥取行きのバスに乗り込んだ。銀色のスーツケースは車体中央下側の荷物収納ボックスに納めたから身軽になった。そこに携帯が鳴った。おそるおそる電話にでた。

   「あのぉ、スーツケース、間違えてらっしゃいませんか?」

 仰天した。運転手に頼んでボックスをあけてもらって確かめたら、たしかに間違っている。大きさも色もそっくりのスーツケースだったが、わたしのそれではないことに気が付いた。折り返し電話した。わたしがもっているスーツケースは、吹田在住のYさんのものだという。わたしのスーツケースは関空の係員が保持している。その係員は電話口でこう言った。

   「間違えたのはそちらさんですからね、宅配料などはご負担ください。」
   「えっ、荷物のタッグを確認したのはお宅の会社でしょ?」
   「いえ、間違えてもっていったのはそちらさんですから・・・」


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  1. 2008/03/18(火) 00:05:27|
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バリに住む日本人 -ウブド通信(Ⅹ)

金太郎01外観01

 「ベビーフェイス」から王宮に向かって歩いていくと、「金太郎」という提灯が目に入った。日本料理屋だった。チキン・ヌードルスープを食べたばかりだったが、ひやかしてみることにした。ざる蕎麦を注文した。「金太郎」の書棚で、文芸社から出ている『テレマカシー・バンニャ』(2005)という単行本をみつけた。古岡真理さんという女性が書いた本であった。大阪の芸術大学の建築系学科を卒業し、中堅のゼネコン設計部で10年間働いた後、集団リストラの波に洗われ、同じ会社に勤務していた夫とともに希望退職し、バリ島に移住してきた。バリで不動産業・建設業を営みながら、レストランの経営にも手を出した。「金太郎」は古岡夫妻のお店である。
 あとでツアーガイドに訊ねたところ、こういう日本人は少なくないそうだ。多くの日本人はクタに住んでいる。ウブドは商売向きの町とは言えないが、日本人を始め、外国人の別荘が多く、それが集中している郊外の地区にも案内していただいた。別荘の値段は決して高くない。農家をリフォームすることだってできる。

金太郎02本01


  「こちらにお住まいになりませんか?」
  「住みたいですね。バリはいいところだ。でも、仕事は何をしたらいいんで
  しょうかね?」
  「レストランとかホテルを経営している日本人の方が多いですよ。」
  「ギターが好きでしてね、『ギターラ』っていう名のカフェを出すのが夢なんです。」
  「ご自分でもギターを弾かれるんですか?」
  「えぇ、まぁ少しは・・・ギター音楽のCDならジャズでもクラシックでも何でもたくさん
  持ってましてね、その音楽をかけたいんですよ。で、たまにはライブもやりたい。」
  「おもしろそうですね。」
  「ただ、移住して心配なのは・・・家内が病気だから、メイドさんが必要でしょうね。」
  「月に1~2万円払えば、メイドは週に3回来てくれますよ。」

王宮02門02全景


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  1. 2008/03/16(日) 00:07:42|
  2. 食文化|
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ベビーフェイス -ウブド通信(Ⅸ)

ベビーフェイス01

 ホテルの前に「ベビーフェイス」というレストランがあって、毎日1~2回通っていた。そのレストランではインターネットが無料で使用できた。内装替えのために一度入れなかった。仕方ないので、隣のジャズバーを使うことにした。このバーでも無線ランは飛んでいたが、有料だった。5時間で60000ルピーだと言われた。700円ばかりの料金だけれども躊躇した。昼間から5時間もネットを使うことなどありえないし、夕方まで待てば「ベビーフェイス」で接続できるであろうから、待てばよいのだ。が、すでにわたしは軽度のネット中毒に陥っていて、昼間の1~2時間だけでもブログやメールに接続したい欲求が捨てきれない。それに、ジャズが好きなんだ。結果、そのバーで昼食をとることに決めた。
 ところが、ジャズ・バーにジャズは流れていなかった。70年代から90年代のポップスばかりが聞こえてくる。べつにそういう音楽が嫌いではないから、パソコン弄りのバックミュージックには悪くないと思って、気にもとめず音楽を聴いていた。すると、突然、音楽がジェイムズ・テイラーの「ユーヴ・ガッタ・フレンド(君の友だち)」に変わった。キャロル・キングの名曲として知らない人はいないだろうが、シングルとしてヒットさせたのはジェイムズ・テイラーである。もう少し詳しく説明すると、キャロルが1971年にグラミー賞4部門を制覇したアルバム『つづれおり』のなかの1曲で、同年、ジェイムズ・テイラーがシングルカットして全米№1を獲得した作品である。

