天の川へ 薬研堀に沿う小道を北に上がっていくと寺町にでる。明慶寺という真宗寺院の伽藍の真ん中で二人は利蔵と落ち合った。これぐらい大きな広場で話すほうが敵方の忍びに話を聞かれる恐れもないのである。
「上方は物騒なことになって参りました」
「大坂城か」
「はい。関ヶ原の浪人どもが続々と入城しており、すでに数万の大軍にふくれあがっております」
「大坂方は徳川の連合軍に勝てると思っているのでしょうか」と伸太が訊ねる。
「勝てるとは思っておるまい。武士の意地ではないか。浪人たちは死場所を求めておるのよ」
「それが、淀君や大野治長は勝てる目算があるようなのでございます」と利蔵。
「・・・独眼竜か?」
「はい、伊達政宗さまが婿の松平忠輝さまを連れて大坂方に寝返るとの噂がまことしやかに流れております」
「それは聞いておる。大坂方には事実上の総大将がおらぬから、伊達が城に入って総指揮をふるえば、たしかに恐ろしいことになるが、それでも徳川方の連合軍を打ち破ることはできまい」
「それが、さらに強力な援軍が参るというのです」
「だれじゃ?」
「イスパニアの無敵艦隊です」
「えっ!?」
「幕府は伊達さまに命じてローマに使節を派遣するらしいのです。なんでも支倉常長という仙台藩の武将がその準備を進めておるとのこと」
「噂に聞いたことがある」
「ところが、南蛮の宣教師どもが伊達さまに『ローマからイスパニアにまわり、フェリペ国王に密書を送れ』との悪知恵を吹き込んだようでして・・・」
「密書とは、軍艦を派遣してほしい、という嘆願書か」
「はい。軍艦を派遣してくれれば、日本はキリシタンの国に変わると」
「恐ろしいことを企むものじゃ・・・」
「大阪方の筋書きは壮大でございます。伊達さまを総大将にして大阪城に十万の兵が籠城する。大坂城ならば十年の籠城にももちこたえられる。そのあいだに支倉に導かれたイスパニア国王の艦隊が難波の海にあらわれ、幕府軍に猛攻撃を加える」
舌右衛門は、その筋書きに驚愕した。場合によっては、日本はイスパニアの属国になりかねない、という恐怖すら湧いてきた。
「駿府の大御所(家康)はもちろん、このこと承知しておるのであろうな?」
「はい。で、柳生宗矩さまを通じて伊賀の頭領、服部半蔵御師匠に伝令が下されました」
「なんと?」
「下呂舌右衛門さまに雨川(あまかわ)に出向いていただきたい、と」
「なに、わしが七夕に天の川に行くのか」
「おふざけはほどほどになさいませ。澳門(マカオ)に行ってほしいとの命でございます」
当時、平戸ではマカオを「雨川」と漢字書きしている。マカオはアマカオとも呼ばれており、その音声を訓読みの漢字でなぞったのである。
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- 2008/04/03(木) 00:58:34|
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