曼徳倫の夕べ 王賢尚は3人を「曼徳倫」という名の海辺のレストランに案内した。コロアネ島南端の聖フランシスコ・ザビエル教会の門前から海に向かう回廊を利用した食堂群のひとつで、潮風にあたりながら、海鮮料理を浴びるように食べ、ワインを飲んだ。近くの海岸線には、家船が散見される。どうやら近くに船上生活者の大集落があるらしく、そこから魚介類をレストランに売りに来ているのだ。波よけ石垣のところどころに平底の浅い籠が並べられていて、聞けば、牡蠣の剥き身を干しているとのこと。これも船上生活者が潜水して採取してきたものである。
伸太と利蔵は貝の酒蒸しや、大蒜のたっぷり効いた蝦の炒めものに舌鼓をうつ、というよりも、むしゃぶりついている。とくに驚いているのは、鰯の炭火焼きである。
「殿、これは日本でいつも食べている鰯の焼き物ではありませぬか。七輪で火をおこし、網焼きにする鰯と同じでございますな!」
「あぁ、あれも平戸経由でポルトガル人が日本に伝えたものではないかな」
「さようでございますか。ほかに日本に馴染み深いものはございますか?」
「金平糖」
舌右衛門はもちろん料理も食べたが、なによりシャンパンのような白葡萄酒が懐かしく、その酒を舌でころがしながら、五重奏団の生演奏にじっと耳を傾けていた。
「殿、あれが吉他琴という楽器でございますか」と伸太が訊いた。
「倭文の屋敷にギターラを1台おいておる。目にしたことはないのか?」
「覚えがありません。どこで手に入れられました?」
「平戸じゃ。平戸の楽市でぼろぼろのギターラをみつけた。ただ同然の値であったから買うたのじゃ。でもな、少し修理して弦を張り替えたら、なかなか良い音がするようになってのぉ」
「そのギターラでサンバーストという曲を練習されているのですか」
「あぁ。奥にはいつも叱られておる。うるさい、うるさい、近所迷惑だと・・・」
「この店の楽団の演奏はいかがですか?」
「哀愁があってよいな。本物は違うわ」
「ギターラの横で、中風の患者のように手を震わせている小さな楽器はまた違うものなのですか?」
「あれはマンドリンと言ってな、8弦の楽器じゃ」
ギターラの伴奏にマンドリンがトレモロでメロディを奏で、厚化粧の歌手が唄を絡めてくる。その哀愁深い旋律は、ときに日本の民謡を思い起こさせるときすらあった。案外、スケール(音階)が近いのかもしれない。
王賢尚が話題に加わった。
「ギターラの本場はイスパニアにございます。ポルトガルの弾き手でも独奏者をめざすものはイスパニアで師匠をみつけ、何年も修行を積むと申します」
「そうですか。それなら、イスパニア艦隊が日本を占領するのも悪くありませんな」
「・・・??」
「はは、冗談、冗談でございますぞ。だはは・・・」
「殿はそれほどギターラがお好きなのですか?」
「えぇ、まぁ、少々。あれを弾いていると時間を忘れまする」
「あっ、9時をまわりました。お楽しみでしょうが、まだ仕事が残ってございます」
「まだ仕事があるのですか?」
「そろそろ伎楼に参りましょう」
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- 2008/04/08(火) 00:36:32|
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