猿03院庭01

 わたしは驚喜した。出国前、ジェイムズ・テイラーの『ワン・マン・バンド』(2007)が届いて、そのライブの素晴らしさに翻弄されたばかりだったからである。『ワン・マン・バンド』のDVDをみると、「君の友だち」の歌い出し直前に「ジョニ・ミッチェル、ジェイムズ・テイラー、そしてキャロル・キングのユーヴ・ガッタ・フレンドです」と紹介される。
 『ワン・マン・バンド』を視聴するまでもなく、ジェイムズ・テイラーほどフィンガリングの上手いシンガー&ソングライターはこの世に存在しない。これについては、いずれ稿を改めて書こうと思っている。ともかくウブドのジャズ・バーで突然流れた「君の友だち」のために、パソコン弄りの手が止まってしまったのである。わたしは高校生のころ、「君の友だち」のギター伴奏を完全にマスターしていた。「ファイアー・アンド・レイン」も「カントリー・ロード」もちゃんと弾けた。ただ、ジェイムズ・テイラーのように歌うのは不可能だった。オリジナル・キーで歌おうとすれば、1オクターブ高く声をだすしかなかった。ジェイムズ・テイラーのように低くて太くて暖かい声はどうしてもでなかった。今でも無理だが、青い高校生に歌える曲ではない。
 ジャズ・バーで、わたしは少し興奮してしまった。思わず、

   「ジェイムズ・テイラーだよ!」

と店員に声をかけたのだ。若いかれらはキョトンとしている。
 この店は、これが最初で最後になった。

猿04壁01



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  1. 2008/03/15(土) 00:06:07|
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タナロットの夕暮れ -ウブド通信(Ⅷ)

タナロット01全景12遠景02

 3日めのハイライトは夕暮れにやってきた。ウブドの西南の海岸線にあるタナロットというヒンドゥ寺院群を訪れた。島に寺院がある。満潮なら島には渡れない。引潮になると、ご覧のとおり。かつて一度だけこういう経験をしたことを、愛読者はご存じかもしれない。
 2005年8月28日、わたしはスコットランド・オークニー諸島の北端にいた。前日もその岬にいたのだが、めざすブロッホ・オブ・バーセイという遺跡は海を隔てた小島にあり、夕暮れの岬は満潮で島に渡れなかった。翌朝、再び同じ岬を訪れると潮はひいており、小島にわたり遺跡を堪能した。

タナロット01全景01

 宗教学者のミルチャ・エリアーデが提唱したヒエロファニー(聖性顕現)という概念を思い起こす。聖なる存在は、それにふさわしい神々しい特殊な場所にあらわれる。それはたぶんに共同幻想にすぎない。が、そういう幻想を抱かせたくなるような地形がたしかにある。投入堂を思いおこせばよいだろう。投入堂が凝灰岩と安山岩の断層で窪んだ絶壁に存在しないならば、あれほどの聖性を訴求できたはずはない。まずは地形や植物がある。断崖や洞窟や島や大樹があって、そこに聖なる存在が宿ると人類は想像をたくましくする。その対象を先んじて崇めるようになり、気がつけば、そこに神殿らしき建築物を建ててしまうのである。タナロット寺院はその典型としかいいようがない。そこに建築を建てることによって、聖なる風景はいっそう引き締まり、聖性を誇示する場合もあれば、下手な建築を建ててしまったことで、自然がもっていた聖性を損なってしまう場合もある。
 タナロットや投入堂はヒエロファニーを増幅させた成功例である。

タナロット02蛇02

 タナロットの場合、小島に最大規模の寺院があり、周辺の断崖の先端にも小さな寺院が散在して、一方から他方を望むことができる。一方は他方の点景なのであるが、ひょっとしたらこれは漁民の「山立て」とも関係しているかもしれない。
 コンパスをもたない時代、沿岸漁労民たちは海上における自分の位置を特定するために、地上の点景をいくつか把握し、それらの位置関係を細かく把握していた。その点景となる存在を日本の漁民は「山」と呼び、いくつかの「山」の見え方によって自分の座標を確認できたのである。ここにいう「山」とは山に限らない。海岸線に並ぶ神社や岬などの特殊な地点もまた「山」の一つであった。また、海から神社がみえることで、漁民は死の不安をやわらげた。だから、日本の海岸線に神社が多い。住吉も宗像も出雲もみな海岸線に存在した神社である。伯耆の国ではないが、伯耆に最もちかい大社は美保神社であろう。境港よりも東にありながら島根半島に含まれるために、この神社は出雲の大社の一つとしてよく知られている。島根半島のなかでは、出雲大社と対称の位置にあって、神話世界でも重要な役割を果たしている。本殿の様式は、いちおう大社造とは呼ばれているけれども、「比翼大社造」という独特の様式をもつ。いまは海岸線から奥まった山裾にあるが、埋め立て以前に波打ち際に接していたのは疑いない。

