
3日めのハイライトは夕暮れにやってきた。ウブドの西南の海岸線にあるタナロットというヒンドゥ寺院群を訪れた。島に寺院がある。満潮なら島には渡れない。引潮になると、ご覧のとおり。かつて一度だけこういう経験をしたことを、愛読者はご存じかもしれない。
2005年8月28日、わたしはスコットランド・オークニー諸島の北端にいた。前日もその岬にいたのだが、めざすブロッホ・オブ・バーセイという遺跡は海を隔てた小島にあり、夕暮れの岬は満潮で島に渡れなかった。翌朝、再び同じ岬を訪れると潮はひいており、小島にわたり遺跡を堪能した。

宗教学者のミルチャ・エリアーデが提唱したヒエロファニー(聖性顕現)という概念を思い起こす。聖なる存在は、それにふさわしい神々しい特殊な場所にあらわれる。それはたぶんに共同幻想にすぎない。が、そういう幻想を抱かせたくなるような地形がたしかにある。投入堂を思いおこせばよいだろう。投入堂が凝灰岩と安山岩の断層で窪んだ絶壁に存在しないならば、あれほどの聖性を訴求できたはずはない。まずは地形や植物がある。断崖や洞窟や島や大樹があって、そこに聖なる存在が宿ると人類は想像をたくましくする。その対象を先んじて崇めるようになり、気がつけば、そこに神殿らしき建築物を建ててしまうのである。タナロット寺院はその典型としかいいようがない。そこに建築を建てることによって、聖なる風景はいっそう引き締まり、聖性を誇示する場合もあれば、下手な建築を建ててしまったことで、自然がもっていた聖性を損なってしまう場合もある。
タナロットや投入堂はヒエロファニーを増幅させた成功例である。

タナロットの場合、小島に最大規模の寺院があり、周辺の断崖の先端にも小さな寺院が散在して、一方から他方を望むことができる。一方は他方の点景なのであるが、ひょっとしたらこれは漁民の「山立て」とも関係しているかもしれない。
コンパスをもたない時代、沿岸漁労民たちは海上における自分の位置を特定するために、地上の点景をいくつか把握し、それらの位置関係を細かく把握していた。その点景となる存在を日本の漁民は「山」と呼び、いくつかの「山」の見え方によって自分の座標を確認できたのである。ここにいう「山」とは山に限らない。海岸線に並ぶ神社や岬などの特殊な地点もまた「山」の一つであった。また、海から神社がみえることで、漁民は死の不安をやわらげた。だから、日本の海岸線に神社が多い。住吉も宗像も出雲もみな海岸線に存在した神社である。伯耆の国ではないが、伯耆に最もちかい大社は美保神社であろう。境港よりも東にありながら島根半島に含まれるために、この神社は出雲の大社の一つとしてよく知られている。島根半島のなかでは、出雲大社と対称の位置にあって、神話世界でも重要な役割を果たしている。本殿の様式は、いちおう大社造とは呼ばれているけれども、「比翼大社造」という独特の様式をもつ。いまは海岸線から奥まった山裾にあるが、埋め立て以前に波打ち際に接していたのは疑いない。
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- 2008/03/14(金) 00:04:20|
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