昨日(31日)、チャックから電話があった。入社式を終えたという報告である。とても元気そうで、安心した。
そうこうしていると、
安土城コンペ(Ⅱ)にKyon2さんからコメントが入った。コメントは非公開になっているが、比較的長い文章である。なぜ非公開かというと、人妻がわたしに愛を打ち明けるとか、そういう内容では決してなく、チャックのことを心配した文面が綴られていた。
つぎに手紙が届いた。チャックが3月28日に千葉県流山市の新居で書いた手紙である。手紙の前半は4409研究室と4410教授室の掃除について。潔癖性の性格を反省する必要もないのに、反省した弁解の一文を紹介しておく。
「汚れてたから掃除をしたというよりは、頭の中を整理するために目の前の
見える物を整理する必要があったのです」
みなさん、見習いましょうね。頭の中を整理するために、部屋を片づけるのです!
わたしも、まずは教授室の清掃から始めますよ。
後半は座右の銘について。横山光輝『織田信長』2巻からの引用とのこと。
露は光らず 安土城に係わりはじめた途端に、チャックが信長の好んだ禅の言葉を送ってきた。
なにかの因縁で、世界がまわり始めているのかもしれない。
- 2008/04/01(火) 15:17:13|
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募集要項を転載します。
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希代の革命家・織田信長が創建し、江戸時代にそのほとんどが焼失してしまった見寺。150余年の時を経て、あなたの構想によって、同寺、本堂を蘇らせてみませんか? 見寺では、あなたの豊かな発想が折り込まれた見寺本堂再建案を募集いたします。
主催 見寺
協賛 安土町教育委員会、安土町商工会、安土町観光協会
協力 滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科
滋賀県立大学大学院近江環人地域再生学座
背 景 見寺は滋賀県蒲生郡安土町安土山にある臨済宗妙心寺派の寺院です。天正年間に安土城築城に伴って、織田信長によって建立されました。開山は、織田一族の犬山城主織田信安の三男で禅僧の剛可正仲とされています。同寺院は織田信長が近隣の社寺から多くの建物を移築し、建立したと伝えられています。
江戸時代の寺領は227石5斗余りで、18世紀末には本堂、三重塔、仁王門、書院、方丈など22棟の建物があったことが確認されています。しかしながら、安政元年(1854年)主要な建物のほとんどを焼失してしまい、焼失を免れた三重塔と仁王門を除き、本堂も礎石を残すのみとなってしまいました。その後、伝徳川家康邸跡を仮本堂とし、現在に至っています。
見寺は、150余年前に焼失してしまったこの見寺を再建したいという思いを暖めています。実現に向けては、文化庁の指導、財源など多くの問題がありますが、まず、案が必要になります。「信長公ならこんな空間を構想・実現したに違いない、という発見的・魅力的な再建案はできないか」、「若い学生たちの自由な発想に期待したい」というのがこの競技設計(コンペティション)の出発点にあります。
見寺本堂再建計画の条件 A.復元を基本とします。
B.すなわち、見寺本堂は旧位置(現在本堂礎石が残る場所)に再建するものとします。また、
C.見寺本堂は木造にて再建します。
D.外観に関しては絵図等を参照し、蓋然性のあるものとします。しかし、
E.内部のディテールなどについては厳密な考証を必ずしも問いません。
共通参考資料・特別史跡安土城跡発掘調査報告6-旧見寺境内地及び周辺地の調査-(滋賀県教育委員会 平成8年3月)
・安土町の社寺建築、安土町教育委員会、2004年3月
◆その他関連資料「信長公記」など)の収集、読解は各々が行うこととします。
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- 2008/04/01(火) 00:30:20|
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