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  1. 2008/03/14(金) 00:04:20|
  2. 建築|
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三期作のプロセス -ウブド通信(Ⅶ)

稲田02畑01

 3日め(3月9日)もまた車にのって田をみてまわった。

 今回の視察は「建築」よりも「景観」に照準をあわせている。建築は点だが、景観は面だ。文化遺産たりうる建築を結ぶ面が景観であり、バリの場合、その大半は稲田だと言ってよい。あたりまえのようで、日本と共通するこの特色を無視してはいけない。点を結ぶ「つなぎ」の景観として田や畑が評価できるならば、保全の対象は「建築」から「地域」に変わる。

 バリの稲作は3期作で、ある場所で田植えをしているかと思えば、山を越えると稲刈りの真っ最中だったりする。穂をつけた田もあれば、穂のない葉と茎だけの田もある。居ながらにして水稲農耕のプロセスを知ることができるわけだ。

稲田03穂01

 昨日のような棚田は例外として、田をみて感動を得るのは日本人には難しいだろう。あまりにありふれた風景でしかない。日本人にとっても、インドネシア人にとっても。しかし、欧米人は同じように見ていないかもしれない。わたしはイングランドやスコットランドを訪れ、どこの田舎にもありふれて存する田園風景にみとれていた。町並みや遺跡の背景として映る田畑や放牧地に美を感じ取っていたのである。その風景はピクチャレスクというふさわしいものであった。欧米人はアジアの水田をみてどう感じているのだろうか。感動とは言わないまでも、言いしれぬ魅惑にとらわれている可能性はあるのではないか。

稲田04脱穀01
↑↓脱穀と田植が同時におこなわれている。
稲田01田植え直後01



  1. 2008/03/13(木) 00:19:54|
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四阿の高倉 -ウブド通信(Ⅵ)

ルンブン01全景02籾運び

 チェッキン・テガラランの棚田からしばらくウブドに向かって車を走らせると、水田の脇の広場に1棟の高床倉庫を発見した。バリでは、この種の米倉をルンブンと呼ぶ。3年前にも、数寄屋のような農家のなかで1棟のルンブンを発見し驚喜したが、今回は水田の脇に倉が存し、床下に男たちが集ってなにやら戯れている。
 高倉は四阿(あずまや)でもある。バリの高倉は屋根倉であり、急勾配の屋根の下に籾や穂を納める。それが証拠に、円盤のような鼠返しが天井の下についている。床から50㎝ばかりあがったところに敷かれる簀の子は四阿の床で、村の男たちは簀の子の上で話に興じ、酒を飲むのだ。よくみれば、このルンブンを超えた遠い向こうの集落にも数棟のルンブンが軒を連ねている。まだ、こうして茅葺きの屋根倉が少しだけ残っている。放置しておけば、まもなく喪われる施設であるに違いない。
 日本にも同類の施設がないわけではない。沖縄や奄美に残る屋根倉がまさにこの類の穀倉ではあるけれども、本土ではさてどうか。米を収納するのは倉だから、土蔵か。しかし、たれも土蔵でくつろぐことなどない。家の中では「縁」が上の簀の子ににている。戸外で人が集う場所はどこだろうか。敢えてあげるとすれば、鎮守の森か。残念なことだけれども、ルンブンに見立てられる施設が思い浮かばない。

ルンブン01全景

 バリは世界遺産とは無縁の島である。が、世界遺産であってもなんら不思議ではない。類まれな島の地形と植生、ヒンドゥ教の世界観を表現するおびただしい寺院と祭祀、そして棚田に代表される文化的景観。残念なのは、農家を中心に伝統的民族建築が急速に喪われ始めていることだが、これとてまだ手遅れではないだろう。
 日本でもまるごと世界遺産にすればよいと思う島が2つある。ひとつは対馬、いまひとつは隠岐だ。頼りになる制度はもちろん「世界遺産」だが、そんなだいそれた杖を振り回しても骨折り損だと叱正されるならば、とりあえず「文化的景観」の制度から出発するしかないだろう。(8日の稿、完)

ルンブン02中景01

ルンブン04複合


  1. 2008/03/12(水) 01:42:04|
  2. 建築|
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稲の景観 -ウブド通信(Ⅴ)

テガラッラン棚田01

 稲田が文化財たりえると思ったことがかつて一度だけある。

 あれは1993年の秋だった。秋田県近代化遺産の本調査を終えて報告書編集のための会議が現地であり、ついでに2~3ヵ所補足調査をしようということになった。車で移動していたときのことだ。前後左右の広大な水田地帯をうねり進み、どこまで行っても稲穂の波につつまれていた。まさに収穫されんばかりの黄金の稲穂があたり一面たなびいている。そこは緩やかな傾斜地であったから、棚田というほどの棚田ではなかったけれども、傾斜地の上から見下ろせば、あたり一面が金色の海のように輝いた。
 黄金の浪がざわついている。しばらくして夕陽がその穂を赤く照らし始めた。すると、あたり一帯は赤身を帯びた金の海に変わった。そのとき言いしれぬ恍惚を覚え、近代化遺産より何より、この風景をこそ保全すべきではないか、と舌をすべらせたところ、車を運転していた県の文化財担当者ににべもなく笑われた。かれは近世史の専門家であった。そして、秋田の人であった。土地の人からみれば、黄金の海などありきたりな風景にすぎない。遠くからやってきた訪問者が鑑賞して感動するように意識が覚醒するはずはないだろう。ましてや、稲を収穫する農民にしてみれば、田は生活の場そのものであり、日々体験する風景でしかないのだから、恍惚や感動とは無縁である。
 しかし、わたしはあのとき、黄金の海を切り裂くように出陣する戦国武将の隊列を思い浮かべていた。黒沢明の映画にだって使える。それほどの風景だった。

テガラッラン棚田02

 それから3年ほどして、フィリピン・イフガオ地方の「コルディラの棚田」が文化的景観の価値を評価され、世界で初めて世界複合遺産になったという知らせを受けた。「田んぼ」が世界的な文化財として認識された瞬間であったといってよい。
 この日(わたしはまだ3月8日の話を書き綴っている)、午前からずっと棚田を中心に水田を追い求めていた。至るところで車を停め、田を撮影していたのである。そのフィナーレが「チェッキン・テガラランの棚田」であった。すでにバリの観光ガイドに必ず掲載されるようになった名勝地で、土産物屋や茅葺きの茶屋が軒を連ねている。
 絶景というほかない。険しい渓谷に紡ぎ上げられた棚田がバナナ林や山林と融け合うその風景は、バリの生業世界を映し出すなによりの画像である。

テガラッラン棚田03


  1. 2008/03/11(火) 21:00:20|
  2. 環境|
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バトル山の雨 -ウブド通信(Ⅳ)

キンタマーニ01

 ブギス寺院からキンタマーニ火山まで、車は斜路をうねりながら下りたり上ったりした。雨はどんどん強くなっていく。それでも、バトル湾とバトル山を望むビューポイントにたどり着いたときには、うっすらとではあるけれども、まだ山影と湖面を覗うことができた。
 1996年、わたしは初めてカラオケで「金太の大冒険」を聞いた。修士課程に進学したばかりの女子学生がてらいもなく歌う姿に抱腹絶倒し、以後、恥知らずにも、自らのレパートリーに取り入れたのであった。鳥取に移ってからも、2期生の「北から来たの」さんや西河♀さんの前で歌うとバカ受けして気を良くしていたのだが、3期生の歓迎会でやったら大すべり。モリさんやアッコさんは困ったような顔をして、しばらく沈黙の時が流れた。
 バリ島が世界に誇る火山は「金太の大冒険」のネタにはなっていない。なってもよいはずなのに、なっていないのはキンタマーニという火山の名前があまり知られていないのと、名があまりに直截すぎるからであろう。じつはキンタマーニという地名は、火山の名ではない。運転手の言に従うならば、それは村の名前であるという。山の名はバトルという。バトルは巨大なクレーターをもつ活火山で、その噴火によってバトル湖が生まれた。バトル山頂の標高は1745m。大山とほぼ変わらない。ただし、バトル山はバリ島の最高峰ではなく、その東方に聳えるアグン山(標高3142m)が最高峰で、こちらは富士山には劣るが北岳クラスの高峰である。バリ・ヒンドゥ総本山のブギス寺院はアグン山の中腹に境内を構えている。

キンタマ大雨



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  1. 2008/03/10(月) 21:26:01|
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ブギス寺院 -ウブド通信(Ⅲ)

ブギス寺院02本院02眺望


 街に喧噪がもどってきた。8日はサカ暦の正月2日である。
 昨日のように、奥のプールに向かおうとすると、ターバンを巻いたルームキーパーの一人が「朝食はあちらですよ」と言って、道のほうを指さした。
 空は晴れていた。朝食後、さっそくタクシーの予約をした。昨日動けなかった分を取り戻さなければならない。タクシーをまる1日キープして、キンタマーニ火山、ブギス寺院、ライステラスを一気にみてまわることにした。
 発車してまもなく、運転手が「どのようにまわりたいのか」訊いてきた。昨日のような天候になっては困るから晴れているうちに火山をみておきたいと主張したのだが、どうやら火山には昼食用のレストランが準備されているようで、運転手はブギスに先に行こうと提案した。

   It's up to you !

と答えたのだが、なにやら嫌な予感がした。

ブギス寺院01仮設祭場01

 今回のバリ視察はもちろん観光ではない。ある「見立て」に挑もうとしてここにやってきた。キンタマーニ火山を大山、ブギス寺院を大山寺、山麓の諸寺を伯耆の社寺や史跡、ライステラスを棚田や段々畑に見立てているのである。それならバリなど訪れなくとも、伯耆の国を彷徨すれば済むことではないか、とだれしも思うだろう。しかし、それではアイデアがふくらまない。バリに居て、名勝旧跡を訪れながら大山と伯耆に想いを馳せるから、凡人のイメージに閃きが加えられるのだ。つい先日のあるヒアリングでも、わたしは大法螺を吹いた。

   鳥取県の中山間地域の里山や農村集落を何にも代え難い「文化的景観」だと
   言って、保護の対象にしようと提案したってつまらない。ハロン湾というアジアの
   世界遺産を相手にしているのだから、そういうグローバルな視野をもって三徳山
   なり大山・隠岐をとらえ、その自然と文化遺産と文化的景観のすべてでもって
   勝負しない限り、世界はおろか、日本の国内予選すら勝ち抜けないだろう。

 読者諸兄には、わたしが何を言いたいのかよく分からないかもしれない。これから2年をかけて、その姿を少しずつお知らせしていくので、楽しみにお待ちいただきたい。

ブギス寺院01仮設祭場02


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  1. 2008/03/09(日) 20:20:01|
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オゴオゴ蒐集 -ウブド通信(Ⅱ)

 ニェッピがあけた正月2日、北部山岳地帯を周遊した。記事が長くなるので、まずは悪霊オゴオゴの写真を掲載しておこう。行く先々で大晦日の追儺の儀式のためにつくられたオゴオゴをみた。オゴオゴとは悪霊である。悪霊は山とか森とか洞窟に潜んでいるわけではない。人の体になかに巣くっていて、大きくなったり小さくなったりしている。それが晦日に姿をあらわすのである。その悪霊を追い払い、新年を迎えるのだ。

オゴオゴ02横01


オゴオゴ13複合02


オゴオゴ12横01


オゴオゴ13複合04
オゴオゴ13複合03



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  1. 2008/03/08(土) 23:31:12|
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ニェッピ -ウブド通信(Ⅰ)

ホテル01遠景01

 一日中、ホテルにいた。今日はバリのお正月で、全島で外出が禁止されている。町をぶらぶらしようものなら、警察に訊問され、家に連れ戻されるという一日なのである。
 昨夜デンパサール空港に降り立ったのが23時半(日本時間の0時半)。およそ1時間後に出国手続きを終え、迎えのミニバスに乗った途端、パスポートが手元にないことに気が付いた。換金所に置き忘れたに違いなく、きびすを返して取りに戻ると、税関の役人が待ちかまえていた。これはラッキーだ、だれかに盗られていたら、調査も観光もあったもんじゃない、と胸をなでおろしていたところに、ガイドが言う。

   「あしたはバリのニェッピだからね。どこにもでられなませんよ。町をじゃらん
   じゃらんしているだけで、警察に捕まりますから、ホテルのなかで大人しく
   していてください。」

 そんなバナナ。ライステラス(棚田)か、キンタマーニ火山か、ブギス寺院か、さぁどこから攻めよう、と思案をめぐらしていたところに先制パンチを頂戴してしまったのだから、あいた口がふさがらない。

ホテル02池01

 バリと言えば南国の楽園でのビーチリゾートと羨ましがられるかもしれないが、今回わたしがめざしたのは北部の山岳地帯で、国立公園クラスの自然名勝地、ヒンドゥ教総本山を初めとする多くの山岳寺院、棚田などの文化的景観が集中するエリアであり、ウブドはその観光拠点ともよぶべき田舎町である。小さな島なのに、空港から1時間もかかる。
 深夜の2時にホテルについた。バンガロー形式の質素なホテルである。
 部屋に入ると、テレビもなく、むろんインターネットなど使えるはずもない。テーブルの上にマネージャーが全客室に配布した英文の置き手紙を発見した。そのタイトルを示す。

    Nyepi (ニェッピ)
      a Balinese New Year (バリの新年)
      a day of absolute stillness  (絶対的静寂の一日)

 日本に新暦(太陽暦)と旧暦(太陰暦)があるように、バリにはサカ暦とウク暦があり、今年は3月7日がサカ暦の元旦だというから、わたしはよほど恵まれた人物なのかもしれない。大晦日は悪霊を追い出すためにオゴオゴと呼ばれる山車が島中を駆けめぐり、ゴンやシンバルの音楽で大騒ぎになる。とすれば、わたしが到着する直前までバリは喧噪なフェスティバルで賑わっていたわけだ。
 年があけて、島は静寂に包まれる。この日、すなわち新年の初日には、まず火を使ってはならない。灯をともしてもいけない。働いてはいけないし、家の中にいなければいけない。だから、島中の町と村がゴーストタウンのように閑まりかえる。

ゴーストタウン01
↑ホテル周辺はゴーストタウンのよう


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  1. 2008/03/07(金) 23:54:17|
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第4回 卒業研究展!

卒展!

 例年よりも4日ほど遅れた3月5日、県民文化会館のフリースペースにて卒業研究展示会がはじまった。2007年度、学部からは論文20点、制作25点の計45点の成果を9日まで展示をしている。私は前日の会場設営から参加しており、論文の展示スペースをいろいろといじらせていただいた。私とけんボーの研究はイメージ的に似た雰囲気が漂うため、はっきりと差別化させるための配置に苦心した。3棟の竪穴住居模型は広いホールにあって抜群の存在感があり、制作者達の思い入れが滲み出ている。求心力のある模型を展示スペースの内側に置くことで、他の展示にも目が行くように工夫したつもりだが、結果や如何に。

模型

 私のパネルはというと、正面入口から入ってすぐのところに貼ってあり、その横にとまとさんのシブい谷口ジローパネルがある。ちなみにけんボーのはその背面にあり、asalabの展示は離れているようでじつは近い。一人制作のハルノさんのは院生の成果物と並んでおかれており、やはり独特の味わいある空気を漂わせている。ほんとはここにハロン湾のCGも並ぶはずであり、両作品を合わせた時の威力ははかり知れなかったろうなぁと思うと・・・・いや、これ以上言うのは控えましょう。

ハルノさん

なにはともあれ、これで作るべきものはすべて作った。あとはまとめて整理して、後輩に託すのみである。(チャック)


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  1. 2008/03/07(金) 21:15:06|
  2. 研究室|
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ウブド通信(プロローグ)

 さきほど関空から飛びたちました。

 出国前日、髪を切って医者に行ったの。海外に出る前には必ず医者に寄って「抗菌剤」を頂戴する。抗生物質の強力なやつでして、食中毒なんかに即効性があるんです。向こうで、疲れたと思ったら、たっぷりのお湯で抗菌剤を飲んでから寝るのね。抵抗力が弱っているから、雑菌に冒されやすい体を守ってくれます。
 さてさて、血圧を計っていただいたら高くなっていて驚いた。はたして夕食後、頭が痛くなり、頓服を飲んでソファに横になった。準備ができない。仕方ないから、漫画を読んだ。横山光輝の戦記物や忍者物はほぼ読み終え、何かおもしろい作品はないものかと注文したのが『ウィグル無頼』(1972)と『クィーン・フェニックス』(1975)。いや、恐れ入りました。傑作だね。たんなる描き手ではなく、原作者としての質の高さを存分に味わえる短編2作です。前者は中国西域の戦記物。主人公はゴルゴ13を彷彿とさせる一匹狼で、行く先々で女にもてる。羨ましい。後者はSF傑作選シリーズの一つだが、素材は古代エジプトにある。読んでいて、「インディ・ジョーンズ」と「スターウォーズⅢ」と「火の鳥」の記憶が少しずつ蘇った。初期の横山作品は画風・作風ともに手塚治虫の影響を鮮明に読み取れる。ただ、手塚よりもはるかに大人の世界を描こうとしており、男女の愛と性描写も見応えがある。

 2週間ほどまえ、ユースケ・サンタマリアのクイズ番組で、横山光輝の戦記物にでてくる「姫」かとみまがう女御を発見した。こういう異性が視界に納まることはまずないので驚いた。その女性は大変聡明で、みごとクイズ番組で1位に輝き、ニュージーランド短期留学を勝ち取った。血眼になってパネルをおい、名前が「皆藤愛子」だと知った。家族に訊くが、だれも知らない。
 ネットで検索したところ、「めざましテレビ」のお天気お姉さんで、気象予報士女性部門では3年連続人気投票№1なのだという。早稲田大学第1文学部在籍中から、この仕事をしていたらしい。大学4年のとき大手TV局のアナウンサー試験を受けたのだが、最終面接で落選。現在は、小林麻央らを抱えるセントフォースというタレント事務所に所属している。
 さて、皆藤さんは正室か側室かといえば、側室でしょうね。政略結婚で押しつけられた正室に嫌気がさした殿が溺愛する側室で、正室からはさんざん妬まれいじめられる役回り。正室のいじめがあんまりひどいので、殿はとうとう側室の皆藤さんを別の城に移し、自らもその城に入り浸りになって、皆藤さんのいる城が執政の場に変わってしまったりするのだれど、殿の出陣中に正室の手がまわり毒殺されるという美人薄命の哀れな側室・・・
 あくまでイメージですからね。ただ、大河ドラマなどに出てほしいかと言えば、そうでもない。あんまり和服が似合いそうでもないしね・・・ならば、なぜ横山漫画の「姫」だと感じたのか。全体の雰囲気というかたたずまいというか、そういうものでしょうね。
 所詮、男性側からの一方的なイメージだから、この記事を読んだ皆藤さんは「馬鹿じゃないの」と笑うだけかもしれない。



  1. 2008/03/06(木) 21:00:37|
  2. 漫画|
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赤波川渓谷-豪雪地帯を往く(Ⅱ)

20080303020240.jpg

 板井原を離れ、用瀬に向かった。国道53号線には戻らず、赤沢川沿いの古道を下っていった。用瀬町の約1.2kmの範囲に「赤波川渓谷おう穴群地区」がある。おう穴(歐穴)とは花崗岩の河底を水流が穿ってつくった壺状のくぼみのこと。約1.2kmのあいだにさまざまな窪みや独特の花崗岩地形が連続する。たとえば、下の写真の左は通称「鬼の釜風呂」、右は「階段状河床」である。

20080303022349.jpg

 ちなみにこの区域は旧用瀬町時代から「環境美化促進地区」とされ、県の条例により空き缶などのポイ捨てが禁止されている。環境美化促進地区内で空き缶などをポイ捨てすると罰金が科せられるというから要注意・・・というか、どこでも空き缶のポイ捨てなんかしちゃいけませんよね。

20080303020251.jpg

 じつは、この山道を通ったのにはもう一つの理由がある。板井原の「野土香」で読んだ観光雑誌によると、このあたりに「モルジュ」と呼ばれるカレー専門店があるというのだ。そこで雑誌に掲載されていた「こだわりチキンカレーセット」を食べてみようと企んでいたのだが、見つけられなかった。
 下流におりて雪も消えたあたりで、犬の散歩をしているご婦人に訊ねてみたところ、やはりあの渓流沿いらしい。そう言えば、「フォレスト用瀬」という大きな観光施設があったな・・・さっそくネットで検索してみたところ、たしかに「モルジュ」は「フォレスト用瀬」のなかにあるレストランのようだ。渓流沿いの道は狭くて曲がりくねっているから、ともかく速くすり抜けたいとばかり思って運転していた。おかげで、「こだわりチキンカレーセット」はお預けになってしまった。(完)

20080303020218.jpg
↑下流域の集落で立派な近代和風住宅を発見した。

  1. 2008/03/06(木) 00:03:32|
  2. 環境|
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板井原 -豪雪地帯を往く(Ⅰ)

20080303014737.jpg

 2日の日曜日、よく晴れていたので、遠出することにした。あるプレゼンテーション用の写真を撮影するために、智頭町の板井原をめざした。鳥取から河原のあたりまで残雪もほとんどなく、小春日和で良い気分だった。用瀬を過ぎて智頭に近づくにつれ、田んぼが真っ白に変わっていった。道路に雪はない。しかし、路肩と田んぼに根雪がどっさり残っているのだ。
 ヤな予感がした。もう5年ばかり前のことになる。智頭でちょっとした仕事があり、ついでに板井原をひやかそうとした。智頭の町では雪が薄く積もっていた。しかし、湿気の多いべちゃべちゃの雪で車の運転にほとんど支障はなかった。そのまま板井原をめざして、山道を上っていったのだが、途中でアイスバーンになり、車が動かなくなってしまった。情けないことだが、わたしは智頭町役場に電話し、救援を求めたのだった。もちろん4輪ともスタッドレスにしていた。しかし、車輪は氷の上で空回りするだけ。救援者の指示に従い、クラッチをニュートラルにしたりローにしたりしながら、少しずつ斜面を下っていった。事故にはならなかったが、生きた心地はしなかった。

20080303014749.jpg

 その山道をまた上っていった。路肩の根雪は大変なものだった。しかし、路面は凍っていない。だから、今回はなんとか板井原の駐車場まで辿り着いた。雪深い里に訪問客が結構いる。高級カメラをもつ男性数名と椅子に腰掛けてスケッチする女性たち。小春日和の日曜日がねらい目なんだな。雪が降れば道は閉ざされる。暖かくなれば村から雪は消えてしまう。芸術的な雪景色をフィルムかスケッチブックに引き写そうとするならば、こういう日に賭けるしかないわけだ。
 わたしは板井原という集落を、建築的にはそれほど高く評価していない。ただ、この日の雪景は見事だった。一人で来たのが残念で仕方ない。だれかを誘えば良かった。この美しい雪景をだれかにみせてあげたかった。

20080303014757.jpg


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  1. 2008/03/05(水) 00:22:44|
  2. 建築|
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大人のおもちゃ「エアーギター」

 いやいや、床下編集室のみなさん、ご入稿おめでとうございます。遅延したのは確かですが、某院生くんほどではありませんし、卒業生がまだ研究室にいるあいだに入稿できたんだから良しとしないとね。

 それにしても、社長のエアーギターには参ったな。

20080301215612.jpg

 なんかおかしい、と思ったのね。入稿の真っ最中に「今年は六弦倶楽部の練習会、ないんですか?」って真剣な顔して訊いてくるんだから。「まぁ、東部ではないでしょうね・・・ひょっとしたら倉吉の酒蔵ぐらいであるかもしれませんが」と答えると、ちょっと淋しそうな顔をする。
 それで、バッグから取り出してきたのが「エアーギターのおもちゃ」(↑)だったわけです。みなさん、分かりますかね。フレットの上に7つのボタンがあるでしょ。右列上からC、E、G、B、左列上からD、F、Aの配列です。指を斜めに動かすと、C、D、E、F、G、A、Bの順で押さえられる。これ、コードです。3和音のコード。これだけだと音楽にはなりませんが、左側面にボタンがついていて、7thとマイナー(m)コードにも早変わりします。また、半音上げ下げ(フラット&シャープ)用のボタンも左についてます。
 ともかくコードボタンを押して、ネックの延長線上で右指をかき鳴らすと、超音波に反応してコードストロークができるという仕組み。上の3つのボタンは、右が「アルペジオ」。ストロークからアルペジオに切り替わるの。たしか2パターンのアルペジオが可能でした。真ん中のボタンは「セレクト」なんだが、どんな機能だったか忘れちゃった。左のボタンは「カポタスト」。カポタスト・ボタンを押すたびに、6弦全体が半音ずつ上がっていきます。結構、賢いのよ。「優れもの」だと社長は言った。

20080301215622.jpg

 社長は鞄からこのおもちゃエアーギターを取り出すや否や、サザンの「津波」を歌いはじめたんです。ちゃんと弾けるの、コードストロークで。伴奏になってる。上手いことはうまいんだけど、とりあえず入稿の最中なんですよ。で、わたしも真似して「生活の柄」に挑戦したんだが、もうひとつ上手くいかないんだな。G→G7→Cが思ったように弾けない。だから、しかめっ面してたんですよ。一方、社長は絶好調でして、2曲めは「世界に一つだけの花」(↓)。入稿の真っ最中ですよ、繰り返しますが。

   「どこで買ったの?」
   「トイザラスです。」
   「値段は?」
   「2445円」 

 で、産地はもちろん made in China、冷凍餃子の中国です。

20080301215628.jpg

 社長は口には出さなかったですけどね、要は、このエアーギターでもって「六弦倶楽部」練習会に参加しようて魂胆なんだな・・・結構、うけるかもしれんぞ。
 チョトロク会長、如何なものでしょうか?

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  1. 2008/03/04(火) 00:00:55|
  2. 音楽|
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